2016年9月30日(金)

厨二病だと思われかねない当サイトの名前、実は初めて二次創作の同人活動をした作品のキャラ「シシカバ」をもじってつけたのが由来である。しかしそれを知る者は、前ジャンルからの友人であるKさんたった一人しか地球上では思い当たらないので、一刻も早く厨二な名称を脱却したい。が、トップページに使う素材をいらすとやさんで集める段階で挫折中。

そもそもいらすとやさんって「在庫を抱えた人のイラスト」とか「お葬式の心配をしている人のイラスト」なんかはむちゃくちゃバラエティー豊富なわりに、「イモ」はそう種類がないし、コッカースパニエルに至ってはイングリッシュじゃなくてアメリカンの方しかいなかったりするんだ。
そう、新サイト名は「カニバリスム」なんておいそれとは使えないデンジャラーな単語から離れたい一心で、
「自走式お芋二号」にすることに決めているのだ。

サイトトップのイラストには、「徐々にイングリッシュコッカースパニエルに変化してゆく車輪がついたイモ」を置きたい……って書きながら自分バカじゃないかと思えてきた。

加えて「お芋」か「おイモ」か「おいも」のどれにするかでも深く悩んでいる。みなさん、どれが一番いいと思いますか??フォントはもちろんいらすとやさんのパステルカラーの丸っこい文字。

おっと、そうこうするうちに出社時間が迫ってきた。今日こそ早く起きて更新するつもりが、二日酔いでぐったりしてるうちに時間は刻々と過ぎてゆき、更新に割ける時間はいつもと同様、出社前の20分……。
じゃ、腹に力を入れて会社行ってきます。今日を乗り越えたら土日は休みだ。家にこもってマヤちゃんとじっくりダラダラするぞー!

6、7才頃?のマヤちゃん。まるで別犬。妖怪ケダマンだ。

2016年9月24日(土)

今日はサイト用写真フォルダ整理の日。「これ、あとから使おーっと」とコピーして暫定的のつもりでフォルダにほりこんだ数百枚の写真が、恒久的にほったらかされたままなので、時間の許す限り整理しようと思ったはいいが、時間の許す範囲は狭すぎた。

Macの機嫌が悪くてフリーズ→再起動→アプリケーション立ち上げ→写真ちょっとだけいじる→フリーズ→再起動→またアプリケーション立ち上げ→また写真ちょっとだけいじる→1分後にフリーズ……を果てしなく繰り返すうちに、あっという間に4時間経過。賽の河原に石を積み重ねる亡者みたいで心に寒風が吹き始めたから、これ以上の作業は諦めて、てんち(天使)が腹をすかせて待っているMAYA-HOUSEに帰りますわー。


すこし前のフォルダに残されていた写真。

商店街によくある千円均一の店──つばが広めで折り畳みできる帽子やフクロウのついた和風ののれん、トンボのブローチやミニチュアダックスの写真がプリントされたバッグやらの、いかにもオバちゃんが好きそうな商品であふれかえったお店で10年ほど前に買ったぬいぐるみ。

その店ではこれとそっくりのワンちゃんを2度ほど買った。アルツハイマーは進行中ではあったけれども、まだ言葉を発せた母を連れて買い物に行ったとき、「どれでも好きなのを買っていいよ」と言うと、母は帽子とバッグと、そしてこれと同じぬいぐるみを選んだのだ。(千円ショップの商品っていつ行っても似たような在庫があるものだ)

でもそれから母は怖くなるほど無茶苦茶になってきて、ぬいぐるみもどこかへやってしまった。だから三度目に同じ店に行った時、母が「ほしいなあ」とつぶやいてこれとそっくりのぬいぐるみの頭をそっと撫でたとき、介護で疲れてイライラしていた私は「どうせまたなくしちゃうんでしょ?」と知らんぷりして買ってやらなかった。

その後病状はもっともっと悪くなり、寝たきりになって口もきけず、私を見ても分からないようになった母の見舞いに行く前に、たまたままたあの店に入荷していたこれを見つけたから、懐かしくて飛びつくみたいにつかんでレジに持っていった。

でも、「おかあさん、このワンちゃん、一緒に行った商店街で買ったよね。覚えてる?」と目の前にかざしても母は無反応。以前みたいに手にとって頭をなでたりなんかできなくなっていた。
ああもう遅いんだ。まだ自分の意見を言えた時にどうして買ってやらなかったんだろう!

