2013年4月28日(日)

このところまた精神的な辛さがぶり返している。
少し前までは父母から引き継いだ命を、天に与えられた寿命が尽きるまできちんと生き尽くすことが、今できる唯一のことだと考えて、少しづつ前向きになれていたのだが……。今は3日に一度のペースで身を引き裂かれるような後悔の念に襲われるのだ。

ジガー・クーン、心が血を流している。アフガニスタンでは心の痛みをそう表現するらしい。
夜明け前、父に冷たく当たったことや、やらなくちゃと思ってやらなかったことの記憶が津波のように押し寄せてくる。そして呼吸困難になってベッドの上で悶絶するたびこの言葉を思い出す。


父が去って丸8ヶ月が過ぎた。
8月31日から経過した日にちを指折り数えながら、もう8ヶ月なのだから立ち直るべきだと叱咤する声と、まだ8ヶ月だから苦しくて当然だよと哀れむ声を聞いている。そして「もう一度だけでいいからお父さんと話したいなあ!」という思いがぐるぐるして泣きそうになる。

父は享年86。男性の平均寿命より長生きしたし、就寝中に痰がのどに詰まってから心臓停止まで、たったの2分で終わってしまった。痛みや絶望に苦しみ悶えて逝くことに比べれば、楽な最期だったと言えるだろう。

同時に、アフガン人の言う「ジガー・クーン」とは、もっと理不尽な方法で愛する者を奪われた人のためにある言葉だとも思う。天寿を全うしたと言ってもいい年の親を亡くした自分に、ふさわしくはないと。
だが、そう頭では分かっていても、痛みはちっとも消えてくれない。

それは父が急逝するまでに、私はなすべきことをたくさん見出していたからだろう。そのたったひとつでもいい、きちんと対応していれば、ここまで後悔していなかったはずだ。
もうすぐ退院できますよと言われていた父は、あの時自分がこうしていれば、突然死なずに済んだかもしれないと振り返る場面が多すぎるせいで、これほど「たられば」に苦しめられているのだ。


父は自分がそう長くないことを悟っていたようだ。お中元を送られた叔母に「こんな気を遣わなくてもいいのに」と言われて、「いや、俺も来年はどうか分からんしな」と答えていた。

年金を管理していた私が「はい、今月分」といつもの額を手渡すと、「金のことはそんな心配せんでええで、俺、ようさん持っとうし」と言った。そんな言葉は初めてだったからちょっと胸にひっかかった。
それに、私は小学生の頃以降、一度も会っていない親戚に、一緒に会いに行こうとしつこく誘われた。

そういう小さなできごとが積み重なって、私も2,3年以内にはお別れがやってきそうだとうすうす感じていた。
だが、それならばいつもの私なら、ベストを尽くしてその日に備えただろう。そうすべきだと分かっていたし。

だというのに何もしなかった。それどころか亡くなる前日でさえ、「マヤを預かるから見舞いは任せたい」と妹に父のことを押しつけようかな、と考えていたことをはっきり覚えている。
これは何でも自分できちんと対処しないと気が済まない私にはありうべからざることなのだ。とにかく病院に行くのがなんとなく嫌だった。
今振り返ると、死に神におびえていたのか?とぼんやり考える。もしくは無意識下で「運命にあらがっても仕方がない」と感じていたのだろうか。


申し訳ないが、これから私が今なお、どうしても咀嚼できない主な後悔を、ざっと書かせて頂きたい。

書くことによって自分の気が済むかもしれないというだけで、聞かされる方はたまったもんじゃなかろうが、お暇な方だけバーで年寄りの繰り言を聞く感じで読んでいただければ幸いだ。
以前からこの日記を読んでくださっている方なら、ああ、そういえばそんなことがあったわね、とぼんやり思い出されるかもしれない。


<7月下旬> 
以前は高速バスとタクシーを使い、週に一度母のホームに見舞いに行っていた父だが、年が明けてからこちら、急激に体力が低下したため、私が友人(ジョジョラーH氏)の車に一緒に乗せてもらっていた。

でも、いつもならヨロヨロしながらも見舞いを楽しみにしていたというのに、この時はじめて「俺、しんどいから行かんわ」と言った。せっかく車を仕立てたのに、と腹が立った。
この時無理にでも連れて行っていれば、最後にもう一度母に会わせてやれただろう。

この、車に乗せてくれる友人とも「俺、あの人と一回ごはん食べたいねん」と言っていたのに、変人の父が会食中に突拍子もないことを言うのが怖くて、「忙しい人だから無理」と冷たく拒否し続けた。

