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2017年9月30日

まやちゃん、元気かなあと思ってくださっている方もいらっしゃるかもしれないので、最新の写真を上げていきます。

私は7点セット4980円のお布団なのに、まやちゃんは一枚8千円もするリネンのベッドを二枚重ね。

さらっぴんのお布団(7点4980円)に寝かせるとさすがにちょっと遠慮してるみたい。

でもすぐにうとうとしはじめたよ。

ヘボピーねえちゃんに抱っこされてむーんとしてる。

2017年9月26日(火)

さっきトイレに入っていたら、唐突に閃輝暗点が出やがった……。 閃輝暗点とは目の前に輪切りにしたゴーヤ状のものが突然現れて、虹色にギラギラ輝きながらぐるぐる回る珍現象である。いや、とうとう狂ったわけではない。ネットで「閃輝暗点」と検索するとちゃんとヒットするぞ。

こいつの出現は今日で三度目。初回には「なにっ?なにこれっっっ!?目、見えなくなるの?!」とあわてふためいてすぐさま眼科に駆け込んだものだけど、原因は「ストレス」一択と知って安堵するやら、なんでもかんでもストレスで片づけられてもなあ……とムカッとするやら。

いずれにせよ三度目にもなると驚くこともなく、虹色のゴーヤが久々に見えたということは、自分、けっこうストレスたまってんのかなあ……と力なく思う程度である。まあ、こうしてキーボードを叩く手元でネオンのように輝くゴーヤにぐるぐるされるのは、決して心地良いことじゃないけどね。


さて、気を取り直して話題を変える。
この夏は桃をよく食べた。もともと桃は好きだけど、リンゴやオレンジに比べるとお高いことと当たりはずれが大きいせいで、滅多に買い物かごにいれない果物だった。それをどうして三日に一度のペースで食べるようになったのか。

その理由はためしてガッテンで更年期障害に効くと言っていたわけでも、日経ビジネスの健康コラムに中性脂肪を減少させるとあったわけでもない。なんとなく心が桃を食べたがってたんだ。(おっ?「心が叫びたがってるんだ」みたいな表現しちゃった(=´ω`=)

まあ強いて挙げるならば、近頃なんとなく回りでよからぬものがざわめいている感覚があったものだから、古事記のいにしえから「破邪の霊力を持つ果実」とされている桃の力を借りて、いっちょ防衛線を張っときますか!という気持ちが働いたこと。(※)
そして同い年の親友が他界したことで、「死」がぐぐっとこっちに寄ってきた実感が芽生えたために、高いといってもたかが数百円、もう小銭なんぞケチらず生きてる間に食べたいと思うものを食べよう!と考えるようになったせいだと思う。

※……イザナギは黄泉比良坂になっていた桃の実を三つ、黄泉の国から追ってきた軍隊にめがけて投げて退散させる。その功労を称えて桃は「これからも現世に住む人たちが苦しい目にあって思い煩っている時に助けてやりなさい」と「意富加牟豆美命」(おほかむづみのみこと)という名を頂いたのである……って、桃にまつわるエピソードは、この神話をモチーフにした山岸涼子のマンガで知ったんだけどね!


桃の選び方はむつかしい。お金さえ出せば「ハズレ」を引くリスクは減るけれど、いくらケチケチ生きるのはやめよう!と決意したとはいえ、一玉700円も800円も出すほどのお大尽でもない。
購入価格帯の一玉200円〜400円の桃は当たりはずれが大きくて、情けなくなるくらい甘くないこともあれば、会社のお中元で頂いた水蜜桃くらい甘かったり、と正にピーチルーレット。
また、甘さと同じくくらい大切なポイントは「皮のむきやすさ」。指先でつまんだ薄皮がピンク色のカーブに添ってすうっと一気にむけた時には、もうそれだけで半日はハッピーだ。

赤ちゃんのお尻みたいにきれいな桃も買うけれど、どこぞの風土病に冒されたおっさんの尻みたいな、しわしわで茶色く変色した一盛り百円の桃もよく使う。
病気の尻桃をどうするかというと、痛んでいないところを切って広口瓶にほおりこみ、そこへ白ワインをどばーっと注いでクローブとシナモンを投入。2,3日置けば自家製サングリアのできあがり。甘みが足りなければハチミツを加えると、美味しくてあっという間に飲んでしまう。
(これを冷蔵庫に入れておくと、なぜか少しづつ量が減るのが不思議である……ってなんのことはない、ヘボピーが私の目を盗んで こっそり飲んでるだけなんだけどね!(=´ω`=)

そんな百円盛りは果物屋さんが「捨てるくらいなら……」という気持ちで店頭に並べる商品だから、時には大部分が茶色く変色してサングリアには使えないこともある。そういう時には人がいないことを確認してから、窓から下の草地に向けて、ぽーんと桃を投げてやるのが秘かな楽しみである。(もちろん草地はマンション敷地内。窓の下は駐車場にするでもない、ほぼ誰も立ち入らないただの広い草地なのだ)

