2013年2月28日(木)

昨夜はいつものレディースバーJ主催のカップリングパーチーに行ってたよ。
「カップリング」と銘打ってるけれども、べつにカノジョを見つけるのが目的じゃなくてもよくて、シングルでありさえすれば参加できるこの集い、人が楽しそうにしてるのを眺めるのが好きな私は、時々ぶらっと参加する。

まだまだ未来はどうにだってなる若い人たちとおしゃべりして、「親が生きてるうちに大切にしなきゃダメだよぉ」とおよそカップリングバーティーにふさわしくない台詞を吐いたりして、ほろ酔いの楽しい気分で店を出て、駅前でゲイのホームレスたちが歌ってたからちょっと話して、『宇宙戦艦ヤマト』を合唱した。

それから入ったラーメン屋では、「レディースデーのサービスです」とラーメンに煮玉子をのっけてくれて、ほかほかした気持ちで家に帰ってパソコンをつけたら……うおおおお!ドル円91円20銭?!!……気分は一気に急降下。

またイタリア総選挙の夜みたいに急落するのかな?と恐怖に震えながら眠りについて、さっき起きたら92円20銭。収支はプラス転換していたから、ほっとした気分でスタートを切ったところだ。

今日は早退して脳ドッグ。CTスキャンが怖くて怖くてたまらない。
CTスキャンって電磁波を浴びせられるんだよね?(しくみをよく分かってません)それによってかえって脳がダメージを食らうのでは?と想像してしまうから、恐怖のあまりおなかがピーピーだ。

そういえばこれまでに一度だけCTスキャンした。蓄膿症だったんだけど、あの時も「電磁波を浴びた」という記憶が薄れるまでは、気にしすぎでしばらく体調悪かったものだ。
薬とか電磁波にものすごく神経質な私は、今ほんとに脳の検査を受けるべきなのだろうか?と土壇場になって迷いが生じている。

今はもう、病院の予約をキャンセルしたい気持ちでいっぱいだ。キャンセルして午後からマヤといっしょに遊んでやろうかなあ……。でもキャンセルするならどうやって?「風邪で体調が悪い」?「仕事が入った」?それとも正直に「怖すぎて下痢してるから検査の間もちそうにない?」

まるきり病院嫌いの子供みたいで情けない。会社に行ったら脳の検査をしたことある同僚に聞いてみよう。そして「大丈夫だよ、受けてきなよ」ってはげましてもらうんだ。

左:冬のマヤっこ。ふかふか。いつまでも抱っこしたくなる天使のふかふか。

上:夏のマヤっこ。つるつる。だっこするとほかほかあったかい。昔のメキシコ人がチワワを湯たんぽ代わりにした気持がよく分かる。

ふてぶてしい。このピンクのふかふかベッドももうぺしゃんこ。おねえちゃんに新しいふかふか買ってもらわなきゃね。

なんかにらんでる。私が台所でパソコンを打つ時には、足元に置いたこの「ミッキーさん」に座るのがきまり。

2013年2月24日(日)

このところ動悸がひどいのは更年期障害?それともストレスのせい?言葉もなかなか出てこなくて、あうあう〜って感じの自分にイラッときます。
ひとまず脳ドッグの予約を入れたので、脳の血管に血栓などの異常がないか検査します。それがなければアルツハイマー検査。そうやってひとつづつ可能性を取り除いてゆき、この体調不良の原因を少しずつ解明しようと思います。「単なる更年期障害」でありますように……。

パキスタンおまわりさんのことはこちらに書きました→

2013年2月21日(木)

バーン・ジョーンズ展を見に行ったら、子供向きのパンフレットでこんなやつらが作品にツッコミを入れていたよ。それにしてもこのキャラ&ネーミング、なんぼアートの殿堂といえどちょっくらアバンギャルドすぎないか?


『ブレードランナー』をご存じだろうか近未来、荒廃しきった地球を捨てて他惑星の植民地に移り住んだ人々が、汚れ仕事を任せていた人造人間──レプリカント達が「自分たちはいったいなんであるのか?」という疑問への答えを求め宇宙船を奪い、故郷である地球に戻ってくる。
そしてハリソン・フォード演じる“ブレードランナー”と呼ばれる警官が、異分子を狩る任務を帯びて彼らと対峙する……というストーリーの、リドリー・スコット監督による作品。SF映画いや映画史上に残る名作だと言われてるので、未見ならお勧めだ。

