2015年12月30日(水)

今日は大掃除して家中ピカピカにしてから実家に戻る予定だったのに、ふるさと納税のお礼の品をどれにするか迷いまくったせいで(結局クエ&牛肉に落ち着いた)、トイレ掃除だけした時点で時間切れだ!
ピシッとしようとしてできなかった私はこれからダッシュで家を出なきゃならないので、せめてピシッとした魚類の写真を貼っていきます。

ピシッと並んだモンゴイカ。「もんごいか」って語感、なんか可愛いよね!

ピシッと並んだカワハギとやや列を乱したガシラ。やったねママ!今夜のおかずはカワハギの煮付けだ!

ピシッとしたうるめイワシ。浜は祭りのようだけど 海のなかでは何萬の 鰮のとむらい するだろう by 金子 みすず。

ぜんぜんピシッとしてない求人広告。「すごい!仕事選びたい放題やん!」なんて思ってはならない。なぜなら求められているのは熟練工だけなのだから……。

そういえばおとといテレビ買ってん。長らく「黒い部分が真っ赤」な状態だった我が家のテレビ、先日ついにお亡くなりになってな……。電源を入れても声はすれども姿は見えずの「テレビラジオ」状態に。
でも、私もヘボピーもテレビ番組はまず見ることがない。だから節約のため、当分はテレビラジオで音だけ聞ければいーやと思っていたのだが。

聞くところによれば、今年の紅白はトリを聖子とマッチがつとめるそうですな。で、私はべつに紅白を見たいわけでもないのだが、マッチの大ファンだったカナが生きてれば喜んだやろなあとヘボピーと話しているうちに、ひょっとすると霊魂になったカナを楽しませることができるかもしれないと思い始めたわけだ。

そう思うや否や「すぐやる課」課長の私は家電量販店に駆け込み年内配達が可能かどうか尋ねたところ、どーぞどーぞのバリバリ可能。そのままウォータースライダーに乗せられたごときスムーズさで購入に至った次第である。

そういうわけで今、実家ではヘボピーがテレビ設置に立ち会っている頃だろう。
去年の年末〜正月はカナがもうこの世にいないことがあまりに辛すぎて、ロープをたずさえ枝ぶりのいい木を求めて六甲山に入る寸前だったけど、今年は去年よりはマシな精神状態で年越しできるだろうか?
いや、紅白大トリのマッチを目にするとカナの不在があぶりだされて、結果的に時分を追い込む羽目になりかねんな……という心配はないでもないのだが。

まあ多分大丈夫でしょう。それではぼちぼちマヤハウス(実家)に帰ります。正月の間はここはいじらない予定ですから、しばらくのさよならです。みなさま、どうぞよいお年をお迎え下さい。

新年、ばんざーい!ばんざーい!ばんざーい!(フライング)

2015年12月28日(火)

2年ほど前からしびれだした右足、あらゆる診療科を回っても「原因不明」で致し方なくて、静脈瘤の手術をしたら少しはマシになるのかなあと思いながらも、身体にメスを入れることが全身のバランスにどう影響を及ぼすのが予測できないのが怖くて、だましだまし生活するままに月日が過ぎていった。

検査では何も出てこないために「心因性のしびれである可能性が高い」と言われたもので(医者って原因が分からないとなんでも「心因性」とか「ストレス」で片づけるよね!)、カナの死から日にちが経てばそのうち良くなるだろうと辛抱していたのだけど……。

このところ、足から腰にまで広がったしびれに加えて、ズキズキ痛む間隔がどんどん短くなってきて、朝起きて痛みがないとそれだけで「今日はラッキー!」ってほっとするくらい、わずらわされていた。

年齢を重ねると共に肉体はおんぼろになってくるもので、老いつつある自分は不都合を受け入れるしかない、と達観モードに入ろうとしてもみたけれど、何をやっていても常に意識の何割かを「痛み」に持って行かれる日常はやっぱりうっとうしい。

そんな中、不思議な感覚を味わった。
仕事を終えて電車を降りて、実家に向かって歩いている時のこと。いつもの通勤道にある公園の横を通ったとき、それまでひどくズキズキしていた足の痛みが、濡れた皮膚についた砂粒が乾いてさらさらと落ちるようにすーっと消えていって、最後の砂の一粒が落ちた時、まったく痛くなくなったのだ。

すぐそばにお地蔵さんやら神社があったなら、神さまのお陰?なんて感謝するかもしれないけれど、なんの変哲もない住宅街。いずれにせよ一体何が起きたのか分からないまま軽快な足どりで家に帰り、その後数日間は痛みとは無縁の生活を送った。

