2014年7月30日(水)

夢の中で歌っていた。そこでは母がまだ生きていた。
夢の中でも母はすでにアルツハイマーを発病しており、おそろしい勢いで赤ん坊にかえっている途中である。それでもまだまだ笑ったり歩いたり、簡単な話ならできたりする。(アルツハイマーになる以前の母の記憶は正直なところ、ほとんどない。夢に出てくる時ですら、呆けがかなり進行した姿なのだ)

夢の中で私はうちのすぐ近所が雑木林になっていることを発見する。実際にはそんなものはなくて、無表情な住宅が建ち並んでいるだけなのだが。
こんな近くに気持ちいい林があったなんて!と嬉しくなって、林の奥へ奥へとどんどん歩いていった。すると突然に視界が開けて、一軒の旅館が目に飛び込んできた。
古い銭湯を改修したそれは、木造にところどころ漆を使った豪華なつくりで、高い煙突だけが銭湯の名残を示している。

ここに住んで長いのに、こんな旅館があるなんてぜんぜん知らなかった。こんどお母さんを連れてきてやろう!喜ぶ顔を想像するとひどく嬉しくなって、木々の間の坂道を下っていった。足は羽が生えたように軽かった。

その時、風に乗って歌が聞こえてきた。
風に 風になりたい あの雲に 乗りたい。 前をゆく制服姿の女子学生たちが声をそろえて歌っているのだ。

どこかで聞いたことがあるような、ないような歌。
幾度か「こんな曲だったんだけど分かるかなあ」と人の前で口ずさもうとしても上手く伝えられなかった。でも、今でも脳内にはメロディーラインが鮮明によみがえる。

夢の中で私も小さな声でいっしょに口ずさんでいると、自分の声で目が覚めた。
「心が洗われるよう」という表現があるが、正にそんな女学生たちの歌声だった。不安も悲しみもすーっと消え失せて、身体が浄化されていくような、清らかで平和な歌声だった。

うひょー!誕生日でもないのに友人がこんな本をプレゼントしてくれたぞ!! (*´∀`*)

脱ぎたがり男子の写真家として、ポール・フリーマンはブルース・ウェバーの次に好きなので、写真集は一冊を除きすべて持っている。

だというのに、このOUTBACK CURRAWONG CREEKだけは買いそびれたまましばらく放ってるうちに絶版。そしてなぜかこの本だけが数百ドルというプレミアがついていたせいで、手が出なかったのだ。

中身はこんな感じ。
どのページを開いてもカウボーイのアンちゃんたちがキャッキャいってる。遊んどらんと仕事せえ。

あたし、来世はこんな男に生まれ変わると決めてるんだ……。

ポール・フリーマンの他の作品集と比べると、この一冊はキャッキャ度合いとはじける若さ度合いがケタ違い。他の本はモデルの雰囲気やポーズがアンニュイだったり、スタジオ撮影で彫刻的に撮られていたりなのだ。

大自然そして人生を堪能している若者たち。贈られた本を鑑賞しながら、この一冊だけがなぜ突出して人気が高いのか、得心がいったわー。

2014年7月26日(土)

ヘボピーねえちゃんにだっこされてうっとり。

やったぜベイビー!(古すぎ)今日は昼寝もせずにイッショケンメイ更新したぞ!ヘボピーさんの信楽写真をアップしたのでこちらからドウゾー→→

2014年7月26日(土)

成田空港・国際線の出口から一歩踏み出せば、同時に目に飛び込んでくるホットドッグ屋の下品ガイ。日本の玄関口で訪日外国人を最初におもてなしするキャラクターがよりによってこいつというのは、クールジャパン的にいかがなものか。

彼はこれから左手に持った精……いやマスタードにしては白すぎる液体を、亀……いやチン……もとい頭にぶっかけるつもりなのだろうか。くわえて、露出狂のオッサンが好む足の開き方といい、裸体にソックスといういでたちといい、全方位的に下品である。

このホットドッグ屋では可愛らしい娘さんが接客していたが、若い女性としては店のシンボルがこれではイヤなのでは?それともすでに達観しているのだろうか……とおせっかいながら心配になったわ。


ヘボピーさんが中学生の頃に使っていたペンネームは「悶絶尾てい骨」。私が中学生の頃に友達宛に出した年賀状は、差出人の住所欄に「カンボジア難民宿舎より」。妹ヘボピーと話していると、すっかり忘れていた昔のことを思いだして爆笑する。中学生、バッカでぇ〜〜!!

香港映画ミスター・ブーの俳優、マイケル・ホイ(でぶ&メガネ)に魅了された中学生のヘボピーさん、私がドドメ色の紳士用トレーナーに、MICHAEL HUIとステンシルで手書きしてやったお手製ウェアを得々と着て街を闊歩ししていたものだ。

また、大阪にオープンしたばかりのスターログ(SF雑誌)のショップに、父に頼み込んで連れて行ってもらった中坊の私と小坊のヘボピーさん。そこでヘボピーが買ったものは、なぜか、スタートレックの「カーク船長のワッペン」。

トレッキーでもないのにどうして?といぶかしく思ってさっきヘボピーにメールしたら、「一番普通の人ぽかったからな……」というレスが返ってきた。「他の乗組員がアレやったからな」って身もふたもねえ!

そこで「ドクターはカッコよかったやん (*´ω`*)」と再メールしたところ、「小5にドクターのかっこよさは分からんな」。確かにな。
それでも当時中学生だった私は、ドクター・マッコイ(45才のギョロ目で皮肉屋のおっさん)と年の差結婚する夢小説を、超スゥイートなイラスト入りで日記帳に書きつづっていたものだ。読み直すと恥ずかしさのあまり頭をかきむしりすぎてハゲそうだから、その日記帳は成人してからこちら、一度も開いていないのだが。

まあ、それでも人生の折り返し地点を過ぎた今、これまでに惚れた二次元、三次元の異性を振り返ってみれば、己の理想のタイプは、情にもろくてウイット&ユーモアに富むドクター・マッコイに落ち着くということも発見した。人間の根っこの部分って、意外と人生の早いところでできあがっているのかも……。


そんな死ぬほどどうでもいいあれこれに思いを巡らす土曜の昼下がり。ご覧の通り、自宅でダラダラ過ごしている。

いや、金曜夜から月曜朝までは実家に返ってマヤちゃん孝行するのがいつものパターンだけれど、今週末はイレギュラー。昨夜、友人(最近近所のカラスに挨拶されるそうだ)と終電まで飲んでいた流れで、今日は夜まで自宅で過ごすのだ。だって今、お外に出たら丸焼けになっちゃいそうなんだもーん(・ω・)

現在、室温32度。外は36度はあるだろう。エアコンをつけたらつけたで寒いから、ピラミッドの石を運ぶ人夫のように汗まみれになりながら、パソコンに向かっている。
こうして更新している間も、見え方の調整のために自サイトを覗けばカウンターがぼつぼつ回っていたりして、ト・モ・ダ・チ、って感じ。今、自分と同時にここを見てるのは誰だろう?みんな暑いから家にこもってネットサーフィンかねぇ、と想像したり。

