2015年6月26日(金)

ヤフオクに出品する商品の写真を撮っていた。ほんとめんどくさいよね、ヤフオクって。
でも売りたい人と買いたい人が運良くつながれば、ブックオフやアマゾンの買い取りと比べると価格は雲泥の差だし、売りたい方も買いたい方も双方おトク。おトクに弱い私は、手放したい商品は3,4回ヤフオクに流してみて、それでも売れないものだけブックオフに持ち込むスタイルを取っている。

ただこの方法の場合「手間がかかる」のに加えて、「いつまでたっても部屋が片づかない」のが問題だ。
自宅のパソコン部屋はこの一年というもの、8畳の隅々まで出品商品が散乱したまま。エルメスの皿とリラックマブランケットとゲイDVDとひまわり(女装雑誌)といったとりとめのないブツをちりばめられて、エマーミ工房のアンティーク絨毯も泣いている。

そんなカオスな部屋において、強力に処分を推進しているのが尾崎グッズである。そう、アイラブユーのあの尾崎だ。ミキさん尾崎ファンだったの?いがいー!と言われそうだが、私が買ったものではない。カナが尾崎の大大大ファンだったのだ。

比較的気力のあった20代の頃、同好の友人たちに会いに東京まで行ったり、キーボードを買って近場のファンとバンドみたいなこともしていたこと、断片的ながら知っている。43年間いいことなんかなかったように見えるカナの人生にも、楽しい時期があったんだと思うとちょっと救われる。

そして母に「同じものをいくつも買うなんて……。」とブツブツ言われながらも、自分で給料を得ていた頃は、CD、本、ファンクラブのグッズといった関連商品を必ず2つか3つ、保存用も含めて買っていたものだ。

ビンボーたれのカナが10年かけてせっせと集めたそれら尾崎グッズ、それらが今、私の家にどっと押し寄せて押し入れとパソコンルームを占領しているのだ!

末妹の死後、アパート明け渡しの必要に迫られてゴミ屋敷の整理に着手した二人の姉。カナが生きている時には触れることがなかった(自分の見ていないところで人にいじられるのを好まなかった)モノの山を1ヶ月半かけて掘り返し、数十のゴミ袋を捨ててようやくたどり着いた押入。
積み重ねられた段ボール箱を開くと現れたのは尾崎グッズの山。予想通りとはいえ、好きだったんだなあ、もっと尾崎の話聞いてやればよかったなあと胸が苦しかった。

さて、これをどうするか。尾崎関連以外の本はさすがにヤフオクに出してる時間はないから段ボールに詰め、一箱一箱よろめきながらチャリンコで運んだ。重かった。
ワンピースで一冊1円、みすずの哲学書でさえ一冊100円とかで、ぜんぶひっくるめても数千円。ゴミで出すよりマシだがしんどかった。

残ったのは尾崎関連。グッズはヤフオク一択としても、本とCDはブックオフに持ち込むかと考えた。けれど一生懸命集めたものを叩き売るのがしのびなくて、早朝の人の少ない時間帯を見計らい(人と車の多い道なので、日中荷物を運ぶのは危険なんだ)、何度もカナの家にチャリででかけては、一旦ぜんぶ自宅に運んだ。眠かった。そして重かった。

運んだ段ボール箱はひとまず玄関に積み上げた。だが、これをどうすればいい?押入にはスペースがない。やっぱりブックオフしかないだろうか……と悩んでいるところへリーンリーンと鳴る電話。

私は自宅の固定電話にかかってくる電話には絶対に出ない。関係のある人は携帯にかけてくるので、自宅への電話は100%セールスだからだ。
でも、その日はなぜか受話器を手に取った。

ガチャッ「もしもし」
「はじめまして〜。(株)○○と申します。不要なブランド品や金はありませんか?」リサイクル会社だ。

「いやー、ロレックスとか全部売ってしまったばかりで何もないですねえ」と言う私に電話口の女性、「不要な衣類も買い取りますよ」「えっ?服もいいんですか?」

聞けばユニクロのでもイオンのでも、多少古くて汚れていてもオッケー。買い取った服は日本の古着が大人気のミャンマーやロシアのリサイクルショップに流すとのこと。

ありがてえ!捨てるに捨てられなかった服が詰まった衣装ケース、こいつらはウォークインクローゼットを占領していたのだが、二束三文でも引き取ってもらえれば、「まだ着られるものを捨てた」という罪悪感から逃れられるぞ!

