2019年8月31日(土)

久々の二日酔いで死亡寸前。昨夜はオリエンタルホテルで会社の暑気払いが開催されたのだが、「プレミアム飲み放題コース」にスパークリングワインやサングリアも含まれていたせいで、貧乏根性暴発で飲み過ぎた。酒は過ぎると毒でしかないよね……。しんどすぎてクラゲになりそうだけど、胸のムカムカを沈めるために駅前に立ち食いそば食べ行ってくる……。

後ろ足が痛くてヨタヨタとしか歩けないのに、ちっちの時にはまだ片足を上げられるスーパーじぃじ。
我が家では足を上げるのを「男ちっち」、上げないのを「女ちっち」と呼び、男ちっちを元気のバロメーターにしているのだ。

地震などで人間が帰宅困難になった時、水だけは飲めるようにと洗面器に水をたっぷり張った「じしんみず」を置いている。
マヤは災害時でもないのに台所に置いている食器の水より「じしんみず」の方が好きなようで、
この小さな階段をぽーんと上がって水を飲みに行く。私は「ぽーん」するマヤの後ろ姿が大好きだ。
だがもっと足が弱くなればこの階段も上がれなくなるんだなあ……とすこし寂しくもある。

風の匂いを嗅がせてやりたくて、涼しい日にはベランダにベッドを出す。
お尻の毛をそよそよと揺らしながら眠る姿を眺めていると、小さな生き物の慎ましさに胸がいっぱいになる。

ヘボピーねえちゃんに運ばれて上機嫌。

2019年8月28日(水)

夢の備忘録。
一匹のカメがいる。間もなく命の火が消えようとしているするカメだ。そこへ体を引きずりながら近づいてきたのは息も絶え絶えのウサギ。死に瀕した二匹の生き物。
やがてカメはウサギをくわえると、背中に乗せて歩き出した。向かうのは静寂に包まれた深い沼。
みるみるうちに体から力が失われてゆくウサギを乗せたまま、カメは重たい水をかきわけてしばらくの間泳いでいたが、やがて水の底に沈んでいった。

それから長い時が経ち、カメとウサギの骨を見つけた人間たち。重なり合い絡み合った二体を見つめている。
どうして捕食者と被捕食者でもないカメとウサギがこんな風に一緒に死んでいるのだろう。二匹は友情で離れがたく結ばれていたのだろうか?

不思議そうな人々の話し声を聞いている私の耳に、もう一人の声が聞こえてきた。いや、「声」ではなく、思念が直接胸の奥に響いてくる感覚。

彼らはあれこれ推測しているが、お前が見た通り、二匹は死ぬ直前まで何の関わりもないただの通りすがりだった。
外から眺めればあらゆる生命はほんのささいな現象にすぎない。水底に浮かび立つ微少な泡ほどのものでもない。長い時間を通してみれば、お前も他の者たちもいてもいなくても同じに等しいのだよ、と。

今日はカナの誕生日だったからこんな夢を見たのだろうか。「声」の語った意味ははっきりしているようでいて、探るべき意味がもう一段奥に隠されているような気がしてたまらない。ひとまず備忘録として書き付けておく。

2019年8月26日(月)

自分の為に敷き詰められたおしっこシーツの海でたゆたうワンチャン。

消費量がバカにならない一枚20円のおしっこシーツは、
今ではヘボピーが会社から大量にもらってくる新聞紙に取って代わられた。
犬も人も足の裏がインクで薄汚れるけど、そんなこと言ってられる場合じゃねえ!

加齢に伴い食欲がた落ちのマヤ。若い頃には「趣味:ゴミ箱漁り」だった犬も年には勝てないらしい。
体重だけは減らさないように!との獣医の指示を受け、あらゆるプレミアムドライフードを試したものの、
1,2回食べただけで速やかにイヤイヤ期に入り、仕方がないからドライ4割、肉6割という体に悪い配合になっていた。

だが、先日手に取った手作り食の本で紹介されていた「犬おじや」と試したところ、食べる食べる!
美味しくてたまらない風にハグハグいいながらガツガツ食べる。ごはんにクズ野菜を入れて煮ただけなのに!