その中で一番好きなのが、ムキムキマッチョなルドガー・ハウアー演じるレプリカントが、なぜか半裸でデッカード(ブレードランナー)を殺す一歩手前まで追いつめる場面。(今思うと監督の趣味か?)
創造主の博士によってたった4年の寿命しか与えられていなかった戦闘用レプリカントは、デッカードの命を奪う代わりに、残された最後の時を使ってこんな台詞を吐く。

「俺はお前達の想像を絶するものを色々見てきた
オリオンのそばで炎に包まれていた宇宙船
タンホイザー・ゲートの闇の中で輝いていたオーロラ

あのめくるめく瞬間もいずれは消える
時がくれば
涙のように
雨のように

その時がきた……」

私が『ブレードランナー』をはじめて見たのはハタチくらいだったけど、最後の最後に命の貴重さを見出したのか、憎悪していた敵を殺すことをやめたレプリカントが、雨に打たれながら静かに息を引き取る場面では、オオカミのように泣きたいところ、ハンカチを口を押さえながら嗚咽したものだ。うぉおおおおーん!(涙)
いやまあ、感動!涙で前が見えないっ!と思う心の片隅では、手につかんでた白いハトが絶命と同時に空へ羽ばたくのは、絵的にちょっとやりすぎちゃうか?とは思ったけどな。

そんな経緯でその時から今に至るまで「記憶」と記憶の集大成である人生のかけがえのなさ、美しさを思う時には、いつもムキムキマッチョなレプリカントの上記の台詞を思い出す。
また、どんなに感動的なものを見ようとも、人は記憶を他者とは共有できないままに消えてゆくというはかなさも……。

生身では宇宙空間で活動できない私は、オリオンにもタンホイザー・ゲートにも行けないけれど、記憶をたぐるとさまざまな場面が脳裏によみがえる。

エジプトでパンをやったらどこまでもどこまでもついてきた白い子犬。
パキスタンの村で集まってきた子供たちの中から「お前が歌えよ」と推薦されて、きれいなボーイソプラノで歌を歌ってくれた少年。
インドの公衆便所の横のゴミ捨て場で、野良犬といっしょにチキンの切れ端をかじっていたぼろぼろの男。
イランで私が日本人だと見るや、超ハイテンションで話しかけてきた若いメガネっ娘。「じゃあね!また会いましょう!」と三人乗りしたバイクで去っていった時に、ひらひらしていた黒いチャドルの後ろ姿。

ここ数年の記憶のページをめくってみたら、思い出すのはそんなささいなことばかり。ピラミッドとかモスクとか、ごっついものは意外と出てこないのはちょっと不思議。

そんな中から私の心にまっさきに蘇る「パキスタン警官の『バイバイ』」について、日を改めて書かせていただきたい。(遅刻しそうやねん!)

2013年2月19日(火)

夢のなかでどこか遠くにある国に住んでいた……。
そこで私はストリートチルドレンの一人。親もきょうだいもいないひとりぼっちだ。

街はゴミだらけで腐臭が漂い年がら年中あちこち工事中で、あまりにも空気が汚れているから大人はみんなガスマスクをつけて歩いている(このあたり中国の大気汚染映像の影響か)
臭くて煙って寂しい世界にはひとかけらの希望も持てないけれど、朝がくるとおなかがすくことには変わらないからその日暮らしで生きている。

そんなある日、仲間が息せき切って駆けてきた。「ここから出られるぞ!」
発見したのは街の片隅、樹木に隠れるように立つ金網のフェンス。小さな穴があいており、そこを広げると体が通りそうだ。

ここから出てもっとマシなところへ行ける!と勢い込んで、拾ってきた棒や素手で金網を広げる私たち。やがて穴は通り抜けられるほど大きくなった。

次々に穴をすり抜けて、あっち側の世界に走っていくと、現れたのは透明なプラスチックの壁。そう、こっちの世界とあっちの世界は乗り越えられない壁で隔てられていたのだ。

水槽の中のアシカのように壁の向こうを見つめると、家族連れが犬たちを連れてピクニックに来ている。みんなニコニコ笑って完全な幸福の中にいるようだ。それを見るとうらやましくて寂しくて胸がつぶれそうになった。

するとその時、壁にはりつく子供達の前に現れたのは、大きなボードをかかげた優しそうなお姉さん。お姉さんはボードに書かれた地図を私たちに指し示しながら言った。
「ここは○○国の最果てです。街は海を越えたまだもっと先にあります。あなたがたの足ではとうてい行くことはかないません。なお、ここは私有地です。あなたがたの壊した金網は弁償される必要があります」

