2018年5月30日(水)

ナウい、チョベリバ、アベック、花金、アッシーメッシーみつぐ君。昭和の死語にも色々あって、ネットで検索すると、昭和生まれの私ですら「ホンマにこんなの流行ったかあ?」といぶかしく思うマイナーなものまでが死語分類されている。

聞くところによれば最近若者の間で「あたり前田のクラッカー」が復活しているそうで(マジか?)、若い頃に「てなもんや三度笠」にはまってビデオを見倒していた私としては、「『あたり前田のクラッカー』の前に『栗の実そっくりクリケット』って言わなきゃダメなんだよぉ!」と昭和マンの知識を披露したくなったりする……って、自分も「てなもんや三度笠」のリアル世代じゃないのだが。

そんな昭和死語群にあって「これは分かる人にしか分からんやろ」と思った言葉をふと思い出した。それは「シミチョロ」。スカートのすそ丈よりシミーズ(シュミーズ)の方が長くて、すそから白い化繊がちょろりとのぞいている、レディーとして恥ずかしい状態を指すアレだ。

だがこの言葉、ひょっとするとミキ家の造語という可能性も捨てきれない。お母さんに「アンタ、シミチョロになってるよ!」と注意された経験のある方はいらっしゃるだろうか?私はシミチョロを指摘されてなんともいえず恥ずかしい思いをした記憶が多々あるのだが。

あれから半世紀近くの時が流れ平成末期。今も少女たちはスカートのすそから下着を出して母親に注意されているのだろうか?それともインナーのレースをのぞかせるのがおしゃれの一種になったりしちゃってるのだろうか?
唐突に記憶の倉庫から掘り起こされた言葉に一抹のノスタルジーを覚えながら、話題は日本から南アジア方面にジャンプして、シミチョロとは全く関係ないけどバングラデシュのゆるキャラたちを紹介したい。

これ、リアルで目撃したわけではなくダッカのショッピングモールのポスターなんだけど、なかなかの破壊力なので、どうぞこの白い三連星から飛んでご覧くださいませ。☆☆☆

2018年5月25日(金)

三匹の子トラがついている。背後だけではなく前にもついている。やりすぎである。

大阪のオバちゃんに突然憑依されて時々この手の服を衝動買いする。しかし買ってはみたものの、日本ではちょっと着にくい。
そういう服は旅先で着る。バングラデシュ旅行のこの時には、他にもラメで目をキラキラさせた三匹の仔犬が、ロココ調のフレームに鎮座しているTシャツも持っていった。

だが、日本では引かれがちなおもしろウェアも、海外では「日本人観光客」に着られていることを通して存在感を空気化させ、人々に完全スルーされるのだった。


久しぶりに母の夢を見た。それもアルツハイマーを発症する前の、朗らかでよく笑う生き生きした母に会うのは10年、いや15年ぶりくらいになるだろうか。

道を歩いていると頭上から「ちさと!」と私を呼ぶ声がして、見上げたら知らないマンションのベランダに出した椅子、母が座って誰かに髪を編んでもらいながら、ニコニコ手を振っていた。

ああ懐かしい。愉快で優しくて明るい母。この世で一番大好きだった人。「わたしたち、仲良しだよねーっ!」と抱き合って笑い合った頃の楽しい記憶を胸にあふれさせながら、私も笑顔で手を振り返した。目覚めた時も楽しくて思わずクスクス一人笑いするような、とても幸せな夢だった。

……とほっこりすることを書いているが今、人生最悪の下痢に悩まされている。びろうな話だが水下痢だからものすごく困る。昨夜はベッドとトイレの往復でろくすっぽ眠れなかった。動くとそそうしそうでやばい、マジやばい。

原因は特定できていないがガンジス川の水は飲んでいないから、きっと昨日の朝の下剤のせいだろう。スルーラック・デトファイバー、あんた便秘から下痢に一足飛びってひどくない?

どうしよう……。人生で数えるほどしか経験したことのない下痢。海外で生野菜を食べても腹をくだしたこともないくらいの便秘症ゆえに、下痢への対処法が分からない。ただ分かるのは「このままでは成人女性としてまずい!」という一点のみ。

このまま17時まで耐えられるだろうか?ほんとうは会社を休むべきだろう。でも仕事を残してきたから休めない。いつも便秘ゆえ我が家には下剤はあれども下痢止めはない。この時間に開いている薬局もない。

50才も過ぎて「ウンコたれ」呼ばわりされるのは不名誉すぎる。こんな時でも出社しなくてはならない。私は今、トイレと往復しながらサラリーマンであることに猛烈に嫌気がさしている。

2018年5月22日(火)