それでもふいっと正気に返った時、そばにこれがいれば楽しいかなと思って、母が他界するまで枕元に置いていた。最後の時を迎えた枕元にもいたし、葬儀の場にも居合わせたこれをお棺に入れるか迷ったけれど、持って帰って今では私の枕元に座らせている。
目にする度に「ほしいなあ」とつぶやいてぬいぐるみの頭を撫でた母の、アルツハイマーが進行してなんだか子供みたいになった顔がよみがえって、今なお胸が苦しくてたまらない。

ミキ家のてんち(天使)、きゅるんとしている。
てんちのことを好きすぎる私とヘボピーはよく「マヤが車にひかれそうになったら私が代わりにひかれるわ!」とか「もしマヤが殺されたらぜったいものすごい残酷な方法で復讐してやる!一生刑務所に入っても構わないっ!」とどっちの方がマヤのために犠牲を払えるか競争する。中学生か。

この写真のてんちっぷりもなかなかのものだ。
でも今ではすっかり平和主義者になったてんちも、若い頃は家族全員──病気の母ですら問答無用で血祭り(文字通りの意味で!)にあげた狂犬だったのである。

箱を見るととりあえず入る。箱のサイズは問わないようだ。

箱の中から見る世界はいつもとちょっぴり違って見えるらしい。そういや安部公房の小説に「箱男」ってあったよね……。

まあ我が家の箱犬は5分も入ると飽きて出てゆくのだが。

かわいらしい座り方だけど、犬がこういう座り方をしていると「かわゆぃ〜ん!」なんて喜んどらんと、股関節トラブルを疑ってください。(マヤも加齢と共に股関節の状態が悪化してます)

これで遊ぶマヤっちはさぞ可愛いだろうなあ!と買って帰ったタコさん玩具。
でもクレクレタコラしたのは一瞬のみ。すぐに飽きて、今ではおもちゃ箱に入れっぱなし。また、つまらぬものを買ってしまった……(石川五ェ門の口調で)

犬おぜんの前でスタンバイ。一日最低3時間はここに座し、ガンジー顔負けの辛抱強さでおねえちゃんが何かくれるのを待っている。

サマータイムのフェヴァリットスポット。ひんやりしていて気持ちいいのか、留守番中もエアコンがガンガンにきいた部屋ではなく、ここで寝ているようだ。

電気代がかかるのもいとわず、犬のためにと朝から晩までエアコンかけっぱなしなのに、人の心犬知らず。ここで寝るのをやめようとしない。

仕方がないからドアにストッパーをかませて風が通るように隙間を開けてやると、風呂に入っていても聞こえるくらいでっかいいびきをかいて眠っている。

私がマヤのために作った曲のひとつに♪おいも おいも かわいいおいも おいも おいも ゆかいなおいも♪というのがある。
だがマヤソングの制作においては、ヘボピーの方が遙かに上。サリエリとモーツァルト並みに才能の差があるから悔しい。

犬族が人類の機嫌を取る時によく取るポーズ、それがへそ天。

人間様のお布団に勝手に上がって、毛をまき散らしたあげくむーんとするお犬様。犬公方もびっくりのワガママドッグだ。

洗濯したてのシーツによだれをたらしながら、「ぼく、なんだかつまんないや」って顔。くそっ!腹立つ!ブッ殺す!(嘘)

