我々は言った
『私はけして貴方から離れません
私の手は貴方の手の中に
私の歩みは貴方と共に
私はあなたと共にあります
すべての魅力的な場所で』
(ハリス・パピルス500)
皆様こんにちは。
前世はホルエムヘブ王の犬舎監督官、ミキでございます。
さて、本日のお題といたしましては、復帰第一段にふさわしいネタとして「古代エジプトのホモセクシュアリティー」を取り上げてみたいと思います。
古代エジプトの美術や神話や歴代ファラオの業績などへの興味を遙かに凌駕して、我らの知識欲を燃え立たせる「同性愛問題」。
古代ギリシアでは崇高な愛として奨励された愛のかたち(厳密に言えばギリシアで奨励されたのは“少年愛”か?)。
しかし反対にキリスト教社会では忌むべきものであった同性愛・・・ 同性愛に耽る背徳の街として、ソドムとゴモラは天から降り注ぐ火で滅ぼされてしまいましたね。好きにさせとけと言いたくなりますが、神はホモが嫌いだったから仕方ありません。この街の名前から「同性愛」を指す「ソドミー」という言葉ができたというのは、皆様ご存じのはず。
しかし我々が取り扱う時代はキリスト生誕からさかのぼること約1300年前。
そんな昔の古代エジプト新王国において同性愛は存在したのでしょうか?
・・・・・・・・・・答えはイエスです。
何故?何故ってそこに尻があるから。
<エジプト学における下ネタ資料>
「そこに尻があるから」とブチ上げたはいいが、正直なところ少なくとも一般書レベルでは、同性愛関連の資料は余り見つけることができませんでした。 色々とあさってはみたのですが、エジプト学者にとって下ネタ関係はできれば触れたくない問題と見えて、男女のセックス関係についてですら余り記述が見あたらないのです。
第一、若い娘とうすらハゲのおやじ(一説には売春婦とアメン神殿の神官とされる)によるアクロバティックな体位を描いたその筋では有名なトリノ・パピルスでさえ、ずっと博物館から門外不出だったものが近世になってやっとその姿を現したというのですから・・・エジプト学者は聖人君子?それとも学問の世界ではどこまで行ってもイロモノなんか?シモ関係の研究は。
ただ、「セックス関係の資料が少ない」というのは、ひとつには古代エジプト文明の特殊性にも関係があると思われます。
なぜなら偏執狂的なまでに彫りまくり塗りまくり書きまくった古代エジプト人の記録活動は、そのほとんどが神とファラオに捧げられたもの・・・ホモの性について一体誰が書きましょうか。そんなもんアメン神殿の柱に彫ったら即打ち首の上ナイルに流されますね。
たしかにデル・エル・メディーナの職人村などからは、親子間の書簡や奥様の忘備録や職人が仕事を休んだ言い訳を書き付けたものなど、まこと庶民的な記録がそれなりに発見されていますが、文字が書けたり、オストラコン(絵や文字を書いた陶片)にエロ画を書くようなゆとりのある人間はそんなに多くなかったようです。
ましてやその人物がむさい男同士の性交を見たいゲイや腐女子(おらんて)である確率なんて・・そんなのまさに盲亀浮木です。
加えてエロ関係の考古学的資料が少ない理由ではないか?と私が睨んでいる理由がもう一つ。
ナポレオンのエジプト遠征以来、ヨーロッパでブームとなった古代エジプト文明。
その頃から19世紀あたりまでは、今から思えば超ド級の価値有る資料(含む下ネタ)がごろごろしていたと思うのですが、当時はエジプト考古庁もあってなきに等しきもの。
後生の人間にとっては悲しいかな、もう持ち出し放題、散逸するがままです。
そしてそういった「現地人から二束三文で買い取った」考古学的資料は、特にその題材がエロ関係という「おじいちゃんが孫に胸を張って見せられない」ネタを扱っている場合、蒐集家の戸棚の奥深くに隠されてそのまま・・・というケースも多いのではないかと睨んでいるんですがどうでしょうか。
ただいくら資料が少ないとはいえ、数千年を越えても人間は人間、エロに対する興味は万人が持ち合わせていたはず。
「沢山の子供を持つことを美徳とした」古代エジプト人の価値観ゆえに、生殖に関わらない同性愛は数的には現在より少ないであろうとはいえ、同性にしか魅力を感じない者もきっといたはず・・・と思いたいのですが。同人女としては。
前置きが長くなりましたが、本題です。
現在手元にある少ない資料を用いてではございますが、古代エジプトのホモセクシュアリティーについて、少しだけですがご紹介したいと思います。
<物語における同性愛>
☆セトとホルスのラブゲームV
私は神話方面にはあんまり興味がないんですが、ホルスはオシリスとイシスの息子、セトはオシリスの兄弟、ということ程度は「遊戯王エジプト学派」として知っています。皆さんもご存じですよね?