翌日、ソッコー出張買い取りに派遣された兄ちゃんは、ビニール袋3つに詰め込んだ衣類を持ち帰り、私の手元には数百円が残った。ユニクロもバーバリーも一律10グラム1円という計算方式の結果、そんな寂しいことになってしまうのだ。

それでもウォークインクローゼットはスカスカになった。これで尾崎グッズを保管できる。「尾崎豊 午前0時の十字架」なんて本とせっせと運びながら、あんなタイミングで電話に出たということは、カナ、コレクションを粗末に扱って欲しくなかったんだなあと思った。

そう言いながらも、尾崎にはもうこれ以上部屋を占領するのはやめて頂きたい。さっさとヤフオクでいい人のところに行って欲しいものだ。

2015年6月24日(水)

郵便局でこんなチラシを見つけたよ。ミッフィーちゃんダイスキー!!←ちょっとウソ。
ミッフィーの絵本は小さい頃に親によく読んでもらったものだけど(その頃は「ミッフィー」じゃなくて「うさこちゃん」だった)、 私の知ってるうさこちゃんは左からよっつめくらいかな。
60年の間で痩せたりふくらんだりするのはどのキャラにもあることなんだなあ……って
ちょっと待て。

おまえだれや

ウサギにすら見えない。「貧乏な奥さんに大切にされるうちに心を持ったエプロン」と言われると信じてしまいそうだ。
マジックショーで箱の中に入れたウサギが、マジシャンのかけ声と共に大根にへんしーん!ってレベルの造形の飛躍でおののいた。

何かの間違いじゃないか?と思ったのだが、ポストカードでもこいつは存在を主張していたということは、印刷ミスではなさそうだ。この違和感、10代の学生に混じってキャンバスを闊歩する60才の大学生並み。

これはディック・ブルーナのご乱心による自発的改変によるものか、それとも版権持ってる会社が「これまでとは違うミッフィーを」とそそのかしすぎたのだろうか……。謎は深まる。分かっていることは普通の「可愛い」から200光年ほど離れているということのみ。

まあ、ちょっとネットで調べれば事実は判明しそうだから、時間がある時に調べてみますわー。

ひとまずポストカードセットをゲットしに行くか!ほんとは右から二枚目だけばら売りして欲しいんだけどね。そしたら20枚ほど買ってばらまくことだろう。


昨日のブルーが過ぎてまっくろになってる日記、読む人を嫌な気分にさせたかなあと思ってた。いくら苦悩していてもそれを全面的に出すのはみっともないかもしれないという気持ちもちょっとあった。

でも、メルフォから無記名で送られてきたメールを読んで、ずいぶんと気が楽になった。例えネガティブな内容でも、ミキさんの言葉が見られるのは嬉しいですと声を掛けられて、言葉が心に沁み入るような感覚を覚えた。そのイメージが何に近いかと考えてみたら、頭に浮かんだのはクジラの歌。水中を伝わってゆっくりとした音波が響いてくる。
他者に対する思いやりというものは、さざなみのように伝わって遠くにいる者に触れ、癒すものだとしみじみ思った。

友人が「ネガティブなことを書いても自分の心の整理になるからぜんぜんいいと思うよー」と言ってくれたのにも励まされた。
また同時に、電話やメールで表現しない人たちも、私を気遣ってくれているのがとてもよく分かる。

みなさんには心から感謝します。ありがとう。

そういえば時折思い出す。父も、カナも、私と最期に交わした言葉は「ありがとう」だったこと。

父が他界する二日前、見舞いを終えて病室を出て、でもなんだか後ろ髪を引かれてもう一度戻った病室で、「お父さん、がんばりよ。またくるからね!」みたいな言葉をかけた私に、痩せた右手を上げてかすれた声で「ありがとう」と言った父の声。

カナが他界する三日前、仕事を抜けて差し入れのお菓子を持って部屋を訪ねた私が去るときに、いつもみたいに「ありがとう」と言ったカナの声。

記憶に刻みつけられた二つの声の、両方ともが「ありがとう」であることは私にとってささやかな救いだ。
この記憶、そしてこれまでに他者から受けた温かい思いやりの記憶を胸に抱いて、さまざまなものを少しづつ受容していければと思う。

