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MAGICAL MYSTERY TOUR ー3−
どの車もまるでパリ・ダカールラリーに参加しているかのようなスピードで、狂ったようにかっ飛ばしている高速道路を過ぎ、やがてナスビ色のおんぼろベンツがくぐったのは、白亜の宮殿へと通じる石造りの門。
黄金色の看板に示される名前は、ザ・メナハウス・オベロイ。かつてエジプト提督のため、狩猟用として供されていた別荘に手を加えたという、カイロ随一の格式あるホテルである。
前庭に停まったお客様の車を認めるやあわてて飛び出してきた車係に、プラスチックの中に小さな花が閉じこめれたキーホルダーの付いたキーを手渡したハーネマンは、古色蒼然たる建築物を見上げながら、「スッゲ!なんかどえらく由緒正しい感じ!」と感動のおももちのクーパーを振り返りもせず、大股でホテルの入り口へと向かったのだった。
「サラームアレイコム。お待ちしておりました、ようこそオベロイへ!」
ゴールドとアンバーが波濤の模様を作る豪華なフロントカウンターのあちら側から、かっちりとしたスーツに身を包んだエジプト美女たちが微笑みを投げかける。 それらをしっかり受け止めて、白い歯を見せながら即座に投げ返すのは英国産のレディキラー。
「ワアレーコムッサラーム!へぇーっ、エジプトの女性は美人揃いなんだね、黒い瞳がミステリア......」
反射的にかつてのよからぬ癖が出て、ぐいっとばかりにカウンターに身を乗り出したはいいものの、背中に突き刺さる連れの凍り付くような視線を感じたクーパーは、シャンと背筋を伸ばすと気まずそうな笑みを浮かべながら、ズボンで冷や汗のにじむ手のひらをぬぐった。
一方、漆黒の髪をシニヨンにまとめた愛らしいフロント係は、宿泊台帳を開いてけげんそう。
不気味極まりないスキンヘッドと端正なマスクの色男、そしてパソコンからアウトプットされた手元の紙を見比べながら、やおら声のトーンを低くした。
「誠に失礼ではございますが......あの......ミスター・ハーネマンでいらっしゃいますよね?」
「はぁ、そうだが。何か問題でも?」
「その......では今日から4日間ご一緒に宿泊の予約を頂いておりますミス・クーパーはどちらに......?」
「はぁあぁあっ?」「“ミス・クーパー”だってえ?!」
二人の“ミスター”からすっとんきょうな声が上がる。
苦り切った表情を浮かべてリュックをごそごそやっていたハーネマンは、すぐに防水加工がされたカーキ色の書類入れを取り出すと、一枚の紙をカウンターに叩きつけた。
「見てみな。俺がおたくのウェブサイト経由でリザーブしたのは、ミスター・ハーネマンとミスター・クーパーの二人で部屋はレギュラーツイン。ほれ、これがメールのコピー!」
フロント係は「予約完了」とプリントされた紙を困った顔でじっと見つめていたが、すぐに気を取り直したようににっこり笑うと、「少々お待ち下さいませ」と奥の部屋へと引っ込んだ。
やがて、ミスター・ハーネマンとミス・クーパーのイライラが極限に達する直前に、幸運にも姿を現した支配人。
「サラームアレイコム。大変長らくお待たせしてしまい誠に申し訳ございません。わたくしが当ホテルの支配人、アフメット・ハワスです。」
中東を舞台にした映画の中で、兵器の密輸商の秘書役あたりで登場して、あっという間に殺されそうなタイプの男は、世界同時株安で全財産を失った投資家もびっくりの悲壮な表情を浮かべながら、揉み手せんばかりの勢いで頭を下げた。
「実を申しますと当方の事務手続き上の問題で......あの、その......誠に申し上げにくい事態が発生しておりまして......」
「申し上げにくい事態?何だそりゃ?」
「オーバーブッキングでスィートルームしか残ってないとか。それもダブルベッドでさ!あははっ!」
「ひゃははは!冗談はやめろよクーパー!んなことありえね......」「いや、それが......正にその『ありえねえ』でございまして......」
今にも膝から崩れ落ちんばかりに動揺して、緊張したときの癖なのだろうか、見事に割れた顎をさっきからしきりに撫でている支配人を前にして、言葉を失った強面の軍人どもは思わず顔を見合わせた。
「うおっ!なんか無駄に広いっ!」
キレると何かとんでもないことをしでかしてくれそうなハーネマンの人相、加えて血も涙もない交渉の甲斐あって、当初宿泊の予定だったレギュラーツインのレベルにまで、料金を引き下げさせたデラックススイートルーム。
