2013年11月29日(金)

我が家の玄関を開くと最初に目に飛び込んでくるやつら。

ハーネマンぬいぐるみ、イランの匠が描いた皿と花瓶、トルコタイル、正倉院御物風味の敷き布、口をぱかっと開けたら中にジュエリーが入る陶器のカエル……。

……そして唐突にカニ。

このカニ、かに道楽に行った帰り、入り口にふたつ並べて飾られていた折り紙に、酔っぱらった私がかわいいかわいい!と大受けしたら、店長が折り方が書かれた小冊子「かにとかに道楽のおはなし」を添えてプレゼントしてくれたもの。
カエルが独りで寂しそうだから並べてやった。

かにの折り方はこちら ツルとちがって足が多いカニは、切ったり折ったりの回数がやたらと多くて大変そうだ。

私がもらったものは店員さんが折ったそうだが、客に持って帰られたせいで新たにもう一つ折らなきゃならなかったに違いない。休憩時間中にせっせとかにを制作する着物姿の仲居さんの姿が目に浮かぶ……。よけいな手間かけてすみませんねえ。


「かにとかに道楽のおはなし」には「かにの殻からバラの花を作ってみよう!」なんてページもあるんだぜ。

美味しくいただいた後のカニの殻を使ってバラの花を作ってみませんか?
酢水に漬けた“かにの殻”がどんな風になるか体験してみよう

匂いはちょっとがまんがまん(笑)

おおぉ──!たいへんよくできました☆ しかもエコ!!

どこぞのマッドサイエンティストがカニからエビを生み出したようだ。

生臭さに耐えてまでカニの殻を使う意味がよー分からなんて、みもふたもないことは言っちゃダメっ!

2013年11月26日(火)

生前の父の動画を取り出してきてたびたび観る。蕎麦について講釈をたれている父、ふざけてマヤのお尻をばんばん叩いている父。マヤをなでている父。
記録魔の私が撮影してきたものは愛犬が大半だけれど、中には父母を撮ったものもあって、それらは今や宝物だ。

パソコンの前に座って今はもう存在しない人が話す姿を眺めていると、寂しさや悲しさよりも先に、なんとも言いしれない不思議な気持がわきあがってくる。そして、こういう風にモニターの前に座り、過ぎ去った過去の記録を懐かしそうに眺める自分は、何かの映画で見たことのある人みたいだと思ったりもする。

あれは失った子供が元気にはしゃぐビデオを見ていた母親だったか、戦地で繰り返し恋人からのビデオレターを再生する兵士か、それとももうとうに失われた過去の地球の風景を懐かしむ宇宙の開拓者だったか……。
思い出そうとしても、さまざまな作品でこの静かな回顧のイメージは登場しており、どの作品だったかは特定できなかった。

相変わらず溺れかけのような精神状態だが、性格的に哀しい記憶を心から排除するのは無理だと分かった。だから忘れないでいることにした。今は哀しいばかりの記憶も、繰り返し再生するうちにきっと形を変えるだろう。
それは3千年前には確かにそこに生きていた古代エジプト人が描いた美しい壁画のような印象を、私に与えるようになるのかもしれない。

2013年11月24日(日)

拒否権は、なかった。

交通安全のうた「守ろうみんなの笑顔」の作詞・作曲者であるシンガーソングライター あまゆーず。
免許更新センターで配っていたチラシなんだけど、お上のセンスってどうしてこう来るのか。

小宇宙の中心でおすわりするけもの。

これが我が家で最も高価、
且つこいつに下痢便された絨毯である。

上にのっけられるとおねえちゃんがピリピリするせいで
マヤちゃんもちょっと緊張ぎみのようです。

ごめんなさい、ぼくもうおしっこたれないからゆるしてください。

金曜日から我が家にマヤが来ていた。そして本日、帰っていった。管理人お気に入りの絨毯にでかいシミを残して……。

ことの次第はこうである。このところ週末はずっとインターネットがつながらない実家に帰っているせいで、ネットを利用する用事が片づかない。そこで、金曜日に免許の更新で有給をもらったついでに、実家まで足を伸ばしてこちらの家にマヤを連れ帰ったのだ。

犬さえそばに置いておけば、安心して自分の仕事ができる。ペット絶対不可のマンションにつき、一日三回の散歩には、人目を避けるため、特殊作戦に参加するネイビーシールズ隊員ばりの緊張感とスピードが要求されるものの、まあ、なんとかなるだろう。

だが、なんとかならなかった。
金曜日は会社の飲み会。犬をゲージに入れて留守番させても、三時間くらいなら大丈夫。そう読んでいたのだが、自分が泥酔する可能性までは計算に入れていなかった……。

「今日は軽めに」と思っていたののもつかの間で、タダ酒の美味さに調子に乗って杯を重ねるうちに、お開きになった時にはすでにべろんべろん。コンビニで買い物をしたことすら覚えていない。

そして6時間後。ハッと目覚めると時計の針は三時を指している。ガンガンする頭をさすりながら起き出すと、ベッドサイドで尻尾を振る犬。
あ、そういえばお前を連れてきてたんだ。ごめんね、おしっこの時間だね。

だが、すでに時遅し。玄関先に行った私の目に飛び込んできたものは、バリバリに破られたコンビニの袋、洗ったみたいにきれいな「エビとペンネのクリームグラタン」の容器。豚まんを包んでいたグラシン紙のはしきれ、そして……。
ぷぅーんと匂ってくる嗅ぎ慣れたあの香り。
やりやがった!!!