友人と一緒に母の見舞いに島を訪れるたび、父が喜びそうな料理屋の看板を目にしては「どうしてあんな簡単な望みを叶えてやらなかったんだろう」と胸が引き裂かれる思いだ。


<8月7日> 
私がコンビニのたった2段ぽっちの階段で転んで捻挫した。足が腫れ上がって歩けない。盆には母を一時帰宅させるのに、これでは介護もままならない。

一時帰宅は9月に延期しようか?迷いに迷った。
しかし母はいつどうなるか分からない。9月になるともう帰宅は無理かもしれない。事態が変わってしまうことが怖くて、整骨院に通いながら無理を押して帰宅決行した。

この時、自然のなりゆきに任せて一時帰宅を延期していれば、父をちゃんとした病院に入院させてやれたのに、どうして自分はあんなにあせったのか。

(でも、この時捻挫したおかげで散歩ができなくなり、盆明けまで預かる予定だったマヤを数日間実家に帰らせることができたのがせめてもの救いだ。そうでなければ、父は大好きなマヤと会わないままに逝き、さらに後悔しているだろう)


<8月11日> 
母をホームに迎えに行った日。いつものように、途中で父を拾って私の家でマヤも一緒にみんなで過ごす予定だった。
だが、父は来なかった。母を乗せた車を家の前で待たせて迎えに行くと、午前中にいつもの病院に行ったままの格好で、布団の上にうずくまっていた。

「お父さん、迎えに来たよ」と声をかけると、「俺、しんどいからやめとくわ」。そして、いつものちょっとくせのある表現で「(自分の)エサ、あるんか?」と言った。
せっかく準備して迎えに来たのに!とムカッとして、「じゃあ来なくてもいいよ。ごはんなんか買ってないよ。適当に食べてよ」と言い捨てて実家をあとにした。

けれどもよほどしんどかったんだろう、翌日、父は自分で救急車を呼んで入院した。それも建物全体からなんともいえず嫌な雰囲気が漂っていて、一番入れたくなかった病院に!

周辺では救急患者はここしか受け入れてくれないから仕方なかったとはいえ、あの病院に入らなければ、父はもう少し生きられただろう。
ナースコールをいくら押してもナースが来ないとぼやいていたから、市民病院なら痰が詰まってそのまま……なんて最後ではなかったのではと思うと悔しい。


父は7月頃から検査入院したいと言っていた。でも、実家の周辺にはいい病院がないので、私の居住地のそばにある市民病院に、紹介状を書いてもらう手配する予定だったのだ。
「お母さんの一時帰宅が終わったらちゃんとするから」と言うと納得していた父。

母をうちに運ぶ途中、父を迎えに行った時、「俺、しんどいからやめとくわ」と言われても、車に乗る時間30分ほど辛抱させて一緒に連れてきていれば、具合が悪くなったとしてもうちから救急車を呼び、市民病院に入れただろう。
もしあの時一緒に車に乗せていれば、と後悔がやまない。

タオルや保険証やお金など、必要なものをぜんぶ自分できちんと詰め込んで、それを持って入院したバッグは、今もまだそのまま父の部屋にある。目にすると辛いが片づける勇気もない。

<8月16日> 
母はホームに帰り、入院後はじめて父の見舞いに行った。

病室はナースステーションに一番近い個室。
かつて母が十二指腸潰瘍で緊急入院した夜、虎や白い人たちがどんどん入ってくる、怖い、怖いと言われてゾッとした部屋だったと気付いた時、なにか嫌な感じがした。
「考えすぎだよ、お母さんは麻酔薬のせいで幻覚を見たんだろう」と妹は言うが、直感には素直に従うべきだった。

その後も、父はこの個室に入ったままで最後を迎えた。
個室だと特別料金がかかるのでは?と妹に問い合わせさせたところ(医師への病状の質問はおろか、こんなささいなことですら私は妹に押しつけた。いつもの自分なら考えれないことだ)別料金はいらないと聞いてますます不安になった。
でも、相部屋だと見舞いも気を遣うかな、と自分に言い聞かせてそのままにした。


<入院から9月28日まで> 
父は私が見舞いに行くと必ず「眠っている間にいつの間にか病院の外に出ており、居酒屋に行ったり歩いていたりするのだが、きまって帰り道が分からなくなる」と言った。
一度などは私の顔を見て開口一番、「この病院おかしいわ。帰ろうとして看護士に病院の名前を聞いたら、みんな『知らない』と言うねん」と。

これはよくないなぁ、と思った。幽体離脱してるのではと。
「お父さん、もし外に行っても何があっても帰ってこなくちゃダメだよ!でなきゃそのまま死んじゃうよ!」と強く言いながら、気休めでも魔よけのお札を調達しなくてはと思った。でもやらなかった。

