2017年12月29日(金)

今年最後の整骨院の待合室、ラジオからビートルズメドレーが流れてきてあっ!と思った。そしてその後すぐにジョン・レノンの「ウーマン」。吉井君がジョンの命日になると、追悼のスペシャルイベントとしてステージで披露していた曲だ。

終わりを迎えつつある2017年にこれらの曲を連続して耳にすると、ちょっと生き急ぎすぎた彼に「お前は俺の分までそっちで楽しんでくれよ!」と言われているようで、うん、うん、わかったよと心の中で応答した。

色々あった2017年がそろそろ終わる。感慨深い。
おととしの暮れに連続して転倒し、足の怪我が治らないところへもってきて年明けにまたまた転倒。その上人生初の五十肩まで発症して肉体的に厳しいところへ、2月初頭の親友のがん告知。
彼女が6月に、大好きな叔父が8月に、そして9月には前述の吉井君まで急逝と、苦悩に足を取られながら走り回った一年。ほんとうに色々あった。辛く苦しい一年だった。

でもわたしはまだ生きている。それも安らかで比較的健康に。これを感謝せずにいられようか。

2018年にはいったい何がやってくるのだろう。別れもあるが出会いもああり、辛いことがあれば幸せなこともあるだろう。その全てを良い悪いで評価せず、ありのままに受け入れて安らかでありたいと願う年の瀬である。

さて、一年間こんな場末のサイトを訪問してくださった方々には改めて感謝を捧げます。ありがとうございました。皆様、どうぞよい年をお迎え下さい。

2017年12月24日(土)

チューリップといえばオランダを思い浮かべるが、実は16世紀にトルコからオランダに渡った花だそうで、
オランダもトルコも共に国花としてチューリップを採用している。

そのせいかトルコではチューリップ推しがものすごい。モスクの壁にはチューリップのタイル、土産物屋もチューリップ柄の小物だらけ。
そんなチューリップ愛のお国から、本日はトプカプ宮殿の花壇をご覧に入れよう。
☆☆☆

2017年12月23日(金)

父の夢を見た。私が出かけようとしていると、一緒に行くものと思った父がいそいそ準備を始めていた。
お父さん、私一人で行くんだよ。帰ったら玉子焼きを焼いてあげるから待っててねと言うと、「ほうか」と嬉しそうに笑った父。懐かしい笑顔。

大正生まれの家長としては、父はけっこう自分でも料理をする方だったと思う。母がアルツハイマーを患ったためせざるを得なかったのもあるが、台所に立つことが嫌いではなかったのだろう。

それでも凝ったものは作れなくて、帰宅して目にするのはいつも「ぐちゃぐちゃ煮物」。天ぷらや牡蠣フライ、ハンバーグといった手のかかるものを食べたがって、私に「ちょっと作ってくれや」と言うもので、ムカッとした私と「えーっ!そんな簡単に言わないでよ。けっこう手がかかるんだよ」「でもママはちょちょっと作っとったで」「お母さんは主婦だからできたんだよ。私にはそんな時間ないよ」などという会話を交わしたものだ。

「そんな時間ないよ」?──なんと冷たい娘だったのだろう。己の反応を思い出すたびに、心がガラスの破片でひっかかれて耳ざわりな音を立てる。ハンバーグをこねる時間なんて、作ろうと思えばいくらでも作れたのに。

父は独立自尊の人だったから、なんだって自分でやると思って私もヘボピーも父をほったらかしにしていた。今なら仕込みに半日かかるような料理だってなんだって作るのに、喜ばせてやりたい人はもういない。

しじみの味噌汁やぜんざいなんてごく簡単な料理でさえ、食べ終わると「ああ美味かった!ごちそうさま!」と大喜びするものだから、私も嬉しくなったのに。そんなに喜ぶならもっと料理してやろうと考えるのも一時のこと。自分の忙しさを隠れみのにして、妻が遠く離れた特養に入ってしまった87才の老人の気持ちをろくすっぽ鑑みようとはしなかった。私は父の孤独から目を逸らしていたのだ。


そういうわけで今日は気持ちが重苦しい。これから数日間は落ち込むモードかな、とぼんやり考えている。

父が他界して5年と4ヶ月。けっこうな時間が経ったものだが、離別の哀しみは時が癒すものではないと身をもって知った。それは別れの直後のように暴力的に私を戒めることはない代わりに、日々心の奥底に降り積もり、ぶあつい沈澱層を作りつつある。そのイメージは深海に降るマリンスノーのようだ。
自分にしか見えない微少なかけら。かつて生きていたものが静かに降り注ぐ。

