2017年11月30日(木)

公園で放しても若い頃のようには走り回らなくなったマヤちゃん。村長(むらおさ)みたいにどっしりしてる。

じゃぐちから じかのみする みずは さいこうですね!

洗濯物の山によじのぼってキリッとしないでいただきたい。

2017年11月30日(木)

また夜中に目が覚めた。動いてくれない頭を必死に回転させて考えたのは実家の冷蔵庫のこと。あの食材を使うのを忘れてた。お父さんに○○を作ってやらなきゃ、早く帰らなきゃと本気であせった。

あせりながらも思考が徐々に整理されてくるにつれて、認識は「母は他界したが父は存命中」と変化して、しばらくたってから「あっ!お父さんも死んだんだ」と思い出して、すぐまた眠りに落ちていった。
父が他界してから今日でちょうど5年と3ヶ月。けっこうな月日が経ったものだが、ここまでの認識の混乱は未だかつてなかったもので驚いている。

それでも朝になった今の気分はそう悪くはない。これまでのパターンだとうつモードに陥ると一ヶ月は懊悩したけれど、浮上までにかかる日時が徐々に短くなってきた。生命力に強度が加わったというか、ゴムが弾性を増して、長く引き延ばされても元に近い形に戻る力を得た感覚。ありがたいことだ。

寒い朝、ふわふわ暖かい毛布の肌触りを楽しんだあとは、ベランダに出て赤や黄色に色づいた山々を眺めながらひんやりとした空気を深く吸い込んだ。
この肌感覚、目に飛び込んでくる色彩、鼻をくすぐる匂いは肉体をもってして初めて得られることに気付く。

こんな時にはいつも思い出す。るしゃるさんの妹さんが話してくれたこと。癌が見つかる少し前、姉妹で「いつまで生きたい?」というような話になった時、るしゃるさんは「うーん、私はまだこの世の中で見たいものがあるから、もうちょっと生きるわ」と言っていた話。その後間もなく彼女はこの世を後にするのだが。

人は死ねば形が変化するだけでどこか別のところに行くという話、どんなに努力しても私は100%は信じられない。信じたくてたまらないけれどどうしても無理だから苦しんでいる。
それでも朝日を浴びながら冷たい風に吹かれる時、家族や友人が形を変えてそばにいる感覚を、ふと抱くことがある。
だから自分は感覚をとぎすまし、あともうしばらくはこの世界にある色々なものを感じたい。前とは同じ方法では風の冷たさ、山の匂い、毛布の暖かさを感じることができなくなった愛する者たちと、感覚器官を共有する気持ちで日々を生きている。

2017年11月28日(火)

夜中に目が覚めたまま眠れなくなった。何度も寝返りを打って眠りやすい姿勢を探す私の頭には、もうこの世にはいない人たちの姿が次々とよみがえり、未来に待ち受けているであろう特大の孤独に対する恐怖心が制御不能になる。

どうしてカナは死んでしまったのかなあ。お父さんにもっと美味しいものを食べさせてやりたかった。ジョンのステージをもう一度見たかった。るしゃるさんとおしゃべりしたいなあ。そんな思いが心の奥からあふれ出して喉が詰まる。

それでもやがて浅い眠りに落ちた時、父の夢を見た。薄い布団をかぶって寒い寒いと丸まっている父に、もう一枚布団をかけてやるのだ。「ああ、あったかいなあ」と喜ぶ顔を目にした時、硬直した筋肉が解きほぐされて幸福感があふれ出した。

そうその通り。私に必要なのは家族として一緒に暮らして世話を焼き、喜ぶ顔を見られる存在。分かっている。
今はマヤが幸せな最期を迎えられるようにありったけの愛情を注いではいるものの、言ってもマヤは犬。できることには限界がある。いくら楽しく生きさせたくても、自然あふれる土地に住んでいるわけではない私に与えられるものといえば、せいぜい「美味しいおやつ」と「長い散歩」くらい。

「家族を喜ばせたい」という気持ちを満たす一番手っ取り早い方法は結婚なのかな……と考えることもある。だが、この年になって知らない人と新たな関係を築き、新しい家族を作るだけの気力もない。