1キロ5千円のプレミアムフードより大根めしの方を好むとは、彼の前世はニッポンの犬だったのかもしれない。

さて、以上の写真をもう一度ご覧頂いた上で、私が「今一番欲しいもの」を当てて欲しい。
──そう、私の欲しいものは「カメラ性能の高いスマホ」である。現在使用しているのはシャープの安いモデル。まあ生まれて初めて買った「カメラ性能が低すぎて、人を写すとどれも坂本龍馬の肖像写真みたいになる」中華スマホに比べれば100倍性能がいいとはいえ、人間とは贅沢なものである。廉価モデルだけあってピント合わせが遅く、ちょっと光量が少なくなるとボケボケになるのがストレスになってきた。

ツイッターを見ると「これ、一眼レフ?」と思うほどシャープで目なんかキラキラの美麗な愛犬写真をアップしている人が多くて、地団駄踏むほど羨ましい。そこでスマホ回線の契約すらまだしていないというのに、取りあえず端末だけ欲しくてヤマダ電気に走った。ターゲットはデュアルカメラ搭載のiPhone Xなんたらだ。

だがせっかくペイペイの残高チャージして臨んだというのに、iPhone Xなんたらの64GBは在庫ゼロ。256GBも指紋が目立ちすぎるゴールドしか残っていない。「いつ入荷しますか?」と問うても「わかりません」のつれない返事。

このままでは目がキラキラしたマヤの写真を撮りたくて、シャープかソニーのフラッグシップ機を買ってしまいそうである。そもそもiPhoneってそんなにいいものだろうか?「綺麗なマヤ」を撮るためには、私はどのスマホを買うべきなのか?詳しい人がいれば教えて欲しい。

2019年8月17日(土)

我が社のお盆休みは15・16日の2日間オンリー。9連休の人々を妬みつつ、ガラ空きでもちっとも嬉しくない通勤電車に揺られて13・14日とフルタイムで働いた。

それでも通常よりもたくさん休みを頂けるのは有り難い。おかげさまで「ミッドナイトパンティング大会 produced by MAYA」が開幕しても、「チクショー今夜も2時開演かよ!こういうもんは昼にやれよ!……まっ、明日は休みだし付き合ってやるかあ!」と心のゆとりをもって犬に接することができた。これが普通の土日休みならこうはいかないからね。4連休万歳。

マヤのパンティング(犬がハァハァいうことね)はなぜか夜の12時半前後にスタートする。肺の異常や体の痛みが原因ならば終日パンティングするはずだが、我が家は12時から5時。人間の就寝時間を狙い打ち。
夜通しフィーバーして体力を消耗するのだろう、日中は死んだようにグースカ寝ているくせして、シンデレラの馬車がカボチャに戻る時間になると、やおらハァハァやり始める。11時にはやらない。12時過ぎにやる。こういう局面で真面目に働く犬の体内時計が憎い。

全身を揺らしてパンティングする姿はいかにも苦しそうだしそもそもうるさい。見ていられないし寝てられない。老犬介護をしている方から「お腹の上に乗せて揺らしてやると眠るよ」と教えていただいて試したものの、11キロは重くてこちらが死ぬ。
夜中の3時にあやしたり気分転換にベランダに連れて出たり、わきにアイスノンをはさんでやったりしてもハァハァが止まらない場合は最終手段──シリンジに入った安定剤を投与する。

安定剤を飲ませるとあっという間に大きないびきをかいて眠りに落ちるマヤ。でもそのいびきは何とも不自然で、「安定剤は腎臓に悪いし、投与を続けると効かなくなって、どんどん強い薬になる」という獣医さんの言葉を思い出す。それに一本700円というお値段も負担でないと言うとウソになるよね。

かような種々の理由が相まって、連続投与を避けている安定剤。翌朝の仕事に支障が出そうだと判断した時にのみ伝家の宝刀を振り下ろす。
ぶぉーぶぉーと不自然ないびきをかいて眠るマヤの上下する腹を眺めながら、頼む!3時間は寝てくれ!と祈りつつ布団にもぐり込む老犬介護の一幕である。

眠らされたマヤ。はじめは4時間効いていた薬だが、今では2時間半でハッハッ再開。泣けてくる。

パンティング大会がスタートする前、平和な夜の10時頃。
ヨタヨタ近寄ってくるといきなり親しげに、私の足に前足を置いた。
そんなことはしたことがないからイヤな予感がした。お別れを言いに来たの?お前突然死んじゃうの?
でも予感は大ハズレ。今日も元気にシンデラタイムの睡眠を邪魔してくれている。

数年前はテーブルに登ってイタズラするくらい元気だったんですよ!

