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ハパックス・レゴメノン 2007年2月1日(木) 2月1日(木) 「いや、○○が○○でなぁ、からくりがおかしなっとったから修理に出しとったんや」。 街で携帯を耳にあてた作業着姿のおっちゃんが話していた。……か、からくりー!?その道のヒトたちの間では、今でもメカは「からくり」と呼ばれてるんか?と妙に新鮮味を感じたひととき。 そういえば私がまだドッグワールドに在籍していた頃に、ショーの審査員の講習会で、トリマーやプロハンドラーの人たちが「こんな暑い日には犬が痛むなぁ」と言ってたのにも、へーっ、プロはそう言うのか。まぁ確かにナマモノだけどなぁ……とちょっと驚いたのを思い出したよ。 話変わるが、最近私にはいつも頭の隅でいじくりまわしているお気に入りの言葉がある。 ハパックス・レゴメノンとは、日本語に訳すと「孤語」。古代エジプト語など、現在では使用されていない死語の中でも、現存するテキストに出現するのがただ一カ所、ただ一度きりの単語を指すとのことである。 通常は略して「ハパックス」と呼ぶそうだが、私はいつもフルで思い出してしている。だって「レゴメノン」も付けた方が、「ペンタゴン」とか「アガメムノン」みたく、ごつごつと仰々しい語感が、ローマの甲冑を付けた戦士みたいで好感を持てるでしょ?(笑) 言語研究が専門でもない私が、一体どこでこんな言葉を仕入れてきたかというと、そう、今なおしつこく通ってるヒエログリフ教室である。 話を戻す。初めてハパックス・レゴメノンと出会ったのは、古代エジプトで書記志望の少年たちが「いい生活したけりゃ今がんばって勉強しとけ!」と教師に背中を棒でぶたれながら、必死で覚えたテキスト「プタハホテプの箴言」。 その中に「汝、子供である娘と臥所を共にするなかれ」(※)というフレーズがあるのだが、ヒエログリフの先生(フランスの元修道院の学校でエジプト語やコプト語を学んだという、素敵なジェントルマン。あと一押しで無と化しそうなはかない毛髪もカッチョいいっ!)の、「この語はハパックス・レゴメノンですから、正確には翻訳のしようがありません」という言葉を耳にした瞬間、私の心に何かがビビビときたのだ。 歴史の教科書に載っていたシャンポリオンど根性話でご存じの方も多いと思うが、死語の解読とは、色々なテキストや親戚的存在の他言語(古代エジプト語ならばコプト語やギリシア語など)と比較して、ある文字の指し示すところを探り、ついには全体の意味を推し量るという、表遊戯並みのねちこさ……いや根気を要する千年パズルのようなものである。 だから、現在発見されている大量のテキストにおいても、たった一度しか出現しないハパックス・レゴメノンは、他テキストに同じ単語がどういう形で使用されているかな、と比較検討する対象を欠くために、正確な意味を知ることが出来ない。 もちろん、今日はハパックス・レゴメノンであっても、ある日その語を含むたった一枚のパピルスが発見されることによって、解読されるケースも今後あるだろう。だが、その時までは現代人には知ることのできない言葉である。 数千年前には、若年の髪房を下げた書記学校のはなたれ坊主でも知っている単語だったかもしれないのに、現在ではただの文字の固まりと化して、黄色く変色したパピルスの中でじっとしているハパックスに触れると、なんだか白昼のオフィス街の植え込みの隅っこに、ぼんやり立ちすくんでる幽霊を見てしまったような、なんとなく気味の悪いような、でもほのかに懐かしいような不思議な感覚を覚えてしまう。 ※・・・「汝、子供である娘と臥所を共にするなかれ」。 だがその後屋形先生は、この箇所を「あれは『娘』ではなく『少年』と解釈した方が妥当だろう」と書かれていたのでミキびっくり。えーっ!それはタイヘンだ!!(すんません、どの文献だったか忘れました。あとから調べて書き加えます) この「娘?それとも少年?」という箇所がハパックス・レゴメノンらしい。 ちなみに、この語についてヒエログリフの先生は、屋形先生とはまた一寸違った解釈をしておられそうだが、ネタがネタだけに、そして質問する相手が相手だけに(笑)、さしもの私も「恥」という一文字を思い出し、現時点ではねちこい質問は避けている。 |
