吉村作治先生がある本の中で書いておられた。
「古代エジプト文明の魅力は“極大の美”と“極小の美”が混在する点である」と。

「極大の美」であるカルナックやアブシンベルの大神殿と並んで、初めてのエジプト旅行のもう一つの大きな目的は、「極小の美」である精緻を極めた工芸品を所蔵するこの「カイロ博物館」を訪れることだった。


30万点とも言われる古代エジプトの遺物を擁し、まともに見ていると数ヶ月は要するというこのエジプト芸術の聖地は、その日も世界中からやってきた観光客でイモの子を洗うよう。その混みっぷりになんかデジャヴがあるなぁと思ったら、それは阪神大震災の直後の銭湯の混み具合なのだとハタと気付いた・・・

そしてその聖地に一歩足を踏み入れた第一印象はといえば・・・
「もうちょっと片づけて頂戴!(怒)」

ーと、ガンプラを部屋中に散らかすガンダムマニアの妻の気分。博物館と言うよりは「理科実験室」の趣で、そのテキトーさが実にエジプト的と言うべきか何というか。

日本の博物館ならば警備員が物々しく付き添っているような素晴らしき黄金の遺物が、やっと間を通れる位のスペースにみっちりと並んでおり、ガラスケースの中の小さな工芸品もただ棚に雑然と並べてあるだけ。おまけに一つ一つの展示品にも説明の札などほとんど付いていないときては、こりゃガイド無しではキツイなぁ。

そんなカオスに身を投じた我々のグループに与えられた時間はわずか2時間。それも内一時間以上は団体行動で、好きなもん見られる自由時間は45分・・・

私はその自由時間の短さを知った瞬間、鑑賞は次回に持ち越すことにして、土産物を求めてミュージアムショップにきびすを返していた・・・


とはいえ、添乗員付の一時間強で、取りあえずミイラ室やツタンカーメンの王墓からの発掘品はざっと見て回ることが出来たよん。

問答無用で輝くツタンカーメンの黄金のマスク。実物は目が痛くなるほどにピカピカのキラキラ。思わず本物なのかと疑ってしまうくらいの黄金の量。

イモの子を洗うような館内において、ツタンカーメン室はミイラ室と並んでの一番人気。初詣の参道並みの混み具合だった。

人々は「スゲェ!」「ワンダフル!」「ハラショー!」「チョク・ギュゼル!」などとそれぞれの国の言葉で感嘆している。人種は違えどピカピカしたものが好きなのは人間のサガだ。

私が本当に見たかったのはオタク的事情により武具や生活用品だったのだが、やはり黄金の工芸品も捨てがたい。とりわけ、幼稚園のころから本で飽かず眺めた「ツタンカーメンの黄金の椅子」と「アヌビス像」の実物に対面した時には、数十年を経てやっと会えたね、とちょっぴりウルルン。

幼稚園時代からのあこがれ・犬の姿をしたミイラ作りの神アヌビス。幼少の頃この像を見なければで長じてショードッグの世界に足を踏み入れずに済んだものを・・・ある意味私の人生を狂わせた像だ。


そして別料金のミイラ室。乾いた王者をジロジロ見るのはイマイチ失礼な気がして余り気が進まなかったのだが、運が悪いとミイラ室は閉まっていることもあるということで、どうせだから・・・といっちょ入ってきた。

実物のミイラは想像よりもずっとビューティホー。さすがファラオのミイラ。ミイラ職人さん、いい仕事してますね〜!そこには気持ち悪いとかこわいとかいった印象はなく、ただその安らかな様子に胸打たれるばかり。

萌えハンターの皆様には、なにをおいてもセティ一世のミイラにご対面頂きたい。乾いてなお品格あふれる美形ぶりに「入ってよかったミイラ室!」と感動の渦に巻き込まれることだろう。
誰に聞いても「現存するミイラ中最も美しい」と太鼓判を押されるだけあって、セティ一世のミイラは数少ない
「萌えあるミイラ」である。

ツタンカーメンの王墓から発掘されたアラバスターのカノポス壺。ミイラ作りの過程で取り出された肝臓・肺・腸・胃をそれぞれこの壺の中に入れて埋葬した。

この右の人物がなんだかアイシス(またはイシス)に似てるような。

いずれにせよあっという間に終わってしまったカイロ美術館鑑賞。どうにも不完全燃焼だった私は、次の日の午前中、ほんの少しだけ空いていた時間を利用してタクシーぶっ飛ばし聖地を再び訪れたのだった。どこにあっても四六時中バタバタするのは運命か・・・ (2)へ続く

ツタンカーメンの王墓の入り口を守っていた番人の像。(もしくはツタンカーメンのカー像)

ファラオの死後からカーターとカーナボン卿が初めて王墓を発掘するその時まで、扉の左右に二体配置された彼らは三千年以上王の棺を守り続けていたのである。この像は向かって左に配置されていたもの。右の像よりも彼の顔立ちの方が繊細で、私はこっちのカレの方が好きよ。