2014年4月29日(火)

先日、マヤを連れて隣の島へドライブに行った。島には母の見舞いに行くたびに一緒に連れて行っていたけれど、母が亡くなった後、花束を抱えて老人ホームにお礼を言いに行ったのが最後だから、9ヶ月ぶりのドライブにになる。

どういうわけだかマヤは自動車が大好きだ。
車の中ではお尻がはみでるほどちんまいゲージにぎゅーぎゅーに詰め込まれて、外も見えない後部座席に乗せられるし、だからといって車からおろして外で遊ばせようとしても、すぐにゲージに戻りたがる。いったい何が楽しくて車に乗るのやら。

それでも車が好きなのだ。マンションの周辺に停まった車から人が乗り降りしていると、「ぼくのぶーぶーだ!」と言わんばかりの勢いで車に猪突猛進、流れるような動きで見も知らぬ人の車、時にはクロネコヤマトの配送車にまで乗り込もうとするからあわててしまう。

あっ!ぼくのぶーぶーだ!

迎えの車がマンションの前に停まっているのを発見&突進!

車の回りを狂ったようにウロウロしながら殺されそうな声でキュンキュン鳴いている。
9ヶ月ぶりだというのに全く迷いがない。どうして前に乗った車だと分かるのだろう?

早く!!早く乗せてください!!!!!!!!!
この直後、エキサイトしすぎて過呼吸になった……。

ゲージに入れるととたんに満足して静かになる。

こんな狭い場所で一時間以上揺られることの、一体なにが楽しいのだろう。犬の気持を理解するのはむつかしい。


そんなぶーぶーマニアを連れて行ったのは「飛行犬撮影所」。
ネットで見ていただければすぐにお分かりだと思うが、猛ダッシュして四つ足が空中に浮いている犬(専門用語では「ダブルサスペンションドロップ」と呼ぶ)を、一本100万円OVERの超望遠レンズでF1グランプリばりに連写してくれるという、犬マニア向けのニッチなビジネスである。

さて、一時間半のドライブを経て、途中、カーナビが職場放棄しそうな田舎道を通ってたどりついたのは「えっ?ここ?!」とのけぞるような、スーパーなんもないカントリーサイド。
田んぼなのか空き地なのか良く分からないスペースを柵で囲っただけのドッグランは、NYのセントラルパークみたいなオサレなスペースを想像していた私の目をひんむかせた。

おまけに敷地内にはペンキがはげかけたプチな小屋(オフィス)がぽつんとひとつ。そして柵の向こうでは、社長兼カメラマンとおぼしきふくよかな男性と、アシスタントらしきうら若いおなごが「いらっしゃい〜」と待ち受けている。
思ってたのとかなり違うんですけど……。大丈夫なのか?

だが、そんな杞憂はマヤがぶーぶーから降り立った瞬間に消え失せた。こ、これは……なんというはしゃぎっぷり!!!

ふだんあまり走ろうとしない11才の老犬が、リードから離すと同時にダッシュ!ダッシュ!!
モーレツな勢いであちこち嗅ぎ回り、カメラを準備しているカメラマンの手元をのぞきこむわ、申込書に住所氏名を書き入れる私を見ようと、オフィスのデスクにお手手をかけて立ち上がるわ、合間にお姉さんになでてもらいつつ、オフィスの奥に置かれたカメラマンの弁当まで盗もうとするとは!

犬歴は40年になるが、あれほど嬉しそうな犬は滅多に見られない。マヤに関して言えば、我が家にやってきてからの10年8ヶ月の中で一番楽しそうだ。
私は自他共に認める愛犬家で、犬の気持はよく分かっていると思いこんでいた。だが、本当はあまり分かっていなかったんじゃないかなあ、と反省しきり。

かろうじて飛んでいる。

気持だけ飛んでいる。

お情けで飛んでいる。

もうアカン。

考えてみればここに連れられて来る犬たちは、100%ハッピーだろう。愛犬の「飛ぶ」姿を写真におさめてもらいたくて、こんな不便な場所にあるドッグランくんだりまで足を伸ばす飼い主たちは、確実に犬を大切にしている。

そんな恵まれた犬たちが撮影に適した天気のいい休日、家族と車に乗せてもらってやってきた広々とした場所で「好きなように遊んでいいよ」と言われたら、はじけるほど楽しくて嬉しくてたまらないはずだ。
そしてこの場所にはきっと、そんな犬たちの「楽しい!嬉しい!」という匂いが残りまくっているせいで、ハッピーが伝染したマヤもあれほど楽しそうな顔を見せたのだろう。

撮影はダッシュ3回で200枚ほど。自分では撮れないタイプの写真だから頼んで良かった。
ただ、惜しむらくは一番最初のダッシュ。カメラマンが電話中でカメラをセットしていなかった時に、うっかり一本目を走らせてしまったこと。何本も走れる若犬じゃないから、一本目が一番「飛んで」いたはずなのに、それを逃したのは残念だったわー。

次回はもっと高く「飛んで」いる写真をゲットすべく、近い内にまた連れて行く気マンマンである。もちろんマヤにはちゃんと元気でいてもらわなきゃね!

おじゃましまぁーす。クンクン、なかなかいい小屋ですね〜

お兄さんなにしてるんですか?

でへへ、ぼくが先に入って調べておいたよ!(=´ω`=)

見るものすべてが物珍しくてたまらないようです。

はががががががぁああああ〜〜〜〜!!

うががががががぁああああ〜〜〜〜!!

マヤちゃんもジャーキーくらい「飛べ」ればいいのにね!

