カゲさん回顧録



私が、ウォートラン(以下WT)を語るには先ずワールドコンバット(以下ワーコン)から語る必要があるでしょう
私とワーコンの出会いは、今のホームでもあるHey(廣瀬エンターティメントヤート)の隅っこにあったんですよ
長物ライフルのガンシューって非常に少ないから、見た瞬間に一目惚れしましたね
自分自身はその頃は全くの無名プレイヤーでしたからね〜

その当時ワーコンを常連でやっていたのはHeyでは1人(私ではありません)でしたので
私も1プレイヤーに過ぎなかった
ってか、骸骨軍団強過ぎって思いましたね〜
だって、攻撃ヘリ(ヒューイコブラのタイプ)と軽量攻撃ヘリは出るわ、VTOL機に爆撃機。航空戦力だけでこんだけ…
地上だと、装甲車に戦車、更には地対空ミサイル迄出る始末
挙句の果てには最終ボスのアレでしょう
「オマエら何者やねん!」って思いながら必死にやっていましたね〜

で、WTの稼働日は実にマヌケで「ワーコン何処〜」って探していましたよ〜(最初の10分ぐらい)
この時のHeyのワーコンの筐体はSDだったんですよ
WTになったらDX新筐体になっていたから違いの区別が認識し難い状況だったんですよね〜
でも、人だかりが出来ている箇所があって、そこを見ていたら
銃が4つあるんですよ…多分コレだな〜と思いつつも軽っく無視しました♪
でも、折角秋葉に来たのに何もやらないで帰るのもなんだったので1回だけやりました…当然フルボッコされました
でも、面白いとも思っていましたよ

で、カードを購入しても、暫くはフルボッコ状態でしたね〜(少なくても1週間ぐらいは)
その当時のHeyの状況ではとてもではないが連コできる状態では無かったので別の場所を探していたら
アメヤ横丁の中にあるゲーセン(上野ボルテックス)に旧SD筐体を見つけたので
とにかく連コして1回クリア(2500円位掛かったかな)それで、今のネームを作ったんですよ
で、このままでは全然お話にならないので
情報をかき集めて某巨大掲示板も一応見るようにしたんですよ

後に、某巨大掲示板で名前の由来は晒されたのだが、元々はバーチャファイターで影丸使いから由来しています
もう一つのサブカ、アカカゲカードを作成した時は更に+αとして横山光輝の仮面の忍者赤影を+αしておきました
名前の由来に付いては実は某巨大掲示板で晒された通りです

この時に話題だったのはフルオートの取得方法でしたね〜
私もフルオートは協力プレーで頂きましたよ〜
因みに、この時に初めて武器の変更を教えて貰いました
実は、自分も武器の変更の仕方を知らなかった一員です
と、いうのもワーコンの仕様そのものだと思っていたので
次の1枚しか無いものと思っていましたよ
だから、RPGを取ってしまったらサブマシンガンは使えないものかと思っていました


秋葉の1プレイヤー


ある程度の武器が揃った段階から初めてクリア重視スタイルになってきましたね〜
その時でも、まだ5クレぐらいはコンテしていたので
勲章でもあったノーコンテを目指しましたね
やられた所を重点的に覚えながらやっていましたね〜
但し、ワーコンと違って当り弾がランダムなので何処で注意が必要なのかを覚えていきながらプレーしていましたね〜
それで序々にコンテ数を減らしてノーコンを取りましたね〜
で、その時のスコアが大体50万くらいその頃は「モウダメダ」って言う方がTOPでしたね〜
丁度Heyのプレイヤーでもあったんですけどその方のプレーも参考にしながらやっていましたね

丁度この頃ランキングが開放されましたね
まあ大体の記録を保存する為と、自分自身がどれぐらいなのかを知る為に当時の記録は大体保存するようにしました
まあ、コレを書いている最中も当時の記録と引っ張りながら書いているんですけどね(´・ω・`)
記録そのものはコンマイのHP上の更新に合わせてコピペしたものです(ランキング)

