MAGICAL MYSTERY TOUR ー2−



「うぉおおーっ!キツいぃーっ!もう我慢の限界!」
7時間後、クーパーは今となっては狭く感じるシートの上で、狂おしげに身をよじっていた。

「ヒマでヒマで死にそうだ!なぁミッヒ、暇つぶしにトイレで一発......」
「冗談もほどほどにしねぇとぶっ殺すぞ」と、太股に伸びてきた手を邪険に払いのけたハーネマンは、シートポケットからB4版の雑誌を取りだした。

「ほれ、これでも読んでな。エジプトエアーの機内誌『ホルス』。なになに、『古代エジプト第二中間期から末期王朝における副葬品の変遷』だってよ」
「イヤだー!そんな頭使わなきゃなんない機内誌なんかイヤだー!」
「なら俺のロンリープラネット(旅行ガイドの一種)でも。ちょっとは勉強しといてもいいんじゃないか?これから行く国の歴史」
「イヤだー!歴史にはぜんぜん興味ないんだー!」
「なら寝てろ」
「やだよ、せっかくの旅行なのに、もっとお話とかしてくれよ......なあ、さっきから何読んでんのさ?クスクス笑ったりして......女教師モノのエロ小説?」
「アホが。俺がんなもん読むわきゃねーだろ。よかったら貸してやろうか?これ」
「えっ?いいの?......って、なんだよこりゃ!『ヘッケラー&コッホ株式会社 第○○期決算報告書』って、銃器メーカーの決算報告なんか機内で読むなよっ」
「チッ......面白いのに......まったくうるせえ奴だなあ。そんなにヒマならこれでも飲んでなっ!」

はしゃぎ過ぎの青年を素早く押さえつけたハーネマン、ふところから取り出した小さな白い錠剤を相手の喉の奥に押し込むや、口をふさぎ鼻をつまんでクスリが飲み下されるのをじっと見守った。

「らにのませだんだよ?」と涙目のクーパーは鼻をすすり上げる。
「ハルシオン」と澄まし顔のハーネマン。
「チクショ!ハルシオンだ......なん......て......そんな......ヒデェ......よ......」

あっという間に安らかな寝息を立て始めたクーパーを見おろし、再び株主向けの報告書を開きながらハーネマンは溜息をついた。
「カイロに着いたら起こしてやるから、それまではゆっくりおねんねしてな、ロメオ君」




「はぁあぁーっ!やっと着いた着いたぁーっ!」
イミグレーションのおざなりなチェックを終えたクーパーとハーネマンは、しびれた足を引きずりながら薄暗いカイロ空港の出口へと向かっていた。

「クソッ......頭痛ぇ......」
銀色に輝くスタイリッシュなスーツケースをごろごろ音をさせて引っ張りながら、クーパーはこめかみを押さえている。
「盛り上がってる恋人に睡眠薬を盛るなんて、アンタってばホントに冷血漢だよなあ!」

「なにが恋人だよまったく......」
自分のタクシーに観光客を招き入れようと、我先にと手を伸ばしてくる運転手の波をかき分け、追いすがる男たちを流ちょうなアラビア語で牽制しながらハーネマンはうなった。
「これから先のんびりマルセイユで日光浴ってわけじゃねーんだからな......はぁ?タクシー?要らねえよっ!......機内からあんなにはしゃいでちゃ......いやタクシーは要らん。自分で運転する......勝手が違うこの国じゃあ息切れするぜ」「でも......」「ほれ、さっさと行け。車待たせてんだから」「えっ?もう準備してんの?」

スカイブルーの目を驚いたようにしばたたかせたクーパーを振り返ると、ハーネマンはクールな微笑みを浮かべてみせた。
「ああ、着いてからモタモタ交渉するのは趣味じゃないからな。到着時間に合わせて車、持って来させるよう手配しといたんだ」



やがて空港の外に一歩足を踏み出したとたん、予想を越えて冷たい風にアメリカから着いたばかりのドイツ人とイギリス人は震え上がった。

アフリカ大陸の国だから12月でも暖かいだろうと勝手に想像して、ハワイに行くような薄着でいたのは大間違い。
「なんだこりゃ?クソ寒いじゃねーか!」薄っぺらい官給Tシャツ姿のハーネマンは叫んだ。
「さぶっ!これじゃあっちと変わりないじゃん!」と、アルマーニのポロシャツ一枚のクーパーもぶるぶる震えている。

だが、吹きっさらしの待合いスペースで二人が凍死する前に、天から差し伸べられた救いの手。
「サラームアレイコム!お待ちしておりましたよ、ミスター・ハーネマン、ミスター・クーパー。ウエルカム・トゥ・エジプト!」

野太い声の主はスター・ウォーズに登場するイウォークそっくりの丸っこい体型をした、いかにも人のよさそうなひげ面の中年男であった。
「いやはや、ご連絡頂いていた風貌ドンピシャの方々で!おかげさまで探す手間が省けましたよ。さぁさぁ、お車はこちらの方に停めております」

