AND YOUR BIRD CAN SING



雨足が強くなってきたみたいだな。

遠くから散発的に響いてくるM16の銃声を、リズミカルに縁取るのはMG4。
さっきまで訓練場から聞こえていたそれらの射撃音を打ち消すほどの激しさで、窓ガラスを打ちはじめた雨音に、ショルダープレスのバーをプッシュする手を止めた男は耳を澄ました。

ふん、この降り方だと明日はウエット&メッシープレイか。
本来ならば優美な半月を描く眉があるべき無毛の眉間には、無意識に皺が寄る。

悪条件下での演習は、普通科のペーペーにとっては避けて通れない道である。
だが、お偉いさんのようにのんびり高見の見物、というわけにはいかない中間管理職のドリルインストラクターにとって、表面にオイルが虹色の波紋を描く汚泥の中、銃をぶっ放しながら訓練生ども相手に這いずり回るというのは、あまり楽しめる事態ではない。

ハーネマンはうんざりしたように小さな溜息をひとつ付くと、呼吸を整えて再びバーをプッシュしはじめた。

ここはウォートラン併設のトレーニングジム。
オフの日くらいは自室でゆっくり休めばいいようなものだが、軍人とは己の盛り上がった上腕二頭筋と大胸筋に全幅の信頼を置く人種である。
今この時も、体脂肪率が1パーセント上昇しようものなら、大好きなコークを砂糖抜きの紅茶に替えかねない男達で溢れかえったジムは、トレーニングにいそしむ彼らの吐く熱い息で、室内温度が外気より5度は確実に高い。

「ふんがぁあーっ!」「うっしゃーっ!」「ぐがあぁああっ!」
ハーネマンの周囲で、まるで競うかのようにヘヴィなウエイトを上げ下げする兵士たち。
雄牛のように太い首、古代ローマ軍の革製の盾のようにぶあつい胸板。
筋肉自慢の彼らがプロテインやサプリメントを山ほど愛飲していることは言うまでもなく、それどころか何割かはステロイドの常用者でもあるのだろう。

だが、ハーネマンは額に血管を浮き立たせるマッチョ達の苦悶などどこ吹く風。青白い顔に無表情を貼り付けたまま、鼻歌交じりで今日のノルマをこなしていた。
なぜなら、神出鬼没の軽快な攻撃を得意とする彼にとって、大切なのは恐竜のごとくバンプアップした重い筋肉ではなく、スピードと反射神経と、持久力に富むキレのある肉体なのだから。

それにしても雨は一向に止む気配がない。

雨が降ろうと槍が降ろうと演習が休みになることはありえないものの、悪天候下では微妙に内容が変わってくる。
ここはぼちぼち切り上げて、コーヒーでも飲みながら明日の予定を練るとするか。

その時、この上なくゲルマン的な高さと曲線を備えたハーネマンの鼻梁は、どこからともなく漂ってくる不快きわまりない臭気を捕らえ、獲物を見つけたワイマラナー犬のそれのようにひくついた。

「......一体なんだこれ?」

思わず口をついて出たドイツ語のつぶやきに、斜め向かいでせっせとレッグプレスに励んでいた灰色熊そっくりの訓練生が、さも興味ありげな視線を投げかけてくる。
ハーネマンはショルダープレスの手を止めると、キジの匂いを捕捉しようと流れる風に神経を研ぎすませる猟犬そっくりの仕草で、空中に漂う匂いを嗅いでみた。

汗まみれのむくつけき男どもで溢れかえる雨の日のジム。
窓を閉め切られ密閉された空間は、鋭敏な臭覚を誇る調香師が一歩足を踏み入れようものなら、その場で卒倒して救護室行き必至の、濃厚な臭気に満たされている。
けど......とハーネマンは思う。どうもこれはヒトの匂いじゃなさそうだ。

彼はすっくと立ちあがると何気ないふりをしてジムの隅に歩み寄り、林立するマシンの影にこそこそ身を隠す。
そして誰からも見られていないことを確認するや、恐る恐る自分のシャツに鼻を押し当ててみて呟いた。

......なんてこった、犯人は俺じゃないか。



なんの変哲もないオリーブ色の官給シャツ。それは無愛想なデザインゆえに、ゆったりと体の線を隠してくれる。
ブッチョやクーパーは、鍛え上げた肉体をこれでもかと顕示してくれるボディアーマーのシャツがお気に入りなようだが、ハーネマンにとってそんなのはどうでもいい。カッコいいとかお洒落だとか人から見てどうだとか、そういうのは考えるだけでめんどくさい。

だからオリーブ色のこれがボロになると、備品科に申請して新しいやつを取りに行くだけ。
ただ、洗濯は人任せにせず自分でやる、それだけは譲れない点なのではあるが。

それにしても綺麗に洗って乾かして、きちんとしまっていたはずのシャツから漂う、なんだこのケダモノ臭?
イヌじゃない、もちろんネコでもない。イヌネコの匂いならすぐ分かる。
もちろんヒトでもないはずなんだが......

昨晩なにか変なもの食べたっけ......?それとも体質が変わったのか?
体臭がほとんど無いと同輩達に驚かれるハーネマンは、この臭気の源が己のシャツであることに軽いショックを感じつつ、あれやこれやと考えを巡らした。

だが次の瞬間、脳裏に甦ったある光景。




「ほーら、菜っぱでちゅよー、キキちゃんにララちゃん......なっ?さしものお前もカワイイと思うだろ?んー、もう食っちゃいたいくらいラブリー!」
「アンタが食うとか言うとぜんぜん洒落んならんな」

ブルックリンで鳴らしたワルっぷりはどこへやら、目が醒めるほど鮮やかな羽毛に覆われた小鳥たちに、さも愛しそうに話しかけるタトゥー入りのデカブツ。

「もうじきヒナが孵るんだ。そしたら喜びやがれ......お前にも一匹分けてやるぜ」
「は?......オイオイオイ......冗談はやめてくれよ!俺にはトリの世話なんかできっこねえ」
「まぁそう言わずに。そもそも家庭もなし、カノジョも作らねえ。お前の生活にゃ潤いがなさすぎだ。生き物はいいぜぇ、荒んだ心が安らぐ」
「フン......余計なお世話だ。生き物と触れ合いたきゃK9でシェパードでも撫でとくし、そもそも銃の世話だけで精一杯なんだよ、俺は」
「まぁそう言わずに......2週間先にゃきっとお前の気も変わってるさ」



これはアレだ。トリの臭いだ。 クソッ!犯人はあいつか!
ハーネマンはマシンの森から飛び出した。

「どうしたんだろ」
「慌ただしい人だ」
「まぁいつもの事ですから」
ハリケーンもかくや、という勢いでジムから駆け去る教官の後ろ姿を、訓練生達は目を丸くして見送るのだった。



「あらミッヒ......書評に上がってた例の本のことだけど......あらっ?」
エレベーター前で一緒になって、キューバの太陽の如き明るさで話しかけてきたナオミ・ターナーは、ほのかな異臭に気付いて声を潜めた。

「一体どうしちゃったのアナタ?今日はなんだか......トリ臭い。サバンナでダチョウとでもたわむれてきたの?」
「・・・・・・ほっとけ。それよりどっかでブッチョ見なかったか?」
「うーん、さっきまではレクリエーションルームでタイタニック見てたけど......」
「............」

目的階に着いたエレベーターの扉が開くや否や、逃げるように廊下へ飛び出すと、ハーネマンは廊下のどん詰まりにある自室へと急いだ。


<TO BE CONTINUED>