塩っからいペンネと豚まんをむさぼり食った犬は、当然のようにのどが乾いて水をがぶ飲みしたのだろう。その結果、膀胱パンパン。おねえちゃんは寝ていておしっこに連れて行ってくれない。
その結果、どうしよう……と思う間もなくペルシャ絨毯に
じゃーーーーっ。うぉおおおお!一連の動きが目に浮かぶ。

そんな次第で、酒に飲まれた私に与えられた罰は「でかい絨毯のシミ」。ペットのおしっこは拭いたくらいではどうしようもないので、さっき大阪の専門業者に宅急便でクリーニングに出してきた。

その費用、4,5万円。酒でおかした過ちの罰金としては痛すぎる金額に、私はますますブルーである。

ぼく、いやなのにおねえちゃんがポーズをとらせるんだ。

ねむそうだ。

2013年11月20日(水)

このところ天気が急変することがたびたびある。会社を出る時には晴れていたから傘を持たずにお使いに出たのに、しばらくすると一天にわかにかき曇り大粒の雨に驚いて走り回る羽目になるのだ。
また、ざんざん降りまでいかなくてもちょくちょくあるのが、晴天時にぱらぱらと雨が降る「狐の嫁入り」。

街を歩いていてこれに出くわすと、唐突に落ちてくる雨粒に驚いた人たちが、真っ青な空を見上げてから連れと顔を見合わせて「あれ、狐の嫁入りだよ」「狐の嫁入りだね」と口々に言うのが愉快で好きだ。
また、年を取った人のみならず、「狐の嫁入り」のイメージなんて頭の中になさそうなギャルの口からこの言葉が出ると、何ともいえず不思議な気持になる。


「狐の嫁入り」といえば思い出すのは、黒澤明が晩年に撮った映画『夢』。
全盛期には希代のストーリーテラーとして名をはせた監督のこの作品は、数本の夢を映像化したオムニバス形式で、批評家からの評価はあまりよろしくない。

しかし各々の夢のイメージは希なる映像美をもって表現されており、黒澤明ファンの父はこの作品がとても好きだった。この中で「狐の嫁入り」をのぞき見る子供の話が語られるのだ。(そういえば母もこの映画の狐のマネをして私たちを笑わせたものだ)

父は『夢』のことをよく語っていた。
「トンネルの向こうから英霊たちが歩いてくる」話については、「俺、あの話嫌いやねん。軍用犬が可哀想で可哀想で見たくないねん」と言い、お父さんってこんなに動物好きだったんだ、と内心私を驚かせた。
また、「どこか遠い国で行われた葬儀の話」では、鮮やかな衣装に身を包んだ人々が、楽しげに歌い踊りながら葬列を作って進む場面が大好きだったようで、「こんな葬式をしたいなあ」とよく言っていた。

「こんな葬式したいなあ」と聞くたびに、奇妙な言動が多かった父に、「またかよ……」と思った母も私もちょっとムカっとして、「日本でこんな葬式ができるはずないでしょ!お父さんはいつもありえないことばかり言う!」と腹立ちまぎれに答えたものだ。

しかし今では、シャンシャンと鈴を鳴らして「死は新たな旅立ち」とばかりに朗らかに行進する老若男女に見送られる……。そんな死者をうらやんだ父の気持ちが理解できる気がする。

父は一日中家にいてテレビを見るしかなかったから、せめて好きだった映画でも、と毎週DVDを借りてきた。でも、どんなの見たい?と聞いて探してくるだけで、あとはほったらかし。映画のことを話したそうな父をうるさがって耳を貸そうとはしなかった。
だというのに、父が去った今、父と映画の話をしたくて仕方がない。

もっと話を聞いてやればよかった、もっと色々なことを教えてもらえばよかった。父が去って一年と三ヶ月。この喪失感は薄れるどころか日を追って強くなっている。
先日もたまには邦画を見ようかな、とレンタルショップの黒澤明と小津安二郎のコーナーに足を向けたものの、父に借りてやった映画が並んでいるのを目にして耐えられなくなった。

いや、ここは耐えられないのをもう一押し、父が好んだ映画を見て追悼した方がいいのか、それとも邦画を借りるのはもう少し先にすべきなのか。
精神衛生上どちらが自分のためになるのか、日々いろんなことに迷っている。

2013年11月19日(火)

夢の中で目が覚めてねぼけまなこで枕元の携帯を手に取り為替を見ると、寝る前には100円だったドル円が、いきなり90円になっている夢を見た……。

おは……よう……???……???ぎゃああああぁああ!!と叫んで飛び起きて、ダッシュでパソコンを立ち上げ為替ボードを見ると、う、うそでしょ!?みるみるうちに89円、88円、87円、86円、85円……と地獄のつるべ落とし。

寝ている間に一体なにがあったというのか。地震?テロ?戦争?いや、それよりFXのポジション持ってなかったっけ?と夢の中で必死に頭を巡らせて、昨夜ぜんぶ手じまったことを思い出し、ほっとすると同時に「ドル円ショートで入っとけばよかったなあ」と欲どおしいことを思っているうちに目が覚めた。
いやはや、ストレスすごすぎて頭の血管切れるかと思ったぜ……。

親の出てくる夢も怖いけど(起きた時の反動という意味で)、こういう夢もけっこう怖い。
投資をはじめて20年。振り返れば阪神大震災、9.11、リーマンショック、東北大震災、そしてユーロ危機&証券会社の誤発注のコンボ攻撃ショック、とこれまでに5回の暴落を目の当たりにして恐怖が刷り込まれたせいか、株価アゲアゲでみんなニコニコのいい夢は全く見ないくせして、暴落の夢はちょくちょく私を訪れ、恐怖のどん底にたたき込む。

そのせいか、どうしても株も為替も「暴落の可能性」の方にしか賭けられないのは仕方がないのだろうか。ノストラダムスの予言におびえながら子供時代を送った世代というのもあるかもしれない。
時々「買い」で入ってはみても、「もし中国共産党本部がテロ攻撃されたら……」「もし南海大地震が起きたら……」とリスクが気になり始めると落ち着けなくて、すぐに手放しちゃうんだよね。