2015年6月23日(火)

過去にここに上げていた写真を探すため、古い日記を見直していた。今と比べて2012年8月以前の自分はどんなに明るくて前向きに人生を楽しんでいたか、分かっているつもりだったけど自身の変化は予想以上でショックを受けた。

3年前にはすでに母の病状は悪化の一途をたどっており、日を追って小さくなりつつある生命の灯火と向かい合わざるを得ない苦悩を抱えていたはず。それでも今とは比べ物にならないくらい元気だったのは、自分のなすべきこと──家族を守る責任があったせいかもしれない。

2012年8月30日までとそれ以降の自分と比べると、別人みたいだと我ながら思う。
特にカナの死からこちらは酷いものだ。来る日も来る日もカナのことを考えて、週の三分の一は泣いたりぼんやりしている、こんな自分はアホみたいだと腹が立つし、無駄な時間を送っているとイライラする。

分かってはいるが、これまでに経験したいかなる時期とも比べられないほど苦しくてどうしようもない。あの日、カナが死んでいることを確信した瞬間のショックは、私の心にある悲しみをオンオフするスイッチを破壊して、悲しみのスイッチが入りっぱなしみたいだ。

父が他界してから三年間ずっと苦しんできたのに、いつまで苦しまなきゃならないのか!と天を仰ぐ。
今や自分の守るべきものはマヤだけで、マヤのために全力を尽くすことはせめてもの心の支えになってくれているけれど、近い将来には死が待ちかまえている、この現実も震えるくらいに恐ろしい。

いくら怖がっても死は不可避なものだから、それまでにある程度は精神を安定させておかなくては、私は本当に壊れてしまいそうだ。だからカナのことは考えちゃダメだ!マヤが死ぬまでに自分を立て直さなくてはと必死に努力してみるが、現時点では成功していない。

「死別の悲しみは時が癒してくれる」とよく言うけれど、精神状態は一年前より悪化した。これはカナの最期が悲惨だったせいもあるだろう。カナに借金がなければ、あっても一言相談してくれていれば(それをしていれば怒りながらも一気に返済してやっただろう)……この苦しみは半分くらいで済んだろうに、と時々カナが恨めしくなる。

カナがただの熱中症で死んだのならまだよかったのに!借金があったせいで電気代を節約しようとした結果、エアコンも扇風機も停めた部屋で熱中症で死ぬなんて……そんな最期さえ遂げなければ、私は少しスムーズに日常に帰って行けただろうに。

ああ、すみません、せっかくここを覗いてくださる方を暗い気持ちにさせるような文章を上げるのもどうかと思いつつ、今の心情をストレートに綴った。
正直なところ、文章を書くこと自体しんどくてたまらない。何をする気力もない。このサイトも閉鎖しようかとも思ったりする。

それでも近況報告すらする必要がなくなったなら、ますます気力が萎えてしまいそうだから、もう少しこのままにしておくつもりだ。
来る日も来る日も懊悩ばかりで、これを生き地獄と呼ぶともっと苦しんでいる人たちに失礼だと思いながらも、やっぱり生き地獄みたいな毎日に疲れ果てている。
なんとかしたい。でもなんともならないから自分の中で落としどころが見つかるまで、とことん苦しむしかない。

2015年6月20日(土)

ヘアスタイルはウルフカット一択だろうか

鳥になる夢を見た……と書くと、一時ツイッターで拡散されていた「日本男子のなりたいものランキング」(※)みたいでミキさんやばくね?と思われそうだが、そういう意味ではなく単に鳥になっていた。

夢の中で大きな翼を持つ、ツルのような立派な鳥に生まれ変わっていた。翼を広げて空中に舞い上がり、みるみるうちに小さくなってゆく地表を見下ろしている。

だが、すぐに気分が悪くなってきた。そう……私は高所恐怖症なのだ。

こりゃダメだ!鳥はダメだ!そう思った私は次に生まれ変わる肉体を探し、そしてキツネとして生まれ落ちた。

そこで私は大きな群れをたばねるオスのキツネ。(キツネは群れを作らない動物だけどそこは夢)私の守るキツネたちは、緑あふれる丘陵でどんどん子を産んで幸せに暮らしている。