ほな、これからベランダに置いたプランタでも植え替えます。このところなぜかゾクゾクと観葉植物が枯れつつあるせいで、ベランダが核戦争後の野っぱらみたくなってるので、軽く世界を復活させてくるわ。

ヒマつぶしに銘菓・明石の柚ちどりを並べてみた。せんべいで飛んでる感を出すのってむつかしいね。

製造元は創業安政三年「富士せんべい」。150年伝統の味。店のチラシには、稲垣足穂がこの店について触れた一節が載せられていたりと、田舎のせんべい屋にしてはなかなか重々しい。

この柚ちどり、卵と砂糖をたっぷり使った優しい甘さに柚がほんのり香って実によろしいお味だが、4羽で300円とお値段の方もたいそうよろしい。

2014年7月25日(金)

さかのぼること数週間、朝っぱらから私とヘボピーを首まで地面にめり込むほど凹ませるできごとが勃発した。近所にある空き店舗の軒先のツバメの巣が、カラスに壊されてしまったのだ。

前日の夕方に見た時には、あと一息で巣立てそうな四羽のひながみっちり詰まっていたというのに、叩き落とされみじめな様子でばらばらになった巣は、当然のようにエンプティー。
ただ、一番成鳥が早かった一羽だけは命からがら巣から飛び移ったのだろう。小さな身体をますます小さくして軒下の棒にとまっていた。

一匹だけでも生き残っててよかったなあ!とヘボピーと喜び合ったけれど、飛び立つことはおろか、棒につかまるだけの足の力もまだ十分には備わっていない子ツバメが、執念深く頭上を舞うカラスの餌食になるのは時間の問題。
案の定、夕方にまだいたら保護してやるんだ!といきまいて、ネットでツバメのエサ(ドッグフードでいいらしい)なんかを調べたヘボピーが、会社が終わってダッシュで帰宅すると、すでに姿を消していたそうだ。


私たち家族が40年前に今の家に引っ越してきた時にはすでに、周辺の店の軒先にはたくさんのツバメが巣を作っていた。
はげちょろけでみっともない小さな生き物が、あっという間に巣からはみ出しそうになるくらい大きくなる。もの珍しそうに身を乗り出し、くりくりした瞳で外の世界を見物していると思ったら、いつの間にか親と連れだってすいすい飛んでいる。

それらは毎年5月から6月にかけて、当たり前のようにそばにあった光景だったのに、今年はたった一羽のひなも巣立ちできなかったことに気付いて愕然とした。
4,5組のつがいが巣を作り、ひながある程度大きくなるまでは育てていたけれど、食い頃のサイズに育つのを見計らってカラスが残らず食ってしまったのだ。

それでも子を盗られても盗られても、何度も卵を産んで子供を育てあげようとしていた親鳥たち。どうせ盗られるんだからもうやめてー!と叫びたくなるが、人の心ツバメ知らず。
カラスの攻撃を受けるたびに壊されたり削られたりして、どんどんサイズダウンする巣に神妙な顔つきでちんまり座っている親鳥を目にするたびに、あまりにも気の毒で胸がドキドキした。


そんな中、先述のひなたちだけは元気に育っていた。あの巣でひなが押しくらまんじゅうするのはたしか三回目。三度目の正直なだけあって、私やヘボピー、そして近所の人の思い入れもひとしおである。
あとちょっとで飛べるようになるから、カラスにやられずがんばれ!

だというのに幕引きはこんな結果。残念きわまりない。犬の散歩で近所の人と顔を合わせても、みんなカラスへの怒りをたぎらせていた。

いや、実は巣が壊される前日、親のミニチュアみたいな外観にまで育った四羽を見ながら、なんだかイヤーな予感がしたのだ。
……というのは、利口なカラスはあちこちにある小鳥の巣を定期的に見回って、ひなが食い甲斐のあるサイズに育つのを見計らうらしいから。成鳥と同じくらいになったけれどもまだ飛んで逃げられない子ツバメは、まさに「食べ頃」である。

だから念のために、ネットで調べておいたカラスよけ──巣の回りにツバメは通れるがカラスには狭い幅で、3本の黄色い糸を貼る方法を試すべきだと思っていたのに……。
空き店舗とはいえ他人の不動産であることと、我が家には作業に必要な脚立がないことがじゃまをして、まあ、ここまで育ったんだから大丈夫だろう、とたかをくくってしまったんだ。

そして結果はきっちりご覧の通り。いつもながら詰めが甘い自分への嫌悪感で、三日間ほど何も手がつかないほどへこんだ。ツバメたちよ、知識がありながら守ってやれなかったお姉さんを許しておくれ……。


それでも、ささやかななぐさめがないでもない。
家から少し離れた場所では数は少ないとはいえ、無事に巣立った家族もいる。また、人間が手間ひまかけて棒や板きれで作った工作が、あちこちの軒先でツバメたちを天敵から守っている。

頭上から聞こえるさえずりに空を見上げると、4,5羽のツバメがすーいすいーと飛んでいる。内、ふたつの影は優雅に滑空しているが、残りは風にあおられてふらふらしたりと、ずいぶんおぼつかない飛び方だ。

時々甘えたように飛び方が上手なやつに近寄ったり、無駄にふざけ合ったりしているのを見ると、両親が無事に巣立った子を引率しているのだろう。家の回りのひなたちは巣立てなかったけれど、ツバメ族が死に絶えたわけではない。なんだか心が軽くなった。

カラスや心ない人間から逃れて、こうして無事に巣立ったツバメたちにも、これから過酷な「渡り」が待っている。
亜熱帯化しつつある日本は、今や冬でも暖かいんだから、いっそ宿鳥になってしまえばいいのに……と思うけれども本能はそうはさせてくれないだろう。
せめて来年、またツバメが近所の空き店舗の軒先に巣を作ったら、こんどこそこそカラスよけを作ってやろうと心に決めた。

とられる前日の四羽。巣立ちまであとちょっとだったのに……。

とある洋食店の軒先、店主渾身の日曜大工。

酒屋の軒先に作られたこの巣は、角度的にカラスが入りにくい場所なのかな、かなり大きくなったひながふんばっていた。こいつは無事に巣立ったと信じたい。取って食われたとしたら悲しすぎる……。

かわゆい〜ん(=´ω`=)野ブドウみたいな目がくるんっ!としている。

私が一番好きな鳥はスズメちゃんだけど、本当はツバメちゃんの方が好きなのかもしれない……。スズメとツバメ、どっちの方がいいか30分くらいかけて考えていた。ヒマなのか?