そんなネガティブシンカーが投資するのが信じられない!とはよく言われることだが、狩りに出かけない限り獲物はないし、稲を植えない限り米も食べられない。そう考えてしまう私は、今日も懲りずに株を空売ってけちょんけちょんに痛めつけられてます。

2013年11月16日(土)

爽やかな秋晴れ。朝起きてリビングのカーテンをばあっ!と開くと、夏ほど威圧的ではなく、かといって冬ほど頼りなくもない、ちょうどいい明るさと温度の、最高に気持いい陽の光。
それはまっしぐらに部屋の奥まで差し込んでペルシャ絨毯を直撃したものだから、あわててカーテンを閉じ、本日も薄暗い部屋でうごめいてます。

いやはや、このところ精神状態がまたしても悪化しているせいか、体調までどうもすっきりしないんだわ。今日こそ有給を使おう……いや、もうちょっといけるか……と思いながらだましだまし出社する毎日。
なんつーかもう、母の死後、気が抜けたせいだろうか、「急激に衰えキター!」って感じなのだ。

私より4才下でまだまだ元気な妹ヘボピーには、「もっと外に出て人に会ったりジムで鍛えた方がいいよ」と言われるものの、ぶっちゃけさせて頂くと、そんなんできるか!できたらとっくにやっとるわい!と逆ギレしそうなうつモードである。

以前はけっこう社交的で出たがりなタイプだったのに、今では人が集まるところに行くと30分で息切れとメランコリーに襲われて、退場を余儀なくされるのが情けない。
先日も行きつけのレディースバーで開催された高年齢女性のつどいに、「気分転換になるかも」と行ったのだが、30分で人と話すことに疲れてきてアウトだったわ……。

今なら苦行林にこもって「無言の行」ができそうだねと思ったが、いや、考えてみると「人と話したくない」だけであって、ぜんぜん「無言」ではないことに気が付いた。
だって家では「この人ヤバい」と思われかねない声量と頻度で、犬とお花に話しかけてるんですもの。

でも、人の言葉がかえってこない者たちに「あなたたちは綺麗だねえ」とか「ごはんおいちいねえ」とか話しかけるだけで、心は十二分に癒されるものだ。いや、人の言葉を発さないからよけいにいいのかもしれない。

仏前にいけた花に優しく話しかけながら、枯れた葉をむしって茎を切っていけなおしたり、酒を飲んでいる時にふと目があったマヤが、にっこりした私を見て、うれしくてうれしくてたまらない!という風にはしゃぎ回るのを眺めるにつけ、じーんと心が温かくなって、こういう静かな生活もある種の幸せなんだろうなーと思ったりするのだ。

……とかうだうだ書いていると、今日から泊まりがけで自衛隊イベントに行く戦士ヘボピーから「マヤの朝ちっち5分しか行ってない。可哀想だから昼ちっち行ってやって」との指令が入った。
マヤを独りぼっちにしたくないから、あわてて実家に帰ります。さて、今日はどこのペンキを塗ろうかな。みなさんも楽しい休日を。

人間に元気がないと、こうやっておどけてみせたりするんだよ。

散歩前の準備運動。おちりぷりぷり(=´ω`=)

2013年11月12日(火)

どこのプリンス。

老後資金って一度手を出すとどんどん崩壊するものだな。マイバースデーにはペルシャ絨毯の他にもこんなのもゲット。

パガニーニのバッグ。最高クオリティーのジャガード織り。ユニセックス向けなだけあって、チワワなら詰めこめば三匹は入るサイズ。

「Wちっちゃいワンちゃん」を購入してからこちら、「かわゆい〜ん」がダダ漏れの管理人、こんなワンちゃんも買っちった。

スペインメーカー・NAOのコッカーちゃん。
かわゆい〜ん!!(=´ω`=)

コッカーちゃんはテレビの上、イリの遺影の横に座ってる。こうして並べると二匹が見つめ合ってるみたいでしょ?

イギリスのトップドッグの兄弟で、最高レベルの血統を誇っていたのに、飼い主側の事情で生涯独身で終わらせてしまったイリ。眺めているとこの子犬がイリのおよめさんに思えてきて、心がほんわかするんだ。


さて、ペルシャ絨毯ゲットの顛末を書くつもりだったけど、下の日記に書いた以降は、カエサルよろしく「来た・見た・買った」にしかすぎなくて、とりたてて説明することはないかもしれない。

強いて言うならば、大丸に「全部商品券でもいいのか?」と確認した上でそろえた150万(無理言ってまけてもらったから正確には147万)分の商品券で、ちょっとした出会い?があったくらい。

いや、支払いはキャッシュかカードの方がスマートに決まっているが、チケットショップで1.5%引きの商品券を買えば、たとえちっぽけな割引率であれ、150万円分だとと2万円以上の節約。ディナーが食べられる金額となると、ええカッコなんかしてられない。

展示会は6時まで。チケット収集に与えられた時間は1時間。定時に会社を飛び出して、チケットショップにダッシュ勝平。あかねちゅわ〜ん!(ネタ古すぎ)

150万円分となるとさすがに一軒では無理だろう。いったい何軒回らなきゃならないやら……と思いながら、最初にたまたまのぞいたちっちゃい個人商店(いつもは行かない店)で、なんと!入荷したばかりの5千円券の山を発見。
それも通常の1.5%引きではなく、スペシャル価格の2%引きになっているではないか!