その時のプレイヤーでは
北海道のアヤ大将、岡山のダーツ大将、東京ではモウダメダ大将
この3人が中心でしたね〜
確かゾンビどんも三重の大将だったような気がする

話を自分の話に戻しましょう
稼動してから1ヶ月ぐらいは、何とかクリア出来る程度で
ステージのポイントを覚えている最中でしたね〜
大体3月の中旬ぐらいには少将になっていたかな
と、同時に点数に重点を置きだしたのも勲章集めが終了してからでしたね〜

コンボを意識し出したものの、10コンボ繋がればマシな方でした
ましてや100コンボなんて全然夢のまた夢って感じでしたね
せいぜい、5面で100コンボ出たらスゲーって自分自身で言っていたし…
但し、3面は死体撃ちは確かにありましたが、私はあんましやらなかったですね〜
5面も地面撃ちはまだ知られていなくて私もそれ以外の所で稼いでいましたね〜
なるべく繋げるように意識しだしたのも大体この頃からですね〜

2004/03下旬頃からモウダメダさんががやらなくなったのは
と、同時に抜いたのもこの頃だね〜
この頃から大体自分のコンボ数の把握が困難になってきたので
レシートのチラ裏でメモをして帰ってからメモを打ち込んで、
何処まで出来たかを示す指標を作成し始めたのもこのぐらいの時期からですね〜
で、自分のMAXのコンボ数と点数を追加して、少し後になってからデフォルト時間を追加して
自分の限界値の戦いで見比べをしていましたね

2004/04から4ヶ月は激動していましたね〜
勢力図的にも北海道、岡山、香港、関東でも、東京、神奈川
東京のみだと、新宿、王子、秋葉(蚊帳の外)
で割れていましたね〜
自分が筐体ランキングに食い込んだのも大体4月中旬ぐらいからですね

但し、稼動してから1ヶ月半で筐体ランキングに食い込んでいたから
まあ、認知はされていたんでしょうね〜
少なくても2004/04の段階で秋葉で上手なプレイヤーとしての認識があったらしい…
本人はそんな事は全然思っていませんでしたけど…


2004/05


イベントの配信
まあ、某巨大掲示板の話題もこれでもちきりでしたね〜
自分自身としては、まあ、協力プレイがしたいのであれば
ギャラリーがあんだけいるんだから何とかなるだろうぐらいしか思っていませんでしたよ
ちゅうか、この頃既に秋葉のWTプレイヤーとしては有名だったらしく
人が人を呼ぶ状態でしたね〜(この状態は1年以上続きました)

只、個人的にはもう少し練習出来る環境が欲しかったですね〜
少なくてもHeyでは出来る状態ではありませんでしたね
元々この為にサブカを作成したのですがコレがとんでもない事になるとは本人も気が付きませんでした

2004/05下旬


中部侵食?
WTでイベントが開催された為その練習用にサブカを作成したのは前述の通りで、
流石にHeyで作成するのはチト気が引けたので
その頃丁度近くにS@YがオープンしたてでWTを発見したのでそこでサブカを作成しようとしたんですよ

で、サブカのネームを悩んでいるのも何だったので同じカゲシリーズでのネームにしたんです
(もっと、別のネームにすれば良かったと今は後悔)
で、武器取得の為とスコアタの練習でうっかり新潟の上位に食い込んでしまったんですよね(全ての発端はコレ)
翌日のスコアを見たらビックリ、東京ではなく新潟所属になっていたんですよ
WTの画面を見て更に絶望しましたよ
東京にあるのにも関わらず新潟になっているんですもの
慌ててコンマイに連絡して修正をしてもらおうとしたのですが時、既に遅し、
某巨大掲示板に流れてしまって炎上してしまった

まあ、結局はキチンとS@Yにしてもらいましたけどね
故意でやった訳ではないんですよね〜
こうゆう事件があったので他の地方に対して何もしないのは、
このような理由の為なんですよ

もう少し付け加えれば、1日だけ兵庫に変わりましたね

まあ、その前から秋葉では有名だったので大して変わらんが、
より箔を付けてしまった感がありありっすね〜
自分自身は大して変わらん認識でしたけどね
でも、この頃がHeyで一番酷い配置だった…ギターとドラムが丁度真横にあったなあ…