2014年7月23日(水)

春に撮った写真を今頃ってかんじだが、マヤと早朝散歩に行く公園にある2本の桜の木は、花が終わるとすずなりに真っ赤な実をつける。

満開の桜はあちこちで見られるけれど、花が散ったあとにさくらんぼが実っているのはほとんど目にしない。調べてみるとさくらんぼを付ける桜の木は、ソメイヨシノとは違った品種で、セイヨウミザクラ やスミミザクラといった「桜桃(オウトウ)」 に分類されるらしい。

家の周辺にある桜桃は、この公園の2本だけ。実を付ける頃には近所の人たちが見物に来て、ふたつみっつつまんで食べる。

お店で売っているさくらんぼと同じくらい美味しいから、欲ばって一気に食べてしまう人もいそうなものだが、子供も大人もそれなりに我慢しているようで、けっこう長い間実が残っているのにはびっくりした。

そこには他の人にもこの愛らしい光景を見せてあげたいとか、美味しいさくらんぼを食べさせてあげたいという思いやりが働いているんだろうか。

ずっと上の枝についた実は小鳥たちがついばみ、手の届く枝に生えている実は人間が摘む。二本の木の下で仲良くサクランボをつまんでいる鳥と人とを、ベンチに座ってのんびり眺めるのは、ささやかな晩春の楽しみである。

2014年7月18日(金)

ジャーキーを持つ私の手に注がれる熱視線。おやつがあるのとないのとでは、ぜんぜん目の色が違うのだ。

ビーグル、ラブラドールレトリーバー、コッカースパニエルといった犬種は、可愛く言えば「くいしんぼう」、みもふたもない言い方をすれば「いじきたない」キャラクターを持っていると聞く。

コッカースパニエルであるマヤも例外ではない。ほんのちっこい子犬の頃から食べ物への執着はものすごかった。父が正月にすきやきしようと買ってきた1キロの牛肉を、ほとんど食べてしまったこともある(そして当たり前のように下痢……。)

そんなマヤだが、年をとった今、意地汚さに拍車がかかってきた。「食い中風なんか?」とちょっぴり怖くなることもしばしば。

近頃はおやつを手に持つと、もー欲しくて欲しくてたまらなくて、立ち上がってピョンピョンしながら、壁をつたって足にかじりつくようになった。
ちょっとそこのワンちゃん、爪が食い込んで痛いんですが……。

時にはつるっとすべってお腹を天に向け、コロンっ……と転がったりもする。
ちんまいジャーキーのかけらに必死になっているそんな姿を見ると、哀れで寂しくて、なぜだか胸がぎゅうーっとなるんだ。

頭が痛くて胸がムカムカしている。それほど飲んだ覚えはなかったのだが、数えてみたら近所の中華料理屋でビール2本と日本酒一合、うちでDVDを見ながら缶チューハイ一本とラムを飲んどった。そりゃ頭も痛くなるわ。

さて、マレーシア機撃墜やらパレスチナ情勢やらウクライナ情勢やらで、大荒れになりそうな今週末の世界情勢そして市場。
昨日、ゴールドマンサックスだったかが、1万9千ドルだったNYダウの目標値を2万1千ドルに引き上げたと聞いて、「あいつらが楽観的になるととくなことがないからなあ……」と不安を覚えた矢先のダウ急落と、見事な曲げっぷりを披露してくれたが、さて、これからどうなることやら。世界のあちこちに生まれている火種が、一気に燃え広がらないことを祈るばかりである。

鳥の中ではスズメちゃんが一番好き。でも彼らははなぜあんなに警戒心が強いのだろう?!

図書館の横の公園にはスズメがねぐらにしている木(スズメのお宿)があるせいで、こうやっていつも群れているけど、
パンくず片手にちょっとでも近づくや否や、バラバラっと飛び去ってしまうからキーッとくる。
そういえば母もスズメに近寄っては、「マメ(を散らす)みたいに逃げるから小憎らしいっ!」とよく言っていたものだ。

2014年7月17日(木)

                   ∧∧∩
                   ( ゚∀゚ )/
             ハ_ハ   ⊂   ノ    ハ_ハ
           ('(゚∀゚ ∩   (つ ノ   ∩ ゚∀゚)')
       ハ_ハ   ヽ  〈    (ノ    〉  /     ハ_ハ
     ('(゚∀゚∩   ヽヽ_)        (_ノ ノ    .∩ ゚∀゚)')
     O,_  〈                      〉  ,_O
       `ヽ_)                     (_/ ´
   ハ_ハ           キタ――――!           ハ_ハ
⊂(゚∀゚⊂⌒`⊃                       ⊂´⌒⊃゚∀゚)⊃

      パソコンのセットアップ、キャンセルできたよ!!

いやー、肩から100トンの重荷をおろした気分だ。何でもダメもとで言ってみるもんですなあ(しみじみ)

「ウィンドウズのことはぜんぜん分からないのでお願いします!」とのっけから努力を放棄したオバちゃんは、ブータンの田舎から出てきたばっかみたいな雰囲気をただよわせる、ヤマダ電機の若いアンちゃんと、ああでもないこうでもないと「初期設定セット」からいらないサービスを削除したり必要なものを加えたり。

そうして算出された2万円は、ゼニで安心を買うための必要経費だと自分を納得させようとしていたけれど、やっぱり痛い。2万円といえば一ヶ月分の食費だし、中級クラスのコンパクトデジカメだって買える。

そこへもってきてネットで「ウィンドウズ 設定 簡単 むつかしい」とググルと人々が、「家電量販店では、何も知らないじいさんばあさんに高いセットアップサービスを売りつけていてえげつない。あんなの簡単にできるのに!」とあざ笑っていたり憤っていたり。わ、ワシ、ばあさんやったんか!とますます不安がかき立てられた。

それでもネットでは「簡単に出来ると書かれていることが多いけれど、それはごくごく初期設定についての話。その次の段階はかなりややこしいので、作業費が必ずしも高いとはいえない」という意見もちらほらあって、「パソコンサポート会社の回し者?」と疑心暗鬼になったりで結論は出ないままに、夜中に3,4回目が覚めるという状態を呈していた。自分、本当にストレスに弱い。

そんな私の背中を押してくれたのは、先述の友人の言葉である。
パソコン教室の先生である彼女に、おっとりした口調で「あらー、2万円はたかいですねー。まずははじめだけやってみたらどうですか?きっと自分でできますよー。電話してくれれば私に分かることならいつでもお手伝いしますよー」と言われると不安がすーっと消えていった。せ、先生っ! (*´∀`*)

「セットアップ作業オーダー後のパソコン本体の返品、サービスのキャンセルはいたしません」という念書にサインはしちゃったけど、よしっ!ダメもとで明日、キャンセルできないか聞いてみるか!