自分が糸が切れた凧になったようだ。毎日がふわふわとして足元がおぼつかない。今はかろうじて私を地上に引き戻そうとするマヤという重しがあるからいいが、マヤが去った後、風に乗ってまっしぐらにどこか遠くへ飛んでいってしまいそうだ。

地に足を付けてこの人生を生き抜こうと思う動機を見出すのが先か、風に乗って飛んでいくのが先か、岐路に立っている自分が見える。

2017年11月20日(月)

危なかった……。うっかり目覚まし時計止めとった……。夢の中でドラッグストアの店頭に並べられたユニコの柄のオムツをこっそり写そうとした私を見とがめて、「あっアナタ駄目ヨー!店のもの勝手に撮っちゃ駄目ヨー!」と叱った中国人スタッフがいてくれなければ、会社に遅刻していたにちがいない。ありがとう!どこかで会ったことあるかもしれない中国人!

さて、ここ一週間ほど気持ちが明るい。ダークな時とブライトな時の差が激しすぎて、私ほんとは躁鬱病じゃないのかな?なんて考え出すとまた落ち込むから、深く考えるのはよして週末は京都の爆音映画祭に行っていた。
お目当ては「セッション」と「ラ・ラ・ランド」。マッドマックスも観たかったけれど上映時間がこれだけは夜で、昼から夜まで京都で時間をつぶす体力はないから涙を呑んで二本に絞った。

「ラ・ラ・ランド」は目がくらむほど眩しいミュージカル部分と、人生のほろ苦い綾を描いたストーリーが大好きで、劇場で観るのはこの日で8回目。
一方、同じ監督作品の「セッション」はDVDでは何度も観たが、劇場では初鑑賞。ジャズに魅入られた二人の男の相克を描く、血と涙と罵声にまみれたテンションの高い映画で、もうどうしても劇場で観たかったから京都でやってくれると知った時にはヤッホー!って感じだった。

で、結果から言うと映画では予想通り「はるばる京都まで行ってよかった」という満足感を得られたものの、そこに至る道で一気に体調を崩してしまった。
……というのは初めての映画館への道をプリントアウトして行ったものが分かりにくかったものたから、じゃーん!秘密兵器があるから大丈夫!とばかりに取り出したスマホのグーグルマップでえらい目に遭ってさあ……。

スマホとグーグルマップさえあればパリの路地裏でもニューヨーク五番街でも難なく歩けると思いきや、たかが京都で迷うこと一時間。
おかしい。映画館までは徒歩8分のはずがグーグルマップの指示に従って歩けば歩くほど景色が怪しくなってくる。30分間歩き続けて、さすがにここには映画館はないやろ!と思うような鴨川のほとりに出たときに、ついに自力到達を諦めて道行く人に尋ねたところ、目的地とは反対方向に歩いていた。

それからというもの、雨の中を半泣きで走って上映時間の5分前に映画館に到着。びしゃびしゃに濡れた足元から冷気が上がってきて死にそうだったが、フレッチャー先生の罵声でなんとか気分を盛り上げたまま乗り切れた。

その日は帰りにもスマホグーグルに再トライしたものの、またしても混乱するだけだったもので、「お店の人に道を聞く」という原始的かつ確実な方法で駅までたどり着いた。もー、疲れすぎて京都を散策する気力もなかったわ……。

なぜ自分が鴨川のほとりに導かれたのか?鴨川で死んだ河原乞食の霊のせいではなくて、どうも南北を逆に見ていた、且つ自動車向けの道案内にセットされていたのではないかと思われる。スマホグーグルなんて使ったことなかったから、車と徒歩の案内を切り替えるなんて知らなかったんだよ。

この一件で私のスマホそしてグーグルマップへの不信感はいや増した。年寄りが電子機器を嫌うのはこういう気持ちなんだろうなあと思いつつ、今後はもっとしっかりした地図をプリントアウトして初めての場所に臨みたい。

2017年11月15日(水)

