I CALL YOUR NAME



ここは砂漠に隔てられた広大な敷地に広がるNDF施設のその一つ。200名収容の食堂では腹を空かせた訓練生どもの慌ただしい給食風景が、いつものごとく繰り広げられる。

だが一方、地獄の鶏小屋のように騒々しい食堂からガラスを一枚隔てただけのこのテラスには、まるで別世界のようなゆったりとした空気が流れていた。

植え込みのあるテラスのそこかしこに設置された、ナチュラルウッドのテーブルの内の一つにどっしり鎮座しているのは、切り株に似た小麦粉製の大きな固まり。
それをうっとりと見つめているのは、黒髪で片目を隠した怜悧そのものといった風情の女と、絹糸のようなブルネットをポニーテールにしたいかにも活発そうな女。

天国の庭園に咲く花よりもあでやかな美女二人は、いましがた届いたばかりの国際小包から現れた、巨大なバウムクーヘンを前にして胸を躍らせていた。


「オデッサのお母様ってほんっとにお菓子づくりが上手ねえ!」とため息をつくのは、溌剌ブルネットのターナー。
「そうなの、子供がみんな独立してからお菓子にはまってしまって......今では結構な腕前みたいね」とクールな微笑を浮かべるのは黒髪のオデッサ。
「それにしても毎月わざわざ送って下さるなんて、なんだか申し訳ないなあ、私は嬉しいけど」
「いいのよ、これも母の生き甲斐の一つなんだから......さあ、切り分けましょうよ」


「へええ、えらく手間のかかったティータイムだな」
と、その時、頭上から降ってきたしゃがれ声にターナーとオデッサは驚いて振り返った。
「あらミッヒ!」「貴方がここに出てくるなんてお珍しい」

前のめり気味でデザート柄パンツのポケットに両手を突っ込んだスキンヘッド男は、子供でも見るような目つきでフフン、と鼻を鳴らした。
「んなもん50ユーロもかけてDHLで送ってくるんなら、そこらの店で調達した方が早いんじゃないか?」

だが、「あら、ずいぶんなお言葉ね!」「アナタには関係ないでしょ」「私たちのことはほっといて!シッシッ!」と、強気な女たちに噛みつかれた途端、しまった、という表情を浮かべたハーネマン。
いつもならば嫌味の一言二言でさっさと退散するところが、なぜだか今日は野良犬のように邪険に追い払われても、一向に立ち去るそぶりを見せない。

「なんなのよミッヒ、何か用でもあるの?」
けげんそうに首を傾げるターナーに、男はもごもご口ごもった。

「あー、なんつーか......一つ聞いてもいいかな」
「聞くってなにをよ」
所在なげに突っ立ったままの男に椅子を勧めながらターナーは言った。「スリーサイズとか銀行ローン残高とか、アンタはSかMのどっちだ?とかじゃなければぜんぜんオッケーだけど」
「いや......そんなんじゃなくてその......ちょっと煙草、いいか?」

気分を落ち着かせたかったのだろうか、ポケットから砂漠の猟犬が描かれたシェーファーの青い箱を取り出したハーネマンは、火をつけて一口二口吸っただけの煙草を、苛立たしげに灰皿に押しつけるとしばらく押し黙っていたが、 四つの瞳にうながされて渋々口を開いた。

「あー、なんだ、その、言うなれば......」
「そこまで聞きにくいこと?」
「いや、あの......その......バースデープレゼント......あれってどんなものをやるんだ?普通は」
「バースデー!?」
「プレゼント!?」

兵器マニアで孤独が好きで、気むずかし屋で癇癪持ちの、ウォートランきっての変わり者の口から飛び出した、ニキビ面したティーンエイジャーばりの質問に、目を白黒させたターナーとオデッサは、声を合わせて繰り返した。
「バースデー!!」「プレゼント!!」

一方、女たちのかもしだす不審げな空気を敏感に察知したのだろう、すっかりうろたえた男は、聞かれてもいないことをあわてふためいてまくしたてた。

「いや、その......なんつーか俺......実はある人間のバースデーを二回連続でスルーしちまって......いや、二回目は忘れてたわけじゃないんだけどな、ガキじゃあるまいしそんなもん別に俺が祝わなくてもいいだろと思ってたもんで.....でも、去年もおととしもなんかえらくガックリさせたみたいで、こりゃひょっとすると悪いことしたんかなと......だから今回ばかりは失地回復しときたいんだ」

「まぁ、二回も!ありえない」
さも驚いたという風に片眉を上げながら、オデッサが追い打ちをかけた。「その方もさぞショックだったことでしょうね」
「ぐうっ......確かに酷いかもな」と柄にもなく素直に己の非を認めたハーネマン。