ついにザッカーバーグに白旗をあげ、フェイスブック、はじめました。そいでもってすでに「友達申請」に引き気味だ。

フェイスブックをやっていない人もうわさに聞いたことくらいあるだろう。便利が2割、よけいなお世話が8割の「友達申請」機能については。
ラインにもツイッターにも似たような機能はあるとはいえ、フェイスブックにおけるこいつのプレッシャーと比べると、他SNSなんかはなくそほじくりながらスルーできるレベルである。
Yahoo知恵袋に台風後のワカメのように大量に打ち上げられる「フェイスブックで嫌いな人から友達申請が来たのですが!」「友達申請を無視されたのですがどうしてですか!」等々の質問を見れば、この機能がいかにユーザーを悩ませているかお分かりになろうというもの。

まあ私は卒業した学校も勤め先も登録していないから(恐ろしいことに、本来こういう情報を登録するものなんだぜ……。)顔すら覚えてない高校時代の同級生からリクエストが来ることはない。また、プロフィール写真が伍代夏子ってわけじゃないから、美女を選んで友達申請の絨毯爆撃を行う「おはようおじさん」のターゲットにされ、怒濤のように押し寄せるリクエストに発狂寸前になっているわけでもない。
それでもぜんぜん知らない人々が、それもパキスタンとかエジプトから10人20人とやってきて家のドアを叩いたら、引いてしまうのが当然というもの。

「友達の友達」からの申請なら分かる。しかしなぜ縁もゆかりもないエジプト人からリクエストが来るのだろう?その理由はすぐに判明した。

睡眠時間を削って真剣にフェイスブックの使用方法を読み込んだところ、単に自分が「世界中の誰とでも友達になりまっせ!カモンカモン!」という設定をしていたせいだった。ガンガンリクエストかけてくるハッサンさんとかシャーさんとかアブドゥルさんには何の落ち度もなかったのだ。

そこであわてて「友達の友達」までしかリクエストできないように設定変更してホッと一息……つく間もなく、友人から「突然浅黒い顔の人たちからどんどん友達申請が来るようになったんだけど、ひょっとしてミキさん経由?」とのメッセージを受け取って改めてあわてたりと(すまんN君)、ザッカーバーグに心を乱されまくり。んもうっ!マークったら罪作りな人ねえ(=´ω`=)。


そんなめんどくさいSNSのアカウントをなぜ作成したのか?、「実名登録に写真公開?ありえんwww」とスルーしていたフェイスブック、リア充実向けのツールとして忌み嫌っていたフェイスブックの利用をはじめた理由は、単純に「使わないと不便だから」。

学生時代の友人には生死すら知られたくないし知りたくもないし、同窓会なんてただの一度も行ったことねえよ!と学校生活を記憶から抹殺している私にとって、国内にいる限りザッカーバーグの軍門に下る必要はなかった。

しかしこれが海外となると話が違う。外国人ってなんであんなにフェイスブック好きなの?体感パーセンテージとして、PC&スマホ利用者の9割がフェイスブックユーザーって感じ。
「フェイスブックやってるなら友達になろーよ!あ、やってないの?残念だなぁ!え?メールアドレス?んーと、よく覚えてないけど確かこうだったかな……はいこれ!」と渡されたメアドに帰国後メールすると、"User unknown"でそのまま二度と連絡が取れなくなる、というパターンがけっこうあった。この人的損失は残念だ。

そして先日のパキスタン旅行では、60才以下のツアーメンバーのほぼ全てがフェイスブックのアカウントを持っており、名刺交換は言うまでもなく、メアドを尋ねるのはちょっと重たいという関係性においては、フェイスブックで友達になる方法が最良だったのだ。

だから作った。自国では頑なに拒否していたフェイスブックのアカウントを、Wi-Fiが繋がるフンザのホテルのロビーで夜中に一人、必死で作った。でもってツアーメンバーと名刺交換代わりのアカウント交換し合ってめでたしめでたし。
そして現地のガイドさん、ドライバーさんともアカウント交換した結果、帰国後に会ったこともないパキスタンの人々から「友達申請」を受け取ることになったのであった。

そうは言いつつも、フェイスブックにはとても感謝している。というのは、10年以上連絡が取れなかったエジプト人の友人を発見できたから。そう、エジプトに行く際には必ず随行してくれていた「銀座のママ並みに気の利くエジプト人Y氏」との交流を再開できたのは、フェイスブックのお陰である。

その結果、パキスタンに加えてエジプト人からの「友達申請」も押し寄せるようになったけれど、まあ我慢しよう……と思いつつ、プロフィール画像をスズメバチのアップにでも替えようかと思う今日このごろである。

2018年5月18日(金)

パキスタンに行く前、不安と孤独と焦燥感にじりじりとあぶられて生きているのが苦しくてたまらなかった。不安に押しつぶされて息が止まりそうだった。

妹も親友も父も母も前夫も私をおいて逝ってしまった。唯一心の支えにしているマヤの命もそう長くはない。自分はこれ以上の喪失に耐えることができるのだろうか?すっかり弱ってしまったこの心には、もう深い悲しみを乗り越える力は残っていない気がする。

独りぼっちになるのが怖い。病気になったらどうすればいいのか見当もつかない。最期は孤独死して腐臭で発見されるのかな。身体を壊したら人の手を借りればいい?でもそれにはお金がいる。果たして月10万円の年金でやっていけるのか?