とはいっても今はまたすこし痛みだしているから奇跡でもなんでもないんだけど、あの、「身体についた細かい粒がさらさらと落ちて風に乗って消えていく」感覚は初めて味わうなんとも言いしれず奇妙な感覚だった。

それと同時に、どんなに努力しても思い出せなかった、三年前にパキスタンで出会ったある人の言葉がまったく唐突によみがえったり、「愛とは何ぞや?」という問いに対して、暫定的ながら自分なりの答を見出したりと、精神的な解放を感じた不思議な夜だったな。

2015年12月26日(土)

こんにちは。便座に座る時にはすぅーっと深呼吸してから腰を下ろさないと、ハートアタックに見舞われそうな急激な冷え込みですね。つい先日までバンビが飛び跳ねてそうな小春日和が続いていたところへ、寒冷前線のどえらいフェイント、老体がついてきません。

とはいってもまだまだお若い(私よりは)皆さまのこと、こどもは風の子でがんばっておられるでしょうが、若いからといって油断は禁物。世代に関係なく心臓発作や脳梗塞が多発する昨今、風呂に入る際には前もってお湯で顔を温めておくと、血管がぷっつんするリスクが軽減されるそうですからお試あれ。

なお、我が家のトイレにはぬくぬくモードは付いています。節電のために電源を入れてないだけです。きっと1月になっても2月になってもこのままでしょう。たしか去年もそうだったし。

今は背中に貼った「14時間持続!」の使い捨てカイロで暖を取っています。カイロは14時間を経過しても体温でぬくもってなんとなくあったかい感じがするから、24時間くらい貼りっぱなしにするのがマイポリシー。はがした時にはひえひえのカチカチで身体に悪そうです。

ポリシーといえば先日、スーパーに夕ご飯を買いに行った際、280円ののり弁と380円のチキンカツが同時に2割引になっていたのですが、15分くらい迷った末に、美味への欲望よりも節約精神を優先してのり弁を選びました。280円の2割引、それでも十分に美味しく頂けました。デフレ万歳。I LOVE DEFURE (ローマ字…)インフレ大王の手先・日銀は潰れちまえ(無理)

……とか忙しすぎて混乱気味に書いてるうちに実家に帰る時間が迫って参りました。朝8時に起きてずっと用事してたのに、MAJIDE ZEN ZEN JIKAN GA NAI !!!!!

さすが師走、師でもないタダリーマンの私でさえ走っても走っても追っつかない。しかしもう家を出ないとバスの昼間券(4時までに降車完了)が使えなくなるので、トップのサンタマヤちゃんだけ田舎の道路写真に差し替えてもう行きます。

もうすでに仕事がお休みの人は楽しんで!そうでない人はもうしばらく苦しんで!(私もだよ)

マヤサンタさんの写真、トップから下げてゴミ箱に入れるのがしのびないから貼っときます。

2015年12月23日(水)

クリスマスといえばレッド&グリーン。グリーンの背景を求めてわざわざ公園に連れてこられたおじいちゃんワンちゃん。バカみたいな帽子までかぶらされて目がうつろ。

レンズのこちら側ではおねえちゃんが「マヤっ!ジャーキー!ジャーキーだよおっ!」と乾燥した肉きれをふり回して叫んでいます。
ジャーキーが欲しい一念でポーズするマヤちゃん、はなみずがたれて哀れな感じ。

あのコマーシャルは一体いつから流れているのだろう。竹内まりやが♪クリスマスが今年もやってくる 悲しかった出来事を 消し去るように♪と歌うコマーシャルは。

私は幼いころから「楽しさ」よりも「哀しみ」に敏感で、常に世界に対する漠然とした哀しみを心に抱えているという、若きウェルテルが悩みをこじらせたまま中年になったような性格のせいで、この曲を耳にするといつも「悲しかったできごと」ばかりがクローズアップされて走馬灯のように脳内を巡り、激しく心を揺さぶられる。

「悲しかった出来事を 消し去るように」というフレーズの、人生はあっという間に過ぎてゆくものだけど、存在の哀しみの中にもクリスマスみたいに一瞬とはいえ楽しいこともたくさん散りばめられてるんだよ、だからそれほど悪いもんじゃないよと歌ってる感じに、ついつい涙腺がゆるんでしまうのだ。多感な少女かよまったく……。