で、結果から言うとAAの通り。キャンセルを渋るどころか、はいはーいって感じで誰にも叱られずに流れるように事が運んだ。
……というのは、カスペルスキーは店頭よりもアマゾンの方が安かったので、ウイルスソフトはあとから持ち込む、ということにしていたせいで、セットアップ作業にはまだ手が付けられていない状態だったおかげである。

加えて、長々と説明させたイモ兄ちゃんは、ラッキーなことに昨日はお休み。
きっと今年入社したばかりなのだろう、息子くらいの年頃の素朴な青年が時々つっかえながら長々と説明してくれたスタートセットを、やっぱやめますとは言いにくかったのだが、本人がいないので堂々とキャンセルできたわ。

まあ、店側としては返品じゃないから別にいいやって感じなのだろう。それに、ウィンドウズ8ではなく7の旧式デスクトップ(長時間見ると首に悪いのでノートはやめたよ)を、支払い済みの金額にさらに4万円近くプラスして買ってくれたら結果オーライ。よく考えれば客が気を遣う必要なんぞ、どこにもなかった。

……というわけで、さっそく今夜マシンが配達される。でもパソコンデスクをこれから買わなきゃならない状況下では、この先一ヶ月は箱に入ったままな予感がモリモリなんだ。

こういうかぶりもの(クーフィーヤー)を見ると、即座にアラファト議長を連想するのは年寄りだけ?

2014年7月16日(水)

東京・荒川で見かけた昔懐かしい風景。昭和70年代にはどこの駄菓子屋の店先でもこのような光景が繰り広げられていたのだろう。

ひも付き飴や型抜きに代わって今のガキんちょの心をわしづかみにしているものは、何といっても妖怪ウオッチ!!第二弾の発売4日間にして販売本数128万本、おめでとうございま〜す!(話を無理矢理もってきた感)

世のママさん方は愛児のためにメダルを求めさまよっているらしいが、投資家が求めてさまようものは明日の暴騰銘柄。妖怪ウオッチと聞いて我々が連想するのは、発売元のレベルファイブではなくハピネットである。

……というのはレベルファイブに投資したいのはやまやまであるが、レベルファイブは上場していない。そのため「妖怪ウオッチ関連銘柄」を求めるマネーはハピネットに濁流のごとく流入し、おもちゃ問屋にすぎないハピネット株ってば、一ヶ月チョイで800円台→1900円台。別の意味で妖怪ウオッチ人気のすごさを見せつけてくれたものだ。

なお、お前は買ってたのかと言われれば、買ってたら今頃パソコンの初期設定の2万円くらいで悩んでへんわ。

いや、株価700円台の頃にはすでにこのゲームが来ていることはオタクの一般常識として知っていたもので、株を買おうかどうしようか迷ったていた。
だが、レベルファイブなら迷わず買うところでも、おもちゃ問屋は薄利らしいからハピネットは怖いなあ……と迷っているうちに、あれよあれよという間に株価はトルネードに吹き飛ばされるテキサスの馬小屋のごとく空高く吹っ飛ばされ、怖くて手が出せないレベルまで上昇してしまった。

おおおお……振り返ればパズドラのガンホー、モンストのミクシィ、艦これのKADOKAWA、ラブライブのKLab、うたプリのブロッコリー。直近では関ジャニ∞の鳥貴族……。
そういったオタクだからこそバンピーの一足先にとらえられる流行情報、ゼニを貢ぐことをいとわないファンの熱さを知っていながら、それを投資行動に生かせないのは単なるビビリスト。「買い」が苦手な私は右肩上がりのグラフを思い浮かべるのが下手なせいで、流行っていると知っていても投資する勇気が出ないんだよなー。

そんなこんなでハピネットと同様に鳥貴族(メンバー大倉君のお父様が社長)についても、ジャニオタの貢ぎ根性を読み間違えたために、この度もきっちり乗りそこねた。もし勇気をもって乗っていれば、セットアップが100回できたろうに……。

……と過ぎた上場を嘆いても仕方ないので、今日はヤマダ電機に行ってくる。
いや、昨夜パソコン教室の教師をしている友人に電話したところ(夜中の12時にすいませんねえ)、「セットアップに2万は高いですよ〜!ぜったい自分でできますよ〜!(笑)」とあっさり言われたもので、キャンセルがまだきくか、ダメもとでトライしてみるわ。

下調べをせずに買いに行った浅はかな客の勝手で、一度依頼したセットアップの手間賃を返金しろというほど鬼ではないので、セットアップ代金にいくらか足してiPad にでも交換してもらえれば納得がいくのだけれど、さて、どうなりますことやら。店側がまだ作業に取りかかっていないことを祈るばかりである。

2014年7月14日(月)

まやちゃんはげんきにしています。

ついにパソコンを購入したぞ!ウィンドウズ8じゃなくて7のノート限定で探したら、新品の種類が少ないだろうから楽に絞り込めると思いきや、中古ショップ、じゃんぱら(中古とオリジナルパソコンを販売しているチェーン店)、ヤマダ電機と日を変えて三店を見て回っただけで、絞り込み以前に集中力がこと切れた。

私はもともと機械音痴。掃除機の取り説を開くだけで頭痛がしてくるタイプである。パソコン好きにとってはワクワクものであろう「マシンの買い換え」というイベントも、私にとっては苦行でしかない。
そんな人間がマシンの横に添えられたちんぷんかんぷんのデータを見る──正確にはイマイチ意味が分からず眺めているだけでどっと疲れが押し寄せてきたので、もうこれでいいや……と適当なお値段の東芝のノートを購入。消費税込みで7万円くらい。

ヤマダ電機に行く前に候補に挙げていたじゃんぱらのオリジナルマシン(セットアップ済み)は、Officeとかウィルスソフトを入れて9万円。だから東芝製で7万円なら安くついたと喜んだのもつかの間。セットアップがされていないと聞いてはぁ?ってなった。

そういえば聞いたことある。これまでMacしか買ったことがないから経験したことはないのだが、家に持って帰って電源を入れ、簡単な設定さえすればすぐに使えるジョブズ機に対して、ゲイツ機にはスーパーめんどくさいセットアップが必要なことを。

正直言ってMacとは作業方法が全く違うため、今持っているXP機でさえデータを外付けHDにコピーするだけでも四苦八苦だったというのに、誰もが「めんどくさい」と口を揃えて言うセットアップがスムーズにできるはずがない。そこで、多少のゼニで済む話なら……と店にセットアップを依頼することにした。

だが、セットアップカウンターに案内されて椅子ごと後ろにひっくり返りそうになった。
初期設定、ウィルスソフトの設定、リカバリディスクの制作……といった「松・竹・梅」に分かれた作業の代金は、梅でさえ2万5千円と予想をはるかに超えたお値段。「出張セットアップ」に至っては5万や6万だなんて、もう一台パソコンが買えるような数字が並んでいる。
え、えげつないやんけ!