見ろよこの犬……ちょっと濡れてるんだぜ……。

じーっと見ているとだんだんきまりが悪くなってきたようで、突然ぐるりんぱっ!と裏返った。

出た!「えへへ、ぼく、おもしろいでしょう?!」って顔をしている。ねえちゃんはもうだまされないぞ!。

へそ天しているうちに睡魔に襲われたようで、このあとぐーぐー寝始めたのだった。

我が家で「レジャー」と呼ぶマヤの活動を激写!私たちの目を盗んで食べられそうなものを家中パトロールして漁り回る、しごくはた迷惑な遊びである。

ヘボピーねえちゃんのバッグにはよく、飲み屋のアテの食べ残しをお持ち帰りパックにしたやつなんかが入ってるんです。

マヤのお楽しみのひとつ「豆まき」。家の前の廊下で私が豆(ドッグフード)を一粒づつ投げ、それを探す大好きなお遊びだ。

くんくんくん……。豆まきでは目と鼻をフル稼働させるから老犬のボケ防止になりそう。めんどくさいけど休みの日には付き合ってやる。

風呂から上がって乾ききっていない豚っこ大将。風呂に入れると腹いせみたいに布団の上にでぐりんぐりんする。迷惑千万。

存在とは?無とは?沈思黙考するコッカースパニエル。
手前の穴は先代のイリが開けたものである。絨毯層を越えてコンクリート層にまで達している。絨毯を替えることはもう、諦めた。

おねえちゃんはそろそろぼくのいえにかえってくるよ。じゃあまたらいしゅうあおうね!

2016年9月23日(金)

昨日は秋分の日。それも神秘学?スピリチュアル系?精神世界?新興宗教?……なんと呼んだらいいのか分からないから便宜上ひっくるめて「あちらの方角」と称しておくが、とにかくあちらの方角から聞こえてくる情報によれば、「2016年9月から始まる大転換期」の皮切りとなる特別な秋分の日とのこと。

で、なにやら色々とキーになる日らしいから、自分を暗示にかける技に長けている私は、まだ混沌の中にある己の精神をチューニングするにはチベットの聖山・カイラス山を拝んでおかなきゃ!というわけのわからない衝動に突き動かされ、忙しい合間を縫って「ラサへの歩き方〜祈りの2400km 」を再び観に行った。

チベット東部の寒村から1200キロを五体投地でラサまで、そしてラサからさらに1200キロを死にそうになりながら聖山カイラスまで歩く11人の人々を描いた半分リアル、半分フィクションのこの作品は、ケチな私でさえDVDが発売されたらソッコー買うど!と意気込むほどに素晴らしい。
辛気くさい映画が好きな人、心が折れそうな人には強力プッシュしたいので、折を見てここでも紹介したいと思っているけど、これから会社だから後日に譲る。(こればっかりや)

で、秋分の日の夜は夜で、友人から「地球が秋分点を通過する23時20分51秒に、世界中の人たちが同時に瞑想して平和を祈るらしい」との情報を得たもので、ここまで来たからには一日の総仕上げで参加しとくか!と目覚まし時計をかけ、23時20分にムクッと起きて眠さで朦朧としながら平和を希求してきたわ。

しかしもともとネガティブ思考なせいか、その後夜中に何度も寝苦しさに目覚めて、「秋分の日を過ぎたら楽になるんじゃなかったの?かえってしんどいやんけ!(#^ω^)」と、誰に対してでもないけど暗闇の中でひとり、静かに逆恨みしたのだった。

何事も考えすぎはいけませんなあ。これからは無理せずに自然に、なすがままに来るものだけを受け入れるスタンスでいよう……。

そんなこんなで今日も独りぐるぐる考えてます。ああ、人間やめて鳥になりたい……。

若い頃のマヤちゃん。顔が今とはぜんぜん違う。目元がキュン!として噛む気マンマンである。

犬も年と共にこんなに変わるんだあ……とびっくりしたわ。

2016年9月14日(水)

