2013年1月31日(木)

お誕生日に折り紙で作った帽子をかぶせられたマヤ。これから何が始まるのか分からないから、緊張のあまり目がうつろ。写りがすごくおじいちゃん臭いよね……。


今週も週の半分以上は実家に滞在。自宅でやらなきゃならないことは全てほっぽりだしたまま……というのは先日10才の山を越えた愛犬が、可愛くて可愛くてモフりたくて、もー辛抱たまらんからだ。

このあふれる愛しさは、マヤちゃん10年間がんばって生きてくれてありがとう、という感謝の気持ちそして、どんなに長くてもあと5年ほどでお別れなんだね、という切なさからくるものだろう。

先代の愛犬イリは10才のバースデーを迎えるほんの2ヶ月前に、ガンで力尽きた。余命一ヶ月を宣告されていたのに、たったの一週間で逝ってしまった。

最後の最後まで自分でトイレに立って、眠っている家族みんなにちゃんと挨拶してから、私の腕の中で死んだイリ。あの早朝、固く抱きしめた最愛の犬が最後に大きな息をして、それがすーっと止まった瞬間のこと、ああ、いま魂が飛んでいったなあ、としみじみ思った時の光景は死ぬまで忘れないだろう。

その時の記憶、もっと長生きしてくれると思ったのに、どうして突然いなくなるんだよ!という悔しくてたまらない思い出があるせいで、イリが超えられなかった10才の山をようやく越えてくれた今の愛犬が、これまでに増して貴重で愛しく思えるのかもしれない。


あどけない子犬は可愛い。でも、長年一緒に過ごした老犬には、子犬とはまた違った可愛さがあると、ほぼ全ての愛犬家は言うだろう。本当にそうだ。

イリの死の三ヶ月後に我が家に来たマヤ。赤ちゃんのころから「霊能犬」と呼ばれるほど出来が良かったイリと比べると、なんていじきたない馬鹿な子犬なんだろう!と内心不満に思っていた。
しかし老犬になった今では、いじきたないこともすぐにキレることも、ぜんぶひっくるめて愛おしい。

ここまでマヤが生きてきた10年は、我々家族にとって大変な10年だった。

うちに来て半年後には、母がアルツハイマーだと診断されて苦闘がはじまった。その介護のさなかにも、ずっと私たちと共にいたマヤ。人間がイライラするものだから犬もヒステリーを起こして手当たり次第に噛みつくから、手放すことも考えた。

ヘボピーには口の横にマヤに噛まれた小さな傷があり、私の右腕には食いつかれて縫った痕が残っている。父に至ってはしょっちゅうマヤをキレさせては、いつ見ても手に包帯を巻いていた。

でも、どんなにひどく噛まれても父はマヤのことを溺愛していて、最後を迎えた病室でも、マヤのことばかり気にしていた。マヤは病院には入れなかったけれど、通夜の場にはこっそり入れることを許してもらって、父に最後の挨拶もした。

そういえばマヤのために家まで買おうとしたこともある。私のマンションはペット不可だからとペット可の物件を捜してきて、すでに呆けた母を伴い契約したものの、紆余曲折を経てマンションはキャンセル。千万越えの頭金をドブに捨てた、あれもマヤが絡んだ記憶の一つ。
(そんな大金を捨てるなんて今ではありえないが、転がり落ちるように病状が悪化する母を目の当たりにする辛さで、当時は私まで頭がおかしくなっていたらしい……。)

こうして振り返るとマヤの人生いや犬生は、ミキ家にとって激動のDECADE だった。その大半は悲しいできごとで埋められていると思いがちだけれど、幸せな記憶もたくさんある。そしてそれらは家族の一員であるマヤと、しっかり結びついている。

誰もいない部屋で静かにマヤをなでていると、父のことを思い出す。「癒しのマーヤくん」と呼びかけながら、鼻水をふいてやっていた姿。
そして今では、マヤを可笑しいくらいに可愛がっていた父の気持ちがなんとなく分かる。

妻を病魔に奪われて、愛犬と二人、誰もいない家で過ごしていた父の姿を思い描いては、お父さんには可哀想なことをした、どんなに寂しかっただろうと私の嘆きは尽きなかった。

けれど当の本人は、犬をなでながら静かに澄んだ気持ちで、間もなく終わる命とこれまでたどってきた道のりを、意外と楽しく眺めていたのかもしれないと、足元で小さないびきをかく犬を眺めながらふと思ったりもするのだ。

2013年1月30日(水)