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ミイラと古代エジプト展 神戸市立博物館 2007年3月21日(水) 神戸で開催中の「ミイラと古代エジプト展」についてひとことだけ……
あのポスター、向かって右に今回の目玉であるネスペルエンネブウのカルトゥーシュ棺が、左手にはCTスキャンで立体映像化された彼のミイラの写真があるのだが、このミイラの頭にメンタイコみたいなものが乗っかっていることに気が付かれた方は、慧眼の持ち主である。 ←こういう程度の引用でも写真は使えないのでめんどくさい、けど仕方ない。 実はこれはメンタイコではなく、形状的には丸くひらたくて、むしろフリスビー。その正体はといえば、つくりの粗い素焼きの皿だそうなのだ。 なんでミイラが頭に皿のっけてるのか? ミイラ作成の際、松ヤニを入れていた皿を、古代エジプトのうっかり八兵衛が死者の頭部の下に置いたまま放置。 2800年間隠し通されていたミスが、21世紀のハイテクによって衆目の面前に晒し出されるだなんて…… ……てなわけで、今回の展覧会で私の心に一番残ったのは、やはりこのうっかりエピソードだった。 皆さんも今後もし「ミイラと古代エジプト展」のポスターをどこかで目にされることがあれば、頭に皿を乗せたネスペルエンネブウさんに注目&合掌して頂きたい。 |
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ミイラと古代エジプト展 神戸市立博物館 2007年3月17日(土) 「ミイラと古代エジプト展」の公開初日のイベントとして、早稲田のエジプト学者、みんな大好き近藤二郎先生の講演会があったので行って来たよ。 実はこの日、京都ではオリエント協会と同志社大学共催の講演会が予定されており、吹田浩先生が「古代エジプトの神々」について講演をされるというので、どちらに行くべきか前夜、眠れないほど迷っていたのだが…… 今回はこれは皆さんに知らせなきゃ!という愉快なネタは見あたらなかったのだが(常に「ネタ」という視点で動いて申し訳ない。当サイトは学術サイトじゃないのでお許しを)、どなたかの役に立つかも知れないので、私がふーんと思ってメモしたことを羅列しておきたい。 ☆近藤先生といえばスヌーピーヘア!という印象が強かったのだが、ここ数年、短めにカットするというスタイルを定着させておられるようだ。 ☆ホルエムヘブを最後のファラオとする18王朝に続く時代は、通称「ラムセス朝」と呼ばれていたが、近年、Post
New Kindgomと呼ぶ研究者も増えているとのこと。 ☆グーグル・アースについては皆さんご存じだろうが、昨年秋以降、エジプト、特にルクソール周辺の解像度が飛躍的にアップ、カルナック神殿もメディネト・ハブも上空からバッチリ見られるようになったらしいので、ウィンXP以降をお持ちの方は見てみてください。いや、うちはMacOS9.2だから逆立ちしても無理なんだよね…… ☆普通古代エジプトでは、「王の治世○○年」という表現で年度を表す。だが、ラムセス11世は反対勢力のボス・大神官ヘリホルによって、その治世19年目から勝手に「ウヘム・メスウト
Whem meswt(「再び生きる」という意味)」の1年、2年……という数えられ方をされ、治世年自体無視されちゃったという気の毒さ。 ☆展覧会企画者の一人、大英博物館古代エジプト・スーダン部副部長である、ジョン・テイラー氏(49才)の短い講演もあったのだが、テイラー氏はクマ好きの方にはたまらないジェントルなベアーパパタイプでした(笑) |
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意外にイケメン?! 2006年7月4日(火) 以前、早稲田の調査隊がエジプト・ダハシュールで発掘した彩色木棺の写真が、考古学ニュースとしては珍しく新聞の一面をカラーで飾っていたのを覚えておられるだろうか。 あれから半年。先日棺の中身のミイラ復顔図が公開されていたがご覧になった方も多いと思う。 市場でスパイス売ってるアンちゃんが、ダチと遊びに来たカイロ動物園で撮った写真と見まごうようなツタンカーメン復顔図には軽い失望を味わったものだが、セヌウの復顔図にはモリモリ期待が盛り上がっていた。ましてや軍人さんだったと聞いて、妄想もビッグバンの勢いで広がった。 で、最初のニュース配信から数時間後に発表されたのがこの写真。 こりゃライターがフライング(=復顔図を見ない内に記事書いた)したなぁ?と思っていたら、その後「意外にイケメン?!」の文字は綺麗さっぱり消え去っており、ヤフーニュースのどこを捜しても見つからなかった。 いざ写真を見たライターさん、「こりゃアカンわ」とばかりに消去したのだろうと想像して、現代の「イケメン」の定義にしばし思いを馳せる21世紀少年であった。 |