爽やかな初夏の風に吹かれながら、私は完璧な充足感を覚えていた。キツネとして生まれた自分の生涯はそう長いものではない。でも、自分が死んで土に還った後もずっとずっと先まで、子孫達はますます栄え、地に満ちるだろう。
そんな感動と安らぎで満たされながら、キツネになった私は青々と茂る草の間でじゃれあう子ギツネたちを眺めていた。

……って、いったいどこのシートン動物記。「40代日本男子」のこと笑えませんなー (´ω`)

※<日本男子のなりたいもの>
10代 野球選手 
20代 会社社長 
30代 部長 
40代 鳥

2015年6月19日(金)

テレ東の歌謡番組をなんとなく見ていると、もうすぐ命日とのことで美空ひばりの思い出映像が流れてきた。
ひばりさんが亡くなったのは6月24日。うちのおかあさんの命日とおんなじなんだよね……って、ちょっと待って!亡くなった年齢、今の私とおんなじですって?!
火の鳥ファッションで「川の流れのように」を歌う貫禄たっぷりの映像なんかを見て、もうちょっといってらっしゃると思ってたけど、そんなに若かったんだ……。

有名人の享年や、同年輩の有名人の訃報に接するたびに、以前は人ごとだった死というものが、ますます身近なものになる中、「見栄」「所有」「金銭」に対する執着が徐々に薄れつつある今日この頃。
……なーんて偉そうなこと言ってはみるが、万一のためにコクヨのエンディングノートに1470円払うべきか、100均のノートで済ませるべきか、セコいポイントで惑ってるあたり、悟りの境地はガンダーラ並みに遠そうなんだけどね。

アウトドア・へそ天

インドア・へそ天

2015年6月17日(水)

この一週間の精神状態:冬のオスロ(どん暗いと言いたい) 
肉体状態:薄曇り。

循環器科→整形外科→神経内科→婦人科→脳神経外科と巡り巡って、なお「原因不明」としか言ってもらえない足の痛みとしびれが眠れないほど悪化したので、セカンドオピニオンを求めすがるような気持ちで行った別の整形外科。

18枚もレントゲンを撮られて一生分のX線を浴びたんじゃないのお?とおののきつつも、「末梢神経障害(仮)」となんとなく病名らしきものがついて注射&投薬をされた結果、「これが通常の足なんだ!」って感動するくらい痛みが減ってさあ、やや気分が前向きである。

とは言っても真の原因は相変わらず不明。本とか色々出してる先生で、自分の見立てにはものすごい自信がある人みたいなんだけど、その医者ですら「(よその医者と違って)僕は大抵の原因は分かるんですけど……これはむつかしい。はっきり言ってわかりません」と言われてガッカリするやら、もう慣れたよというべきか。

それでもなんとかなりそうな希望が出てきて安堵してます。健康ってほんと大事。みんなも健康なうちにやりたいことやっとこうね!(すまん、集中力がなさすぎて何書いてるか分からなくなってます)

おててかな?

あんよでした

我が家で「マサル」と呼ばれる冬のファッション。マサルとは「闇金ウシジマ君」のチンピラで、こういうヒョウ柄をポイントにした服を着ているのだ。
でも、還暦祝いで赤いちゃんちゃんこを着せられ憮然とする爺さんのようでもある。

華麗にジャンプしてボールをキャッチ!と言いたいところですが、足、ぜんぜん地面から離れてません。

イギリスの荒れ地を走り回った猟犬の末裔のくせして、マヤちゃんってばとってもどんくさいんです。
もしもわんわん体育大会があったなら、きっとライン引きと応援しかさせてもらえないことでしょう。

理想のお尻ショットを求めて今なおつづくよお尻キャラバン。

枕元に一眼レフを置いて就寝、朝になって「ぐいーん」の気配を察知するや否やカメラを構えて飛び起きるのだが、そこまでやっても理想のおちりはまだゲットできてないんだ……。

これまでに数百枚撮ったおちり写真の中で、ふかふか度とまるまる度においてこれが最も理想に近い。
これで布団がじゃまをしていなければ、そして尻尾が上がってお尻の穴が見えていれば!!!!
今頃はお尻キャラバンを解散して、ハイアットリージェンシーのバーでマティーニを飲んでいることだろう。

 きりっとしたまやちゃん

ぎらっとしたまやちゃん

じゃあ つぎ あうまで げんきでね!!

