2018年6月29日(金)

おととい「脊柱管狭窄症」の疑いで腰に浴びたばかりの強力磁力を、今日は「フラッシュダンス」のジェニファー・ビールスよろしくたっぷり頭に浴びてきた。
そう、クモ膜下出血&心筋梗塞と並ぶジジババキラー、「脳梗塞」に私もなってしまった可能性からである!!!!

途中まで見たW杯で「こりゃアカン!見るのが辛いわ……。」とテレビを消した後、なぜか日本チームが予選通過していたことをヤフーニュースで知った深夜1時半。
寝床に入って眠りに落ちた頃、未経験の痛みに飛び起きた。左半身を下にして寝ていたわけでもないのに、左腕が電気うなぎをつかんだみたいに(つかんだことないけどな)痺れているではないか。

頭の中では脳梗塞であれよあれよという間にあの世ゆきとなった人々の記憶が駆けめぐる。起きあがってベッドに座り、心を静めてから己の肉体を観察してみた。これはやはり尋常ではない。

なにこれ怖い!でも家には私一人。怖いなんて言ってたら朝には「故・ミキ」になりかねない。そこで、こういう時のために枕元に常備しているバンドエイドを手に取った。いや、しびれをバンドエイドで治すためではない。ここには市が懸命に広報活動を展開している「救急相談ダイヤル」の番号が印刷されているのだ。

「病院?行ったほうがいい? 救急車、呼んだほうがいい? いま開いている病院はどこ?」 汗を垂らしはてなマークを浮かべた女性のイラストと、「迷ったら!#7119」
これを自分が使うことになるとは……と思いながら、震える指でガラケーのボタンを押し込んだ。

「ぜんぜんつながらねーよ!」とクレーム殺到の#7119は、深夜3時という時間帯のお陰だろう、1秒で電話口から女性の声が聞こえた時にはホッとした。そして、おさまる気配ゼロのしびれに気が遠くなりつつも、必死で平常心を保って症状を説明。

だが、「1,2時間以内に救急病院に行った方がいい」という回答を得たのはいいものの、脳神経外科の当番病院のうち、一番有名な病院は救急受け入れストップだなんて!「さっきまで受け入れしてたんですけど……。緊急オペでクローズになってます」と聞いた時には絶望の淵を覗いた気がした。

それ以外に紹介された二病院はどちらも微妙に距離があり、タクシー代が……なんて言っている場合じゃないが、深夜割り増し料金が気になり、あと少し、あと少しと思っているうちに夜明けが来て、さらにあと少し……と思ううちに眠りに落ちていた。

そして朝の6時。現在受け入れ可能な救急病院を再び問い合わせたところ、近所の有名病院がヒット。でも事前に電話したら、これまた「緊急オペで受け入れ停止です」とのお言葉が。さすが国民病なだけあって、脳の血管がぷつっときた人々があちこちで倒れているらしい。

そうこうするうちに朝の7時。迷っているうちに一般診療の時間が迫ってきた。本当は救急でもなければ一般診療は門前払いの、地元のレビュー最高峰である市民病院にカルテを置きたかったのだが、スーパー長時間待つだけの元気はさすがにない。
あきらめて救急相談ダイヤルで紹介された病院の中から一番脳によさそうな病院をセレクトして、しびれが広がってきた足どりも弱々しく5駅先にあるY病院に向かった。

そして検査に要すること3時間。MRI検査はこれで4回目だが(三回目はたったの二日前って……。)Y病院のマシンはこれまで見た三台のどれよりもショボい。
初MRIでお世話になったアチーバ3.0TX(14億円)は「シャンシャンシャン」とサンタクロースのそりの音を思わせる軽快なサウンドを奏でていたのに対して、今日のマシンからは「グオーングオーン」と鈍い音。こういう音、タイタニックのボイラー室からしてた気がする。
(アチーバについては2013年3月2日の日記をごらんください)

それにこれまでのMRI検査には30分ほど要したのに対して、今日の検査技師さんは「15分から20分かかります」って、それでいいのか?「限界になったら押してください」と持たされるボールもナシだし、ほんとにちゃんと見えるの?私の頭の中!!

