2019年6月25日(火)

今日マヤは16才と4ヶ月になった。16年前、母がペットショップのガラスケースの中でぶすっとしていた、お世辞にも可愛いとは言えない貧相な仔犬を指さして「これがいいな」と言ったのがきっかけで家族になったマヤ。あれから母が去り、父が去り、末妹までこの世を去って、一番小さな家族があとに残るとは夢にも思わなかった。

犬もこの年になるとひとつきひとつきが貴重なもので、来月いや明日になればここにいないかもしれない、はかない存在だと思って日々接している。

認知症の進行に伴って、小さな円を描いて延々とクルクル回るようになったマヤ。深夜に激しくパンティング(舌を出してハァハァいうこと)をしながら、狂ったように歩き回るマヤ。苦しげにあえぎながら歩くマヤは、夜中の徘徊が止まらなかったアルツハイマーの母の姿を彷彿とさせる。

母は「ゾウも眠るほど強力な」睡眠薬を飲ませても眠ることはなかった。薬が働きかける脳の部分が壊れていたからだろう。一方、獣医さんと相談して、マヤにも睡眠薬をもらってきた。これを飲ませると2時間くらいは寝てくれるらしいので、徘徊がいよいよ酷い時には試してみるつもりだ。
今はまだ使うことなく、お守りのように持っている。果たしてこれで眠ってくれるのだろうか、それとも母のように投薬後も何かに操られているように、延々と動き続けるのだろうか。
いずれにせよ腎臓の負担が大きい睡眠薬、このまま未開封のままでいて欲しい。

ずいぶん白い毛が増えた。

徘徊をやめないから、ベランダにベッドを出してあやしてやると、
お尻の毛を風にそよそよさせながらクークー眠り始めた。

ぼんやりしていることがほとんどだけど、昔のことでも思い出したのだろうか、
突然ひっくり返っておなかを出して、ニヤニヤしながらおどけてみせた。
可愛くて可愛くて涙が出た。

2019年6月19日(水)

いざ動物病院へ。風がびゅんびゅんおもしろい。

今にも転びそうな後足の位置にヒヤヒヤ。
ごはん食器の水も洗面所の「地震水」もあるのに、ベランダの「レジャー水」を飲むのがマヤのささやかな趣味。

お友達の吠え声はもうとうに聞こえないし、目もだんだん見えなくなってきた。
でも風に乗ってやってくるいろんな匂いはまだ分かる。

2019年6月7日(金)

退院して一週間ぶりに街に出たとき驚いた。交差点の雑踏、車のクラクション、油臭い空気の臭い。自分はこんなに騒々しい空間に生きていたんだ!
しんと静まりかえった清潔な空間でただひたすら眠っていた日々からいきなり日常にジャンプして、おそるおそる里に下りてきた山のいきものみたいな気分になった。

繁華街にしばらくいると精根尽き果てるのは退院して一ヶ月近く経った今もかわりがなく、心身のバランスを取るために近所の滝への散歩が日課になった。

「ああアイセンターが懐かしい。病院といっても命に関わる病気のひとはいないから、夜中にうめき声が聞こえるわけでもなし、誰もいないみたいにシーンとしているの。スタッフの人数も足りてるからみんな余裕があってニコニコしていて良かったなあ!また戻れるなら戻りたいわ」
そう友人に話したらいわく、「でもちーちゃん、次に入院する時には深刻な状況やと思うで!」 ほんとにな!冗談でも「入院したい」なんて言うのはよしておこう(=´ω`=)

4人部屋にしてはかなり広い。

夜中にトイレに立っても部屋に近づくとプレートの発光して導いてくれる。
407は実家の部屋番号と同じでびっくり。

ごはんも美味しくて、アンケート用紙に「全メニュー食べたかった」と記入するくらい。
お腹いっぱいになって一日1500キロカロリーって……。揚げ物を含まないメニューすごい。

病室からの風景。先端医療都市。

退院予定日の翌朝4時台が満月だと知ったから、「あと一日いてもいいですかねぇ〜」と先生にお願いしてずらしてもらった。
満月と新月の日は特別だというから、せっかく新しい目で再スタートを切るならば幸先良くしたかったのだ。

偶然にも翌朝はちょうど月が満ちる時間に目が覚めて、誰もいない廊下から昇る朝日を見た。
人工水晶体を通して見る太陽は、なにかしら特別な感じがした。

2019年6月7日(金)