それでも私はこのマリンスノーが嫌いではない。胸はしくしく痛んでたまらないし、「貴女は暗すぎる」と人から言われてひどく傷つきはするけれども、無理をして朗らかで前向きにあることは自分のやり方にはそぐわない。私は私の「暗い」生き方でいいと考えるようになった。

深海に降り積もるマリンスノーは、人生の一時期を共にした人々への愛情が変質した何かみたいだ。それは今日も音もなく降り積もり、私という人間の基礎の部分を強固にするものだと信じている。

2017年12月20日(水)

帰宅して、そこらにちょっと荷物を置いたらロックオンされた。

「ブハッ!ブハッ!」と鼻息荒く、洋服の山に夢中で穴を掘っている。ヤメテー!毛がつくからヤメテー!!

「じしんみず」は地震がおきた際、人間が家に戻れない時のために設置しているもの。
だのにマヤは自分の食器の水じゃなくて、「じしんみず」ばかり飲むから洗面器はすぐに空っぽ。緊急用の意味ねえ!

ギラッとしたまやちゃん。こわいっ!(笑)とばかり言ってはいられない。
先日、獣医の手によりこのギラつきに隠された深刻な原因が明かされたのだ。詳細は後日!

2017年12月19日(火)

ピシッとしたまやちゃん。これは1,2年前の写真だから、今はもうちょっと猫背になってるんだよ。

スマホの画面に「OK Google、イングリッシュコッカースパニエルってどんな犬?」と訊いてみたらこんな答えが返ってくる。
「とても穏やかで友好的な性格をしており、好奇心が旺盛です
「陽気で好奇心が強く、飼い主に従順で献身的に尽くす性格をしています。明るく、絶えず振られる尻尾が活発な性格をよく表しているのです」
「陽気で好奇心がとても強い犬種です。また猟犬の気質が残っているのでとてもタフな犬です。感受性がとても強く飼い主さん大好きな犬なので、いつも一緒にいることを好みます」

今でこそ落ち着いているものの我が家のマヤは「レイジシンドローム(激怒症候群)を抱えていた。スターウォーズ的に言えばイングリッシュコッカースパニエルのダークサイドに墜ちた犬ゆえ、「飼い主に従順」「穏やかで友好的」という冒頭のコメントについては「ウッソやぁ〜(笑)」って感想しか出てこない。
しかし「好奇心が強い」にはムチウチになりそうなくらいうなずいた。そうだ、「イングリッシュコッカースパニエルは好奇心がスーパーMAXとても強い犬種です」

マヤは家の中で何か目新しいものを目にするや、必死で走ってきてつぶさに検分せずにはいられない。それが布や箱や紙といった素材なら、とりあえず上に乗ったり中に入ってみる。人間が風呂から上がって匂いが変わると、クンクン嗅いで確かめる。ひどい時には風呂をのぞきに来る。

雷を怖がる犬は多いけれど、ある夜ものすごい雷雨に襲われたとき、マヤは大興奮で窓のそばに行き、抱っこしてもらって窓の外の「ピカッ!ガラガラ!ドーン!」を丸い目をして飽かずに見つめていた。

家に電気製品設置のおじさんや洗管のおにいさんが来ようものならそばにくっついて、まるで「お前、手順をよーく見とけよ!」と命令された新米みたいに作業の手元を一心不乱に見つめている。作業する人が愛犬家だと、ふさふさした茶色い生き物に熱い視線を注がれるのを愉快がって、可愛いですねえ!と大喜びだ。

道の向こうから見慣れない風体の人──袈裟を着たお坊さんやら白髪ロンゲのお爺さんやらが歩いてくるのを認めるともう大変!首をツルみたいに伸ばして凝視して、すれちがって遠くなってからもそわそわ振り返っては見つめている。

路上で女子中学生がキャッキャ笑いながら立ち話していたりすると、これまた立ち止まって視線のビームを浴びせるものだから、びっくりした中学生たちがおしゃべりを止めてしまったことも一度や二度ではない。

