2017年7月30日(日)

うんと昔の記憶がある。バイクに乗せてもらって後方に飛びすさる景色を眺めながら、風がびゅんびゅん顔に当たるのを感じている。胸は高揚感ではちきれそうだ。
あれはいつのことだったろう。座席の前に抱える形とはいえバイクに乗れるだけの年だからそこそこ大きいはずだけど、一番古い記憶のひとつだから小学生になる前かもしれない。運転しているのは叔父(母の弟)だったはずで、「こんなこと覚えてる?」と叔父に尋ねてみたら、「そんなことあったかなあ」という答えがかえってきた。

風切り音と風圧と視界の両脇を飛んでゆく街の風景。あの胸の高鳴りは今でもすぐに取り出せて、爽快な感覚はまだ若くはつらつとしていた叔父のイメージと強く結びついている。

その叔父が昨日、79才で他界した。肺扁平上皮癌で緩和ケア病棟に移って四日目で、私が病室を後にしてからたった三時間後。妻と二人の子供達に見守られながら静かに静かに旅立った。

叔父は一ヶ月ほど前から急速に衰えつつあり、私たちが海外に行っている間に葬儀になるかもしれないという覚悟はあった。でも、昨日は会話はできないとはいえ意識はあって、話しかけると何か言おうとしていたから、旅行前にもう一回見舞いに来てやろうと思っていたのに。
どうしてもマヤをカットしてもらわなきゃならなかったから、帰宅して返す刀でわんわん美容院に連れて行き、一旦家に戻ってうつらうつらしている時に叔母から電話があった。「おじいちゃん、天国に行きました」 あまりも急なことで何がどうなったのか理解できなかった。

金曜日に緩和ケア病棟に移ったことを知らされたから、マヤの美容院以外の予定を全てキャンセルして会いに行った。手を握しめて身体をさすりながら、退院したらまた車椅子を押したげるからイオンモールの本屋に行って、それからコーヒー飲みに行こうねと話しかけると、目はうんうんという風に語っていた。

とぎれとぎれに何か伝えようと口を動かしていて、それらの言葉を読み取るには私はあまりにも力足らずだったのが残念だ。ただ、別れ際、眠り始めた叔父の手を取って「また来るね」と話しかけた時、かすかに動いた口、あれは「ありがとう」と言おうとしたのではと何となく思う。
「ありがとう」父もカナも最後の別れ際にこう言った。叔父もきっとそうだろう。


バイクに乗せてもらった記憶ともうひとつ。叔父にまつわる強い印象は私自身が経験したものではなくて、母から繰り返し聞かされた戦時中の記憶。
疎開していた母と叔父は地元の子供達にいじめられ、哀しみで張り裂けそうな心を胸に、母はまだ幼い叔父の手を引きながら、高知の浜の波打ち際をただひたすらに歩いていた。そんな幼いきょうだいの姿は言葉にはできない物寂しさと同時に、そっと後ろからついて行きたいような愛しく暖かいイメージとして、私の心に強烈に刷り込まれている。

若い頃はアラン・ドロンに似ているとしばしば言われたくらいハンサムだった叔父はけっこうな悪さもしたらしい。母が叔父の後始末のためにヤクザの事務所に乗り込んだ武勇伝すら漏れ聞いたくらいだから、今で言えば相当の「やんちゃ」だったのだろう。車もキャデラックみたいな大きなアメ車に好んで乗っていたものだ。

そんなキャラクターは年老いてからも変わりがなくて、最後に頼まれたものは「ヘッドの部分に彫刻のある杖」だったと言えば、叔父のトッパぶりをお分かり頂けるだろうか。
車椅子になる前は杖をつきつき歩けていたもだから、介護施設から支給されたありきたりな杖の代わりに「米米CLUBの石井達也や内田裕也が持ってるようなの」が欲しくなったらしい。ああドラゴンや石がついてるやつね!それなら海外アーティストの作品をネット通販してるEtsyってサイトで見つかりそうだわと言うと、お前は頼りになるなあと喜んでくれた。