弁償?お金なんて持ってないのにどうしよう……泣きたくなったところで場面が変わり、「こっちの世界」にいることには変わらないけど、大人に戻っていた。

大人になって掘っ建て小屋に住む私の前に現れたのは、棍棒を持ち、獣の皮を身につけて、手作り小物を行商している原始人セールスマン。
「何か買え」とすごまれて、ぶったたかれるのは嫌だからしぶしぶ「3500円」の値札のついた布製の財布(桃太郎が鬼退治に向かう場面が刺繍してある)を選んだら、原始人セールスマンの背後からスマートなスーツ姿の華僑ビジネスマンが登場した。どうやらボスらしい。

ボスは「これは保証書だから受け取った印にサインをくれ」と、読めない文字がびっしり書かれた書類を示した。アメリカの国際弁護士が出してきそうな、細かい文字で約款が印刷された大仰な紙面だ。
「これはぜったい保証書なんかじゃない!」直感でそう思った私はサインを拒み、怒った原始人の振り下ろす棍棒が脳天を直撃する直前に……目が覚めた。

いや〜、ちかごろ夢すら見なかったけど、久々に見たらこれかよ!フロイトやユングの出番を待つまでもなく、深層心理をまんま映像化したような夢に我ながら苦笑するしかなかったよ……。


……と寝ても覚めてもストレスフルで、心休まるのは仕事をしてる時だけ。この週末もこの世には世話をするべき人がもういないことが辛すぎて、実家にひきこもってずっと寝ていた。あかんすぎる。

会社の人や友人には「元気そうに見えるよ?ちゃんと仕事も行けてるんだし」と言われるけれど、毎日心が少しづつ黒いものに浸食されていくのをどうしても止められないこの嫌な感じを、一体どう伝えたらいいのか分からない。

やっぱり精神科に行くべきだろうか……と思って友人に相談したら、「それより先に脳ドッグに行け」と言われた。というのは、このところ思うように体が動かないのだ。

家のカギをなかなか開けられない、ポケットの中のものを取り出せない、服を着るのに苦労する(そでに手がなかなか通らない)等々、ちょっとおかしい。そういう風に手が動かないと、ますますパニックを起こして体がぶるぶる震えだし、息ができなくなる。
これはストレスから来る症状だと思っていたが、友人いわく、脳梗塞の予兆かもしれないと。

だから今日、病院があいたらすぐに近所の脳外科(そんな特殊な病院がうちの道路向かいにあるのだ)に脳ドッグの予約を入れようと思う。
MRI ってすごく不快なものだと聞くのですげー嫌なんだけど……。MRIをしたことある方いらっしゃれば、どうだったか教えてください。

2013年2月16日(土)

薄暗い日記を一番上に置いておくのは気が引けて、なにか楽しいことを書こうとしたけれど、やっぱ駄目だ。楽しいことが思い浮かばない。気分を上げようとパンクのCDをかけようとしたけど、気が乗らないからショパンにした。

父のことを思いだしている。思い出したくないけれど、どんなに振り払っても心に浮かぶから逆らうのはあきらめた。

スーパーの駅弁フェアで買ってきた鯛の押し寿司を「お前も食え」と言うと、くるんでいた桜の葉をむしりはじめた父。「なにしてるの?」と尋ねると、「桜のはっぱキライやろ」と。私が以前、さくらもちの桜の葉が苦手だと言ったのを覚えていたのだ。
もう中年になった娘の桜の葉を取るなんて、親にとっては子はいつまでも子なんだなあ、親とはなんとありがたいものだろう!と感激した。手帳にも「父、桜の葉取ってくれる」とメモが残っている。

マヤがペットショップの売れ残りだったということを、死の数ヶ月前に始めて話してやったら、えらく喜んでいた父。
「お前は売れ残りやったんか。パパ、お前のこともっと好きになったわ!」と大笑いして、それ以降はしょっちゅう「売れ残りのマーヤ君」と話しかけていた。自分もはみ出し者だったせいか、売れ残りとか邪魔者とか、そういう存在が好きだったみたいだ。

ベランダにテーブルと椅子を出して、酒とアテとマヤのおやつを並べてやると、「わんこをはべらせて贅沢やなあ!」と、マヤとゆったり酒を飲んでいた、小さく、細く、弱々しくなった父。

古代エジプトにはまっている私に「お前がエジプトじゃなくて縄文にはまってくれてたらなあ!」と悔しがった父。(縄文時代のアマチュア研究者だったのだ)しょっちゅう書き物を私たちに読ませようとしていたが、めんどくさがって相手にしてもらえなかったから、最後にはいとこの男の子たちに押しつけていた。