で、ケンタッキーフライドチキンのあのコマーシャル。私が10代の頃から流れていた気がして、それも昔はKFCではなくパンメーカーのCMだったような記憶があったから「すてきなホリディ コマーシャル」でウィキってみたところ、あっさり疑問氷解。
なんと、竹内まりやがKFCのために書き下ろした楽曲で、放送は2000年からだそうだ。なーにが「中学生の頃から流れてたパンメーカーのCM」だよ。記憶のねつ造はなはだしいわ。

ま、そんなこんなで悲しかったできごとを数え上げるときりがないので、クリスマスにはヘボピー&マヤと手巻き寿司でもして、悲しかったできごとを消し去ってもらおうと思う。
「ベイブ」のDVDも借りてこようかな。流すのはもちろんクリスマスのシーンで決まり。
あれ、自分がローストポークになる側になるとも知らず、クリスマスが楽しみでしかたがない子豚のベイブがはしゃいで「らんらんらーん らんらんらーん」とクリスマスソングをハミングする場面がなんともいえず哀れでねえ……。あ、また悲しかったできごとが生き返りそうなので、今日はとっととチキンを買って実家に戻りますわー。

そいじゃハッピークリスマス!みなさんも明日はちんまいケーキでも買って、悲しかったできごとを消し去ってね!

みんながよい子にしていたから、マヤちゃんのおしりキャラバンが慰問に来てくれました〜!パチパチパチ〜☆

♪らんらんらーん らんらんらーん らんらんらーららーん♪
(こう書きながら5○才の発言じゃねえなと思ってます)

2015年12月23日(水)

今日は天皇陛下の誕生日。思想的に右か左か二つに分けるなんてバカみたいなんだけど、あえて言うなら私は左寄りで、この傾向は妹が経済的・精神的困窮の中で死んでからこちら、我が国が抱える社会問題に真剣に目を向けるようになって日を追って強くなってきた。

だからといって天皇家の存在は否定しないし、思想的な問題はひとまずわきに置いといて、今上天皇のことは「天皇」ではなくやっぱり「天皇陛下」と敬称を付けて呼んでしまうのだ。
なぜなら一個の人間のあり方としての天皇陛下のこの上ない高潔さと、他者に対峙する時の真摯な姿勢に対して、心の底から崇敬の念を抱いているから。
加えて、日本列島にあらせられる八百万の神を鎮める最高位の神官として天皇陛下を捉えた時にも、この土地に住まわせてもらっている立場としては、やっぱり頭を垂れざるを得ない。

……とかしこまったことを書いているけど、ぶっちゃけると今生天皇が崩御された後は、天皇家とかどうでもええわーって気持ちになりそうだから、この崇敬の念には両親と自分が共に生きていた、昭和〜平成前期へのノスタルジーも含まれているんだろうな。

兎にも角にも天皇陛下、82才のお誕生日おめでとうございます。近年お心を痛める場面も増えているようで心配ですが、これからのご健勝、切に 祈り申し上げます。

2015年12月22日(火)

朝起きて顔を洗って服を着替えようとしたら、長袖のヒートテックの袖口が濡れて冷たくなっている。どうしようかな、着替えようかなあ……と迷っていると母のことを思いだした。
私は小さい頃から顔を洗うのがとても下手で、頭を洗面所の上に思い切り突きだしているつもりなのに、足元が水でびしゃびしゃになってしまう。顔を洗う技術は大人になってからも進歩しなかったものだから、びしょ濡れの床を目にした母はいつも「あんたは顔を洗うのが下手やなあ!」と大笑いした。

それでも正直なところ、元気だったころの母の記憶はあまり残っていない。残っているのは枯れ木のようにねじ曲がった身体を乗せた車椅子を押して、老人ホームの前庭に出て、反応もないのにひたすら話しかけた時の、固く目を閉じた横顔の記憶だ。

あんなミイラみたいなお母さんじゃなくて、もっとちゃんとした時の姿を覚えていたかったのに、ぜんぜん覚えていない。私はほんとうは冷たいんだろうか?
まったく、親戚も友達も口を揃えて「楽しい人だったね!」と今でも褒め称えるような、抜群のユーモア精神を持ち合わせた人だったんだ。

振り返ってみると母は、アルツハイマーになってこの世を去るまで10年近い長い時間をかけて、ゆっくりゆっくりこの世からあの世へと軸足を移していった。そして最終的にこっち側の世界に置いていた魂はきらきら輝く微粒子状のものになって、初夏の澄んだ風に乗って去っていったような、そんな感じがする。

私はこの世のなによりも母を愛していて、この世で一番尊敬する人は?と問われると「母です!」と得意満面で答えるほど尊敬していたせいで、死別という避けがたい未来を思い描くだけで頭が痛くなってくるくらい恐れていた。

