2017年7月30日(日) うんと昔の記憶がある。バイクに乗せてもらって後方に飛びすさる景色を眺めながら、風がびゅんびゅん顔に当たるのを感じている。胸は高揚感ではちきれそうだ。 風切り音と風圧と視界の両脇を飛んでゆく街の風景。あの胸の高鳴りは今でもすぐに取り出せて、爽快な感覚はまだ若くはつらつとしていた叔父のイメージと強く結びついている。 その叔父が昨日、79才で他界した。肺扁平上皮癌で緩和ケア病棟に移って四日目で、私が病室を後にしてからたった三時間後。妻と二人の子供達に見守られながら静かに静かに旅立った。 叔父は一ヶ月ほど前から急速に衰えつつあり、私たちが海外に行っている間に葬儀になるかもしれないという覚悟はあった。でも、昨日は会話はできないとはいえ意識はあって、話しかけると何か言おうとしていたから、旅行前にもう一回見舞いに来てやろうと思っていたのに。 金曜日に緩和ケア病棟に移ったことを知らされたから、マヤの美容院以外の予定を全てキャンセルして会いに行った。手を握しめて身体をさすりながら、退院したらまた車椅子を押したげるからイオンモールの本屋に行って、それからコーヒー飲みに行こうねと話しかけると、目はうんうんという風に語っていた。 とぎれとぎれに何か伝えようと口を動かしていて、それらの言葉を読み取るには私はあまりにも力足らずだったのが残念だ。ただ、別れ際、眠り始めた叔父の手を取って「また来るね」と話しかけた時、かすかに動いた口、あれは「ありがとう」と言おうとしたのではと何となく思う。 バイクに乗せてもらった記憶ともうひとつ。叔父にまつわる強い印象は私自身が経験したものではなくて、母から繰り返し聞かされた戦時中の記憶。 若い頃はアラン・ドロンに似ているとしばしば言われたくらいハンサムだった叔父はけっこうな悪さもしたらしい。母が叔父の後始末のためにヤクザの事務所に乗り込んだ武勇伝すら漏れ聞いたくらいだから、今で言えば相当の「やんちゃ」だったのだろう。車もキャデラックみたいな大きなアメ車に好んで乗っていたものだ。 そんなキャラクターは年老いてからも変わりがなくて、最後に頼まれたものは「ヘッドの部分に彫刻のある杖」だったと言えば、叔父のトッパぶりをお分かり頂けるだろうか。 やんちゃ故に母に迷惑をかけていた叔父はその後会社を立ち上げて、長い間何とかかんとか経営していたそれもリーマンショックで倒産に至り自己破産。 こうして思い出してみると、叔父は苦しみも多かったろうがけっこう愉快な人生を送ったようだ。 フロンティア精神あふれる母方の血筋においても、一二を争うトッパだった叔父。おしゃれでハンサムでわがままで愛情深い人だった。たったひとつ心残りがあるとしたら、最後の別れ際に「おじちゃん、大好きだよ」と言わなかったことだけど、きっと分かってくれているだろう。 進おじちゃん、人生山あり谷ありで本当に色々あったけどお疲れさま。可愛がってくれてありがとう。あともう少ししたらまたバイクに乗せてもらうの、楽しみにしてるよ。 |
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2017年7月28日(金) 先日マヤは14才と半年になった。てちてちとてとてと足音が聞こえてきそうなリズミカルな歩き方はとても老犬には見えなくて、「足取りがしっかりしてるから若いワンちゃんかと思った」とよく言われる。8,9才まで父と一緒にマンションの四階までの階段を上り下りして散歩に出かけていたお陰で、足の筋肉が強いのだろう。 でもそんなマヤも14才を半年も越えるとさすがに年を感じるようになった。耳はとっくに聞こえないし、一日のほとんどを寝て過ごす。硬いものをのどにつめるようになったから、ドライフードにお湯をかけてふやかした「やわらかめし」を食べさせている。 これから先、もっともっといろんな変化がやって来るのだろう。ぽてぽてぽて……という愛らしい足音もそのうち聞くことがなくなって、私は足が萎えたマヤを乗せた乳母車を押すことになるかもしれない。 「マヤがいなくなるのは嫌だなあ。ずっとずっと生きてればいいのに!」と嘆いたら、ヘボピーが言った。「でも、マヤ独りだけ長生きしても可哀想」 今のところはてちてち歩くし、おやつを手に持つと欲しくてたまらなくてピョンピョン跳ぶくらいには元気だから、まだしばらくはそう心配することはないだろう。 ただひとつ確実なのは、目の前で尻尾を振っている可愛らしい生き物は近い将来いなくなってしまうことだけで、それまでは共に過ごす全ての時間をしっかり噛みしめようと思ってる。 ![]() ![]() |