イリが死んだとき、遺骸の前で床に突っ伏してオンオン泣いた父。
後に「中学生の頃、弟が死んだときに『ああ、人生ってこんなにはかないものなんだな』と思ってから、俺、誰が死んでも涙が出なかってん。自分、おかしいんじゃないかと思っとってん。でもイリが死んだ時に『ああ、俺また泣けるんやわ』と思った」と話していた。

亡くなる2日前、最後に会った日に、「じゃあ帰るね、お父さん、しっかりせなあかんよ!」と言うと、片手を上げて「ありがとう」と言った父。マッサージしてやった足は小枝のように細くなっていた。

私は自分の記憶が呪わしい。そういった父の声が、姿が、まるでビデオを再生するように脳裏に蘇って、朝から晩まで私を苦しめる。
せめてもの慰めは、母より先に逝ったことかもしれない。母の死を目の当たりにした父が、イリの死後、もう一度泣かずに済んだことかもしれない、とも考えてもみるけれど、そんなことでは気分は晴れない。

だって私は父にちっとも優しくしてやらなかったから。特に逝去前、6月から8月は暑さと更年期障害のせいで、ひどく邪険にしていた。

もっと話を聞いてやればよかった。牡蠣フライも豚汁も天ぷらも炊き込みごはんも作ってやれたよかった。
ピザや中華の出前を取って、マヤを連れていっしょに公園に行って、隣の布団に寝ながら話をして、爪を切って病院に付き添ってやって、布団を洗濯してやればよかった。

振り返ると虫の報せだったのかもしれない。そういったもろもろをしてやらなきゃという思いは、亡くなる一ヶ月くらい前から急に強くなり、父もまた長く顔を見ていない親戚や友達に会いに行きたいから、お前付いてきてくれと頻繁に言うようになっていた。

でも、どれもこれも全くしなかった。自分の体がダルい、ただそれだけのつまらない理由で。
この後悔、自分を責める気持ちはもうどうしたって消せない。せめて一週間、いや3日だけ時間をくれれば思い切り優しくしただろうに、どうしてあっという間に一人ぼっちで逝ってしまったのか。

それでも……苦悩の中にあっても、知人友人に支えられてなんとかかんとか生きている。
先日、寒中見舞いで父の死を知らせると、香典を送ってくれた東北の友人。こんなにたくさん申し訳ないと言うと、震災の時に世話になったことは死ぬまで感謝している。やっとお姉さんらしいことができて嬉しいと言ってくれた。
30年以上会っていない、昔隣に住んでいたお兄さんは、幼い頃の私の写真に添えて励ましの手紙を送ってくれた。

このサイト経由の友人や、匿名のメッセージにも心から感謝しているし、ここを見てくれている東京の美容師Tさんが先日下さったメールにも、救われた思いだった。

私を同年輩で似たような環境にあるTさんは、私が「父にもっと色々してあげればよかった」と嘆いているのを見て、ご両親が健在なうちに優しくしようと「何か頼まれたりしたときに、嫌な顔をしないようにしてあげようと思うんですよ」と……。

嘆きは何も生み出さないと分かっているのに嘆くことしかできない私は、己のふがいなさに嫌気がさしている。そんな中にあって、悲しんでばかりの自分でも、ほんのわずかでもTさんご家族の役に立てたのかな、と考えてとても嬉しくなった。


なんとなく自分のヲタ話を読み返していると、遊戯王SSウォートランSSに今の複雑な心情に近いお話がありました。  
どっちも死にネタなんですが……。可愛がっていた小鳥を失って悲しむシャダと、ハーネマン亡きずっとあと、公園のベンチに座って空を見上げる老クーパーの、あふれる悲しみにとまどいつつも、どこか心は静かに澄んでいる感じ。

あと、両親もイリも元気で仕事は順調で、なんの悩みもなく毎日大笑いしていた頃に書いた遊戯王話。わんこ目線悪ガキども
自分、こんなに明るい話を書けてたんだなあ、とびっくり。それにひきかえ今はいったいなにやってんだ……ってまたあせったわ(笑)

2013年2月16日(土)

薄暗くて恐縮だが、父を失った悲しみと更年期障害にダブルパンチを食らわされて、このところまたしても調子が悪い。
母は私が30代の頃に、「あんたたちももっと年を取ったらどんどんしんどくなってくるよ。だからその時に私がいてやらなきゃ」と言っていたものだが、その意味が今になって痛いほどよく分かる。年を取るということは、若い頃とは全く別種の苦悩が増えることなのだ。