「これ、いくらあります?」「いくらいります?」「えー……100……万、かな?」「あります!」「もっとあるんですか?」「あります!ありますっ!」「じゃあ150万欲しいんですけど」「あります!ありますっ!!!」(一気にはけてオヤジ満面の笑顔)という感動的なタイミングのおかげもあって、「大絨毯会」での出会いが運命的であると己に思いこませ、老後資金を使い込んだ罪悪感もほんのちょっぴり薄れた次第。


ついでにもうちょっと自慢させていただくならば、絨毯担当の若い兄ちゃんと長々と話し込んだ──というより、こっちが一方的に「ペルシャ絨毯界の現状」を教えてもらった結果、このところ市場価格は高騰の一途をたどり、うちにあるレベルのものでも、今や普通のリーマンにはとうてい手のでない代物と化していることが判明。

……というのは、私が貯金をはたいてペルシャ絨毯を購入していた10年前に比べると、経済制裁によるインフレ、織り子さんの減少(きょうびの若い子は目を酷使する辛い仕事よりも、カッチョいいサラリーマンの道を選びがちらしい)、震災によって織り機が壊れたことをきっかけに廃業する工房が増えたこと……といった諸々の理由により、供給は激減している反面、金融緩和であふれたマネーが高級品市場にも流入しているため、需要は増え続けているからである。

どのくらい値段が上がったかといえば、例えば私が10年前(この頃が底値だったらしい)に60万円で買ったイスファハンの工房モノ。工房のクラスはやや上でサイズもでかいとはいえ、ほぼ同じクオリティー、色柄のものが「大絨毯会」のセール価格で600万。

我が家で一番大きなサイズ、2メーターx3メーターのミルメヒディー。そう、マヤに下痢便された可哀想な絨毯。
こいつを200万円台で購入した時には、もしデパートの外商を通したなら一千万ほどすると聞いて「それはないわー」と半信半疑だったけど、大絨毯会でうやうやしくディスプレイされた、もっと小さなサイズでクオリティーも下の絨毯に、900万の値札が付いておりのけぞった。
これが900万なら、うちのは1500万やろ……。

地位とか名誉とか、社会的にそういうものとはてんで関係ないポジションにある私にとって、ペルシャ絨毯は「高いから買う」という、ステイタスを象徴するものではありえない。
「安い方がいいに決まってるけど、美しい品が欲しいなら、渋々ながら高いゼニを払わざるを得ない」ものだから、自分の絨毯がいくらであろうと関係ないといえばない。
それでもコレクションが今や駅前の新築マンションと同等のプライスであることに、秘かな満足を覚えないといえばウソになる。

まあ、なんぼ高かろうとほぼ「中古市場」が存在しないペルシャ絨毯。
「お姉ちゃんが突然死したら、わたしらどうしたらいいんよ?!」と妹に責められる流動性の低い代物は、友人たちにも「ペルシャ絨毯?うち、狭いからいらないわー。それよりあのシャネルの時計ほしいわー」と言われる始末。

それでも、今やペルシャ絨毯界を代表する名工房へとのしあがったミルメヒディーをはじめとして、見る人が見ればかぶりついて離さない魅力的なお品がそろっておりますので、私亡き後は「いらん」とか言わんといたってください、イランの美男美女たちのこと。


追記・マイバースデーに購入した新人、上記の通り値札は150万だったけど、これは疑いなく破格なお値段。
絨毯担当の兄ちゃんに「ぶっちゃけ普通ならいくらくらいなんですかね」と尋ねたところ、「通常の店頭価格なら600万、こういったセールで400万以下ということはまずありませんね」。

そんなスペシャルなブツがなぜ150万になっていたかといえば、外商部から「展示会をやるから目玉商品をふたつみっつ出してくれ」という圧力を受けたインテリア部が、ほぼ利が乗らないレベルではあるが、客寄せパンダとして出した3点。
その一点を、開場後ほどなくして訪れた、外商からは縁遠いただのコレクターがかっさらっていったというわけである。これぞ運命の出会い!(己に言い聞かせてる)

兄ちゃんはウソはついてないと思う。だって5、6年前に買った同じジャムシディー工房の、もうちょっとサイズは大きいけれど、織り目はもうちょっと粗い絨毯で150万だったもんねー!

まあ、150万だの600万だのといっても、先述の通り興味のない人にとっては、シャネルの時計にも劣る代物。
ペルシャ絨毯との交流、それは「自分がいいと思えばそれでいい」と思いこめるだけの、強靱な自意識を必要とする修羅の道なのだ。

2013年11月11日(月)

パソコンが立ち上がるまでの数十秒間、デスク回りにちらばる紙類をいじっていたら父の写真が出てきたよ。マヤをなでている姿と、亡くなる3ヶ月前、妹と三人で温泉旅行に行った時に撮った写真。

キリッとした顔を見ると、これを撮った時に「遺影にしてくれよ、はははは」と笑った声がよみがえり、さわやかな朝っぱらから胸がぎゅううっとなって、心臓がばくばくいっている。

いかんわ、このままでは心臓が弱る一方だ……。代わりに楽しいことを考えなきゃ寿命を縮める。
えーっと、今日は11月11日。ポッキーの日?!ならば一本のポッキーを両端からかじるクーパーとハーネマンを……あ、ちょっと元気出てきた。今週も一週間がんばって働くど!(空元気)

さて、今日はマイバースデー(11月6日だよ)に自分にプレゼントした、あたらしいぺるしゃじゅうたんのおはなしでも。


ペルシャ絨毯を最後に買ったのは2010年5月、イランを訪れた時だ。それ以降は一枚も買ってないし、絨毯屋に近寄ってすらいない。
いや、1,2年前に一度だけ銀座の大塚家具に行ったんだ。でも、その時に「輸入品の価格をがんばって現地価格に近くしている」ことが売りの大塚家具でさえ、現地価格に比べると目ん玉が飛び出るほど高かったもので、それ以降、ペルシャ絨毯屋は鬼門と肝に銘じて慎重に避けている。

