奇人たちの晩餐会(その一)



ことのおこりは氾濫季のなまぬるい風が頬をなでるあの夕暮れ、カルナックの大神官アクナディンが催した晩餐会の席だった。

「偉大なるファラオの統べる豊かなこの国では、地を走る獣、空を飛ぶ鳥、河に泳ぐ魚ですらファラオに恭順を示しているとみえますな」
彫りが深く浅黒い顔をしたヒッタイトの大使は、毛織物のようにあごをぶ厚くおおっているヒゲをしきりになでつけながら言った。「今宵の料理、どれをとっても地上にこれ以上のものはなかろうというほどの見事なものです!」

かつての宿敵の賞賛を受け、お世辞とは分かっていてもアクナディンの年の割に深い皺が刻まれた頬は思わずゆるんでしまう。
「今宵の主賓にそう言っていただけるのは我が心臓にとってなによりの喜びですな、テリピヌ殿」

ヒッタイト人も大広間で宙返りを繰り返している胸をはだけた若い娘たちをちらちら見ながら、じつに朗らかに笑ってみせた。
「まったくこの鴨のローストといい白身魚のソテーといいお世辞抜きで美味くて頬が落ちそうですわい。このような滋味溢れる食材は寒冷な山岳地帯である我が国では得難いものでしょう。まったく大河が年に一度、豊かな恵みを運んでくれる貴国が羨ましい限りですな。ただ・・・」
「・・・ただ・・・とは?」
「私もナイルの水を飲んではや半年になりますが、そろそろ故国の料理が懐かしく思えてきたのですよ」
「・・・ほほぉ」
アクナディンの眉がぴくりと動いた。
だが、眉根をしかめた主催者にはお構いなしに、皮肉な微笑を浮かべた大使は、ふさふさとした顎ひげを撫でつけながらなおも続ける。
「エジプトの料理は我が国のものに比べていまひとつ上品すぎるとでも申しましょうか・・・確かに美味ではあるがなんと言うかこう、冒険心に欠けるというか、進歩が無いというか、上品にすぎるというか・・・少なくとも我々のような戦士向きの料理ではありませんな」
「・・・ほぉ、冒険心に欠ける、とな」
「ええ、まぁそれもこれもエジプト人の女々し・・・いや失敬、おだやかで保守的な国民性ゆえなのでしょうかな。わははははは」

「め、女々しいとなっ・・・?!」
地獄耳では名高いアメンの大神官が、失言と見せかけたヒッタイト人の嫌味を聞き逃すことなぞあろうはずなかろうというもの。アクナディンはひくひくと頬を引きつらせながらも苦しい作り笑いをした。

「それは大きな間違いでございますな、テリピヌ殿。我が国にも野趣と冒険心溢れる先鋭的な料理は、片手には収まらぬほどございますぞ」
「なに?それは初耳!」
さも驚いたように片眉を上げてみせるヒッタイト人。
「ただ、賓客である大使殿の頭を驚きにのけぞらせるのは、荒っぽいアナトリアの民とは違って、なによりも礼節を重んずる我々の期すところではございませんでな。
今までは万人向けのものしかお出ししていなかったにすぎませぬ。もしも大使殿が心臓にガツーンと来るような料理をご希望とあらば、次の晩餐会にはなにをおいてもまずそれらを味わって頂くことにいたしましょう」
「ほほぉ、それは楽しみですな!」
暗褐色のヒゲに覆われたヒッタイト男の顔に意地悪い笑みが浮かんだ。
「なにせエジプトの国境をまたいでからというものご婦人向きの料理続きなのには、正直なところ飽き飽きしておりましたのでなぁ!」
「それでは次の満月の夜ということでいかがですかな?」
「なにをおいても駆けつけてまいりますぞ!」
ヒッタイト人はぐいっと酒杯を干すと呵々大笑した。
「どんな風にガツーンとくるのか楽しみだ。わははは!」
「ガツーンとくるあまり大使殿がのけぞりすぎて腰を痛められた時のために、医師とマッサージ師も控えさせておきますぞ。ははははは!
ささ、テリピヌ殿!もう一杯グッと!われわれのカーのために!」
「アクナディン殿こそ一気にどうぞ!われわれのシェードゥのために!」(※)

