2014年1月31日(金)
これまで98円がデフォルトだったエノキとシメジが128円。二束100円だったニラが一束で150円。 一袋100円均一のワゴンに投げやりに山積みされていた西洋ニンジンも、チョウセンニンジンばりに貧相なやつが3本で198円……と、あらゆる野菜の価格高騰に、ショックを受けない日はない。 セレブ化の波に洗われているのは野菜に限らず、100グラム38円で低値安定していた鶏むね肉は、10円上がって48円。 もも肉に至っては58円がいきなり98円と、ホップからステップを飛ばして、ソチで銅メダルはもらえそうな大ジャーンプ!あおりをくらったマヤちゃんのカリカリのトッピングは、このところむね肉一択なんだぜ……。 また、「500円以上お買い物の方にはワンパック98円」なーんておまけ的扱いされてた「物価の王様」卵10個パックは、もはや178円でも「あら安いっ!」と思っちゃうのは皆様もご存じの通り。 まあ円安で輸入食品それ自体のみならず、野菜のハウス栽培に不可欠な重油価格、家畜のエサ代も上昇しているから、価格に反映されても仕方ないっちゃないんだけれど、翁印の春雨(大好物。でもあまり見ない)までもが、知らない間に178円→218円って、そいつはひょっとして便乗値上げじゃねえの? 今でさえこんなに値上がりしてるなら、消費税が8%や10%に引き上げられたらどうなることやら。腹が立つやら怖いやら。 給料が上がる見込みなんて、巨大隕石が地球に激突するくらいの可能性しかない零細企業のリーマンとしては、消費税アップ後は必要最低限のものしか買わないぞ!と怒りに身を震わせている。 まあ、私の買いだめは今に始まったことではないのだが。 まだ漢字もろくすっぽ読めない柔らかい心に、海底に沈まんとする国土から、日本人がエクソダス後のユダヤのように世界のあちこちへと散らばってゆく映画(日本沈没)とか、ある日突然デーモンが宣戦布告、獣の本性を丸出しにした人類は、お互いを殺し合ってじわじわ滅亡(デビルマン)とか……。 おかげさまで、せっかくもらったおやつを危機に備えて食べずにため込みそのまま忘れ、回りから「野ネズミさん」と笑われていた私。 ただ、私の悪いくせは「買いだめしても使わず悪くしてしまう」ことなのだ。 例えば米。 だからこのたびは消費税アップに備えるとは言っても、「絶対に必要なものだけを買いだめする!」と肝に銘じている。 ……と言いつつも、すでにポーラのサプリ(更年期障害に効く。だが無慈悲なほど高い)を2年分。大塚製薬の基礎化粧品も2年分。 ここでもし私が突然死したら、あとに残るのは山と積まれた化粧品とサプリ、パスタと酒とそして春雨。妹たちには、葬式の会食は鍋にして翁印の春雨を使うこと!と書き残しておかねばならん。 <平成の米騒動> 若い方は知らないかもですな。日本にいながらスーパーでナチュラルにタイ米(インディカ米)が積み上げられていたあの頃……。 |
2014年1月29日(水) 今頃お正月の話でもないけれど、皆様の初夢はどんなんだっただろうか。富士山と鷹とナスビが登場する、希望に満ちた夢だったらいいのだけれど。 バングラデシュで新年を迎えた私と妹ヘボピーは、1月1日の夜、布団に入ってワクワクしながら「どんな初夢見るかなぁ」「お父さんとお母さんが出てこないかな」「ベッカムに生まれ変わる夢とかいいなあ!」などと修学旅行の中学生のように話していたのだが……。 ふたを開けてみれば、ヘボピーの夢にはバングラデシュ人ガイドのS氏が登場。普通電車の中でパソコンを使って調べものをしてもらったそうだが、ベンガル人と普通電車とパソコンのコラボレーション、派手なのか地味なのかよく分からない。 一方私はといえば、株式市場がブラックマンデーをしのぐスケールの、ものすごい大暴落に襲われた後の世界の夢。