2017年6月28日(水)
|
||||||
2017年6月27日(火) 肩の痛みで夜中に何度も目覚めたけれど、またすぐに眠りに落ちて昨夜は久しぶりにぐっする眠れたかんじがする。そして肉体がゆったり休めたお陰か、なんとも言いしれず優しい夢をたくさん見られた。 インド、パキスタン、タジキスタン、バングラデシュ……夢であちこち旅をした。それも見えるのは旅を終え、異国の地を去る場面ばかり。 つかの間の時を共に過ごした人々と抱き合い、握手し、またいつか会いましょうと約束を交わして別れを告げる。犬たちも次々挨拶をしにやってくる。 みんな私が大好きで、私もみんなが大好きな、心に平和が染み渡るような幸福な夢。もう二度と会うことはないだろうけれど、同じ空の下で暮らしていることが分かっているから安心していられる。 目覚めた時、ひょっとすると自分はこれから先、愛する者との別れを心静かに受け入れられるのではなかろうか?とふとそんなことを感じるような、とても安らかな夢だった。 |
||||||
2017年6月24日(土) 近鉄の回数券を買うことになりそうだ。病床の友を見舞った帰り道、この路線に乗ることは多分もう二度とないのだろうと思いながら、緑したたる車窓の風景を感傷的に眺めていたというのに……。一ヶ月もおかずしてまた三重かよ!!!! 友人の葬祭に参列するためじゃない。他ならぬ自分のためだ。一ヶ月ほど前から悪化しており、「まずいですね。あとちょっとで固まってしまいそうだ」と宣告されていた左肩が、ついにロッキング・ONしちゃってさ……。 「五十肩ぁ?老人の甘えちゃうん?」と冷ややかだった5年前の己に三食抜きの罰を与えたい。もー足は痛むし肩は痛むし、痛むところをかばうせいで関係ないところまでズキズキするし、もうどないせーっちゅーの?!ともてあまし気味の苛立ちをどこにもぶつけらず悶々とする毎日。 そんな中、他界した友人の妹さんが「神業的に上手い」と紹介してくれた東洋医学の先生。その治療院が三重のド田舎(もちろん駅は無人駅!)にあるわけですわ。 そんなこんなで五十肩と共存の道を求めて手探りで生きてる毎日。 |
||||||
2017年6月21日(水)
誰かこの花の名前を教えてください。いや、スマホだと「花の写真ですぐさま名前が検索できるアプリ」があるそうだけど、うち、まだガラケーなんだ……。 タッチパネルが嫌いすぎて、5年ほど前にau からタダでもらったガラケーを使い続けている。振り返ってみればこの5年間、色々なことがあった。そう、本当に色々なことがね……。(松本零士キャラのまなざし) 父が逝き、その翌年に母が逝き、そのまた翌年に妹が逝き、一息ついたと思ったら思いがけない方向から飛んできた弾で親友まで逝き……と神さまからの畳みかけるような攻撃を受けたこの5年。荒波の中を泳いでなんとかかんとか生きていた姿がメール履歴に刻まれているこのガラケーは、なんだか戦友みたいになっていて、なかなか手放す気になれないんだ。 まあ「戦友」なんてドラマチックなこと言ってるが、ほんとうは「ヘボピーにちょくちょく借りるスマホの操作が、五十肩が悪化するほどめんどくさくて、どうにもスマホに替えきれない」ってのが一番の理由なんだけどね。 だがこの戦友T800、もといT008(T800はターミネーター2でシュワちゃん達を追いかける奴だ)はこれまでに40回ほど──内10回ほどは1メーターの高さからコンクリート上に落としており、時々勝手に電源が切れたりするので、いつ突然死なさるか分からずヒヤヒヤもの。いい加減、替えた方がいいのかなあと迷いもある。 加えて先日、戦友を見捨ててスマホに替えたくなるニュースが飛び込んできた。ネガを撮影すればポジデータに変換してくれるスマホアプリが発売されたらしいのだ! そのアプリさえあれば、プリントするにできないまま眠っている(ネガフィルムからのプリントは高いから)数千枚のネガを写真データとしてHDDひとつに収められる。 そんなこんなで迷ったあげく、ヤマダ電気に行ってみた。それでもやはりタッチパネルに対する抵抗感は捨てきれず、「私を買って!」とカッチョよさを競うスマホを横目に、足が向いたのはガラケーの殻をまとったスマホ──ガラホコーナー。 いやあ、ガラホって種類も少ないしその割に値段はスマホ並みだし、そもそも「ガラホ」って名前からしてTENGAかよ?!って感じでカッコ悪すぎ。美意識重視で生きてる私にとって、ガラホはスマホとは違った意味でハードルが高い。 おまけに、最新鋭?のモデルときたら、マッハGoGoGoのレーシングカーみたいなツートンカラーのど派手なボディカラー。デザインだってガンダムっぽくて、50代の婦人が持つにはおふざけがすぎる。 こうなったらもう、Macユーザーとして落ち着くべきところ(iPhone)に落ち着くしかないのだろうか……と半分諦めながらも、パナソニックあたりがマッハGoGoGoもどきじゃなくもっとこうカッチョいい、マッドマックス的なガラホを発売してくれないかなあ、と一縷の望みを抱きつつ、古女房T008のボタンをぽちぽち押す日々だ。 |