ただでさえ更年期で辛い時期だというのに、40代の母は末妹が引き起こす家庭内トラブルで筆舌に尽くしがたい苦しみを味わっていた。
だからこそ娘達が自分と同じような年齢になった時に支えてやらなくては、という気持ちが心の奥底からあふれ出しての発言だったのだろう。今、病床の母の手を握りながら、お母さん、あんなこと言ってたのに、私が一番しんどい時に病気になっちゃ駄目じゃない!と話しかけても、もう何ら反応は返ってこないのだが。

とにかくこの生きづらさ、気力のなさをなんとかできないものか。朝が来るたびに、ああ、今日もまた目が覚めてしまった、と生きていることを呪いたくなるネガティブな精神状態は、もう自分の努力では変えられないのだろうか。

ここをごらん頂いている方々には文章の調子でお分かりだろうが、うつの中にあっても少し気力が出る時期もあって、そんな時にはこのまま元のアグレッシブな自分に戻れるかな、と期待する。だけどしばらくすると元の木阿弥、正直なところかなり苦しい。
家族を失った悲しみも、日が経つにつれてだんだん薄れてものだよと人は言うけれど、こうして気分の上がり下がりを繰り返すうちに、心の奥にある何か大事なものがどんどんすり減ってきているようで恐怖を覚える。

それでも誰かが消しゴムで私をこの世から消してくれるわけじゃないなら、日々の生活を続けるしかない。
起きるのがひどくおっくうで、自分がぐにゃぐにゃのスライムになった気分の時には、「お父さん、お母さん、おはよう!」と大きな声で挨拶してから立ち上がる。するとすぐそばにいる父が「よしっ!」と言い、病床から飛んできた母が「しっかりしなさい」と優しく頭をなでてくれる気がする。
霊魂の存在は半分くらいしか信じていないのだが、それでも自分を慰めたくて挨拶する。

自分はあとどのくらい生きるんだろう。50年かもしれないし、ひょっとすると明日までかもしれない。
いずれにせよこれから先ずっと、最後の日を迎えるまで、私は朝になれば「お父さん、お母さん、おはよう」と声をかけ続けるんだろうな、と想像すると、なんだか嬉しくて切なくて泣きたくなった。

生まれて生きて死んでゆくって、なんて不思議なことなんだろう!そう思いながらキーボードを叩く手を止め窓の外の空を眺めていると、ふと『千と千尋の神隠し』の主題歌が胸に蘇った。手元にCDがあるから聞いてみようかな。

でも、久しぶりの『いつも何度でも』は静かな哀しみと安らぎに満ちていて、またしても慟哭。泣きすぎてまぶたがパンパンだ。
「さよならのときの 静かな胸 ゼロになるからだが 耳をすませる」という部分にイリが死んだ時のことを思い出すせいで、父母が元気な頃からこの曲は地雷だったのにさ、もうやめようぜ……自分いびりは。

ほんとはいけないんだけど『いつも何度でも』の歌詞、書いときます。

<いつも何度でも> 作詞:筧 和歌子・作曲:木村 弓

呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも心躍る 夢を見たい

かなしみは 数え切れないけれど
その向こうできっと あなたに会える

繰り返すあやまちの そのたび ひとは
ただ青い空の 青さを知る
果てしなく 道は続いて見えるけれど
この両手は光を抱ける

さよならのときの 静かな胸
ゼロになるからだが 耳をすませる

生きている不思議 死んでゆく不思議
花も風も街も みんなおなじ

呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも何度でも 夢を描こう

かなしみの数を 言い尽くすより
同じくちびるで そっとうたおう

閉じていく思い出の そのなかにいつも
忘れたくない ささやきを聞く
こなごなに砕かれた 鏡の上にも
新しい景色が 映される

はじまりの朝の 静かな窓
ゼロになるからだ 充たされてゆけ

海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに 見つけられたから

2013年2月13日(水)

涙で目が覚めた。父の夢を見たのだ。

夢の中でリビングにいると、足を引きずってつかまり歩きしながら部屋から出てきた父。よぼよぼのその姿を見るとどっと悲しみが押し寄せた。
お父さん、もうすぐお別れなのが私、悲しくて。そして父に抱きついて、お父さん大好き、大好きと泣きじゃくった。

