2018年3月29日(木)

春はうつ病寄りの人間にとって厳しい季節だ。今朝も会社の人間関係で死亡寸前の友人から入っていた悲鳴のようなLINEに対して、「これから先もっと悪いことが起きる可能性の方が高いんだから、かろうじて元気で収入もあって家族も元気でいてくれる今を楽しまなきゃ!他人のことなんかで苦しむのは損だよ!」と返信。
そんな励まし方されましても……ネガティブかポジティブかはっきりして!と思われてそうだ。

かく言う私も妹のことで苦悩アゲイン。アリ地獄から生還したと思いきや、はい上がった場所はもっと大きなアリ地獄の底……。そんな感じで参っちゃう。もうこのままダークサイドに身を投じられればいいのだが、私にはダースベイダーのような師はいない。仕方がないから「いかに己を機嫌よく過ごさせてやれるか」のHOW TOを毎日苦心して編み出している。

そういう状態だからアウトプットが非常にしんどい。文章を作る気力も不足しているので、イスタンブールの猫写真を残し、気を紛らわせるために会社行ってきます。
いやまったく仕事をしている間だけは死んだ家族のことを考えずに済むもんで、気を紛らわせてくれてお金までくれて、会社ってなんていいところなんだろう!という半分やけっぱちみたいな気分なのである。

ほんじゃま、行ってきます。私と同様にダークサイドに堕ちそうなうつ傾向の皆さん、そのうちいいこともあるから、ここは堕ちずにがんばろーぜ!!

2018年3月26日(月)

痛みの原因がよく分からないままに「休日に悪化すると困るもんで!」と内科で頼んで出してもらった薬を飲んだところ、具合の悪さが加速した右顔面の痛み。土曜日に整体に駆け込んだら「腫れてもいないのに抗生物質飲んじゃダメだよ〜」と叱られながら頭の骨をちょいちょいっとさわってもらうとあーら不思議。痛みがすーっと引いていった。

「ミキさんは左右差が大きいから……」と言われて推測したのは、あごを中心とするこの謎の痛みの原因だ。
右上の奥歯がまた割れて治療中のため、左側ばかりでものを噛んでいることに加えて、先月始めた足のリハビリの際に足を組み、ゴムで負荷をかけながら筋肉を鍛えることでもともとねじれている身体がますますねじれ、ぞうきんを絞ったような状態になっていたのではなかろうか。そしてねじれた身体があごに負荷をかけすぎたせいで、顔面神経痛もどきになった可能性が大きい感じ。

左半身の筋力が極端にないせいで、負荷をかけた運動をすることに疑問がないでもない。かといってリハビリをやめると右足のしびれが治る希望が断たれてしまう。
整形外科でねじれた身体を整体で戻しつつ、だましだましやりながら足の筋力がつくのを待つしかない。整形外科に行った週末は整体で、その次はまた整形……と大変だ。

整形外科に整骨院に眼科に歯医者。各種クリニックの予定がびっしり書かれたスケジュール帳を開くたびに、老いるとは使って嬉しくないものに金がかかるものなのだなあ、とため息が出る。

ところでパキスタン行きの準備を着々と整えております。前回行った時には「山ばっかりでもう飽きた!ノーモアマウンテン!」と叫びながら……。

絶景に目もくれずコマネチ!コマネチ!とやってみたり……。(ヘボピーさん)

登山家あこがれの高峰を背景に、おもしろポーズ(アイベックス!と叫びながらやる)をしたりしていたが、
日本に帰ると「山、もっと見ればよかったなあ」と後悔。だから今回はしっかりヒマラヤ山脈を拝んできます。

2018年3月24日(土)

「はぁああぁ?なによこれ?!」と己に怒りを覚える程度に体調が芳しくない今日この頃。毎日身体のどこかが微妙に痛いせいで、「おっ?!今日はイタクナーイ!」というだけで有り難がる程度に微妙にしんどい。

このしんどさは病院に行っても原因が特定できず、「年のせいです」で片づけられる。名前が付くような病気ではない「微妙な辛さ」とはくせもので、「年のせいだからどうしようもない」なんて言わずにどうにかしてくれ!と泣きたい心と、「年だから仕方ないよね。これが生き物のさだめ……。」というあきらめの心が毎日戦闘を繰り広げている。

