2014年6月27日(金) ![]() 風邪はまだ治らず、ねちゃねちゃした濃い黄色の鼻水が止まらない。ティッシュをかぴかぴにさせながら、自分が不潔な液体製造器になった気分がしてたまらん……。 それでも精神の方は下の日記を書いた時よりはかなりましなので、この体調なら週末はサイトの更新できそうだ!と喜んでいたら、ではあたくしがお相手いたしましょう!と言わんばかりに、パソコンが、故障した。 うぉっ???……。うぉぉおおおぉおおお!! たまに更新しようと思ったらこれだなんて、誰か異世界から私のことを見張ってる?実はこの世界は舞台で私たちは操り人形なの?と軽い被害者妄想を覚えつつ、狂ったように再起動を繰り返した。 やばい。これはデータぜんぶ飛んじゃってるかもしれん……。 私は当社比三倍速で頭を働かせた。こいつは会社が開くまで待ってから、電動自転車を借りてうちに戻ってパソコンを積み、それを一旦会社に置いておいて昼休みになったらソッコー修理に持って行くしかない! それでも気を取り直し、パソコンに詳しい友人──「ウィンドウズのことは分かりませんから教えてあげられませんよ」という言葉によって、私が初代マシンにリンゴマークを選ぶきっかけを作ったKさんと、WebデザイナーのM君、そしてパソコン教室の先生Aさんにメールした。というのも「10万円もかかる修理に出してまで化石Macを使い続ける必要はないんじゃね?」というアイデアが、フリスクのCMのようにぱあっと頭に浮かんだからである。 OS9というのは、今どきそんなもん使ってるやついねーよ!と石を投げられそうな代物なのだが、このWeb
ページを管理してくれている「ページミル」というカブトガニ並みの化石ソフトがOS9までにしか対応していないため、しょーことなしに使わざるを得ない。 そしてOS9ではインターネットが全くといっていいほど利用できないもので、カブトガニがオオサンショウウオになった程度には進化したOS・10.4タイガーを組ませてある次第。 まあこいつだってせいぜいなもので、Mac OS Xのバージョン別コードネームでいえば、OS
10.0のチーターからピューマ(10.1)→ジャガー(10.2)→パンサー(10.3)⇒タイガー(10.4)→レオパード(10.5)→スノーレオパード(10.6)→ライオン(10.7)→マウンテンライオン(10.8)
、そして現行のマーヴェリックス(10.9)と並んでいる。 (なお、マウンテンライオンまでネコ科動物シリーズだったコードネームは、「マーヴェリックス」で カリフォルニアの地名に変更。アップルさん、今度は地名シリーズで行くつもりなのかな) 話がアマゾン川並みに蛇行した。うちのパソコンは周辺機器すら売ってない化石マシンなんですよと言いたかったわけだが、前述の友人達の意見を統合したところ、「今のマシンはあきらめて新しいマシンを買え」に集約された。 そんなこんなで昼休みにパソコンショップに走ってマシンを選別する一方、会社のパソコンで「Macトラブルシューティング」を狂ったように検索。ネット住民の世話を焼きたがるパソコン仙人たちのアドバイスに従い復旧作業にいそしんだ結果……。 ありがたや〜!「ジャーン!」からなんとか起動に至った。そしてケツをとろ火であぶられるような焦燥感を覚えつつも、このようにページミルでサイト更新できるまでに復旧。 とは言っても今はせっせと働いているパソコンの中のこびとさんたちも、いつまたベースアップを要求してストライキを起こすか分からない。
そういう次第で、1,2週間ここの更新がなかろうとも、「また精神的ドツボで苦しんでるのかな」と不穏な想像をする代わりに「ああ、ウィンドウズの使い方が分からなくて困ってるのね。オバちゃん機械オンチね
(´∀`)」程度に流していただければ有り難い。 この人なんかハーネマンっぽい! (*´ω`*)と携帯カメラを向けていたら、エレベーターを降りた人が近づいてくる。不在配達の荷物を取りに来た下町のちぃちゃいおっちゃんだけど、ほら、いるでしょ?「人に話しかけたくてたまらないオーラ」を発してる人って。 正にそういうオーラを背後に感じながら構わず写真を撮ってると、おっちゃん、どうコメントしたらいいか思いつかなかったんだろう。しみじみした感じでたった一言「……ヤクザぁ……」とつぶやいた。なんかかわいくてほのぼのした。 |
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2014年6月24日(火)