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2017年7月26日(水) 暑さと湿気と五十肩でへろへろではあるものの、何もできなくなるほどまでには体調は悪くなく、昨夜は頭をブルーに染めてもらいに行く程度の元気はある感じ。 いや、ブルーとは言っても白髪染めしたカフェオレブラウン(ひらたく言えばブラウンのプードルがヨボヨボの年寄りになった時の茶色)が落ちきっていない上にブルーの染料をかけるだけだから、パッと見は紺色っぽい黒髪で、白髪の伸びてきたところだけがブルーグレーの色味。雑踏では埋没するありきたりなレベルである。 それでも美容師に「若い人はこういう色にしたがるんですけどねー」(※)と言われて気を良くする程度には個性的で「あっという間に色落ちする」という難点はあるものの、まあ成功の部類に入るかな。 さて、先だ先だと思っていたウズベキスタン旅行がヒタヒタとしのび寄りつつあり、微妙にストレスを感じる毎日だ。 今回はヘボピーも一緒に行くから、後に残す遺言書も書き変えなくてはならない。 そんなあわただしい中にあって同僚は子供から「手足口病」をもらって三連休。仕事は二倍でもう、何がなにやら。こういう時には熱いお灸を自分にすえて(最近セルフお灸に凝っているのだ)、さあ今日も万事バッチこーい!! |
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2017年7月21日(金) まずはじめに一言。ここを見た友人から「『死』斑病じゃないよ!『紫』斑病だよっ!」とメールがあったので、18日の日記の病名をデスからパープルに謹んで訂正いたします。 どうして脳内で即座に「死」の方に変換されたのかな、死斑病ってコレラのことだっけ?とググったところ、古い記憶が蘇った。どうやら幼い頃に読んだジャングル大帝で、レオの妻ライヤがこの病気で命を落としたエピソードの恐怖が記憶に焼き付いていたようだ。幼少時の記憶、あなどれん。
なお現在の室温は31度。エアコンを「標準マイナス4度」で使っているものの(「標準」からプラスマイナス4度設定だけは作動する。意味ねえ!(怒)送風口からぶぉんぶぉんとなま暖かい風が吹いてくるのみ。気が狂いそうだから、とっとと会社に涼みに行く。まあ会社は会社で暑がりオヤジに優しい温度設定のために、ペンギン舎ばりに冷え冷えで身体を壊しそうなのだが。 男女間の適温をさぐるのは難しい。エアコンも異性関係も……とアホなこと言うとらんと、今日も一日五十肩に耐えてがんばります。みなさんも冷やしすぎずぬくめすぎず、身体を適温に保ってね! 「2円」ってなんやねん?「2円」って!! |
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2017年7月20日(木) 「夫婦仲のよしあし」が話題に上る時、いつも思い出す父母のエピソードがある。 そんな中にあって母がよく私にぼやいていた思い出話がひとつ。 舞台の上の王子様のようにしっかと胸に受け止められるものと思っていた母は、深く傷ついたのだろう。「あの時に『ああこの人とはやっていけない!』としみじみ思った」と何度も何度も私に語り、私はその度に「お父さん、ひどいねえ。お母さんの気持ち、よく分かるわ」と慰めたものだ。 でも今なら父の気持ちも分からないでもない。妻が突然くるくる回りながら胸に飛び込んできた時に、一体何割の夫がひしと胸にかき抱けるだろう!西洋人ならいざ知らず、日本人夫の半数以上は反射的にはねのけないまでも、「おまえ何やっとんねん」としらけた反応を示して妻をがっかりさせるのではなかろうか。 多分父は照れたのだろう。若い頃は「お父さんは冷たい」と思っていたけれど、父の気持ちも母の気持ちもこの年になると理解できる。「相性が良くない男女が結婚したこと」、それが全ての元凶なのだ。 それでも母60代、父70代になった頃にはようやく互いのペースが飲み込めたと見えて喧嘩は減り、私が実家に先代犬イリを預けていた頃など、まるでずっと昔から仲のよかった夫婦のようにイリを連れて散歩に出かけていた。そんな両親の姿を見るにつけ、夫婦とは複雑だなあと思ったものだ。 もし母が68才でアルツハイマーを発症し、その後家族との意志疎通が不可能になっていなければ、二人の関係はどんな風に形を変えていただろう。50年以上の歳月をかけて進化した「夫婦である両親」の姿を目にできなかったのは、なにかしら残念でもある。 |
