<スワート谷のおまわりさん>

パキスタン北西辺境部にあるスワート谷。
かつて英国の植民地化に抵抗を続け、最後まで支配を許さなかった土地である。

2012年5月、私とヘボピーはカラコルムハイウェイを通って、パキスタンー中国国境に位置するクンジュラブ峠を越え、カシュガルに入る(はずだった)ツアーに参加した。

だが旅行催行が決定したのはけっこう遅かった……っていうよりむしろギリギリで、申込者は「他の目的地に振り替えなきゃならんなら、ダメならダメで結論を出してくれ!ゴールデンウィークだから早く決めないと飛行機が取れないYO!」とあせるあまり、大地が揺れるほど地団駄を踏んだものだ。

催行決定の判断が遅れた理由というのが、そのたった一ヶ月前、4月頭に発生した「日本人ツーリスト、パキスタンで足止め」問題。スンニ派とシーア派の対立による治安悪化により、日本人観光客77名が北部フンザやギルギットから移動できなくなったのだ。

この事件はテレビニュースでも連日取りあげられており、人々が固唾を飲んで見守る中、最終的には軍用機で大脱出!という、ミリタリーファンにはうらやましがられる結末を迎えたので、覚えておられる方もいらっしゃるかもしれない。

この治安悪化についてもう少し詳しく説明させて頂きたい。
ことのおこりは、さかのぼることさらに数ヶ月。スンニ派の武装集団がカラコルムハイウェイを封鎖、バスを停車させて乗客9名を殺害、バスに放火する事件が発生した。
停車させたバスから乗客をおろし、一人一人の身分証明書を確認した上でシーア派だけを選んで殺害するという、宗派対立によって引き起こされた悲惨な事件だったと聞く。

私たちがカラコルムハイウェイを通った時も、焼けただれたバスはそのまま放置されており、反射的にシャッターは押したものの、多数の人が亡くなった現場の写真をここに上げるのはためられわれるので控えておく。

さて、4月の日本人観光客足止め問題は、現地でのテロの可能性が高まっていたからではなく、バス焼き討ち事件に対する警察の対応、ちょっと遅すぎない?!と怒ったシーア派の人々がデモをしたことによる、道路封鎖が直接の原因だったそうだ。

だから旅行会社はツアー催行できる安全レベルと判断、私たちは無事に旅立てたものの……よもや武装勢力ではなく伏兵・チャイナの嫌がらせにより、大幅な旅程の変更を余儀なくされて、なんのこっちゃー!(怒)って結末を迎えるとは!
まあこの件については長くなるので別項で書かせていただきたい。

カラコルムハイウェイ中央部あたりの村で、観光バスを見つけて集まってきたわらべたち。パキスタン公用語であるウルドゥー語会話集片手に話しかけたものの全く通じず。パシュトゥー語が分かればなぁと悔しかった。
フンザやイスラマバード周辺の子供達に比べるとちょっと暗いというか、人見知りな印象を受けた。

上の写真の村でおもちゃにされていた選挙ポスター。
目に押しピンを刺したり穴をあけたりするのは、万国共通のいたずらなのかな?

前置きがむちゃくちゃ長くなった。
そんなこんなでバス焼き討ち事件のあったパキスタン北西辺境州では、微妙に警戒レベルが引き上げられており、カラコルムハイウェイの一部区間では、私たちの観光バスにライフルを携行した警官が乗り込んできた。

エジプト中部を移動した時にも、護衛のために警官が同乗するのが決まりだった。
普通乗用車(ナスビ色のベンツ)に居丈だかなデブ警官が乗り込んできて、息が詰まりそうだったその時の記憶がよみがえり、「えーっ?また警官?やだなぁ」と思いつつ、乗車してきたガーディアンエンジェルのことは、一瞥どころか半瞥もしないままに、完璧スルーしていたのだが。

護衛に乗り込んできた警官は、仕事そこのけでドライバーやガイドとおしゃべりする人がけっこう多い。でも彼は無口、ひたすら無口だ。
もともとジェイソン・ボーン並みに口数が少ないのだろうか?それとも外国人観光客を積載したバスに乗ったことがないからだろうか?そのあたり事情は分からないながら、微妙に緊張している雰囲気がうかがえる。

バスはカラコルムハイウェイをぶっとばし、彼は相変わらず無口だから、だんだんとお愛想しないと悪いみたいな気分になってきた。

でも土地柄からして、ウルドゥー語かパシュトゥー語しか通じなさそう。もちろん私はどちらも話せない。いっそ英語で……と思いながらちらっと顔を見てみると、なっ……なんかカッコよくね?