はじめは「もーめんどくさいからうちに来てもらって、無線LANの設定からなにからぜんぶやってもらおう」と思っていたのだが、さすがに5万はありえない。
リカバリディスクの作成やネットの設定は自分でできそうなので、極限まで作業を削ってもらって、それでもセットアップ手数料として2万円ちょい支払った。

これ、多分いや確実にボリボリの価格設定なのだろう。だって「ホームページビルダーの設定だけだといくらですか?」と尋ねたところ、確か4千円か5千円だったので、さすがのパソコン音痴の私でも自分が支払った「2万円」が高すぎることくらい容易に推測できる。

……とぼやいてみせたけれど、XP機の「テーブルの上のフォルダをうんぬん」という指示が出た時ですら、「テーブル」がどこの部分を指すのか分からなくて四苦八苦した人間は、やはりはじめだけはプロに任せて設定してもらっておいた方が安心だろう。
ゼニで安心を買うといっても2万円は高すぎるとは思うものの、銀行振り込みや株取引にも使うパソコンなので念には念を入れた次第。

あ〜あ、これを見たパソコンに詳しい友人達があきれる顔が目に浮かぶ。みんな「あんな作業ぜったい自分でできたのに!」と歯噛みするにちがいない。いやじっさい、松竹梅の料金表を見せられながら、東京の友人に新幹線代を払って観光がてら出張してもらおうか……と考えたくらいなのだから。

しかし、もう支払ってしまったので、「もったいない!自分でも簡単にできたのに〜」と傷に塩をすり込むことは控えて頂きたい。
むしろ「ネットでは簡単と言ってるけど、意外と手間と時間がかかって大変なものですよ!安心のためには頼んで良かったですよぉ!」といった慰めのメールで、ものすごい無駄をしてしまったのではなかろうか?というこのモヤモヤを吹き飛ばして頂ければ有り難い。

2014年7月11日(金)

このところ辛気くさいノリが続いてますがもうしばらくお許しくだされ。今、次の学年に上がるために色々とおさらいをしている気分なの。

20数年前からメモ帳に付け始めた備忘録を見直して楽しかった過去をしのんだり、世間知らずな己の甘さに唖然としたり。(特に借金回りな!どうしてあんな人間どもを親友や恋人だと信じて借金を肩代わりしちゃったのだろう。聞いていたことはほぼ嘘だったせいで、母と二人で話のウラを取るために関係者のもとを走り回ったのは、今となっては懐かしい記憶だが。)
写真や古い手紙を整理したり、しばらく連絡を取っていなかった親戚に電話をしたり。幼い頃、親から与えられて親しんだ本をどっさり借りてきて読み直したり、と自分が両親と共に歩んできた日々を反芻することは、いろいろと踏ん切りを付ける上で重要な作業だ。

一日24時間の内9時間は会社に、7時間は睡眠に取られて予定の無い日ですら残りは8時間。たった8時間ぽっちで事がサクサク進むはずがないけれど、先は長い。まあ、のんびりやりますわ。

それにつけても感謝するのは親にである。

少し前までは両親、特に父に優しくしなかったという後悔がひどく私を苦しめて、正直いって毎日死ぬことしか考えていなかった。まったく、死ななかった自分えらい!とほめてやりたい。
あのころ周りの人たちは、「三回忌までは誰でもそんなもんだよ。三回忌を過ぎたらすーっと楽になるものだよ」と慰めてくれたものだが、「えーっ?三回忌?たった三年でこんな執着から逃れられるはずないじゃない、私の執着の強さは人並み以上なんだよっ!」と方向違いの自信を抱いていた。

でも、日本人として恥ずかしいことに、私はぜんぜん知らなかったのだ……。「三回忌」とは三年目ではなく二年目の命日を指すことを!(宗教にこだわらない家ってこんなものなのか?)
そして人々が言った通り、父の三回忌を目前にした私の哀しみは、きっちり和らぎつつある。
「人並み以上の執着」は一体どこへ消えたやら。三回忌すごい!っていうより、三回忌を派手めなイベントに設定して、それを過ぎたらあきらめましょうね、と遺族に気持ちの整理を付けさせる先人の知恵がすごい。

哀しみと後悔の代わりに私の心を充たしつつあるのは、限りなく優しかった親への言いしれない感謝の念である。父母のことを考えるとたまに涙も出るけれど、愉快な思い出に微笑みが浮かぶことの方が多くなった。

本当にいい育て方をしてくれた。我が家はけっこう貧乏だったのに、あふれる愛をもって夢いっぱいに、お姫様みたいに育ててくれた。

赤ん坊の頃だから自分は知らなかった話だけれど、アメリカ製のおしゃぶりしかくわえない娘のために、閉店後の薬局を走り回ってくれた父。
人魚姫が好きでたまらなかったから、新聞紙で人魚のしっぽ部分を作り、こたつの上で一日中人魚ポーズを取る私に付き合ってくれた母。今みたいには既製品のお姫様ドレスがない時代にミシンを踏んで、ドレスをいっぱい作ってくれた。

部屋中には父が大きな模造紙に描いた牧歌的な風景の絵(どの風景にも機関車があしらわれている)が貼られており、メリーゴーランドへの強烈な執着が始まった時期には、それが遊園地の絵に代わった。

眠りにつく前には交代で本を読んでくれて、時にはそれが抱腹絶倒のオリジナルストーリーへと変わっていった。(父が語る「桃太郎」は、いつの間にやらイヌとサルとキジを従えて宇宙に飛び出した!)

当時、セットものの辞典や画集を揃えるのが流行りだったせいもあるだろうけれど、本棚には世界美術全集、日本美術全集、日本の城、万有百科事典、アラビアンナイトの完訳、日本の民話全集(大人向けだからエロ話も有り)世界の国と人々、シルクロード大全……といったセットものが並んでおり、どれを開いても「大人向けだからダメ」なんて叱られることはなかった。

子供向けとしてはドリトル先生、ファーブル昆虫記、シートン動物記、ナルニア国物語、小学館の世界の童話集、タイトルは忘れたがカセット付きの詩の全集(監修は谷川俊太郎なのでなかなか前衛的だったような)は、頼まなくても全巻そろえてあったのみならず、欲しいと言えば本だけはたいがい何でも与えてくれた。

マンガだって大人向けであっても、意味がよく分からなくても読ませてくれて、特に手塚マンガは制限なしだった。(テーマがもろセックスの「アポロの歌」除く。どうしても読みたい!と小学3,4年生の頃にダダをこねたら、それなら家を出て行けと言われたよ……。)。

夏休みと冬休みには高原にある父の実家に帰省するのが常で、朝から晩まで自然の中で遊ばせてくれた。
日がな一日虫や魚をいじっていても、ザクロをむいてルビーのような果肉を並べて干すことに没頭しても、なにやら怪しげなクスリのもとになると知って、ケシの種を集めることに全精力を注いでも、花から色水を作ることに没頭していても、「この子は変わり者だねえ」と笑いながら、心ゆくまでやりたいことをやらせてもらえた。

○○をしちゃ駄目!と叱られるのはあさましい真似、激しく思いやりに欠ける行為をした時だけで、人と違うこと、女の子らしくないこと、独りぼっちでいること、一つのことに執着することについては、放置どころか娘の興味をすすんで支えようとしてくれた。

ああ、今でも昨日の光景のようによみがえる。お菓子作りに凝っていた小学校低学年のころ。
ゼラチンの量が多すぎて、カチカチのババロア(それも液をこさなかったせいで、気色の悪いぶにゅぶにゅした固まりだらけ!)ができてしまった時、どんぶりサイズの巨大なババロアを、父は完食してくれた。
さすがに「美味い」とは言わなかったような気がするけれど、「おっ、失敗したんか。パパが食べたるわー!うわっ!硬っ!」と笑っていた父の声、思い出すと胸が暖かくなる。