2014年4月29日(火)

せっかく調子が良くなったと喜んでいたのに、天気が悪いせいだろうか、夜中に目覚めてまたしても後悔の渦に巻き込まれ、そのまま眠れなくなった。

首の付け根が四六時中もやもやするせいで整骨院へ通っているのだが、先生いわく、精神のトラブルは首の後ろに出るらしく、なるほどねと納得した。いや、首が悪いから精神に来るのか、それとも精神が弱っているから首が悪くなるのだろうか。どっちでもいいけどどうにかなって欲しい。

消えてしまいたくなるのに物理的に消えられないのはけっこう辛い。抗うつ剤を飲むのは嫌だが、ひどく辛いときだけ精神を引っ張り上げてくれる薬があればいいのに。

朝になり、睡眠不足の目をこすりながらテレビを付けると、そうか、今日は昭和の日なんだ。私が少女だった頃の懐かしい白黒映像が流れている。同時にそれらを一緒に見た両親の不在がますますあぶり出される。

ああ懐かしいな、万博だ。まだ小学校低学年だったからよく覚えてないけれど、会社で入場券を手に入れた父は得意そうだった。
何回連れて行ってもらったんだっけ。2回?それとも3回?

万博ではパピリオン入場に並ぶ人の列にわけもなく反抗心をかき立てられ、わざと迷子になったことを覚えている。
迷子センターに収容されて係のお姉さんにちやほやされていた私は、親の目に私の行動はどう映ったのだろう?自分では「自発的に」迷子になった記憶があるが、実際の状況は異なるのかもしれない。

親が迎えに来た時には泣いていたのかぶすっとしていたのか、迷子センターはどんなだったか。どうやって保護されていることが分かったのか。父が生きていれば記憶の突き合わせをしてその輪郭をはっきりさせられただろうに、今となってはかなわない。

私が成長する軌跡をつぶさに見た父という人を欠いた今、異教徒に破壊された古代の壁画のように、自分の人生から幼児期の記憶がこそぎ取られてしまったようで、寂しさに負けそうになる。



こういう寂しさ、空虚感を抱いているのは考えすぎな自分の性格ゆえで、一般的には親の死は避けがたいものとして比較的あっさり受け入れられているのでは?自分の嘆きは常軌を逸しているのでは?と不安すら感じていた。

しかし親と密接な関係を築いていた子は、誰しもこういうものかもしれない。……というのは先日、同い年の友人と長電話して、私と考えがとても近いと分かったからだ。

肺気腫で布団から起きあがることにも苦労するお母様を、それは長い長い間自宅で介護していた友人は、どんなに仕事で遅くなっても必ず帰ってご飯を作っていた。
「息抜きに一泊くらいでどっか行かない?」と誘っても、「母を置いて行けないから……」という答えが返ってきて、当時は気楽だった私は「えっ、そこまでがんじがらめなんだ!」と内心おどろいたものだ。

その友人がお母様を亡くしたのは、3,4年ほど前になるのだろうか。私の父よりも前に他界なさったのだが、今でも立ち直れていないよと友人は言った。

(私も彼女のお母さんがなぜかしらとてもなつかしい。兵庫と三重という距離もあって実際にお会いしたのは数回なのに、「ミキさんから電話〜」と受話器の向こうで友人を呼ぶ声は、奇妙なほど鮮明に頭に残っている。
亡くなる前は私も友人も忙しくて疎遠になっていて、せめて電話しようと思いながらも果たせなかったのが悔やまれる。
「今になって時々、ああ、おばさんに遭いたいなあ」と思うのよ、と言うと、「母はミキさんのこと、気に入ってましたからねえ。『ミキさん、来んの?』ってよく言ってました」と聞いてますます悲しくなった)

友人も、私も両親を亡くした今、話してみると心情的にとても近いことが分かった。

どんな時でも心のどこかに親のことが引っかかっていて、本当に気分が晴れることはない。それなりに好きなジャンルを見つけて「萌え〜(・∀・)」と言ってはいても、心の奥には苦いかたまりがあるようで、心はなにかしら空虚であること。

二人とも、親が死んでから一気に気力が萎えたこと。そして、「親の世話をすることによって自分も支えられていたからだろう」と納得し合ったこと。

「わたしたち、親ばなれ、子ばなれできてなかったんですねえ」と笑う友人に、「でも、Aさんのお母さんは実の娘とずっと一緒にいられて幸せだったと思うよ」と言うと、確かに気は遣わなかったかもね、という答えが返ってきた。

そして「私たち、結婚しないという意味では親には心配かけたかもしれないけど、ずっとそばにいてやれたから、それはそれで親孝行をしたのかもしれない」と互いに言い聞かせたのだった。


子よりも親が先に旅立つのは自然の摂理である。どれほど愛していても別れは必ず訪れる。死は不可避なものだから、いつまでも亡き親を偲ぶのは間違いだとは分かっている。

でも考えようによっては、死去した親をしのんで延々と嘆くほど親との関係性が良かったということは、ある意味とても恵まれているのではなかろうか。親に限らず兄弟であれ友人であれ連れ合いであれ、不在に耐えられないくらいの愛情があったということは、幸福以外の何者でもないと私は思う。

だから私は、もし結果的に身体を悪くするようなことがあっても、自分の気が済むまで親の死を悼むつもりだ。
「懐かしく思い出すことは供養になる」と聞くことだし、無理して前向きに生きるのはやめようと決めた。陰気でも気力に欠けても、片足をあの世に突っ込んでるみたいと言われてもいいではないか。

数年先にはどんな気持になっているかは想像もつかない。両親のことは優しい思い出になっているかもしれないし、空虚さに負けてしまっているかもしれない。
けれど、まだしばらくは嘆きを押し殺さず、ひょっとすると今そこにいるかもしれない親に語りかける日々を送れればいい。

