2014年1月31日(金)

わざわざ書くほど(人)が多いのだろうか。人!畜生に負けてちゃダメだよぉ!


消費税アップまでにまだ2ヶ月あるってえのに、物価上昇を肌で感じて気ばかりあせる今日この頃。

これまで98円がデフォルトだったエノキとシメジが128円。二束100円だったニラが一束で150円。

一袋100円均一のワゴンに投げやりに山積みされていた西洋ニンジンも、チョウセンニンジンばりに貧相なやつが3本で198円……と、あらゆる野菜の価格高騰に、ショックを受けない日はない。

セレブ化の波に洗われているのは野菜に限らず、100グラム38円で低値安定していた鶏むね肉は、10円上がって48円。

もも肉に至っては58円がいきなり98円と、ホップからステップを飛ばして、ソチで銅メダルはもらえそうな大ジャーンプ!あおりをくらったマヤちゃんのカリカリのトッピングは、このところむね肉一択なんだぜ……。

また、「500円以上お買い物の方にはワンパック98円」なーんておまけ的扱いされてた「物価の王様」卵10個パックは、もはや178円でも「あら安いっ!」と思っちゃうのは皆様もご存じの通り。

まあ円安で輸入食品それ自体のみならず、野菜のハウス栽培に不可欠な重油価格、家畜のエサ代も上昇しているから、価格に反映されても仕方ないっちゃないんだけれど、翁印の春雨(大好物。でもあまり見ない)までもが、知らない間に178円→218円って、そいつはひょっとして便乗値上げじゃねえの?

今でさえこんなに値上がりしてるなら、消費税が8%や10%に引き上げられたらどうなることやら。腹が立つやら怖いやら。

給料が上がる見込みなんて、巨大隕石が地球に激突するくらいの可能性しかない零細企業のリーマンとしては、消費税アップ後は必要最低限のものしか買わないぞ!と怒りに身を震わせている。
その一方で、買えるものは買いだめしておきたいというオバちゃん根性も発動。ほら、買いだめしても大丈夫なものって色々あるでしょ?化粧品とか米とか缶詰とか乾物とか。

まあ、私の買いだめは今に始まったことではないのだが。
幼い私の終末思想・危機管理への執着心、買いだめぐせを優しくはぐくんでくれたのが、戦中戦後の食糧難を経験した父母、加えて手塚治虫と永井豪と小松左京であるのは明白である。

まだ漢字もろくすっぽ読めない柔らかい心に、海底に沈まんとする国土から、日本人がエクソダス後のユダヤのように世界のあちこちへと散らばってゆく映画(日本沈没)とか、ある日突然デーモンが宣戦布告、獣の本性を丸出しにした人類は、お互いを殺し合ってじわじわ滅亡(デビルマン)とか……。
さらには狂ったコンピューターに命ぜられるまま、核戦争で滅ぼし合って人類終了(火の鳥・未来編)といったイメージを投入・シェイクすると、そりゃあ危機に備えたガールが錬成されもするというものだ。

おかげさまで、せっかくもらったおやつを危機に備えて食べずにため込みそのまま忘れ、回りから「野ネズミさん」と笑われていた私。
なお、隠したおやつを驚異的な嗅覚で発見・捕捉・完食するのは妹ヘボピーの役割だった、と付け加えておこう。

ただ、私の悪いくせは「買いだめしても使わず悪くしてしまう」ことなのだ。

例えば米。
「平成の米騒動」(※)の焦燥感が心に刻まれたせいか、つい買いだめしていた米30キロ。こいつの存在を父が死去した際のごたごたで忘れ去った結果、昆虫軍との絶望的な闘いを繰り広げる羽目になったりしちゃうのだ。(詳細は9月10日の日記をご覧下さい)

だからこのたびは消費税アップに備えるとは言っても、「絶対に必要なものだけを買いだめする!」と肝に銘じている。

……と言いつつも、すでにポーラのサプリ(更年期障害に効く。だが無慈悲なほど高い)を2年分。大塚製薬の基礎化粧品も2年分。
そいでもってすでに218円に値上がりした翁印の春雨を、「178円の時にもっと買っとけばよかったなぁ(´・ω・`)」と悲しい思いで10袋。パスタもワインもエゴマ油も焼酎も、消費期限と相談しながら着々と貯め込みつつある。