悪さを見とがめられてむっちゃドキドキしている。

2019年8月14日(水)

世間一般では「お盆休み」と呼ばれるシーズンと聞くが、こちとら普通に出社である(怒) 銀行員でもない、市役所職員でもない、旅館の女将でもない。よくあるしがない貿易屋のサラリーマンなのだが、社長曰く「日本は休みでも海外はそうじゃないから」から出社らしい。なら海外がクリスマス休暇で一ヶ月休みの時は、仲良く一緒に休ませてくれYO!

どうでもいいけど、先日少し離れた場所で私を待っていたヘボピーが、近寄ってきて言った。「ちゃあちゃ、日本人に見えへんわ!」──そう、今年は腕カバーをするのがめんどくさくて腕むき出し、帽子なしで外回りしていたところ、ポーラのホワイトショットが焼け石に水レベルで日焼けしてしまったのだ。

「インド人のハーフと言ったら信じてもらえるかな」と言ったら「クォーターならいけると思う」とのお答え。改めて己を見ると確かに黒い。顔立ちも濃い目なので何というかこう……ルー大柴的な「異国人」感にあふれている。

腕カバー大事、長袖大事!年々えげつなくなる太陽光線をナメたのが間違いだった。しかし後悔はフロントにスタンディングせず。(ルー語もどき)「実はおじいさんがエジプト人なの」と30年前にバー勤めをしていた時の冗談を久々に繰り出してみようかと思う今日この頃である。

バングラデシュにて。濃ゆい現地の人たちに負けるもんか!と「ボクが考えた派手な人」のファッションをしたところ、
タイガーよりも「日本人観光客」が物珍しくて、別の意味で人目を引いた。

2019年8月11日(土)

昨年5月のフォルダを整理していると、悪い子の写真が出てきたよ。この頃はまだ足が丈夫で「マメタンク」と呼ばれてたよね。いや、今でもふすまのすきまに体を突っ込んで「バ──ン!」とすごい音をさせて開けるスーパーじぃじだけどね。

取り込んだばかりのお布団を発見。クライミング開始!

ガレ場は一歩一歩確実に、浮き石を踏まないように注意が必要だ!

なぜ、布団に登るのか。そこに布団があるからだ。
Why did you want to climb Mount Futon?──Because it's there.(byジョージ・マヤリー)

2019年8月10日(金)

カナの死後、霊能者に尋ねたいことがあり二度も東京に行った話や、生きることとと死ぬことについて延々と考えた、そして思い至ったことを8月7日の命日という区切りに文章にまとめるつもりだった。

しかし困ったことに手術してから視界の歪みが大きくなっている。左目だけで直線を見ると、まるで線が酔っぱらって踊っているみたいにぐにゃぐにゃだ。
そんな状態だから「左目と右目の画像を統合する」ことに脳のメモリが奪われているのだろうか。長い文章を書こうとすると頭が混乱して耐えられない。だからこれからも備忘録的に短文をぼつぼつアップする形にさせて頂きたいと思っている。

下の日記もただ重苦しいばかりで見てくださる方に申し訳ないなあとは思うけれど、今の偽らざる心境だから自分への記録として残しておくことにした。商品の入れ替えの少ない片田舎の雑貨屋みたいなサイトを覗いて下さる皆様には、いつも感謝をするばかり。どうも有り難うございます。

マヤちゃんは「あれ」に似ている。

シュガーバターをはさんだ「あれ」に似ている。

このパン、見たことありますか?お店によって丸かったり細長かったりするけれど、
びろんと広がった端っこの感じとかマヤちゃんそのもの!

 ミキばあさんは犬に魔法をかけてパンにして食っちまうらしいぜ!(´・ω・`)

2019年8月7日(水)

末妹のカナが熱中症で他界してから5年が過ぎた。
古いアパートの急な階段を3階まで上がり、ドアの前に立った瞬間にふわっと鼻先に漂った腐った豚肉の匂い(その前日に冷蔵庫にしまい込んでいた豚肉を「まだ食べられるかな」とゆでてみたら凄い匂いになったせいでたまたまそれを知っていた。偶然に過ぎないとも暗示的とも捉えられる)。部屋に一歩足を踏み入れた瞬間に目に飛び込んできた真っ黒な背中。救急車を呼べばまだなんとかなるだろうか?!と混乱しながら見た崩れ始めた指先に、もう全てが遅いと分かった時の天地がひっくり返るような驚愕と、その次に襲ってきた絶望感。
それらは5年経った今でも心に深く刻まれおり、これから先どんな年月に洗われようとも消え去ることはないだろう。