とっておきのセレブリティーに供されるべき部屋へと一歩足を踏み入れるなりクーパーは、目の前に広がるエジプト風スペシャルスイートな光景に、少年のような歓声を上げた。
三つある部屋は、七色に輝く螺鈿細工の花を一面に散りばめたついたてと、アラベスク柄の透かし彫りをほどこされたレバノン杉の扉で仕切られ、壁にはツタンカーメンの王墓発掘で歴史に名を残す、ハワード・カーターが画家として生計を立てていた頃に描いた風景画のオリジナル。
そして、子供ならば7、8人は寝られそうなベッドには、古代エジプトのファラオ達が愛したラピスラズリの色のベッドカバーがかけられて、床の深紅のカーペットとのいかにもイスラム圏らしい鮮やかな対比をなしている。
だが、浮かれはしゃいでベッドの海にダイビングするクーパーをよそに、ドイツ男はといえばまだ憤懣やるかたないといった風。
「一難去ってまた一難。まったく何なんだエジプトって国はよ......観光大国なんだから少なくともレバノンやアフガニスタンよりゃちゃんとしてると思いきや、レンタカーといいホテルといい、旅の初めからこの調子じゃあ先が思いやられるぜ......」
などと低い声でブツブツ呟きながら、支配人を震え上がらせて光の速さで準備させたちっぽけな補助ベッドの上に、迷彩柄のリュックを手荒く放り投げる。
そして、「結果的にはラッキーだったじゃん。補助ベッドなんて準備させちゃってこの見栄っぱり!どうせベッドは一つでよかったくせして。なっ?!」とニヤニヤする若造をもの凄い目で睨みつけると、バスルームのシャワーの出方や風呂の栓のコンディションといったあら探し......いや、備品の入念なチェックを始めたのだった。
やがて、一向に色っぽいことを始める気配のない恋人に業を煮やしたクーパーは、はずみを付けてベッドから起きあがると、引き紐から放たれたイングリッシュセッターよろしく部屋中をうろついて、あれやこれやとテリトリーの探索を始めた。
「あ、ウエルカムフルーツだ。リンゴ、バナナ、ブドウ、オレンジ......部屋がゴージャスな割になんか庶民的だよな。なぁミッヒ、ブドウでも食わね?アーンしてやるぜ」
「さっき飯食ったばっかだから要らん。それに寝る前に食うと太る」
「あっそ。じゃ俺、バナナ食おうっと。どうせこれからガンガンにカロリー消費するから別にいいよな。へへへっ」
「アホ。長旅で疲れてんのに冗談はやめてくれ。今夜は部屋チェック終えたら風呂入ってソッコー就寝だ」
「チェッ......マジかよ......なぁミッヒ、このホテルってVIPもご愛用なんだろ?じゃ有名女優とかも泊まったんだろうな。誰が泊まったと思う?グレース・ケリーとかイングリット・バーグマンとかもこの部屋で眠ったのかと思うとなんかグッとくるよなぁ!」
暖房のきいた部屋でバナナをもぐもぐやりながら、ランニング一枚の青年は部屋中を見渡して上機嫌。
「そうそう、禁酒の国でもホテルん中じゃ酒売ってるんだよね。じゃルームサービスでシャンパンでも頼もうよ」
「......あぁぁーっ!うっせえーっ!」 ついにハーネマンが悲鳴を上げた。
「飛行機でもホテルでも、浮かれりゃすぐにシャンパンシャンパンって、このミーハー小僧が!今日んとこはおねんねだってさっきから言ってるだろーがっ!」
だが、怒れる男をよそに相変わらずはしゃいでいた青年、テラスに面した重厚なカーテンの隙間から外を覗いたとたん、ハッと息を呑んだまま固まってしまった。
「なあ......見てみろよ......ミッヒ......ミッヒってば!」
ゼンマイ仕掛けの人形のようにぎごちなく振り返ったクーパーは、一心不乱に冷蔵庫のボトルの数を数えていた男を手招きした。
「あぁん?どうした。暗視ゴーグル付けたミイラでも覗いて............あ......」
驚きに見開かれた四つの目の前に威容を現したのは、クフとケフラー、古代の偉大な王たちに捧げられた巨大な建造物ー四千五百年の時を生き延びて、今この現代の光に照らし出されているギザの大ピラミッド。
まるで紀元前にタイムスリップしたかのような目まいに襲われた二人は、固く口を閉ざしたまま窓の外に広がる信じがたい光景に見入るばかりであった。
やがてクーパーが大きな伸びをしながら言った。
「とうとう来たんだなぁ、はるばるエジプトまで!」
ハーネマンもため息混じりに呟いた。
「ああ......やっと実感が湧いてきたぜ」
顔を見合わせた二人は、ほぼ同時に可笑しくてたまらないという風に吹き出したが、すぐに何とも居心地の悪い沈黙に支配されてしまう。
やがてクーパーは痩ぎすの腰に、ハーネマンは逞しい背中にゆっくりと両手を回すと、長い長い口づけを交わしたのだった。
......コンコンコン......