自分がいつも身につけている勾玉を首にかけてやろうとしたが、それも思いとどまった。介護の人が体をふく時にそれを見て、変な風に思われるのが嫌だったのだ。

父の死後、妹に「お父さん、しょっちゅう外に出る夢を見たと言ってた時には、魂が半分抜けかけてたのかなあ」と言ったところ、毎日見舞いに言っていた妹には、そういった話は一切なかったという。
それを聞いたとき、自分がすべきことをしなかったのだと知って愕然とした。


<8月28日> 
最後に父に会った日。

これまで病院の人に任せきりにしていたのだが、入院後はじめて濡れタオルで顔をふいてやり、足をマッサージした。
「チョコレートが食べたい」と言うから病院の売店に行ったものの、閉まっていたから少し離れた店まで買いに出ようかとちょっと迷ったけれど、面倒に思って明日、妹に持ってこさせることにした。

マッサージした足は小枝みたいに細くなっていて、これじゃ歩くのも辛かっただろうとしみじみ可哀想になった。退院後は車椅子になるかもしれないけど、ちゃんと介護してやろうと思った。

「じゃあ帰るよ」と言うと、「ありがと」と答えた。けれど、エレベーターの前まで行って、ひどく後ろ髪を引かれたからもう一度病室に戻り、「しっかりしなきゃだめだよ!」と大きな声で声をかけたら、無言のままで片手を上げて挨拶した。

私が見た最後の父の姿だ。一生忘れない。

<8月29日> 
40年近く父の顔をまともに見ていない末の妹の誕生日祝いで食事に行き、その後友人と飲んだ。
父はリハビリを経て近々退院する予定だったから、この二日後に別れが訪れるなんて、夢にも思っていなかった。

<8月30日> 
夜明けに目が覚めて、父母とマヤを失うというものすごい恐怖心に突然襲われ、呼吸が出来なくなった。
これまでに感じたことのない不安。恐怖のあまり妹に「マヤを失うのがすごく怖い」とメールした。(父母のことまで書くと「また言っても仕方のないことを」と思われそうだったから)

これはひとまず神社にお参りに行って、嫌なものを払ってもらわなきゃと漠然と感じた。でも出勤前のバタバタで行けなかった。
なら昼休みに行こうと思った。でもなんとなく行かなかった。


この日はパキスタンビジネスセミナーで午後から有給を取っていた。でも、参加を迷っていたから30回くらい見直したのに、なぜか案内状を見間違えていた。
会場は地元のホテルだと思いこんでいたから自転車にまたがって、もう一度案内状を見たら、大阪だった。開始時刻にはとうてい間に合わないから諦めて、すっぽり開いたスケジュールを埋めるため、どうしようかと思案した。結局、ジムと整骨院に行った。

父の見舞いに行こうかな、という思いもちらっと頭をよぎったけれど、翌日は退院後の介護計画の見直しで、嫌でも行かなきゃならないから今日はもういいやと考えたのだ。

似ても似つかないホテルの名前なのに、なぜあんなありえない勘違いをしたのか分からない。あの時たっぷり空いた時間を使って見舞いに行っていれば、最後にもう一度会えたのに!と悔しくてたまらない。
あれは神さまがくれた最後のチャンスだったのかもしれない。だが、私はそれを無視した。

その夜。8月30日の日記を見ていただければお分かりの通り。

夜中にここを更新中に、エアコンのリモコン表示がぐんぐん上がり、34度だかの見たことのない数字まで上昇。パソコンもフリーズ。「鬼が寄ってきた」なんて書いちゃダメなんだなあと思いながら、背後になにかいるようで、背筋がゾクゾクしたので早々に寝た。
そしてその数時間後、朝4時過ぎに、病院からの電話に起こされて、あとはこれまでに書いたとおりだ。


もう済んでしまったことをいつまでも後悔していてお恥ずかしい。だが、自分がものすごく後悔するたちだから、後悔を少しでも減らすように行動しているのに、どうしてあの時に限って?!というどうしようもない思いをご推察いただければ嬉しく思う。

そんな中、たった一つの心の救いは、「寝ている間に外へ行っていること」を父から一度も告げられなかった妹が、父が死ぬ前日に見舞いに行ったところ、「あー!極楽に行く夢見とったわ!」と言われたらしいこと。

極楽や死後の世界については半信半疑ながら、父は祖父や祖母や妹、そして父のニヒリズムの根っこにあった、若くして亡くなった弟と会えたのかもなあ、と思うと、「極楽を見た」という言葉は、私の心の小さな支えになっている。

2013年4月26日(木)