やんちゃ故に母に迷惑をかけていた叔父はその後会社を立ち上げて、長い間何とかかんとか経営していたそれもリーマンショックで倒産に至り自己破産。
いよいよアウトか?というタイミングで息子(私のいとこだ)が自動車事故で他界。あとに億近い保険金が遺された「お陰」と言うにはあまりに悲しい出来事だったが、なんだかんだで救われて、ようやく金の心配をせずに済む(慎ましいものだったけれど)老後を送れるようになり、絵を習い始めてしばらくの間は穏やかな日々を送っていたけれど、やがて持病のリューマチが悪化、そして癌になってしまった。


こうして思い出してみると、叔父は苦しみも多かったろうがけっこう愉快な人生を送ったようだ。
おしどり夫婦で三人のこどもと四人の孫にも恵まれ、最後は可愛がっていた姪(私だ)も出発三時間前のタイミングで駆けつけて、フィナーレは妻と二人のこどもに見取られるなんて!これはもう、ぜったいに「ああ!面白かった!」と言いながら旅立ったに違いない。

フロンティア精神あふれる母方の血筋においても、一二を争うトッパだった叔父。おしゃれでハンサムでわがままで愛情深い人だった。たったひとつ心残りがあるとしたら、最後の別れ際に「おじちゃん、大好きだよ」と言わなかったことだけど、きっと分かってくれているだろう。

進おじちゃん、人生山あり谷ありで本当に色々あったけどお疲れさま。可愛がってくれてありがとう。あともう少ししたらまたバイクに乗せてもらうの、楽しみにしてるよ。

2017年7月28日(金)

先日マヤは14才と半年になった。てちてちとてとてと足音が聞こえてきそうなリズミカルな歩き方はとても老犬には見えなくて、「足取りがしっかりしてるから若いワンちゃんかと思った」とよく言われる。8,9才まで父と一緒にマンションの四階までの階段を上り下りして散歩に出かけていたお陰で、足の筋肉が強いのだろう。

でもそんなマヤも14才を半年も越えるとさすがに年を感じるようになった。耳はとっくに聞こえないし、一日のほとんどを寝て過ごす。硬いものをのどにつめるようになったから、ドライフードにお湯をかけてふやかした「やわらかめし」を食べさせている。

これから先、もっともっといろんな変化がやって来るのだろう。ぽてぽてぽて……という愛らしい足音もそのうち聞くことがなくなって、私は足が萎えたマヤを乗せた乳母車を押すことになるかもしれない。

「マヤがいなくなるのは嫌だなあ。ずっとずっと生きてればいいのに!」と嘆いたら、ヘボピーが言った。「でも、マヤ独りだけ長生きしても可哀想」 
そう言われたら確かにそうだ。お父さんもお母さんもカナちゃんもヘボピーねえちゃんも、私もだあれもいなくなって、独りぽつねんと座っている犬を想像すると胸が苦しくなった。

今のところはてちてち歩くし、おやつを手に持つと欲しくてたまらなくてピョンピョン跳ぶくらいには元気だから、まだしばらくはそう心配することはないだろう。
けれど「その時」はいつやってくるかは誰にも分からない。東京オリンピックを一緒に見られたら嬉しいけれど、明日突然に終わりが来てもうろたえないだけの覚悟はできている。

ただひとつ確実なのは、目の前で尻尾を振っている可愛らしい生き物は近い将来いなくなってしまうことだけで、それまでは共に過ごす全ての時間をしっかり噛みしめようと思ってる。

2017年7月26日(水)

暑さと湿気と五十肩でへろへろではあるものの、何もできなくなるほどまでには体調は悪くなく、昨夜は頭をブルーに染めてもらいに行く程度の元気はある感じ。

いや、ブルーとは言っても白髪染めしたカフェオレブラウン(ひらたく言えばブラウンのプードルがヨボヨボの年寄りになった時の茶色)が落ちきっていない上にブルーの染料をかけるだけだから、パッと見は紺色っぽい黒髪で、白髪の伸びてきたところだけがブルーグレーの色味。雑踏では埋没するありきたりなレベルである。