すんません、風邪とうつのシンクロ攻撃で、かなり相当マジでぶっちゃけ辛いです。 そんな状態ですので今日はヘボピーさんにバトンタッチ。 これは起こすべきか起こさざるべきか?もしも夢に深くはまりこんでいたら、それをぶった切ったショックで脳梗塞とか起こさないか?いや、すぐに起こさないとこのまま死んでしまうかもしれない……。 この前の土曜日、姉と一緒に電車で三駅向こうの港町まで明石焼きを食べに行った。 漁師町のど真ん中にある明石焼き屋は、小さい店ながら他県からも食べに来る客がいる有名店だった。ダシじゃなくて塩をつけて食べてもグー!な、酒のアテにピッタリな美味しい明石焼きだった。 その日の晩に見た夢。 姉と私はなぜかこれは見てはいけない物だと思って座敷を後にするんだけど、その時、奥の座敷から、白い布を被せられた人間の幼児サイズの物がズリーズリーと這いだしてきた。 儀式として、タマミがこっちをみれば「可愛いね。」とホメなきゃいかんらしく、人々はタマミとにこやかに握手をしている。 キレた私は相手をバカにする為、洋物AVのよがり声で「オウッツ!アハ〜ン!アフーン!」と言ってみたものの、それはさらに蛭子の怒りに油をそそいだようで、凄い形相でニラミ&握力を強めてくる。 「オウフッ、オフッツ・・・アハフーッツ!!」キモチいいはずのよがり声が恐怖のよがり声に変わった頃、「大丈夫!?」隣りで寝ている姉にパムパムと肩を叩かれハッ!と目が覚めた・・・。 私は怖い夢を見た&金縛りにあった時だけ、すんごく寝言を言うのだ。過去、姉がすでにこちらに書いたような「20××年・・」とか「猪木ボンバイエ」とか・・・ この時は隣りで寝いた彼に叩き起こされた。「猪木ボンバイエ言うとったで。ギャハーッ(爆)」と。いや、逆にアンタといると、なぜか金縛りに合う確率が高いんですけど・・・。 |
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2014年6月18日(水) 母の一周忌、父の三回忌が近づいてきたせいで。近い親戚のみならず、会ったこともない遠縁の方から連絡があったりで、ちょっとバタバタしている。 でも私は今や親戚が大好きでたまらないので、その手の付き合いは苦にはならないどころか、自分の知らない父母の話を聞けるのが楽しみだったりする。 よちよち歩きの頃に一度だけ会ったというおばあさんからは、父が幼い私の世話をとてもマメにしていたと聞いた。祖母のきょうだいの息子さん(故人)のそのまたお嫁さんという、お顔も見たことがない遠縁のおばあさんは、父は親戚の誰かが困った時には何やかやと気にかける優しい人だったと言っていた。 私たち三人の娘は父のことを「クセが強くて口ばかりで扱いにくい人」と疎ましがっていたけれど、死後、親戚や友人から話を聞くと、「変わり者だな」と苦笑されつつも、意外に人に好かれていたのでは?と思えてきた。私は父の良い面をもっと見ようとするべきだった。 ……と思い出すのは父のことばかりなのは、母とは意志疎通ができなくなって長かったせいで、元気な頃の記憶がすぐには浮かばないからだろう。
普段目に入るツバメの姿といえば、5月のお空を滑空しているか、電線に止まっているか、もしくは甲斐甲斐しくひなにエサを運んでいるところくらいだろう。羽毛の色が見えるくらいまで近寄れるハトやスズメとは違って「身近なようで、そばでまじまじ見る機会の少ない鳥」だと思う。 でも巣立ったばかりのこのツバメは人間のこわさをまだ知らないと見える。顔を2メーターくらいまで近づけても逃げる様子もなくじっとしていた。巣の外の世界で見るものすべてが新しくて、なにやら戸惑っているように見えた。 つい最近まではピーピーわめくブサイクな生き物だったものが、今では素敵なトライカラーの羽毛をまとってる。すーっと長く伸びた尻尾を眺めながら、「燕尾服」とはよく言ったものだなあと妙に感心した。 今の家に引っ越してきたのは小学校5年生の時。コロッケ屋、クリーニング屋、パン屋に喫茶店。家の周辺にある商店の軒先には、その時にはすでに何軒ものツバメの家があった。 だというのに今年はなんだかおかしい。昨日まで巣の中にみっちり詰まってピーピー鳴いていたひなが、次の朝には煙のように姿を消していたり、何者かに叩き落とされて粉々になった巣が道に転がっていたりする。 きっとこれは動物嫌いの人間のしわざだ!と私は憤慨した。ツバメのふんが落ちてくることを嫌う人や、生き物を意味なくいじめて楽しむ子供が、巣を壊してしまうに違いない。 しかし犯人は別のところにいたと知ったのは、数羽のツバメがカラスをはげしく攻撃しているのを目にしたのがきっかけだった。 犯人はカラスなのか!ネットで調べてみると、カラスは巣の中の卵のみならず、ひなが食べごたえがあるサイズに育つまでじっと時を待つ利口さもあるそうだ。 