ちょ、ちょっと待ってちょうだい!縁起が悪いにもほどがあるとオバちゃん思うの。 大恐慌にあえぐ世界の薄暗い映像がサイレントで延々と映し出されるのを、なすすべもなく眺める自分。 しかし「こんな夢だったよ……」「大丈夫!1日の夢が悪ければ2日の夜のでもいいらしいから!」という会話を経て1月2日に見たのは、全く同じ夢だった。 いつはじけるとも知れない中国の不動産バブルとシャドーバンキング問題。貧富の差がますます大きくなり富裕層だけが景気がいいらしいアメリカ経済のバランスの悪さ。 アナリスト達は日本経済は華麗な復活を遂げ、今年後半には日経平均2万円も夢ではないぞ!みたいな花火をバンバン打ち上げて、哀れな年寄りをNISAに囲い込もうとしているけれど、ネガティブ思考の私は不吉な面ばかりに目がいって、今年に入って一度も取り引きしていない。 まあブラックマンデーの再来の可能性は少ないとは言われているが、二夜続けて同じ夢では、新年早々気分が暗くもなるというもの。 そんなこんなで「ストレスでかすぎて夢を見られなかった」昨年に引き続き、あんましハッピーじゃなかった今年の初夢。 大恐慌とヒトデの軍団。どちらを初夢指定するべきか、迷いどころだ。 |
2014年1月25日(土) 私は霊合星人である。霊合星人とは何なのか?ぶっちゃけると良く知らない。 ついでにYAHOO 知恵袋をひもとけばこうあった。 ラッキー期にはそのラッキーさを100%生かせない反面、アンラッキー期にはドツボに落ち込む寸前に救いの手がさしのべられる。霊合星、いいのか悪いのかよく分からない。 そういえば霊合星人の有名どころ、聖子ちゃん。 さて、なぜこんなことを書いたかというと、またきやがったのだ。霊合星人の本領発揮たるダウナー系イベントが! 2012年・父逝去。 いや、今のところはすぐ逝ぬとか緊急手術とか、そういうレベルではないのが不幸中の幸い。 もうこれ以上大切な存在を失いたくない。先の見えない未来が怖くて不安でたまらない。お前が望むようには簡単に立ち直らせないんだよと、糸こんにゃくでじわじわ首を絞められているような、そんな感じがする。 でも、ここで不必要に怖がると良くない気がするんだよね。 だからことが落ち着くまでは、エヴァの「瞬間、心、重ねて」の回のシンジモードで平常心を保ちつつ、「ぜったい良くなる!」というポジティブな念を全力で病院方面に送っとくつもりである。 病気に負けずにがんば!H氏!退院したら『グラップラー刃牙』と『バキ』と『範馬刃牙』全巻まとめて貸してやっから、首を洗って待っとけよ!(違) |
2014年1月23日(木) 「ニューシネマパラダイス」のDVDを借りてきた。映画に魅了された少年と老いた映写技師の友情を描いた心温まる作品で、1989年に公開された当時、映画ファンの間で「泣ける!」と話題になったのだけれど、これまでなんとなーく見てなかったのだ。 噂に違わずラスト15分ではもー「目の前にワイパーがほしいっ!!」(by おすぎ)状態。まあもう一回観たい?と問われたら「三時間あるなら別の映画観ます」とクールに答えるけどな。 それにしても気になるのが最初に音声や字幕を設定する画面。<音声>イタリア語、英語、日本語に混じっていた「音楽のみ」の文字。 最後の最後のシーンには、映画ファンなら誰もが涙せずにはおられないような仕掛けが隠されている「ニューシネマパラダイス」。 夢に出てきたバスの運転手のアンちゃん。彼がお稲荷さんのキツネだと分かったことは下に書いた通りだが、キツネはキツネでもどこのキツネさんか気になって、昨日、ひとまずいつもの神社にお参りしてきた。 家が売れた時、治安がよろしくない国に旅行に行く時、さらにはなんとなく身体がおかしい時、なにかにつけて神主さんにフサフサを振って頂く「正式参拝」をするこの神社には、今やジャニオタの間ではかなり有名な正勝様の他に、お稲荷様と白龍様が祀られている。 