やがてバスはスワート谷の記念写真スポットに停車。おまわりさんもいっしょに降りてきた。

「うわーっ!きれい!」「なんだか懐かしい風景だね」と言い合いながら、霧にむせぶ緑の谷、清らかな川にファインダーを向ける人々。

一方、私のファインダーはおまわりさん一択だ。モロに写したら怒られるかもしれないから(警官や軍人は撮影拒否されることがけっこう多いのだ)、あっちを向いてる時を見計らってこそこそ盗撮……。スクール水着マニアの気持ちがちょっと分かった。

←一番マシな盗撮作品。他の写真はぜんぶ超ピンぼけだった……。もっと磨かなきゃならんわ、盗撮テク。

清らかな心で雄大な自然にファインダーを向ける人々に混じって、言い訳程度に風景写真を撮るのみで、あとはおまわりさん鑑賞に余念がない私。それでもイスラームの縛りのきっつい地方の官憲におびえ、「写真、撮ってもいいですか?」と言い出せない私は、肝心なところで小心者だ。

その時、もじもじするばかりの乙女(嘘)を後目に、堂々と声を掛ける者がいた。ジンバブエで荷物を紛失されたのよぉとか言ってた、旅慣れたおかっぱ女史だ!

カメラを指さし身ぶりで「一緒に記念撮影してください」と話しかけたおかっぱ女史。ふおっふおっふおっ、やっとおまわりさんのイケメンぶりに気付いたか!と満足感を覚えたのもつかの間で、同行者に次々と記念撮影を頼まれて大人気のおまわりさんを見て、「わたしが一番最初に目ぇつけたのに……」とちょっぴり悔しくなるのであった。

ヘボピーによる盗撮作品。ああバックのオッサンさえいなければ!

イスラームの戒律的に女性と接触が少ないせいだろう。たとえオバちゃんであっても女性との記念撮影ではカチカチだったのに、男性陣と一緒だと一気にほっとしたのか、むっちゃくだけたおまわりさん。

女性との記念撮影では出なかった笑顔のみならず、男性とは肩を組んで銃までもたせてあげるサービスっぷり。
さすが男同士がナチュラルに手をつないで歩く国だけある。ここがパキスタンでなければ腐女子的に勘ぐってしまうところだ。

上の写真のくだけっぷりに対して、私との記念撮影はビシッと直立不動!身長165センチの私と比べると、かなり背が高いことがお分かりだろうか。

あとシャッター押したヘボピー、一緒の写真がたった一枚しかないってのに、このピンぼけっぷりはねえだろ。こんな時には押さえでもっとバシャバシャ枚数撮るんだよっ!(怒)

おまわりさんが同乗した区間はアフガニスタンの最大多数民族であるパシュトゥン人の多い地方ゆえ、彼も多分パシュトゥンだと思うと、アフガン好きの管理人、ますます萌え。

もうちょっとほっぺたがそげてる方が好みといえば好みだけど、目元がすごくいい!ふっくら系キアヌ・リーブスと呼んでも怒る人はいなかろう。


やがて、日本人観光客にいじられまくったおまわりさんとも別れの時がやってきた。
イスラーム原理主義の勢力が強い地方であるということを知らない人でも、なんとなく緊張してしまうような雰囲気漂う町々を抜け、バスが止まったのは警察の詰め所。

ドライブ中はおろか、記念撮影でもみくちゃにされてる時でさえ、少なくとも私は一言も声を聞いていなかったおまわりさんが、バスを降りるときにひとことだけ、低音のとってもいい声でつぶやくように言ったのだ。「Bye」と……。

私はたまたま乗降口のすぐそばの席に座っていたから聞き取れたものの、内気な性格を思わせるような、まるで独り言みたいな別れの挨拶だった。

そして考えすぎだろうか、まるで名残を惜しむかのように、バスを降りてからも限りなくさりげない感じでバスの前方にぶらぶら歩いてきたおまわりさん。
ブルルルルゥン……。エンジンをかけ動き出すバスの中から私とおかっぱ女史が思いきり手を振ると、胸の前まで控えめに上げた手を小さく振ってみせた。あの、はにかんだ笑顔は私の記憶に焼き付いている。

多分もう二度と会うことがないであろう、パキスタン北西辺境部のおまわりさんの記憶。父母や愛犬たちをさしおいて、自分が死ぬ間際にうっかり思い出してしまいそうな勢いだ。

旅の醍醐味はこういった、遠い世界で生きている、二度と会うことのない人々とのちょっとした出会いと別れに尽きると思う……と言いつつ、年に何度も出ているカラコルムハイウェイを縦断するこのコース。来年は同じコースに参加して、人づてでもいいからおまわりさんに写真を渡したいと、執念深く思ったりして。

おまわりさんと別れた警察詰め所の前で、ごっつい傘をさしていたパシュトゥンおやじ。

カメラを向けて怒られたら困ると、ファインダをのぞかずに勘でレンズを向けたら……見事なピンぼけ!やっぱ盗撮の腕、磨かなきゃ。