カラスも生きて行かなくてはならないのだから、ツバメの肩ばかり持つのはよろしくないと思う気持ちもないでもないけれど、カラスよりもこれから先に過酷な運命──「渡り」が待ち受けているツバメの方を守ってやりたい、というのは人情だろう。 私と同じように感じる人は多いと見えて、ネットにはカラスからツバメの巣を守る方法がいろいろと示されていた。だが、自宅の軒先ならまだしも、ツバメたちが巣を作っているのは人の店。そのほとんどは空き店舗とはいえ、他人の不動産にピアノ線を貼ったり、プラスチックのおおいをするわけにはいかないよね……。 それにしても、どうして今年は周辺のひなが全滅したのだろう? からっぽになった巣、叩き落とされた巣の残骸なんかを眺めながら、悲しい気持ちで家の周辺を歩き回ってきた。すると、わずかながらカラスに襲われない場所に巣を作ったツバメもいると見えて、巣立ったばかりの子供に親が飛び方を教えている姿も目に入って、ほっとした。 それでも我が家のベランダから見えるのは、電線に止まっている親鳥だけ。いつもならこの時期になるとあの電線には親子連れのツバメがとまるのに……。
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2014年6月12日(木) インド・スリナガルのボートハウスから見える夕暮れのニギン湖。鏡面のようになめらかな水面に映る薄紫の空を眺めながら、ヘボピーが遠慮がちに口を開いた。 うん、分かってる……。自分でも分かってるんだよ……。 そう、当時の私の頭はツーブロック。ガリガリ君並みに刈りあげた後頭部に、長く残したトップがかぶっているスタイルだった。 今の日本でツーブロックといえば、「進撃の巨人」のリヴァイ兵士長、ヒトラーの付き人、大正時代の書生さんの三択だろう。 「おまかせします」と言った手前耐えたけど、仕上がりを目にした時には「なんでここまで刈ったんやー!?」と美容師の胸ぐらをつかんで揺さぶりたくなったのが本心。ましてや白髪に悩むお年頃なので、刈り上げた部分がゴマ塩になって痛々しさに拍車をかけている。
この数ヶ月、節約のために髪の毛は自分で染めていたけれど、安もんチェーン店プラージュでさえ3240円取るところを、一箱800円のヘアカラーを2,3回に分けて使ってキレイに染まるはずもない。 そういうわけでヘアマニキュアをしてもらうと、あら!まあ!鏡の中にはマダームな私。顔から若さは去ってしまったが、いい案配に枯れつつある顔つきが「変に攻撃力が高そうなババア」に見えて、自分で言うのもなんだけど…………悪くねえ。(byリヴァイ) やっぱケチってばかりじゃダメだよね。中年だからこそ最低限の身だしなみはした方がいいよなーと調子に乗って、昼休みにアナスタシア(眉エステ)にも駆け込んだ。 若ければ美容やおしゃれにはお金をかける必要はないと思う。若い生物はあふれる生命力だけで美しいものだから(典型的な中年発言すみません)。 モテたいとかカッコいいとかキレイとか思われたいという欲望はすでにないはずだが、「みっともないとは言われたくない」ということは、まだまだ「人からよく見られたい」という自意識が燃えさかっている証拠だろう。 最低限の自己満足をキープしながら貯金も減らさずにすむ落としどころ。老年期への扉を目の前にしている今、そのあたり早急に探らなきゃならん。
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2014年6月10日(火) 時計屋のくじでもらったキャンドルなんぞをヤフオクに出しとったら出勤前の時間配分に失敗した! イランいろいろ、更新しました。誤字脱字、文章の骨折、いろいろあってもスルー願います。エラーは帰ってから訂正するよ! |
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2014年6月6日(金) ![]()
NYが高値引けということは、今日の日本市場も上昇が確約されたようなもの。いやほんま助かったわ……。昨日ぜんぶ手じまってなかったら死ぬとこだった……。 え?どうして?株が上がるのはいいことじゃないの?と思われる向きも多いだろうが、実はそうばっかりとは言えないのだ。 なぜならネガティブ思考の私が好む「空売り」とは、株が下がれば利益を得られる手法。 だがご存じの通りこの数週間、じわりじわりと上げ続けている株価。 そう、「買いは家まで、売りは命まで」というおそろしい株式格言にもある通り、「売り」は作戦的にも精神的にもたいそうデンジャラーなものである。 それでも私は世界経済、特に我が国の明るい未来をイマイチ信じられないせいで「買い」は苦手。覚悟の上で売りに回っていたけれど、ストレスは健康の一番の敵と言うではないか。