すると父はまだ死なんよ、とだけ言って私が幼い頃によく耳にした歌を口ずさみながら、よろよろとトイレの方へ歩いていった。
♪爺さん酒飲んで 酔っぱらって死んじゃった 婆さんそれ見て 驚いて死んじゃった♪

父は昔から昭和初期に流行ったであろう変てこな歌をよく口ずさんでは、「女の子にそんな歌おしえないでっ!」と母の怒りを買っていたものだ。
それらの中には『買物ブギー』で有名な笠置シズ子の曲もたくさんあったけど、炭坑の荒くれ者が酔っぱらって立ち小便しながら歌ってそうな、時と共に消え去りそうな流行歌や替え歌も多かった。

中でもよく覚えているのは♪ヒゲは伸びてもふんどしゃサラだーい!オイラ江戸っ子だい!べらんめえ!!♪という曲だ。

当時小学3,4年生だった私は、朝礼の時に「一日一人づつ、自分の好きな歌を紹介する」というコーナーでこれを得意満面で高らかに歌い上げ、みんなには喝采を浴びたものの(子供って下品が好きですからね!)、先生はちょっと困った顔をしていたことをなんとなく覚えている。
きっと下品な歌を級友に教えるなんて困った子!と思われたんだろう。だって帰ると母には「女の子がふんどしだなんて大きな声で歌っちゃダメ!」と叱られたから。

♪ヒゲは伸びてもふんどしゃサラだーい!
あの曲はいったいなんて曲だったんだろう。そんなの、ヒットするわけないよねと苦笑しながらググったら……ヒットした。日中戦争の頃の『江戸っ子部隊』という歌らしい。

ネットってすごい。こんなことまで一発で分かるなんて!(なお、一番目にヒットしたのは自分の過去日記でした……。)こんなことなら歌詞をプリントアウトして父に見せてやれば、さぞ喜んだだろうに。

昭和13年の曲なら父は13才、悪ぶりたい年頃だ。悪友たちと声をそろえて♪オイラ江戸っ子だい!べらんめえ!!と歌いながら田舎道を歩く父の姿を思い描くと、なんだかたまらなく懐かしくなって泣き笑いした。

下品な歌もよく歌ったけど、謡曲も得意で結婚式では『高砂』を謡ってくれと引く手あまただった父。声がとても良くてロマンスグレーでかなりの男前だった父。
生きているうちに一緒に歌ってやればよかったなあ……と思いながら、忘れないように携帯に歌詞をメモした。
♪爺さん酒飲んで 酔っぱらって死んじゃった 婆さんそれ見て 驚いて死んじゃった♪

2013年2月12日(火)

小鳥たちのために。近所の庭に吊り下げられていた。カキとミカンを針金でドッキングさせた豪華メニュー。

そういえば『小鳥たちのために』ってタイトル、どこかで見たような……とググったら、そうそう!『4分33秒』で有名な現代音楽家、ジョン・ケージの著作だったわ。それと同時に「現代音楽ってなんかカッコいい!」と思っていた中学生の頃に、タイトル買いした厨二病メモリーもよみがえった……。出版社が青土社ってのもなんかカッチョよかったんだ。

なお、厨二的に「ずばぬけてカッコいい出版社」はみすず書房だった。どの本もおなじ気持ち悪い肌色の表紙に、黒字でタイトルを入れただけという、カバーデザインなんぞ銀河の彼方に捨ててきた仕様。

加えて中学生には手が出ないほど高かったみすずには、「うちの本は唯一無二なんだ。嫌なら買うな。ゼニがなければ出直してこい」と言われてるみたいで、その尊大さに無性に萌えたものだ。


今日は……あ、マイパソコン、「きょう」って打っていきなり「凶」って変換するの、ゾッとするからやめてくれない?……さて、今日は朝5時半に目覚めてそのまま起きている。

またうつ発動?いいえ、湯あたりです。
ひさしぶりに行った十三のセクマイバーで調子よく飲み過ぎて、フラフラうちに帰ったまではよかったのだが、さぶいからあったまろーと銭湯に行ったのが大間違い。

風呂に入るのはかなり体力を消耗する行為だと聞く。風呂で寝てそのまま天国に召される成人男女も、毎年かなりの数に上るらしい。
私もあやうく「2013年に風呂で寝ていて死亡した人」の統計に加えられるところだった。

酔っぱらってお湯の中で寝てしまったせいで、帰宅して5時半に目覚めた時には体がひどくダルくて、首の後ろの痛みと動悸・息ぎれがけっこうデンジャラーな感じ。
年齢的に「脳梗塞」の三文字が頭をよぎったものだから、ヘボピーに「死んでるかもしれないから念のため朝になったら電話して」とメールしておいて、寝るのもしんどいからそのまま起きてきた次第。

でも、なんとなくパソコンを立ち上げて為替ボードを見たら、一気に気力復活して、マンションの下までポカリを買いに行けるほど元気になったぜ☆
というのは寝ている間に一気に円安が進行していたからである!