ぽーん、と投げるとひゅ──っと桃が風を切る音が聞こえてきて、その一瞬後に届く「べしゃっ」という音に続いて、「ギャー ギャー ギャー」と鳥が集まる声がする。

ぽーん ひゅ──っ べしゃっ ぎゃーぎゃー  ぽーん ひゅ──っ ぐしゃっ ぎゃーぎゃー
桃の風切り音なんて、そうそう聞くことはないだろうなあと思いながらぽんぽんと投げていると、黄泉比良坂のイザナギになったみたいな気分を味わえる。
破邪の果実は落下しながら回りの空気を浄化するようで何ともいえず気分がいい。そのうち鳥にやる痛んだ桃では飽きたらず、人間用の綺麗な桃まで投げたくなりそうなのが心配だけど。

2017年9月20日(水)

今まで生きてきた年月の中で、こんなに幸せでいいんだろうか?と、幸福であることそのものが心配の種になるくらい愛に溢れた時期が2度あった。

ひとつは15,6年前、サルーキ犬のイリが癌で逝き、その半年後に母がアルツハイマーを宣告されるまでの数年間。
休みになれば家族とイリを伴って山や川で自然の息吹に触れ、家に帰れば母と一緒に刺繍をしながら冗談を言い合って大笑い。みんな元気で朗らかで、不安なんかなにひとつなかったあの頃。

もうひとつは時をさらにさかのぼり、30年も前になるだろうか。傍らにはイリの代わりにサルーキのハルとキナがいる、ジョン──吉井さん。世間的には「パロッツのジョン・レノン役、チャッピー吉井」の方が通りがいいのだが、私は最後まで「ジョン」と呼んでいた──と共に暮らした満ち足りた日々。

母と祖母とジョンと私の四人で食事に行った時、祖母がしみじみこう言ったものだ。お前があんまり綺麗なもんでばあちゃんびっくりしたよ。幸福は人を美しくするものなんだねえと。普通、自分の孫に面と向かってこんなことは言わないだろうけれど、あの頃、それほどまでに私は幸福だったのだ。

ジョンとは「入籍」という形は取らなかったけれど(日本の結婚制度に反感を抱いている私が「男女別姓」にこだわったから。若かった自分の頑なさを恥じる反面、それが信念だったから仕方がないという気持ちもある)、神戸と博多で共に暮らした数年間は家でも職場でも一緒だったのもあって、密接な関係性を築いていた。
二人でビートルズのラジオ番組を持ち、ライブハウスのイベントの際にはオノ・ヨーコマニアだった私とヨーコの曲を演奏することもあった。そう、私たちはジョン・レノンとヨーコ・オノを気取っていたのだ。

それほどまでに親密だったというのに、彼が東京のライブハウスに引き抜かれた時に、私は運命のボタンを大きくかけちがえてしまった。直前まで一緒に行くことになっていたのに、土壇場でとんでもないことが起きて私はついて行かなかったのだ。(そこには「魔」としか思えない一人の男が絡んでくるのだが、思い出すだけで体調を崩すので今は触れないでおく)
その後ももつれた糸を解きほぐしてやり直すチャンスは何度かあったけれど、きっとそれが運命だったのだろう。別々の道を進んで30年近くが経った。

上京してからしばらくは様々なことがお世辞にも順調とは言えなかったようで、彼もけっこう苦労したようだ。でも、最後までホームにしていたライブハウス「アビーロード」に引き抜かれてからは徐々に運気が上昇し、やがでビートルズのトリビュートバンドとしては世界的に名を知られた、押しも押されぬ「日本のジョン・レノン」となっていた。

そんな華やかな世界に生きる人とは全く違う道を歩んでいた私が、新しい家族にも恵まれた彼と連絡を取ることは滅多にしなかったけれど、風の便りで活躍ぶりを聞く度に、彼の幸福を喜ぶと共に、あの時一緒に東京に行っていたら自分の人生はどう変わっただろう?と想像しては、胸がちくりと痛むこともあった。

そのジョンが9月12日、急逝した。急逝心筋梗塞、62才。
詳しい事情は知るよしもないけれど、昨年手術をしたらしいので、もともと具合はよくなかったのだろう。5日間のホリデーで地元に帰っていた際に体調を崩し、病院で問診票を記入している時に発作に襲われたそうだ。
それでもなお気力を振り絞ってカウンターに向かい、そこで倒れたと人づてに聞いた時、ああジョンらしい!と嘆息した。びっくりするほどガッツのある人だったから。


吉井君が急逝したよと昔の店のお客さんが教えてくれたお陰で、会社の昼休みに急遽大きな花かごを作ってもらい、自転車を飛ばして葬儀会場に届けることができた。その時には、ただ「彼の人生は満ち足りていた」という思いと大きな虚脱感に見舞われるばかりで、自分がどう感じればいいのかただ混乱するばかりだった。

あれから一週間。三連休は「ジョンはもうこの世にいないのだ」という思いに苦しみ悶えて、哀しみで死んでしまうのではないかと思ったものの、今の心は凪いでいる。なぜならどう考えたって彼の人生はとびきりハッピーだったから!