2014年4月27日(日)

さっき氏神さまであるN神社に正式参拝に行ってきたよ。

インド旅行を来週に控え、旅の無事をお願いしに一度はお参りしなきゃなーと思ってはいたものの、なんだか気が乗らなくて、毎日壁に貼ったお札に手を合わせてることだし、もー別にいっか……と思い始めていた。

だってお参りって意外に時間がかかるものなのだ。
お賽銭を投げて鈴を鳴らして二礼二拍手一礼すればいいっちゃいいのだけれど、それを三社で繰り返す上に、自分の住所氏名と生年月日も伝える等のマナーがあるせいで、手を合わせてムニャムニャやるのもけっこうめんどくさい。

それでもインドは去年のGWに行った時、死ぬのか?と思うほど怖いこと(詳細はまた改めて)があったせいで、お参りせずに済ませるのもなんだか気になる。己の考えすぎな性分を鑑みると、ノルマはこなしておくにこしたことなさそうだ。

そんなこんなで、今日は気持ちのいい天気のせいか心も軽いので、よっしゃ行くか!と気合い一発。

一ヶ月ぶりに鳥居をくぐり、神域に足を踏み入れるとすーっと潮が引くように心が静かになってくる。
N神社と稲荷神社と龍神神社に参拝していると、たまたま神主さんが毎朝恒例の祝詞をあげている場に遭遇した。

「かしこみ かしこみ〜」と唱える声を聞いていると、元々はインドに行く前に正式参拝しておこう!と考えていたことを思い出した。これはやっぱり正式参拝で押さえといた方がいいかねー。

正式参拝はぶっちゃけめんどくさいしお金もかかるけど、私は日常の中にある「タイミング」「偶然」を何よりも重視する人間である。
社務所へ行って、あさっての予約を入れよう。いや、べつに今日でもいいんだけど、初穂料を入れるのし袋や封筒が家にはない。今日、実家に戻るついでに買っておいて、参拝は二日後にした方がスムーズだよね。

けれど返ってきた答えは「あさっては一杯です」。ぜっかく思いついたのに残念だが、ではゴールデンウィーク明けにしますと言って、一度は神社を後にした。

でも……ちょっと待てよ。思い立ったが吉日と言うではないか。こういう場面では「めんどくさい」を押すことに意味がありそうだ。
封筒は駅前のダイソーまで買いに行けばいいや、と思い直して引き返し、社務所に戻って2時間後の正式参拝をお願いした。その後、帰宅して引き出しを開けてみると、おあつらえ向きの白封筒が一枚、ぽろっと出てきた。

顔を洗って軽くお化粧して髪を整え、のりのきいた白いシャツにそでを通し、きちんとスーツに身を包んで再度神社に向かう。
慎ましい気持で上がった本殿で、祝詞を聞いて幣を振っていただくと、身体からヘドロみたいなものがこそぎ落とされたみたいな気分になって、神社を後にした時にはスカッとした。

歯が割れたり腰をいわしたり、「こりゃアカンわ」と手放した株はその8分後に暴騰開始。参拝直前にはマンションのゴミロータリーが、前の人の押し込んだゴミが詰まっていたせいでトラブったりと、ミニ不孝の波状攻撃を受けていた今日このごろ。

だが、N神社の祭神──八百万の神を束ねる天照大神のご子息に面通しを済ませた今、三億三千の神さまを擁するインドでも「考えすぎ」のせいでドツボにはまることは避けられそうでホッとした。


そういえばN神社の所在地と私の住所は同じ3丁目だとはじめて知った。広い道路を隔てているから町名は別だと思ってたんだよね。それどころか番地に「12」が入るのもおんなじだ(笑)

また、我が家の向かいでは名水で名高いミネラルウォーターがわき出しており、市内の喫茶店経営者が車にポリタンクを満載してやってくるとか、窓を開けると華厳の滝、那智の滝とともに日本三大神滝のひとつに数えられる滝のある山が見えるとか……。
パワースポットという言葉は好きじゃないけど、この家、地相的にけっこういいんじゃないの?と思ったりして。

このところ、このマンションを売って犬を飼える一戸建てに引っ越そうかと迷っているのだが、もうちょっと考えてみることにした。
まあ、本当にパワースポットなら、こんなに精神的にキツい状態が続いているのはおかしい気もするが。「このくらいで済んでてマシ」という考え方のできる人もいるかもねー。悲観論者の私にはなかなかむつかしいが。

つまるところ「幸も不幸も気持ひとつ」。これに尽きますな。

2014年4月25日(金)

二ヶ月ぶりにいつもの美容院に髪を切りに行った。元々ショートカットなんだけど、「お任せするので顔に合う感じで切って下さい。後ろは多少短くても構いません。あ、パンクっぽいスタイルとかいいですねー(=´ω`=)」とだけ伝えてうとうとした結果、あれれっ?足元に落ちてる毛の量、思ってたより多くない?