結果からいえば機械が多少古かろうとも、私の脳はクリーンすぎて、アチーバ3.0TXまでのスペックは必要なかったみたい。
またMRIを終えたタイミングで友人が「その病院、脳では県下ナンバーワンらしいで」というメールをくれたお陰もあり、院長先生の「脳はきれいです」というお墨付きも素直に受け入れられて一件落着。
死にかけのバンビだった行きとは打って変わってしっかりした足取りで家路を辿り、あまつさえホームセンターで巨大植木鉢まで購入したのだった。

それにしてもショックなのが、今回の尋常じゃないしびれの原因は「正座したあとのしびれみたいなもの」だという診断だったこと。
未体験のしびれが始まってから7時間たっても消えなかったから、これは大事にちがいない!と思っていたが、先生に「美容室で腕を椅子の上に乗せていただけで一週間しびれが消えなかった人もいますよ」と言われて、はあそうですか、と納得せざるを得なかった。

単なる「加齢による血行不良」なんて情けない原因だったこのたびのビリビリ騒動。近々脳ドッグを受けなくてはと思っていたからタイミング的には悪くはなかったとはいえ、「脳梗塞かもしれない」という恐怖心はものすごいストレスとなり、すっかり体調を崩してしまった。

脳梗塞とクモ膜下出血はいつ来るか分からないから本当に恐ろしいもの。一年に一度の検査で100%回避できるものでもなかろうが、これからは定期的にMRIの磁力カッターで輪切りにされることにする。
みなさんも40才過ぎたら高いと言わずに受けてみて下さい脳ドッグ。4,5万円で寝たきりリスクをちょっとだけでも回避できると思えばけっこうコスパいいですわ。

2018年6月25日(月)

初めて「宝石」と呼べるアクセサリーを買ったのは21,2才の頃だった。バイトで貯めたお金をふところに、おそるおそる足を踏み入れた神戸・北野の宝石屋。販売だけでなくスリランカからのインポートも手がける店である。

小さなサファイアの回りにこれまた砂粒みたいなダイアモンドを配した、アルハンブラ宮殿的デザインの18金の指輪を買った私に、スリランカ人のオーナーはその後30年の長きに渡って私を縛ることになる、ある教えを授けてくれた。
それは「質流れなど、出所の分からない中古の宝石は買うなかれ」ということである。

セカンドハンドといってもおばあさまが大切にしていた石や、幸福に暮らしている友人から断捨離で回ってくるものは問題ない。
なぜ「出所の分からない宝石」を避けるべきなのか、それは宝石を手放す時、その人は経済的に困窮していたり、贈り主との関係がこじれてもうその石を見たくもない!という、ネガティブな事情を抱えていることがありがちだから。
そして宝石には「ラッキーアイテム」という側面があるために、所有者が負の経験を通して手放した石には平たく言えば「負のエネルギーが染みついている」とオーナーは言った。

もともと身につけるものは新品を好む性格もあり、それ以降私は一切中古のアクセサリーを手にしなかった。時計のコレクションを手放した際にコメ兵からもらったお店で使える数万円分のクーポンも、「コメ兵の貴金属は出自が分からないから……」と自分で使わず友人にあげた。

それがどうだろう!メルカリの存在を知った今、スリランカ人のアドバイスはどこへやら、中古の石付きアクセサリーを買いまくりなのだ。
前の持ち主がスキーで転んで骨折してリハビリ代をかせぐために売った指輪であろうとも、離婚したDV男からもらったネックレスであろうとも、そんなの関係ねえ!関係あるのは「価格」ただその一点である。

それにしてもメルカリにはびっくりする。リサイクルショップに貴金属の買い取りを依頼する際には本物かどうか鑑定してもらい、身分証明書を呈示の上、必要書類に記入したり……と、キャッシュを受け取るまでにけっこうな時間がかかるのに対して、メルカリはスマホひとつで売却できる。

その手軽さが「断捨離さえできれば値段はテキトーでいいざます」というリッチな奥様層に重宝されているのだろうか、どう見積もってもショップで数万円で引き取ってもらえる18金のアクセサリーなどが、ちょくちょく「えっ?そんな値段で売るの?」という値付けをされて紛れ込んでいたりするのだ。まあ。そういうものは出品3分後に売れてたりするから、きっと業者もチェックしているのだろう。

24時間新しい品が続々出現する悪魔のショッピングツール。メルカリをチェックしすぎて今日もまた睡眠不足だ。

きのう買った三点。みんな同じやん!というツッコミはなしの方向で!