でもふたを開けてみると、母にお別れを言う時間はあろうことか9年4ヶ月も与えられた。
まあ、それはそれで悲しく辛い9年4ヶ月だったわけだが、結果的には運命に対する覚悟を決める十分な時間が与えられたお陰だろう、母との別れについてだけは全くと言っていいくらいダメージを受けなかった。残っているのはただ、最後の2週間の「やりきった感」と「ほんとうにいい親だったなあ」という感謝の念だけ。

人一倍哀しみを抱え込んでしまう私なのに、母に対してのこの哀しみの少なさには驚いてしまう。そしてこれは母が仕組んだ台本なんだろうか?とふっと考える。
もちろんアルツハイマーなんて恐ろしい病を「選択する」なんてことあるはずがないし、本人も家族も介護で大変だったから、「私を悲しませないためにあのエンディングを選択した」だなんて、ずいぶんと自分勝手な感じ方だけれど、娘だけに分かる感覚からすれば今でもやっぱりそんな気がしないでもないのだ。

2015年12月19日(土)

私はバカだ。会社の忘年会で欠食児童のように腹に詰め込んだA5ランクのしゃぶしゃぶ肉、二日酔いのせいで全部吐いちゃった。偏頭痛もおさまらないものだから、痛みと戦いながらモタモタしてるうちに、おそとはもう暗くなってきた。

あ〜あ、今日はサイトの更新して、写真整理して、メールの返信して、それから明るいうちに実家に帰ってマヤちゃんを公園に連れて行ってやろう……と夢がモリモリだったのに……。
タダ酒に我を忘れたいぎたない己に罰を与えるため、これから三日間、酒を断つことを誓います。もしも誓いを破ったら、駅前でたむろってるドバトたちにイスズベーカリーのクロワッサンをふるまってやります。


つい最近まで「おイモ二号」というあだなで呼ばれていたマヤちゃんの、新しい呼び名が決定しました!「ゆづ」です!(パチパチパチ〜!☆)

いや、「茶色くて上から見るとイモそっくりだから」ついた「おイモ二号」に対して、「ゆづ」は他ならぬ氷上のプリンス・羽生結弦選手のゆず。
で、なぜゆづかと言うと、腹を上に向けてフリーズしていたマヤを見た私が「すごいっ!やりましたっ!史上最高得点です!」
「ゆずーっ!」とはやしたのがきっかけという、超ベリー単純な理由なんだけどさ。

今、我が家ではゆづコールがブーム。私もヘボピーも「ゆづーっ!」と叫びたくてうずうずしてて、でもあまり頻繁に叫ぶと値打ちがなくなるみたいな気がするから、ここぞというタイミングを見計らうことに余念がない。
フィギュアファンの気持ちになって、単にゴロゴロしているおじいちゃんワンちゃんを
「ゆづーっ!」「ゆづーっ!!」とはやし立てるおばちゃん二人。今日もミキ家は平和です。

ゆづは時折ワープする。トイレに入る前は私の背後に立っていたのに、トイレを出るとへそ天していた。

まるで一時間前からそうしていたかのようなナチュラルなへそ天。ぴくりともしない。

楽しいのかな?

眠ってるのかな?

前に回るとニヤニヤしていた。へそ天してみせると人間が喜ぶってこと、知ってるんだ。

この日は機嫌がよかったようで、布団の上に舞台を変えて、再度フリーズ。ゆづーっ!ゆづーっ!!

笑っている。揺るぎなく確信犯的なへそ天である。

へそ天したままヘボピーねえちゃんのお口をクンクン。美味しそうな匂いがするのかな?

2015年12月15日(火)

あと10分で出勤しないと遅刻するからあせっている。
ああ……6時に目覚めた時にシャキッと起きていれば時間に追われることもなかったのに、おふとぅんが気持ちよすぎてギリギリまでうとうとしてしまう今日このごろ。
みなさんも同様なら「生物学的にそういう季節だから」で自分を納得させられるのだが、そうでなければ単なるなまけ者。いかがでしょう、みなさんも寝ても寝ても眠くて仕方ないってことありませんか?

