2013年2月28日(木) 昨夜はいつものレディースバーJ主催のカップリングパーチーに行ってたよ。 まだまだ未来はどうにだってなる若い人たちとおしゃべりして、「親が生きてるうちに大切にしなきゃダメだよぉ」とおよそカップリングバーティーにふさわしくない台詞を吐いたりして、ほろ酔いの楽しい気分で店を出て、駅前でゲイのホームレスたちが歌ってたからちょっと話して、『宇宙戦艦ヤマト』を合唱した。 それから入ったラーメン屋では、「レディースデーのサービスです」とラーメンに煮玉子をのっけてくれて、ほかほかした気持ちで家に帰ってパソコンをつけたら……うおおおお!ドル円91円20銭?!!……気分は一気に急降下。 またイタリア総選挙の夜みたいに急落するのかな?と恐怖に震えながら眠りについて、さっき起きたら92円20銭。収支はプラス転換していたから、ほっとした気分でスタートを切ったところだ。 今日は早退して脳ドッグ。CTスキャンが怖くて怖くてたまらない。 そういえばこれまでに一度だけCTスキャンした。蓄膿症だったんだけど、あの時も「電磁波を浴びた」という記憶が薄れるまでは、気にしすぎでしばらく体調悪かったものだ。 今はもう、病院の予約をキャンセルしたい気持ちでいっぱいだ。キャンセルして午後からマヤといっしょに遊んでやろうかなあ……。でもキャンセルするならどうやって?「風邪で体調が悪い」?「仕事が入った」?それとも正直に「怖すぎて下痢してるから検査の間もちそうにない?」 まるきり病院嫌いの子供みたいで情けない。会社に行ったら脳の検査をしたことある同僚に聞いてみよう。そして「大丈夫だよ、受けてきなよ」ってはげましてもらうんだ。
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2013年2月24日(日) このところ動悸がひどいのは更年期障害?それともストレスのせい?言葉もなかなか出てこなくて、あうあう〜って感じの自分にイラッときます。 パキスタンおまわりさんのことはこちらに書きました→☆ |
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2013年2月21日(木)
バーン・ジョーンズ展を見に行ったら、子供向きのパンフレットでこんなやつらが作品にツッコミを入れていたよ。それにしてもこのキャラ&ネーミング、なんぼアートの殿堂といえどちょっくらアバンギャルドすぎないか? その中で一番好きなのが、ムキムキマッチョなルドガー・ハウアー演じるレプリカントが、なぜか半裸でデッカード(ブレードランナー)を殺す一歩手前まで追いつめる場面。(今思うと監督の趣味か?) 「俺はお前達の想像を絶するものを色々見てきた あのめくるめく瞬間もいずれは消える その時がきた……」 私が『ブレードランナー』をはじめて見たのはハタチくらいだったけど、最後の最後に命の貴重さを見出したのか、憎悪していた敵を殺すことをやめたレプリカントが、雨に打たれながら静かに息を引き取る場面では、オオカミのように泣きたいところ、ハンカチを口を押さえながら嗚咽したものだ。うぉおおおおーん!(涙) そんな経緯でその時から今に至るまで「記憶」と記憶の集大成である人生のかけがえのなさ、美しさを思う時には、いつもムキムキマッチョなレプリカントの上記の台詞を思い出す。 生身では宇宙空間で活動できない私は、オリオンにもタンホイザー・ゲートにも行けないけれど、記憶をたぐるとさまざまな場面が脳裏によみがえる。 エジプトでパンをやったらどこまでもどこまでもついてきた白い子犬。 ここ数年の記憶のページをめくってみたら、思い出すのはそんなささいなことばかり。ピラミッドとかモスクとか、ごっついものは意外と出てこないのはちょっと不思議。 そんな中から私の心にまっさきに蘇る「パキスタン警官の『バイバイ』」について、日を改めて書かせていただきたい。(遅刻しそうやねん!) |