あの人たちのもとに生まれられて、それだけで私は十二分に幸せなんだろう。独りになった今、この幸せ、たまたま与えられた幸運をこれからどう使うか、試行錯誤する毎日。

2014年7月10日(木)

昨日、コメ兵にこれまで集めていた腕時計をほとんど全て、思い切って売り払ったことを書いた。手放したあとは捨て値で売ってしまったことに一抹の後悔があるだろうと予想していたのに、肩の荷をおろしたようで心が軽くなったことも。

自分はこれほどまでに「所有すること」に疲れていたのか!と驚きを覚えたのだけれど、もう少し考えると理由はそこにあるのではないと気が付いた。
私にとって時計が象徴していたものは「見栄」だったのだと思う。

もちろん世の時計コレクターの多くは、時計を自分の所有物として愛でるものとして扱っているだろう。
それでも、身につけて人に見せるモノである時計は、ブランドもののバッグや高級車と同様、分かりやすい「ステータスシンボル」でもある。

かつて地元で一番有名なクラブのママが言っていた。「時計は見るもんやない、見せるもんや!」。そう、私にとってロレックスだのパテックだのカルティエだのといった、一目見て高価だと分かる時計とは、人にナメられないために自分を強く見せてくれる装備品、見栄の結晶でしかなかったのだ。

一方、ペルシャ絨毯は時計に輪を掛けて私の預金通帳を痛めつけるモノだけれど、絨毯を手放す気には全くならないのは、彼らはそばに置いて愛でるための、己の満足のためにある小宇宙だからだと思う。

もちろん世間一般的にはペルシャ絨毯はステータスシンボルでもあるのだが、それはお客さんに見せる機会が多い人の話。
一年にせいぜい2,3人のよく知った友人しかやって来ない我が家では、たとえミルメヘディー工房の名品であっても、ステータスや見栄とは縁がない。それを所有するまでには、ただ美しいモノを愛でたいという動機があるだけだ。

……とこんな風に時計と絨毯のポジションの違いを分析してみたが、これまでに入手した時計の中にも「見栄」よりも「美意識」が選ばせたものがないでもない。

ひとつはベゼルにダイヤとエメラルドをあしらったホワイトゴールドのロレックス。そこに絶妙な虹色に輝くマザーオブパールのフェイスが相まって、この上なく美しい色と光のバランスを呈していた。
そもそもロレックスは労働者のための時計で、そんなものをダイヤだのゴールドだので作るのが間違っているのだが、ちょっとしたショックで壊れてしまうフランス貴族みたいなか弱い時計よりも、ロレックスのタフさを私は好んでいる。

でも、残念なことにこのロレックスは空き巣に盗られてしまって今はない。
悔しくてたまらなくて、無理して同じモデルを作ってもらったはいいけれど、マザーオブパールとはひとつとして同じものがない自然の産物。素材は全く同じなのに、盗られた時計とは似ても似つかないものになったそれは、昨日手放した一本。

そして今、手元に一本だけ残してあるロレックス。
20年前、機械式時計としては生まれてはじめて手に入れたこれは、イエローゴールドに赤い天然石(名前がどうしても思い出せない。それ以降一度も見たことがないレアフェイスなのだが)のフェイスという、中国人は好きだけれど今の地味好きな日本ではバブリーでカッコ悪いとしか受け取られない、きらびやかなルックスである。

そんな時代遅れのモデルをなぜ手元に残したかというと、空き巣に家の中の金目のものぜんぶ──カメラ、ビデオ、バッグ、宝飾品、海苔缶の中の商品券まで根こそぎ持って行かれた時、たまたま帰宅した家人に驚いた空き巣が、あわてるあまりたった一つだけ現場に落としていったからだ。

そういう経緯があってこの時計は、ノルマンディー上陸作戦で雨のような弾丸の中をくぐり抜け、生きて故郷に戻った兵士みたいな印象を抱く、いわばラッキーアイテム的な位置づけなのだ。

そんなこんなで一気に時計の整理が終わった。次に手放すものは書籍である。
こちらは段ボールに入れて専門書を扱う神田の古本屋に送りつければあっという間に終わる話なのだけれど、それではのけぞるほどお安い値段しか付かないことは明白なので、暇を見つけては少しづつヤフオクに出している。

しかしヤフオクでは古代史関連書なんてもー本当に売れない。これまでどんどん「開始価格」を下げながら、幾度「再出品」を重ねたことか!
まあ最後は以前、超高価だった美術書をお情けで引き取ってくださった(買値の20分の1!)神田の某古書店に、段ボールごと送れば済む話なので、あせらずゆっくり新たな所有者を捜しますわー。

2014年7月9日(水)

朝に書いたテキストですが、読み直していったい何を言いたいのか、自分が読んでもちんぷんかんぷんだったのでひとまず消去しました。文章が複雑骨折しとりました、すいません。そのうち書き直します(´・ω・`)


中学生時代からの同い年の友人と電話で話していると彼女が言った。「若い頃は死はずっと遠くにあってぼんやりしたイメージでしかなかったけど、このごろすごく身近でね。いや、身近どころか死がものすごい勢いでこっちに向かって飛んでくる感じ」

「死がものすごい勢いでこっちに向かって飛んでくる」という感覚、そうなんだ、言い得て妙。
もう一人の同い年の友人は、「いつ終わってもいいようにぼちぼち人生の仕上げを始めてるんだ」と言っていた。本当にそう。こちらも同感。

日本女性の平均寿命からすると、余命はあと40年近くあるはずなのに、50才という区切りを超えたとたんに自分自身の死がものすごいリアリティーをもって迫ってきて、様々なものがこれまでとは違って見えるようになった。

他の人はどうなのかな。やはりキリのいい年齢を超えたことがきっかけで、いったん人生の棚卸しをしたくなるものだろうか。もし50を過ぎた方がいらっしゃればご意見ください。

あんまし関係ないけど、私はもっともっと年を取ったら、ネイティブアメリカンのシャーマンみたいな婆さんな感じになれればなぁと思ってる。だからこれから修行するの。

そうそう、手持ちの時計コレクション、ぜんぶコメ兵に売っぱらったよ!なんだかもう、「所有すること」がしんどくなってきたんだ……。
もらったお金は購入価格の四分の一。220万のフランクミューラーが50万、280万のロレックスが100万円 などなど。ヒデェ。

でも、メンテナンス料金が8万もする時計なんか、身の丈に合わないからもういいの。売り払ったあとに後悔するかなと思っていたけど、予想外に心が軽かった。「所有すること」がずいぶんと重圧になってたんだなと驚いている。

2014年7月7日(月)

今日は七夕。残念ながらこの大荒れの天候では織姫(ハーネマン)と彦星(クーパー)は会えそうにない……。(妄想が迷走)

さて、今日の天気と同じように、私の気持ちもどんよりしている。すごくもったいないことしちゃったんだ!