このごろ首が気持ち悪い。付け根に出ている丸い骨の上あたりに、赤ちゃんコウモリがギュッとしがみついているような違和感があって、気分がそわそわして落ち着かない。

そういえば心霊ワールド的にはこのあたりは「サイキックポイント」と呼ばれており、エネルギーが出たり入ったりすると聞いたことがある。そう言われてみれば、気分の落ち込みが激しい時には必ずここがイゾイゾする。
ヨガや整骨院に通い始めたきっかけも、このイゾイゾをどうにかしたかったからで、「首の付け根が気持ち悪いんです!」と訴えると、整体師さんもヨガの先生も「はあはあ、分かってますよ」って慣れた感じだったな。私にはエネルギーの出入りについてはよく分からないけど、何かあるといえばあるんだろうな、きっと。

この数日間は気分の落ち込みに連動したように、いつにも増してぞわぞわ感が激しい。赤ちゃんコウモリが兄弟を連れてきて、みんなそろって静かに私の首をしがんでいる……そんな感じだ。ああっ!もうイゾイゾ、ザワザワ気持ちが悪くて集中できない!

このままでは仕事に支障が出るのですがる思いでパソコンを立ち上げ、「首、もやもや、うつ病」で検索したところ、「首のつけ根を温めるとうつが改善するYO!」というありがたき情報がヒットした。で、そのアフィリエイトサイトでお勧めされていた秘密兵器がこれである。

定価はたしか1800円くらい。アマゾンでは1400円弱だったがアマゾンプライム会員ではないので送料を払いたくなくて、午前中に会社を抜けてディスカウント薬屋に走ったところ、1200円もしなかった。安っ!

中身は豆。あずき一択だ。あずきゆえに注意書きには「あずきを使用しているため、所定の時間を超えて加熱すると、あずきがこげて使えなくなることがある」とか「十分に湿気を吸収させないとあずきが以上に熱くなり、発火、火災などの思わぬ事故を招くおそれがある」とか、「あずきは水分を保持できなくなると、温まりにくくなったり、こげやすくなるおそれがある」……とあずきフル回転で、食材みたいな健康器具だ。

きわめつけは「本品は食べられない」との注意書き。まあそりゃそうだ。でも飢饉の時には食べられないこともなさそうな、そんなグッズを600Wのレンジで1分50秒(指定が細かい!)加熱して、ドキドキしながら肩に乗せたらうおっ?!豆くせぇ!!なんていうか、近所の和菓子屋の店頭に並んだ炊きたての赤飯の匂いしかしねえ……。

肝心の効果のほどはといえば、じわーっとしたあたたかさは25分も継続しなかったからパッケージに若干偽りありとはいえ、貴重な昼休みに25分間もあずきを肩に乗せているほどヒマでもないのでまあ良しとしよう。

で、肝心の対イゾイゾ、鬱々効果はといえば、はっきり言って「よくわからない」。でもまあ首は冷やすより温めた方がいいに決まってるから、あずきが焦げない程度に使い込んでみる。もしこの日記の雰囲気が明るくなったら、内2割くらいはあずきパワーのお陰とお考えください。

2017年11月13日(月)

人生最大級かもしれない精神的危機に直面している。
これまでに「もう駄目だ」と白旗を揚げて全てを放棄したくなるような危機は二度あった。最初は5年前、父が他界した夏。二度目は3年前、妹が他界した夏。
道を歩けば枝ぶりのいい木や飛び降りやすそうなビルを無意識に捜してしまい、「消えてしまいたい……」と悶える日々をなんとかかんとか乗り越えて、ここまで快復したらあと怖いのはマヤとの別れかな、でも死別に対する抵抗力は強化された感があるからきっと大丈夫だろ!と考えていたんだ。

しかし思わぬところに伏兵が潜んでいるなんて!疎遠だった前夫の急逝のダメージがこれほど大きいとは思ってもみなかった。今年に入って6月に親友、8月に叔父と立て続けに喪って気が弱っていたところへ9月の前夫がとどめの一発を食らわせてくれた。まったくもう……62才でおっ死ぬんじゃねーよ!