ここでもし私が突然死したら、あとに残るのは山と積まれた化粧品とサプリ、パスタと酒とそして春雨。妹たちには、葬式の会食は鍋にして翁印の春雨を使うこと!と書き残しておかねばならん。

<平成の米騒動> 若い方は知らないかもですな。日本にいながらスーパーでナチュラルにタイ米(インディカ米)が積み上げられていたあの頃……。
ジャポニカ米は欲しくても手に入らなくて、たまに市場に出たコシヒカリとかミルキークイーンに、いつもはパンしか食ってないような人々までもが殺到。闇米も流通するという、「熱しやすく醒めやすい日本人」のキャラをあぶり出す騒動があったのだよ。

2014年1月29日(水)

今頃お正月の話でもないけれど、皆様の初夢はどんなんだっただろうか。富士山と鷹とナスビが登場する、希望に満ちた夢だったらいいのだけれど。

バングラデシュで新年を迎えた私と妹ヘボピーは、1月1日の夜、布団に入ってワクワクしながら「どんな初夢見るかなぁ」「お父さんとお母さんが出てこないかな」「ベッカムに生まれ変わる夢とかいいなあ!」などと修学旅行の中学生のように話していたのだが……。

ふたを開けてみれば、ヘボピーの夢にはバングラデシュ人ガイドのS氏が登場。普通電車の中でパソコンを使って調べものをしてもらったそうだが、ベンガル人と普通電車とパソコンのコラボレーション、派手なのか地味なのかよく分からない。

一方私はといえば、株式市場がブラックマンデーをしのぐスケールの、ものすごい大暴落に襲われた後の世界の夢。ちょ、ちょっと待ってちょうだい!縁起が悪いにもほどがあるとオバちゃん思うの。

大恐慌にあえぐ世界の薄暗い映像がサイレントで延々と映し出されるのを、なすすべもなく眺める自分。
それはきっと、寝る前にメッカの参拝者を延々と映し出すライブチャンネル(さすがイスラム圏。そういうのがナチュラルに放映されてるんですよ)を見た影響だろう。

しかし「こんな夢だったよ……」「大丈夫!1日の夢が悪ければ2日の夜のでもいいらしいから!」という会話を経て1月2日に見たのは、全く同じ夢だった。

いつはじけるとも知れない中国の不動産バブルとシャドーバンキング問題。貧富の差がますます大きくなり富裕層だけが景気がいいらしいアメリカ経済のバランスの悪さ。
ホンマに立ち直ったのか?と疑いマンマンの欧州経済、このところやたら目に付く我が国の地震予想、中国との軍事衝突の危険性……。

アナリスト達は日本経済は華麗な復活を遂げ、今年後半には日経平均2万円も夢ではないぞ!みたいな花火をバンバン打ち上げて、哀れな年寄りをNISAに囲い込もうとしているけれど、ネガティブ思考の私は不吉な面ばかりに目がいって、今年に入って一度も取り引きしていない。

まあブラックマンデーの再来の可能性は少ないとは言われているが、二夜続けて同じ夢では、新年早々気分が暗くもなるというもの。
まあ予知夢とかそういう類のものではなくて、もともと投資に関しては超ネガティブな思考が、たまたまタイミング悪く正月に反映されたたってだけなんだろうけど。

そんなこんなで「ストレスでかすぎて夢を見られなかった」昨年に引き続き、あんましハッピーじゃなかった今年の初夢。
くそっ!どうしてこんな夢を!とムカッときながらもう一度寝直したら、二本足で立ち上がったヒトデの大群がザッ、ザッ、ザッ……と隊列を組んで浜辺に上陸してくる夢を見た。

大恐慌とヒトデの軍団。どちらを初夢指定するべきか、迷いどころだ。

2014年1月25日(土)

私は霊合星人である。霊合星人とは何なのか?ぶっちゃけると良く知らない。
なんでも「六星占術において、自分の生まれた年の干支が<停止>にあたる人」のことで、向かい側にある星の影響を受けるため、運気のアップダウンが激しいらしい。

ついでにYAHOO 知恵袋をひもとけばこうあった。
「霊合星人は、幼少時から一風変わった人が多く、世間の常識からはずれ、変人・
奇人となる可能性をはらんでいます」。ふーむ、なるほ……ほっとけ!(怒)