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2013年2月19日(火) 夢のなかでどこか遠くにある国に住んでいた……。 街はゴミだらけで腐臭が漂い年がら年中あちこち工事中で、あまりにも空気が汚れているから大人はみんなガスマスクをつけて歩いている(このあたり中国の大気汚染映像の影響か) そんなある日、仲間が息せき切って駆けてきた。「ここから出られるぞ!」 ここから出てもっとマシなところへ行ける!と勢い込んで、拾ってきた棒や素手で金網を広げる私たち。やがて穴は通り抜けられるほど大きくなった。 次々に穴をすり抜けて、あっち側の世界に走っていくと、現れたのは透明なプラスチックの壁。そう、こっちの世界とあっちの世界は乗り越えられない壁で隔てられていたのだ。 水槽の中のアシカのように壁の向こうを見つめると、家族連れが犬たちを連れてピクニックに来ている。みんなニコニコ笑って完全な幸福の中にいるようだ。それを見るとうらやましくて寂しくて胸がつぶれそうになった。 するとその時、壁にはりつく子供達の前に現れたのは、大きなボードをかかげた優しそうなお姉さん。お姉さんはボードに書かれた地図を私たちに指し示しながら言った。 弁償?お金なんて持ってないのにどうしよう……泣きたくなったところで場面が変わり、「こっちの世界」にいることには変わらないけど、大人に戻っていた。 大人になって掘っ建て小屋に住む私の前に現れたのは、棍棒を持ち、獣の皮を身につけて、手作り小物を行商している原始人セールスマン。 ボスは「これは保証書だから受け取った印にサインをくれ」と、読めない文字がびっしり書かれた書類を示した。アメリカの国際弁護士が出してきそうな、細かい文字で約款が印刷された大仰な紙面だ。 いや〜、ちかごろ夢すら見なかったけど、久々に見たらこれかよ!フロイトやユングの出番を待つまでもなく、深層心理をまんま映像化したような夢に我ながら苦笑するしかなかったよ……。 会社の人や友人には「元気そうに見えるよ?ちゃんと仕事も行けてるんだし」と言われるけれど、毎日心が少しづつ黒いものに浸食されていくのをどうしても止められないこの嫌な感じを、一体どう伝えたらいいのか分からない。 やっぱり精神科に行くべきだろうか……と思って友人に相談したら、「それより先に脳ドッグに行け」と言われた。というのは、このところ思うように体が動かないのだ。 家のカギをなかなか開けられない、ポケットの中のものを取り出せない、服を着るのに苦労する(そでに手がなかなか通らない)等々、ちょっとおかしい。そういう風に手が動かないと、ますますパニックを起こして体がぶるぶる震えだし、息ができなくなる。 だから今日、病院があいたらすぐに近所の脳外科(そんな特殊な病院がうちの道路向かいにあるのだ)に脳ドッグの予約を入れようと思う。 |
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2013年2月16日(土) 薄暗い日記を一番上に置いておくのは気が引けて、なにか楽しいことを書こうとしたけれど、やっぱ駄目だ。楽しいことが思い浮かばない。気分を上げようとパンクのCDをかけようとしたけど、気が乗らないからショパンにした。 父のことを思いだしている。思い出したくないけれど、どんなに振り払っても心に浮かぶから逆らうのはあきらめた。 スーパーの駅弁フェアで買ってきた鯛の押し寿司を「お前も食え」と言うと、くるんでいた桜の葉をむしりはじめた父。「なにしてるの?」と尋ねると、「桜のはっぱキライやろ」と。私が以前、さくらもちの桜の葉が苦手だと言ったのを覚えていたのだ。 マヤがペットショップの売れ残りだったということを、死の数ヶ月前に始めて話してやったら、えらく喜んでいた父。 ベランダにテーブルと椅子を出して、酒とアテとマヤのおやつを並べてやると、「わんこをはべらせて贅沢やなあ!」