鏡に映っていたのは、ソフトバンクの「お母さん」にお情けで前髪の量を残したレベルのショートカット。
美容師のアンちゃんいわく「70年代のデビッド・ボウイのスタイルです。あ、You Tubeで○○(曲名忘れた)を検索したら動画が見られますよ〜(・∀・)」だって。
いや、デビッド・ボウイはいいけれど、そもそも私は女性なのだが。そしてこの頭はボウイというよりむしろ「ダーティーペアの髪が短い方」なのだが。

本気のショートカットは顔立ちがキリッとしていないと似合わない。だから私もキリッと系なんだ!と自分に言い聞かせてみるものの、ひとつ間違えれば揺るぎなきおばちゃんでしかないこの頭。友人たちに見られると口では「ミキさんショートが似合うね〜」と誉めつつも、内心「オバちゃん……」「オバちゃんだ……」と思われてそうで、今からちょっぴり憂鬱である。


またしても鬱ウエーブが来たようだ。ここ一週間はかなり前向きになれていて、来週行くインドでは、刺繍製品をめぐってがめつさで世界に名高いカシミール商人と激しいバトルを繰り広げる心の準備を整えていたのに……。昨日はまたしても3時半に目が覚めてそのまま眠れなくなった。

両親と今はもうこの世にいない犬たちに対する後悔と、近い将来に待ち受けているマヤや老いた友人や親戚との別れへの恐怖で頭がいっぱいになって、呼吸が浅くなってひどく苦しい。

マヤも叔父も叔母も68才になる友人H(糖尿病がけっこうヤバい)もまだ生きているのにこれでは、実際に死なれた時には一体どれほどのダメージを食らうのだろう。
父が他界して2年近い今でさえこんなに苦しいところへ、新たな別離が襲ってきたら、私の精神は耐えられるのだろうか?そう想像すると、確実に来る未来が怖くてたまらない。

それでも一時間ほど悶々とツイッターをいじっているうちに(夜中の鬱ツイートすいませんな)いつの間にか眠りに落ちていた。そして母が出てくる夢を見た。

夢の中の母はアルツハイマーがかなり進行しており色々とちんぷんかんぷんだけれど、まだまだ意志の疎通はできる。
そしていつものように「自分が夢を見ている」と分かっている私は、夢であっても精一杯母とふれあわなきゃ!とあせって、「マヤとお母さんを連れて散歩に行こうよ」とヘボピーを誘った。

でも夢の中のヘボピーにとっては母がいるのは当然で、「えーっ?めんどくさいよ〜」と起きあがらない。
ごろごろしている妹にプンプンしながらも、こういう当たり前だったはずの日常がどれほど愛おしむべきものだったか、失ってはじめて分かるものだよなー、と夢を見ながらしみじみ考えていた。

目覚めた時には思ったよりも心は軽い。思い切り抱きしめた母の髪のにおいが手の中にまだ残っているようで、ちょっと不思議な気分になった。
この世の中には科学で解明されていないことも沢山あるんだろうな、とぼんやり思う今日の天気は快晴だ。

2014年4月24日(木)

おおおおおおおおおおおおお……。歯に続いて腰をやった……。
歯が欠けて噛む力のバランス配分がおかしくなっているせいで、全身のバランスまで狂っているのだろう。日曜日の夕方、なんか腰が痛いなあ、まあ一晩寝たら治るだろうと思っていたら、朝には立ち上がるのにすら苦労する状態になっていた。

トイレでパンツをおろすにも1ミリずつずらさないとギャ──ッ!って感じ。非常にまずい。来週末にはインド行きだというのに、このままでは伊丹ー成田ーデリーーシュリーナガルの飛行機乗り継ぎに耐えられない!

だから月曜日、いつもの整骨院に無理を言って予約を突っ込んでもらった。三日前に行ったばかりなのに、またしても母が「あの先生、次元大介に似てるねえ」と喜んでいたオッサンの顔を見る羽目になるとはな……。

まあそのお陰でパンツとズボンとストッキングの固まりに足を取られて、トイレでじたばたすることはなくなったよ。
頸痛とひざ痛には長年悩まされてきたけれど、腰痛は初体験。すでに首とひざが悪くて病院通いしてるんだから、神さまは腰まで悪くすることはないだろうだなんて根拠のない希望的観測を抱いてここまで来たけれど、神はそんなに甘くないと痛感したわ。

健全な腰は直立歩行のキモ。腰をいわすと本当に何もできなくなるものだと身をもって知った今、今後私はこの状態を「ぎっくり腰」だなんてうっかり八兵衛がなりそうな通称ではなく、「急性腰痛症」と正式名称で呼ぶ運動に身を投じる所存である。

2014年4月23日(水)

以前ここで父の部屋から出てきたカメラについて書いたことを、覚えてくださっている方はいらっしゃるだろうか。何枚か撮影した痕跡のあるフィルムが入ったままのカメラのことだ。

年を取るにつれて視力が衰えて、亡くなる数年前には趣味の写真撮影をやめてしまった父。
引き出しから出てきたのは、ものがぼんやりとしか見えなくてもシャッターを押しさえすれば写るんだから、これを使いなよと父にあげたミノルタとコンタックスのコンパクトカメラである。

カメラが趣味で凝り性だったのに、子供でも撮れるようなカメラを使わざるを得ないだなんて、今から思うとさぞ寂しかっただろうが、とにかくめくらめっぽうレンズを向けて、何枚か撮影したようだ。

それでもやはり「自分が何を撮っているのかよく分からない」のは面白くなかったようで、いつの間にか撮影することはなくなってしまった。だから見つかった2台のカメラに入ったままのフィルムには、父が最後に撮ったものが写っていることになる。

「お父さん、最後に何を撮ったんだろう」と私が言うと、妹は「マヤだったりしてね。はははは」と笑った。多分そうだろう。カメラのレンズを向けられる対象には、撮影した人の興味と愛情の傾向が如実に現れるものだから。

それでも見つかったフィルムは長い間プリントに出せないままでいた。父の最後の写真を目にすると、これを撮った人にはもう二度と会えないのだと再確認してまた落ち込むのが怖かったからだ。