||||||
2017年6月16日(金) ある日、帰宅するとマヤがガビガビになっていた。どうしたんだろうと思っていたら、料理するヘボピーの足元を物欲しげにちょろちょろして、テーブルの上のボウルに入っただし汁をひっくり返してばしゃっ!と浴びたらしい。 ある日、帰宅すると玄関がライスシャワーが終わったあとの教会みたいになっていた。どうしたんだろうとあたりを見回してみれば、ぼろぼろになったビニール袋の残骸。そういえばスズメにやろうと米を入れたビニールがお散歩バッグに入ったままだった。 ある日、帰宅するとマヤがぐるるる……と唸りながらはしゃぎまわっていた。どうしたんだろうと部屋を調べると、ハッピーターンの残骸。上手に袋を食い破って丸々一袋、空っぽになっている。 食べられたくない人間と食べたい犬の間でこの14年間続くいたちごっこ。笑ってばかりはいられない。鍋いっぱいのカレーを盗み食いされた時にはわんわん病院に入院、15万円もの治療費を払ったんだから! それでもこのところマヤの食欲はだんだん落ちており、ご飯を食べるペースは遅く、キャベツなんかは残すようになってきた。
|
||||||
2017年6月13日(火) 携帯に保存しているメールを読み直していた。これはカナが他界したすこし後、友人あかねさんから送られてきたものだ。 「お盆がすぎてからも、蒸し暑い日がつづきますね。 さて、ちさとさんの日記を読ませていただいて涙が止まりません。ほんとうに人間て儚いとひしひしと。 まだ辛いと思いますが、いまはご自分に優しくなさってくださいね。また落ち着かれたら、電話でお話しましょうね。 「私も相当にグズでトロいので、カナさんの生きにくかった気持ちも少しわかる気がします」か。確かにそういう見方もあるかもしれないなあ、とくすっと笑いがもれた。 3年前にこのメールをくれた友はもういない。昨日、6月12日の午後1時半、闘病の末に旅立った。今年のはじめに乳がんだと分かってから半年足らず、入院してからたったの12日と、のんびり屋のくせしてまるでつむじ風みたいに去ってしまった。 あかねさん──ペンネームは「るしゃる」というのだが──は私の一番古い友達で同い年で、親友と呼べる存在。(そういえば何故「るしゃる」なのか訊きそびれたままだったな。) 交流はその後40年近くに渡って続いた。我が家で生まれたサルーキの子犬はあかね宅に迎えられ、リラと名付けられて14年の犬生を全うし、うちの家庭の事情でしばらく犬が飼えなくなった時期には長い間ハルとキナを預かってもらったり、あかねさんが失業して困ったときには助けたり、ともちつもたれつの関係だった。 私が初めての同人誌を作った時からずっと、本を出すたびに原稿を寄せてくれた。寒い冬の夜、あかねさんの家に泊まり込んでこたつに入り、夜通し原稿をやったりしたし、彼女が行けないイベントにヘボピーと私の二人で参加して、あかね作のガンダムグッズを売ったりもした。 修道女のような清廉な雰囲気のあるあかねさんは黒髪を腰まで伸ばし、いつもスカートをはいていた。女らしい可愛らしい声の持ち主で、物静かなおっとり屋さん。パンツスーツでキリキリ動く押しの強い私とは正反対だった。家だって兵庫と三重と離れていたから、「犬」という接点がなければ出会っていなかった。 距離が離れていたせいもあって行き来はそう頻繁ではなかったし、お互いに夢中になる世界が変わった時には離れがちになることもしばしば。それでも愛犬雑誌から始まった交流は途絶えることなく続いていて、私にとっては家族と友人の中間にいる、何でも話せる慕わしい存在だった。 中学生の頃からずっと病気のご両親の世話をしていて、6年前に寝たきりのお母様を見送るまで、介護介護の毎日。複雑な家庭環境ゆえに10代の頃はずいぶん苦しかったと教えてくれたものだが、でもそんな中にあって頑張ってパソコンを学び、やがてパソコン教室で子供達を教えるようになっていた。 