しかし最後の絨毯を購入してから3年半が経った今、見慣れたメンツにはぼちぼち飽きてきた。ここらで一発部屋に新風を吹き込むか!ずっと気分が落ち込んでるし、絨毯買ったら元気出るかも。(近頃なんでもこのパターン)

そこで、弾丸ツアーでイランに行っちゃう?と考えたものの、日程的にヘボピーは一緒にこられない。女性が単独で行くイランのフリーツアー、色々不自由がありそうだ。
ましてや入国審査が格段に厳しくなっていると聞く昨今、腹に巻きつけたドル札の束をボッシュートされるリスクがないとも限らない。

それらのリスクを勘案しつつ、イランに行くだけで最低30万は要することを考えると、多少高くても日本で買った方が楽なんじゃね?
そんな考えが頭をもたげていたある日、大丸から届いた一通のメール。
こ、これは……!!!!!

「お得意さまへのご案内 <大絨毯展・お得意さま特別ご招待会> 
ペルシャ絨毯の逸品をはじめ、手織絨毯のお値打ち品と、メーカー協賛在庫を一掃処分品を、スペシャル価格でお届けいたします」

そして直後に届いたもう一通のメール。

「お詫び:さきほどのメールは対象外の方にも誤って送信しておりました。謹んでお詫び申し上げます」
まちがいメールかよ!!

どうやら日常的に外商を使いたおせるリッチメン限定のメールが、551の豚まんとか、閉店直前に半額になった焼き鳥を購入するだけの庶民にも誤送信されたらしい。

まあ、いくらスペシャルセールとはいっても、デパートの値付けは信じられないほど高いもの。もとが高いものを値引きしたって大したことない。
そうは思ったものの、「メーカー協賛在庫を一掃処分品」の中に思わぬお宝が混じってないとも限らない。どうせヒマだから行ってみるか。見るのはタダだ。


そんな経緯で偶然に開催を知った<大絨毯展>。ホールの地下階を借り切ってるだけあって、そこそこ品数は多そうだ。
だが、一歩入って左右を眺め、私は内心悲鳴を上げていた。やっぱ来たのが間違いだった?!

だって我が家でもレベルがあんまり高くない方で、ガンガン踏まれてるクラスの絨毯にも、「280万」とか「300万」の値札が付けられてるんですもの!
やっぱデパート、高いわ。日本では「ペルシャ絨毯」とは、お金がありあまって仕方ない人が買うものだと痛感した。

とは言っても大丸外商部の威信をかけて、クオリティー的にはそこそこのものが並べられている。いや、くれると言われても要らないようなのもあったけどね……(それでも120万。目を疑った)
他の客は誰一人いないところへ、店員を5,6名配置したガランとしたホール。乗り込んだからには、びびって帰ることはプライドが許さない。

残念なことに「大絨毯展」の存在を忘れており、その日はうっかり気を抜きすぎたファッション。
会社員の平均値からしてもかなり低レベルのよそおいで、外商担当者の間を回遊するのは胃が痛むほどのプレッシャーだったが、こと絨毯に関しては愛は誰にも負けないから、ビンボくさいオバちゃんであっても眺めるくらいは許して欲しい。

<これから会社なのでつづく>

2013年11月8日(金)

母の夢を見た。夢に母が出てくるのは珍しいことではないのだけれど、声を聞くのは久しぶりだ。夢の中の母は呆けがかなり進行して、会話に使える語彙も激減してはいるけれど、たどたどしいながらおしゃべりができた頃の姿だった。

マヤを抱きしめてぬくぬくと布団にもぐっている母を見おろしながら、声をかけた。「マヤ、散歩いこか」。
すると母は満面の笑みを浮かべながら、繰り返した。「マヤ、散歩いこか」

その声はまるで今この時に、すぐそばに母がいるかと勘違いするほど大きくてはっきりしていたものだから、私はびっくりして飛び起きた。

最後の2年近くというもの母が発せた音といえば、うーうーといううめき声と、気管に食事が詰まって苦しそうにせき込む音と、突然なにか悲しいことを思い出したであろう時にたてる、きしむような、なんとも表現しがたい悲痛な声くらいだった。
だから元気な頃の母は一体どんな声で話していたのか、思い出すのはむつかしい。目覚めている時によみがえる母の声は、うめきと咳と、最期の12時間のぜいぜいいう呼吸音だけだ。

だというのに、夢の中ではあんなにはっきり聞こえるとは!

「マヤ、散歩いこか」。
それはあまりにも生き生きとした声だったから、飛び起きてから数秒間は、時が巻き戻って元の世界が戻ってきたの?と勘違いするほどだった。
そしてがらんとしたいつもの部屋を眺めながら、ゆっくりと思い出した。ああ、今日は私の誕生日だからかな。

それから寝ぼけまなこで妹にメールした。
「眠れなくて今仮眠始めたらお母さんが夢に出てきたわ。マヤと一緒に布団に入って起こしたらマヤ散歩いこか、って言ったわ。すごく懐かしい!」
するとほどなく返事が来た。
「懐かしいね。誕生日やから出てきたん違う?」それに続いて「マヤに弁当食べられてると思う。豚もやし炒めだから……」

誕生日の夜は実家に帰った。仏前にはヘボピーが忘れていった、洗ったみたいにきれいな弁当箱。やりやがった……。
豚もやし炒めはさぞ美味かっただろう。そして塩こしょうで炒めた豚肉、当然のども乾くだろう。水入れはからっぽになっていて、マヤは私が帰るなり「おしっこ行きたいです!行きたいです!」とキュンキュン催促しにきた。当然だ。