ラッキー期にはそのラッキーさを100%生かせない反面、アンラッキー期にはドツボに落ち込む寸前に救いの手がさしのべられる。霊合星、いいのか悪いのかよく分からない。
そういえばこれまでの人生を振り返ると、けっこうあるわ、その手の経験。こいつはイケる!と期待させといてガッカリ、アカンと思わせて助かった〜!はしんどくて、ずっとフラットがいいよぉ!ギミーピースオブマインド!と叫びたくなるけどな。

そういえば霊合星人の有名どころ、聖子ちゃん。
彼女を見ているとたとえアップダウンはきつくとも、郷ひろみ、神田正輝、歯医者に整体師にヤングな金髪男……と運命に導かれるままにビビビときまくり、可愛い娘までもうけて幸せそうでいいやんかと思えてくるのだが。

さて、なぜこんなことを書いたかというと、またきやがったのだ。霊合星人の本領発揮たるダウナー系イベントが!

2012年・父逝去。
2013年・母逝去。
そして、2014年。MISFORTUNE COMING SOON……なーんて書くと不吉だからよしておくけど、一週間前、この世の残り少ない大切な人間の筆頭──この日記にも登場したことのあるジョジョラーH氏の視覚に障害発生。検査の結果、脳梗塞&糖尿病の劇的悪化が認められたのでア〜ル。(もーやけっぱち)

いや、今のところはすぐ逝ぬとか緊急手術とか、そういうレベルではないのが不幸中の幸い。
……とは言っても、週が明けたら一週間ほど検査入院するべえか、という流れになっているらしく、キツネの運転手に導かれないと夢の中で迷子になりそうなあやうい精神状態の私にとってはけっこうキツい。

もうこれ以上大切な存在を失いたくない。先の見えない未来が怖くて不安でたまらない。お前が望むようには簡単に立ち直らせないんだよと、糸こんにゃくでじわじわ首を絞められているような、そんな感じがする。

でも、ここで不必要に怖がると良くない気がするんだよね。
それに、いかなる運命の導きか、つい先日、東洋医学・精神世界的にものすごく頼れる助っ人と巡り会ったもので(いや、怪しげなスピリチュアル系にはまったわけではないよ)「何かにつけてアドバイスを求められる人がいる」という大きな安心感を覚えている。

だからことが落ち着くまでは、エヴァの「瞬間、心、重ねて」の回のシンジモードで平常心を保ちつつ、「ぜったい良くなる!」というポジティブな念を全力で病院方面に送っとくつもりである。

病気に負けずにがんば!H氏!退院したら『グラップラー刃牙』と『バキ』と『範馬刃牙』全巻まとめて貸してやっから、首を洗って待っとけよ!(違)

2014年1月23日(木)

「ニューシネマパラダイス」のDVDを借りてきた。映画に魅了された少年と老いた映写技師の友情を描いた心温まる作品で、1989年に公開された当時、映画ファンの間で「泣ける!」と話題になったのだけれど、これまでなんとなーく見てなかったのだ。

噂に違わずラスト15分ではもー「目の前にワイパーがほしいっ!!」(by おすぎ)状態。まあもう一回観たい?と問われたら「三時間あるなら別の映画観ます」とクールに答えるけどな。
そうなんだ、確かに感動の名作ではあるのだけど、三時間という上映時間は気軽に観るにはちょいと長いわよねぇ。

それにしても気になるのが最初に音声や字幕を設定する画面。<音声>イタリア語、英語、日本語に混じっていた「音楽のみ」の文字。
「音楽のみ」。まさか三時間延々、台詞無しでBGM……だけってこと……?(時間足らずで真相は究明してません)

最後の最後のシーンには、映画ファンなら誰もが涙せずにはおられないような仕掛けが隠されている「ニューシネマパラダイス」。
邪悪な人間が登場しないほんわか優しい映画なので、心の汚泥や血や汗を洗い流したい向きは、ヒマでヒマでしゃーない時にでもDVD、借りてみていかがでしょうか。


夢に出てきたバスの運転手のアンちゃん。彼がお稲荷さんのキツネだと分かったことは下に書いた通りだが、キツネはキツネでもどこのキツネさんか気になって、昨日、ひとまずいつもの神社にお参りしてきた。
ちがうよっ!アンちゃんが爽やか系男前だったからとか、そんなんじゃないもんっ!(怒)

家が売れた時、治安がよろしくない国に旅行に行く時、さらにはなんとなく身体がおかしい時、なにかにつけて神主さんにフサフサを振って頂く「正式参拝」をするこの神社には、今やジャニオタの間ではかなり有名な正勝様の他に、お稲荷様と白龍様が祀られている。