と、マヤとゆったり酒を飲んでいた、小さく、細く、弱々しくなった父。 古代エジプトにはまっている私に「お前がエジプトじゃなくて縄文にはまってくれてたらなあ!」と悔しがった父。(縄文時代のアマチュア研究者だったのだ)しょっちゅう書き物を私たちに読ませようとしていたが、めんどくさがって相手にしてもらえなかったから、最後にはいとこの男の子たちに押しつけていた。 イリが死んだとき、遺骸の前で床に突っ伏してオンオン泣いた父。 亡くなる2日前、最後に会った日に、「じゃあ帰るね、お父さん、しっかりせなあかんよ!」と言うと、片手を上げて「ありがとう」と言った父。マッサージしてやった足は小枝のように細くなっていた。 私は自分の記憶が呪わしい。そういった父の声が、姿が、まるでビデオを再生するように脳裏に蘇って、朝から晩まで私を苦しめる。 だって私は父にちっとも優しくしてやらなかったから。特に逝去前、6月から8月は暑さと更年期障害のせいで、ひどく邪険にしていた。 もっと話を聞いてやればよかった。牡蠣フライも豚汁も天ぷらも炊き込みごはんも作ってやれたよかった。 振り返ると虫の報せだったのかもしれない。そういったもろもろをしてやらなきゃという思いは、亡くなる一ヶ月くらい前から急に強くなり、父もまた長く顔を見ていない親戚や友達に会いに行きたいから、お前付いてきてくれと頻繁に言うようになっていた。 でも、どれもこれも全くしなかった。自分の体がダルい、ただそれだけのつまらない理由で。 それでも……苦悩の中にあっても、知人友人に支えられてなんとかかんとか生きている。 このサイト経由の友人や、匿名のメッセージにも心から感謝しているし、ここを見てくれている東京の美容師Tさんが先日下さったメールにも、救われた思いだった。 私を同年輩で似たような環境にあるTさんは、私が「父にもっと色々してあげればよかった」と嘆いているのを見て、ご両親が健在なうちに優しくしようと「何か頼まれたりしたときに、嫌な顔をしないようにしてあげようと思うんですよ」と……。 嘆きは何も生み出さないと分かっているのに嘆くことしかできない私は、己のふがいなさに嫌気がさしている。そんな中にあって、悲しんでばかりの自分でも、ほんのわずかでもTさんご家族の役に立てたのかな、と考えてとても嬉しくなった。 なんとなく自分のヲタ話を読み返していると、遊戯王SSとウォートランSSに今の複雑な心情に近いお話がありました。 あと、両親もイリも元気で仕事は順調で、なんの悩みもなく毎日大笑いしていた頃に書いた遊戯王話。わんこ目線と悪ガキども。 |
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2013年2月16日(土) 薄暗くて恐縮だが、父を失った悲しみと更年期障害にダブルパンチを食らわされて、このところまたしても調子が悪い。 ただでさえ更年期で辛い時期だというのに、40代の母は末妹が引き起こす家庭内トラブルで筆舌に尽くしがたい苦しみを味わっていた。 とにかくこの生きづらさ、気力のなさをなんとかできないものか。朝が来るたびに、ああ、今日もまた目が覚めてしまった、と生きていることを呪いたくなるネガティブな精神状態は、もう自分の努力では変えられないのだろうか。 ここをごらん頂いている方々には文章の調子でお分かりだろうが、うつの中にあっても少し気力が出る時期もあって、そんな時にはこのまま元のアグレッシブな自分に戻れるかな、と期待する。だけどしばらくすると元の木阿弥、正直なところかなり苦しい。 それでも誰かが消しゴムで私をこの世から消してくれるわけじゃないなら、日々の生活を続けるしかない。 自分はあとどのくらい生きるんだろう。50年かもしれないし、ひょっとすると明日までかもしれない。 生まれて生きて死んでゆくって、なんて不思議なことなんだろう!