先週末、ツイッターで流れてきたこんなニュース。

サウジアラビアは「あまりにもハンサムすぎる」という理由で、三人の男性を国外へ強制退去させたとテレビEmirates247/7 が伝えた。

国外退去処分を受けたのは、アラブ首長国連邦(UAE)の男性三人。彼らは、サウジアラビアの首都リヤドで開かれていた民族文化イベントに、UAEの代表団として参加していた。
サウジアラビアのムタワ(宗教警察)が、UAEのブースを襲撃、イベントに訪れた女性たちが男性たちに「恋をする」可能性があることから、男性三人を拘束。三人は国外退去させられた。

ムタワはサウジアラビアの宗教警察。アルコール飲料の摂取や売春などを取り締まるために、街や公共施設などを巡回している。職員はおよそ3500人。

で、該当の「ハンサムすぎる3人」の写真も貼付されていたのでごらんください。→→→

2013年4月24日(水)

へそ天でフリーズ中の豚っこ大将。まんなかの丸いものはキ○タマじゃないです、尻尾です。

朝起きて隣の部屋に行くと、ひとりでよくこのポーズを取っている。楽しいのだろうか?……きっと楽しいのだろう。

そこで「うわーっ!また面白いポーズしてるよぉ!」とはやしてやると、嬉しくなってフリーズ解除。「そうでしょう?ぼく、面白いでしょう?」とばかりに尻尾がゼロ戦のプロペラみたいにバババババ……と動き出すのだ。


おはようございます。昨夜は11時から5時半までノンストップで眠れたよ。以前は夜中に悪夢に目覚めると、無理矢理寝ようとしてベッドで七転八倒してたけど、今は「目が覚めて眠れないなら、3時だろうと4時だろうとそのまま起きる」方式を取っている。

すると、早く起きればその分夜は早く眠くなり、同時に悪夢率も低くなることを発見。眠れなくて悶絶していた頃が嘘みたいだ。健康に支障が出ない最低限の睡眠は自然に取れる、人間の体ってうまくできてるもんですな。

さて、目覚めて一番にすることは、枕元に置いた携帯に手を伸ばし、NYダウと為替のチェック。心がすさむ朝の始まりだ。

先々週は目覚めていきなり急激な円高進行にギャーッ!と悲鳴を上げながら、NY市場が閉まるまであと2分!はよせな!と震える指でガラケーのボタンを押して、ドル買いしてたら地震がグラッ!

タイミングよすぎるダブルショックに「なんじゃこりゃー!」と叫んだものだが、昨夜2時過ぎにも世界のあちこちで「なんじゃこりゃー!」の叫びが上がったとみえる。チャートを見たら、たった三分の間に急激に円高→すぐまた戻すって一体なんだこれ?

びっくらこいて原因を調べたところ、「AP通信がハッカー攻撃で『ホワイトハウスが攻撃されてオバマ負傷』の偽ツイートを流したため」って……おいおい。

おおこわいこわい。こんな馬鹿げたトラブルで一体どれほどの投資家が損失を食らわされたたことだろう。私はFXのポジションは持ってなかったから別にいいんだけどさ、コツコツかせいで投資した虎の子を、あっという間に失った若人も多いと思うと胸が痛む。
AP通信のツイッターアカウントはきっちり凍結されていたけど、私が被害者なら復讐心に燃えてサイバー攻撃をしかけるところだね!いや、htmlのことすらよく分かってないが。

さて、今日の日本株式市場も上昇は確約されている。空売り(株価が下がるとハッピーな方法)している私にとっては、胃がしくしくする展開である。
頼みの綱は昨夜の夜間市場で買いで入ったガンホーちゃんのみ。パズドラの課金のえぐさはいかがなものかと思いつつ、私が株主でいる間はもう一働きして頂きたい。

アベノミクス(この言葉アホみたいであんま好きじゃないけど)の波に乗り遅れること数ヶ月。正月にひいたおみくじで告げられた「投資:よい」との言葉を心の支えに、この二ヶ月間こつこつ売ったり買ったりした結果、ようやく去年の損失(500万)を取り戻して、あまつさえプラス転換でほっと一息。

年収300万台のリーマンが500万も負けるなよって話だが、これも山師だった祖父(イギリスから技師まで招いて銀山掘ってたらしい……)の血筋だからしょーがないと開き直った。
これからも「欲張らない」の一言を心に刻みつつ、目の前の悲しみから気をそらすため、切ったはったに邁進します。

2013年4月23日(火)

また悲しい夢で目が覚めた。
母と二人で散歩していると、道の向こうから小学生の兄弟が歩いてくる。どうやら二人は母と顔見知りらしくて、すれ違うときに「こんにちは!」と元気にあいさつ。ちょっと首をひねって私を見た弟が「……ともだち?」と問うてきた。

