MAGICAL MYSTERY TOUR ー4−



右腕のハンハルト・タキテレの針は8時3分前を示している。
冥界の湖を思わせる灰緑色の視線が、インパラを狙う若獅子のように全身の筋肉を緊張させている青年に投げかけられた。

「ぼちぼちだぜ。準備はいいか?」
「もちろん!」
男たちは視線を絡めてうなずき合うと、今一度、目標建物を凝視した。

一片の長さ230メートル、建造時の高さ146メートル。
人類史上における最も壮麗な建築物を一目見んと、世界中から観光客が訪れるクフ王のピラミッド。
その内部は一般に公開されてはいるものの、人体から排出される二酸化炭素による損傷から遺跡を可能な限り保護するため、観光客の入場者数は一日300名に制限されている。

毎朝8時に発売開始されるこの入場チケットをゲットすべく、ハーネマンとクーパーは、丸二日間のハードなベッドワークで悲鳴を上げる体にムチを入れ、突入の瞬間を待つ特殊部隊よろしくゲートの前で待機しているのである。

......5,4、3、2、1、ゼロ!

ガラガラガラガラガラ......
砂をかぶったレールの上を、大儀そうな音を立ててゲートが開かれる。
それと同時に、居並ぶ乗用車やバスや人間たちの先陣を切って飛び出した二人の男は、300メーター先のチケット売り場目指して猛然と突進した。

歩兵に求められるもの、それはなにをおいてもまずは強靱な足腰。
たとえゲートからチケット売り場までの足場が悪かろうと急勾配だろうと、兵士という職業を選んでから今日に至るまで、雨の日も風の日も二日酔いでヘドを吐きそうな日も、ただひたすらに走り込んできた彼らにとって、この程度の運動は食後の腹ごなしに過ぎない

チケット売り場までの大したこともない距離を、靴に入る砂を気にしながらドードー鳥のようにえっちらおっちら歩く観光客たちを尻目に、短距離レースよろしくダッシュをかける欧米人。
いくらプラチナチケットとはいえそこまで慌てる必要はないはずなのだが、のんびりやるのは性に合わないとでも言いたげである。

砂煙を蹴立ててあっという間に小さくなる後ろ姿を、若い日本人女性たちが目を丸くして見送っていたが、すぐに呆れたように顔を見合わせるとプッと吹き出した。
「......ププッ!あの外人はしゃぎすぎ!」

だが、そんな現代人の度を超した張り切りぶりは、古代の王のご機嫌を損ねたようである。
チケット売り場まで残り50メーター、クーパーとハーネマンが「楽勝!」「ちょろいもんだぜ!」と一番乗りを確信したその時......
断末魔のメンドリよりもけたたましい制止の声が、まだ冷たいギザの空気を震わせた。

「ストップ!ストッープ!ストーーーップ!!!」

声を限りに叫びながら、顔を恐怖に引きつらせてAKを腰だめに構えているのは、ニキビ面のツーリストポリス。
人に向けてトリガーを引いたことなんぞ無いのだろう。ぶるぶる震える銃口が自分たちに向けられているのを視認した瞬間、NDFの教官たちは反射的に頭から砂の中に突っ伏した。と同時に、四方八方からわらわらと集まってきた同僚たちが廻りを取り囲み、不審きわまりない欧米人の頭に銃を突きつけたのである。




「いやはや、なんと申し上げればよろしいやら......」

見事なヒゲをたくわえたポリスオフィサーが差し出す赤と白の箱から、頭に大きな青あざを作ったハーネマンは、無言のままでマルボロを一本引き抜いた。

今にも腹まわりのボタンがはじけ飛びそうなシャツに、寸足らずの水玉模様のネクタイ、といういでたちの親父は、壁ぎわのソファーに深く腰を掛け、じっと腕組みをしたまま眉間に皺を寄せているクーパーの方を振り返ると、彼にも身振りで煙草を勧めてくる。
だが、青年が不機嫌そうにかぶりを振るのを認めると、多少は話が分かりそうな方に向き直って言葉を続けた。

「ただ、ルクソールや中エジプトはもちろん、今週に入ってからというもの、比較的静かだったこの周辺でもテロまがいの騒動が散発しておりましてな。そこへあんなもの凄い形相で突入してこられますと......」
ドイツ人の薄い唇がくわえた煙草に金ぴかのジッポーで火を付けてやりながら、親父は言い訳がましく肩をすくめてみせる。
「はるばる我が国にいらしてくださった善良な方々を驚かせたことは誠に遺憾ながら、警備を預かる我々としましては、あのようなケースにはあのような対応を取らざるを得なかったこと、是非ともご理解頂きたい」

一方、マルボロの煙を深く吸い込んで、無言のまま何やら思いめぐらしていた男は、煙を吐いて一呼吸置くと、「いや、そういう治安状況だということを知らなかったとはいえ、警戒を喚起するような行動を取ったこちらにも、問題がなかったとは言いきれませんな」などと、無害な観光客らしい人当たりのいい笑顔を浮かべてみせたものだから、クーパーはびっくり仰天した。

「たしかに頭のコブが痛まないと言えば嘘になりますが、今回の件はあわて者同士、フィフティ・フィフティということで水に流しましょう。ですから、この件はもうおしまい、ということで」
そう言いながら、両手を水平に切って、「ハラース」(『おしまい』の身振り)のジェスチャーをして見せるハーネマン。