結果的には今年の収支はマイナス300万。年収に迫る損失はけっこう痛い。ましてや銘柄選びと入るタイミングはどれを取っても間違っていなかったので、いろいろと思い起こすと胃がキリキリ痛む。 そうなのだ、私は株については「ひょっとして霊界通信を受信する才能がある?」とうぬぼれるほど勘が当たる。だが問題は絶望的な売却タイミングの悪さなのだ。 ツイッターやテレビを見ていると、これまで存在すら知らなかったような会社の名前になんとなーく目が吸い寄せられて、株をゲット。そこまではいいが持っている間は動かない。 その結果、あれよあれよという間に駆け上がる(または暴落する)株価。たったの1,2週間で2、3倍というケースもざらである。
どうして私は株をするのか?お金が欲しかったから。じゃあどうしてお金が欲しかったのか?「大型犬と一緒に暮らせる家」と「妹たちの老後の安心」を得たいから。 けれども目的達成のためにストレスを感じてさらに健康を損なうくらいなら、多くを求めず今あるもので回して行く方が利口かもしれない。 そういうわけでようやく修羅の道から抜け出した今、日経平均がどれだけ上げようと関係ねーわと気分壮快。上昇、バッチこーい!! 最後の最後にまたしても逆神っぷりを披露することになると、さすがにキツい。PCの「お気に入り」に証券会社のログイン画面を再登録しないためにも、しばらく経済ニュースは封印する。
わざわざ植えられたんじゃなくて、風に乗った種が飛んで開花したみたい。かわいいよね(=´ω`=) |
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2014年6月5日(木) ![]() 4月頃、駅前で違和感をまき散らしていた花。我が国にも黄色い花は色々あるけれど、なんだかすごく落ち着かない。どこがどう違うのだろう……なんというのか、回りの風景との調和を拒んでやたらと前へ、前へと出てくる黄色なのだ。 幹にかけられた札には「イペ:ノウゼンカズラ科」とある。調べてみると原産国はブラジルで、アマゾン川流域に広く分布しているとあって妙に納得。 この写真を撮る私の背後を通ったオバちゃん達も口々に「なんだか外国の景色みたいねえ」と話していたし、ヘボピーに「M駅前の黄色い花知ってる?」と聞いたところ、「知ってる知ってる!なんか違和感があるやつでしょ?」と言っていたから思うところはみな同じなようだ。 |
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2014年6月2日(月) 父が亡くなってまだ日が浅い頃、父の本棚を整理していた時のこと。 ヘビースモーカーだったせいでタバコのやにで真っ茶色の本棚にぞうきんをかけていると、布団にうつ伏せになったままタバコを吸っていた父の背中を思い出す。 そんなことを思いながら茶色くこびりついたヤニをふき取っていると、片隅に立てかけられた小さな額が目に入った。 生前、父は何にもまして縄文時代に興味があって、アマチュアながら一生懸命に資料を集めて研究していた。 いろいろな絵を飾って楽しむ人なら「気まぐれ」にすぎないかもしれない。しかし他には美人画しか飾られていない部屋にわざわざ額装したものを置くことは、よほど心ひかれてしたことだろう。 残念なことに、あとからゆっくり見ようと思ったまま忘れているうち、額は妹が間違えて処分してしまった。 どうしようもなくマイナーというわけでもないけれど、けしてメジャーとは呼べない遺物。古代エジプト展でもないと売っていないようなそんなポストカードを、父はどこで手に入れたのだろう。そしてわざわざこれを選んで額に入れたのは、どんな心境からだったのだろう? 今となっては確かめようがない、こういうささいな事柄があとからあとからわき出してきて辛いんだよね……と友人に話したところ、「そうだねえ、お父さんは何を探してたんだろうね」と何気ない返事がかえってきて、はっとさせられた。 生きていた頃はうとましいばかりだった父のことが、今ではひどく懐かしく、もう一度話をしたいだなんて無理なことばかり願ってしまう。私と父は精神的に似ていることに気付いた今、父の思考をトレースことは己自身を知ることであるようにも思えるのだ。 また一方、父が好きだったものを知りたいという動機は別にしても、このところ急に縄文時代への興味がわいてきた。幸いなことにまだ整理してない故人の部屋には、手書きの文字でびっしりと埋め尽くされた縄文研究ノートが山積みされている。 父の筆跡を見ても心が大きく揺らがないくらいの落ち着きを取り戻せたら、おいおいそれらを開こうと思っている。 |