「いや、ともだちじゃないよ。お母さんと娘だよ」と答えると、少年達は母と私を交互に見比べていたが、しっかり者らしい兄の方が「分かるわぁ!そっくりやもん!」と叫んでタタタと駆けて行き、その後ろ姿をなにかとても懐かしい気持で眺めているところで目が覚めた。

目覚めると同時に触れる現実の世界では、母は身動きひとつできないままに固く目を閉じて、一日一日最後に近づいている。
話しかけてももう何の反応も示さない。のどに痰がからんで看護士さんに何度吸引してもらっても、すぐまたたまるから一日中ガラガラとうがいをしているみたいな音を立てて、見ているとこっちの心臓まで縮みあがるほど苦しくなる。

大好きな母。今朝の夢で「わたしたち、仲良しだよねっ!」と言いながら手をつないで散歩していた、毎日が楽しくてたまらなくて、馬鹿話をして笑ってばかりだった頃の記憶がよみがえり、それと同時に今の変わり果てた姿も思い出して、胸が錐で穴を開けられるように痛んだ。
そしてまた強烈なうつの波に呑み込まれそうだったから、お父さん、助けて、お父さん、と呼びかけると、父の手が背中に触れた気がして気持が和らいだ。

大切なものを少しづつ失いながら生きていくって大変だ。毎日がしんどくてたまらない。何をしていようとも、心の奥底にはひんやりした悲しみが居座っているのが感じられる。
それでも人間、どんなに辛くてもそう易々とは人生におさらばできないものだ。それは毎日死にたいと思っていた昨年秋から冬にかけて痛感したこと。

今はこう考えている。せっか父母がバトンタッチしてくれた人生、文句言わずにしっかりやろうと。そして、先のことを憂いても時間と気力の無駄だから、目先にある問題だけに目を向けて、それらに粛々と対応していくのが最善の方法なんだと。

だから今はできる限り実家に帰り、寂しがりのマヤと一緒にいてやって、週に最低一回は母の見舞い(往復5時間かかるんでそうそう行けないのが辛い)。多少は投資の知識を持っているんだから、妹たちの将来の不安を少しでも和らげてやるために、お金は寝かせずビシビシ鞭を入れて働かせている。

まあ、年を取ってくると色々あって当たり前だよね。父にあれもしてやらなかった、これもしてやらなかったという後悔が少し薄れてきた今、人生って自分を許すことで成り立ってるんだなーとしみじみ思いながら、今日もいろいろとがんばってきます。

19日に米国株式市場で2年8ヶ月ぶりの株価暴落のテクニカル的サイン、「ヒンデンブルグ・オーメン」が点灯したそうだし、日本でもあっちでもこっちでも揺れてるので、視線は下に向けて下落に備えながら、欲張らずにコツコツやらせてもらいますわ。

2013年4月19日(金)

トレーニングをこよなく愛するものが集います。Gジムの「バーベルクラブ」のみなさん。チャンスさえあればすぐにでも上着を脱ぎ捨てようと、うずうずしている人たちの集いです。とっても楽しそうですね!


もう4月も終わりか……。のんきにB級映画なんか見てないで、ぼちぼちGWにかますインド旅行の準備をしなくては。

それにしても昨夜見たB級映画『デス・レース2 インフェルノ』のダメっぷりときたら!可愛いダメじゃなくてうんざりさせるダメ。サブタイトルに「インフェルノ(地獄)」なんてこけおどしが入るところからして、失敗作の臭いがプンプンだ。

これまでの経験からして、副題つきの映画ははずす確率が高いと思ってる。面白いなら素直に『デス・レース3』で来いよ……。そもそも殺人レースに駆り出された囚人が、極悪武装車でお互いをぶっ殺し合う設定なんだから、誰がどう見たってインフェルノだろ。

それでも1作目がかなり好きで2作目も見た以上、3作目も借りざるを得ない。
いつもならどんなに見たい映画でも、ビデオ屋の新作は準新作になるまで指をくわえてじっと待つのに(『アイアン・スカイ』すらまだ見てないよ)500円も出して借りたあたり、管理人の秘かな期待っぷりがご推察いただけるだろう。

だというのに、このヒドさ……。
一作目は気の弱い人なら開始30分で脱落しそうな残酷シーンてんこもりながら、個々のキャラが立っており、ひいきのキャラに「がんばれー!」と声援を送ったり、一人また一人とレーサーが死んでゆく場面では胸を痛めたりと、感情移入して楽しめた。
なかでも、助手席に乗せるきまりのナビゲーターの青年が死んでしまった時に、冷酷なゲイの囚人がほんのわずかに顔をゆがめて辛そうにするシーンは、腐女子的にも忘れがたい。