2015年6月11日(水)

一週間プラスαのご無沙汰です。いや、あまり暗いことばかり書くのも何だから、なにか楽しい話を……と考えていたものの、来る日も来る日も溺れかけみたいな精神状態だわ、原因不明の足のしびれは日を追って悪化してるわで、ぶっちゃけ明るい話題なんかクソくらえって気分。家族が生きてる人をじっとりと妬んでしまうという、ダークサイドに落ちかけの毎日なんですわー、ぐへへ。

で、さっきも全身の力が抜けるほどガックリする夢を見ててさ……。
夢の中で姉妹三人、ごはんを食べに行く約束をしてたんだけど、カナから連絡がない。ヘボピーと「カナ、どうしたんかな」「まーたパチンコに行ってるんじゃないのぉ?」とありきたりの会話をしたところで、カナは もう この世にいない! と思い出し、ショックのあまり目が覚めた。

カナが他界してから私はずっとこの手の夢を見続けて、その度に魂が抜けそうなほどガッカリすることを繰り返し、気力をごりごり削られているみたいだ。落胆と絶望は細胞を傷つけて、人間に深刻なダメージを与えるものなのだろう。この10ヶ月で肉体の病的な変化も加速しているから。

この苦悩からいつ開放されるのだろう?と考えることもあるが、父が他界した時のことを振り返ると、真っ暗なトンネルはここからアラビア半島あたりまで続いてそうで、先の見えなさに頭がくらくらする。

父を亡くした後、ようやく長いトンネルから抜けられたか?と思えたのは三回忌のちょうど一ヶ月前だった。どんなに死別の悲しみが深くても、三回忌の頃には落ち着くとよく言うけれど、本当にそうだ、昔の人はよく言ったものだなあと納得したものだ。
だというのに、やっと立ち直れたと思った2週間後に6才も年下の妹が突然死するとは!もし神さまがいるなら、えーかげんにせえ!とつかみかかって髪の毛をむしりたい気分だ。

カナの三回忌まであと1年と2ヶ月。父→母→妹、と三年連続で死別のダメージを食らった私のコンディションは、老化と更年期障害の影響もあってこの一年で坂道を転がり落ちるように悪化した。
東洋医学の先生には、「治ろうとしていた体が治りきる前に次の衝撃に襲われて、体が疲れ果てている。あなたを癒せるのは時の経過しかない」と言われてるんだけど、そう言われましてもねえ……高い治療費払ってるんだからなんとかしてくれ!!

自死を考えることは正月を境になくなったけれど、一日過ごすだけでゼイゼイ言ってるこんな状態で、私はカナの三回忌までもつんだろうか?……とか言いながら、コロッと逝ってしまったカナとは違って私はまだもうしばらく生きそうな、いや、生きざるを得なさそうな気がする。

それに私にはまだ大きな仕事が残っている。「マヤを見送る」という仕事が!
ガタガタのヨロヨロのグタグタでもとにかく一日をやり過ごして、マヤが最後の日を迎えるまでは(それはそう遠くない未来だ)残る気力を奮い起こして、小さな家族に楽しい時間を過ごさせてやるよう、ここは死ぬ気でがんばるしかないわ。


そういえば嬉しいこともあったよ。
毎年巣立ち直前になってカラスに全滅させられているツバメのひな、今年はヘボピーと「ツバメレスキューオペレーション」を決行。人が通る時間帯を避けるために眠い目をこすりながら夜明けと共に起床して、ネットで調べたカラスよけ(ツバメが通れる幅に黄色い糸を張る)を設置した。

その結果、去年はひな全滅の巣から2羽のひなが大空に放たれて、夜になると家族そろって電線に体をくっつけあって眠る愛らしい姿が見られるようになった。

まだ飛び方が下手っぴで、私のすぐ目の前、手の届きそうな低いところをヒラヒラ飛び回るひなを見ると、「ありがとう」と言われてるみたいですごく嬉しかったな。いや、ツバメ側からすると「そこにとまりたいのに人間ジャマ!」って感じなんだろうけどね。