少年の頃からあこがれて、コピーバンドをするくらい好きだったビートルズの世界で第一人者となり、毎晩ライブハウスを満席にして、たくさんの友人やお客さんに愛されて、あまつさえポール・マッカートニーのプライベートパーティーに呼ばれてビートルズソングを披露し、その上ポール本人と同じマイクでデュエットしただなんて、幸福以外の何物でもないでしょう!


苦労もあったけれど、その苦労を人生のスパイスに変化せしめる錬金術を知っていたジョン──チャッピー吉井──吉井守くん。山あり谷ありの人生。
ジョンの一生はあらゆることにチャレンジしつつ、神さまに愛され満ち足りた素晴らしいものだった。点数を付けるなら100点満点。(でも62才で死ぬのは早すぎたから花丸はやれないかな)きっと本人も「ああ!面白かった!」と笑っていることだろう。

朗らかでユーモアにあふれてこの上なく繊細で優しい人。彼との思い出を詰めた箱は大きすぎて、開くと中身がこぼれ出して収集がつかなくなるから今は開けるのをよしておこう。

途中から別々の人生を歩んだけれど、東京の空の下で歌っているジョンの姿を想像すると不思議な安心を覚えたものだ。現役を退いた頃にはもう一度会って、お互い年を取ったよなあ!と笑い合う会う日を楽しみにしていたというのに……。未来のために取っておいた楽しみを失って、私はずいぶん寂しくなる。

それでも共に進んで別れた道は、いつかまたどこかでひとつになると信じているから、もう心は安らかだ。
たくさんの幸福をありがとう。しばらくの間お別れだけれど、きっとまた会おうね。その日を楽しみにしてるよ、ジョン!

2017年9月8日(金)

奥歯が崖崩れになった影響で、おとといまでは会社に行くだけの気力しかなくて(会社に行けるだけまだ余裕あるとも言えるけどな!)もう生きるのやだ……このサイトも閉めてしまおう……と思っていたが、今日は人間もMacもわりかし元気。

人間が元気な理由は「湿度が低い」ことに尽きるけれど、Macがサクサク動くのはどうしたことか。いつもなら3分おきにフリーズ→再起動を繰り返し、たった数十行のテキストを書くだけで出勤前の貴重な時間を鈍牛のごとく食らい尽くすパソコンが、今日は30分もフリーズしていない。

もうこいつはダメだ、中古屋に売り飛ばしてウィンドウズ機に買い替えよう……と本気で考えた心の内が伝わったのか、それともMac工房のシャチョーが私のことを案ずるあまり幽霊となって、夜中に修理してくれたのだろうか……。
とにかくもうしばらくはこのレトロなG4マシンをだましだまし使いつつ、ウィンドウズ機への移行を検討するつもりである……ってやっぱ替えるんかい!

背中に「ペットパラダイス」とアップリケされている。
父はこの服を「みっともない」と言ってえらく嫌っていた。まあ確かに……。

そこはかとなくみじめ、みじめ。

この服を着せられた時には人間に小馬鹿にされているのが分かるらしく、マヤもあんまし好きじゃないみたい。
着せたら突然荒れはじめた。

嬉しい笑顔ではない、捨てばちの笑顔である。バットマンの悪役・ジョーカーのニヤニヤ笑いを思い出した。

2017年9月6日(水)

誰もいない夜明けのイチャン・カラはまるで映画のセットみたいだ。

人間もパソコンも調子が悪い。Mac工房の「シャチョー」に10年もの間メンテを続けてもらっていたMacは、シャチョーの逝去と共にどんどんトラブルが増えるばかりで、私の方はといえば残り少ない奥歯の一本が歯磨き中にぽろっと折れたり、キャンピングベッドが倒れて腰を強打したりで全身もーガタガタ。仕事から帰るとしんどくて起きていられず、ほぼ一日中寝ているくらいガタガタなのだ。

で、パソコンを買い換えてここもしばらくお休みするかもしれません。その際には多分ツイッターの方で生存確認だけはできると思いますのでよろしくお願いいたします。(頭を使う気力もないことが分かる文章ですみません)

2017年9月1日(金)

ウズベキスタンではこういうパンが主食として供されるが、地域によって厚さが違う。
タシケントではこんなにぶ厚いが、西の方に行くとピザ台くらい薄かったりする。

で、ヘボピーがタシケントから持ち帰り、ハムでもはさんで食べようと楽しみにしていたこのパンを置いて目を離したすきに、
テーブルから引きずりおろして全部食べちゃった悪い犬。
直径20センチはある、大人の人間でも一度には食べきれないしっかり重みのあるパンを完食なんてどんな胃袋だよ……。

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