誕生日は実家のテーブルに父と、母の席を作って酒杯を置き、マヤにおやつをやりながら、生きている一人と一匹と、そこにいるかもしれない死んだ人二人で静かに祝った。
あんな赤ん坊がこんないい年になるなんてねえ、と両親が笑い合っているようで、寂しくて哀しくて、それと同時にこの世に生んでもらったことがしみじみと有り難くて、涙を流しながら酒を飲んだ。

そして自分へのバースデープレゼント。2年ぶりに買っちまったペルシャ絨毯。
ジャムシディー工房の名品である。これについてはまた後ほど。
久々の高額な買い物は体が震えたとだけ書いておこう……。

2013年11月5日(火)

休日にはマヤの散歩とスーパーの買い物に出るだけで、あとは家にこもって映画を見たり、読書をしたりと独り心静かに過ごすことが最高の楽しみになった管理人。インドア時間をより快適なものにしようと、少しづつ身の回りのモノを入れ替えている。

これまでなら泡となって消えるだけの石鹸やシャンプー、入浴剤にお金を使うのはもったいないと思っていたが、「香り」がことのほか人を癒すことに気付いたので、シャンプーやボディオイルは、直島のベネッセホテルで使われていたブランド──エスニックな香りが気に入ったTANN(タイのエステブランド)で揃えた。
他にもエッセンシャルオイルを4,5種類と、それらを薫香するための明度調整できるランプ型アロマポットもゲット。

買ったまましまいこんでいたイランの花瓶をひっぱりだして花を飾り、がらくただらけだった台所も整理。窓際には赤い花を咲かせた植木鉢と、シルクに花を手書きしたインドのミニアチュール(精密画)を額に入れたものを配置。なかなかステキだ。

コンセプトは「美輪明宏を招ける部屋」。まあ美輪さまがお好きなロココ風味ではないのだが、取り込みっぱなしの洗濯物とか、広告チラシに埋もれていた家が、いつ客の襲来を受けてもかろうじて耐えられる部屋に変身。
うひょーっ!片づいた部屋って気持いい──っ!(背伸び)

調子に乗って、食器もぼつぼつ買い替えている。

阪神大震災の時、高級食器のコレクターが言っていた。「100円食器は無傷だったのに、カップのふちにチョウチョがとまってるレアものヘレンドとか、一客10万のマイセンはぜんぶ割れて絶望した……。もう高い食器とは縁を切るっ!」と。
その嘆きに「諸行無常、形あるものはすべて壊れる」という真理を見せつけられた私は、震災以降、300円以上の食器は買わなかった。

でも先日、友人のバースデープレゼントを買ったついでに、「自分へのごほうび(^ω^)」と衝動買いしちゃったバカラのワイングラス。
それで酒を飲むとあまりにも心地よく酔えるので、間をおかずしてショットグラスx3とオールドファッショングラスを入手。やっぱり高いものには高いだけの意味があるもんだね、と悦に入っていた。

だがしかし……。
不要なグラス類を分類中、買ったばかりのバカラにそっくりなグラスを発見。
へぇー、人気のあるデザインってやっぱコピー商品があるもんだねぇ、と手に取り並べてみると、
ちょ、ちょっと待てよ!?どっちがバカラかわ、わ、わからん!……とまで言うと言い過ぎではあるものの、天と地ほどの差があるとはもう、どーしても思えない。

だってかたや3万円、かたや100円、お値段300分の1なんだから!

ショックを受けて明るい光の下で見たら、さすがにメイドインベトナムの100円グラスよりも、バカラの方が段違いに透明度は高くてカットもシャープ。
誰に見せてもどちらが3万円かは一目瞭然とは思うけれど、それでも300倍の価格差に足るってほどの違いじゃないのよねえ。

なんつーかもう、ここへきて「長い歴史と名声に支えられた高価なモノ」に対する信頼が根底からグラつきはじめた、迷える中年である。

100円スリッパと、その一万倍のお値段のペルシャ絨毯。柄も色ゆきもそっくりじゃよ。ぐおおおお……。

2013年11月4日(月)

昨日の日記に上げた、気が狂った人面柱について調べてみた。「道頓堀ホテル」と入力すると、「道頓堀ホテル 銅像」と候補が出てくるくらいだから、やはり注目度は高いのだろう。

検索の結果判明したことは、あの四体は向かって左から「東洋人・アフリカ人・アラブ人・西洋人」であるということ、そして大好評の四体像ストラップがひとつ480円で販売されているということ。
そしてなによりショッキングなのは、背後に回ると
がついているらしい、ということである!!ええええ──っ?!

思うにこれら不気味にもほどがある人面柱を建立した時には、建築屋も社長もあんまし深く考えていなかったのではなかろうか。
道頓堀ホテルのHPに「世界のお客様に来ていただきたいという思いを込めて造りました。人間の顔は見た人にとって一番印象に残るということで大きな顔にしました」とある額面そのままであって、そこには「おもしろ」や「キモかわ」な評価を得たいという、特別の期待は込められていなかったと思うのだ。

結果的に「キモい像がある」と話題になったから、ホテルとしても人気にあやかってストラップまで作ったりと商業利用はしているが、根っこにあるのは「ホテルに泊まりそうな外人をまんべんなく突っ込んどけ!」「でかけりゃインパクトあるだろう」という、土建屋ノリのものすごく単純な思いつきではなかっただろうか。

「街のへんなもの」を集めたBOWシリーズでも、意図的にウケを狙ってちょっと外してみたコピーはあまり面白くないように、もしこのエントランスデザインを「おもしろ」や「トンデモ」で集客アップを画策する広告屋やデザイナーが仕掛けていたなら、もっと違ったものになっていそうだ。

恐るべし、素人の思いつきパワー。

じゃ、次の休みには後ろに回ってケツ、見てきます。

道頓堀ホテル ttp://www.dotonbori-h.co.jp/four/(頭にhを付けてちょ)