だが、デス・レース3(地獄)、お前は許せない!人物が全く描けていなくて、ただ残酷なばかり。レースシーンや乱闘シーンは細切れショットの張り合わせで、見にくいわ迫力ないわで、「安く済ませてるなあ」と思わせるばかり。

一時間ちょっと過ぎたあたりで、ついに耐えかねて視聴中止。500円も出して期待満点で借りた新作で、こんなにがっかりしたのはエヴァ・破以来ひさびさだ。

それでも前作の登場人物を引き継いでるせいで、一作目の「辛そうなゲイ」を見直したくなってきた。週末はお上品な人が眉をひそめる映画を見て、たまったうっぷんを晴らそうかな。

それと一緒に、シリーズ三作のベースになった『デス・レース2000』も見たいんだけどさ、「改造車で走行中に人をひき殺すとポイント加算」「老人子供身障者をひくとさらにポイントアップ」なんて、良識ある人がブクブク泡吹いて倒れそうな設定のせいか、DVDはレンタルに出てないよのねー。
それでも局地的には絶大な人気を誇り、なかば伝説と化している2000年版。若い頃のスタローンも登場しているそうなので、ヤフオクで大枚はたいて購入しようかと、相変わらず迷いの多い日常である。

2013年4月17日(水)

あなた、いったい誰?……♪ハナテン中古車センッタ〜♪と言っても関西在住の方でないとワケ分かりませんねすいません。この方はミシェル・ストークス氏。4月11日の日記で紹介したゴージャスにもほどがある裸男写真集"MASCULINITY"のフォトグラファーである!

BRUNO GMUNDER社の裸男本の奥付には著者近影がのっかってるのが常で、どの人も一番カッチョいい自分写真を選んでるんだろうな、さすが美意識&自意識の高いゲイフォトグラファーだけある!って感じなのだが、ここまでのナルシストは初めて見た。

なんでもストークス氏、競泳をたしなむらしい。だからこの肉体美なんだね!……はいいけど、やっぱ色々クドすぎると思うの、オバちゃんは。

そう言いつつもこのクドさには、どこかしら自分を見るようで共感を覚える。"MASCULINITY" は彼の初ソロ作品集とのことだが、ストークス氏にはちょっくら引き算を覚えて頂いた上で、ぜひとも次回作をひっさげて再登場して頂きたい。そしたら買うぞ、たとえ一冊一万円でも!


ツイッターで回ってきたある言葉。この10年間で一番の名言だと思う。それはあるBL漫画家さんが作品を作る上での、攻受の決め方。

「脳内で本気の殴り合いをさせて勝った方が受け」

わ か り ま す。

……とかすむ目でモニタを見ながらどうでもいいことばかり書き殴ってるうちに、あら8時?!あと3日間働かなきゃならない社畜は、着替えてドナドナしてきます。

いや、昨夜父に夢枕に立たれたのをきっかけに(03:30AM。無慈悲!)、またしても春の鬱まつりに突入しそうだったからそのまま起床。 気分転換に「昼2時から朝10時まで」と気合いの入った営業時間の銭湯に行って来たんだけどさ、元を取ろうとぬくもりすぎて微妙に湯あたり。
こんな生活しているといつか体をおかしくしそうだが、今夜は実家に帰る日なので、マヤちゃんをもふってライフポイント回復してきます。

2013年4月16日(火)

また悪夢で目が覚めた……。
あわじぼくじょうでマヤちゃんを抱っこして「ほーら、おんまさんだよ〜」とポニーを見せていると、突然ポニーがマヤの頭に食いついたのだ!

顔面蒼白で引っぱっても馬は頑として口を開けようとはしない。あわてて飼育員を呼びに走る妹。でももう遅い。頭丸ごとこんなにぱっくり食いつかれたら、犬は確実に死んでいる。馬が口を離したら、そこにはどんなに可哀想なありさまになった犬がいるんだろう。
見るのが怖い。この世で一番大事なものをこんな形で失うとは!

震えるほどの絶望で目が覚めた。夢でよかった……。

もう頼むわ〜夢くらい楽しいやつを見せてくれ!と暗い部屋で毒づいたが、誰もいない部屋での独り言もばかばかしく思えたので心を静め、携帯を取り出して為替を見れば、えぇえーっ?ドル円97.20円?ちょっと前まで98円台だったのに、えらい円高だ!FXのポジション持ってたっけ?
あ、そういや寝る前に2枚だけショート(円買いドル売り)したんだわ。よかったぁ……。(ショートとは円高になるとうれしいポジションです)

いつもなら10枚単位で注文するのに、こんな時に限ってケチっちゃうんだよなーとぼやきつつ、ひとまず1万円の利益を確保。
そいでもってこの急激な円高進行なら、ここから多少切り返すだろうと返す刀でドル円ロングで30枚入ったら、その1分後におおおお神よ!ボストンマラソン爆発事件のニュースが来ちゃうとは!
リスク回避の円買いで、あれよあれよという間に96円台前半、たった5分間でマイナス30万ってアンタ……。