今日も右顔面が痛くて医者に投与された抗生物質と鼻の薬を飲んだところ、体調がおかしくなってお困り真っ最中。よかったさがしをする気力もないもんで、せめてまやちゃんの楽しい写真を貼って、これからまた病院行きます。

犬にこういうことをさせるのは好きじゃなかったはずなのに、今では大好きなのである。

2018年3月22日(木)

頬にしっとりした感触を覚えてまぶたを開けた。目の前にはむくむくした茶色い生き物。ヒーンヒーンと小さな声で鳴きながら短い尻尾を振っている。
ああ、おしっこに行きたいんだね。ねえちゃん、今日は8時まで寝るつもりだったんだけど仕方がない……。とパジャマの上からダウンを羽織り、マンション向かいの空き地まで抱っこしていった。

空き地の前にはいつも7時頃に客待ちをしている個人タクシーのおじいさん。おはようございますと挨拶をして、トイレを済ませたマヤを抱き上げると、もう一度寝ようとマンションの玄関をくぐった時……。ん?ひょっとして今日は……平日だ!!

あぶないあぶない。すごい勘違いをしていた。目覚まし時計も止めていたからマヤが起こしてくれなければ会社に遅刻したところだ。トイレに行きたくなると、たとえそれが朝の4時でも起こしに来られてムカッとすることもあるけれど、こんな風に犬の膀胱に救われることもあるんだ。

それにしてもマヤはかしこい。もちろん加齢でまだら呆けになった近頃はかしこくない時もあって、いきなり放尿体勢を取ったと思うや、ペットシーツをあてがう間もなく目の前でじょじょじょー、とやってくれる時もしばしば。
でも大半はこうやって膀胱が一杯になると「おしっこ行きたいです」と呼びに来る。学習とはすごいものだ。

おしっこ行きたい、おなかが空いたと起こされる時、目薬をさしたあとにはミルクボーロをもらえると知っているから、目薬のある戸棚をちらっと見ただけで期待で瞳をキラキラさせる時、手招きするだけでトコトコ小走りで近づいてくる時。こんな小さな生き物が動いたり鳴いたり、人間と共に暮らして学習することはなんてすごいことなんだろう!と胸が熱くなる。

ペットを飼っている人はなぜそうするのだろう?「可愛いから」「癒しをくれるから」はもちろん大きな理由だが、「可愛い」や「癒し」を覚える感情の源には、神秘に満ちた生命体を身近に置いて、それを愛で、時には畏れをもってひれ伏すことの快感が隠れているのかもしれない。

我が家ではマヤのことをしばしば「命のふくろ」とか「命のかたまり」と呼んでいる。ぬいぐるみのような丸っこい小さな身体が自分で考えて自走する。見れば見るほど不思議なものだ。
動き回る茶色いかたまりを眺めるたびに、この中には「魂」と呼び慣わされるものが入っているのでは?とそんな気持ちになってくる。

これを「A」のポーズと呼ぶ。15才1ヶ月のまやちゃん。

2018年3月20日(火)

ゴールデンウィーク旅行のキャンセルリミットは出発日から数えること40日前。それを過ぎると10万円単位で支払い義務が発生するもんで、階段から落ちて骨折したとか家が燃えたとか犬が逃げた等々のどえらい事情がない限り、40日を過ぎるとキャンセルはまず出てこない。
逆に言えば40日前までなら「んー、迷うけどひとまず予約だけ入れとくか!」という気軽なオーダーが入っていることもある。

そんな事情で旅行会社の人からは「3月19日までなら可能性があります」と言われていたパキスタンツアーのキャンセル待ち。私の前にも待ちの人たちがいるから多分無理だろうと思っていた。

今年はゴールデンウィーク以降は連休が取れないカレンダー。来年のカレンダーはさらに並びが悪い。だからこの5月を逃せば数年先までマヤの尻をなでて過ごすしかない。どこにも行かないのは残念な気がしないでもない。

でもまあそれならそれで旅行代(高い)は浮くし、体もしんどくないし、なにより老犬とたっぷり一緒にいてやれる。年に一度も旅行に行かなかったのは東北大震災の年だけだけど、行きたくてたまらない!ってパッションもないから、まっいっか!!と身体も心もすっかり「行かない」モードで低燃費運転だった。