2018年6月22日(金)

会社からのさくらんぼ(国産)と、パキスタンツアーでご一緒した方からマンゴーのおすそわけ。インスタグラム風に撮影してコラージュしたが、ちがう……。なにかがちがう!!

皿の問題だろうか?それとももっと彩度を上げて加工する必要があるのだろうか?
スマホアプリだとタップひとつで「キラキラ」やら「復古調」とかに加工してくれるみたいだが、化石のような旧Mac(OS9。古すぎてネットもメールもできない。)でPhotoshop Ver.6を使っている私には、どうすればインスタに咲いているような百花繚乱キラキラ写真を作れるのか、イマイチ分からん。

ところでこのマンゴー、かの有名な宮崎名産「太陽のタマゴ」。そう、一玉5千円から一万円もするやつである。
南アジアでは安く買えるマンゴーは旅先でちょくちょく口にすることがある。しかし国産マンゴーなんて高級すぎて、自分では死ぬまで、いや来世でも手にすることがなかっただろう。

フルーツ一つに一万円。そんな超高級品に包丁を入れる時は、結婚式のケーキに入刀する花嫁さんのように緊張した。そもそもマンゴーなんてどうやってカットすればいいの?見当もつかなくてネットで検索したら、おお!「マンゴーといえばこれ」という、あの賽の目カットのやり方が判明した。

皮一枚を残して包丁を入れ、くるっと裏返すとほわっと甘い香りが押し寄せてきて、賽の目型の身が飛び出してきた時の嬉しさよ!そして一切れ口に入れて驚いた。地球にはまだこんなに美味しいものがあったんだ!

長年生きてくるとそれなりに美食を楽しんで、グルメとかもうめんどくさい。味噌汁と白ご飯だけで満足だ……と近頃食への欲望が消失していた。だが、「細胞が喜んではね回るような美味しさ」と言ってもけして過言ではないような食を体験するのは何十年ぶりだろう。

思い起こせばこのレベルの興奮を覚えたのは50年近く前のこと。父が酒のアテに食べていた「さらしくじら」を口に入れてもらった時以来だ……なんて言うと、さらしくじらと比較された「マンゴーの美味しさ」に対する説得力が一気に薄れそうだが、その後私の好物ナンバーワンは長年「さらしくじら」がキープhしていたということで許して欲しい。

慎重を尽くして育てられたマンゴーがこれほどまでに美味しいものだと知った今、ボーナスが出るたびに「太陽のタマゴ」を季節のご挨拶として自分へ贈りたい。

2018年6月19日(火)

コンビニで採取したものの、しょーもなさすぎて捨てようと思いつつ、なぜか捨てられない写真。

「マジメ男の股間にNO.1ホストが宿った!?」なんてベタな惹句に、読む前から展開が読めすぎてかえって読みたくなるウタ☆マロマジック。

地震から一夜明け、今日のK市は曇り空。大阪は思い出したように余震に襲われているようだが、こちらでは地震計が不眠不休で働く程度。人体で感知できるほどの揺れはない。ありがたいことだ。

気色悪いインドコミックが本棚から落下した程度の被害しかなかったK市だが、地震は各交通機関を停止させ、ちょうど出勤時間だったこともあり、勤労者の足に多大な影響を及ぼしたのはご存知の通り。

そんな中、数名の社員しか出社してこなかった(できなかった)弊社では、昨日は朝10時の時点であっさり休業を決定。うち、休暇と給料については劣等生なのに、台風の時もすぐに社員帰らせたりと、「社員の通勤の足を確保する」という点においてはホワイト企業なんだよねえ。

せっかく頂いた棚ぼた休暇。GW旅行から帰ってからずっと全開で中身をあふれさせたままのスーツケースを片づけたり、旅行の写真を整理したり……と朝の時点では夢ふくらませていた。

だが、一日が終わる頃には、やったことといえば「ダラダラしただけ」と判明。SNSして近所のラーメン屋に行ってソファーでうとうとして、インドコミックをぱらぱら見て、はっと気付くと夜9時になっており、そのままベッドにINしてしまった。

最低の休日だ!そしてSNSはタイムイーターだ!SNSをいじってる限り、本来なすべきことがぜんぜん片づかねえ!

まあ大した「なすべきこと」もないとはいえ、水色の鳥も青いfも、緑の吹き出しもピンクと赤のカメラマークも、ぜんぶ封印した方がより豊かな人生を送れる気がしないでもない。

2018年6月18日(月)

2013年4月15日朝。いつもと同じように布団の中で携帯をいじって激しくFXの売買をしていた私は、唐突に落下したドル円のチャートにギャッ!と叫んだ。
なに?!この急激な円高は!!いったい何が起こったの?