みなさん、こんな風にFXって、たった数分であっという間に儲けたり損したりする、リアルカイジな世界なのです。
近頃新たなカモを発掘しようとFX会社が甘い誘いをかけてますが、バクチと割り切りゼニを捨ててもいい覚悟のない人は、FXと商品先物だけには手を出しちゃダメ!絶対!……と言ってる間にあらら、プラス転換。
終わりよければ全てよしとは言え、神経に障るわぁ、と言いながら数万円プラスで静かにポジション精を閉じるのであった。

はぁ〜、疲れた。でもこの円高ショックで悪夢のストレスが吹き飛んだ。SF映画や格闘ゲームでよくあるよね、衝撃波に衝撃波をぶつけて無効化するってやつ。イメージ的にはまさにあれ。

家族の問題という消しようのないストレスに投資ストレスをぶつけると、哀しみを一時的に忘れられることを発見したので、今日もマネーゲームで心臓、鍛えさせていただきます。

2013年4月11日(木)

おはようございます。今日こそここをちゃんといじろうと思っていたのですが、昨夜、会社の後輩に相談事をもちかけられて飲み屋に行ったらあっという間に5時間経過。二日酔いで寝坊したから軽い更新にとどめときます。

いやはや、それにしても世の中には苦労している人がぞろぞろいるもんですなぁ!
その後輩、離れて住んでいるお父様が若年性アルツハイマーで、ぼちぼち失禁が多くなりつつある病状。それでもリーマン時代はそこそこの地位を得ていたせいかプライドばかりがやけに高く、自分がまだ何でもできると言い張って譲ろうとしない。

唯一頼れる家族であるべきお兄さんは心の病で、家族に何が起きようとも自分のことしか考えない。おまけに小学生の子供がいるもので、介護と育児の両立が大変……と環境は以前の我が家に近くて同情もひとしお。

それでもうちの母は聞き分けがよかったし、心の病を持っているのは気が弱い末の妹。自分はなにもしないくせして、しゃしゃり出てくるなんてことはない。子供も一人もいないから、育児の手間もかからないという点では、自宅介護者として、彼女よりははるかに楽だったかもしれません。

それに加えてその後輩、会社でお局さまから異次元の嫌がらせを受けてると知ってびっくり!彼女がなにをしたわけでもないのに、「新しい人が入ったせいで、自分が辞めさせられるかもしれない」という妄想に取り付かれたお局は、私の想像の斜め上を行く被害妄想っぷり。

「私はあなたのことがキライ。すべてが許せない」ことを表現するために、自分とその人のデスクの境目にお札を貼り、除菌剤を置くって、50代にもなってそんな小学生もやらないようないびり、やらんでしょ?普通。

うーむ、自分も苦労は比較的多い方だと思っていたけど、上には上がいるもんですわ。己の甘さを知った今、お局x後輩間の人間関係の改善のために、トラブル無縁の第三者として、なんらかのアクションを起こすべきかもなー、とかいろいろ思っちょります。

←図書館で見つけたたまらない本。これを手に取る人はかなり追いつめられていそうだ。読んでみたいと思ったけれど、次の貸し出し予約が入ってたからひとまず写真だけ。


異次元緩和(普通にニュースでも使われるようになったが、すごい言葉だ)のお陰で株で小銭をもうけた管理人。ゲットしたゼニでまっさきに買った"MASCULINITY"が到着した。
うちのサイトの特性からして見たい人も多いと思われるので、出版社さんごめんなさいと謝りつつ、中身をちょっと紹介するよ。

表紙は大天使なのに中身はあられもなさすぎて、正直げっそりした"LUMINOSITY"(4月9日の写真参照)の二の舞を恐れつつ、表紙のスイムキャップに欲望をおさえきれなかったこの本。アタリかハズレかどっちやねん?と問われると、ハズレじゃないけど1万円出すほどではなかったと答えたい。

いや、モデルにはそこそこタイプの子もいるし、テーマ性も好みに合ってるんだけどさ、私はもうちょっと、こう……自然な撮り方が好きなのよねー。
なんつーかもう、ただでさえクドいボディーの持ち主たちに、タトゥーを貼ったり妄想ベクトルが四次元を向いてるコスプレをさせたり、と足し算がすぎてなんやもー、ワケわからん方向にロケット噴射している作品集だ。どいつもこいつもテカテカしており、これ、ぜったい腹筋にフォトショで影付けてるよね、と思う写真も少なくない。

まあ、いろいろ言いたいこともあるけど、1万円も出したからには好きになるしかない。そう思って眺めていると、あれれ?この本も、この本を好きな自分も、たまらないほど好きになってきたぞ!