カナの生と死の意味、人が存在することの意味を考えて考え抜いた5年間だったが、こうして振り返ると何も変わっていないようだ。少しづつ前に進んでいる、癒されつつあると思うこともあるけれど、ぐるぐると同じ場所を歩いているにすぎない気もする。

ほろほろと崩れそうな指先が目に飛び込んできた瞬間からずっと、長い夢の中にいるようだ。
この夢から目覚めると、カナは暑い暑いと言いながら古びたアパートの一室に座っている。そして私は玄関のドアを元気よく開け、「カナあんた!こんな暑いとこにおったら死ぬで!はやく着替えなさい。ごはん食べ行こ!」とハッパをかける日常が続いている気がしてたまらない。

2019年8月5日(月)

先日マヤが突然立てなくなった。本当に突然のことだった。手を添えて立たせてもすぐに尻餅をついてしまう。自分の体の変化に犬もたまげたのだろう。立ち上がらせると狂ったように円を描いてぐるぐる回ろうとしては、バタンと倒れて力の入らない後足を引きずって這いずり回る。

ああ!ああ!ついにこの日が来た!パニックを起こしてぜいぜいいうマヤを前にして頭をかきむしりたくなった。「寝たきり」コースは老犬が高確率で辿る道とは分かっているが、そうならないで欲しいと祈って目を逸らしていた。だが、とうとう一つ上の要介護段階に到達してしまったのだ。

私もヘボピーもフルタイムで働いているから、日中のマヤはひとりで留守番。この状態で寝たきりになっても、おむつ交換や床ずれ予防の体位変換といったケアをしてやれない。介護のために仕事を辞められないなら、人を雇うか会社の隣のペット可のマンション(ワンルーム月額8万円!)を借りるしかないだろう。まずは明日からどうすればいいのか?不安でその夜はまんじりともできなかった。

だが翌日のこと。枕元で寝ていたマヤを起こしておそるおそるベランダに出してやると、歩いた!しっかりと足を踏みしめてスタスタ歩いて「レジャー水」(ベランダに置いているバケツの水)を飲んでいるではないか。

立った!立った!クララが立った!天にも昇るような喜びにあふれてヤギたちと一緒に飛び跳ねるハイジの姿が頭に浮かんだ。ひとまずは命が延びた……と心の底から安堵した。
これは父がマヤを散歩に連れて行く時、マンションの四階まで上り下りさせて足を鍛えたお陰もあるだろう。父の足もマヤの足も鍛えられて、エレベーターの無い古いマンションも悪いことばかりではない。お父さん、毎日しんどかったろうに有り難うね、と父に感謝した。

16才6ヶ月。いつ寝たきりになってもおかしくない年なのに、おぼつかないながら自分の足で動けている。マヤは本当に立派で尊く素晴らしい犬だ。

犬も怖かったのだろう。この朝は自分の足が動くことを確かめるように、いつもより元気に歩き回っていた。

深夜は激しいパンティング(ハァハァいうこと)で人も犬もしんどいので、安眠しているだけで褒め称えたくなる。
口の回りの毛が白くなっているところまでも「ずいぶん長く生きたねえ」としみじみ尊い(=´ω`=)

中型犬の16才半は計算方法によっては90才越えとも言われるそうだ。
このごろ赤んぼわんちゃんみたいなかわゆい顔になってきたよ。

2019年8月1日(木)

これまでにこつこつ買い集めた30枚以上のペルシャ絨毯コレクション、そのほぼ全てを今年に入ってから入院するまでの数ヶ月の間に手放した。それもメルカリで!

メルカリと聞けば、トイレットペーパーの芯や使いかけの化粧品くらいならまだいいが、「魚のオブジェ」(現金出品禁止のルールをすりぬけるため、1万円札を魚の形に折ったブツ)や甲子園の土、宿題用の読書感想文……とさんざ世間を騒がせたろくでもない出品物の数々が思い浮かぶだろう。私も自分が出品側になるまではメルカリユーザーの推定常識レベルは「ヤフオク>>>>メルカリ」であって、「メルカリ=魔窟」という認識だった。

だが今ではすっかりメルカリの擁護者、メルカリエンジェルと化している。
幸いにも常識に欠ける人には2,3名しか接したことがないことに加えて、メルカリという舞台がなければこれほどまでにサクサク絨毯を手放すことかなわず、今ごろはペルシャ買い取りの専門業者に足元を見られて、可愛いコレクションたちをイケアの品並みの値段で売り飛ばしていたことだろう。