金曜日夕方6時の麻生さんの発言(「我々が思っていたより円安は進行している」)からあれよあれよという間に進行した円高。
円売り・ドル買いでポジションを作っている管理人としては、あーあ、これ以上円高になったらしんどいなあ、と気分が冴えなかった三連休だけど、なんとかプラマイゼロで逃げられて、ポカリで水分補給しながらホッとしている。

そういえば頭痛も動悸もどこかへ行った。はっ!!!ひょっとすると年が明けてからの私のうつの原因って……?!
いや、そんなこと言えない。心配してくれた人たちに怒られるから、言っちゃいかんしありえない。己の気分が日経平均と為替相場に連動しているなど、あるまじき事だ!

……でもうふふ、やっぱ、考えてみたらそうかもしれないニャン!(=´ω`=)


マヤちゃんの大好きスポット・あわじぼくじょうにある看板。「乳しぼり」はいいけど「乳のまし」になんか違和感を覚えたのだが。

単に牛の赤ちゃんにほ乳瓶でお乳をあげるコーナーなんだけど、これを見た瞬間、胸をはだけた人妻が、オムツをはいた中年男におっぱいをあげる赤ちゃんプレイの絵が浮かんだ私はダメすぎるのだろうか……。

2013年2月9日(土)

こんにちは、ミキです。すさんだ心で平常心を欠いた投資をしたせいで、ケツに軽く火がついてます。
それでもけっして挑むことをやめない、だんだん自分が『カイジ』の福本キャラに思えてきた……。
胸を張れっ!手痛く負けた時こそ…胸をっ…!(バタッ)

母のホームのおたっしゃ組・はつゑさんの作品。

これ、年寄りにとってはけっこうLIVE OR DIEなお題かも。

介護士さんが添えた説明文をごらんください。
起きてこられるならいいけれど、はつゑさんの年にもなると、夜の明けたことも気付かないまま布団の中で……ってパターンもありそうでドキドキ。

お孫さんだろうか、当サイト一押しの特養アーティスト・川上なをゑ画伯が描くわらべたち。
赤い水玉の描き込みに草間彌生の情熱を、カラフルな縞模様にはミッソーニの洒落っけを見た。

なをゑさんちのパンダうさぎ。えっちがう?すみませんグレムリンでした。

こいつは水に濡らしても、 太陽光線を当てても、 真夜中過ぎに食べ物を与えてもいけません。さもないと……ギャあああーーっ!!

昨日公開されたばかりのなをゑさんの最新作。これを目にした瞬間、軽いめまいを覚えた。
なをゑさんは一体どこへ向かっているのだろう?幾多の作風の変化を経て、キュビズムを創始したピカソを見る思いである。

大阪・天王寺の雑居ビルの看板。凝ったデザインのわりに店名は「ごん太」とイモ全開。店主のセンスがよー分からん。

大阪・通天閣そばの閑散とした商店街で見つけた看板。
色々がんばってるのは分かるけどいかんせん字が下手すぎる。こんなロゴならいっそない方が……とまで言うとオーナー泣いちゃうかな。

通天閣ふもとの老舗パーラー。店名といいメニューに描かれたイラストといい、この古くささが慕わしい。

クラシック音楽の流れる店のマスターはオノナツメキャラぽかったので、シルバーマニアは行ってみそ。

2013年2月8日(金)

このところまた気持ちがひどく落ち込んで、夜中に何度も目覚めるようになってきた。精神科医のHPを検索しまくるほどじゃないから、去年よりマシではあるけれど、ストレスのせいか突然パニックに襲われて、呼吸ができなくなくなるのは困りもの。

ここを更新しようとパソを立ち上げても、頭に浮かんでくるのは父にしてやらなかったことへの後悔と、ひょっとしたら父を救えたかもしれないいくつもの道を選ばなかった自分へのひどい嫌悪ばかり。
この心情を聞いてもらいたいと文章を書き始めることもあるけれど、世を去った家族のことを人様にあまりしつこく聞かせるのもなぁ……と自粛している。