1月25日はマヤの誕生日。ペットショップのガラスケースの中でふくれっつらをしていた売れ残りの子犬は、10才のおじいちゃんになった。

誕生日は姉妹三人が集まってお祝いした。♪ハッピーバースデーマヤ♪と歌ってやって、あこがれのビーフステーキ丸かぶりを許可!あっという間に平らげて、よほど美味しかったんだろう、いつまでもいつまでも皿をなめていた。

翌日のマヤは毛がつやつや、目元も若い頃みたいにキュッ!としていたからびっくりした。ステーキがこんなに効くのなら、これから毎週土曜日は牛肉デーにしてあげるよ。

←ろうそくは父の仏前から持ってきたろうそく、花はキク。実に抹香臭いバースデーだ。イギリスと日本の友好のあかしとして、ステーキに旗を立ててるのがせめてもの救い。(マヤは英国原産種です)


このところ主に実家(もう親はいないから正確にはヘボピー宅なんだが)から通勤しているのだが、あまり長いこと自宅をほったらかすわけにもいかないので、6日ぶりに自宅で寝た。

そうしたらてきめんに睡眠不足……。キツい。夜中に何度も目がさめては父の記憶がよみがえり、後悔を頭から振り払おうとしても振り払えない。

精神状態は去年よりははるかに良くなったとはいえ、やっぱり独りになるのはまだ早いみたい。ネット環境じゃないのが不便だけど、もっと落ち着くまで犬とのんびり過ごすことにします。実家ではクパハネの短編をしこしこ書いてるので、ウォートラナーの方は待っててちょ。

2013年1月25日(金)

☆☆☆マヤちゃんうちにかえる☆☆☆

2013年1月24日(木)

昨年8月31日に父を亡くしてから年明け直後までの丸四ヶ月間、生きることが苦しすぎて毎日この世から消えてしまいたいと思っていたけど、インドに行ってから気持ち的にかなり楽だ。

とはいっても旅をはじめてすぐに気分がリセットされたわけではなくて、日程はじめの3,4日間は唐突にうつの波に襲われては、呼吸が苦しくなることを繰り返していた。

ちょっとインドに行ってきますだなんて、気分転換というにはあまりにも思い切った気分転換。日本と環境が異なるという意味では、最高にインパクトがあるはずの場所でうつ病なんて、あたしもう本当にダメなんだわとがっくりきた。
移動中の車の中やホテルで「アカン、またうつ来たわ……帰国したら座禅に連れてって……」と訴えて、ヘボピーまでダークにさせていた。

踊り狂うインド人に混じってニューイヤーパーティーでカウントダウンしようとも、世界第三位の高峰・見目麗しいカンチェンジェンガのご来光を見ているさなかにあろうとも、「でも、この世界にもう父はいないんだ」と思いはじめるともう駄目で。全てが虚しくなっていた。

そんなひどい状態から、旅程のどのあたりで立ち直れたんだろう。思い出そうとしてもはっきりしない。
ただ、5日目にダージリンに着いた頃から少しづつインドの空気になじんできて、それにともなって父のことを考えることが少なくなっていった。

中でも最も気分を切り替える機会を与えてくれたものは、今ふりかえると多分あの人たちだ。
ヒマラヤ鉄道の駅構内で手をつなぎ、観光客を満載した列車をじっと眺めていた暗い瞳の幼い姉弟。やかんを抱えて地べたに座り、一杯10円のチャイを売っていた爺さん。

こぎれいな買い物客の間を縫うようにして、重い重いガスボンベを頭にかけたひもで支え、よろめきながら配達していた少年たち。それから野良犬にまじって公衆便所の横のゴミ捨て場で、誰かの食べ残しのチキンをかじっていたオッサン。

このたび訪れたダージリンやガントクは比較的スカした街だったんだろうか、石井光太の『レンタルチャイルド』や『物乞う仏陀』といったアジアの極貧層を扱ったドキュメンタリーで読んだ、ひどく貧しい人々を目にすることはほとんどなくて、正直言って助かった。(悲しそうな人を見るとへこむから)

それでも自然のことわり──親との別れを嘆き悲しみ、いつまでも憂鬱を引きずっていることは単なる甘えなんだと、ぜいたくきわまりない国の人間に気づかせるには、野良犬と並んでゴミをむさぼるオッサン一人で十分だったみたいだ。

それはヘボピーも同じみたいで、「インドで何が一番心に残った?」と質問したところ、「ダージリンで犬とゴミあさってた人!」と即答。
ヘボピーもオッサンを見てからというもの、ものにあふれて快適さに慣れきった日本に生まれて、それでもなお不満を抱いていることを強く反省、今の生活に感謝するよう心を入れ替えたらしい。

インドへ行って精神的に、なにかほんのちょっとだけ変わった気がするヘボピーと私。
「ひょっとしたらあのオッサンは神さまだったりして」「さすがにそりゃないやろー!」と笑いながら、もう二度と会うことのないあのぼろぼろなオッサンのことを、不思議と懐かしく思い出している。

2013年1月23日(水)

インド出発日の朝。バタバタする我々に、ただならぬものを感じたのだろう。マヤまでいそいそし始めた。ぶーぶーにのっていいとこいくんだ!