けれど先日、気分がいい時にカメラ屋に寄った。(フィルム撮影をする人はもうほとんどいないせいで、2本分の現像とたった数枚の写真のプリント料金は3千円もして驚いた)
受け取りに行った写真に映っていたものは、母と、マヤだった。

ミノルタの方に残っていたフィルムにはまだまだ元気だった頃の母。
撮影日は記録されていないから正確にはいつ撮ったのかは分からないけれど、マヤの毛の生え方から推測するに、一才くらい?──ということは、母がアルツハイマー宣告されるかされないかくらいだろう。
今もまだ私のそばにいる犬と、はるか彼方へ行ってしまった母とが、10年前にはこうして同じ空間にいたということが何だか不思議だ。

そしてもう一本。コンタックスの方に残っていたフィルムには、お花見の様子が映っていた。

こちらも何年に撮ったのかは分からない。でも、すでに病が進行しつつある母がかろうじてしっかりしているうちに家族で出かけよう、と桜並木のある公園に行ったことは覚えているから、上の写真よりは1,2年後。
つまり、花見の時に撮った一連の写真が父の最後の作品ということで、その中の最後の一枚は、やはりマヤだった。

(もっと正確に言えば、本当の最後の一枚は、自宅のリビングが映った完全にピンぼけの写真なのだが、いいかげんに試し撮りしたような感じなのだ。
想像するに、ファインダーをのぞいてみたはいいものの、己の視力の悪化ぶりに腹が立って、それ以上カメラを構える気にはならなかったのだろう)

父が撮った最後の写真は、私と引っぱりっこをするマヤだった。

その後、上の写真から8年?9年たった今年。
来年は一緒にいられるかどうか分からないから、マヤとは最後になるかもしれないお花見に行こうよと、ヘボピーと誘い合って、二人と一匹で同じ桜並木を見に行った。

このあたりがよさそうだねと腰をおろした芝生は、偶然にも家族がそろって弁当を広げたまさにその場所。寒くて雨が降りそうな日だったせいか、土曜日だというのに人がほとんどいない静かな公園で、ポットに入れてきた熱燗をしみじみと飲んだ。

どうか来年もこうしてマヤを交えて桜を見られますように。

2014年4月16日(水)

連日ここに現れる程度には元気です。いつもとは違って気分も比較的軽やか。
朝起きて一発目に洗面台の怪しげな小ビンに手を伸ばし、うつに効く漢方サプリ(6錠600円)を口に放り込むという、いつもの儀式もなしで済ませられるくらい調子がいい。珍しいことだ。

これは歯が欠けていることに慣れてきて、奥歯にあいた穴ぽこに舌を突っ込まずに辛抱できるようになったお陰だろうか?
それとも昨夜、ウクライナ情勢悪化のあおりを食らって一時は100ドル近く下落したNYダウが、朝起きると89・32ドルの上昇と、クソボケ詐欺相場の面目躍如ぶりを見せてくれたからだろうか?……多分後者だろう。

まあ、おかげさまで今日は寄り付き(株式市場が開いた直後の株価のことね)に、致命傷でなんとか離脱できそうでうれピー!
しかしここでノーポジションでいられないのがバクチ好きのSAGA。週末はまたしても欧米人がウクライナ問題を蒸し返して、株価はチョコレートファウンテンの溶けたチョコのように下落すると読んでるから、返す刀で空売り(株価が下がることによって利益を得る手法ね)したくてたまらない。
そんでもって返り討ちにあって、またしばらくここの更新が止まるという、己の未来が不思議なくらいに良く見えます。

話は変わるが、昨夜は「なんでも計算できる電卓」の夢を見たよ。
見た目はどこのオフィスにでもあるデスク置き型のカシオの電卓なのだが、こいつのキーをぱらぱらっと叩けば、宇宙の広さや地球に生命が誕生してから今に至るまでの正確な年月、リーマンショックを超える経済危機が世界を襲う確率といった、これまでは神の手にあったような数字まであっという間に計算できちゃうのだ!

「な、なんと素晴らしい……」と身を乗り出して、デモンストレーションをする私の手元をのぞき込むのは、帝政ロシアの軍人のような金髪ちょびヒゲの若者と、マルクスみたいなヒゲボーボーのオッサン研究者。

「もっと良く見せていただきたい!」「他にはどんな計算ができるのですか?」と身を乗り出す学者たちに、にっこり微笑んで答える私。
「なんでも計算できますよ、ええ、なんでも。あなたがた二人が付き合うようになる可能性もね!」

……って、つまるところはBLかよ!と夢を見ている自分に突っ込んで目がさめた。じゃあ会社行ってきます。デスクの上では書類の山が「はやく処理して」と私を待っている。マヤちゃんのお薬代(月3万円)かせぐために、今日もおねえちゃんがんばるよ。

一見なんでもない写真だが……。

ほっぺには盗んだ食べ物が格納されているのだ!

2014年4月15日(火)

残り少ない歯の一本が折れてからというもの、心まで折れてしまったようだ。

「当面はできるだけ噛むことを避けるように!」と歯医者に命ぜられたもので、寝たきりのばあちゃんが特養で食べさせてもらっていたようなものを選んで食べてたら、どんどん気力が減退してきた。
「よく噛む」というボケ防止法があるけれど、あれは当たってるなぁと実感する。噛むことをすっ飛ばして飲み込んでばかりいると、なんだか頭まで悪くなってきたみたいだ。

加えて「口を閉じている間も歯と歯が当たらないように意識するように」とも言われて実践しているものの、これもけっこうな努力を必要として疲れてしまう。
外から見ると閉じているとはいえ、自分的には四六時中、口をポカンと開けてる感覚で、このままではますますボケが加速しそう。