そうこうしているうちにキャンセルリミットの3日前。リーンリーンと鳴る電話。「ミキさん!電話です」と内線で呼び出されて受話器を取ると、「キャンセル、出ました」。
おおおおお!!旅行会社の担当さんだ。よほど慌てていたのだろう、携帯にかけて留守だったから会社にかかってきましたよ……。

いやはや、8割方「旅行は行かない」モードになっていたせいで、反射的に「お返事は一日待ってもらえますか?」と答えていた。だが、お金のこと、マヤのこと、カレンダーのこと、体力のこと等々をはかりにかけて、頭が爆発しそうなほど熟考した結果、一日後どころか20分後には「よろしくお願いします」と電話していた私。

ギリギリになって諦めた頃にキャンセルが出るこのパターン、私にはよくあることだからうすうす予想はしていたのだが、今回もかよ!って感じである。これって引きが強いのか弱いのか。それならこんなにやきもきさせず、はじめから素直に予約入れさせてくれ。

……とぼやきつつ、ゴールデンウィークは6年前に辿ったカラコルム・ハイウェイを再び通り、ヒマラヤの山々に抱かれて精神のリフレッシュを図りたい。
一人部屋料金の5万円をケチって相部屋を指定した結果、「同じ人と全行程同じ部屋」というややハードめな設定な点が、「やめときなよ〜!お金はらっても一人部屋にしなよ〜!気を遣って疲れるよ〜!」と回りの人たちに心配されまくっているけれど、これも人付き合いが苦手な自分の訓練。何かのご縁と受け止めて楽しむ気マンマンである。

パキスタンのフンザってこういうところ。そりゃリフレッシュもできるってもんですわ!

2018年3月19日(月)

ちょっとだけバタバタしています。次回の更新までまやちゃんの「ぐいーん」をご覧頂けると幸いです。

ぐいーん

もひとつぐいーん

最高点のぐいーん!

勢いあまったぐいーん

「おかお、かいかい」。まやちゃんのあだ名のひとつは「おイモねずみ」です。

お尻やおなかがヒマラヤマーモットみたいでしょ?

2018年3月15日(木)

マヤが耳をかゆがっているのを前にして、「薬をつけたほうがいいかなあ」と迷う夢を見ていた……。ちょっと前にはマヤがおもらしする夢を見て強烈なおしっこ臭に飛び起きた。実際にはおしっこは垂れていなかったのだが「日常的な夢」にもほとどいうものが。

さて、今年も旅行の季節が近づいてきた。ゴールデンウィークには私の会社だと2日休めば9日間の連休になる。このカレンダー並びは去年からすでにチェック済み。旅行会社のツアースケジュールが発表になるや否やどれかを申し込もうと手ぐすね引いていた。

だがふたを開けてみれば迷いに迷った末に申し込んだのは今月頭。ぶっちゃけ「そこまで旅行したいわけではない」心が私に予約電話をためらわせたのだ。

爪に火を灯すような節約生活をする中で、年に一度の海外旅行は唯一のぜいたく(これがまあ随分なぜいたくなんだけどさ)そのくらいは時分に許してもええやろと思う反面、老後は長いのにそんな大金を使ってる場合じゃないだろ?という自制心の声も聞こえてくる。

加えてあと何年生きてくれるか分からないマヤと、一日でも長く一緒にいてやりたいという気持ちもあるし、今回は金欠のヘボピーが参加しないせいで一人参加なのも旅への決意を鈍らせる。

なによりぶっちゃけしんどいんだよ……体が。年のせいで50キロ以上移動すると次の日はグッタリな人間が、飛行機で何時間もかかる場所に行って無事で済むというのだろうか?いやきっと済まない。

そういうわけで迷い続けて三ヶ月。だが来年のカレンダーを見ると3日会社を休まないと全く連休にならないことが判明。マヤだって今年よりも来年の方がヨロヨロになってることは確実だから、今年行かなくていつ行くの?今でしょ!!(……)

迷いの気持ちをぶった切り、旅行会社のサイトにアクセスした。4月28日発パキスタンツアー……と(=´ω`=) ……まっ、満席キャンセル待ちですと??!!!

2ヶ月前に尋ねた時には催行すら決定していなかったのに?と担当さんに電話すると、なんでも雑誌で取りあげたところ、パキスタン、いいかも!と思った人々が殺到して一気に満席になったらしい。おおおおおお!