豊かなヒゲをたくわえた中年のエジプト人とヒッタイト人は、豪快に笑いながら深緑したスイレン型の酒杯を高らかに掲げるのだった。

※・・・「我々のカーのために」はエジプトの乾杯の挨拶だそうなのですが、それに対するヒッタイトの乾杯の音頭はないかと調べたものの分からなかったので創作しました。
「シェードゥ」とは人間を守護し、神への執り成しをするメソポタミアの守護霊。一般に人は誰でも自分だけの守護霊を持っていると考えられていたそうです。(参考文献/日本オリエント学会編・古代オリエント事典)


次の朝。 王宮の片隅にある小会議室。
エジプトの未来を背負って立つ四人の若手官僚たちは、懸命にあくびを噛み殺していた。

「休日だっていうのに、アクナディン様ったらいったいなにごとなのかしら?」
コールでばっちり縁取られた涼やかな目をクルクルと動かしながら、ハトホルの女神官・アイシスが不満げに唇をとがらせた。
「わたしは朝食中に呼び出されたよ」と眠そうな目をこすっているのは王宮裁判所勤務の法官シャダ。
「あら、あたくしもまだミーちゃんに朝ご飯をやってないのよ。お腹が減ってるでしょうに可哀想だわ!」
「ネコ・・・?・・・ネコはそのくらい辛抱するよ・・・」
ぽつりと呟いたシャダをギッと睨みつけた美しき女神官。そこへたくましい上半身を白布で覆った建設省副長官カリムが助け船を出した。
「それにしてもアクナディン様がこれほど慌てるのも珍しいな」
「なにか悪い予感がします。とてつもなく悪い予感が・・・ひょっ、ひょっとして王になにか・・・?」
警視庁副長官マハードは、方鉛鉱で魔除けの化粧をした顔を不安に曇らせた。
「まさか・・・それなら他の高官も呼ばれているはずだ」
そうは言いつつも重苦しい沈黙に包まれる若者たち。

その時、ギギーッと重い音を立てて大きなレバノン杉の扉を開け放ち、ずかずかと会議室に足を踏み入れたのは白装束の大神官。その背後には宰相シモンの小柄な姿も見える。
「アクナディン様!」
一斉に敬礼する若手をぐるり見回した大神官は、第一声を発しようとすると同時に激しくせき込んだ。
「・・・ゲ、ゲ・・・
ゲホンゲホンゲホンッ!・・・ゲ、ゲ、ゲッ・・・
「・・・ゲ、ゲ、ゲッ?」
「ゲゲゲがどうなさったのですかアクナディン様っ!」
「ゲ、ゲ・・・玄武岩の彫像が倒れて死者が出た?」
「ゲ、ゲ・・・芸は身を助く?」
「ゲ、ゲ・・・原告勝訴?!」
「ゲ・・・激安パピルス屋が閉店投げ売りセール中?」
・・・ゲホンゲホンゲホンッ!ちがうぅっ!・・・ゲホンゲホンっ・・・
やがて大きく息を吸ったアクナディンは地団駄を踏んで叫んだ。
「ゲ、ゲテモノをおおっ!!一刻も早くゲテモノを探して来るのだあっ!」
「ゲテ・・・モノ・・・?」
不審げな表情の部下たちに見つめられながら大神官は言った。
「むかっ腹の立つ生意気なヒッタイト人をギャフンと言わせるために、ぜひともお前達の力を借りたいのだ」
・・・ギャ、ギャフン!?