ニュースサイトにアクセスすると、ボストンマラソンが爆破テロに見舞われたとの報道が。反射的に9.11の悪夢がよみがえる。犯人は単独犯?それとも組織的犯行?
テレビニュースをつけようと立ち上がった瞬間、
ラグラグラッ!キャーーーっ!!こんなタイミングで今度は地震!

パニックを起こしたマヤが足元を走り回り、私は迷わず玄関に走ってドアを開けた。阪神大震災の時、家全体がゆがんでドアが開かなくなった教訓から、ぐらっとくるとまず開門!という流れは身体にたたき込まれている。

結局のところ、体感できる大きな揺れはその一回だけだった。淡路島が震源地だったせいで、距離的に近い実家は比較的揺れが大きかったみたい。


あれから5年。日本のあちこちは常に揺れているけれど、K市を見舞った大きめの地震はボストンマラソンの朝の一発が最後だったのに……。

今朝。5年ぶりに家が身体を震わせ、ミシミシと不吉な音を立てた。
このままおさまるか?それとももっと大きいのがドーン!と来るか? 全身を硬直させて次の行動に移りあぐねつつ、頭の方はフル回転。生命の危機に見舞われた野生動物みたいだ。
そして「ドーン!」がないと分かるや否や、玄関を開けてつっかい棒をはさみ、少し落ち着いてから、本棚から飛び出した本を取りあげた。

あ……。こういうの買ったこと、すっかり忘れてた……。

地震のパワーで呼び覚まされたのは、インドからやってきたスーパーヒーローズ。いや、この絵ヅラから推測するに、善と悪のボーダーは限りなく微妙ながら、少なくともアメコミを真似たインド製であることは確かだ。

デリーに行った際、古本屋の店先のじべたに山積みにされたこれら、さわると疥癬が移りそうな手触りそして匂いのブツを買いあさったものの、今見るとかなりキモい、キモすぎる。
所有しているとよからぬものを引き寄せそうな、何とも言いしれない不安すらこみあげてくるのは、朝の地震のショックがまだ心に影を落としているせいだろうか?

トラベラーズハイで「わーっ面白い!サイトにアップするわ!」とはしゃぐ私を、「そんな本やめときなよ……」と止めたヘボピーは正しかった。それに、本をさわってから腕に虫さされのような赤みまで出てきたのですが。

どうしよう、このアメコミならぬインコミを!地震によって呼び起こされた印度の荒ぶるソウルたちを、シュレッダーにかけてお引き取り願うか否か、私はものすごく迷っている。

なにがなんだか。ただ一つ明白なのは「キモい」ということだ。
(乳輪部隊とバングラデシュの肉体改造ブックは一緒に落ちてきただけです)

インドで見つけた時には単純な「オモシロネタ」だったのに、今はえもいえぬ不安に襲われている。
単純に絵柄のキモさ?パクリの方向性が西洋コミックとは異質なせい?それともページの間に住んでいるカイカイ虫のせい?

あと、カンケーないけど別ページにおイモ写真をアップしたので見てやってください。→→☆☆☆☆☆

2018年6月14日(木)

髪の毛が肩の下まで伸びたから後ろでひとつにくくっている。四六時中ひっつめていると生え際がハゲそうで怖いのだが、髪の毛が一本でも顔にくっつくと「ああもうっ!」となる意外に神経質なタイプだから背に腹は代えられない。

楽なのはいいけれど、おくれ毛の量によっては老化と疲労のバロメーターともなる「ひっつめ髪」。街で見かける若い人々をよく見ると、結んでいる位置が高いことに気がついた。「チアリーダー的ポニーテール」よりは低いものの、「回覧板を回しにきた近所のおばさん(64才)」よりは高いのだ。

そうか!私ももうちょっと高い位置でくくったら若干おしゃれに見えるかも!そこでチアリーダーと回覧板の中間地点まで髪を持ち上げて、ゴムでぐいっと固定したらあーら不思議。鏡の中に出現したのは、わ、若武者?!

いや違う。若武者と呼ぶには老けている。これはアレだ。作務衣が似合う陶芸家の爺さん(昔はヤンチャしていた)か、元グループサウンズでベーシストやってた爺さん(アメリカ人ハーフ。名前はチャーリー)だ!