わざと上着の上に座ってイジワルしてみたり。

荷物をクンクンかいでチェックしてみたりと、いらんお手伝いにいそしんでます。

やった!あわじぼくじょうでみるくをのむんだね!
目的地は母の見舞いついでにいつも立ち寄る牧場だと思ってるんだろう。気の毒になるほどのはしゃぎっぷり……。

車を降りたがこの時点ではまだ気づいていない。

まだ気づいてない。よその犬を見つけて伸び上がる余裕。

ぱんだ動物病院の駐車場。ギリギリ気づいてない。

……はっ!!何かがおかしい!!

タイトル「絶望」

動物病院の玄関前にて。完全に目が死んでいる。

2013年1月20日(日)

たまたまつけたテレビで流れていたCOUNTDOWN12/13 の映像。知らないミュージシャンばかりでびっくりしたわ。若ぶっててもこういう知識で年がばれるな。

それにしてもこのイベントの出演者を調べてみたら、すごい豪華メンバーなんだね!
まあその「すごい豪華メンバー」ってのは私の世代的に、BUCK-TICKと甲斐バンドと吉川晃司と佐野元春、それからスガシカオと山崎まさよし、あとはギリギリでくるりとORANGE RANGEとザ・クロマニヨンズあたりを指すわけであって、10代20代の人たちとは「豪華メンバー」の解釈も違うんだろうと思うと、音楽も世につれ人につれだなぁ、としみじみ感じるのであった。

そういえば吉川晃司で思い出した。彼は私が街中で生で見たことのある数少ない有名人の一人なんだ。(あとはイルカと藤井フミヤと男闘呼組。微妙だ。)

かつて博多で働いていた時、雑居ビルのエスカレーター前でばったり会った吉川晃司。人間の顔の認識が不得意な私は、彼の名前だけしか知らなかったけど、同僚が「吉川晃司だよ!」とささやいてくれたので分かったのだ。

その時、生吉川晃司の回りにはボディガード的な男が二人、鷹のように鋭いまなざしで周囲を警戒していた。そして男たちに過剰にガードされながら、雑居ビルのエレベーターにすぅーっと吸い込まれていった生晃司。
なお、その際に回りには私と同僚の二人しかいなかった……。警戒しすぎだっつーの!!

あれから30年近くがたった。今でも目を閉じるとまぶたの裏によみがえる。ちんまいエレベーターにあわてて乗り込む男達の後ろ姿が。
かつてビジュアル系のはしりとして鳴らした彼も、私と同じく顔のしわが増え老眼が加速し、夜中にトイレに何度も起きるようになっていることだろう。

そう思うとあれれっ?なんとなく吉川晃司が好きになってきた!COUNTDOWN12/13の映像がネットに上がってたら、どんなオッサンになってるのか見てみようかな。

母の入居している特養にて。戸外へお参りに行けない入居者のため、職員お手製の神社がもうけられていた。

鳥居は分かるけど左のポールは何のつもり?と思っていると、ちょっとゾクッとしたからじろじろ見るのをやめた。古代から連綿と生き続ける「かたち」には、うっかり魂が入ってしまうことがあるのかもしれない……。

老人と介護者にとって「転倒」は恐怖のワード。転倒→骨折→入院→寝たきり→ボケという、LIVE OR DIEな状況に陥りがちだからである。

それゆえに「こけませんように」と祈りを込めて設けられた小さな神さま。だがこれすらも精神的に弱った私にはなんとなく怖い。手だけあわせてそそくさと退散した。

入居者の書き初め。孤高のアーティスト・川上なをゑさんも、元気で2013年を迎えられたとみえてよろこばしいかぎりです。
(なをゑさんの作品「イルカ」は4月21日の日記をどうぞ)

死ぬほどどうでもいいことだけど、以前から浜崎あゆみのこのマークにもちょっとした違和感を感じている。

いや、あゆのイニシャルをデザインしただけにすぎなくて、ばんざいしてるみたいで可愛いっ!という解釈もありうる一方、なんとなく呪術用の人形に見えちゃってな……。

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ショーウインドウの中のおねえさんの苦悩。
靴下をはきかえさせようとするのだが、マネキンがぐらぐらして片手で支えながらでは上手くいかない。眺めているとゆうに15分は苦しんでいた。誰か手伝ってあげてー!