そういうわけで取りあえずキャンセル待ち中。3月19日までに空きが出なければ、ゴールデンウィークは家にこもってガラスの仮面と王家の紋章の一気読みでもするしかない。

2018年3月15日(木)

アラームに目覚めて布団の中で開いた携帯の画面には、ロウソクを立てたバースデーケーキのアイコン。ぼんやりした頭で誰の誕生日だっけ?とボタンを押したら、去年他界した友だった。

去年の今日、末期の乳がんであることはすでに知らされていて、それでも私たちは「奇跡」を信じていた。いや、私について正確に言えば、「信じていた」というよりも必死になって奇跡にしがみついていた。

あの頃、彼女が信じる方法ではなく、別の治療方法を勧めれば心は変えられたのだろうか?そしてあと少し長らえたのだろうか?自問してみても答えは分からない。ただ、「ここにいる私ともうここにいない彼女」という厳然たる事実があるのみだ。

携帯には去年の今日送ったメールと返信が残されている。第4ステージでありながら、治ると信じて(本心は分からないが)できる限り日常を継続させようとした彼女は、まだ仕事を辞めていなかったことを思い出す。

馬好きの彼女に黄金の馬アハルテケの写真と共におめでとうメールを送ったら、こんなメッセージが返ってきた。
「お祝いありがとうございます〜♪アハルテケうつくしい〜!
たぶん生まれて53年目だと思いますが(笑)飽きのこない年月だったと思います。またこの一年も、よろしくお願いいたします」

私の想像を絶する辛いこともあったであろう人生を「飽きのこない年月」と捉えていたんだな、とハッとした。
もっと生きて欲しかったと私は嘆くし、彼女自身も病になる前に「もうちょっとこの世界には見てみたいものがある」と妹さんに話したと聞く。けれども死者を懐かしんで私が嘆き悲しむのはお門違いなのかな、とこのメールを見て思い直した。

「あかねさぁ〜ん!」と心の中で呼びかけると、「ちさとさぁ〜ん!」と応える懐かしい声が聞こえるようだ。愛すべき優しい友とまたいつかどこかで共にサルーキを飼える日が、きっと来ることをただひたすらに信じている。

2018年3月13日(火)

心が沈みがちなある日、楽しいミュージカル映画を借りようとレンタルショップに行った帰り道、「ハイスクールミュージカル」の代わりに手の中にあったのは「キリングフィールド」……。何となく借りたのがこれって、憂鬱に憂鬱をぶつけようとでもいうのだろうか?

「マイナスにマイナスをぶつけてニュートラルにする」というのは、昔「ある波形の音に相反する波形の音をぶつけて無音にするぜ!」という機器?の発表で株価が上がった音響関連会社TOAの株を買って以来、私の頭に染みついているイメージだ。でもそんなの、人の心でも上手くいくんか?

「木リング・フィールド」とはポル・ポト政権下のカンボジアで行われた大虐殺をテーマにした、まあロシア産戦争映画「炎628」ほどではないけど、そこそこの鬱映画。沼沢地に折り重なる見渡す限りの遺体のシーンがショッキングで、当時はちょっと話題になったものだ。

私も封切り時に映画館で観たものの、あののシーン以外は記憶になくて、30数年ぶりに見直したところ、戦争映画ではなくてヒューマンドラマの棚に並んでいたのがうなずけるような映画だった。

舞台が舞台だけに凄惨なシーンの波状攻撃かと思ってマヤ(癒しの源)を抱っこしつつ固唾を呑んだものの、クメール・ルージュの蛮行ではなく、カンボジア人の通訳をアメリカに逃がそうとする新聞記者たちの奮闘がメインになっていたお陰で、心は惜しくもニュートラルに浮上せず、微妙にマイナス感を残したのであった。

結果としてはカンボジア大虐殺に興味がわいて軽くネットで調べたところ、夢に見るような人類史上の汚点画像が続々ヒット。さらにマイナスがぶつけられた結果なのかどうなのか、現時点ではわりかし元気になっている。
いや、悲惨すぎるリアルに触れて元気を取り戻すのも不謹慎かと思うが、「ひとまず平穏に生きられる現代の日本に生まれて幸せだなあ」と己の置かれた境遇への感謝を思い出させられるという意味では、厳しい世界に目を凝らすことは定期的にやるべきだなあと思ったのだった。

そういうわけでしばらく「ポル・ポトとは何だったのか?」について関連書を読んでみようと思ってる。うっかりマイナス分を過剰摂取しないように気を付けます。

2018年3月8日(木)

己の老いを感じるとき。それは指先がいうことをきかなくて靴ひもが上手く結べないとき。メガネをしているのに「メガネどこ行った?」と探したとき。
レンタルビデオ屋で「本日シニアデーで半額です」と言われたとき。駅の階段で手すりを伝ってよちよち下りるとき。それからラジオ体操をどこまでやったか突然分からなくなった時!