先代の愛犬イリとプリクラ。
イリはガタイのいいサルーキ犬で体重が30キロもあったから、抱っこする私の笑顔も若干引きつっている。

16年前の5月22日、イリがガンであっという間に世を去ってから、私は丸2年ペットロスで苦しんだ。
そして彼の死の半年後、母がアルツハイマーと診断された。

今思えばももういない家族に心を囚われるよりも、まだいる家族にエネルギーを向けるべきだった。
時間が経って解ることは多いけれど、自分はこれまでの経験を糧にできているのだろうか?としばしば考える。

静脈瘤の手術から一週間。会社を早退して抜糸に行く日である。
7年前、父が他界した数ヶ月後から足の痛みが徐々に強くなり、現在に至るまでしびれと鈍痛に悩んできた。静脈瘤そのものは痛みやしびれを引き起こすものではないし、そもそも痛むほどの大きな瘤ではないから、原因は静脈以外のところにあるのだろうと言われて、循環器科→整形外科→内科→婦人科→脳神経外科→整形外科→循環器科……と10以上の病院を回り検査をしまくった。
その間に整骨院、鍼灸院、気功、神社に願掛けまではさみつつ、なおも不明だった痛みの原因。しまいには「ストレスのせいかも」と言われて神経内科まで行きそうになったわ。

そもそも「静脈瘤は痛まないものだから静脈瘤が原因ではない」という見解が私をここまで翻弄したわけであるが、ある整形外科が紹介状を書いてくれたおかげで流浪の民がたどり着いたのが、市民のあこがれ、中央市民病院だった。

そこで血管外科に振られて造影剤検査を受けた結果、「血管自体には問題はないから、やっぱ原因は静脈瘤でしょ!」という結論に達して、数ヶ月間の投薬で経過を見た結果、今回の手術に踏み切ったわけだ。
そもそも「静脈瘤でも痛む人はいますよ」とあっさり言われて目が点になった。そしてホッとした。これまでに行った循環器科では「痛まない」と言われて彷徨ったのに……静脈瘤ごときで、と言うと語弊があるが、頼むから足のこぶくらい見解の統一をして頂きたい。

そんなわけで本日抜糸。手術のことにも軽く振れたいけれども時間切れ。大雨の中会社いってくる。
手術の半分は研修医にやられた影響もあるのか知らないが足がハンパなくむくんでおり、これって正常範囲内なの?という不安を早くぬぐい去りたいものだ。

2019年6月5日(水)

 今年1月にはこんなに高く上げられたのに……。

それが今ではこの高さ。
それでも16才4ヶ月になってもまだ足を上げておしっこできるなんて、マヤちゃんはスーパーじぃじ。

「君の名は。」の新海誠監督作品「秒速5センチメートル」は桜の花びらが散る速度を示すそうだ。
おぼつかない足どりでヨタヨタ歩くマヤを見るたびに、このタイトルが頭をよぎる。

いつ見てもクルクル回っているか寝ているか。

優しく抱っこされてうっとり。マヤはねえちゃんのことが大好きなんだ。

2019年6月1日(土)

書くことは色々あるのだが、一体どこから書けばいいのやら……と頭をひねっている間に出勤時間が来る毎日。目の方の術後の経過には問題なく、「あっ!コンタクトレンズはずすの忘れて寝ちゃったYO!」というサプライズは続いている。

それでも人間って1を得ると2や3を望むどん欲な生き物だ。手術直後は遠近どちらもそこそこ見えたのが、徐々に術前のレンズ度数計算、プラス先生の勘によって導き出された「術後にあるべき度数」にきっちり寄せてきており、「手前のものはよく見えるが、遠くのものはイマイチ」、裸眼での日常生活は「ぎりぎりいけるが眼鏡は必要」なレベルになったのが残念ではある。

そもそも水晶体再建手術(こう書くとものすごいオペみたい!)をして「裸眼だといい方の目が0.4、悪い方は0.1から2見えるようになっておめでとう!」って、元の視力なんだったんだ?って話だ。それでよく人としての生活を送れていたものだと今になって自分を誉めている。

現時点ではまだ眼の中でレンズが落ち着きどころを探してフラフラしている状態らしく、視力が固定するのは2,3ヶ月後とのこと。メガネを作れるのはそれからなので、当面は目力が8割、シックスセンス2割で生きてゆく、

ところで昨日、静脈瘤の手術も受けた。
油性マジックでグイグイ書かれたこれは、除去する静脈の位置を示すものである。キモくてごめん。

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