前夫とは年に一度顔を見るか見ないか程度の付き合いで、新しい家庭を築いた彼と積極的に交流を持とうという気持ちすらなかった。だからこのダメージの大きさは我ながら意外だ。

あれこれ思いめぐらしてみると彼は私にとって「同じ世界で相手が幸福に暮らしている」という確信が不思議な安心感を抱かせてくれると同時に、自分の足が地面にくっついていることを思い出させれくれる存在だった。
そして心の片隅には「いつの日かお互いが老人になり、笑って昔話をしている」姿が隠されていて、それは「未来に続く希望」を持ちにくい悲観的な私にとって、救いとまで言うとおおげさだが、何かほっとするようなイメージだったらしい。

でも彼はもういない。どこかにいるのかもしれないけれど、少なくとも私が暮らすこの次元からは去ってしまって、昔話をする夢はもう果たせない。親友のるしゃるさんの死と同じように、ジョンの死によってもまた、私が持っていた最後の切り札のような「未来への希望」をぶった切られた思いで一杯なのだ。

そういうわけで、ここまで愛する人々との別れをどうにかして飲み込んで「もう大丈夫」とほっとしていた私の気力はすっかり萎えてしまった。そう、まさに「とどめをさされた」という感じ。

これまでは向精神薬を摂取するのがもうどうしても嫌で神経内科は未経験だったけれど、いよいよ病院いくしかない……でも薬を身体に入れたくないから耐えよう……というのがまあ、現在の状況ですわ。

2017年11月7日(火)

震え上がるほど恐ろしい夢を見た。北朝鮮のミサイルが飛来する夢。トランプ大統領来日の影響まるわかりだ!

夢の中、私は実家の駐車場で頭上から響いてくる不穏な音を耳にした。見上げた夜空にはオレンジ色に燃える尾を引き、こちらに向かってまっしぐらに飛来するミサイル!
もう駄目だ、いよいよ終わりだ!と身体を凍り付かせたまま見つめたそれは頭上にゆるやかな放物線を描いて落ちてゆき、次の瞬間、道路を隔てた隣町が轟音と共にカッ!と明るくなった。

あっけに取られている私の目はその数十秒後、二発目、三発目を捉えた。計三発が立て続けに着弾したのは数百メートル先の住宅密集地、夜空はごうごうと燃え上がる炎で赤く照らされている。地獄の業火とはこういうものだろうか……と震えるような、世界のおわりのはじまりを予見させる炎。

ああ、ついにこの日がやってきた。でも絶望する前にまだやることがある。とにかく家に戻らねば。もつれる足でマンションの階段を駆け上がり、ドアを開けると部屋には当たり前のような自然さで父と母がいて、あわてて私を迎え入れてくれた。

怖いよ、怖いよお!どうなっちゃうんだろう。父母の顔を見た瞬間に緊張が解けてパニックを起こす私をなだめつつ、「この程度のことで怖がるなんてだらしないなあ」と言う父を母は「怖くて当たり前でしょ!あんたはいつもそういうことばっかり言う!」とたしなめた。ちょっとイヤミな父とひたすら優しい母。生前の二人そのものだ。
母は震える私をしっかりと抱きしめて、「それもそうやな。俺が悪かった」と反省した父も、一生懸命私を慰めてくれて、私は小さな子供のようにただ、本能のままに怖がっていられた。

やがて窓の外には救急車や消防車が次々と集まってきて、警察は道路のあちら側に誰も入れないようにバリケードを作っている。その音と光と張りつめたざわめきは、阪神大震災の時に目にした光景そのものだ。
テレビを付けると私たちの居住市には外出禁止令が発令されたことを知った。もう日本は元には戻れないんだな、昨日までの偽りの安定はとうとう終わってしまったんだな、という確信が身体の底からわきあがってきて、想像もつかない未来に震えた。

だがその一方で頭を占めていたのは外に出られない間マヤのトイレはどうしよう……ということと、「FX、再開してみようかな」というその二点であった……さすが阪神大震災で自分の家が潰れてるのをほったらかして、自転車と電車を乗り継ぎ姫路の証券会社まで株買いに行っただけあるわ。(=´ω`=)

目覚めた時には、誕生日の次の日にこんな悲惨な夢を見るなんて、この一年も思いやられるなあと呆然としながらも、父母に会えたからまっいっか!と気を取り直した。それに、このところ私はひどく落ち込んでいて(親友、叔父、元夫を立て続けに亡くしたダメージがじわじわきている)、こういう時だからこそお父さんとお母さんは出てきてくれたのかもしれない、と超ポジティブに考えてみたりもするのだ。