いやはや、小学生の頃からやってきた体操なんて身体が覚えているものと思っていたけど、ふっと順番が分からなくなる日が訪れるとは……。他にも日常のちょっとしたさまざまなことが「あれっ?どうだっけ?」と混乱する場面が激増した。

ネットの「そのものわすれ、老化それとも認知症?」みたいな不吉な自己診断をしてみたら、「老化に伴うものわすれです」という結果に落ち着いてひとまず胸をなでおろした。子供でもできるラジオ体操が分からなくなる。こ、これが老化……。

まあ年食っちゃったことは事実だから仕方ないよね。若い頃、こんなおばあさん状態になるのは還暦過ぎてからだろうと漠然と捉えていたのが、まさか50代で来るとは予想外すぎて死に神に膝カックンされた感じだが、幼い少女に戻ったんだと考え直したらほんのり楽しくなってきた。

金や地位や綺麗な服やグルメへの興味を失った今、子供の頃、時がたつのを忘れて虫や魚を観察した驚きの感覚が甦りつつあるようだ。エサを運ぶアリを眺めるだけで愉快でたまらない、私はそういう幼い頃の境地に戻るのだろうか。

風に吹かれるタンポポの綿毛に目を凝らし、ザクロの実をほぐして一粒一粒並べて乾燥させ、花びらをすりつぶして作る色水に異常なまでにのめり込み、親が作ってくれた人魚姫のコスプレでこたつ板上に飽かず鎮座し、メリーゴーランドの絵のついたもの全て欲しがり、ディズニーのパズルを何十枚もコレクション、ブルマアクのウルトラ海獣をコンプリートしたあの幼い日々……ってその境地、ぜんぜんアカンやん。

2018年3月5日(月)

またしても鬱の井戸に落ち込んで、引きつった笑顔で生きている。冬の間は夜が明けるのが遅いせいで、誰だって鬱気味になるそうだから仕方ないなと諦めていたけど、日照時間が長くなってきたのに私のセロトニンどこ行った?!(怒)

仕事をしている間とマヤの世話をしている時以外は、ほぼ一日中死者のことを考えている。これではいけないと気分を盛り立たせようとしても、何に対しても興味を持てなくて、楽しいことをしている最中でも、心の奥に吹いている風の冷たさにはっと気付くや身をすくめてしまう。

こんな人生の無駄をどうにかして止めたい!とこの3年半あらゆる方法を試みて、一時はやっと抜けられた!?と喜んだけれど、どうやら思い違いだったみたい。
だからもう開き直ることにした。無理をして死者の影をはらいのけようとはせず、死者の記憶にどっぷり浸って生きてゆくことにしたのだ。我ながらすごいネガティブ・発想の転換だ。

「前向き」なことが良しとされ、「後ろ向き」であることは可哀想で非生産的で間違っているから「前向き」に正されるべきだと思われがちだが、「後ろ向き」で何が悪い。
私は未来への希望ではなく、過去の愛情からエネルギーをくみ上げて生きてゆく。「人生を朗らかにアグレッシブに楽しむこと」だけが正解ではない。新たな刺激を求めて無理して駆けずり回る必要はない。「内的に今日より明日には進歩する」ことには様々な形があるのだから。

そうこうしているうちに、父や母や妹や親友や前夫がいなくなったのは、自分が今いる世界とはちょっとズレた次元の出来事だったっけ?とふっと思う瞬間が出現するようになった。時間や空間の認識がほんの少しだけ変わってきたのかもしれない。
いやいや、常時「みんなは生きている!」と思い始めるとそれはあからさまに(この世界では)まずい人。あくまで「一瞬」の話で、冷静な自己観察はできているつもりだからきっと大丈夫だと……思う。