そういえば、あかねさんが入院してから初めて知ったことがある。偶然お見舞いで一緒になった叔父さんと叔母さんが、帰りに駅まで送って下さった時、車の中で聞いたこと。 それを知った時、胸がいっぱいになった。ああ!あかねさんはすでに大きな仕事を成し遂げたんだ。若い世代を導くという仕事を。 思えばとても不思議な感じがする。10代だった少女たちが40年近い年月を経て、一人が死の床にあるもう一人の手を握り締めることになるなんて! さて、まだあとしばらく私はこの世で生きていく。きっとまだやるべき仕事が残っているんだろう。でも、心の友を欠いた世界は、これまでと比べるとなんだか寂しく味気ない。 |
||||||
2017年6月9日(金)
夜の訪れと共に次々と花弁を開く草花を飽かず眺めて「ぽん、ぽんって音が聞こえるみたいだねえ」とささやき合った。メルヒェンやなあ。 メルヒェンというとホタルのことも思い出す。これも私がまだ小学校低学年だった頃。ホタルが群生する地方から帰ってきた父が私たちをびっくりさせようと、かご一杯のホタルを持って帰って明かりを消した部屋に放ってくれたこと。 最初は真っ暗だった部屋のそこかしこがやがてぽーっと光りはじめて、やがて光の粒が飛び回り始めた時の驚きときたら!まあ今になって思えばホタルにとっちゃ迷惑千万な話なんだけどね! ライトな感じで死にかけである。昨日の昼前、いっしょうけんめい仕事をしていると、闘病中の友人Aの妹さんから姉は今夜が山らしいと告げるメール。 それからはもー千手観音みたいに仕事したわよ。そして何とか形を付けて、昼から三重の山奥まで片道4時間の道のりを飛んでいったわよ。 でもって友は意外と大丈夫そうだったから、また4時間かけて終電で戻ってきたわけ。 いやー、三重は遠いわ。明日もまた行く予定だからしっかりコンディション調整していくわ。がんばれA!妹さん!そして私!人間、そう易々とは死にはしない! |
||||||
2017年6月6日(火) 名前を知りたい花がある。5月頭から末にかけてあちこちの道ばたや空き地で黄色い花を咲かせる、私が勝手に「カナの花」と呼んでいる雑草の名前。 なぜ「カナの花」なのかという理由は些細なもので、あれは私が中一くらい、カナが小学校低学年だった頃(私たちは6才ちがいだ)、父のカメラを借りて写真を撮りはじめていた時の話だ。 犬猫を撮りたくて始めた写真だったから人間が被写体になることは滅多になかった中、たまたまカナを黄色い花が咲き乱れている空き地に座らせて写してみたら屈託ない笑顔がとても可愛くて、自分としてはびっくりするくらいいい写真が撮れた。 カナが生きていた頃も死んでからも毎年5月になれば草は同じ場所に花を咲かせて、細長い茎の先の黄色が揺れるたびに幼い妹の笑顔を思い出す。 そんな黄色い花の季節、徳島へ旅した移動中の車中にあって、他の3人に苦しい内心を聞いてもらっていた。 少しずつ癒されつつあるとはいえ、妹の死に対してどうしても、もうどうしても納得がいかないこと。 すると次の瞬間、心臓が驚きに跳ね上がった。走る車の前に突然、数え切れないくらいの蝶が表れて、紙吹雪のようにひらひらと舞った。そして大きくカーブを曲がるとそこには、路傍に咲き乱れる黄色い花。 「死を経て変容する魂」の象徴とされる蝶々の乱舞と、一面を黄色く染め上げたカナの花。それらを同時に目にした時、私の中で「三木香苗」の死がすとんと腑に落ちた気がした。 あの旅行から二週間。相変わらず身の回りでは「死」が身近なものとしてある日常に変わりはないし、私自身の生活にも表面的には変化があったわけでもない。だが、さなぎが蝶々に変容するように、「死」に対する感覚が私の心の中で少しづつ変わりつつあるようだ。 そういう経緯でますます「カナの象徴的存在」として強く意識するようになった花。名前が分かれば花言葉とか調べてみたいのだ。でも「恨みます」なんて花言葉だったらイヤだなあ。
|
||||||
2017年6月1日(金) まるで鼻先でじょじょじょ〜とやられたみたいな強烈なおしっこ臭で目が覚めて、マヤの身になにかあったか?!と心臓ばくばくでヘボピーにメールしたらマヤ、ピンピンしとった、ってことがあった。 私の夢の中でマヤはしばしばそそうする。先日も、目の前でみるみるうちに呆けてゆく母を見つめるシリアステイストの夢の中でおしっこ垂れていた。 そういえば「おもらし夢」の中でも極めつけなのが、「消防車マヤ」。
|