そしてさらにはお稲荷様の前にある、小さなほこら。ここには赤い前掛けをした「おイネ狐」の石像が鎮座しているのだが、夢に出てきたあのアンちゃんがおイネさんだったら楽しいな、と、「夏目友人帳」的な妄想を繰り広げた次第。 おイネ狐は縁結びと安産の神さまらしくて、私にはどっちも悲しいほど関係ないものの、いつもこじつけで「どうぞ良い縁(ビジネス&ゼニもうけ的に)をお授け下さい」と丸く突きだしたお腹をナデナデしながらお願いする。 安産の神さまというからには女狐だとなんとなく思ってたけど、夢に出てきた運転手はあなただったんですか?と心の中で話しかけながら、いつものように石像のお腹をそっとなでると、狐がわずかに微笑んだような気がした。 こういうのって思いこみが95%だとは思っているが、それでも私のようなロンリーガイにとっては、ちょっとした「ひとりぼっちじゃないんだ」と思える機会は有り難いものなのだ。 ただ、もう一匹、キツネに心当たりがある。 たまたま友人とも意見の一致を見た、この一帯の「奇妙な感じ」については、日を改めて書かせて頂こうと思う。 |
2014年1月18日(土) 夢に母が出てきた。夢の中の母もベッドに寝たきりだったけれど、ただの一言も発せず意志疎通が完全に不可能だった現実世界とはちがって、頭の方はまるきり元気。 でも、夢の中では思うように身体が動かないもの。集中しすぎて頭の血管が切れそうで、こういう時に人は突然死しちゃうのかねぇ……と思いながら、鉛のように重い腕を全力で持ち上げて壁に文字をつづった。 そうこうするうちに舞台は変わり(その間、亡き愛犬イリと散歩もしたよ。マジで死にかけてたのか?(笑)、私はいつもの整骨院に行こうと知らない街、しかし夢に何度も出てくる場所を歩いていた。 実際には整骨院に行くためにバスに乗る必要はないけれど、夢の中では「57番」の路線に乗らなきゃならなくて、そして目の前では57番のバスが今まさに出発したところだった。 待って!バスを追いかけて走る私はいつの間にか宮崎アニメに出てくるような多感な少女の姿になっていて、バスの運転手の青年も、小粋なハンチングハットをかぶり、モスグリーンのジャンバーという、バスの運転手というよりむしろ、イタリア映画のトラックの運ちゃんのようないでたち。 見慣れた乗客ばかりの中にひとり混じっている私に彼はとても親切にしてくれて、話しているうちに私には彼がお稲荷さんのキツネだと分かった。 そしてバス停。「ありがとう!これ、ちょっとだけどお賽銭」と、切符に50円玉と10円玉をひとつづつ乗せて手渡すと、彼はとても嬉しそうに微笑んで礼を言った。そしてまっくらな坂道を下ってゆくバスの車窓から、何度も身を乗り出して手を振った。 バスの停留所はただの一つの街頭もないまっくらな場所。右手には見上げても上が見えないほどの高い崖、左手にはどこかで見たことがあるような新興住宅地が広がっている。 それにしても暗い。整骨院はどっちに行けばいいんだろう……。 ではこれからリアル世界の整骨院に行ってきます。今日は曇ってはいるけれど、少なくとも夢でみたみたいな真っ暗な場所じゃないから安心だ。 |
2014年1月15日(水) ![]() 虚偽表示問題に揺れた年末の宅配おせち業界。「伊勢エビと思ってたのにブラックタイガーだったなんてひどいっ!」とショックを受けた消費者の反乱を受け、デパート、スーパー共に販売数は昨年比1,2割減だったと聞く。 一方こちらは某スーパーで見つけた偽装の余地のないフエルトおせち。手芸が趣味のスタッフが夜なべして作ったのだろう。エビが可愛い。ぱんぱんに綿を詰めてポケットに潜ませニギニギしたいな。 新しい年になってからこちら、去年苦しみまくったような憂鬱に襲われることはなく、さすが新年!