髪が黒いと爽やかになるヘアスタイルも、白髪だと若作りの陶芸家。でもまあ、ゴムでくくる位置が高くなっただけでちょっぴり気分が変わっていい感じ。
頭髪が引っぱられて顔面に緊張が走っているという物理的理由もあろうが、ナイスな気分でチャーリー三木、一週間の仕上げの仕事しにいってきます。今日さえ乗り切れば休日の一人ガンダム鑑賞会が待ってるぞ!

2018年6月12日(火)

2,3年前から一切の付き合いを断っていた株式市場。5歳児でも片手で儲けられそうな銘柄が上場するので、久々に証券会社にログインした。もう二度と株なんかやるつもりはなかったから、全てのパスワードが忘却の彼方だったせいで、ログインにはけっこう手間取ったのだが。

その銘柄の名はメルカリ。そう、貸金業違反とのことで現金出品が禁止されるや、すかさず魚の形に折った一万円札が「魚のオブジェ」として出品されて笑いを取ってくれたあのフリマアプリである。かく言う私もメルカリにはちょくちょくお世話になっている。我が家に4枚あるユニクロのウルトラダウンライトは全てメルカリを通じてどこかのお嬢さんから調達したものだ。

そんな誰でも知ってるメルカリの株、IPOに当選さえすれば寝ころんで脇腹をかきながら数十万円が転がり込んでくる、久々の濡れ手に粟銘柄。金が増えた減ったと一喜一憂するのがめんどくさくて株式市場から遠ざかった私だが、ここまで何も考える必要がない機会を逃すのももったいない気がして申し込んでみた。

当選発表は昨日の夕方。もし当たっていたら購入意思表示は今日中にする必要があるから昨夜ログインしようとしたら、パスワードを間違って記憶していた。メモしたノートも見つからないし、パスワード変更用のメアドさえどれを入れても「該当なし」と打ち返される。

このままログインできなければせっかく当選した株を買い損ねる!手が濡れているうちに粟をつかまねば!このところ金がらみの不安とは無縁の聖者のような生活を送っていたが、久々にダークな守銭奴感を取り戻した。

パソコンの前で髪を振り乱して格闘した結果、めでたくパスワード再設定できたのは一時間後。息を切らしてIPO抽選結果のページを開いたら、目に入ったのは「落選」の二文字。えらくあっさりしたもんだ。

短い株式市場復帰だった。これでまた当分のあいだ証券口座は封印だ。もし当選していたら妹にも10万ほど小遣いやって喜ばせるつもりだったが、残念だったなヘボピー!

2018年6月8日(金)

♪3000てちてち
♪2000てちてち
♪1000てちてち

これは以前ヘボピーが作った「マヤのうた」のひとつだ。最初は元気良くてちてち歩いていたマヤの足が、疲れで徐々に重くなってくる様子を表現するため、3000から1000までに歌うペースをだんだんゆっくにしていくのがポイント。

父と一緒に毎日4階までの階段を上り下りしたお陰だろう。マヤは足腰の強い犬だ。それでもさすがに15才半にもなると歩くペースは遅くなって、今ではこの歌の「1000てちてち」どころか「300てちてち」くらいの速度でヨタヨタ歩く。それもすぐに疲れて立ちすくんでしまうから、散歩の半分はだっこされている。

関節のサプリをに毎月8千円も費やしているマヤ。人間用のコンドロイチングルコサミンだってもうちょっと安いと思うし、効いているかいないのか、言葉をしゃべらない犬に聞いてもよく分からない。でも死ぬまでてちてち歩けるようにと、まずい薬をささみに包んで毎日食べさせるのは、もうどうしようもない親心なのである。

丸すぎるやろ!

犬ではないなにか。

自分のせいで部屋中に敷き詰められたおしっこシーツの上でゆったりとくつろぐ団子犬。

動物病院の先生に「こういうポケモン、いましたよね」と言われた。ほんとにな!