クーパーはのっしのっしと歩く親父について行きながら、ハーネマンにそっと耳打ちした。
「なぁ、『ドンピシャの風貌』って、一体どんな説明したのさ」
「ああん?」と振り返りもせずにハーネマン。「『目つきサイアクの色白ハゲと金髪ヒゲ坊主がMS○○便で着くから迎車頼む』。こうメールしといただけだ」

(結構わかってるじゃん......自分のこと)
クーパーは思わずそう言いそうになったが、ここで連れの怒りを買いたくなかったので心の中で呟くだけにしておいた。

だが、彼の辛抱の甲斐なく、その5分後にはすでにハーネマンは怒っていた。


「なんだよこの時代モンの車はぁーっ?予約したやつと違うじゃねえか!一体どうなってんだよっ?」
「いや、確かにおとといまではお約束どおりSL600を確保しておったのですが......」
怒れる強面に恐れをなしたイウォーク親父は、チェックのハンカチでせわしなく額の汗をぬぐった。

「それが昨夜、サウジの団体様から急なオーダーが入りまして......けしからんことにあたくしが店を留守にしている間に、副店長が勝手に貸し出してしまったのです......」
「チッ......またしても石油成金どもかよ......どうせ札束で横っつら引っぱたかれたんだろうよ」
いまいましげに舌打ちをしたハーネマン、低い声でなにやらぶつぶつと呪いの言葉を呟いている。

一方、レンタカー屋の親父はクーパーを見つめると、すがるような愛想笑いを浮かべた。
「ご指定のモデルではございませんが、同じベンツということで何とかお許し頂ければ......はい、確かに年式は古うござますが整備は完璧で......いやまったくお国の車は丈夫で長持ちでございますなぁ!......ええ、ええ、もちろんお代は思いっ切り勉強させて頂きますとも!」

アラブの石油成金どもと、欲に目がくらんだ副店長ーオヤジの言葉をそのまま信じるならばーには腹が立つが、こうなってしまった以上は仕方がないし、このままここで寒い思いをするのもうんざりだ。
クーパーとハーネマンはじっと腕組みをしたままま、うかつな親父にオファーされた車をもう一度、まじまじと見つめた。

今ここに駐車されているはずだった、ベンツ最高級のロードスターの代わりにでんと居座っているのは、少なくともクーパーよりは年上であろう旧式ベンツ。

ごつごつと四角く無骨な姿は大昔の車のデザインそのもので、一体こいつはこの埃っぽい国を何十万キロ走ってきたんだろう、と想像してしまうほどに年期が入っている。
ましてやその色たるや、持ち主の趣味を疑われそうな藍色がかったパープルのメタリック塗装.....
より分かりやすく表現するならば、美味しそうに熟れたナスビ色。

おまけに、ユーザーへのちょっとしたサービスのつもりか、それともエジプト的にはこれがイケているのだろうか、フロントの部分にはなぜか真ん中に馬の顔をあしらった蹄鉄がくっついており、かろうじて残っているドイツ車の品格を、野暮ったいアメリカンテイストが完膚無きまでにブチ壊してしている。

こんな悪趣味な車、テキサスかどっかの田舎町の中古車屋に並んでそうだな、とクーパーは思いながら、さっきから車体のあちこちを入念にチェックしている連れの背中を見つめていた。

やがてハーネマン、ズボンのひざについた砂をせわしなくはらいながら立ち上がる。
「まぁ、俺もそこまで分からず屋じゃないからな。ひとまずベンツってことでこいつで我慢してやるよ」
「それはそれは!どうも有り難うございますぅーっ!」と、厳しい尋問からようやく解放された捕虜のように喜ぶイウォーク親父。「では早速あちらのチャイ屋で契約書にサインを......」

そんな親父に、無表情のままのハーネマンは重々しく言ったのだった。
「で、どこまで安くしてくれるんだって?」




「ギャハハハー!鬼だ!アンタ鬼だぁー!」
市内に向かって颯爽と走り出したナスビ色ベンツの助手席で、クーパーは爆笑していた。

「一日に付き100ドルって言ってんのを20ドルにまで負けさせるだなんて、さすがセコミッヒ!」
「ケッ、なにが『セコミッヒ』だ」
ところどころレザーの破れがあるハンドルを握るハーネマンは、エジプト人たちの運転する車を次々に追い越しながら言った。
「あの親父、一秒でも早く俺たちにおさらばしたかったのかもしれんが、20ドルでも高いと思うぜ。まぁ、色が気に入ったから我慢してやったけどな」
(......え?色が気に入ったってなにそれ......)

いつまでたってもミステリアスな恋人の新たな一面を垣間見て、これからの旅路に期待と不安がないまぜになるのを感じるクーパーであった。



<TO BE CONTINUED>