デラックススイートルームの扉の前までワゴンを押してきたボーイは、いぶかしげに首をひねった。
おかしいなあ、"DO NOT DISTURB"ってドアノブに札はかかったままだけど、確かにこの部屋からのオーダーなんだがなぁ......
そこで息を止めてそっと耳をドアに押しつけてみると、中から微かに聞こえてくるのは男の湿った喘ぎ声。
なんだい、お楽しみの真っ最中かよ。
まだ童貞のボーイの胸には一瞬、朝っぱらからセックスして、高価なワインをルームサービスで持って来させる結構なご身分の客への羨望がよぎるものの、根が真面目な彼は思い直す。
でも、この部屋のイケメン兄さんは結構なチップをくれるし面倒なオーダーもしないしなぁ、料理があったかいうちに持ってって上げなきゃ......
そこで少年は気を取り直したように姿勢を正すと、もう一度控えめにドアをノックする。
......コンコンコン......
するとキャラメル色の坊主頭がのそっ......とドアの向こうに現れた。
「ああ、サンキュ。ご苦労さん。今日もトレイごとドアの外に置いといてくれるかな。すぐに中に入れるから」
ギリシア彫刻を思わせる肉体美の若い欧米人は、腰に巻いたタオルを引き上げながら、褐色の手のひらに何枚かのドル札を握らせた。
にこやかに微笑んで一礼したボーイは思う。料理のサーブでお客の顔色を伺わなくてもいいし、しゃちほこばってワインの栓を抜く必要もない。この部屋にルームサービスを頼まれるのはもう10回目だけど、ホントに楽なお客さんだ!
だが、ポケットにチップを押し込みながら少年は、気前のいい客に引き合わせてくれたアッラーに感謝すると同時に、一抹の疑問も感じていた。
あの部屋からはいっつも男の声しか聞こえないし、出てくるのはあの兄さんばかりだけど、一体あの人と一緒にどんな女が泊まってるんだろう?
「ハァ......ハァ......なぁ......もういい加減自粛しねえか......?」
逞しい腕に抱き締められたまま、肩で息をしている男は言った。
「この丸二日間......部屋から一歩も出ずにカンヅメでやりっ放しって......俺たちゃエジプトくんだりまで一体なにしに来たんだ......?」
一方、このホテルに到着した夜に比べると、心なしか頬がこけたクーパーの声にも元気がない。
「んなこと言ったって......あんな風に欲しがられちゃ、こっちも期待に応えないワケにはいかないだろ......」
「チッ......乗っかる方はいいけどな、俺はもう足腰がガクガクだ......クソッ!ケツが痛くて運転どころじゃねえ......次は運転代わってくれるんだろーな?」
「そうは言うけどさあ、60キロ越えのアンタを持ち上げる俺だって大変なんだぜ。こっちこそ腕が筋肉痛でパンパンだ。あーもうハンドル握るのもキツそうだよ......」
「......ならお前がブレーキとアクセル担当するか?」
「......じゃあミッヒがハンドル握れよな......って、なんか負傷した時の現場脱出シミュレーションみたいだよなぁ......」
「......ケッ、やめとこーぜ......ここで仕事のこと思い出すのは」
「......そだね。とにかくいい加減出かけよう、ピラミッド観光にさ」
なにかと人目を気にせざるを得ないNDFの官舎から解き放たれ、遠く離れたこの場所で、まずは互いの体を心ゆくまで堪能した二人は、乱れ切ったシーツの海から身を起こすとよろめきながら立ちあがった。
<TO
BE CONTINUED>
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いまいちリュクス感を欠く写真だが・・・オベロイのフロントがある本館「パレス・スイート」は右手の建物。
ナスビ色のおんぼろベンツは写真左側あたりに留められたとご想像下さい。
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夜明けにオベロイから臨むギザのピラミッド。
この写真は宿泊料が安い新館から撮影しているが、二人が泊まったのは右手に見える本館ってことで。
エジプトに到着して初めて見たピラミッドが夜のホテルのテラスからじゃ、そりゃムードも盛り上がらざるを得ないわよねぇ!(笑)
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