……と限りなくどうでもいいことを考えている間も、時は刻々と過ぎてゆく。あわてすぎておもむろにPC上の「イラン」のフォルダをクリックして、絨毯博物館の写真をニヤニヤ眺める愚行を冒したりして、もうなにがなにやら。
まあ、ボーナスハピネス効果が継続中のためか、一時に比べるとやる気はあるので、近々また、旅行ページあたりを更新します。

この切手のことを覚えておられるだろうか。6月24日の日記で触れた、右から三番目の「(ミッフィー)?!??」のことである。
実は先日、銀行でリッチマン向けの雑誌をぱらぱら見ていると、こいつの正体が判明したのだ!

これ、「うさこちゃんおばけになる」というエピソードの中で、おばけのコスプレをしたミッフィーちゃんらしい。そして「うさこちゃんおばけになる」を愛するアートディレクターの佐野研二郎という方が、「ミッフィーのおばけごっこ」というタイトルの左の立体作品を制作なさったとのこと。
あ〜、中身はミッフィーちゃんだって分かってすっきりした!

2015年12月10日(木)

昨日は大多数のリーマンの冬まつりだった。我が社はこの一年、「日本の外ではいったい何が起こってるの?」といぶかしく思う程度に忙しかったので、ボーナスはそこそこ出るだろうという予測が多勢を占めていた。

そして冬まつり当日。太陽の光をたっぷり浴びたひまわり並みにパーッと明るい社員の顔、顔、顔。今の会社に勤めて20年あまりになるけれど、みんな揃ってニコニコしながら軽口を叩くこんなに和やかな社内、初めて見た。

……とは言っても従業員わずか20名の零細企業。金額的には大企業の足元にも及ばない。けれど、2,3年前の「冬のボーナス10万円」なんてしんどい経験(あるだけマシという見方もできるけど)を経た後では、今回の思い切った増額は、利益を社員にもきちんと分配しようとする会社の誠実な姿勢が見えた、という意味で素直に嬉しい。

きっと今日はみんな早めに出社してるんじゃないかなあ。私もいつもより15分早めに家を出るつもり。モチベーションが上がるとはこういうことなのかとビシビシ肌で感じてる。
世の中、お金ばかりじゃないけれど、お金は気持ちを表す一番分かりやすいツールという一面もあって、それが上手く働くと人の心ってこういう風に動くものなんだなあちとしみじみ。
まんまと会社に乗せられた自分に若干の照れ感を抱かないでもないけれど、今の心情を表現するマヤちゃんを置いて、今日もがんばってお仕事します。

ボーナス、ばんざーい!!

野生に戻って

荒々しい気分。

ハガガガ……とうなりながら

カッコいいつもり!

でも、横から見ると

白目むいててカッコ悪い!

おねえちゃんボーナスよかったね!ぼくのお薬代もとうぶん心配ないね!(ひとごと)

2015年12月3日(木)

♪♪♪<マヤちゃんのあたらしいベッド>♪♪♪

ずっと前、マヤちゃんはこんなベッドにねていました。足がおれたカニが入っていたトロばこです。

トロばこの次に買ってもらったのはピンクのベッド。
おねえちゃんたちが「ぴんくさん」と呼ぶこのベッドを、マヤちゃんはとても気に入っていました。

それから3年半がすぎました。マヤちゃんも13才ちかいおじいちゃんになりました。
マヤちゃんがせっせと使ったピンクのベッドも、すっかりよごれてまっ黒になりました。
ぺたんこの古いベッド。だというのにおねえちゃんは新しいベッドをくれません。なぜでしょう?

とても悲しいことですが、犬は人間ほど長くは生きられません。15年も生きれば「りっぱですね」「長生きですね」と言われるのです。
だから、おじいちゃんワンちゃんが新しいベッドをもらったとしても、ほんの短いあいだしか使うことができないかもしれません。

おねえちゃんはマヤちゃんがすきな「ぴんくさん」をすてて、新しいベッドを買うかどうかとても迷っていたのです。

でも……。マヤちゃんのおへやをそっとのぞいてみるとどうでしょう!
赤いすてきなベッドにのびのびとねているではありませんか。

それは、ぱんだどうぶつ病院の先生がおねえちゃんにこう言ったからです。
「マヤちゃんはおじいちゃんにしてはとても元気ですね。15才くらいまでがんばって生きてくれるかもしれませんね」
だからおねえちゃんはまっくろくろすけの「ぴんくさん」を、やっと捨てる気持ちになったのです。

おねえちゃんがジャスコで買ってきた新しいベッドを調べています。

「ぴんくさん」と「れっどさん」のどちらにするか、ぜいたくな悩みです。

よかったね!マヤちゃん!

はじめは落ちつかなかった「れっどさん」にもすっかりなじんだようです。

あと一回は新しいベッドにかえてもらえるくらい、元気で長生きしますように!