その身振りを見たとたん、陸に乗り上げたクジラのように太った体から一気に緊張が消えてゆく。
きっと、見るからに口うるさそうなドイツ人に理詰めでまくしたれられた挙げ句、よくて始末書、悪くすれば給与の三ヶ月間2割カット、などという最悪の事態を免れられると分かったからだろう。
「フオッ、フオッ、フオッ、ではこの件は一件落着ですな! 」
とたんに明るい表情を取り戻した親父は、たっぷり豊かな腹をゆすりながら嬉しそうに笑った。

「ただ......これからずっと車で南下されるとのことですが......」と口ひげをいじりながら続ける親父。
「ここからルクソールまで、特に中エジプトは警戒がかなり厳しいですからな。青あざのおわびと言うわけでもありませんが、道中に面倒な足止めを食らわず済むように、事前に各検問所に連絡を入れておきますぞ、ミスター・ハーネマン、ミスター・クーパー」

「それは有り難い!」
ハーネマンも両手を広げておおげさに喜んでみせる。
「残念ながらエジプトには三週間しか滞在できないもので、スムーズに移動できるのは助かりますよ。 これが『終わりよければすべてよし』というやつですね、ご親切、痛み入ります」

「フオッ、フオッ、フオッ!なに、客人は手厚くもてなすのがイスラムの心ですからな。このくらいは簡単なことですわい」
この親父、生来人がいいのだろう。持ち上げられてすっかり気をよくしたようで、さらにどうでもいいことを色々と話しかけてきて、なかなか解放してくれない。

「それにしてもお二方とも、アラビア語がお上手でいらっしゃる。特にミスター・ハーネマンのサウジの上流風な発音には驚きました!ひょっとしてアレですかな、アラビア語の先生かなにかでいらっしゃるのかな?それとも、ビジネスで使うことが多いとか」

それに対してにこやかな笑みを浮かべたまま、しれっと答えるハーネマン。
「いえいえ、とんでもない!ミスター・クーパーは石油プラント専門の商社マンですが、ボクはしがない庭師ですよ」

はぁあ?商社マン?庭師?その顔で?バラもパンジーもびっくりして枯れちまうぜ!
相手にパスポートと宿泊ホテルとのやりとり、飛行機のチケット程度の情報しか見せてないのをいいことに、こいつってば作り話して遊んでやがる!
チャイ屋の小僧が下げた銀の盆から、出前のチャイを受け取りながらクーパーは吹き出すのをこらえるのに必死である。

だが、ふざけられていることにてんで気付かない親父はといえば、さも感心したように腹を揺すった。
「ほぉお!それは驚きだ!ドイツの植木屋さんはアラビア語必須なのでしょうか」
「いえ、実は妻がアラブ系英国人でして・・・・・・」
小さなグラスの底で揺らめいている砂糖のぶ厚い沈殿層を睨みながら、二人の会話に耳を澄ましていた青年は、思わずチャイグラスを取り落としそうになった。

「アラビア語は妻から習ったのです。『上流風の発音』」というのは、きっと妻の実家の影響なんでしょう。世界薔薇コンベンションでアメリカに行った時に、バカンスに来ていた妻とたまたま知り合ったんですがね、よく逆玉とか言われて弱りますよ、はははっ」と、妻の尻に敷かれた善良な一市民、といった曖昧な微笑を浮かべながら続けた。

驚くべき出まかせに目をむいている連れには一瞥もくれないまま、ドイツの庭師は金のジッポーで二本目のマルボロに火を付けさせながら、「ところで、これはあくまで素人の見解なのですが......」とやおら声を低くしてエジプト人を見つめた。

「チケット売り場とゲート周辺の警備について、ささやかな意見を申し上げても失礼にはあたらないでしょうか?」
その途端、さっきまで馬鹿話をしていた時のゆるんだ表情に、鷹のような鋭い目の光が舞い戻る。



「......いやはや、そういう穴には全くもって気付きませんでしたわい」
30分後、テーブルの上に並べられたキャンディーのポリスやボールペンの壁を見つめながら、ツーリストポリスのオフィサーは深い溜息をついていた。
「おっしゃるとおり、人員の配置にしろ装備にしろ、これで警備上の無駄が相当省けますわなあ!」

「まぁ、今申し上げたのはあくまで素人の意見だということをお忘れなく。ただ、もしもお気に召したようでしたら、何かの機会にレポートでも提出なさってみてはいかがでしょう。もちろんオフィサーのお名前で」
「ええ、ええ!喜んでそうさせて頂きますとも!ミスター・ハーネマン」と落ち着きなく口ひげをいじる親父。
「それにしてもこの知識量、とても庭で花をいじっている方だとは思えないのですが......軍を退役なさって今は庭師でいらっしゃるとか?」

ハーネマンはすっかり短くなったマルボロの最後の一口を吸うと、白い陶器の灰皿に吸い殻を押しつけながら、毒を含んだいつもの微笑みを浮かべて立ちあがった。

「ボクがですか?馬鹿な。ボクはただのミリタリーオタクですよ。ひゃはははっ!」



<注>クフ王のピラミッド入場に制限がかかっていること、チケット発売は8時からということは事実なものの、話作り上、売り場までの道筋は現実とは異なっておりますので念のため。
実際には、ゲートを越えてから、「ピラミッドエリアチケット売り場」でチケットを購入、そこからさらに進んで検問を抜け、「クフ王のピラミッドチケット売り場」に到達するシステムで、足場もコンクリートだったか砂だったかぜんぜん覚えてないのですが・・・・・・
まぁあくまでフィクション世界ってことで、かなり急勾配の砂の上を300メーターダッシュするはしゃぎすぎ白人、って感じでご想像ください。

<TO BE CONTINUED>