今日はこのメシャム(海泡石 かいほうせき)でできた子犬にまつわるちょっとした話を聞いて欲しい。

メシャムとはマグネシウムを含む含水珪酸鉱物。軽くて熱に強いので喫煙具のパイプなどに用いられる。

代表的産地であるトルコでも、この鉱物で作ったパイプや置物が有名で、土産物屋の店頭には白っぽいグッズの一角が必ずといっていいほど設けられている。

私が子犬を見つけたのもトルコの土産物屋。グランバザールのメシャム専門店のショーウィンドウに所狭しと並べられた商品の中にあって、手のひらに乗るくらいちっちゃなこいつが目に飛び込んできたのだ。

海賊や猛獣の置物にはさまれて、体をすくめているように見えたものだから、すぐさま店に入って「あの子犬ください」と指さした。

日本円にして約2千円。グランバザールで「まけて」と言わないなんてありえないことで、きっと1500円にはなっただろうが、なんとなくだが言い値で買った。

鮮やかなピンクの布袋に子犬を入れて、口のリボンをぎゅっと結ぶヒゲ面の店主を眺めながら、いじめられっこを助けたみたいな爽やかさと、断捨離中なのにまた要らないものを買ってしまった……という後悔が入り交じった複雑な気分を覚えていた。

その夜、袋から出した子犬をベットの枕元のテーブルに置いて寝た。なんとなくだがお守りになってくれるみたいな気がしたからだ。
だが、夜中にふっと目が覚めて、暗闇の中で枕元に手を伸ばして子犬を取りあげたら、昼見た顔とは全く違って見えて度肝を抜かれた。ちんまりまん丸できょとんとした子犬の顔が、牙をむきだして唸る地獄の猛犬みたいに見えたのだ。

血のりがついたように真っ赤な口から白い牙をむき出す犬を見ながら、あちゃー!こりゃえらいもんを買っちゃったなあ!と後悔が全身を駆けめぐる。脳裏に蘇るのは、死ぬかもと思ったインドのホテルでのオカルト事件。あの事件の再来か?こいつはまずい……とものすごく怖くなった。

これは明日すぐに買った店に行って、お金は返さないでいいから引き取ってくれと言うしかない、と激しく考えを巡らせている間も、ぐるるるる……と威嚇するような子犬の顔は変わらない。正に「犬相が変わった」恐ろしい表情。

でもここで負けちゃダメだ!という思いが唐突に頭をもたげた。だから子犬を手のひらに乗せ、猛犬よりも恐ろしい顔で唸りながら必死で話しかけた。私がお前の新しい主人なんだよ。私に従いなさい!

そうこうしているうちにいつの間にか眠りに落ちていて、目覚めた時に朝日の中で見た子犬は、バザールで見つけた時と変わらないきょとんとした愛らしい顔をしていた。

あれは幻だったのか何だったのかよく分からない。ただ、上体を起こして子犬を手のひらに乗せ、長い間にらみ合った肉体的感覚ははっきりしているから夢ではない。また、半年後くらいにヨガの先生にこの話をしたところ、先生は笑いながら「試されたねえ」と言ったのだった。

結局子犬を店に返すことはなく、そのまま日本に連れて帰って「ちゃんとしつけてやってね」と先住犬のワオン君の足元に置いた。その後ミスターピックル(キングスメンのコスプレ上映で改造したぬいぐるみ)も加わって、我が家の一角にはわんわんファミリーが鎮座している。
そしてあの夜以降、子犬の表情はいつもおだやかに見えるから、良かったなあと頭を撫でながら話しかけている。

かぞくができてよかったね!