そしてさらにはお稲荷様の前にある、小さなほこら。ここには赤い前掛けをした「おイネ狐」の石像が鎮座しているのだが、夢に出てきたあのアンちゃんがおイネさんだったら楽しいな、と、「夏目友人帳」的な妄想を繰り広げた次第。

おイネ狐は縁結びと安産の神さまらしくて、私にはどっちも悲しいほど関係ないものの、いつもこじつけで「どうぞ良い縁(ビジネス&ゼニもうけ的に)をお授け下さい」と丸く突きだしたお腹をナデナデしながらお願いする。

安産の神さまというからには女狐だとなんとなく思ってたけど、夢に出てきた運転手はあなただったんですか?と心の中で話しかけながら、いつものように石像のお腹をそっとなでると、狐がわずかに微笑んだような気がした。

こういうのって思いこみが95%だとは思っているが、それでも私のようなロンリーガイにとっては、ちょっとした「ひとりぼっちじゃないんだ」と思える機会は有り難いものなのだ。

ただ、もう一匹、キツネに心当たりがある。
先日ぶらっと散歩に行った近所の住宅地。購入する家を探して十数年前に母と歩き回ったその土地は、なんだかすごく奇妙な一角で、そこで迷い込んだお稲荷さんのことが、ちょっと心にひっかかっているのだ。

たまたま友人とも意見の一致を見た、この一帯の「奇妙な感じ」については、日を改めて書かせて頂こうと思う。

2014年1月18日(土)

夢に母が出てきた。夢の中の母もベッドに寝たきりだったけれど、ただの一言も発せず意志疎通が完全に不可能だった現実世界とはちがって、頭の方はまるきり元気。
冗談を言い合ってげらげら笑って、楽しくて嬉しくてたまらなくて、母の頬をなでながら「前世ではあんなだったけど今度はちゃんと話せてよかったよね!」と言い合った。
そして、起きたときにこの夢を忘れないために……と、全身の力を振りしぼって壁にメモを取ろうとした。

でも、夢の中では思うように身体が動かないもの。集中しすぎて頭の血管が切れそうで、こういう時に人は突然死しちゃうのかねぇ……と思いながら、鉛のように重い腕を全力で持ち上げて壁に文字をつづった。

そうこうするうちに舞台は変わり(その間、亡き愛犬イリと散歩もしたよ。マジで死にかけてたのか?(笑)、私はいつもの整骨院に行こうと知らない街、しかし夢に何度も出てくる場所を歩いていた。

実際には整骨院に行くためにバスに乗る必要はないけれど、夢の中では「57番」の路線に乗らなきゃならなくて、そして目の前では57番のバスが今まさに出発したところだった。

待って!バスを追いかけて走る私はいつの間にか宮崎アニメに出てくるような多感な少女の姿になっていて、バスの運転手の青年も、小粋なハンチングハットをかぶり、モスグリーンのジャンバーという、バスの運転手というよりむしろ、イタリア映画のトラックの運ちゃんのようないでたち。

見慣れた乗客ばかりの中にひとり混じっている私に彼はとても親切にしてくれて、話しているうちに私には彼がお稲荷さんのキツネだと分かった。

そしてバス停。「ありがとう!これ、ちょっとだけどお賽銭」と、切符に50円玉と10円玉をひとつづつ乗せて手渡すと、彼はとても嬉しそうに微笑んで礼を言った。そしてまっくらな坂道を下ってゆくバスの車窓から、何度も身を乗り出して手を振った。

バスの停留所はただの一つの街頭もないまっくらな場所。右手には見上げても上が見えないほどの高い崖、左手にはどこかで見たことがあるような新興住宅地が広がっている。

それにしても暗い。整骨院はどっちに行けばいいんだろう……。
暗さに目が慣れてぼんやりと家々のかたちが浮かび上がってくるのを待ちながら、「死んだ後に来るのはこういう場所なんだろうか」と考えているところで目が覚めた。
そこではじめに網膜に映った壁の三社(伊勢神宮、氏神様、崇敬神社)のお札に、ありがとうございました。母の夢を見せてくださって、と心の中でお礼を言った。

ではこれからリアル世界の整骨院に行ってきます。今日は曇ってはいるけれど、少なくとも夢でみたみたいな真っ暗な場所じゃないから安心だ。

2014年1月15日(水)