2013年11月4日(月)

ミキ家にはマヤのベッドが三個ある。色柄に則して名付けられた「ミッキーさん」「オレンジさん」「ピンクさん」。
その内「ピンクさん」でうつらうつらするマヤちゃん。11才近くなった今、こうして寝ていることが多くなった。
若い頃に比べると体型もたぷたぷで毛づやもなくなって、いかにも「老犬」だ。

マヤが死ぬときはどうやって死ぬんだろう?と妹ヘボピーと時々話し合う。
いつもお腹がすいてたまらない犬だから、ごはん茶碗の前で死んでたら可哀想だね……と想像して、
ヘボも私も思わず涙ぐむ。できれば胸に抱いて逝かせてやりたいけれど、仕事のある身、叶えられるか分からない。

遠からず訪れるその日が怖くて怖くて、このところ私はいつも憂鬱だ。

この「ピンクさん」はいつ買ったんだっけ?と過去日記を検索したらおととしの3月だった。→☆
父も母もこの世にいたこの頃は、今みたいな寂しい未来が待っているなんて、夢にも思っていなかった。

TOMORROW NEVER KNOWS、明日も今日と同じ日が続くとは限らない。
こうしてぼやいているかろうじて健康な私だって、明日には再起不能の大怪我をしているかもしれない。
日常はつい粗末にしがちだけど、 変わりばえのしない生活が続くことは、一番有り難いものだと痛感した。
みなさんもせいぜい「今この時」を大切にしてください。

2013年11月4日(月)

ちょっと前までの停滞っぷりはどこへやら、一日二回も更新するなんて、ミキさん完全に立ち直れた?……いやいや、変わらず己を呪うメランコリックな毎日ではあるが、自宅でヒマをもてあましている間にせいぜい手入れしとこうと思ってさ。来週からは元来の週休6日モードに戻ると思われます。

さて、昨日に引き続きビアンバーJのTさんからもらった「バナナフライデー」のフライヤーより。

バナフラ未体験のアナタ!「脱ぎ系なんでしょ!?」と後込みしているアナタ!店内は暗いし、みんなノリノリなので、全く気になりませんよ〜w。体型も普通体型〜細筋〜マッチョ、ガチムチ、BULKまでと幅広く、20代のノリの良いピチピチ元気君半分、30代以上のガタイ系兄貴半分が良い感じで出会っています!

最新のど変態HOUSEで盛り上がるのも良し!PEACH LOUNGEで、R&B、HH、ダンクラ、80's Disco、Funky House、Carageなどを聴きながら、仲間と飲んだり、クルージングするのも良し!お洒落空間に良質の音楽、そしてLOVELYでありながらちょっとエロな大人の遊び場。男+男+男だらけのお楽しみが溢れている夜のワンダーランド"BANANA Fridays" は、毎週金曜日絶賛開催中!

HOSTs & GO GOsもエロいコスチュームでSUPER接待待機中!是非お待ちしております!

さてみんな、知らないことばはいくつあったかな?日本語で書いてあるのに日本語じゃないみたいだろう?

さあ、パソコンを立ち上げて、インターネットでことばの意味を調べてみよう。先生もATOKの「単語登録」にことばを登録するよ。「脱ぎ系」「BULK」「SUPER接待待機」……と。

おや、なんだいサトシ君。GO GOsの意味が分からないなんて勉強不足だなあ!でも本当のとこ、先生もさっぱり分からないんだ。「ど変態HOUSE」や「Funky House」や「Carage」がどんな音楽を指すのかなんて。

知らないことを知ることはとっても楽しいね。みんなこうやってどんどん新しい知識を手に入れて、立派な大人になってくれると先生うれしいな。


←ニッチがすぎる雑誌。チャレンジャーな双葉社さんが何号までもちこたえられるか、あなたも予想してみませんか?私は「6号まで」に千円賭ける。

それにしても「バスタオル、是か非か?」って、「バスタオル」を「集団的自衛権」や「海外派遣」に差し替えれば、あっという間に愛国に燃える雑誌に変身できそうな硬派なよそおいだが、モノはしょせんバスタオル。平和である。

……で、バスタオルは是なの?非なの?どっちなの?

2013年11月3日(日)

←昨夜行ったビアンバーのオーナーTさんが、天使の微笑みを浮かべつつ手渡してくれたブツ。

「なによこれ?」と聞くと、「ナチさん好きそうだなーと思って (*´∀`*)」ですって。おいおい〜!いったいどんな趣味だと思われてんだ?!

ちがうよTさん!私のタイプはこういうのじゃなくて、こういうのなんだよっ!……って、マッチョメンとか死ぬほどどうでもいい御仁からすると「おんなじやん」の一言ですな、すいません。

他にもバナナフライデー(ゲイイベント)のチラシももらったんだけどさ、イベントのドレスコードが「上半身裸」になっててずっこけた。鍛え上げられた肉体がドレスとは、なんという天使禁漁区!