先日紹介済みの裏表紙の子ですね。やっぱいい!これから君のこと、クーパーって呼ぶよ。

テーマは「野球選手」なのだろうが、衣装のせいでこれから殴り込みに行くチーマーになってしまっている。もしくは♪俺たちゃアパッチ野球軍〜♪

こちらは自動車修理工。この手の写真が好きな人々(含む私)の好きなものよくご存じで。

これが……ポリス……だと?!

素直にいいやん。この「軍人シリーズ」が何枚かあったお陰で、一万円でもなんとか自分をなぐさめられた。

戦場で心が傷つきすぎたのだろう。ここにアップする写真では切り取ったけど、股間はブルンブルン。パンツくらいはいとけ。

ちがう!これ軍人ちゃう!!

最高にツボな一枚。作者のミシェル・ストークス氏とは気が合いそうだ。

2013年4月9日(火)

おはようございます。今日も哀しみに目覚め、4時からそのまま起きてるミキでございます。

あーあ、人生って辛いことばかり。なにかいいことないもんかねぇ……なーんてウジウジしてるとバチがあたるかもしれない。というのは金曜日に黒田日銀総裁様がブチかましてくれた黒田バズーカのお陰で、月曜日の株式&為替市場が「なんじゃこりゃー!!」と叫ぶほどの、異次元の上げっぷりを見せてくれたからである。

私はバブル崩壊直後あたりからちまちま株をいじってるけど、月曜日みたいな狂った相場は初めてな気がする。とりあえず赤字垂れ流し会社だろうがなんだろうが、不動産と金融株を市場が開くと同時に買っておけば、どんな初心者でも95%の確率で勝てただろう。

それは月曜日の市場が開く前から確約されたことだったから、ヘボピーにも月曜朝に、「増やしてやるからゼニもってこーい!」と声掛け運動。自分はこれまで手がけたことのなかった未知のジャンル──不動産セクターに突入!
「定期預金にしたばかりで解約するのがめんどくさい」と欲のないヘボピーの分は取ってやれなかったのは残念だけど、たった一日で「これまで欲しかったけど、高くて買えなかったもの」を迷いなく注文できる程度の釣果は得ることができた。

まあ、こうやっていくらお金をかせいでも、 頭の片隅には病床で苦しむ母の姿が常にあるせいか、心は空虚なんだけどね……自分を元気づけるために、これまで欲しかったけど、送料込みで一万円近くするから買えなかった裸男写真集"MASCULINITY"を注文!

表紙はむっちゃ好みなのだが、中身はどうなのだろう。表紙の天使っぷりとは裏腹に、ページをめくるとどいつもこいつもチ○コ、ビーン!でのけぞった"LUMINOSITY"の二の舞にならないことを切に祈る。

四十数年生きてきて、己のスイムキャップ萌えに初めて気付きました。

こういうボディーが好みなのぉ〜(=´ω`=)

表紙からは想像もつかないビーン!っぷりに愕然とした一冊。モロだしはあんまし好きじゃない。

2013年4月6日(土)

昨夜、携帯に母の特養からの着信履歴と音声メモが入ってたものだから、すわ!急激な病状の変化?これからタクシーでホームに突入せにゃならんのか?と心臓がひっくり返るほどびっくりして、震える指先で「再生」を押したらなんのことはない、介護計画の見直しの件。

ホッとしたのはいいけれど、父が急逝した朝に病院からかかってきた容態急変を告げる電話の記憶がよみがえったせいで、ほんの一瞬ですごいストレスがかかったみたい。本日は全身が筋肉痛。疲れた……マジで疲れた……。

強い恐怖を与えられ続けた人間の脳は小さく縮んでしまうものだと、女子高生ドラム缶殺人の凄惨な顛末を読んだ時に知った。
もちろん私はそこまではいかないけれど、「悲しいことが近いうちに起きる」というストレスを常に受けていると、脳味噌が無事で済むはずがないよねー。

今となってはあれほど嫌だった地獄のそり(MRI)に乗って良かったなぁと思う。独り暮らしで一番怖いのは脳梗塞で倒れることだけど、現時点で発症の可能性は低いと分かった安心は大きい。

父が逝って8ヶ月。まだまだ悪夢の中にいるようだ。
はたから見ると「ぜんぜん鬱には見えない」とのことで、よくがんばってる!と自分を褒め称えなきゃ気力がとぎれそう。
それでもいただいた命は終わるまできちんと使う、それが父母の願いに沿うことだと思って、出来る限りしゃんとしようとゼイゼイいいながら生きてます。

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