この頃ですね今の元帥に会ったのは
どうも元帥曰く怖かったらしい…や、丁度機嫌が悪い時だったんだ…うん
元帥曰く秋葉でやっているカゲって人はどんな人なんだろう?と、興味があったらしい

当時は元帥はちょくちょく色んな所へ行って動いていましたね〜
私自身は当時からあんまし動いていないのでそれはそれで凄いな〜っと関心します
もっと、言えば、ホームを変更するつもりが無かった。とも言いますね
只、先にも申した通りこの時のHeyの状態があまりにも酷かったので
本気でホームを変更しようかと思いましたね〜
この時期は、東京のWT巡りをしていました
まあ、もっとも探している最中に配置変更をして照準も直してくれたから、事なきを得たんですけど…

日本で唯一?乱入禁止


WTは皆さんもご存じの通り4人迄プレイ出来る筐体ですよね
しかし、スコアラーにとっては邪魔以外の何者でもない
しかも、揃いも揃って断りも無しに乱入するんですよね〜(カード無しが殆どでしたね〜)

少なくとも、声を掛けてくれれば事は穏便に済まされるですよ
ちゅうか、丁重にお断りさせて頂きますので…
でも、黙って乱入して、味方捕虜を撃ったり、味方タンクを破壊したり、更に勝手にやられて帰っていく
客観的に見ると邪魔以外の何者でもないこの行為に悩まされていました

どっちかと言えば土日よりも、平日の夜が多かった
しかも、こっちはステージの途中で乱入してくるもんだから集中も出来ないし、話す事もままならない
そ・こ・で、乱入禁止の意思表示をすればよいと考えた訳で、Heyの従業員さんにPOPを作って頂きました

更に、2週間が経過してある程度はこちらの被害が抑えられたのですが…
今度は、外国人の方々の乱入が頻発しました…
HAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA!乱入
ゴスッ、ゴスッ、ゴスッ!やられる
HAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA!立ち去る
もう、ホントにこんな感じでしたよ〜(俺、涙目)
まあ、観光地の秋葉ならでは…と、言うところでしょうか

そ・こ・で、乱入禁止POPに改良を加えました。英語表記を追加
まあ、これのお陰で乱入してくるのは本当に空気の読めない方のみになりましたね
最も、土日になるとギャラ専(ギャラリー専門)が20人近くいる状態が当たり前で、
乱入してくる人なんて殆どありませんでしたけどね


ギャラ専(ギャラリー専門)


イマイチ理解し難いと、思いますが、アーケードではよくある事なんです
これの、目的は2つあって、純粋に見物しているのと、順番を待っているのがあります
上手な方のプレイは見てみたいのは私も同じですので否定はしませんけどね
と、いうより、東京であった事と、秋葉プレーヤーであったのと、ココに行けばこの人のプレーを見られる
固定的な相乗効果があったみたいですね〜

私自身はホームは変更しない主義なので、他のプレイヤーは時間とかの表示の時に私の名前が出ていたみたいだし…
それと、Heyがいつの間にか聖地扱いされていたらしい
私、自身は聖地と言うより単なるホームだったんですけど…
でも、他人に見られながらプレーするのは結構神経を使うんですよ
案外適当には出来ないもんです…

まあ、Heyにおいては稼動初期からこのような状態だったから大して変わっていないと言えば、変わっていない
平日でも大体5、6人はいましたね〜
某、巨大掲示板でも度々Heyの名前ががっていましたね
そういった意味では私自身はそんなに晒された方ではないのかな?
でも、逆に羨ましいと、いうのもあったらしいですね〜
地方のプレイヤーからすればそのうちの一つが見れるのであれば、そうなるのかな〜

それと以外と守られていたのは、プレイヤーとギャラ専との距離感は守られていたな〜(大体1mぐらい)
実際は限界ギリギリの距離感なんですよね
ちゅうのも、針の穴を通すような事をしているので、触れただけでズレてしまうんですよ
しかも、集中力と、神経を使うから尚の事腹立たしくなってくるんですよ
だから、私も一度だけ言った事がありますよ
「見るのは構わないから真後ろでガン見しないでくれ」ってってか、怖いねん、真後ろでガン見されると…