年を取っても働き続けろ、自分の尻は自分でぬぐえとお国は言うけれど、30年以上働き続けてそろそろ疲れてきた。いったいいつまで働かなきゃならないのかな。ちょっと休みたい。家で草木をいじってぼんやりしていたい。でも休むことは仕事を失うこと。再就職の門戸は狭い。

好きで選んだシングル人生だけど、今になって痛感する。全てのリスクを自分一人で背負うことのしんどさを。「独りで老いる覚悟」はありあまるほどあったはずなのに、くじけそうだ。

歯がぼろぼろ欠けてゆく。近視と老眼が同時に進んで不便きわまりない。指に力がなくなってペットボトル、下手すると菓子の袋を開けるのにすら手こずる自分にびっくりする。やけどした時のような足の痛みは何をしたって治らないから、これが加齢なのだとあきらめた。

若い頃に見た50代の人々はまだ「おばさん」で、けして「おばあさん」ではなかった。でも、いざ50代になってみると話が違うと叫びたくなる。
こんな風になるのは70代80代だと思っていた。でも現実は遙かに厳しかった。まるで50年の使用期限を過ぎたみたいに身体がどんどんぼろになる。この調子ではさらに老いた時、どんな日常が待っているのだろう?怖い。不安でたまらない。

カナ、あかねさん、どうして死んでしまったの?あなたたちの不在が悲しくてたまらない。この不安と孤独感から逃れるすべは結婚しかないだろうか?少なくともパートナーと同居した方がいい。そうに決まっている。

だから婚活やパートナー探しに着手した。だが交流すればするほどふくらむ虚しさ。あたりさわりのない話をしながら泣きたくなった。自分、いったい何やってんだろ?

そんな精神状態のさなか、旅行会社から届いた「キャンセル出ました」の連絡。
キャンセルが出れば行けということだし、出なければ行くなということだと思っていたから、外務省の旅行延期勧告の出ている国を訪ねることに、もう迷いはなかった。ヒマラヤ・カラコルムの自然がデッドエンドに迷い込んだ私に転機を与えてくるかもしれない。


あれから3週間が過ぎた。心は別人のそれのように軽やかだ。
私たちの生まれるずっと前から死んだずっと先まで泰然とそこにある自然のただ中に身を置くことで、まるで「私」が上書きされたような新鮮な感覚を覚えている。出国前に私を押しつぶそうとしていた孤独や不安は、ポプラ並木の向こうに見える青い空に霧散した。

生まれて生きて死んでゆく、当たり前なことなのに見失っていた言語化しがたい感覚を取り戻したような気持ち。今ここで息をして、他の生物たちと共に生きていることへの喜びが腹の底から湧いてくる。

「やっと立ち直れたか?」と喜んではがっかりしたことを幾度も繰り返した6年間。今の感覚こそ真に何かを得たしるしだと思う。

私はようやく再起動された。これからは新しい自分を生きてゆける。心のどこかでヒマラヤの山々と繋がりながら。

2018年5月17日(木)

いっちょナンガパルパット、登っちゃう?と思うくらい精神的には元気です。でも肉体の方は旅の疲れがどっと出る時期みたいで夜の9時にもなると眠くて眠くてたまらない。
今月いっぱいは「なにもしなくて寝てればいいよ」月間にしようと思いますので、ここの更新もぼちぼちやります。

ホテルのテラスからの風景。ありえんやろ!(ボキャブラリー貧困)

フンザのシンボル、フンザピークとレディフインガー。右側には名峰ウルタルの二峰も。
レディフィンガーは左のとがった山。「淑女の指」の意味だと思っていたけど、実は「オクラ」の事らしい。たしかにな。

2018年5月11日(金)

無事に帰国しております。点数をつけるなら100点満点中95点の旅でした。(マイナス5点は帰りの新空港のゴタゴタのせい)

「はっきり見えることはまずない山だから、けっして期待しないでください」と現地ガイド氏から釘を刺されていた世界第8位の高峰・ナンガパルパットも美しい山頂を現してくれて奇跡のよう。また、他にも嬉しいことばかりだったおかげで帰国後もびっくりするくらい体調がよく、元気に仕事に戻っています。

そんなわけでひとまず帰国のご報告ま旅行中のおはなしはおいおい書かせてください。

ナンガパルパット西面

記念写真スポットは北面

2018年5月7日(月)

旅行中、ホテルに帰ってスマホをLINEにつないだら、ヘボピーからの写真で一気に日常に引き戻された。

お尻の毛のこの盛り上がった部分、ミキ家では「もんも」と名付けられ、
いつの間にかマヤそのものも「もんもちゃん」と呼ばれるようになった。

「もんも」は日に日に

ふくらんでおり、私は積極的に「もんもを育てる」ようになった。
わんわん美容室では「他は適当でいいんですけど、お尻の!この!→部分だけはふわあっと仕上げてください!」と注文するのだ。

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