そう思いながらキーボードを叩く手を止め窓の外の空を眺めていると、ふと『千と千尋の神隠し』の主題歌が胸に蘇った。手元にCDがあるから聞いてみようかな。 でも、久しぶりの『いつも何度でも』は静かな哀しみと安らぎに満ちていて、またしても慟哭。泣きすぎてまぶたがパンパンだ。 ほんとはいけないんだけど『いつも何度でも』の歌詞、書いときます。 <いつも何度でも> 作詞:筧 和歌子・作曲:木村 弓 呼んでいる 胸のどこか奥で かなしみは 数え切れないけれど 繰り返すあやまちの そのたび ひとは さよならのときの 静かな胸 生きている不思議 死んでゆく不思議 呼んでいる 胸のどこか奥で かなしみの数を 言い尽くすより 閉じていく思い出の そのなかにいつも はじまりの朝の 静かな窓 海の彼方には もう探さない |
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2013年2月13日(水) 涙で目が覚めた。父の夢を見たのだ。 夢の中でリビングにいると、足を引きずってつかまり歩きしながら部屋から出てきた父。よぼよぼのその姿を見るとどっと悲しみが押し寄せた。 すると父はまだ死なんよ、とだけ言って私が幼い頃によく耳にした歌を口ずさみながら、よろよろとトイレの方へ歩いていった。 父は昔から昭和初期に流行ったであろう変てこな歌をよく口ずさんでは、「女の子にそんな歌おしえないでっ!」と母の怒りを買っていたものだ。 中でもよく覚えているのは♪ヒゲは伸びてもふんどしゃサラだーい!オイラ江戸っ子だい!べらんめえ!!♪という曲だ。 当時小学3,4年生だった私は、朝礼の時に「一日一人づつ、自分の好きな歌を紹介する」というコーナーでこれを得意満面で高らかに歌い上げ、みんなには喝采を浴びたものの(子供って下品が好きですからね!)、先生はちょっと困った顔をしていたことをなんとなく覚えている。 ♪ヒゲは伸びてもふんどしゃサラだーい! ネットってすごい。こんなことまで一発で分かるなんて!(なお、一番目にヒットしたのは自分の過去日記でした……。)こんなことなら歌詞をプリントアウトして父に見せてやれば、さぞ喜んだだろうに。 昭和13年の曲なら父は13才、悪ぶりたい年頃だ。悪友たちと声をそろえて♪オイラ江戸っ子だい!べらんめえ!!と歌いながら田舎道を歩く父の姿を思い描くと、なんだかたまらなく懐かしくなって泣き笑いした。 下品な歌もよく歌ったけど、謡曲も得意で結婚式では『高砂』を謡ってくれと引く手あまただった父。声がとても良くてロマンスグレーでかなりの男前だった父。 |
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2013年2月12日(火)
そういえば『小鳥たちのために』ってタイトル、どこかで見たような……とググったら、そうそう!『4分33秒』で有名な現代音楽家、ジョン・ケージの著作だったわ。それと同時に「現代音楽ってなんかカッコいい!」と思っていた中学生の頃に、タイトル買いした厨二病メモリーもよみがえった……。出版社が青土社ってのもなんかカッチョよかったんだ。 なお、厨二的に「ずばぬけてカッコいい出版社」はみすず書房だった。どの本もおなじ気持ち悪い肌色の表紙に、黒字でタイトルを入れただけという、カバーデザインなんぞ銀河の彼方に捨ててきた仕様。 加えて中学生には手が出ないほど高かったみすずには、「うちの本は唯一無二なんだ。嫌なら買うな。ゼニがなければ出直してこい」と言われてるみたいで、その尊大さに無性に萌えたものだ。 またうつ発動?いいえ、湯あたりです。 風呂に入るのはかなり体力を消耗する行為だと聞く。風呂で寝てそのまま天国に召される成人男女も、毎年かなりの数に上るらしい。 酔っぱらってお湯の中で寝てしまったせいで、帰宅して5時半に目覚めた時には体がひどくダルくて、首の後ろの痛みと動悸・息ぎれがけっこうデンジャラーな感じ。 