2018年6月6日(水)

パキスタンから帰国してちょうど一ヶ月。山頂に銀雪をいただいて、ポプラ並木の遠く向こうに横たわるカラコルムの高峰群、まばゆいばかりの笑顔をたたえた子供たち、ハイウェイからみおろす崖下でうずまいていた灰緑色のインダス河。まだ一ヶ月しか経っていないというのに、それらを目にしたのはもうずっと昔のことのよう。書類の束を抱えて走り回るあわただしい日常に戻っている。

それでも旅を境に心に訪れた変化はまだ体内に留まっている。足元の地面、呼吸している空気を通してカラコルム・ヒマラヤの自然とリンクしている感覚もある。

そういえば以前ヨガの先生に「毎日死んだ人たちのことばかり考えて辛いから、ヒマラヤに行って精神をリセットしたい。でも会社を休めなくて行けないんです」とぼやいた時に、先生いわく「あらどうして?離れていてもいつでも山川とリンクしている感覚はない?」
その時にはよく意味が分からなかったけれども、この感覚がそうなのかな。先生が言わんとしていたことはこういうことだったのかな、と思う。

全身が平安に満たされて、エネルギーが絶え間なく供給されている。木々や鳥たちと生きている喜びを共有しているようだ。
初めて経験しているこの感じをどう表現すればいいのだろう?と考え巡らすと、「コネクト」という言葉に思い至った。そう、長い間断線していた自然との接続がようやく回復した感覚。子供の頃、夏休み、自然の中で一日中遊んでいた幼い私に戻ったよう。まるで50年近く眠っていた部分が再起動したようだ。

あまりにも毎日が晴れやかなもので、「これは躁鬱病の躁状態にすぎないのでは?」と不安も覚えたけれど、どうもそうではなさそうだ。旅に行く直前まで私の心をいじめていた不安も妬みも恨みも感じない。あれほど苦しめられた「後悔」すら思い出すことが滅多になくなった。ニュートラルな精神状態とはこういうことを指すのだろうか。

満月の次の夜中、フンザのホテルのテラスに一人歩みだした瞬間に、驚きのあまり息が止まった。
煌々と輝く月光を浴びて、突然目の前にあらわれたフンザピーク。巨大な屏風のように視界を占める気高い山を目にした時、あらゆる苦悩が洗い流された。むき出しになった自分の「核」が月光で浄化されるような、心の最も深い部分を揺さぶられるような感覚。涙が流れて止まらなかった。

あの時を境にようやく私は気力を取り戻した。父の死をはじまりとした長く厳しい6年間。そういえば父が他界する4ヶ月前に行ったのが今回と同じコースだった。この旅は自分の中で何か「決着をつける」ために神さまが準備した旅だったのかな、とすら思う。

ほんとうに辛い6年だった。途中で何度も挫折しそうだった。でも何とか生き延びられてよかった。
振り返ってつくづく思うことは、「自分の問題は自分にしか解決できない」ということだけれど、多くの古人の智慧、血縁者や友人の励ましやアドバイスなしには問題解決には至らなかった。一人ぼっちだときっと途中で諦めていた。

6年間にわたって私を案じ、励ましてくださった皆様には心からの感謝を捧げさせてください。どうもありがとうございます。私はもう大丈夫。これから始まる人生の第二幕にワクワクしています。

2018年6月5日(火)

今からさかのぼること3,4年前のみき・まやちゃん。まだらボケになって姉ちゃんたちを心配させているまやちゃんも、この頃はまだまだ生き生きしてたんですねえ。

お気に入りの「ピンクさん」でこれ見よがしのくつろぎポーズ。

おねえちゃんに「わーっ!まやちゃん、面白いねえ!」と言われたくてこんなポーズをしてみせてるんだ。

なにもわざわざそんなところに……。

「頭かくして尻かくさず」にもほどというものが。

あっ!あれは何だ!?コブタか?コロッケか?

自走式お芋二号だ!!!!!!⊂(・ω・)⊃

2018年6月4日(月)

現在夜の11時。いつもなら9時にもなれば睡魔に負けるのに、今夜は珍しく目がかたいからコーヒーをいれてのんびり過ごしている。
コーヒーといってもミルで挽くなんて手のかかることはしない。ドリップパック式、それもモンカフェみたいな高級品じゃなくて、聞いたこともないメーカーが出している、お湯を注げばコーヒーというよりむしろ焼き芋的な香りがただよう最安値のブツである。

「コーヒーの香りがしないのなんて飲む意味ある?」と言われそうだが、たとえそれが焦げたイモの匂いであろうとも、「湯を沸かしてペーパーフィルターに注ぐ」という一連の流れだけでリラクゼーションスイッチが入るお得なタイプ。
これと一緒にセブンイレブンの「2種類の味が楽しめる厚切りバウム」(長いな!)をハムスターのように少しずつかじるのが、酒も夜遊びもやめた私のささやかなもぐもぐタイムなのだ。