それがメルカリを通じて「誠実第一」で商いした結果、ミキの信頼レベルは徐々にアップ!ついには「さすがにこいつだけはフリマアプリでは無理だろう」と諦めていた2x3メーターのシルクの名品まで、60万円というメルカリ的にはありえないプライスで買っていただくことができたのである。(それでも買い値の5分の1だけどね!)
絨毯ファンの友人に後ほど聞いたところによれば、当時の私は「波に乗っている人」として注目されており、ある意味「メルカリの奇跡」と呼んでも過言ではない状態だったそうだ。

いやはや、4月から5月にかけて来る日も来る日も絨毯の写真を撮ったり梱包したり、購入者や配送業者と打ち合わせしたりのALL DAY LONGメルカリライフ。忙しすぎて死ぬかと思った。そして絨毯の包み方も格段に上手くなった。

入院の2日前に王将で餃子食べてる最中にも「20万のこれ、半値にまけてくれへん?」という強めのオファーがいきなり入って交渉&発送に突入で発狂寸前!スマホ画面を見すぎたおかげで網膜分離の進行が早まった気もするが、そこは手術も終わったこと、不問に付そう。

ではなぜ「命の次に大事」と言い放っていたペルシャ絨毯を手放す気になったのか?理由は単純。「所有することに疲れを覚えた」から。よりぶっちゃけるなら「めんどくさくなった」からである。
絨毯をインテリアとして使用するなら虫食いと水濡れにさえ注意していればいいけれど、コレクションとして適正に管理しようとすると快適生活を生け贄に捧げる必要がある。そこがもう、色々しんどかったのだ。

24時間空調と湿度管理、空気中に油分が浮遊するのを避けるためにタバコは言うまでもなく焼き肉、鍋物、揚げ物は禁止。台所ですることといえばせいぜい「湯をわかす」くらい。
太陽光線にあてると色あせするから365日カーテンは閉め切ったドラキュラ状態。虫食いのストレスにさらされ、スレを恐れて踏むのもおそるおそる。
踏まない絨毯のレゾンデートルを見失っていたところへ、加齢に伴う「所有がめんどい」病に罹患して、あっさり決別を決意した次第。「命の次に大事」なものはわりかし簡単に変わることを知った。

そんなこんなで入院の前日まで売って売って売りまくって、手持ちの絨毯を5枚にまでスリムダウン。心身は軽く、財布は重い状態で心安らかに手術に臨んだのだった。

……そして……。満月の日の退院から数えて次の満月は綺麗なストロベリームーン。そんなレアでプレシャスな夜に一枚の絨毯が到着した。えぇぇえーーーっ?!なんですとぉーっ!???

イスファハンのサッラーフ・マームーリー工房のウールの作品。40年もの間、倉庫と店頭を行ったり来たりしながら誰にも販売されることなく工房で保管されていた逸品である。
なんのこたぁない、「めんどくさくなった」のはシルク絨毯のことで、比較的管理が楽なウールならまだ買ってもいいヨ!と私の中に住むこびとさんがささやいたようだ。

そうだ、こんな時にちょうどいい言葉がある。「自分へのご褒美」だ。
辛く苦しい弱視生活に終わりを告げ、人工水晶体と共にリボーンした私に、父も母もマームーリー氏も草葉の陰からエールを送ってくれているのだ、とまことに勝手ながら信じていたい。

ウール絨毯に対する常識が覆ったほどの軽さと薄さ!
茶紙で包まれた荷物を受け取った時にあまりに軽すぎて、Rさん商品間違えてんじゃないの?と不安を覚えたほどだ。

「金はただ取らん」(良いものを望むならそれなりの金銭を出す必要がある)とは幼い頃から親によく言われた言葉だが、
これを眺めるとしみじみそう思う。ペルシャ絨毯の価格は手間と時間のかかりっぷりを素直に反映するものなのだ。

Rさんがイスファハンで撮影したマームーリー氏の販売許可証を見せてくださった。
1919年生まれ。私の父の7才上だからけっこう昔の人だ。

私の絨毯を制作した40年前ならデザイナーとして油が乗り切った頃で、ひょっとするとイラン革命の頃に織られた品かもしれないと聞いた。
イラン激動の時代を生きた人と絨毯。出自からしてロマンティックでますます気に入った。

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