でも、なんとなくパソコンを立ち上げて為替ボードを見たら、一気に気力復活して、マンションの下までポカリを買いに行けるほど元気になったぜ☆ 金曜日夕方6時の麻生さんの発言(「我々が思っていたより円安は進行している」)からあれよあれよという間に進行した円高。 そういえば頭痛も動悸もどこかへ行った。はっ!!!ひょっとすると年が明けてからの私のうつの原因って……?! ……でもうふふ、やっぱ、考えてみたらそうかもしれないニャン!(=´ω`=) マヤちゃんの大好きスポット・あわじぼくじょうにある看板。「乳しぼり」はいいけど「乳のまし」になんか違和感を覚えたのだが。 単に牛の赤ちゃんにほ乳瓶でお乳をあげるコーナーなんだけど、これを見た瞬間、胸をはだけた人妻が、オムツをはいた中年男におっぱいをあげる赤ちゃんプレイの絵が浮かんだ私はダメすぎるのだろうか……。 |
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2013年2月9日(土) こんにちは、ミキです。すさんだ心で平常心を欠いた投資をしたせいで、ケツに軽く火がついてます。
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2013年2月8日(金) このところまた気持ちがひどく落ち込んで、夜中に何度も目覚めるようになってきた。精神科医のHPを検索しまくるほどじゃないから、去年よりマシではあるけれど、ストレスのせいか突然パニックに襲われて、呼吸ができなくなくなるのは困りもの。 ここを更新しようとパソを立ち上げても、頭に浮かんでくるのは父にしてやらなかったことへの後悔と、ひょっとしたら父を救えたかもしれないいくつもの道を選ばなかった自分へのひどい嫌悪ばかり。 インドでは何かをつかめた気がしたのになあ。どうやら「そんな気がした」だけだったみたい。仏陀は35歳で正覚を開いたけれど、一般人はそう簡単には悟れないもんだ。 「お父さんが死んでまだ半年だから忘れられなくてもしょーがないよ」となぐさめられつつも、生きるのがしんどいのは何とかしたい。 それでもなんぼ趣味が同じ(読書と映画鑑賞と街歩き)とはいえ、20才以上年下の見ず知らずの若人に声をかけるなんてみっともないよなー、と思いとどまってギリギリセーフ。そもそもこんな薄暗い精神状態の時に、新たに知人を作るもんじゃない。相手もうんざりするだろう。 そんなこんなで少しでも父の思い出と、やらなかったことへの後悔から気がそれるように、毎日己を鼓舞しつつ、ゼイゼイいいながらほふく前進。 せっかく両親からもらった命、父母の分までしっかり生きようと己に言い聞かせて、GWのバングラデシュ旅行計画を立てつつなんとかかんとかやってます……って、ぜんぜん元気やないの!!(#^ω^) |
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2013年2月5日(火) あと三分で出社!あわててます。 インド旅行テキストをあげましたからこちらからどうぞ→☆ |
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2013年2月2日(土) 実家で早々に布団に入り、ヘボピーが台所でなにかをガチャガチャいわせる音を聞きながらうとうとしていると、いつものようにマヤが布団にもぐりこんできた。 「マヤの頭が濡れてるけどどうしたん?!」と聞いたところヘボピーが手をすべらせて、どん兵衛のカップをマヤの頭からぶちまけたらしい。おおおおおお!! それでもかぶった当人は全くひるまず、ものすごいスピードで床にちらばったうどんをむさぼり食ったそうだ。さすがマヤちゃん、ぬかりないワン!(=´ω`=)
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