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仮面の下はイケメン←5月17日付け朝日新聞の見出し 6月10日(金) 埃及系に書くべきネタはそれなりにあるんだが、なかなかこちらまで手が回らない・・・とか言ってるうちに手のひらからサラサラと砂がこぼれ落ちるように、記憶もどんどん消え失せてしまうのだ。 皆様も目にされたこととは思うが、下のエジプト日記?から今日までのわずか、この二ヶ月弱にも新聞やネットの普通のニュースでエジプト関連の情報はたくさん流れていた。 ・・・などなど。他にもいくつか目にした記憶があるのだが、最も大きく取りあげられたのはなんといっても「ツタンカーメンのミイラから生前の顔を復元!」のニュースであろう。NHKの7時のニュースでもほぼトップで取りあげられていたのにはびっくり。きっと他に大事件がない日だったからなんだろうが・・・ 復元されたツタンカーメンの顔については、なぁミキさんどう思うよ?とヲタ友からもたくさんメール来ていたが、私の第一印象はミイラ写真を見て想像していたよりずっとマシだな!というもの。 「ツタンカーメンの黄金のマスクは生前の顔に似せて作っている」とは良く耳にしていたものの、常日頃より「イケメンは浜の真砂に混じったダイヤみたいなもんだ」とぼやいているイケメン懐疑主義者の私は、ツタンカーメンについてもぶっちゃけかなりハイレベルなブサイク系の顔をイメージしていた。だからフランスチームの作製したCG復元図は思ったより50倍ほどマシだったのだよ。 いやマシというよりむしろあの復元図は「美形」の範疇に入るからこそ、ああやってニュースでも大々的に取りあげることができたんだろう。 ただ、新聞を読んで気になっていたのが、CTスキャンによって得られた情報を元に王の顔を復元したのはフランスだけではなく、アメリカとエジプトチームもやっていたという点。 で、さっきネットで検索かけると米と埃の復元図もあっさり出てきたよ。 まぁこの文中でザヒ・ハワス博士曰く「顔や頭骨の形はツタンカーメンの幼い頃を表現した有名な彫像に驚くほど似ています。それは王が夜明けにハスの花から出てくる太陽神として描かれているものです」とあって、その像(左図)は品格溢れる美少年なので、夭折した「世界一有名なファラオ」の姿は、実際にはこちらに近かったと夢を持った方が楽しいかもしれないな。 なお、エジプト考古学最高会議は今後もファラオはじめとするミイラの顔貌を復元していくそうであるが、私思うに、ミイラになってもそんじょそこらの生身のイケメンが太刀打ちできないほど美しいセティ一世。彼のミイラがどう復元されるか今から楽しみでたまらない。 |
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アケトアトン(エル・アマルナ)追加 4月25日(月)
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4月24日放映・世界ふしぎ発見 2005年4月25日(月) 副題は「ザ・ミステリアス・クィーン ベルリンの至宝が解く消されたエジプト史」。 多くのエジプトファンの例にもれず、私もこのあたりの愉快な役者が揃った華やかな時代が大好き。 ガンホー株超絶暴騰以降、昨今の株式市場では「萌え銘柄」がちょっとしたブームらしく、日経の株式面ですら「萌え」という文字を目にするのだが、古代エジプトもまた、萌え観点からしてもとても楽しい文明だ。 さて、前置きがダラダラと長くなったが「18王朝末期萌え」という観点から、昨夜のふしぎ発見はかなり前から楽しみにしていた。なぜならば、このたびのテーマである王妃ネフェルティティ周辺には、アクエンアテン(※)やホルエムヘブやアイやマヤやティイといった熱い男たちがひしめきあっているからである。あ、ティイは男じゃなく「女傑」か。 ※アクナートン、アクテンアテン、イクナートン・・・改名後のアメンホテップ四世の名前にはいろんな読み方があるが、最近の資料では「アクエンアテン」と表示されていることが多いようなので、当家でもとりあえず「アクエンアテン」に統一することにした。 土曜はエジプト講演を聞くために名古屋へ行っていたもんだから、ビデオ録画は在宅の末の妹に優しく頼んでおいた。なぜならば私はビデオ留守録が江戸時代の人間並みに苦手で、さぁ留守録したエジプト番組を見よう!とワクワクしながらビデオを巻き戻すと、そこではパパイヤ鈴木が踊ってたりすることが多々あるからである。 その上、週末からの旅行でも向かうエル・アマルナ(ネフェルティティが夫と移り住んだ街)の、なにかヲタ的に美味しいネタが放映されてたかもしれない・・・!と急に尻に火がついた私は、もう日曜の8時過ぎだというのに隣の市に住む妹を呼びだしてしまった。わざわざ電車でビデオ一本の運び屋させるなんて酷い姉!・・・でも焼肉おごったからチャラってことにしてほしい。 さて、焼肉代一万円超えを投じて入手した貴重な「世界ふしぎ発見」。先ほどワクワクしながら再生したのだが・・・はっきり言って期待はずれ。 まずは再現フィルムが短すぎる!あの短さじゃツッコミようがねぇよ! 舞台はみんな大好き「カイロ・ファラオ村」で、バックのハリボテぶりは相変わらずユーモアたっぷりだったものの、アクエンアテンの俳優はもちろん、取り巻きにも個性がなくてあんまし楽しめなかったな。 そもそも「再現フィルムが短い」と言う以前に、クイズ番組とはいえクイズの問答に時間をかけすぎだと思う。 また、舞台がアクエンアテン治世下の時代だもんで、ミステリーハンターは当然エル・アマルナ現地に飛ぶものだと信じていたのだが、こちらも期待はずれ。 (※)太陽にジリジリ背中を焼かれながらも、萌えを求めて砂漠を延々と歩きわざわざ見に行ったよ。王妃を愛した芸術家の愛の跡地を・・・(笑)それに当家の捏造小説では、シャダ子の額に魔法の紋々入れる役回りのジジィだしね、ププッ・・・ 同行してくれた警備のおじさん(おじいさん?)、行きはウヒャウヒャ笑いながら弾の入ってないピストルを握らせてくれたりしてやたらとハッスルしてたのに、私があんまし長いこと職人村跡をウロウロするし、そこまでの道のりはけっこうあるもんだから、帰路は疲れはてて死にかけ人形のように無口になっていた。すまんなオヤジ。 アマルナの遺跡は観光客が少ないもんだから、かの有名な「アテン賛歌」の掘られたアイの墓ですら電気が来てなくて奥は真っ暗。いわんや職人村の跡地なんて・・・保存にお金かけられないから、ボルヒャルトが発掘したトトメスの工房跡もほとんど砂に埋もれてただの泥レンガの山と化していた。でもそれがまた無常観に溢れててグッときた私は砂フェチの女。瓦礫をビデオに撮りまくった。 ただ昨夜の「ふしぎ発見」では、ネフェルティティの出自について先日のテレ東の「5人の女王」のように断定的ではなくて、「ティイもネフェルタリもミタンニ出身だという説もあります」という表現がされていたのはよかったな。 あ、先日私は「ネフェルティティはアイの娘説が現在では最も有力じゃないの?」と書いたのだが、先生に質問したところ「アイの娘説」もあくまで諸説の一つにすぎないそうである。ただ、現在は「ネフェルティティはエジプト人である可能性が高い」という説が有力であって、ネフェルティティ=ミタンニ人という説はあんましメジャーじゃないらしい。 「期待はずれだった」とブーたれてる割には「5人の女王ミステリー」と同じくけっこう楽しませてもらったよ。ただ、期待の再現フィルムについては、テレ東に大きく水をあけられてたなぁ。 また、ベルリンの博物館には行ったこと無いが、やたらといいものばっか持ってるんだなぁ! これはやっぱりネフェルティティに会いに一度現地に行かなきゃならない気がしてきた。彫刻家が製作の参考にしたというデスマスクもじっくり見たい。でも大英博物館の「壁画最高のイケメン(ミキ的観点による)ネブアメンの墓壁画の牛追い青年」も見たいし、ルーブル最高の美女「カロママ立像」と知性的イケメン「ルーブルの書記」も見たいんだよなぁ。 しかし山積みになったデスクの書類は、私に有給を取ることを許してくれはしないのである。 |