さて、上半身裸DAISUKIなオバちゃん、お見合いパーチーにドナドナしてきたわよ。

未婚者のボリュームゾーンから20光年は離れている年齢層のため、参加者は計14人と小規模な集いだったから、仕方ないといえば仕方ない。
それでも男性陣はどうしてあんな……いや、独身者であること、すなわち彼らも己と同類。目くそハナクソを笑うようなみっともないマネはよしておこう。参加者よりむしろ、会場であるライブパブの渋めのマスターの方が、はるかに気になったとだけ言っておこう。

……と思いつつ、いや、それでもやっぱり言わずにはいられない!
おん年45才以上のパーティーで、ええ年こいて初対面の相手にタメ口とか、眉間にしわを寄せたまま視線を合わせようとしないとか、ものすごく不遜な物言いとか、その反対に消え入りそうな声だから、何度も「えっ?」と聞き直さなきゃならないとか、結婚以前に社会人としていかがなものか?という殿方もちらほら見られておののいた。

一方女性陣はといえば、美人ではきはきしてスタイルがよくて、秘書課にいそうな人ばかりで、こっちにも別の意味でびっくりした。今日の女性参加者に共通する点は「えり好みしすぎてさわやかに婚期を逃した」。これで決まりだな。

ゲイツもベッカムも山中教授もネイビーシールズの隊員もいなかった今日のパーティー。本来の目的はぜんぜん果たせなかったけれど、たまには知らない人と話をして脳に刺激を与えるという、ボケ防止の観点においては行って良かったなあ……と、人格改造キャンプにおけるポジティブシンキング訓練ばりの努力をもって、そう自分に言い聞かせている。

あ、でもちょっといいこともあったんだよ。
隣の席に座った宝塚っぽいすらっと背の高い理知的な美人さん(4才年下)が私のこと、「パッと見とは違って気さくだし話は面白いし、すごくいい人だと思います」って言ってくれたんだぜ。
また、「こういうパーティーではいつも、男性より女性の方とばかり仲良くなっちゃうんですよー」と答えると、「同性の見る目の方が確かだから、女性に好かれる人の方がいいですよ」とも。

結婚紹介所の見合いパーティーで女受けが良くてもなぁって感じだが、やっぱり人に誉められるって嬉しいもの。近頃自分にぜんぜん自信が持てなかったんだけど、ちょっぴり前向きな気持になれた。ありがとう名も知らぬ貴女。

この勢いに乗じて、週末にあるビアンバー主催の出会いパーチーにも参加していたら、単純明快な私をあざ笑っていただきたい。

パーティー会場近くのラブホテル「パピー」(子犬)

入り口ドア上方にはパピーが並んでる。

これからみだらなことをしに入る建物に、こんな清らかな目をした像があったら、急に恥ずかしくなった客がドアの前できびすを返しそう。
だからディプレイ的にはこのパピー、いかがなものかとオバちゃん思うの。

道頓堀ホテルの入り口にこんな気の狂った柱が並んでいた。

コーカソイド、モンゴロイド、ネグロイド、オーストラロイドの四大人種?と思ったけど、ちょっと違うみたい。幼児が発達の過程で描く「頭足人」だろうか?
いずれにせよ邪悪なオーラを放ちまくっている。ホテルオーナーは一体何を考えているのやら。
こいつらが走って追いかけてきたら、ビルの10階からでも迷わず地上にダイブしそうだ。

こいつはあかん。あかんすぎる。

2013年11月3日(日)

このところ週末はずっとマヤと過ごしていたのだが、実家にヘボピーのお友達が遊びに来るというので、自宅で過ごす三連休。
ならばご無沙汰している友人に会うかねと、昨夜は十三に飲みに出て、カラオケでシャンソンとか中島みゆきを熱唱して終電ギリギリで帰ってきた。河馬みたいに飲んだものだから、酔っぱらって車内で爆睡。終着駅で駅員さんに肩を叩かれなかったら、真っ暗な車庫で目覚めるとこだったわ。

そういうわけでけっこうな二日酔い。夕方からお見合いパーチーがあるというのに水を吸った綿みたいに体が重い。元々あまり気乗りしないけど、お義理で申し込んだパーティーだから余計に気が重いんだ。
まあ4千円無駄にするわけにはいかないから行くけどね。化粧してスカした格好して、知らない人と話するのが、もー苦痛でたまらん。ぁT=Uм○ぅмаU〃τ〃UレニT=レヽ……。

……とギャル文字変換している場合じゃねえ。胃薬を飲んで顔を洗って気合いを入れなきゃ!

それにしても、独りでいることに耐えられるまでには、心の傷は回復してないんだとつくづく思う。ここであまり辛気くさいことを書きたくないけれど、正直なとこ、昨日も一昨日もマヤに会ってないせいか、またしてもうつがぶり返してもうアカン感じ。

昨夜は3時にパチッと目が醒めた。同時に、急降下するハゲタカみたいに私を襲ったのは「自分が父を殺したようなものだ」という思い。それからというもの、父母に対するあらゆる後悔が押し寄せてきて、辛くて辛くて眠れなくなって、仕方がないから起きてきた。

まあ今日は10時半までグースカ寝てたから、不眠症の心配することはなさそうだが、起きている間中ずっと喪失感がチクチクと心を苛み、そこへ自業自得の二日酔いがコンボ攻撃を食らわせてくるの、けっこう辛い。

最近ふっと思うことがある。自分がどんどん軽く薄くなって、そのうち小さな粒子と化して、風に吹かれて消えてしまえたらいいのになぁ、と。
そういえば似たような事を、7歳年上の会社の先輩──私と同じく独身子なし独り暮らし、両親にも先立たれた女性も言っていた。誰だったか、神経を患った詩人も似たような詩を書いていた気もする。

作家の柳田国男氏の自死した息子さんは、ガルシア・マルケスの小説『100年の孤独』の中で、小町娘のレメディオスが紙のように軽くなって、ひらひらと風に乗り昇天するシーンをいたく愛していたとも聞く。
「風になりたい」というのは、生きることに疲れてきた人々が共通して抱くイメージなんだろうか。

……いかんいかん。うつになってる場合じゃない。バッチリメイクしてお出かけする時間だわ。
パーチーでビル・ゲイツの財力とベッカムの容姿と、ネイビーシールズ隊員の生存能力と山中教授(iPS細胞の創造者)の頭脳を持ち合わせた紳士を発見したら、人食いワニ並にガッチリ食いつかなきゃ!