2017年8月31日(木)

3,4年前のフォルダを整理していたら、特養にいる母を引き取って自宅介護することを決めた頃の写真とメールが出てきた。リースの介護用ベッドを設置してもらった時のマヤちゃんだ。

ヘボピーからベッドが設置された直後の写真が送られてきた。

「マヤがすでに得々としてお母さんベッドに横たわってる……。
もう完全に自分のハウスと思ってる。私がベッドに向かうと凄い勢いで走ってきて、私より先にベッドに飛び乗って鼻息荒く得々としてる」

設置の間はずっと工事のおじさんにくっついて、設置の進捗を見守っていたらしい。

これはもう完全に「ぼくのだから勝手にさわるの禁止!」と言ってるな。

自宅に連れて帰る日の朝に母は他界し、ベッドは間もなくリース業者に引き取られた。たった数日間のパラダイスであった。

2017年8月28日(月)

今日は末妹カナの誕生日。生きていれば48才。48といえば押しも押されぬ「おばさん」だけれど、3年前、ひとつ年を取る日のちょっと前に熱中症で死んでしまったカナは、今もこれから先も「おばさん」と呼ぶには若干躊躇する44才のままなんだ。

3年前の8月のはじめ、28日になったらカナを誘って映画でも観て美味しいものを食べて……いやその前にお盆休みがある。TSUTAYAでマンガを沢山借りてきて、三人姉妹そろってダラダラ過ごすんだ……なんてうんと楽しい計画を立てていたことが嘘みたい。そう考えていた自分は本当に今の自分なんだろうか?といぶかしく思うくらい嘘みたいだ。

あの日、カナの部屋に一歩足を踏み入れた瞬間を境に、私の人生はがらりと変わった。それら変化の中にはポジティブに考えるならば「人間的成長の糧」となったと言えるものもいくつかあって、しばしばヘボピーと「カナは死んで私たちにいろんなことを教えてくれたねえ」と言い合ったりする。

けれどもこの三年を総括して振り返りプラスマイナスで考えると、カナの死はやっぱりマイナスでしかない。どんなに楽しいことをしていても、どんなに美しいものを見ても、心の奥にある池の底に静かに沈んだままの哀しみの固まりが動くことはない。

この固まりは外部の力ではどうすることもできなくて、自力で引き上げるしかないのだろう。そして「その時」は私自身の死の瞬間まで訪れないのかもしれない。
それでも最期の時には深い深い池にもぐり、きらきらした光を放つ石を抱いて上へ上へと昇ってゆく己の姿を思い描くことはささやかな心の慰めなのだけれど。


うだるような暑さが少し和らいで涼しい風が吹いたとき、夕暮れ時の空がびっくりするほど鮮やかなピンク色の雲で覆われていた時、大好きな映画を観て涙を流すとき、ここにカナがいればなあ!と思わない日はない。
先日も近所の映画館で再上映にかかっていた「ラ・ラ・ランド」を繰り返し観に行ったのだが、カナは絶対気に入っただろうな、一緒に見たかったなあ!と想像して胸がうずいた。


他界する一年前くらいからすでに、カナの気力もお金も尽きていたから、独りで映画を見に行くなんてこともあるはずがなく、いつも私が誘って映画館に行って、帰りにご飯を食べるのがお決まりのコースだった。

最後にカナと観た映画はなんだっただろう?「イルージョニスト」「バトルシップ」「バーレスク」のいずれかなのだが、どれも2012年前半の公開だからどれが最後だったかはっきりしない。
ただ、バトルシップを観た時には、遅れた私がチキンブリトーのあたりで座席で行くと、先に着いたカナはちーんと座っていて、「バーレスク」では映画のあとに焼き肉屋のもくもくした煙の中で「ダンサー、きれいやったねえ!」とうっとり話したことは懐かしい記憶だ。

そして「イルージョニスト」。いろんな映画を一緒に観たけれど、カナといえば一番にこのアニメーションのことを思い出すのはなぜだろう。マジック用のウサギを伴い街から街へと旅をする年老いたマジシャンが主人公のお話は、wiki を引用させて頂くとこんな感じだ。

1950年代のヨーロッパ。旅から旅の生活をしながら各地の劇場等で興行する時代遅れの奇術師、タチシェフは、あるときスコットランドの離島にある小さな村の酒場で興行を行う。
電気さえほとんど通らない田舎町であったため、時代遅れのタチシェフの手品でも村人からは歓迎される。酒場で働いていた少女、アリスはタチシェフのことを本物の魔法使いだと信じ、島を離れるタチシェフの後をこっそり追い、エディンバラまでついていく。