2016年9月13日(火)

このごろ我が家ではマヤのことを「てんち」(天使)と呼んでいて、
愛らしいしぐさを見ると「てんちや!」「てんちや〜!」とはやし立てる。

お口がぷぅーんと臭う、目やにをたらしたおじいちゃんワンちゃんのことを「てんち」もなんもないけれど、
新聞の読者投稿欄でも「我が家のグレース・ケリーです!」とぶっちゃいくなチワワが紹介されてたから、
誰にだって自分の犬は最高に可愛くて最高にグレース・ケリーで、最高にてんちなんだと思う。

2016年9月9日(金)

<更新しました>サイトトップの写真をMOTTAINAI 精神でひとつところにまとめた「トラベル写真館」、だいぶたまったので<2>として上げました。

ベランダで燃えないゴミを袋に入れていると山から吹いてくる風がすうっと顔を撫でて、唐突に20年以上前の記憶がよみがえった。

♪博多どんたく どんどん隊だよ 博多どんたく どんどん隊だよ♪ 
自分で作った歌に面白可笑しく調子をつけて踊りながら庭を行進すると、浮き浮きしたサルーキたちがぴょんぴょん跳びはねてはしゃぎながら私のあとをついてきた、とある初秋の日の記憶。

湖の底の泡が水面に浮かび上がってパチンと音を立ててはじけるみたいに蘇る記憶は幸せなものばかりで、ああ、50年は長かったなあ、ここまで生きてこられてよかったなあ、という感慨がしみじみとわき上がるのだ。

で、昨日ぐずっていた会社の一件は、冷静かつ慎重に言葉を選びつつ言いたいことは言わせてもらったら気が済んで、まあ、考えてみたらどうでもいいことだな、と思えてきた。私的にリスクが少なくなる別案も呈示したので、あとは会社の指示に従うのみ。

気持ちが落ち着いてみれば、いがみあっている経理の二人のこともなんだか愛しくなってきて、「もし私だけがリスクを負わされたら、お前らぜったい恨んでやるぜ!」なんて怒っていた火曜日の自分が信じられない。気分はすっかり仏モード。

気持ちがおだやかになりすぎて、60才の方の人(20年以上机を並べて働いてきた先輩なのだ)は今日誕生日だから、なにかちょっとした贈り物でもしたい気分だよ。
独身子なし両親すでに死去、残っている家族はやや疎遠な兄一人のみ……と、社内ではバックグラウンド的に私にとっては一番近い立場の人だから、共感を覚える部分も多いのだ。だから「誰が悪い」って考えはさらっと捨てて、「仲良きことは美しきかな」でいきますわー。

じゃあ今週最後のおつとめ、果たしてきます。給料くれて、会社、ありがとう。(仏モード暴走中)

2016年9月8日(木)

一週間のご無沙汰です。お元気ですか?と問われたらあんまし元気じゃないですと答えたくなるここ数日。
いや、月曜日までは生まれ変わったみたいに生気を取り戻してて、カナのこともようやく「腹に落ちた」感覚を得て、新たなステップを今、踏み出す!って勢いだったんだけどね……。今は吐き気と頭痛で仕事行きたくないモード。

というのは火曜日に会社から、全面的に私だけが辛抱しなきゃならない社内改革案(と言うとおおげさだ。単なる席替えです)を呈示されて、怒りのあまり体調まで崩してな……。一晩冷静に問題を分析しても、もうどうしても腹に据えかねたもんだから昨日は会社、休んだった。

みなさんどう思います?私と同じ部署にいる女性(60才&36才)が相性が悪すぎて若い方が壊れかけてるから(年寄りの方はとっくに性格的に壊れてる)、二人を距離的に引き離すため、私が業務上非常〜〜に不自由になる席に移れですって。

若い方を嫌いすぎて、向かい合っている彼女に向けて魔よけのお札まで貼る60才の方が全面的に悪いに決まってるんだけど、島流し(嘱託になった人が行くぽつんと離れた席があるのだ)にするのも傷つくだろうから可哀想って、それじゃ仕事がやりにくくなる私は可哀想じゃないのか?「無理が通れば通りが引っ込む」が許されるのか?