虚偽表示問題に揺れた年末の宅配おせち業界。「伊勢エビと思ってたのにブラックタイガーだったなんてひどいっ!」とショックを受けた消費者の反乱を受け、デパート、スーパー共に販売数は昨年比1,2割減だったと聞く。

一方こちらは某スーパーで見つけた偽装の余地のないフエルトおせち。手芸が趣味のスタッフが夜なべして作ったのだろう。エビが可愛い。ぱんぱんに綿を詰めてポケットに潜ませニギニギしたいな。


新しい年になってからこちら、去年苦しみまくったような憂鬱に襲われることはなく、さすが新年!区切りがあると気持って新たになるものだなぁ、と感動を覚えつつ爽やかモードで過ごしていた矢先、やなせたかし先生の介護をする夢たことをきっかけに、うつウェーブ、また来やがった……。

夢の中では大好きなやなせ先生に付き添って、最期を見取ることになったのが嬉しくて、父にしてやれなかった分がんばろう!立ち直るチャンスをくれた神さまありがとう!と感謝でいっぱいだったというのに、目が覚めると一気にうつトンネルに突入。友達になって日が浅い人にまで「精神が絶望に浸食されつつあるんです……」と泣き言メールするていたらく。

今現在も「どうしてあの時父に酢豚を作ってやらなかったんだろう」にはじまって、「どうしてあの家を捨て値で売ったんだろう」とか、さらに25年ほどさかのぼり「どうしてあの人について東京に行かなかったんだろう」と、後悔がバックトゥザフューチャーレベルにまで暴走して、このままでは胃ガンになりそうだ。

しかしここで有給を取ると後日しわ寄せがくる。「休んでいることを目立たせない」という有給取得テクニック的には胃が痛くても出社せざるを得ないので、この憂鬱に「うじうじ君」と名前を付け、ベネディクト・カンバーパッチに擬人化した上でなんとかやり過ごすつもりだ。

2014年1月13日(月)

バングラデシュのゲーセンでゴスカ(ゴーストスカッド)をプレイする(フリをする)管理人。

いや、実際にやりたかったんだけどさ、ここにたどり着くまでにもーあまりにも時間がかかってな……。これ以上妹とガイド氏とドライバーを待たせるほどの鬼にはなれなかったんだわ。


「ダッカではどこに行きたいですか?」 ガイドS氏に問われた私は即答した。「ユニクロとペットショップとゲームセンター!」
そんなもん日本で行っとけという感じだが、歴史ある建造物より興味があるからしよーがない。

それでも年末に放映されたNHKのユニクロ特集でもスタッフを引率したS級日本語ガイドだけあって、S氏、さすがになんでも知っている。
(最終日に「(こういうイレギュラーなリクエストをする日本人もいると分かって)色々勉強になりました」とは言われたけどな……。すまんSさん。)
顧客の変てこな要望にも即時応答。発狂しそうな渋滞を乗り越えて連れて行かれたのは「工事中の巨大ショッピングセンターの五階だけが部分的にオープン」という、日本では考えられない状況下で営業しているゲーセンであった。

いきなり絶叫マシンがあったりと、ゲーセンというより屋内型アミューズメントパークと呼ぶべきその施設は、筐体と筐体の間がやたらと広くてよく言えばゆったり、悪く言えば閑散としたおもむき。
まあショッピングセンターが全面オープンしたあかつきには、世界最高の人口密度を誇るダッカのこと、嫌だと言っても人いきれで窒息するほどになるんだろうけど。

実は内心ほのかに期待していた。ゲーム産業的には発展途上国のバングラデシュ。日本のアーケードゲーム筐体が流れ流れてここダッカの中古市場に漂着していないだろうか?そしてあわよくば異国の地でウォートランと感動の再会を果たせないだろうか?と。

だが少々バングラデシュをナメていたようだ。さすが経済発展著しい新興国だけあって、ゼニはあるところにはある。中古筐体でお茶をにごす必要なんぞないと見た。
ガンシューを求め小走りで店内を移動する私の前に次々と立ち現れるのは、どいつもこいつもピッカピカの筐体。かつ、中国語表記?!
おおおおおおお!