先日なんか工事現場の前で突然立ち止まり、リードを引っぱっても動かなくなった。どうやらユンボに興味をそそられたらしい。
ガバッと土砂をつかんで首をクルッと回し、カパッと開いてダンプに土砂を吐き出すユンボ。ガバッ、クルッ、カパッ!ガバッ、クルッ、カパッ! 一連の動作に好奇心わしずかみ!まるでヒーローショーに群がる子供みたいだ。ガバッ、クルッ、カパッ!のなにがそこまで面白いのやら……。

お次に興味を示したのはガスメーターの計測。担当者が火かき棒のようなもので地面に設けられたふたを引っかけて、地面だと思っていた部分がパカッと開いたのが意外だったようで、これまた立ち止まって穴があくほど凝視するものだから、ガス会社のおねえさんに苦笑されていた。

「イングリッシュコッカースパニエルは好奇心がとても強い犬種です」
でも、どこの家のインギーもここまで好奇心旺盛なのかな?いや、マヤは特別に野次馬な気がする。

人間でも趣味が多くて好奇心旺盛な人はボケにくいとよく言うが、犬にもあてはまるのだろうか。15才近い割にはマヤは若々しいのは野次馬のお陰かもしれない。これからもますます野次馬根性を発揮して、私たちに微笑みを浮かべさせて欲しいものだ。

すごく利口そうに見えるけど、その実体は単なる野次馬ならぬ野次犬だ。

2017年12月13日(水)

ブハラにあるナディール・ディヴァンベギ・メドレセは元神学校。
この前にある公園の木陰では人々が思い思いにくつろいでいる。

二羽のフェニックスの間の太陽に顔が描かれているのがお分かりだろうか。
偶像崇拝を禁じるイスラムの教えに添わないこの壁画は、イスラム建築にあってはわりと珍しいそうだ。

正式なデータをひもといたわけではないから本当の婚姻率はもう少し低いのかもしれないが、
ガイドさんいわく、ウズベキスタンでは99%の人が結婚するそうだ。
天気のいい休日のこの日も、記念写真の撮影に来たカップルを何組も見かけた。

お姫様みたい!新郎もなかなかカッコいい。

末永くお幸せに!!

異国に旅するたびに心の奥底にずっととどまる記憶が増えてくる。それらは壮麗な建築物のたたずまいでも、圧倒的な迫力をもって広がる大自然のパノラマでもなく、主に街ですれちがっただけの人たちとの邂逅のささやかな記憶。

バングラデシュで手を握り合った物乞いのおばさん、パキスタンで車に乗って去る私たちにいつまでも手を振っていた小さな女の子、インドで家に寄ってお茶でも飲んで行きなよと誘ってくれたお姉さん。もう二度と会うことのない人たちの身ぶりや表情は今なお鮮明な色を保ったまま心の書庫に保管されていて、ふと思いついては手に取る暖かな宝物だ。

ナディール・ディヴァンベギ・メドレセの向かいの公園で出会ったこの花嫁さんも、そんな記憶の中に住んでいる人のひとり。
数名のスタッフと記念写真を取りに来た彼女とすれ違う時、英語で「おめでとう!」と声をかけようかと思っていたら、ガイドさんが「○○と言ってくださいね」と教えてくれた。

ウズベク語でどう言うのだったかは忘れてしまったけれど、ガイドさんに教えられたままの言葉を花嫁さんにかけた時、大輪の花が咲いたような笑顔を浮かべた彼女は、右手を胸にあてこの上なく優雅に膝を折り、私に向かって一礼した。回りの空気までが香り立つような、おとぎ話のお姫様のような、それはそれは美しい姿だった。

あれから4ヶ月。彼女は楽しい新婚生活を送っているだろうか。遠くウズベキスタンで自分とは全く異なる人生を生きている人のことを、ふとした折りに考える。そして純白のドレスをまとった彼女の微笑みを思い出すたびに、あの日彼女と分かち合った幸福感を思い出し、なんだか泣きたいような気持ちになったりする。

2017年12月5日(火)

朝、布団の中でまどろんでいる時カナの夢を見た。「あーっ!しんどかったあ!」元気な声がするから玄関を見ると、カナが両手一杯の荷物を持って帰ってきた。なんでも関空からの空港バスが混雑していて大変だったらしい。
夢の中のカナはトルコ帰り。海外に行ったこともないのにいきなり独り参加なんて無理だよおと言うのを説き伏せて、10名程度のホームステイ型トルコツアーに放りこんだのだ。