それに加えて気付いたのは、北朝鮮問題から受けている精神的ストレスの意外な大きさである。北朝鮮問題は危機的状況なのだとニュースでは聞きながらも、どこか人ごとのように思っていた。牽制するだけで本当にはミサイル打てないでしょだとか、ダラダラ揉めてるうちにいつか収束するでしょという甘い未来予想図。
それでもこの夢から目覚めた時、日本に住まう私たちの心には「漠然とした不安」が気付かぬうちに、深く静かに根を下ろしていることを痛感したのだった。

2017年11月2日(月)

これまでにマヤの写真を山ほど撮ってきた。あいつが家族になってからの14年3ヶ月間で何枚くらいになっただろう。ひと月に3,400枚撮ることもあれば、たった一枚の写真すら残っていない年(母の介護が一番大変だった頃だ)もあるからひと月200枚として、14をかけるとゆうに3万枚は撮っている。

テーブルの上の食べ物を盗もうとして立ち上がった「タチイヌ」に、丸々としたお尻を突きだして思いっきり伸びをする「ぐいーん」、唐突にテンションMAXで四つ足をばたつかせて転がり回る「ぐりんぐりん」。すべって転んで鼻を垂らして、おどけて寝ぼけてきゅるんとして、これまでにありとあらゆるマヤの姿をSDカードに収めてきた。

だが3万枚の中にただの一枚もないショットがある。それは「鼻にティッシュをくっつけたマヤ」である。
マヤがあさったゴミ箱の中に適当なサイズのティッシュの切れ端が入っていて、それがたまたま鼻水をたらしている鼻先にくっついて、その場にたまたま私が居合わせて、手の届く距離にキャップをはずしたカメラがある……という確率はかなり低い。そもそも私自身は「鼻にティッシュをくっつけたマヤ」なんて、ヘボピーのこの写真でしか見たことなかったんだから!

ヘボピーがスマホで撮影。ゴミ箱を漁っていた現場を押さえられて「ぼく、なんにもやってませんよ!」ととぼけている。
でもペタンと下げた耳を見れば、内心ドッキドキなのは丸分かりなんだぜ。


だが先日、ついに遭遇したのだ!ふと背後を振り返ると、そこにはものすごくナチュラルな感じで鼻からティッシュをぶら下げたマヤが立っていたのだ!

「おやつ、くれないかな」が頭の99%を占めているであろう期待に満ちた目の輝きといい、木彫りのヒグマのように四つ足をふんばったポーズといい、理想的なサイズにちぎれたティッシュのぶら下がりっぷりといい、これぞ正に私が求めていたショット!もんどりうってテーブルの上の一眼レフを手に取った。

だが次の瞬間、犬はぶるぶるっと身震いし、ひらひらと舞い落ちる白い紙。残ったものは「おやつ、くれないかな」という顔をした見慣れた姿のみ……。おおおお!千載一遇のチャンスを逃したこのガックリ感、お分かり頂けるだろうか?

あきらめ切れずに犬をなだめたりすかしたりして水で濡らしたティッシュをつけてみたものの、こういうショットは「たまたま」がミソである。「やらせ」では全くもってピンと来なかったので、「鼻にティッシュをくっつけたマヤ」は泣く泣くあきらめた。

「子供と動物は撮るのに難儀する」とはよく言うけれど、ガキんちょの方が言葉が通じるだけまだ楽だろう。「待ち」の一手の動物写真は実にむつかしいものだ。
まあダレきった飼い犬ですらこうなんだから、野生動物の貴重なショットを逃したナショナルジオグラフィックのフォトグラファーなんか、そのままアフリカの大地に還りたくなるほど凹むにちがいなかろうて。

マヤの残りの犬生の間に「鼻ティッシュ」をカメラにおさめる私の夢は叶うのだろうか。もうこうなったらゴミ箱に肉汁のついたティッシュを仕込んで「やらせ写真」で手を打ってもいいかもしれないな。

「撮影おことわり」な気分の時は、カメラを向けるとムッとした顔をするのだ。

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