インドでは何かをつかめた気がしたのになあ。どうやら「そんな気がした」だけだったみたい。仏陀は35歳で正覚を開いたけれど、一般人はそう簡単には悟れないもんだ。
いずれにせよ、最高の気分転換メソッド=海外旅行からまだ一ヶ月ちょっとしかたってないというのに、すでに元の木阿弥な自分のコスパの悪さに泣けてくるぜ……。

「お父さんが死んでまだ半年だから忘れられなくてもしょーがないよ」となぐさめられつつも、生きるのがしんどいのは何とかしたい。
この現状を打破するには、全く新たな人間関係を結ぶのがいいかもと、某セクマイ系掲示板でお友達募集の書き込みをしていた人に、メールを出す寸前まで行った……かなり切羽詰まってるな!

それでもなんぼ趣味が同じ(読書と映画鑑賞と街歩き)とはいえ、20才以上年下の見ず知らずの若人に声をかけるなんてみっともないよなー、と思いとどまってギリギリセーフ。そもそもこんな薄暗い精神状態の時に、新たに知人を作るもんじゃない。相手もうんざりするだろう。

そんなこんなで少しでも父の思い出と、やらなかったことへの後悔から気がそれるように、毎日己を鼓舞しつつ、ゼイゼイいいながらほふく前進。
母の状態が見舞いに行くたびに悪くなってるせいもあって、どうしてこんなに辛い目に遭わなきゃならないんだ?!と天を仰いで嘆ぎたくなるけれど、I'm not the only one. 世の中には同様の苦しみを抱えた人たちが山ほどいるのなら、自分も乗り越えられないはずがないよね。

せっかく両親からもらった命、父母の分までしっかり生きようと己に言い聞かせて、GWのバングラデシュ旅行計画を立てつつなんとかかんとかやってます……って、ぜんぜん元気やないの!!(#^ω^)

2013年2月5日(火)

あと三分で出社!あわててます。

インド旅行テキストをあげましたからこちらからどうぞ→

2013年2月2日(土)

実家で早々に布団に入り、ヘボピーが台所でなにかをガチャガチャいわせる音を聞きながらうとうとしていると、いつものようにマヤが布団にもぐりこんできた。
だがおかしい!頭がべっとり濡れている。においを嗅いだらほんのりしょうゆくさい。

「マヤの頭が濡れてるけどどうしたん?!」と聞いたところヘボピーが手をすべらせて、どん兵衛のカップをマヤの頭からぶちまけたらしい。おおおおおお!!

それでもかぶった当人は全くひるまず、ものすごいスピードで床にちらばったうどんをむさぼり食ったそうだ。さすがマヤちゃん、ぬかりないワン!(=´ω`=)

ふんばり地蔵。

トコトコ歩くありさまは、遊園地によくあるパンダの乗り物そっくりだよ!

私が台所のテーブルで書き物をする時には、足元に置いた“ミッキーさん”(犬ベットの呼び名)で眠るのがきまり。ぎゅーぎゅーだけど気にならないみたいだ。

まやが なにかを みている!

捨てられた鏡でした。こわがって自分に向かってワンワン吠えていたよ。

市内で最も参拝客の多い神社に鎮座していた巨大絵馬。

リアルベクトルのがんばりが空回りんぐ。目は言うまでもなく下あごのふくらみが気色悪い。お花なんかくわえてもだまされないぞ!

「○○高校に合格しますように」「家族みんなが健康でありますように」といった願いの中で異彩を放っていた。
彼は一体誰に語りかけているのだろう。そして去年までの彼はいかほどにまともではなかったのか?

見る者を罪人の懺悔に耳をかたむける、牧師の気分にさせる一品である。

チーター!チーター!そいでもってまたチーター!!動物界の俊足キングの写真がふんだんにちりばめられたスパッツ。

これをはいたら私もフローレンス・ジョイナーになれるかな。だが買おうと思ったものの、関西のオバちゃんに徹せず断念。

川上なをゑさんの最新作である。「なをゑ」の落款印も新たに作り、今年もほとばしる制作意欲。
お正月にいただいたのが何なのか、文字が読めなくたっていいじゃないか。
(後にパソコンの手書き入力ツールで推測した結果、どうやら「お重」らしいと判明しました)

マキ子さんの情感あふれる作品。雪の中で紅の花を咲かせる椿のように凛として、一日を大切に、楽しく、楽しく……。

私もこの言葉をかみしめつつ、なんでもないような事を幸せだと思って、人生のロードを歩いてゆきたいby THE虎舞竜