出発前とは別人のようにスッキリ痩せて生気にあふれた妹に驚くと同時に、私の脳内にはトルコ人に混じって笑いながらピースサインをしている場面、ステイ先のアンネ(お母さん)に料理を教えてもらっている場面などを写した写真がスライドショーのように次々と浮かび上がる。

ああ、楽しかったんだな、行かせてよかったなあ。生き生きとしたカナを目にして深く安堵した。この子はこれからもっともっと良くなるだろうと確信を抱いて、全身が幸福感に包まれた。

現実世界のカナは一度も海外に行かずじまいだった。三人姉妹でどこかに行こうと取らせたパスポートは、まっさらのまま私の机の引き出しに入っている。
人の多いところに行くのは疲れるからと買い物に出かけることすら渋るような子が、パスポート取得費を上げるから取っておいでと言うと、すぐに薄給手続きに行っていたところを見ると、きっとどこかに行ってみたかったのだろう。それを思うと辛くてたまらない。

私がもっと早く旅行計画を立てて動いていれば、ちょっとした歯車のかみ合わせが変わり私とヘボピーとカナの三人は初めての海外旅行をわいわい楽しんで、その上カナもまだこの世に居て、夢で見たように生き生き暮らしているかもしれない……と自分の怠惰を責める。

この5年間で私は「諦める術」を会得した。終わってしまったことを振り返って悔やんでも仕方がないと以前に比べると人やモノに対する執着は減ったと思う。
それでも今朝のように「ひょとするとあり得たかもしれない世界」を垣間見た時には、夢見ている時の幸福感をうち消してしまうような起床後の喪失感が苦しくて、心の平安への道のりはまだまだ遠いことを知る。

2017年12月3日(日)

マルちゃんの新商品を食べてみた。餅は杵つき、だしはかつおと昆布の和風だし。「スープ」ではなく「すうぷ」な点に軽くイラッとくるけれど、冷えた身体をそっとハグしてくれるような優しいお味。

けっこう美味しかったな、まあ定価では買わないけど……(ローソンのポイント交換だと60円だったのだ)と思いながらカップに印刷された「調理方法」を見ると、ここでも優しさがあふれ出して水漏れしていた。
「もちの上から熱湯を内側の線まで注ぎフタをする。(お湯をかけた際にもちがお湯に完全に浸かりませんが2分程度で沈みますのでご安心ください。)」

「2分程度で沈みますのでご安心ください」!!

そんなん心配せんわ!と突っ込んではみたものの、この商品のメーカーは、「正麺」で袋麺ジャンルに一大ブームをまきおこし、「お菓子でいえばブルボン的存在」から一気にインスタントラーメン界における一流メーカーに変身した感のある東洋水産。お客様相談センターにあまた寄せられるクソクレーム、もといお客様の声を総合した結果、「この表示はやっとかなアカンっぽい」と判断したのだろう。

日本の消費者は世界一甘やかされているという。その甘やかしは「優しさ」というよりも「何かあってモメるのは嫌だから先手を打っておく」という企業の自己防衛ゆえにしろ、甘やかされた消費者はさらなる甘やかしを求め、クレームはさらに増大……と、なにやら負のスパイラルに陥っている感もなきにしもあらず。

まあそこらは置いといて、本格的に寒くなるこれからの季節、ほっこりあったかい「おもちすうぷ」、ぜひ一度ご賞味いただきたい。なお、お湯におモチが完全に浸からなくても不安を覚えないように!

2017年12月2日(土)

全身に力をこめて無我夢中でじゅうたんを掘るマネをしている。そんなに掘っても小判は出ませんよ!

2017年12月1日(金)

 この小鳥屋の小動物のかごには「カナリア 平均寿命7年」「ジャンガリアンハムスター 平均寿命2年」等と書き込まれた札がついている。平均寿命と生年月を付き合わせれば、ちゃんと飼えばあとどれだけ生きてくれるのか、おおよそのところが把握できるというわけ。

「誕生日プレゼントのハムスターが2年ぽっちで死んで、ショックを受けた子供のおねしょが止まらない」「鳥がそれほど長生きするとは知らずに買ったヨウムが主人より長生きして今年で60才!」
……といった目算違いを避けられる良心的システムだと思いつつも、「生きるものは必ず死ぬ」という現実を突きつけられるようで、店の前を通るたびにちょっぴりへこむ。

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