凍りつく若者たちにはお構いなしにアクナディンはなおも続ける。
「次の満月の夜にヒッタイト大使を招いて晩餐会を主催する。その宵のために冒険心と野趣溢れる、戦士の舌にもガツンとくるような料理を準備せねばならぬのだ。
これはアナトリアの田舎っぺどもと、我らがファラオの統べる上下エジプトの威信をかけた闘争であるっ!」

「・・・ファラオの統べる上下エジプトの威信!」
ぶるっと武者震いをするとピンと背筋を伸ばすマハード。
「ギャフン・・・十年ぶりに聞いたわ」と呟くアイシス。
「・・・『戦士の舌にガツン』とくる料理だって?!」
中空に視線をさまよわせるシャダ。
「・・・・・・」無言のまま神官長の長いヒゲのあたりを見つめるカリム。

アクナディンは一つ咳払いをすると重々しい調子で宣言した。
「本番で供する料理を決定するため、今日より三日の後から毎夜、各自持ち寄った食材を用いて内々の晩餐会を開くこととする。参加者は私とシモン殿、そしてお前たち四人の六人で計六夜。
一夜につき一人一種類のゲテモノ料理を供するのだ。加えて、特別審査員としてファラオもお招きする」
「・・・ファラオを!?」一同は顔を見合わせた。
「求めているのは普通食卓に上がらないような類の食材だ。見た目にはこだわらんが、珍しいだけで食えぬほどまずい物は不可とする。食材は前夜までに出たものとは異なる品を準備すること。当然ながらあとになるほど条件は厳しいから、順番はくじで決めるぞ」
そう言いながら大神官は準備万端整えた六本の棒きれを差し出した。棒の先には一から六までの数字が書いてある。

レディーファーストで一番最初にくじを差し出された女神官は、余裕たっぷりに微笑んだ。
「あら、あたくしが一番だわ」
さすがアイシス、美貌と知性のみならず運にまで恵まれているようである。
「ワシは三番じゃな」と白いヒゲをしごくシモン。
「わたしは五番目だ」とはカリム。
「四番目はわたしです」とマハード。
そして手元の棒の先を見たとたん、がっくり肩をおとしたシャダは言った。

「・・・そしてしめくくりはわたしのようだよ」


うやうやしく皿をかかげた給仕係が続々と広間に入ってくる。かすかな衣ずれの音、鼻腔に流れ込む料理の香り。
そのとたんさっきまで和やかに談笑していた男たちは、いっせいに口を閉ざして穴があくほど皿を凝視した。
薄緑のロータス柱に支えられた豪華な応接室が、ぴんと張りつめた静寂に浸されてゆく。

この場に列席する魔力高き面々は、魔物や精霊ならばうんざりするほど見慣れているしそんなものにはさして動じることもない。
けれども正体不明のゲテモノを己が口に入れねばならぬときては・・・話は別である。
皿の上にはいったいなにが乗っているんだろう?
なにせ今日の担当はあのアイシス、油断はできない。
男たちは内心の動揺を隠そうとしきりに小さな咳払いを繰り返した。

「さあさあ皆様!準備が整ったようですわ」
頭に金の鳥をいただいた女神官は、心をとろかすようなあでやかな微笑みを浮かべながら言った。
「お料理は食べきれないほど用意してございます。どうぞ遠慮なくお召し上がりになってくださいましね!」

皿の上にさも美味しそうに並べられているのは何かの肉。
油で揚げたり蒸したものに果実のソースをかけたりブドウの葉で包んだりとさまざまに調理されて、色とりどりの花を添えられ綺麗に盛りつけられてはいるものの、鳥肉でも獣肉でもない得体のしれない白っぽさに男らは躊躇した。

「ささ、どうぞお召し上がりになって!」
「お、おお!な、なかなかに・・・う、う、美味そうではないか!」
アイシスの鋭い視線に射抜かれたアクナディンは、引きつった笑みを浮かべながらヒゲの奥でもぐもぐ言った。
「ここはまずは主賓のファラオに食して頂かなくては!
ファラオよ、どうぞお先に!」
だがアクナムカノンは鷹揚にかぶりを振ると、「アクナディン、お前こそ先に試してみるがよい」と苦笑するばかり。
「いやいや、わたしは兄上が召し上がってからにいたします」
「ではカリム、この中で一番丈夫そうなお前からいくがよい」
だが王にうながされたカリムも艶やかなおかっぱ頭を激しく左右に振ると、「とんでもございません!
王より先に頂くなどわたくしにそのような不敬なことは・・・」としごく慇懃に辞退した。
がっかり顔のアクナムカノン。ならばとばかりにマハードに向き直った。
「ではお前はどうかな?マハード?」
彫像のように固まったままマハードは息を呑んだ。
「は?わたくしですか?いや、その・・・わ、わたくしめは・・・」