それでも美容師に「若い人はこういう色にしたがるんですけどねー」(※)と言われて気を良くする程度には個性的で「あっという間に色落ちする」という難点はあるものの、まあ成功の部類に入るかな。
(※)私はベースが白髪だから派手な色でも反映されるが、まだ髪のメラニン色素が抜けていない若者がアニメカラーにしようとすると、三回はブリーチをかけねばならないそうで、地肌と毛髪をボロボロにするリスクが非常に高いのだ。

さて、先だ先だと思っていたウズベキスタン旅行がヒタヒタとしのび寄りつつあり、微妙にストレスを感じる毎日だ。
40度がスタンダードで、下手すれば50度にもなるという気温がおそろしすぎて、耐久性の高いプロ用SDカードを調達したり、「デジカメは50度でブッ壊れませんかねえ」とキャノンのサポートセンターに電話してみたり、経口補水ゼリーやパウダータイプのポカリスエットをドカ買いしたりと、細かい準備が多くて微妙に大変。

今回はヘボピーも一緒に行くから、後に残す遺言書も書き変えなくてはならない。
今やヘボピー以外に法定相続人がいないので、万一二人ともおっ死んだ場合、遺言書がなければしょぼい遺産は全部お国に吸い上げられてしまう。でもってこういうケースのために準備した遺言書はあるものの、相続人の一人であるるしゃるさん亡き今、リストのメンツを書き換えにゃならんのだ。

そんなあわただしい中にあって同僚は子供から「手足口病」をもらって三連休。仕事は二倍でもう、何がなにやら。こういう時には熱いお灸を自分にすえて(最近セルフお灸に凝っているのだ)、さあ今日も万事バッチこーい!!

2017年7月21日(金)

まずはじめに一言。ここを見た友人から「『死』斑病じゃないよ!『紫』斑病だよっ!」とメールがあったので、18日の日記の病名をデスからパープルに謹んで訂正いたします。

どうして脳内で即座に「死」の方に変換されたのかな、死斑病ってコレラのことだっけ?とググったところ、古い記憶が蘇った。どうやら幼い頃に読んだジャングル大帝で、レオの妻ライヤがこの病気で命を落としたエピソードの恐怖が記憶に焼き付いていたようだ。幼少時の記憶、あなどれん。

さて、ぶっ壊れて「暖房」から切り替えられない能なしエアコンに見切りを付けて、週末はマヤハウスに避暑に行く。マヤハウスは高台にある窓の多い家だから、渋谷から軽井沢に行く感覚なのだ……って渋谷にも軽井沢にも住んだことないけどね。

なお現在の室温は31度。エアコンを「標準マイナス4度」で使っているものの(「標準」からプラスマイナス4度設定だけは作動する。意味ねえ!(怒)送風口からぶぉんぶぉんとなま暖かい風が吹いてくるのみ。気が狂いそうだから、とっとと会社に涼みに行く。まあ会社は会社で暑がりオヤジに優しい温度設定のために、ペンギン舎ばりに冷え冷えで身体を壊しそうなのだが。

男女間の適温をさぐるのは難しい。エアコンも異性関係も……とアホなこと言うとらんと、今日も一日五十肩に耐えてがんばります。みなさんも冷やしすぎずぬくめすぎず、身体を適温に保ってね!

「2円」ってなんやねん?「2円」って!!

2017年7月20日(木)

「夫婦仲のよしあし」が話題に上る時、いつも思い出す父母のエピソードがある。
父母の夫婦仲はお世辞にも良好とは言えず、それでも私たちが幼い頃は亭主関白の父に母が渋々会わせる形でなんとか平和を保っていたものの、両親が中年にさしかかった頃には末妹が荒れた影響もあったのだろう、「仲のいい夫婦像」からは一万光年ほど離れて喧嘩の絶えない家庭だった。

そんな中にあって母がよく私にぼやいていた思い出話がひとつ。
両親がまだ若い頃、テレビに写るバレエの舞台を見た母がふざけてバレエダンサーの真似をして踊り、くるくる回りながら父の胸に飛び込もうとした。すると父、「気色悪い!」と言ったのかどうかは覚えていないが、反射的にに母をバンッ!とはねのけたらしいのだ。