区切りがあると気持って新たになるものだなぁ、と感動を覚えつつ爽やかモードで過ごしていた矢先、やなせたかし先生の介護をする夢たことをきっかけに、うつウェーブ、また来やがった……。 夢の中では大好きなやなせ先生に付き添って、最期を見取ることになったのが嬉しくて、父にしてやれなかった分がんばろう!立ち直るチャンスをくれた神さまありがとう!と感謝でいっぱいだったというのに、目が覚めると一気にうつトンネルに突入。友達になって日が浅い人にまで「精神が絶望に浸食されつつあるんです……」と泣き言メールするていたらく。 今現在も「どうしてあの時父に酢豚を作ってやらなかったんだろう」にはじまって、「どうしてあの家を捨て値で売ったんだろう」とか、さらに25年ほどさかのぼり「どうしてあの人について東京に行かなかったんだろう」と、後悔がバックトゥザフューチャーレベルにまで暴走して、このままでは胃ガンになりそうだ。 しかしここで有給を取ると後日しわ寄せがくる。「休んでいることを目立たせない」という有給取得テクニック的には胃が痛くても出社せざるを得ないので、この憂鬱に「うじうじ君」と名前を付け、ベネディクト・カンバーパッチに擬人化した上でなんとかやり過ごすつもりだ。 |
2014年1月13日(月) ![]() いや、実際にやりたかったんだけどさ、ここにたどり着くまでにもーあまりにも時間がかかってな……。これ以上妹とガイド氏とドライバーを待たせるほどの鬼にはなれなかったんだわ。 それでも年末に放映されたNHKのユニクロ特集でもスタッフを引率したS級日本語ガイドだけあって、S氏、さすがになんでも知っている。 いきなり絶叫マシンがあったりと、ゲーセンというより屋内型アミューズメントパークと呼ぶべきその施設は、筐体と筐体の間がやたらと広くてよく言えばゆったり、悪く言えば閑散としたおもむき。 実は内心ほのかに期待していた。ゲーム産業的には発展途上国のバングラデシュ。日本のアーケードゲーム筐体が流れ流れてここダッカの中古市場に漂着していないだろうか?そしてあわよくば異国の地でウォートランと感動の再会を果たせないだろうか?と。 だが少々バングラデシュをナメていたようだ。さすが経済発展著しい新興国だけあって、ゼニはあるところにはある。中古筐体でお茶をにごす必要なんぞないと見た。 おもちゃ屋も子供服屋も文房具屋もファンシーショップも、わざわざ足を運んだバングラデシュのショップはどこもかしこもメイドインチャイナに侵略されており、中国製に興味ナッシングな私は萎えすぎて写真すら撮っていないが、ゲーセン、お前もか! そんな中かろうじて設置してもらっていた日本メーカーの筐体は、上記ゴスカの他にはデッドストームパイレーツ、ハウスオブデッド4,タイムクライシス3,鉄拳とあとなんか見たことないセガのゲームくらい。 まあこんな感じで過ぎて行ったバングラデシュの日々。目をむくようなハプニングはなく、インドやエジプトで覚えたような「異国に来ちゃった☆」という非日常感も湿度を除けばさほどではなかったので(※)、旅行記としては書きにくいちゃ書きにくいのだが、写真の整理をしながらぼちぼちあげてゆくつもりです。 (※)帰国後、身体で感じた湿気の違い。冬のダッカは日本の10月くらいでサイコーに快適な気温。 だが、帰国直後からヘボピーも私も頭がかゆくてたまらない。かつヘボピーに至っては、旅行中に全く出なかったアトピー再発。 |