タチシェフは思わぬ押し掛け家出人の存在に驚きながらも、アリスを追い払わず、エディンバラの安宿に当面の居を定めて同居生活を始める。故郷に残してきた娘の面影をアリスに重ねるタチシェフは、アリスに求められるまま衣服や靴を買い与え、その費用を稼ぐため、劇場での興行の傍ら慣れないアルバイトにも精を出す。

やがて、田舎娘だったアリスがレディに成長していく一方、安宿の仲間だった腹話術師や軽業師は徐々に去っていき、タチシェフもまた、姿を消すべきときが来たことを知るのだった。


まるで昨日観たばかりのように蘇る。マジシャンを辞めることを決意した主人公が、「帽子のトリック」で長年相棒として連れ立ってきたウサギを小高い丘の上で放してやるシーンが。
小さなカゴから突然草の上に放れたれて、戸惑ったように鼻をひくつかせるウサギをとらえたカメラはぐんぐん上空に引いてゆき、ウサギもマジシャンもどんどんちっぽけになって、やがて灌木の間で遊んでいる野生のウサギたちの姿も捉えた視線はさらに天高く舞い上がる。なんという爽快感!そして一抹の寂しさ。

「イルージョニスト」を観たあと、カナと何を話しただろう。二人とも何となく口数が少なかったことだけは覚えている。私は鳥の目線で見た「地上のあらゆる生」に対して思いをいたしていたけれど、カナは一体何を思い、誰に感情移入していたのだろうか?

こんな話すら彼岸に渡ってしまったカナともうできない。それがとてつもなく残念なのだ。
誕生日に悲しくなられてはカナは不本意だろうが、これから先、人間が味わいうる最上級の幸福を保証されるよりも、たった一日だけでいいからカナと再び過ごしたいと祈る自分がいる。

2017年8月25日(金)

ちかごろセルフお灸に凝っている。きっかけは足のしびれをどうにかしたくて、はるばる訪ねた三重の片田舎にある鍼灸院、そこで手渡された数シートのお灸。

「しびれの一番の原因は、どうも右半身のゆるみらしいから、左半身のこことこことこの部分におうちでこれをして下さい」と先生に言われた時にはそんなん、自分でできるんだろうか……とブルーになったけど、今じゃ旅先にまでお灸を持っていくはまりよう。

もちろんウズベキスタンにも持って行った。花火やクラッカーやマッチは手回り品は無論、スーツケースにも入れられない、となるとお灸はどうなの?と事前に調べたところ、別に問題ないみたい。ただ海外の税関で「これはなんじゃ?」と問いただされるケースはあるから、医療用品であることを示す外箱とかも持っていった方がいいとのことだった。

関空ータシケント間の国際線ではスーツケースには入れてもよかったライターは、ウズベキスタンの国内線では没収されたから、ヒヴァの出店でおそろしく火のつきにくいマッチを購入。ロシア風のキラキラホテルの一室を東洋のミステリアスな香りで充満させてきた。

今では三重の先生に指示された三カ所だけではなく、「ここが何となくもやもやする」と自分で分かるポイントにもガンガンお灸をすえている。鍼灸師の友人の「ツボを外しても効かないだけで害はないよ」とお墨付きをもらったおかげで、いちいちツボの位置をチェックすることもなく、心のおもむくままのフリーなお灸は心地よい。

腰痛に悩むヘボピーにまですえてやるようになったせいで、ミキ家のお灸消費量はうなぎ昇り。とうとう1000個入りのやつを買ってしまった。千回もするんか?とちょっと悩んだけれど、一回に2,30個使うことを考えると、ま、いけるだろ!と購入に踏み切った次第である。(写真が1シート、こういうのが千個)

やわら灸、せんねん灸、長生灸……と市販のお灸にもいろいろあるが、私は最初に鍼灸院でもらった長生灸が安くて香りも気に入っている。「部屋の匂いが年寄りくさくなる」のがネックだったから、屋外でするべくベランダに置くキャンピングベッドまで注文して、より良いお灸ライフへの準備は万端。

自分の身体は自分が一番良く知っている。あなたも今日からセルフお灸、はじめませんか(笑)

2017年8月24日(木)

2年ちょっと前のまやちゃん。12才と5ヶ月は犬としては立派なおじいちゃんだけど、今よりやっぱり若いなあ。

現在午前8時、天気は快晴。ウズベキスタンがどれだけ暑いか計ってみよう!と購入した温度計によれば、室内の気温31℃、湿度70%、これではいつまでたっても疲れが取れないはずだわ……。

国内では何をやっても改善しない足のしびれは、海外に行っている間はほとんど出ることはない。これは非日常的空間で神経が他のことに持って行かれているせいもあるだろうけれど、一番は「空気の乾燥」のお陰ではないかと整骨院の先生に言われていた。だからミキさんの足は北海道に移住すれば治ると思うよと。
その指摘はこの度のウズベキスタン旅行で裏打ちされたようだ。気温は38℃あっても湿度20%の国では、足の太さが日本にいる時の三分の一くらいになってたんだから!