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2017年7月18日(火) 怖い夢を見ていた。なぜか私にロシア人ハーフのティーンエイジャーの姪っこがいて、その子がうちに遊びに来るから泊めてやってと誰かに言われるのだ。 そんな子、存在すら知らなかったのにどうして今になって?とブツブツ言いながら準備していたら、姪に続いて来るわ来るわ!NHK教育テレビでやってるアメリカンコメディー映画に出きそうなテンション高めの子供たちが20人ほど続々と。 若い子だからフライドポテトとかチキンがいいのかな。でもファミマのチキンとかだったら嫌がるだろうから、やっぱここはケンタッキー?でも20人分のケンタはお財布にキツい。どうして私がこんな目に……と悶々とするあまり目が覚めた。いやー、こういう地味にリアリティーのある夢って、テロリストに拉致される展開よりかえって怖いわ。 さて、話は変わるが入院中の友人の見舞いに行ってきた。そいでもって「手拍子しただけでこんなになったんだけど、どう思う?」と、ドス黒いあざの浮き出た手のひらを見せたところ、「この青あざは普通の青あざだよ(苦笑)」というコメントで私を安心させるどころか、やおらスマホで「死班病」と検索し始めて恐怖をあおってくれたわ。 まあ手のひらのみならず甲にまで浮いていた醜い黒いシミは、マサラ上映手拍子大会から3日経過した今やや薄くなり、やっぱり加齢に伴う血行不良が増幅させたただの青あざのようで一安心。 病院通いだけで有給がどんどん減っていくのは情けないけどこれが老い。仕方ねえ。 ![]() ベッドが「ピンクさん」だからもう4,5年前の写真かな。今よりおなかパンッ!としている。 ![]() 私もまやちゃんみたいに仕事もせずに寝くたれたいけど、それはそれで退屈かな。 |
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2017年7月16日(土) 関西マサラ上映の聖地・塚口サンサン劇場で開催された「オーム・シャンティ・オーム」上映会に参加したせいで左手の表側と裏側に青あざが浮き出ている。きちゃない、そして痛い。 マサラ上映とはコスプレ、歓声、ダンスはもとより、クラッカーも紙吹雪もウエルカム。劇場は自衛隊の総火演ばりに火薬くさくなり、フィナーレには観客がみんな立ち上がり狂ったように歌って叫ぶ、熱闘カオスイベントである。 まあ確かに「V8!V8!」とイモータン・ジョーを称えるくらいでしか手拍子をしないマッドマックスや、なんたって英国紳士が主役のキングスメンに対して、インドミュージカルは3時間ノンストップで手拍子足拍子。多少の肉体的疲労はあって当然なのだが、それにしても手拍子したくらいで青あざとは……。わたし、もうじき死んじゃうのかな? ……という冗談(でもないが)はわきにおいといて、これから大学病院に検査入院している友人の、見舞いと称したおしゃべり大会に行ってくる。その際は医療従事者である友にこの青あざは別に普通の青あざだよ、とお墨付きをもらって「身体が腐りかけてるのでは?」という不安感とおさらばしたいものだ。 ![]() ![]() |
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2017年7月13日(木) ちょっと前までカラスは嫌いだった。ゴミを漁るからでも気味が悪いからでもない。巣立ちを目前にしたツバメのひなを、飛べるか飛べないかくらいに大きくなった頃合いを見計らって一羽残らず食らってしまうから目の敵にしていた。 でもカラスには関係のないところでツバメの数はどんどん減っていたのだ。 それが分かってからというもの、図太くも懸命に生きているカラスがやおら愛しくなってきた。夕焼けの街でカラスがカアカアと鳴き交わしていると、何をしゃべっているんだろう?と音階の違いに耳を凝らすようになった。 そういえば友人にカラスが大好きな人がいて、家族を連れて見せにくるくらい仲良くなったと言っていたんだ。でも、もっと親交を深めようと画策した友人、トリ笛を買ってコミュニケーションを取ろうとしたはいいけれど、笛を吹くや周辺のスズメたちが空中にマメを散らすように逃げていったらしい。
そうやってビー玉をふところに忍ばせ歩くこと数週間。先日ようやくカラスとの遭遇に恵まれた。公園のゴミを漁っていた数羽の成鳥と、一羽だけぽつねんと落ち葉をかき分けていた、多分巣立って間もない若い鳥。 ゴミに群れている成鳥の間に三色のビー玉を置いてしばらくしてから戻ったら、透明のやつだけが消えていた。青と緑は人間の目から見ればサファイアとエメラルドみたいで綺麗なのに、カラスの目には透明のビー玉が一番キラキラ輝いて魅力的なんだろうか。 一羽で遊んでいた幼鳥はまだ人間の怖さを知らないのか、3メートルほど近づいても逃げることなく、そっと置いた青と緑のビー玉をくわえるや、一心不乱につつつき始めた。どうやら食べ物だと思ったらしい。 巣立って間もないせいで「綺麗なものをコレクションする」楽しみをまだ知らなくて、食い気が先なのかなあとガッカリしながらその場を去って、しばらくして戻ったらビー玉は二つともなくなってた。 今ごろどこかの木のてっぺんにある巣の中には、青や緑や透明のビー玉がしまわれているだろうか。鳥の目にしか触れない空に近いところで、日の光を受けてキラキラ光っているビー玉を想像すると何だか楽しい。 ![]() |