2014年1月10日(金) 松の内も過ぎ、西宮のえべっさんの「福男」の座が元甲子園球児に射止められた、なーんてニュースが流れる頃になって「新年の抱負」もないのだが、遅ればせながらそのあたりについてちょっくら書かせて頂きたい。 知ってるヒトは知ってるだろうが、2ヶ月前、私は50才になった。 まあ年齢なんて人間が勝手に時間を区切って作ったもの。幾つになろうといつもならあまり気にしないのだが、50という山を越えることについては、さすがに何とも言いしれぬ感慨があった。 50年。寿命的にはカメは存命中だがイヌは死ぬ年。シエラレオネのオッサンならぼちぼちヤバいが、日本人にとっては年金受給はまだまだ先の悩み多き年齢。 自分が50年も生きてきただなんて、不思議な感じがする。ノストラダムスの大予言が大流行した小学生の頃には、恐怖の大王が空から降ってくる時に35才になっている自分の姿なんか、もうぜんぜん思い描けなかったのに! その後、ノストラダムスも阪神大震災も2000年問題もリーマンショックも乗り越えて、ラッキーにも50年間生きながらえた今、踏みしめているビューポイントから背後を振り返ると、口をついて出てくるのは「50年なんてあっという間だったな」というしんみりした台詞である。
それでもやっぱり自分は幸運だった。そりゃ一時は「他の家は幸せそうなのに、どうしてうちの家族だけこんな目に?!」と天をあおいだものだが、近頃はしみじみこう思うのだ。 そして、更年期障害におびえるオバちゃんになった今ですら、50年かけて築き上げられた己の人格に対して「わりかし気に入っている」とポジティブ評価できる幸せ。いや、顔はたるんでしわが出てきてブサイクになり、地位もお金もダンナも子供もないけどな……。
10才まではただただ親の愛情を受けていればよかった無垢の10年。 そして50代。
(前略)塩水を大量に吸い込んだヒョロ松君はいよいよ最後の時が来たようである。緑色だった松葉は赤茶色に変色してしまい、専門家の診断でヒョロ松君は生命が終わったということになりもう手の施しようがない。 さてどうするか。市当局は専門家を招いて相談した結果ヒョロ松君を復興のシンボルとしてその姿を永久に留めることにした。ヒョロ松君を切り倒して5カ所ぐらい輪切りにする。全体に防腐処理を施し中に鉄棒の芯を通し再建する。つまり動物の剥製のようにヒョロ松君の形を残すのである。 費用は一億二千万円。ぼくもいくらかの寄付をさせていただいた。しかしヒョロ松君にしてみれば本当は燃やしてもらって煙になって消えてしまいたかったのではないか。ぼくはそう思ったけれどもう一度思い直した。この宇宙全体もゼロから生まれた。生命の神秘はぼくらにはわからない。もしかしたら死んでしまったヒョロ松君の身体の中に異変が起こり、わずかに残された生命の細胞から新しい芽が吹き出すということはあり得ないことではない。そう思うことにした。 ヒョロ松君がダメだとわかってからぼくは体調が悪くなりすっかり落ち込んでいたが、それでも絶望するのはやめることにした。甘いかもしれないが泣いているよりはいい。ヒョロ松君の奇跡の復活を信じていたほうが人生明るくなる。 これを書かれた時のやなせ先生はすでに91才か92才。 物事をいつも斜めや裏側から読もうとするネガティブで悲観的な自分。 |
2014年1月8日(水)
バングラデシュより無事に帰国しております。小ネタ、プチアクシデントはちょくちょく発生を見たものの、全体を通じてのんびり流れたダッカで時間。バングラデシュ観光における最大の魅力は仏教遺跡でもベンガルタイガーでもなく、そこらのオッサンおばちゃんガキんちょどもだと思いました。 えっ?旅行前にやたらと心配していたカメラ回りのトラブルはなかったのかって?……ふふっ……うん。 や り や が っ た あとは帰るだけ!とほっとしていた最終日。ゆるんだ心に付け入られて、出国3時間前に旅行中に撮った写真データが記録されたSDカードごとカメラ、すられちった(=´ω`=) とは言ってもデータぱんぱんのメインカメラは無事だったのが不幸中の幸い。旅行保険が出て新品に買い換えられることだし、それほどまでにはショック受けてないのでご安心を。 |