するとセトはホルスの叔父にあたります。言うまでもなく「叔父」とは男性です。
でもこの叔父さんがまた甥っ子を誘惑する困った叔父さんだったら・・・
母イシスの助けによって現世の王に即位したホルス。
どうしてもこの即位に我慢できないセトは甥っ子を誘惑する。
「さあ来なさい、私の家でよい時を過ごしましょう!」
甥っ子答えて 「私もそうしましょう、そうしましょう」・・・軽いやっちゃ!
その後・・・
「・・・そこで夕方になると、ベッドが彼らのために広げられ、二人は一緒に寝た。
それから夜になってセトは彼のペニスを硬くし、ホルスの両膝の間にそれを押し込んだ。
しかしホルスは彼の両膝の間に自分の両手を置き、セトの精液をつかんだ」
精液まみれになった手を洗いもせず、イシスの元に帰って母に手を見せるホルス
「私の母イシスよ!セトが私に何をしたかをご覧なさい!」 「ぎゃーーーーっ!!!!!?」
息子の汚れた手を見て絶叫し、ナイフを取り出すや否やホルスの手をばっさり切り落としてしまう母。激しい女だ・・・(その後新しい手を生やしてやるんですが・・・)
さて。翌朝のこと。
イシスは壺に入れた息子の精液を抱えて、セトの庭園を訪れます。 そしてセトがいつも食べるレタス(※)の上にホルスの精液を注いで、ほいよっ!レタスのザーメンのっけ盛り一丁上がりっ!エンガチョ〜!!!
現代でも通じそうなディープインパクトな嫌がらせ、もしくは変態プレイだ・・・
だが何も知らないセトは、白い液まみれのレタスを美味い美味いとむさぼり食い、妊娠してしまうのであった。
※エジプトで食べられていたレタスは茎が太く折ると白い汁が流れ出てくるため、精力増強剤や媚薬として食されたそうだ。ここらダイレクトだなぁ〜!古代エジプト人の想像力(笑)
この「セトの妊娠」という箇所から、セトは実は両性具有の神ではないか?とも言われるのですが、ひとまずここでは「セトは男性、よってこの神話は同性愛の存在した証拠」とする説に肩入れしたいと思います。
☆シセネ将軍に夜這いするネフェルカラ王
こちらは両性具有疑惑のセトよりも、さらに疑いの余地ないお話。
スキャンダルの主、ネフェルカラ王は、ペピ二世の名での方が通りがいい99歳まで生きたファラオ。
この物語の書かれたパピルスは25王朝のものですが、原型は新王国時代のタブレットにも残っているそうです。
王宮の召使いテティがある夜、王が一人で外出するのを目撃する。
「ファラオは一体どこに行かれるのだろう?」
興味津々でこっそり後をつけるテティ。彼は立ち止まって独り言を言う。
「まさにその通りだ。彼らが『ファラオは夜になると外出する』と言っているのは本当のようだ」
なおも追跡を続けると、ファラオは将軍シセネの家の前で立ち止まり、煉瓦を一つ投げて足を踏みならす。
するとそれを合図に梯子(?)がおりてきて、将軍の家の中に消えてゆくファラオ・・・
3時間して「将軍を相手に欲することをしたのち」ファラオは王宮へ戻る。
次の日からも同じ事が七夜繰り返され、王宮スキャンダルは皆の知るところになったのであった・・・
ギャハハハ〜!3時間?・・・5発?(笑)
<図像のなかの同性愛>
これについては、明らかな男性同士の性交渉場面を描いたものは発見されていないようです。
その点ギリシア美術なんか、イチモツを誇らしげに屹立させた男同士がガンガンやりまくってる壺とか皿とかが豊富で、まことにうらやましい限りだ・・・エジプト人はシャイだったのねきっと(笑)
ただ、ファラオと父である神の男性同士が口づけせんばかりに顔を寄せ合い、腰や肩を抱き合って、神と息子の愛、というにはちょっとくっつすきすぎよアンタたち!ひょっとしてこれは同性愛表現だったのでは・・・と勘ぐりたくなるようなものもちらほら見られると、ルース・アンテルム女史はその著作“SACRED
SEXUALITY IN ANCIENT EGYPT"の中で書いておられます。