おもちゃ屋も子供服屋も文房具屋もファンシーショップも、わざわざ足を運んだバングラデシュのショップはどこもかしこもメイドインチャイナに侵略されており、中国製に興味ナッシングな私は萎えすぎて写真すら撮っていないが、ゲーセン、お前もか!

そんな中かろうじて設置してもらっていた日本メーカーの筐体は、上記ゴスカの他にはデッドストームパイレーツ、ハウスオブデッド4,タイムクライシス3,鉄拳とあとなんか見たことないセガのゲームくらい。
他は作り込みの雑な中国製ガンシューをはじめとして、中国製ダンエボもどき、中国製ビーマニもどき、中国製ユビートもどき……と音ゲーは全滅の方向で、コナミしっかりしろい!と一喝したくなった。

まあこんな感じで過ぎて行ったバングラデシュの日々。目をむくようなハプニングはなく、インドやエジプトで覚えたような「異国に来ちゃった☆」という非日常感も湿度を除けばさほどではなかったので(※)、旅行記としては書きにくいちゃ書きにくいのだが、写真の整理をしながらぼちぼちあげてゆくつもりです。

(※)帰国後、身体で感じた湿気の違い。冬のダッカは日本の10月くらいでサイコーに快適な気温。
湿度に関しては、霧がかかっている日が多いということは湿気も多いんだろうなー、くらいにしか思っていなかった。

だが、帰国直後からヘボピーも私も頭がかゆくてたまらない。かつヘボピーに至っては、旅行中に全く出なかったアトピー再発。
冬のバングラデシュがいかにしっとりしているか、冬の日本がいかに乾燥しているのか、二国間の差異を身をもって知った次第である。

2014年1月10日(金)

松の内も過ぎ、西宮のえべっさんの「福男」の座が元甲子園球児に射止められた、なーんてニュースが流れる頃になって「新年の抱負」もないのだが、遅ればせながらそのあたりについてちょっくら書かせて頂きたい。

知ってるヒトは知ってるだろうが、2ヶ月前、私は50才になった。
ババアじゃん!どんなに若作りしたってごまかし不可能な揺るぎなきババアじゃん!『ラピュタ』のドーラが50才前後とのことで、ババアはババアなりにカッコいい生き方が可能な年かもしれないけどさ。

まあ年齢なんて人間が勝手に時間を区切って作ったもの。幾つになろうといつもならあまり気にしないのだが、50という山を越えることについては、さすがに何とも言いしれぬ感慨があった。

50年。寿命的にはカメは存命中だがイヌは死ぬ年。シエラレオネのオッサンならぼちぼちヤバいが、日本人にとっては年金受給はまだまだ先の悩み多き年齢。

自分が50年も生きてきただなんて、不思議な感じがする。ノストラダムスの大予言が大流行した小学生の頃には、恐怖の大王が空から降ってくる時に35才になっている自分の姿なんか、もうぜんぜん思い描けなかったのに!

その後、ノストラダムスも阪神大震災も2000年問題もリーマンショックも乗り越えて、ラッキーにも50年間生きながらえた今、踏みしめているビューポイントから背後を振り返ると、口をついて出てくるのは「50年なんてあっという間だったな」というしんみりした台詞である。
そう、若者にとって未来への道ははるか彼方まで続いているように見えるけれど、踏破すると「意外と短かかった」と思うものなのですよ。>声・池田昌子(メーテル)


50年。それなりに苦労があったようでいて、絶体絶命のピンチから幾度か救われた結果、総合的に評価すると平穏無事に流れた年月だった。いや、母がアルツハイマーに倒れてから昨年春までの9年間はそれなりに大変だったけど。

それでもやっぱり自分は幸運だった。そりゃ一時は「他の家は幸せそうなのに、どうしてうちの家族だけこんな目に?!」と天をあおいだものだが、近頃はしみじみこう思うのだ。
私の一番の幸運は、慈愛溢れる母とマニアックな父のもとに生まれ、とことん愛されて何の不安もない幼少期を送ることができたことに尽きる、と。
また大人になってからも、「こんなに幸せでいいんだろうか」と不安になるくらい幸福に満ちた平和な時期が二度あった。その幸福は数年間しか続かなかったにせよ、成人後に至福の記憶があるというのは恵まれている方だろう。

そして、更年期障害におびえるオバちゃんになった今ですら、50年かけて築き上げられた己の人格に対して「わりかし気に入っている」とポジティブ評価できる幸せ。いや、顔はたるんでしわが出てきてブサイクになり、地位もお金もダンナも子供もないけどな……。