舞台の上の王子様のようにしっかと胸に受け止められるものと思っていた母は、深く傷ついたのだろう。「あの時に『ああこの人とはやっていけない!』としみじみ思った」と何度も何度も私に語り、私はその度に「お父さん、ひどいねえ。お母さんの気持ち、よく分かるわ」と慰めたものだ。

でも今なら父の気持ちも分からないでもない。妻が突然くるくる回りながら胸に飛び込んできた時に、一体何割の夫がひしと胸にかき抱けるだろう!西洋人ならいざ知らず、日本人夫の半数以上は反射的にはねのけないまでも、「おまえ何やっとんねん」としらけた反応を示して妻をがっかりさせるのではなかろうか。

多分父は照れたのだろう。若い頃は「お父さんは冷たい」と思っていたけれど、父の気持ちも母の気持ちもこの年になると理解できる。「相性が良くない男女が結婚したこと」、それが全ての元凶なのだ。

それでも母60代、父70代になった頃にはようやく互いのペースが飲み込めたと見えて喧嘩は減り、私が実家に先代犬イリを預けていた頃など、まるでずっと昔から仲のよかった夫婦のようにイリを連れて散歩に出かけていた。そんな両親の姿を見るにつけ、夫婦とは複雑だなあと思ったものだ。

もし母が68才でアルツハイマーを発症し、その後家族との意志疎通が不可能になっていなければ、二人の関係はどんな風に形を変えていただろう。50年以上の歳月をかけて進化した「夫婦である両親」の姿を目にできなかったのは、なにかしら残念でもある。

2017年7月18日(火)

怖い夢を見ていた。なぜか私にロシア人ハーフのティーンエイジャーの姪っこがいて、その子がうちに遊びに来るから泊めてやってと誰かに言われるのだ。

そんな子、存在すら知らなかったのにどうして今になって?とブツブツ言いながら準備していたら、姪に続いて来るわ来るわ!NHK教育テレビでやってるアメリカンコメディー映画に出きそうなテンション高めの子供たちが20人ほど続々と。
で、こんな人数ではうちに入れない!とあわてて開放してもらったマンション付属のキッズルームにガキどもを放り込み、スナックの買い出しに走る夢。

若い子だからフライドポテトとかチキンがいいのかな。でもファミマのチキンとかだったら嫌がるだろうから、やっぱここはケンタッキー?でも20人分のケンタはお財布にキツい。どうして私がこんな目に……と悶々とするあまり目が覚めた。いやー、こういう地味にリアリティーのある夢って、テロリストに拉致される展開よりかえって怖いわ。

さて、話は変わるが入院中の友人の見舞いに行ってきた。そいでもって「手拍子しただけでこんなになったんだけど、どう思う?」と、ドス黒いあざの浮き出た手のひらを見せたところ、「この青あざは普通の青あざだよ(苦笑)」というコメントで私を安心させるどころか、やおらスマホで「死班病」と検索し始めて恐怖をあおってくれたわ。
まあ結論から言えば「血行不良のためだろう」ってところに落ち着いたのだが……。もう!びっくりさせんとって!!(#^ω^)

まあ手のひらのみならず甲にまで浮いていた醜い黒いシミは、マサラ上映手拍子大会から3日経過した今やや薄くなり、やっぱり加齢に伴う血行不良が増幅させたただの青あざのようで一安心。
その一方で五十肩はちっとも治る様子を見せてくれなくてさ……。毎晩痛みで目覚めるのにこれ以上耐えられなくなり、今日は有給取って整形外科にMRI撮りに行く。

病院通いだけで有給がどんどん減っていくのは情けないけどこれが老い。仕方ねえ。
赤んぼワンちゃんのマヤちゃんが、きょうだいと一緒に乳母車に乗っけられてお母さん犬に押されてお散歩してる、そんなメルヒェンな想像で悲しい心を慰めつつつ、会社、行ってきます。

寝くたれるまやちゃん。
ベッドが「ピンクさん」だからもう4,5年前の写真かな。今よりおなかパンッ!としている。

(ところで、「ダラッとした感じでぐっすり寝ていること」を母がよく「寝くたれる」と言っていたけど、よそのお宅でもする表現なのかな。)