酒といえば、一日と空けることなく飲んでいたものをやめたきっかけは、自分でもよく分からない。分からないが昨年夏、ウズベキスタンから関空に到着したら、お酒のこと、ぜんぜん好きじゃなくなってたの(=´ω`=)

どうしてだろう。出国時、げんなりするほど混雑した空港で人あたりしたせいで体調を崩し、乗り換えのインチョン空港では「このまま日本に帰れないんじゃなかろうか」と悶絶するほど苦しかった。
でも「疲労」が引き金になって嗜好ががらりと変わるものなのだろうか?ウズベキスタン出国の直前までガブガブ飲んでいたものを、日本に着くとボトルを見たくもなくなっていたなんて不思議でたまらない。

あれから半年以上が経ち、酒を飲んだ方が好ましいシーン(例えば会社の忘年会)ではビール以外ならいける程度に戻ったものの、必要のない日に無理して摂取することはなくなった。そして酒を(ほぼ)やめて分かった。ノンアルコールライフのなんと「お財布に優しい」こと!

財布に優しいばかりじゃない。酔っぱらうことがなくなったおかげで、二日酔いが苦しすぎて昼休みに病院に駆け込んで点滴することも、友人と口論になって怒りのあまり買ったばかりのスピリルナのビンを地面に叩きつけて、1000粒のスピリルナを路上にぶちまけることもないし、鍵をなくした自転車をかついで帰ろうとして転んで怪我をすることもなくなった。今の私は心も身体もお財布も、平和・シャンティー・ピースフルである。

「お酒を飲んで酔っぱらう楽しさがなくなるんじゃないの?」と言う人もいる。だが酩酊がトラブルを招いたケースこそあれ、ハッピーな記憶があまりない。「お酒を飲まないと楽しくなれない」というのは、少なくとも私の場合は思いこみにすぎなかったみたい。

そんなわけで先日のパキスタン旅行も「酒を飲めない」というストレスを感じることなく過ごせた。6年前、スーツケースにパック酒を忍ばせていったかの国では、飲酒に対する目が年々厳しくなっているそうで、外国人向けのホテルでもアルコールの提供はなく、缶ビールがこっそり販売されていたものの一本800円もしていたりと、酒好きだと辛かったにちがいない。

これでますますイスラム圏どんと来い!って感じである。「お酒、ダメ!ぜったい!」のイランもサウジアラビアも無問題。
ただ、酒を飲まない代わりにイスラム圏のオッサンばりに甘いものを欲するようになったので、ヘルシーライフ的にはプラマイゼロ。うっかりコーヒーに砂糖を入れすぎては、あわてて湯を足す毎日だ。

2018年6月1日(金)

ふと窓の外を見たら、空が「地球最後の日」みたいになっていた。

幼い頃から世界が滅びる夢をよく見ていた。夢の中で恐怖に震え錯乱して逃げ場を探していることもあるけれど、大概はさっさと諦めて路傍に佇み、不穏な色の空や人々の騒乱を眺めている。

ここ数年で一番鮮烈だったのは、カナが他界して間もない頃に見た地球最後の日。
あれはどこか知らない学校の運動場、「あああっ!」「何あれっ?!」という人々の恐怖の叫びに驚いて空を見上げると、いくつもの太陽がギラギラと輝きながら昇っては地平線に隠れ、また昇って隠れることを、まるで高速回転で撮った映像のように繰り返している。

ありえない光景を前にして思った。ああ、これで世界は終わるのだ。長く続いた人類の歴史の最後に立ち会うことになるなんて!
本能の底から揺さぶられるような、あまりにも恐ろしい光景。でもその一方でこうも思った。ああ!カナがこんな恐ろしいものを見ずに済んで良かった。ほんとうに良かった!

絶望感に凍り付いた身体とは裏腹に、「『死』という最大の恐怖を味わったであろうカナを、もうこれ以上怖い目に遭わせずに済む」というあの、全身から力が抜けてゆくような安堵感は、今なお強く記憶に焼き付いている。

窓の外がヒマラヤ山脈みたいになっていた日。
高台にある実家の窓からは色々な空が見える。訪ねてきた友人は「額縁を飾ってるみたいでいいね」と言っていたけど正にそうなんだ。

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