普通の人は口を閉じている時には歯は当たらないものだろうか?意識してみると私の場合、常に当たっているどころか、なにかあるとすぐに歯をかみしめてすらいると分かった。ソルジャーかよ。

だが、こんなに努力しているというのに、折れた歯に仮の詰め物をした20時間後、カット前のやつを一斤まるごと買ってきた食パンの、真ん中の白い部分だけほじくって食べていると……白パンにくっついてまたしても白い小石のようなものが……。おおおおおおおおおおおお……。

別の部分までもが折れたのか?と失神しそうになったが、震える手で受話器を取りあげ歯医者に電話すると「あっ、詰め物が取れちゃいましたか〜。 (´ω`)」と明るく言われたもんで、本気で胸をなで下ろした。寿命が5年縮んだ。

そして土日は折れた歯の跡地──ボコッと穴が開いた部分が気持ち悪い上に(それなのに舌先でさわりたくなる衝動、どうにかしてくれ)、寝ている間に折れた角が当たって舌が痛くて眠れなかったりと、なんやもー色々アカンです。

でも、日曜日にマヤちゃんの犬生11年と3ヶ月における最高傑作が撮れたので、喜びと悲しみのはざまでたゆたってます。

2014年4月11日(金)

朝っぱらからムカッときている。ムカッとさせるメールの差出人はmichikokawana@、タイトルは「母さんです お父さんの件です」。

以前は趣向を凝らした迷惑メールのトンデモ文面をチェックするのに凝っていたけれど、今は迷惑メールフォルダを開くことなくそのままゴミ箱へ。「貸したブルマー返してください」の出現以降、釣りと分かっていても思わずクリックしてしまうような、敵ながらあっぱれ!と褒め称えたくなるようなタイトルをあまり見かけなくなったからだ。

しかし今朝のこれは「母さんです お父さんの件です」。直球すぎてかえって興味をそそられる。クリックした先には「あなたのお父さんはプエルトリコ人です」みたいな文面が待ち受けているかもしれない。だからちょっぴりワクワクしながらクリックした。

するとそこには以下のような文面が。

隆文へ

元気にしてますか?お母さんです。突然のメールでごめんなさい。
あなたの携帯がつながらなかったので、川口君に連絡先を聞いてメールしました。

お父さんが仕事中で事故に合い、今記念病院に入院してます。
仕事忙しいと思いますが、よかったらお見舞いに来て、顔を見せてあげてください。

左足の骨折ですんで本当によかったです。ただもうお父さんも歳なので元気づけてあげてください。きっと喜びます。

あと佐々木君が来月に結婚するそうです。招待状を送りたいのであなたの新しい住所を教えて欲しいと言ってました。

とにかくメールをみたら一度お母さんに連絡ください。

平日はパートに行ってるので、17時には家にいます。

……なあ、この文面に釣られてmichikokawana@に返信しちゃううっかりマンがこの世に存在するのだろうか?
川口くんと佐々木くんという友人を持つ隆文という名の若者が、カワナミチコというパート勤めの母親からのこのメールを目にする確率って、限りなくゼロに近くない?
「人をわなにかけてゼニをもぎ取る」という迷惑メール唯一の目的達成のためにはこの文章、あまりにも成功する確率が低すぎる。

そう思いながらもう一度メールを読み直すと、「これで人が釣れる」と考えて、文章を作るという作業に少なからぬ労力を払っている人間がこの世にいるということ自体が、にわかに不安になってきた。

ひょっとするとこれは迷惑メールではなくて、誤って拡散した本気のメールなのか?それとも書いた人間の妄想なのか?超絶技巧の釣りメールの対極に位置する、ど下手メールを目にして、言いしれぬもやもやがつのる爽やかな朝である。


歯が折れた。また折れた。3年前に右上の奥歯がぽろっと抜け、2年前の正月、たきたての柔らかいご飯を食べていると、左上の奥歯がバキッと折れた。

その結果、一番奥の左右の奥歯が私にはない。左右とも八重歯でかみ合わせが悪いから、奥歯が二本もなくなったせいで、人並み以上に咀嚼には苦労しているのに……。
今度は下の奥から二本目の歯が割れた。

ほかほかの肉まんを食べていたら、ガリッと舌にあたった硬いもの。吐き出してみると、えっ?小石?
同時に脳内をかけめぐるのは、「これはセブンにクレーム付けても許されるよね。肉まん倍返ししてくれるかなあ。いや、5千円のプリペイドカードくらいもらえるかも……うへへ」という黒いアイデア。

……だが、まさか己の折れた歯のかけらだとはね……。

次の日、早速走った歯医者。そのたった2日前に「奥歯が痛くてたまらない!」(結果はいつもの「ぜんぜん異常なし」)と初診で訪れたばかりのクリニックだったけど、すぐまた行くことになろうとは……。人生どこでどう転ぶか分からない。

まあ、妹に紹介されたその医者はものすごく丁寧に説明してくれる人だったので、ぜんぜんほったらかしだった前の医者から替えた直後で、結果オーライと言えばそうではあるが、「この割れ方から見ると、もう身体が悲鳴を上げてるんでしょうね」と指摘されると心穏やかではいられない。

なんつーかもう、さすがにへこむ。50才の山を越えたとたんに、坂道を転がり落ちるように身体のトラブルが発生。なんだかメンテ期間が終わった電化製品になった気分よ。

そんなこんなで来週は型どりである。残り少ない歯を保護するために、20金を使用する費用は8万円。
株も為替もボロボロの今、私の身体も心もお財布もボロボロになりそうだ。

2014年4月10日(木)

先月ここでマヤの「ぐいーん」について触れてから一ヶ月近くが経過した。その後、ベストショットは撮れたのかというと、お尻キャラバン隊はまだまだ解散していない、いや、このまま解散するわけにはいかない!