♪わん わん わんわんわんの わん わんこにゃがっこうも〜 かいしゃもなんにも な〜い♪
私もまやちゃんみたいに仕事もせずに寝くたれたいけど、それはそれで退屈かな。

2017年7月16日(土)

関西マサラ上映の聖地・塚口サンサン劇場で開催された「オーム・シャンティ・オーム」上映会に参加したせいで左手の表側と裏側に青あざが浮き出ている。きちゃない、そして痛い。

マサラ上映とはコスプレ、歓声、ダンスはもとより、クラッカーも紙吹雪もウエルカム。劇場は自衛隊の総火演ばりに火薬くさくなり、フィナーレには観客がみんな立ち上がり狂ったように歌って叫ぶ、熱闘カオスイベントである。
で、私はこれまでに「マッドマックス 怒りのデスロード」で数回と「キングスメン」でこのマサラスタイルの上映会に参加してきたが、青あざができたのは始めてだからちょっとびびってる。

まあ確かに「V8!V8!」とイモータン・ジョーを称えるくらいでしか手拍子をしないマッドマックスや、なんたって英国紳士が主役のキングスメンに対して、インドミュージカルは3時間ノンストップで手拍子足拍子。多少の肉体的疲労はあって当然なのだが、それにしても手拍子したくらいで青あざとは……。わたし、もうじき死んじゃうのかな?

……という冗談(でもないが)はわきにおいといて、これから大学病院に検査入院している友人の、見舞いと称したおしゃべり大会に行ってくる。その際は医療従事者である友にこの青あざは別に普通の青あざだよ、とお墨付きをもらって「身体が腐りかけてるのでは?」という不安感とおさらばしたいものだ。

いつ見てもまやちゃんはここに座って待っている。ひたすらじっと待っている。

何もくれそうにないと分かると寝てしまう。この姿を見ると哀れになって、ついついおやつをやってしまうのだ。

2017年7月13日(木)

ちょっと前までカラスは嫌いだった。ゴミを漁るからでも気味が悪いからでもない。巣立ちを目前にしたツバメのひなを、飛べるか飛べないかくらいに大きくなった頃合いを見計らって一羽残らず食らってしまうから目の敵にしていた。

でもカラスには関係のないところでツバメの数はどんどん減っていたのだ。
フンの落下を嫌う人間に作りかけの巣を壊されたり、巣をかけていた建物が取り壊されてぴかぴかのアパートに変わったりで、40年前から近所にあった巣はとうとうひとつ残らずなくなってしまった。なんだ、ツバメの一番の敵はカラスじゃなくてヒトだったんじゃないの。

それが分かってからというもの、図太くも懸命に生きているカラスがやおら愛しくなってきた。夕焼けの街でカラスがカアカアと鳴き交わしていると、何をしゃべっているんだろう?と音階の違いに耳を凝らすようになった。

そういえば友人にカラスが大好きな人がいて、家族を連れて見せにくるくらい仲良くなったと言っていたんだ。でも、もっと親交を深めようと画策した友人、トリ笛を買ってコミュニケーションを取ろうとしたはいいけれど、笛を吹くや周辺のスズメたちが空中にマメを散らすように逃げていったらしい。
どうやら笛は「カラスと仲良くなるグッズ」ではなくて、「カラスの警戒音」を発する「カラスを追い払うグッズ」で、それを機にカラスとの友情物語は終わりを迎えたとのこと。


そういう話を聞いていたものだから、自分もカラスと仲良くなりたくてたまらない。だからバッグのポケットにはいつもビー玉が入っている。青、緑、透明。カラスはキラキラ光るものを好むそうなので、もし自分が鳥ならどんなビー玉を欲しいと思うかなと想像しながら選んだ。

でも、いざ仲良くなろうとすると、意外にそばにいないものだ。ツバメの巣を守っている時にはあれほど周囲をウロウロしてたのに。

そうやってビー玉をふところに忍ばせ歩くこと数週間。先日ようやくカラスとの遭遇に恵まれた。公園のゴミを漁っていた数羽の成鳥と、一羽だけぽつねんと落ち葉をかき分けていた、多分巣立って間もない若い鳥。