2004/07、2007/08


1プレイヤーから世界最強の少将へ

この時はまだランキングの上位陣の対象者は絞られてきたけど
まだ乱立していました
昨日は大丈夫だったが、今日は抜かれたとかは日常茶飯事でした

ほぼ確定的だったのは神奈川のアクションをはじめとする神奈川勢
栃木のウルキ
ナックル、アイス、カゲの東京勢
それと香港勢ぐらいだったし

大体、ランキングの変動は激しくても、個人としての対象は絞られていましたね〜

この頃はまあ、自分自身も色々な意味で限界を感じていた時期でもありましたね〜
いい意味で刺激し合えた時期でもありますね〜
自分が知らない事を他人から教わって、自分が知っている事を他人に教えたり
只、今も昔も変わらないのが空気を読めない人は相変わらずいましたけど…

それらを全て含めてこの頃が一番いい時期だったと思います
ちゅうか、他の人がHeyに来るんですよ
まあ、それらを色々と見て自分で改良したりしていましたね〜

世界最強の少将の称号を得たのは正確には2004/09/06のランキング時(世界ランキング9位))
純粋に嬉しいと、と言われるとその通りですし…う〜ん、どちらかと言えば「やっと」って感じですね
実質的にも、腕もまだまだ追いついていないのは自分でもよく解っていたし
まだ、頑張れるとも思っていましたね
この直後ぐらいですね1千万プレイヤーになったのも
この2つがあって初めて世界最強の少将と言えるのかな?
でも、周りの視線は尊敬よりもキモイ方にベクトルが向いていたような気がする…
(まあ、実際は判別出来ませんけどね)

この頃になると、ギャラ専の方々も動きはありました
即ち、捕虜と、5面と、砂漠の最後の所はギャラ専もある程度いなくなるんですよ
但し、8面だけはいっぱいいましたけどね
実は、砂漠のコンボ繋ぎは元々見せる為のプレーで考案されたのが発端だったんですよ
(それと自分が休憩する為)

まあ、ある程度認知されてしまってからは別の意味で大変でしたね
自分的にはそんなつもりは無くても世界5強の5の人のプレイが秋葉
に行けば見れるとあってギャラリーは凄かったですね〜
WTだけでギャラリーが20人近く居た時もあった

ちゅうか、その回りでゲームをする事が出来ないくらいだったんですよ
だから、Heyの従業員はWTの配置については結構気を使っていたんじゃあないかな〜
もっとも、Heyの名前がより有名になったんだから店側もある程度は嬉しい悲鳴だったのではないかな

その頃になると、従業員にも流石に覚えられてしまったので
あ〜だ、こ〜だって言うようになったのもこの頃でしたね〜
と、言うのも元々照準は若干上気味で設定をしていたんですけど
配置変更による悪影響をモロ蒙っていたんですよね〜
例えば、バーチャコップ3とか、ハウスオブザデッドとかが真横にあって非常にやり辛い時期でしたね〜
更にWTのセンサーは繊細かつ脆弱なので照準が跳びまくっていた時期でしたね〜

一番酷かったのはギターフリークの隣に置かれた時…
ベカベカ光って、やり難いを通り越して無理!(一応全部覚えていれば不可能では無いけど…)
ってか、見えない…そんな時でしたね元帥に出合ったのは
この時は、WTのギャラリーと、ギターのギャラリーで一触即発状態だったのは秘密なんですけどね
まあ、直ぐ変更が入ったから良かったんですけど…

そう言えばこの頃だな〜、他の店舗のWTを検索して東京23区のWTをプレイしまくったのは…
でも、結論は変わらず、Heyよりメンテの良い店はタイステの新宿のWTだけだったね〜
実は、王子が落ちたのもガンコンの故障がそもそもの原因だった
今も、昔も他の店の照準設定が滅茶苦茶なのは変わらないんですけど…

<2に続く>