「......けどな、プレゼントだなんていざ選ぶとなると一体何がいいのか、正直言って俺にゃ今のトレンドってもんがさっぱり分かんねえ」と薄い唇からため息が漏れる。
「だからなんていうかその......ちょっとしたアドバイスでも貰えないかなと思ってさ......あんた方、少なくともブッチョや曹長よりはそういうのに詳しいだろ?」

「え、ええ。ま、まあね。まあ順当な人選だとは思うけど...... 」
予想だにしなかった展開に、さしものターナーもちょっと口ごもった。
「で、その人のバースデーはいつ?」
「.......あした......」
「あらま!ギリギリじゃない。で、ミッヒあなた、今までの人生でどんなものを贈ってたのよ」
「まさか実弾のおまけ付きのグロッグやゾーリンゲンのトレンチナイフ、ってことはないでしょうね」
「......いや、それが......ガキの頃にバアさんに花かなんかをやったのが最後だったから......」
「まぁあ......!」
「おばあさまに......」

そのとたん、なぜだか母性愛がムクムクと頭をもたげた女たち。それと同時に、目の前の悩める子羊を助けてやりたいという、おせっかいスイッチもオンになった模様である。
よし、ここは私たちが何とかしてあげなくちゃ!


「了解。私たちが最高のプレゼントを選んであげるから任せていいわよ。......で、祝うべき相手の情報は?」
いつもの無表情はどこへやら、満面を溢れる好奇心に輝かせたオデッサが、グイッとばかりに身を乗り出してきた。
「男性なのか女性なのか、若いのか年寄りか、恋人か単なる友人か、年齢や趣味はどうなのか、データがなければ的確なアドバイスはできないわ」

......と、ハーネマンは途端に口を濁らせる。
彼は眉間に皺を寄せてじっと灰皿の吸い殻をにらんでいたが、やがて唇を固く結んだまま椅子から立ち上がると、まるで何事もなかったようにその場を立ち去ろうとした。

「ちょっとお!待ちなさいよっ!」
「都合が悪くなると逃げるだなんて軍人として最低ね」
オリーブ・ドラブのTシャツを、猛禽のかぎ爪のようにガッチリ捕らえた白く長い指。「ちょ、やめろ!引っぱるな!やめろ!やめてくれ!シャツが伸びる!」


渋々ながら足を留めた男を、二人の美女は懸命になだめすかした。
雪花石膏の彫像のような横顔を覗き込んだターナーは、不機嫌なドーベルマンに対する訓練士の辛抱強さと、赤子を見つめる慈母の優しさをもって微笑みかける。

「そもそも、アナタから相談ごとを持ちかけられたこと自体が、すでにサプライズなんですからね、相手がチアガールだろうとモナコ王妃だろうとターザンだろうと、今さら驚きゃしないわよ。だから隠さずにぜんぶ聞かせて欲しいの、ねっ?」

「それに、私たちも機密情報取扱許可を持ってることだし、秘密の保全についてはご心配なく」と、オデッサも鷲を思わせる金目を挑戦的に光らせた。
「それとも今度のバースデーもスルーして、またしても相手を傷つけたいのかしら」
冷徹に的を射た一撃にハーネマン、グウッと息を呑んだきり無言になってしまったのだった。



「さあ、それでは順次伺っていくことにしましょう」
相手と向かい合う形で腰を下ろすと、事務的な口調でターナーは言った。その口元には人当たりのいい笑みが浮かんでいるものの、マリンブルーの瞳の底には、米陸軍尋問学校で専門教育を受けた尋問官にふさわしい、なんともいえず不気味な迫力が潜んでいる。

「あ、リラックスしていいから。さて、まずはそのラッキーな人とアナタとの関係は?家族?お友達?それとも恋人?少なくとも相当に大事な人なんだとは推測できるけど」

警戒心たっぷりの表情を浮かべつつ、必死であたりさわりのない言葉を探していたらしい相手は、やがて不自然なほど慎重に口を開いた。
「......強いて言うなら親しい友人」

その回答に、ターナーとオデッサのシックスセンスが一気に花開いた。

二人はポーカーフェイスを崩さないよう、必死で奥歯を噛みしめながら考える。
匂う、プンプン匂う。この警戒っぷり、ただごとじゃない。この様子からすると、問題の相手は単なる「友人」以上の存在に違いない!