ゴミに群れている成鳥の間に三色のビー玉を置いてしばらくしてから戻ったら、透明のやつだけが消えていた。青と緑は人間の目から見ればサファイアとエメラルドみたいで綺麗なのに、カラスの目には透明のビー玉が一番キラキラ輝いて魅力的なんだろうか。

一羽で遊んでいた幼鳥はまだ人間の怖さを知らないのか、3メートルほど近づいても逃げることなく、そっと置いた青と緑のビー玉をくわえるや、一心不乱につつつき始めた。どうやら食べ物だと思ったらしい。

巣立って間もないせいで「綺麗なものをコレクションする」楽しみをまだ知らなくて、食い気が先なのかなあとガッカリしながらその場を去って、しばらくして戻ったらビー玉は二つともなくなってた。

今ごろどこかの木のてっぺんにある巣の中には、青や緑や透明のビー玉がしまわれているだろうか。鳥の目にしか触れない空に近いところで、日の光を受けてキラキラ光っているビー玉を想像すると何だか楽しい。

2017年7月11日(火)

月日が経つのは早いもので、この世に生を受けてはやン十年。犬猫の平均寿命の4倍近く生きた今、ワシも老いたのお……と感じることがびっくりするほど増えてきた。
膝痛・老眼・五十肩。足の痺れにものわすれ。急な階段は怖くて手すりを持たずにはおられなくなり、あれほど多かった髪の毛も日々心細くなり、レディースアートネーチャーを求める婦人の気持ちに深く共感できるようになった。

そんな加齢バーストの日々にあって、一番こりゃアカン!とびっくりしたのは、「メガネメガネ」と捜していたら、すでにメガネをかけていた時。あの時はさすがに怖くなって、脳の検査に行くべきか?と悩んだわ。

まあプトレマイオス朝や戦国時代なら「よく生きましたね」と称えられるお年頃。医学の進歩のお陰で寿命そのものは伸びてはいるが、ホモ・サピエンスとしてはたかだが千年くらいで細胞が飛躍的な変革を遂げるはずもなく、肉体的衰えはまあしゃーないかと自分に言い聞かせる毎日だ。
そりゃまあ五十肩とか老眼とか足のふらつきとかは不便でイライラするものだけど、イラッとくるたびに「昔だと死んでる年だから!自分よくがんばってるから!」と己を鼓舞している。

当面の目標は「定年までがんばる」こと。ただ気にかかるのは、現在60才定年プラス5年は嘱託で働く(働かざるを得ない)労働環境が、年金支給開始年齢の先延ばしに伴って、75才くらいまで嫌でも労働せざるを得ない暗黒の未来がやってきそうな点。

……とまあ不安はてんこ盛りの中年ライフだが、もう将来のことをあれこれ考えて準備するのはやめにした。せいぜい一ヶ月ほど先のことだけ考えて生きるように心がけている。

さて、今週末は近所の映画館でインド映画「オーム・シャンティー・オーム」のマサラ上映だ。映画を観ながら歌って踊って紙吹雪をまき散らすパーティーイベントに、ワル側のキャラクター、ムケーシュのコスプレをして参加しようと画策しつつ、小物のヤシの実をヤフオクで捜す日々。
でも、ヤシの実って意外と高い(3千円くらい)んだよねえ。たった一回のコスプレのためにそんな超いらんもん買っていいのか?というのが、目下の悩みである。

2017年7月7日(金)

このごろマヤがごはんをのどに詰めるようになった。「満腹感サポートスペシャル」(3キロ袋5千円。これが一ヶ月もたない)にゆでキャベツと肉切れを乗せたのが我が家の犬めし。そのドライフード部分がのどにひっかかるみたいで、食べたあとにカハッ、カハッと苦しそうだったり、時にはもどしたり。

14才と5ヶ月。さすがのマヤも年には勝てない。そこでドライフードをお湯でふやかして「やわらかめし」にして与えるようになったら、のどごしスッキリ、食うわ食うわ!
散歩に行く時にはいかにも老犬らしくしんどそうにヨロヨロ歩く犬が、帰りはダッシュ。お前はそんなに「やわらかめし」が食べたいのか!と苦笑してしまう。

人間から見ればお世辞にも「ウマソー!」とは言えないやわらかめしを、モリモリ食べてモリモリ大きなふんをするマヤは、人間でいえば80才過ぎてエベレストに登っちゃうようなおたっしゃ老犬なのかな。願わくは最後の日までこの調子で走り抜けて欲しいものである。

時々おやつをくれるおじいさんの家に遊びにきました。

門を開けるや当然のようにドアの前に進みます。

おやつを取りに行ったおじいさんを待っています

自分の家かよ!!