支給予定のみみっちい年金額(あくまで予定)と、退職後も続く茫漠たる人生の長さに愕然とした私は、一ヶ月ほど前から「最低限の生活を送るために必要な金額」を算出するため、可能な限り財布を開かないよう心がけている。

外食を控えて家でご飯を作るのは当たり前。残り物を使い回すのも当たり前。納豆についているしょうゆを半分だけ使い、残り半分は別の容器に移してためておく……というレベルのケチを重ねるのだ。

だというのに土曜日の夜、犯してしまった大きな過ち。
一週間に1,2度の外食は己に許可しているので(まだまだ甘い)、休日くらい好きにしたって構わないのだが、その日はどうしても食べたいものが思いつかなかった。そういう時には素直に家に帰れば良かったけれど、なんとなく飲食街をうろうろしていた。

吉野屋、サイゼリア、すき屋、丸亀製麺……どれもピンとこない。うーむ、強いて言えばラーメンかなあ、とようやくラーメン屋に入り、麺がかくれるほど焼き豚が乗っかっているのが売り物のBラーメンとビールを注文。

いつも好んで行く店だからまずかったわけじゃない。けれど、どうしてもこれが食べたかったわけじゃないから、いつもみたいな「美味しいっ!しあわせ〜」という喜びもないままに、1200円払って帰宅した。

だが、私はすっかり忘れていたのだ。家には(自分にしては)お高い食材を使った鍋のだしが残っていたことを。そしてそれにご飯を入れて雑炊を作るつもりだったことを……。

金曜日に作ったのは「上沼恵美子のおしゃべりクッキング」でたまたま目にしたエビワンタン鍋。
「うーん、これ、香港の味そのものですよぉ!」「エビがぷりっぷりで美味しいっ!」という恵美子さんのトークを聞いていると、もう食べたくてたまらんようになってだな。
ふんだんに入れた干しエビで取ったダシに紹興酒を注ぎ入れ、エビフライサイズのブラックタイガーをこま切れにしてミンチと混ぜて作成したワンタンを、そのダシでゆがいて食すという、ぜいたくな料理を頂いちゃったのだ。

手に取るのを5秒ほどためらった干しエビ(10グラム200円)を使ったダシは、ぞうすいにするつもりで取っておいたのだが、今はもう初夏。
鍋をコンロの上に置きっぱなしにしたせいで、36時間常温で放置されたダシをおそるおそるなめると、
ひぇっ……すっぱい──っ!反射的にシンクに吐き出した。

これ、昨夜だったらギリギリ使えただろうに。あの時、特に食べたいものがないなら家に帰るべきだった。そしたらこれが目に入って、そうだ、ぞうすいを作るんだった、と思い出しただろうに……。
私のカス!
カス!!天カス!!!馬鹿な自分を責めるあまりまたうつモードになった。


そんな経緯があって今日はもやもや。
貧乏とは心を荒ませがちなもので、小銭の勘定ばかりしていると疲れてくる。けれども、ぱーっとお金を使えばストレス発散できるのかというと決してそういうわけでもない。
未来に対する不安でいっぱいな私にとって、「消費」することはとてもとても大きなストレス。ましてや税負担の不公平感モリモリな中での消費税アップ。誰がそんなもん払うか!ってムキになってる面もあるんだよね……。

消費税アップをきっかけに見直そうとしている己の消費行動。お金のことばかり考えるのはさもしい、みっともない、みたいな印象があるけれど、文明社会で生きていくには金銭との縁は切っても切れないもの。これを機に「お金との関係」をしっかり見直したい。

そして、この先には「お金のことを気に病まない」心を作れればいいなと思っている。
ブランドもの大好き、高級品が大好き、投資も好きだし、旅行もしたい、綺麗な格好をして人からよく見られたい……と消費どっぷりでゼニ勘定に明け暮れる生活を30年も続けていたせいで、一朝一夕には方向転換はできないだろう。
けれど、イライラするハードルをいくつも乗り越えた先には心の平安があるかもしれない。

ここが古代ギリシアなら、いっそ私もディオゲネスみたいに樽の中に入って暮らしたい。
ともあれ、10年後にビンボくさい老女になるか、金銭への執着から解放された自由人になるか、ぼちぼち人生の分岐点にさしかかってる感じがするので、「お金に頼らないことで得られる満足」を目指して、試行錯誤してみますわー。

2014年7月6日(日)

「今頃そんなこと言ってんだー」とあざ笑わないでいただきたい。私は今日、茨城・大洗町のゆるキャラ「アライッペ」の存在をはじめて知った。ハマグリの鼻、身体をおおい尽くすシラス。「ちっちゃいおっさん」のアウト感も、「オカザえもん」の不気味さも凌駕するインパクトに震えた。

大洗あんこう祭で着ぐるみが披露されると、シラスを揺らしながら小刻みに飛び跳ねる動きを見せ、またまたファンも増えたとか(茨城新聞)「体を動かすとふわふわとしたシラスが舞い踊り、今までのゆるキャラになかった新しい表現を可能とした斬新なデザイン」(茨城面白用語集イバダス)……ってホンマかいな?!「ふわふわ」だとか「ゆるキャラ」だとか、そんなソフトな表現を全身で拒むような……なんていうのか……とにかくキモいねんっ!!(怒)

←シラスを揺らしながら飛び跳ねるアライッペ

なんでもこのキャラクター、公募によって選ばれたそうだが、デザイン画を描いた作者ご本人ですら、立体化されたアライッペを目にして絶句したと聞く。

静止画だけでも十分ゾゾゾなのに、動く姿はますますゾゾゾ。こいつが「シラスを揺らしながら小刻みに飛び跳ねる」動画を見たところ、嫌がらせとしか思えない不愉快なしらすシェイクっぷりに、マジでちょっぴりめまいがした。

小谷町長から「大洗町広報大使」に任命されたっぺ。→

ひょっとすると企画側は「キモかわ」の「かわ」の部分ははじめから捨てて勝負に出たのだろうか。ならばその戦略は成功だろう。インパクトという点ではゆるキャラ史上最強キャラだと思う。

それにしてもキモい、いや気色悪い。生理的にゾゾゾとする……と言いながら、まとめサイトで後ろ姿の画像なんかを見つけてちょっぴり嬉しかった私は、大洗町の仕掛けたわなにまんまと引っかかったのだろうか……。

茨城県まで行くのはちょっと無理だけど、もしも近場のゆるキャライベントにアライッペが来るなら、是非ともシラスを引っぱった姿で一緒に写真におさまりたい。

いろんなアライッペが見られるまとめサイトはこちら。後ろ姿はさらにキモいんだっぺ。→→


実家にヘボピーのお客さんが来ているため、まやターンに会えない休日。「ぶたくんどうしてる?」とストーカーメールを送っては、「ターンは朝5時半にごはん食べた」とか「ブタチッチターン、おもしろしてる」などのリアルタイム情報をゲット、「おもちろやねぇ〜、おもちろしてるねぇ〜」と電話越しにエアマヤをして心をいやす雨の日曜日である。