死者たちが頭上から見おろしているイメージを抱きつつ、今日も一日を始めてくる。哀しみから逃れるこの術は「陰気な人」として私から他者を遠ざけさせるものだろうが、あるがままの己の心に問うた末の判断にしばらくの間は従ってみたい。

2018年3月2日(金)

年のせいだろう、公園で放してもあまり動かなくなったまやちゃん。

正直なところはじめのうちはマヤのこと、それほど好きじゃなかった。いや、「はじめのうち」どころか飼い始めてから5,6年もの長きに渡り、うまく友情を結べなかった。

「霊感犬」と呼ばれたほど怜悧で、うっとりするほど美しかった先代の愛犬、サルーキのイリの存在感が圧倒的に大きかったせいもある。しかしマヤが理解に苦しむ犬だった一番の原因は、レイジシンドローム(激怒症候群)──赤毛のコッカースパニエルにしばしば発現する遺伝的トラブル─だと思う。

イリが死んですぐに我が家に来たマヤは、食べ物への執着があきれるほど強くて、紳士的だった先代に比べると、いかにも「普通のワンちゃん」だった上に、成長してからはレイジシンドロームのスイッチが入って、父にもヘボピーにも、呆けて徘徊する母にすら噛みついた。

さすがに私を噛むことは比較的少なかったとはいえ、何針か縫うほどの怪我をしたこともある。一度などは激怒スイッチが入り狂ったように攻撃してくるマヤを、ビニール傘で防御したところ、傘に食いついて曲げてしまった。愛犬ながら正直なところぞっとした。

振り返ってみれば、若い犬が年齢を重ねた犬ほどには人間の気持ちを読み取れないのは当然だし、噛むのは遺伝的要素だけではなくて、介護生活に疲れて喧嘩してばかりの家族のストレスが伝染したせいもあるだろう。マヤは介護生活の被害者、いや被害犬とも言える。
それでも一日中あてどもなく徘徊する母が、寝ているマヤにつまずいて噛まれるたびに、もう限界だ!犬は手放すしかないと絶望的な気持ちになったものだ。

あうんの呼吸で人の気持ちを読み取れた美しく物静かなイリと、カッとなると押さえがきかず、次々に家族を救急病院送りにするマヤ。「駄目な子ほど可愛い」という言葉があるけれど、駄目な子にも限度があろう。イリとマヤ、どちらを好きでいられるかなんて明白なこと。

それでも時の経過は人も犬をも変えるものだ。
マヤが我が家に来て10年を越えたあたりから、私は日を追ってマヤのことが好きになり、マヤは日を追って人の心を解するようになった。そして今では「この世で一番大切な存在」と呼んではばからないとは、自分でも何だかおかしくなる。
老化のせいで気力がなくなり、「家族が噛まれる」という心配をせずに済むようになった影響も多少はあるものの、この愛情は家族の一員として長い間生活を共にすることを通して醸成されたものだろう。

日を追って信頼感が深まるそんなある日、マヤのことをますます愛しく思うささやかなできごとがあった。

若い頃は草を蹴立てて走り回っていたマヤは、今では公園で放してもあまり動かない。ぜんまいの切れかけたおもちゃの犬のように、よたよた歩くのが精一杯。カメラを向けると目をしょぼしょぼさせながらじっと座っているが、飽きてくるとよたよた近寄ってきて頭を私の足にこすりつける。

写真、もうちょっとだけ撮るから辛抱してねと押し戻しても、よたよた歩いてきてそっと鼻先を押しつける。押し戻してはよたよた。また押し戻しても、よたよた。その繰り返し。もう帰りましょうと言っているのだ。

そういう時、長年苦労させられた噛み犬マヤとの間に、なんとも言えない暖かいものが流れるのを感じる。人は犬の心を正確には分かっていないかもしれないし、犬も人の心を正しく読みとってはいないかもしれない。それでも14年半という年月をかけて築かれた、静かな愛と信頼とはすごいものだ。

促されて私は老いて白っぽくなった頭をなでてやり、カメラをしまうと犬と並んでよたよた家路をたどるのだ。この静かな交流が一日でも長く続きますようにと祈りながら。

写真を撮られて辛抱しているまやちゃん。もう網膜がうまく閉まらないせいで光がまぶしい。

よたよた、よたよた。もう帰りましょう。

でも唐突にハガガガうなりながらグリングリンしたりもするのだ。

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