レスキュー対象のツバメっこ。

こういう感じで30センチおきに糸を貼るのだが、うまくガムテープがくっつかなくて発狂しそうだった……。

マヤを置いていくと朝の5時からあと追いしてギャンギャンいいそうだったので、一緒に連れてきてコロッケ屋さんの前にくくっていた。

自分だけくくられて「僕もまぜて!」とさわぐかと思いきや、人間の必死な雰囲気が伝わったのだろう。きゃんともいわずに彫像のように固まっていた。

2015年6月2日(火)

夢の中でEMS(海外向け速達便)で送り状の束を発送しようと重量を計っていた。秤の目盛りが指しているのはジャスト300グラム。アメリカ向けのEMS送料は299グラムまで1200円、300グラムを超えると1500円。

経費削減のために299グラム以内でできるだけたくさんの送り状を発送しようとして、一枚引いたりクリップをはずしてみたり、クリアファイルを薄いビニールに替えてみたりと、目をひんむいて微妙なウエイトを調整する私。会社で日常的にやっていることとはいえ、夢に見るには不毛すぎる……。

このところクリス・エヴァンスになってイケメンといちゃいちゃする夢はおろか、カナの夢すら見なくなった代わりに秤と格闘するなんて、自分で思ってる以上に疲れてるのかな。

あんた気分転換に海外旅行に行ったばかりでしょ?!と叱られそうだが、それが必ずしもいい方向に気分転換できたわけではなくてな……。
いや、旅先でトラブルがあったわけではない。15年ぶりに行くイスタンブールは「海外旅行者数世界6位」(1位はパリ)になっているだけあって、驚くばかりの変貌を遂げており、初海外旅行の人にでもお勧めできるほど簡単・便利そしてクリーン。
国民のエンゲル係数もジニ係数も高い国にばかり行っていた私とヘボピーにとっては、「ここはヨーロッパ?!」とびっくりするほど快適だった。
だが、快適だったからこそカナの不在があぶり出されて、心から旅を楽しめなかったのだ。

旅が安楽であればあるほど、風景が綺麗であればあるほど、カナの喜ぶ顔が浮かんで胸が張りさけそうに辛い。
しょっちゅう海外に行っている私たちに対して、金銭的、体力的な問題のせいで、生まれて一度も海外に行ったことがなかったカナ。旅費は出してあげるから一度三人で行こうよとパスポートまで取らせて、行き先にはトルコも候補に挙げて、でも旅行に行くまでもちこたえられなくて、枕元にまっさらのパスポートを置いたまま死んでしまった。

日が昇る前からアッラーフアクバルと大音量で人々を叩き起こすエザーンとか、右手にはアヤソフィア、左手にはブルーモスク、あちらにはトプカピ宮殿と、みっつの世界遺産がひとところにいながらにして視界に収まる広場とか、聞いたことのない言葉で話す人たちでざわめく波止場とか……。
日本では絶対に味わうことのできないイスラム圏の異国情緒に触れたら、カナはどんなにびっくりしたことだろう!

でも、もう三人で旅をすることはできない。そう考えると胸がしくしくして、許しを乞うみたいに私もヘボピーも折に触れてはカナの話をした。「魂になったカナ、ついてきてるかな」「ぜったいここにいるよ」と。

また、旅行に出る前、ふと目に入ったテーブルの上の指輪──カナのトルコ石の指輪をつけていったのは以前ここに書いた通りだが、待ち合わせ場所にやってきたヘボピーのリュックにも、カナの小さなクマのぬいぐるみが下がっていたから、ああ、考えることは同じなんだなとしみじみ思ったものだ。

……とかなんとか言ってるが、さあこれから!と旅の第一歩を踏み出そうとした関空にて、いざ搭乗!という段になって急に尿意をもよおしトイレに入った私は、手を洗うときにカナの指輪をはずし、そのままどこかにやってしまった?!というのは秘密です(=´ω`=)

あの時には、一発目からこれではアカンわと、情けないやらセンチメンタルになってるのが馬鹿みたいやら。
哀しい哀しいとは言っていても、自分のことで必死になっている間は、死者のことなんて忘れちゃうもんかねーと変に感心したのだった。
(なお、形見をなくしてしまった……とむっちゃブルーになりつつ丸一日過ごした後に、指輪はポケットの底からぽろっとでてきてめでたしめでたしでございました)

ホテルのテラスからの風景。右手にはアヤソフィア。

左手にはブルーモスク。これでもか!といわんばかりの異国情緒に、カナに見せてやりたかったなあと姉妹ともどもうつ状態。