「なるほど、『親しい友人』ね。ふむふむ、了解」
好奇心のハリケーンが暴れ回る心の中を気取られぬよう、限りない平静を装いながらターナーは言った。
「それから年齢なんだけど、今度のバースデーでいくつ?」
「ね、年齢?とし?あー、ちょっと自信ないんだが......その、確か......24才だったかと......ははっ......ひゃははっ......」
言い訳がましい笑顔を浮かべようとしたらしいが、その企ては見事に失敗している。

「あらまぁーっ!そんなに年下なのっ?うっわー!意外っ!」
一方、プロの尋問官はどこへやら、 ふたつめの情報を引き出した時点ですでに歓喜の叫びをあげてしまったターナーの、後をオデッサが冷静に引き継いだ。
「......コホン......ではタイプ的にはインテリオタク系?それともアウトドア肉体派?」
「まぁ......アウトドア派かな」
「じゃ趣味はスポーツなのかしら」
「あ、ああ......スケボーやスキーがどうとか言ってたような気がする」
「ふぅーん、アナタのお友達にしてはずいぶん普通っぽいコなのね。で、お仕事は?」

その瞬間、一気に強ばったハーネマンの表情。

「はぁあ?なんだよ、そこまで言わなきゃならんのか?ケッ、アホくさ。やっぱもうヤメだヤメ。じゃ俺はこれで失敬。悪かったな、貴重な時間をとらせて。あとはどうぞバウムクーヘンを楽しんでくれ......ちょ.....ちょ、やめろ!離せ!引っぱるなって!伸びる!シャツが伸びちまう!」

腹を立てて椅子から腰を浮かせたはいいものの、またしてもアメリカハクトウワシとヨーロッパオオワシの鋭いかぎ爪でシャツを掴まれ、ドスンと椅子に引き戻された。

「で、職種は?」
相手の困惑などどこ吹く風、オデッサがなおも畳みかける。
「敵を知るにはまず詳細なデータの集積、このくらい貴方もプロならお分かりかと」
「......くっ......あー、政府系機関。これでいいだろっ!」
「駄目、そんな曖昧な答えじゃお話にならないわ」
「警官、官僚、役所の戸籍係、税務署員、郵便局員......政府系にも色々あるでしょう?」

駄々っ子をなだめすかすようなターナーの言葉に、男は半分やけっぱちでつぶやいた。
「......クソッ...................同業者だよっ!」

「......えっ?!」
「同業者?」
予想もしなかった展開に、ぽかんと口を開いたままの女たち。
今や好奇心はレッドゾーンに突入した。

「ね、ねえ......ひょっとしてわらし......いや私たちも知ってる人?」
ターナーの舌はもつれている。
だが、相手はいつもにも増して青白い顔で、固く唇を結んだまま。
「ウ、ウォートランの......ひ、人なの?」
さしものオデッサも狼狽気味だが、ハーネマンはなおも無言。

「配属は?音楽科?通信科?それとも衛生科かしら?」
「あっ、ひょっとしてナースのキャサリン?」
「......そんなブッチョに締め殺されそうな真似はしねぇよ」
「ねえミッヒお願い」
ターナーは懇願した。「ここまで来たんだからもったいぶらずに教えてよ。絶対外には漏らさないから!」
オデッサも身を乗り出した。 「せめて配属と階級と国籍だけでも!」
「チッ......そこまで言っちゃ丸バレじゃねーか......」

だが、耳元で砲弾が爆発しようとも顔色一つ変えないオデッサの瞳はいまや、ショーウインドウのウエディングドレスを見つめる小娘のようにキラキラ輝いている。
その瞳に気おされた男は舌打ちをしつつも、とうとう司祭の前の無力な罪人の如く告悔に走ってしまうのだった。

「......配属は......機甲科......」
「機甲科......って......?機甲科には女いないじゃん!!」
「ちょっとナオミ、そこはひとまず置いといて......で、階級は?プライベート?サージャント?それともジェネラル?」
「......いや、コーポラル」
「へええ、コーポラル!......じゃあ出身は?」矢継ぎ早に質問を発する女たち。
「ヨーロッパ」 ふてくされたように強面男。
「それじゃ分からないじゃない!具体的な国名は?」

「..................イギリス」
ハーネマンはいまいましげに吐き捨てた。

「ええーっ!?」
「イギリスですってえ?!」
「イギリス出身で」
「年齢24才で......」
「機甲科配属で......」
「コーポラルの......」
「スポーツマンで趣味はスケボーとスキー、となると......」

次の瞬間、両手を広げて天を仰いだターナーと、コーヒーカップをひっくり返して中身をテーブルにぶちまけたことにすら気付かないオデッサは、深いため息と一緒によく知った名前を吐き出した。

「なによそれ......仲、サイアクなんだと思ってた......」
「私たちの目はとんだ節穴だったってわけね」
「........................」

ゴーゴンの犠牲者のように石化したままの男女の頭上では、愛らしい小鳥たちがエニシダの枝から枝に飛び移りながら、さも楽しげにピチュピチュさえずっていた。



<TO BE CONTINUED>