困り果ててもじもじしていたものの、期待たっぷりに自分を見つめる主君のまなざしにこの男が勝てるはずがなかろう。
エジプト随一の優秀なる魔術師にして王の懐刀は、悲壮な表情を浮かべながらも一番無難そうな肉団子におそるおそる手を伸ばすと、思い切って口に放り込んだ。
「ど、どうじゃ?」「何とかいけるかい?」
「どんな味がする?」「いったい何の肉なんだ?」
息詰まるような沈黙の後、矢継ぎ早に質問を発する貴人たち。

観衆の注目を一身に浴びたマハードは、葦を編んだマットの角を見つめながらしばらく無言で咀嚼していたが、やがてごくりと嚥下すると口を開いた。
「何の肉かは分かりかねますが・・・あっさりしていてけっこういけますよ。臭みの少ない鳥の肉に似ていますね」
その言葉を合図のように、安堵のため息をついた男たちは一斉に皿に手を伸ばしたのである。

「なるほど。確かに鳥に似ているな」
「色は薄気味悪いがなかなか美味いもんじゃの」
「だがちょっと泥臭いな」
「うん、そう言われれば泥臭い」
「アイシス、教えてくれよ。これの正体はいったいなんなんだ?」

シャダの問いへの返事の代わりにアイシスがパンパン!と手を叩くと、たくましい上腕二頭筋を盛り上がらせたヌビア人の給仕係が、黒い絵の具で幾何学模様が描かれた素焼きの大皿をうやうやしく捧げ持って入ってきた。

広間の中央に据えられた皿の上にどっかりと据え置かれたのは、今にも花弁を広げんとする巨大なスイレンのつぼみ。
大人の頭三つ分ほどもあるそれは、よく見ると小麦の練り粉をかたどって色粉で彩色したものである。

アイシスはすっくと立ちあがると、優雅極まりないしぐさでアクナムカノンに向かって敬礼した。

「晩餐会第一夜はファラオのご健康とご長寿そして上下エジプトのいっそうの繁栄を祈願して、多産と豊穣と再生の象徴を食材に選んでみました。
さあさあ皆様!いよいよお待ちかね、ナイフ入刀でございまぁす」

アイシスが給仕係に目配せすると、ごくりと唾を呑む男たちの見守る中、黒い筋肉をてらてらと輝かせたヌビア人は大きなナイフを振り上げて、薄紅色した巨大なスイレンにその切っ先をゆっくりとめり込ませた。
そのとたん、中から待ちかねたようにぴょこぴょこ飛び出してきたのは、しっとり湿りけのある小さくひんやりした生き物たち。

男達は声を合わせて叫んだ。
「・・・ほ、ほおーっ!?」
「カ、カエル・・・だった・・・か!」

緑のカエルたちは小麦粉のスイレンから次々飛び出してくると、小机や皿や、貴人達のひざの上でゲコゲコ、ゲコゲコ、じつに楽しげに歌い始めた。

「意外ですねえ。カエルがこんなに淡泊だなんて!」
マハードはひざの上で自分を見上げているカエルを眺めながら、ブドウの葉包みの蒸しカエルを口に放りこんだ。
「うん。これは現場泊まり込みの警備員の弁当に使えるかもしれない」
「ふむ。カエルは放っておいても泥の中からいくらでも湧いてくるから、ナイルの水位が低い年のために養殖しておくといいかもしれんの」と肉の正体を目の当たりにしても、さして驚く様子もないシモン。
「水生の生き物の味が空を飛ぶ鳥に似ているとは意外だな」もちろんカリムも顔色一つ変えてはいない。

だが、一人カエルの唐揚げを手にしたまま唖然として固まったシャダだけは、一気に食欲が減退するのを感じていた。

彼はごくりと唾を飲み込むと、勇気を出して持ち手に巻かれたパピルス紙をそっとめくってみた。
そして、その下でまだら模様の足が小さな水かきを思い切り広げているのを発見した時、神経の細いシャダはもうそれ以上一切れたりとも口にできなくなってしまったのである。

<2につづく>