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それはいったいなんだろう 2005年4月20日(水) エジプト好きの人はそれぞれの心の中には、何をおいてもこれだけは落とせない「好き番付」みたいなものがあるんじゃなかろうか。 対象は葬祭用コーンだったりベス像だったりファラオのパンツだったり・・・と人によってさまざまだろう。 もし今から○○年遡って、私がエジプト学を学ぶピッチピチの大学生ならば、迷うことなく研究テーマはテケヌウに決めるだろう。そういえば、以前発行したシャダ・アンソロジーの題名も「テケヌウの橇」にしたんだっけ・・・そのくらいなぜか私はテケヌウに心惹かれるのだ。 皆様は「テケヌウ」という言葉を耳にされたことはおありだろうか?エジプト書籍やテレビなどに名前が出ることはあまりないもので、普通はほとんど知られていない言葉だと思う。 かくいう私も、シャダ萌えしてかなり日数が経ったある日、平凡社の「エラノス叢書3−人間のイメージ」に収められてたエーリク・ホルヌングの「魚と鳥」を読むまでは、現地の壁画を前にしてもその存在にはてんで気付かず、完璧にスルーしていた。
(左)ルクソール西岸・ラモーゼの墓に描かれたテケヌウの橇。後ろのキラキラまばゆいゴージャス厨子と比較すると、その地味さが際立つ。 「テケヌウ」は、葬祭に際してミイラの収められた棺の入った大きな厨子を乗せた第一の橇、4個のカノポス壺を収めたやや小さめの厨子を乗せた第二の橇、そしてそれらのあとに続いて、牛にしずしずと引かれてゆく「第三の橇」に乗せられた黒い袋状、時にはうずくまったダルマさんのような人の形で表される物体。 だがそれが何であるのか、葬祭においてどういう役割を果たしたのかについては、カエル頭の出産の女神ヘケトの持つ「たらい」(洗面器)に似ていることから復活再生に関連があるものだとか、獣皮に包まれた屈葬という古い埋葬の名残りだとか、葬儀に際し人身供養を行った古い慣習が象徴として残ったものだとか・・・諸説あるもののはっきりしたことは何も分かっていないそうである。 オックスフォードエジプト事典を繰ると、「中王国時代から葬列に描かれるようになったものだが、葬儀に際しての役割は分かっていない」とあり、ホルヌングの「魚と鳥」では「(ミイラとカノポス壺を乗せた橇のあとから)謎に満ちたテケヌウの橇がくる」と書かれ、大英博物館エジプト百科事典では「王族以外の人々の葬儀で、何らかの役割を果たした不可解な像」とある・・・ どっちを向いても「分からない」「不可解」「謎」と書かれると無性に怖い・・・「呪術レンガ」(マジックブリック)や「レスのヒエログリフの模型」も怖いが、私にとってはテケヌウの方がはるかにミステリアス。ピラミッドや死者の書に比べて、テケヌウは研究する人もあんましいないようなマイナー物件だからなおさらだ。 (右)上の写真の拡大図。「塩ぬきされたバーバパパ」 ただ、ホルヌングは「魚と鳥」のなかで、テケヌウとは、心臓のようにミイラに残されず、肝臓、肺、腸、胃(時に脾臓)のようにカノポス壺にも収められな ついでながら「魚と鳥」には、テケヌウは死者が彼岸で完璧に甦るのに必要とされる肉体の一部分を成しており、「太陽神連祷」において、冥界における太陽神の顕現の姿である「完全な肉体を具えた者」の頭部が、かすかにテケヌウを思わせる無定型の黒い袋であることは注目に値する・・・とある。 「頭部が黒い袋の人」の絵なんて見たことなかった私は、この一節を読んだ時には視覚的イメージがいまひとつ掴めなかった。だが、王家の谷のセトナクトとタウセルトの王墓でそれらしきヒトを発見!(写真左)最初に行った時にはホルヌングの本を読んでなかったので、この絵を見ても「衣装はやたらと丁寧に書き込んであるのに、頭がベタ一色ってなんじゃこりゃ?職人の手抜き?」なんて失礼なこと思っていたが、その半年後に見た時には、これがそれなんじゃないか?と気付いて、テケヌウ愛好会として感動の嵐にうち震えたものだ。 エジプト美術は、描かれているものの意味が分かって見るとさらに楽しいもの。隅っこに目を凝らしてそこに意外なものを発見するとなおさらである。 なお、ホルヌングの「魚と鳥」が収められた「エラノス叢書」はすでに入手不可能だが、大きな図書館には収蔵されていると思うので、退屈そうにしている司書さんに聞いてみよう。エジプト好きには超おススメです。 |