……とまあ、働いてると色々あるもんですわ。しかし今度ばかりは言わせてもらう。「ミキさん、いつもニコニコして楽しそう」と言われる人間が、どんなに深い心の闇を抱えており、それを乗り越えるためにどれほど苦しんだかについて、ちょっとだけ触れさせていただくわ。
「パッと見は健康」とか「愚痴を言わない」人間は損をして、自分の辛さを恥も外聞もなく押し出す方が有利な世の中なのだなあ、と痛感しつつ、この度ばかりは自分の利益を最優先する人間にならせてもらう。

怒って心がきたなくなった気がするから、マヤちゃんを見て癒されよう。

バッカでぇ〜〜〜

あぁ〜、ちょっと気持ちが落ち着きました

2016年9月2日(金)

夢の中に突然羊の頭骨があらわれた。かなり大型だったから、羊といっても家畜ではなくて、山岳を駆け回る野生の生き物の骨かもしれない。

風に漂白されて磁器のように白くなめらかになった骨は、宝具のような神々しいオーラを発しながら視界いっぱいに迫ってきて、その瞬間「そうだったのか!」と分かった私はアルキメデスみたいに歓喜にあふれて「ユリイカ!」と叫びたくなった。「羊という漢字は羊の頭骨の形がもとになってるんだ!」

そこで目覚めたのだけれど、まるでリアルな世界で目にしたような存在感のある頭骨のイメージに圧倒されて、ぼんやりしながら考えた。
本当に漢字の『羊』は頭骨の骨の形がもとになってるんだろうか、とか、キリスト教的なシンボルとしての羊は羊飼いであるイエス・キリストに導かれる人間もしくは、「神の子羊」としてのキリスト本人を指すけれど、東洋ではどんな意味があるのかな、とか。

それからかなり日にちがたった今も、時間に追われて「羊」という漢字の成立過程と、東洋的シンボルとしての羊の意味についてはまだ調べていない。
ずいぶん象徴的な夢だったからそこに何らかの意味を見いだせれば面白いけど、実際には「ジンギスカン食べたい」だけなのかもしれないな。


さて、話はガラッとかわるが久々にどえりゃー買い物をしてしまったんだぜ……。

以前ここで書いたので覚えてくださっている方もおられるかもしれないが、私はかつてロレックスが好きで、レアな文字盤のモデルをコツコツ買い集めていた。
そこにはただ「美しいものを手元に置いて愛でたい」という欲望だけではなく、「誰が見ても分かる『金持ちのシンボル』を身につけて、人にナメられないようにしたい」というやらしい動機も確かにあった。

マザーオブパール、カルサイト、ピンクオパール、ルベライト……。あまり市場に流通していない自然素材のフェイスはとても綺麗で、コレクションを眺めてご満悦だった。

でも、カナが他界する少し前、どうしてそんな気持ちになったのかは分からないが、突然「所有すること」がものすごく嫌になって、一本を残して全てリサイクルショップに捨て値で叩き売ったのだ。
今でも鮮明に覚えている。札束をバッグに入れてリサイクルショップの前の信号を渡るとき、「これをカナにやろうかな」という思いがわきあがってきて、歩いて10分のところにカナの家があったから、その足で寄って届けてやろうかなと迷った。カナ、どんなにびっくりするだろう!

結局のところ、家には行かなかった。カナはパチンコ中毒になっていたから、百万くらいやってもあっという間に失ってしまうだろう。それなら私が持っていて、困ったときに上げればいいやと考えたのだ。
あの時、どんな使い方をされてもいいからとにかく札束を渡していれば、カナは死ぬことはなかったと今でも思っている。あれは大きな運命の分かれ道だった。

まあそんな経緯でたった一本だけ残していたルベライトのフェイスのロレックスをオーバーホールに出しに行ったその帰り、私の手にはロレックスの袋が……。
そう、断捨離まっさかりだというのに、
新しいやつを買っちゃったのだ!!!!!!

時間がないので(出社まであと三分!)写真は後日上げたいと思う。その際には何度も同じ過ちを繰り返すバカな私をおもいっきり嗤って頂きたい。