正直なとこ、枕元に一眼レフを置いて就寝、目覚めると同時に犬のケツにレンズを向ける生活にもいい加減疲れてきたのだが、ここまで来たならもうひとがんばり!と、半分意地になっている。

それにしても動物を撮るのがこんなにむつかしいとは……。
高校生の頃は犬の肖像カメラマンになることを夢見て、「愛犬ジャーナル」の読者相談室でプロに相談した程度には犬の写真を撮るのは得意なはずなのに、「ぐいーん」ごときにこれほど振り回されるとは。

しかし犬のおもしろ画像を撮ろうと画策したことのある方(いるのか?)ならお分かりだろうが、あくびや背伸びのベストショットをとらえるのは本当にむつかしいものだ。
世界各国からYou Tubeに投稿されるワンワンおもしろ動画は星の数ほどあるけれど、私はそれらすべてのおもしろ投稿者に心からの敬意を払いたい。

きっと彼らは「いい絵」を撮るために、片時もビデオカメラを離さないに違いない。だって動物って人間が意識すればするほど緊張が伝わって、自由な動きをしてくれないんですもの!

つまるところ、「お尻キャラバン隊」の旅はまだまだ終わらない。パトラッシュ、ぼくもう疲れたよ……と言いたいくらい飽きてきたが、パトラッシュなら許してくれるところでも、マヤはそのあたり冷淡だ。
そして今日もまた、寝起きの犬に向けてカメラが火を噴くほどシャッターを切りまくるのである。

尻のふかふかさといいふんばり具合といい、理想に近い一枚。
これでピントが合っていさえすれば、ケツキャラバンは解散だったろうに!
でも、朝はカーテン閉めてるせいで、光量不足→シャッター速度が遅くて、こんな感じでだいたい手ブレしちゃうんだ。

僕はもう疲れた。この旅はいったいいつ終わるのだろう。

2014年4月8日(火)

アルツハイマーを恐れるあまり、アルツハイマーになる夢を見た。目覚めてすぐに枕元のペンをつかんでメモはしたものの、書き殴られた単語を今読み返しても、直後には覚えていた細かい場面は思い出せない。
それにしてもひどく奇妙で暗示的な夢だった。

夢の中で私はアルツハイマーを発病している。強い薬を飲まされたことによって病状は悪化。身体は動かず、遠のいていく意識の中、「寝たきりになる可能性があるかも知れない」と言う医師と、「介護する人間もいないのに、それは困ります」と訴える妹の声を聞いている。

やがて誰もいなくなった病室。
ちっとも言うことを聞こうとしない筋肉をしゃにむに動かしてなんとか立ち上がり、目の前に現れた大型犬──夢を見ている時には犬の姿ははっきり覚えていたのに、目覚めると同時に忘れてしまった。少なくともサルーキではなかった──の後をよろめきながら付いていった。

「しっかりしろ」と言いたげに何度も後ろを振り返りながら先をゆく犬の後をついて行くと、緑あふれる公園の中にぽつんとある泥沼に行き着いた。
「ここに身体をひたして毒を出しきるとアルツハイマーが治る」と本能的に悟った私は、泥沼をのぞき込んだ。
するとそこには先客。中世の剣士のようないでたちをした、枯れ草色の髪の女性。

そして、沼のほとりで寝ていた狩人の女性に身の回りのモノ(何かの電子機器だったと思う)を預けると、私も泥につかろうとした。

そこで場面は変わり、私は中央アジア風の小さな村にいる。沼から上がった私を、目にしただけで心が安らぐような笑顔で迎えてくれる人々。
そんな村人たちの中に混じって、にこにこと私を見つめている小さな二人の老女。彼らは「○○にして○○」(○○の中には二文字のカタカナの名前が入るのだが、これも目覚めると同時に忘れてしまった)と呼ばれている。

二人は多分きょうだいであり、「二人で一個の完璧なものとなり、周辺世界のバランスを守っているのだ」と誰かに教えられた。
彼らは女性と女性だったが、老いた男性と男性のペアもいるのだとも分かった。そして、さっき沼で泥の中で横たわっていた枯れ草色の髪の娘が「もう一人の私」であるのだ、とも。

そこで一度目覚めて、枕元のメモ帳に夢を書き付けて、それからまたうとうとしていると、また誰かの声が聞こえた。
「さっきの夢は9 1/2(9と二分の一)というタイトルなんだよ」。

「8 1/2」はフェリーニの映画で、「9」はその映画に捧げられたオマージュ映画だが、「9 1/2」って……。なんだか同人のパロディ誌みたいなタイトルだねぇと思った。それでも夢を見る前よりも、心は少し軽くなっている気がした。

2014年4月3日(木)

まるで詐欺プリ。見た目はこんなに可愛いけれど、ミキ家では「ゲシュタポ」の名を欲しいままにする恐るべき暴力ワンちゃんなんです。


このところ、脳卒中とアルツハイマーが怖くて怖くてたまらない。

脳卒中はたとえ一命を取りとめても、半身不随になる可能性が高いことに加えて、いつ何時襲われるか見当もつかない病だから。

年に2,3回脳ドッグに行けばある程度は予防も可能なのだろうが、一年前に初体験したMRI検査の想像をはるかに超えたキツさを思い起こすと、そう易々と受信するわけにもいかない。もう一度あのフィリップス・アチーバに頭を突っ込むだなんて、電磁波とストレスで別のところが悪くなりそうだ。(恐怖のMRI体験は3月2日の日記をごらんください)