だがすでにふくらはぎの太さは日本ヴァージョンに戻り、むくみでのせい神経が圧迫されるせいで朝っぱらからジンジン痛む。日本生まれの日本育ちなのに、どうしてこんなことになってしまうんだろう?とねっとりまとわりつく空気を恨んでしまう。

ああカラッカラに乾いた砂漠が慕わしい!温水プールにつかっているような湿気をかき分けて歩きながら、思い出すのはどこまでも広がるキジルクム砂漠の美しさ。年を取ってからの移住はキツいと聞くけれど、身体のためにもっと乾燥した土地に移住することを夢見たりする。

2017年8月22日(火)

ブハラのマヤちゃん……って紙やないか──!!

行く先々でマヤちゃんポップと一緒に写真を撮っては"She's travelling with her dog!!(=´ω`=)"なんて笑われてきた。

背景は「青の都」サマルカンド随一の観光地であるレギスタン広場。音楽フェスの準備で柵だらけ、ちょっっと残念なことになっていた。

帰国後一週間が経過したけれど、年を取ると疲れが時間差で出てくるもの。目覚ましが鳴っても身体が動き出さなくて、遅刻ギリギリで出社する毎日である。

「ものすごく暑い」と事前に聞いていたお陰で旅行前から体調管理には異常なまでに気を遣い、ユンケルの最高級品「ユンケルスター」(定価4千円)とお灸を抱えて旅に臨んだお陰で、幸いなことに旅行中は元気で過ごせた。(一方哀れなヘボピーさんは、アルコール度数が10.5%もあることを知らず、夕食に2本目のビールを飲んだがために、3日間腹痛で苦しむ羽目に……。)

けれど帰国日の最後に食べた「プロフ」が胃にダイレクトアタックしたことに加えて、帰りのタシケント空港で飛行機のチェックインや税関申告や荷物チェックがあまりにも混んでて要領が悪かったせいで、一気に体調の急降下。乗り換えのインチョン空港四時間待ちのあたりでは、このままソウルの土になるのではと思うくらいしんどかったよ……。

……という感じで、今も身体は20キロの甲冑を着せられたように重いけど、8月中はもう休めない。がんばって会社、行ってきます。

私の胃を完膚無きまでに叩きのめしたウズベキスタン料理「プロフ」(ピラフ)。右側に見える平たいものは馬肉のソーセージだ。

大量の油でいためた米に羊肉を入れて炊きあげた、中年女性の肉体には厳しい料理である。ううっ……写真見るだけでまた具合悪くなってきた……。

2017年8月18日(金)

ヘボピーとウズベキスタンに行っていた。いや、当初はザナバザルが作ったターリー菩薩像を見にモンゴルに行くつもりだったのが、盆休みのモンゴルは観光のベストシーズンなことに加えて海外旅行先としては比較的近くて安いせいか、5月時点で飛行機はすでに満席。キャンセル待ちを入れても全くもって無駄ですよとモンゴル専門旅行社に冷たくあしらわれた。

だから草原で満点の星空を見上げることは諦めて、いつもの旅行会社にどこか行けそうなところはないか尋ねたところ、担当Wさんはこちらがものを言う前から「イスラム圏がいいんですよね」と意向を汲み上げて、すぐさまオファーされたのがウズベキスタンというわけだ。

ウズベキスタンは昨年タジキスタンに行ったついでにちょこっと寄ったけれど、観光の目玉であるサマルカンドにもブハラも未体験。現存するイスラム建築の中では10指に入る美しい建築が目白押しとあって、その場で「ではすぐに飛行機を押さえてください」と即答した。

「ただ……。暑いですよ」と言ってから一瞬口を閉ざしたWさん、思い直したように爽やかに言い放った。「気温40度は超えますが、乾燥していて日陰はそうでもないので、まあ、いけるでしょう!」

そんなわけで総重量20キロの内、5キロをひえピタと経口補水液と急速冷却剤(パンチしたら凍るやつ)が占めるスーツケースを引いて訪れた国については、もう少し落ち着いてから書かせて頂きたい。

なお、旅行中ぱんだどうぶつびょういんに預けられたマヤちゃんは、わんわんドッグで検査の結果、「ぱんださんにかかっている老犬の中で一番元気」という先生のお墨付きと、10万円近い請求書と共に無事帰宅。辛い病院生活を過ごしたせいか、今のところはとてもいい子にしていますよ(=´ω`=)

前月の日記はこちらから