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2017年7月11日(火) 月日が経つのは早いもので、この世に生を受けてはやン十年。犬猫の平均寿命の4倍近く生きた今、ワシも老いたのお……と感じることがびっくりするほど増えてきた。 そんな加齢バーストの日々にあって、一番こりゃアカン!とびっくりしたのは、「メガネメガネ」と捜していたら、すでにメガネをかけていた時。あの時はさすがに怖くなって、脳の検査に行くべきか?と悩んだわ。 まあプトレマイオス朝や戦国時代なら「よく生きましたね」と称えられるお年頃。医学の進歩のお陰で寿命そのものは伸びてはいるが、ホモ・サピエンスとしてはたかだが千年くらいで細胞が飛躍的な変革を遂げるはずもなく、肉体的衰えはまあしゃーないかと自分に言い聞かせる毎日だ。 当面の目標は「定年までがんばる」こと。ただ気にかかるのは、現在60才定年プラス5年は嘱託で働く(働かざるを得ない)労働環境が、年金支給開始年齢の先延ばしに伴って、75才くらいまで嫌でも労働せざるを得ない暗黒の未来がやってきそうな点。 ……とまあ不安はてんこ盛りの中年ライフだが、もう将来のことをあれこれ考えて準備するのはやめにした。せいぜい一ヶ月ほど先のことだけ考えて生きるように心がけている。 さて、今週末は近所の映画館でインド映画「オーム・シャンティー・オーム」のマサラ上映だ。映画を観ながら歌って踊って紙吹雪をまき散らすパーティーイベントに、ワル側のキャラクター、ムケーシュのコスプレをして参加しようと画策しつつ、小物のヤシの実をヤフオクで捜す日々。 |
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2017年7月7日(金) このごろマヤがごはんをのどに詰めるようになった。「満腹感サポートスペシャル」(3キロ袋5千円。これが一ヶ月もたない)にゆでキャベツと肉切れを乗せたのが我が家の犬めし。そのドライフード部分がのどにひっかかるみたいで、食べたあとにカハッ、カハッと苦しそうだったり、時にはもどしたり。 14才と5ヶ月。さすがのマヤも年には勝てない。そこでドライフードをお湯でふやかして「やわらかめし」にして与えるようになったら、のどごしスッキリ、食うわ食うわ! 人間から見ればお世辞にも「ウマソー!」とは言えないやわらかめしを、モリモリ食べてモリモリ大きなふんをするマヤは、人間でいえば80才過ぎてエベレストに登っちゃうようなおたっしゃ老犬なのかな。願わくは最後の日までこの調子で走り抜けて欲しいものである。
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2017年7月5日(水) みなさんは水菜をどうやって料理するだろう。ゆでてかつおぶしとだし醤油をかけておひたしに?そのままでドレッシングをかけてサラダに? しょうゆと砂糖で味付けしただしに、水菜と薄切り豚を細切りにした油揚げそして豆腐を入れて煮込むだけ。肉を摂取しつつ「野菜もたくさん食べた」という自分への言い訳の立つ簡単メニュー。 どんなに高くても一束200円。安いときには89円で売っている水菜はよく使う野菜だけれど、これを洗って切る時には、いつもちょっぴり緊張する。他の野菜だと気持ちだけ水をかけて汚れを取るだけなのに、水菜に限っては一株一株かき分けて、根本から葉先まで真剣にチェックして、たっぷりの流水で洗うのがマイルール。 その理由は他ならぬ虫。ムイムイ。インセクト。 もちろん生きてはいなかったけれど、そんなLLサイズのブツがJAの検査をかいくぐり、消費者の食卓に届けられるとは……。意表を突かれてショックを受けた。虫嫌いなら(私だって好きじゃないが)トラウマになりそうな、それほどまでに見事なバッタ。 バッタの遺骸はゴミで捨てるのも可哀想に思えて、外に出て草の上に置いてきたけど、しばらく背筋のゾクゾクが消えなかった。 |
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2017年7月4日(火) パソコンが死にかけだ。ここまでの文章を打つまでに20分の時間と6回の再起動を必要とした。 おまけにエアコンを入れようとしたらリモコンで電源は入るのに、「暖房」から切り替えができないと分かって絶望中。 現在室温29度。多分湿度100%で不快指数は15000くらいあると思う。昨日の三重行きのレポをしたかったのだが、こんな環境ではちょっと無理。暑さと湿気と身体のかゆみで知能指数がゼロまで低下しているので、更新は諦めて会社行くわ。こういうちょっとしたイライラすら克服できない私ってまだまだ青いわねえ。 |
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