唐突に高ぶってぐりんぐりん。

やわらか・いぬだんご。座布団ヒデェ。

2017年7月5日(水)

みなさんは水菜をどうやって料理するだろう。ゆでてかつおぶしとだし醤油をかけておひたしに?そのままでドレッシングをかけてサラダに?
こじゃれたイタ飯屋(今の若い子もこんな呼び方するんだろうか)のシェフの気まぐれサラダでもちょくちょくお目にかかる水菜料理といえば、我が家では「水菜鍋」一択である。

しょうゆと砂糖で味付けしただしに、水菜と薄切り豚を細切りにした油揚げそして豆腐を入れて煮込むだけ。肉を摂取しつつ「野菜もたくさん食べた」という自分への言い訳の立つ簡単メニュー。

どんなに高くても一束200円。安いときには89円で売っている水菜はよく使う野菜だけれど、これを洗って切る時には、いつもちょっぴり緊張する。他の野菜だと気持ちだけ水をかけて汚れを取るだけなのに、水菜に限っては一株一株かき分けて、根本から葉先まで真剣にチェックして、たっぷりの流水で洗うのがマイルール。

その理由は他ならぬ虫。ムイムイ。インセクト。
以前スーパーで買ってきた水菜をビニールパックから取り出して、ささっと水で流そうとしたところ、何かしら違和感が……。葉っぱをかき分けて見ると、全長8センチはあろうかというトノサマバッタが手足を行儀良く格納し、発進を待つSF映画の宇宙船みたいにビシーッと、それはもうビシーッ!!!!としか表現のしようのない有様ではまっておられたのだ。

もちろん生きてはいなかったけれど、そんなLLサイズのブツがJAの検査をかいくぐり、消費者の食卓に届けられるとは……。意表を突かれてショックを受けた。虫嫌いなら(私だって好きじゃないが)トラウマになりそうな、それほどまでに見事なバッタ。

バッタの遺骸はゴミで捨てるのも可哀想に思えて、外に出て草の上に置いてきたけど、しばらく背筋のゾクゾクが消えなかった。
そういうわけで綺麗に洗われてスーパーの棚に並んでいるはずの野菜にも、こんなトラップが仕込まれているのだ。鍋の中でしんなり煮えたバッタを発見したくなければ、水菜の根本チェックはしっかりやることをお勧めする。

2017年7月4日(火)

パソコンが死にかけだ。ここまでの文章を打つまでに20分の時間と6回の再起動を必要とした。
これが2年前までならEzPrintの「社長」に電話一本、昼休みにでも月ヶ瀬の赤飯を下げて(社長の好物だった)Macラボにパソコンを持ち込めば、翌日には魔改造いや修理されて戻ってきていたのに……。
社長亡き今はなすすべもなく、イライラしながら再起動の「ぽーん」という音を何度も何度も聞くばかり。おおおお社長なぜ死んだー!社長カムバックー!

おまけにエアコンを入れようとしたらリモコンで電源は入るのに、「暖房」から切り替えができないと分かって絶望中。
いやちょっとまて、これ「設定温度」は動くみたい。ただ冷暖房の運転切り替えができないみたい……ってぜんぜん意味ねえ!「設定温度24度の暖房」ってなんだよそれは。暖房なのか冷房なのかはっきりしてくれ!

現在室温29度。多分湿度100%で不快指数は15000くらいあると思う。昨日の三重行きのレポをしたかったのだが、こんな環境ではちょっと無理。暑さと湿気と身体のかゆみで知能指数がゼロまで低下しているので、更新は諦めて会社行くわ。こういうちょっとしたイライラすら克服できない私ってまだまだ青いわねえ。

前月の日記はこちらから