へそを天に向けたままフリーズする状態が「おもしろ」である。
人の気を引くためにやっているのかと思いきや、夜中にトイレに起きた時に真っ暗な部屋の中で独りでおもしろしてたりするので、犬の真意は分からない。

このポーズを目にすると、「うわっ!おもしろや!」「そうだね!おもしろだね!」とか「おもちろやねぇ〜!おもちろちてるねぇ〜!」と大げさにはやし立てるのがミキ家のルール。

「おもしろ」タイムには、ちょっとズルそうな顔でニヤニヤしているよ。


先日ここで「週末は更新いっぱいするつもりです!」といばって宣言したはいいものの、ご覧のとおりなーんもでけんかった。

いや、怠けてなんかないぞ!昼寝だって手塚治虫の「虹のプレリュード」があんまりしょーもなかったから、読んでるうちについ2時間ほどうとうとしただけで、あとは朝7時から夜12時までキリキリ働いた。それなのに何故……。

それはサイト用の写真の整理に時間がかかりすぎるからである。一例を挙げるとこんな感じ。

古代エジプト記事に使う写真を引っぱってこようと、フォルダ「王墓」を探したところ、パソコン内にもCDにも外付けHDにもどこにも無いっ!王墓の内部写真はすでに撮影不可能なので、今となってはかなり貴重だというのに間違って消去しちゃったのかしらん?

だが、顔面蒼白になりつつ11年前のMOを引っ張り出したところ、コンパクトフラッシュ(すでに死亡)から最初に落としたデータが見つかって胸をなでおろした。

それにしても、よりによって超貴重な「王墓」だけがコピーもれ。コピーもれやデータ破壊をおそれるあまり、全ての写真データはCD4枚と外付けHD4つに焼いているのに、なぜかそれだけコピーもれ……。

そもそも古代エジプトの壁画やレリーフというものは人に見せるための「美術」ではなく、あくまでも宗教的、呪術的な目的をもって描かれるものである。
コピーもれしたのは呪術的要素が強くて古代エジプト好きですら何となく気味の悪い墓ばかりだったせいもあって、「何者かが人に見られることを嫌ってデータを消させた?」なーんて、思わずオカルト推理するほどありえないチョンボであった。

……言い訳がアライッペのようにキモくなった、ごめんちゃい。
そんなこんなで日記も旅行記も萌え小説も、なーんも書けんかったこの週末。せめてと言うのもなんだけど、昨日近所の友人と「地元クルーズ」をした時の写真を貼っていくのでご覧下さい。いや、どこにでもあるごくごくフツーの風景なんだけどね。

普通電車しか停まらない私鉄のちんまい駅から徒歩2分。クラシカルなハイツが賃貸に出ていた。

「三丁目の夕日」世代のせいか、風呂トイレ共同のハイツはモーレツに私の郷愁を誘う存在。こういう急な階段のある物件に住んでみたい。

この物件は二階に二室、三階には一室という配置。三階には共同洗濯物干し場があって、なんだかすごく懐かしかった。

周辺には家賃1万2千円(六畳一間)なんて前世紀的な物件があるみたいだけど、ここは幾らだろう?すごく知りたい。

足を踏み外そうものなら高確率で病院送りになる階段。酔って帰るのは危険である。
宮部みゆきの『火車』に登場する、心の奥にものすごい闇を抱えた女がこういう急階段で人を突き落とすシーンを思い出した。

わんちゃんいっぱいの喫茶店(=´ω`=) 犬好きな店主の顔が目に浮かぶ。

こちらはすぐそばでヒマそーにしていたマルチーズ。

呼ぶと不安げに立ち上がり、パタパタ……と弱々しくしっぽを振ってお愛想してくれた。

親しみやすいネーミングは全ての商売に有益だとは限らない。特に東洋医学となると、ひらがなよりも漢字ばっかの名前の方が、先生の腕がいいように思われそう。

我が街K市ではちかごろイノシシ禍が問題となっている。イノシシに襲われた人は気の毒だけど、ウリ坊や母イノシシが駆除されたと聞くたびに胸が痛んでたまらん。

突如として目の前に出現したステアウェイトゥヘブン。配達の人の存在を無視した郵便受けの配置。

家主は「これがいいっ!」と思ってやったことだろうけど、付き合わされる入居者はたまったもんじゃないとオバちゃん思うの。

きぼり?もくちょう?なぜパンダ?

猫はどうして唐突に路上に寝るのだろう。

それも道の真ん中である。アスファルトがぬくいのか?

人のことにはあんま関心がない私であるが、大きな庭付き一戸建てに住める人に対する妬みだけは、コンクリート壁を溶かすほど強力だ。

金持ちのセンスはよく分からない。以前、芦屋のすごいモダンな豪邸の出窓に、外に向けた能面が飾られていてのけぞったことを思い出した。

お世辞にも上手とは言えない末子さんの絵。わざわざ飾っているということは末子さんは今……とか想像は広がる。

山のふもとに唐突感あふれる白いビル。苦手なもの:集中豪雨。
保養所かなにかかな?と近づいてみると貿易会社だった。なんとなく遊戯王キャラが中でデュエルしてそうなイメージだ。

住民の張り切りぶりが空回り。このあたり人通りが少なすぎて、入ろうと思えば入り放題だろう。

この周辺、かつては乱舞するホタルで有名だったそうだ。

崖の上に建つファンシーなおうち。
私はこのところ「犬を遊ばせられる一戸建てなら何でもうらやましい」状態なので、これでもいい!って気が。玄関前のスペースが犬用として魅力的だ。

だが「フェニックス不動産」のしょぼすぎるサイトに行ってもこの物件は載っていなかった。予想では2900万程度だけど、どうなんだろ。電話してみようかなぁ……。

港までスルッと見えるのは魅力的ながら、一瞬のよろめきが死に直結するスポットがこのあたりには多すぎる。
友人と「年寄りになってから住むのはキツい」という点で意見の一致を見たので、引っ越し先の候補からは外したわ。

2014年7月4日(金)

このポーズを目にすると「ちょっとだけよぉ〜ん」(BGM:タブー)とキャプションを付けたくなる昭和世代。

腐肉にむらがるうじ虫のように、うつがぴょこぴょこ出たり、ひっこんだり、出たり、ひっこんだりを繰り返してはいるものの、自分にできる範囲内でがんばってます。近頃、「人に優しく、自分にはもっと優しく」がモットーなんだ。

また同時に「マヤと一緒にいられる残り時間はもうあまりない」という焦燥感で己のケツをあぶるのもブームなので、ヒマさえあれば実家に帰ってます。そいでもって5時に起きて出勤前に2時間の散歩。えらいっ!マヤ孝行っ!
え?パソコンの入れ替え?……20万円分の商品券を握りしめて電機屋に行ったはいいものの、どの機種がいいのか選ぶ集中力がなくて、まだ購入にすら至ってないんですよー。うへへ。

……とまあこんな感じですが、今週末はヘボピーがお客さんを呼ぶというので自宅暮らし。更新いっぱいするつもりですのでおヒマならのぞいてくだされ。

 バッカでぇ〜!!