また、サッカラにある第5王朝の私人墓ー「二人の友達の墓」と呼ばれるーに刻まれたレリーフには、ニアンククヌムとクヌムホテップの二人の友人がむつまじく肩を抱き合って見つめ合う姿が残されております。互いの腰布の帯までつなぎ合わせちゃったりして、もう愛がビンビンすぎて私はこの墓に入るといつもお腹が痛くなってきます・・・こちらについては別ページを設けておりますのでどうぞ→☆
<道徳面から見た同性愛>
教訓文学として最も有名な「プタハホテプの教訓」中、
汝、少年と臥所を共にするなかれ
禁じられたることは彼の心臓の内にて種となり
腹中にあることを沈めるのは不可能となる
彼が禁じられたことをして夜を過ごすことがないように
そしてその欲望を抑え平静となるようにすべし
・・・とあることろを見ると、道徳的観点から同性愛はどうもあまり歓迎すべき愛の形ではなかったようです・・・
<刑法から見た同性愛>
厳しい刑罰の対象となったのは、レイプと姦通。 物語中でも浮気した妻は焼き殺されて灰をナイルにまかれ、間男はワニに水の中に引きずり込まれてそのまんま・・・など激しいものがあります。
逆に成人の同性同士が双方の合意の上で暴力を伴わず性交渉を持つ場合、法的には何ら罰則対象にはならなかったようです。
これは未婚の男女同士や売淫についても同様だったと考えられているそうです。 しかしむしろ未婚のカップルにとっては、法廷よりもご近所の目が怖かったに違いありません・・・オレ、もうおムコに行けない。
<宗教面から見た同性愛>
これは明らかに問題あったみたいですね。
・・・というのは、ペル・エム・フルの書ー「日の下に現れるために呪文集」、いわゆる「死者の書」中の一文。
ワニや蛇から逃げ、船で川を渡り、門番の嫌がらせをしのぎ、やっとオシリスの法廷までたどり着いた死者は、天国で楽しい生活を送るために最後の関門、42の神の前でマアトの羽と自分の心臓を乗せたカリムの天秤(違)を目の前に「罪の否定告白」をする、という関門をくぐらなきゃならないんですが、その42の告白の中にですね、
栄えあれ、御身、住家より来たれる、後ろ向きの神よ 我は不潔な行為や男色を犯せしことなし
と述べられているのですから。
ただ、この「罪の否定告白」なのですが、「我は何人とも争論せしことなし」とか「我は何人をも脅かせしことなし」から、果ては「何人をも悲しませしことなし」「怒りに駆られしことなし」などと、普通に生きてても無理じゃろ・・・というような否定までしなくてはならなかったようですので、「同性愛者である罪」が宗教的にどの程度の罪深さとされたのかは今となっては霞の彼方です・・・
さて、ここまで長々と述べてきましたが、残された数少ない資料から乱暴にかつ腐女子としてご都合主義的に推測するに、古代エジプトでは、同性愛は奨励するものではなかったけれども、やりたい奴は仕方ないなぁ、勝手にやってろ、という程度のライトな扱いだったのでは・・・と感じました。
だって性的な面以外でも古代エジプトって良く言えばおおらか、悪く言えばすごくアバウトだなあ、って思うことが多いですから。まぁそれゆえに古代エジプト文明が好きなんですけれども。
ただ、古代エジプト人は家族を非常に大切にし、大家族であることを良しとする人々だったようですから、生殖しない同性同士のカップルの場合、罰則の対象ではないとはいえ社会的には今よりずっと肩身が狭いものであったのかもしれません。
それでも同性を愛する、という辛い選択をするしかなかった人々。
なぜってそこに尻が・・・いや、そこに愛があるから。
<参考文献>
エジプトの死者の書(石上玄一郎)人文書院 オリエント世界(屋形禎亮)岩波書店
SEXUAL LIFE IN ANCIENT EGYPT (LISE MANNICHE)
SACRED SEXUALITY IN ANCIENT EGYPT (RUTH SCHUMANN ANTELME)
THE LITERATURE IN ANCIENT EGYPT (WILLIAM SIMPSON)
LAW IN ANCIENT EGYPT(RUSS VERSTEEG)
古代オリエント集(杉勇、屋形禎亮)筑摩書房
古代エジプトの物語(矢島文夫)社会思想社
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