一方、アルツハイマーは認知力が徐々に薄れていって、途中に「まだごはん食べてない」とか「アンタ私の財布盗ったでしょ!」などのお見苦しい段階を差し挟みつつ、最後には食事も排泄も寝返りも、全てを人様の手にゆだねながらベッドの上、日がな一日天井のシミを眺める暮らしが待っている。

脳卒中で半身不随も辛いけれど、私的にはアルツハイマーの方が数倍怖い。脳卒中だと頭さえしっかりしていれば家族との意志疎通も可能だろう。

だが、世界を認識する方法ががらっと変化してしまうアルツハイマーの方は、自分はちゃんとしていると思っていても人から見るともー無茶苦茶で、最後は人形みたいな寝たきり生活が待っているのでは、「己の人生の閉じ方を選ぶ」という意味でも、自由度が低いよね。

まあこの二つが怖くない中年なんかいないだろうが、私の場合は母がアルツハイマーだったせいもあって、恐怖倍増。というのは、この病気の発症には遺伝的なファクターもあると聞くからである!!((((・ω・))))

それでも、気に病めば気に病むほどますますドツボにはまるのだろう。
アルツハイマーに「遺伝性」の側面があるとされるのは、細胞レベルで云々というよりも、脳に与えるストレスの大きさの多寡──まじめ、気にしすぎ、几帳面、心配性、といった親子に共通しがちな性格もあるのでは?とされているからである。

そういえば母も元気な頃からアルツハイマーをひどく恐れていた。今でも本棚の奥から「呆けない生き方」みたいな本が出てきたりすると、お母さん、何となく予感してたのかな?心配しすぎなのが余計に悪かったのかな?と悲しい気持になる。


このように年を重ねるごとに高まるアルツへの恐怖。中年&老年の普遍的恐怖心につけ込むように、雑誌やテレビではボケ防止の特集が花盛り。足元見られてんなーと思いながらも、ついついメモってしまう自分がいる。

つい最近までやっていたのはシソ油、エゴマ油などの「オメガ3系油」の摂取。
だが、これらの油は加熱するとボケ防止の効果が薄れるということで、スプーン数杯分を常温で食さなきゃならない。だからいっしょうけんめい油をそのまま飲んでいたものの、「朝起きていきなり油をグビッ」という行為そのものはいかがなものか?という疑いが芽生えて、一本飲んだ時点でやめてしまった。

次につけ込まれたのが「アロマ療法」。
「香り」は脳細胞を刺激してするもので、それも「ローズマリー・カンファー2対レモン1」の昼バージョンと、「ラベンダー2対スウィートオレンジ1」の夜バージョンを併用するのが効くそうだ。

この配合がテレビの健康番組で放映された翌日に、私のアルツ化を案じた友人がソッコーでアロマオイルを買いに行ってくれたそうだが、東急ハンズではすでに売り切れ。いつ入荷するか分からないと言われたそうだ。みなさん、踊らされてますなあ。(自分もな)

そう言いながらも数日前から、私もこのボケ防止法を始めている。この友人が、しつこく探してネットショップで手に入れてくれたのだ。

昼用と夜用の二種類の小瓶を持ってきた友人に、「自分でブレンドしたの?」と尋ねたら、「配合済みのやつが売っとった」とのこと。さすがだ……。儲けるチャンスにはすぐさま食いつく、商売人たるものこうあらねば。見習いたい。(それにしてもセットで三千円というのはかなり割高じゃないか?)

ビンを開けると、昼用のブレンドはメンソレータムみたいでイマイチだけれど、夜用の方はビンを開けただけでふわーっと睡魔が襲ってきて効果てきめん。鎮静効果が高すぎて、日中に嗅ぐと仕事に支障をきたしそう。

昼用はハンカチに染みこませてクンクン。夜用は枕カバーに数滴垂らしてクンクン。
麻薬探知犬のような毎日に、アルツハイマー狂想曲に踊らされてるなあと思いながらも、ダンスホールは心配性の老老男女でいっぱい。ボケを恐れる名も知らぬ同輩たちと一緒になって、当分はこのまま踊り続けるしかないようだ。

2014年4月1日(火)

新年度入りでもありエイプリルフールでもある本日、ヘボピーは、マヤのことが大好きで、携帯の待ち受けまで人んちの犬にするくらいマヤLOVEの友達に、「マヤがタヌキとジャーキー取り合ってケガした」とウソをついたら信じたそうだ。ヒデェ! (=´ω`=) まあ「タヌキ」を除けば普通にありそうだからな……マヤの場合。

一方私はといえば、期末で死ぬほど忙しくて、冴えた四月バカを思いつくだけの心のゆとりがなかったのだが、その穴を埋めるわけでもないだろうが、夢に父が出てきた。
夢の中で大切にしていたちゃわん(そんなものはうちにないのに)がまっぷたつに割れているのを見つけた父が、「お前が割ったんかー!ははははは」と楽しそうに笑うのだ。
そのちょっと皮肉っぽい口調といい笑い方といい、生きていた頃の父そのままで、夢を見ながら私もすごく嬉しくなって、一緒に笑った。

目覚めると案の定「もう父とは二度と話せないのだ」という現実を目の当たりにして、またしても精神が崖から転がり落ちそうだったけれど、せっかくエイプリルフールを狙って冗談めかして登場した父の意を汲んで、ここはいっちょ落ち込まずにいてやるか!と気合いを入れて、残業確定のお仕事に出かけたのだった。

さて、旅行記の「エジプト」、更新しました。オフラインで上げていた写真をカラーに差し替えただけの手抜き工事ですが、よろしければこちらからどうじょ→