そういうことを考えながらこの50年間を振り返ると、10年ごとに大きな区切りがあることに気が付いた。英語で10年をDECADEというが、私のDECADEに名前を付けるならこんな感じだ。

10才まではただただ親の愛情を受けていればよかった無垢の10年。
10代は趣味の10年
20代は恋愛の10年
30代は金銭の10年
40代は家族の10年(親の介護が始まって終わりましたからね)

そして50代。
これから私はどのように人生を送ることになるんだろう。予想では「友情の10年」になりそうな気がする。
欲や見栄を少しづつ捨てて、徐々に子供の頃の「素」に近い姿に戻りつつある自分が年月をどんな風に消化していくのか、けっこう楽しみだ。


最後に、このところ書かれたものを片っ端から読みあさっているやなせたかし先生のエッセイから、東北の「奇跡の一本松」について触れた部分を引用させて頂きたい。

(前略)塩水を大量に吸い込んだヒョロ松君はいよいよ最後の時が来たようである。緑色だった松葉は赤茶色に変色してしまい、専門家の診断でヒョロ松君は生命が終わったということになりもう手の施しようがない。

さてどうするか。市当局は専門家を招いて相談した結果ヒョロ松君を復興のシンボルとしてその姿を永久に留めることにした。ヒョロ松君を切り倒して5カ所ぐらい輪切りにする。全体に防腐処理を施し中に鉄棒の芯を通し再建する。つまり動物の剥製のようにヒョロ松君の形を残すのである。

費用は一億二千万円。ぼくもいくらかの寄付をさせていただいた。しかしヒョロ松君にしてみれば本当は燃やしてもらって煙になって消えてしまいたかったのではないか。ぼくはそう思ったけれどもう一度思い直した。この宇宙全体もゼロから生まれた。生命の神秘はぼくらにはわからない。もしかしたら死んでしまったヒョロ松君の身体の中に異変が起こり、わずかに残された生命の細胞から新しい芽が吹き出すということはあり得ないことではない。そう思うことにした。

ヒョロ松君がダメだとわかってからぼくは体調が悪くなりすっかり落ち込んでいたが、それでも絶望するのはやめることにした。甘いかもしれないが泣いているよりはいい。ヒョロ松君の奇跡の復活を信じていたほうが人生明るくなる。

これを書かれた時のやなせ先生はすでに91才か92才。
私はこの「奇跡の一本松=ヒョロ松君」の一件については「税金の無駄遣いにしか過ぎない馬鹿げたこと」と完全否定していたけれども、このエッセイを読んで少し見方が変わった。自分よりはるかに年長の人生の先輩がシンプルな言葉でこんな風に語っているのを知って、少し大げさではあるが、目が開かれたような感覚を覚えたものだ。

物事をいつも斜めや裏側から読もうとするネガティブで悲観的な自分。
批判精神も大切だとは思うけれども、50代はそういう姿勢はちょっとわきにおいて、素直な心で「あるがまま」を受け入れ、そして「万物に萌える」10年にしたいものだ。

2014年1月8日(水)

ダッカ空港にある免税店のオヤジのそこつさのせいで、乗り換えのタイ空港、X線検査ポイント手前で飲み干さざるを得なかったハイネケンタワー。詳細は後日記すが、今後1年はビールを見るだけでうえっときそう。

バングラデシュより無事に帰国しております。小ネタ、プチアクシデントはちょくちょく発生を見たものの、全体を通じてのんびり流れたダッカで時間。バングラデシュ観光における最大の魅力は仏教遺跡でもベンガルタイガーでもなく、そこらのオッサンおばちゃんガキんちょどもだと思いました。

えっ?旅行前にやたらと心配していたカメラ回りのトラブルはなかったのかって?……ふふっ……うん。

や り や が っ た

あとは帰るだけ!とほっとしていた最終日。ゆるんだ心に付け入られて、出国3時間前に旅行中に撮った写真データが記録されたSDカードごとカメラ、すられちった(=´ω`=)

とは言ってもデータぱんぱんのメインカメラは無事だったのが不幸中の幸い。旅行保険が出て新品に買い換えられることだし、それほどまでにはショック受けてないのでご安心を。
まあ、落ち着けばそのあたりも含めてぼつぼつ旅行記をアップしていきますので、今年も拙サイト、どうぞよろしくです。