レトロ焼き鳥屋のトイレで採取したベッピン石鹸のポスター。
「美はまこと!まことは美!」今では色々と配慮があって、ここまでキッパリ言い切れないよね。

2013年1月17日(木)

先の三連休中、いつもの神社へ遅い初詣に行ったよ。
参拝客の多いときだけ設けられるグッズ販売コーナーはすでに撤去されており、いつもと変わらぬ静かなN神社。鈴なりにつり下げられた絵馬──嵐ファンの神さまへの嘆願書も年が新しくなっても不変である。
今年も嵐ちゃんといっぱい会えますように。コンサートに当たりしますように。嵐のみんなが健康でありますように。コンサートでニノと目が合いますように。嵐と知り合いになれますように。

おみくじはこの神社で、年初に一回だけ引くと決めている。新しい年に向けてどんなメッセージが賜られるのか?2012年はひどく悲しい年だったから、たたみかけるようにここで凶とか出ようものなら、オイラきっと耐えられない……。

けれどもドキドキしながら開いたおみくじは「大吉」だった。「目前に光り輝く像」という文字を見た瞬間に、もうあまり苦しむな、と誰かに話しかけられた気がして涙があふれた。

目前に光り輝く像。
自信を持ち前向きに行くがよし。
はっきりした意思表示が幸運に結びつく。
心のゆとりと遊びが生きる時。

「心のゆとりと遊びが生きる時」かあ。遊び心を取り戻せということなら、もうちょっと心のリハビリが進めば大丈夫だろう。
「縁談」は「合う人あり」だから見合いでもしてみようかなー。「恋愛」の「夢が実現」というの、は誰かがクパハネで薄い本を出してくれるということですね(無理)
「病気」は「心の充足が回復に」と的を得ており、毎年注目の「相場」は「良いとき」とシンプルなおことばだった。

相場といえば、去年は精神的にガタガタで正常な判断力を失っている時に、自分を追い込むマゾヒスティックな売買をやったせいで、年収をはるかに越える損失を出してしまった。だから「もう投資はこりごり」と資金はぜんぶ定期預金にしたのだが……。

「相場」は「良いとき」ということは、過度に守りに入るなということかもしれない。
そう都合よく解釈して「欲張らない」ことを堅く心に誓い、少な目の資金をたずさえ証券市場に舞い戻ったところ、現時点ではそこそこ調子がいい。おすそわけとしてヘボピーのGW旅行代を出してやれるくらいには。

このおみくじは財布に入れておいて、また心が折れそうになった時に眺めようと思う。

「目前の光り輝く像」は神さまなのか、それともあちらの世界に行った父なのか。
いずれにせよ、真っ暗だった空に薄明かりが差しつつある。新しい年のはじめの今は、心の奥底に拭いがたい哀しみを抱えつつも、なにか非常におだやかな気分でいる。

2013年1月12日(金)

あけましておめでとうございます(遅!)本年もどうぞよろしくお願いいたします。

管理人&ワイルド・ヘボピー、インドより無事に帰国しております。ぱんだどうぶつびょういんにあずけられていたみき・まやちゃんも、今回はおしりに鎮静剤をブスッとやられることもなく(それなりに鳴き叫んだらしいけどな!)窓口での支払金額7万円弱というリーズナブルなお勘定でおうちに戻ってこられました。

初インドはどうだったかを手短にいうなら「ほこりっぽい!」「ノーモアスパイス!」そして「OH!わんわんパラダイス!!」どこへ行ってもまんべんなく半野良犬が生息しており、人々の暮らしにカレーや排ガスのごとく自然にとけ込む姿には、愛犬家として微笑みがたえませんでした。

まぁバラエティー番組にも取りあげられることの多い国ゆえに、ぶっちゃけ「おもしろファクター」「目新しさ」という意味ではパキスタンにはかなり劣ったものの、それなりに楽しかったシッキム・ダージリンの旅については、また項を改めてアップさせて頂きます。

それじゃ今日はもう実家に帰らなきゃ。あっちに行ったりこっちに来たり、管理人今年も年初からアンジェリーナ・ジョリーみたいに忙しいわーん。

ここはシッキム王国の都ガントク(土地バブル絶賛発生中)。早朝、ヒマラヤ山脈をのぞむタシ・ビューポイントにやってきた日本のお客さまを、4匹のフレンドリーな野良わんちゃんが出迎えてくれたよ。

ナマステ!ようこそインドへ!ところでおやつ、持ってないワン?

タシ・ビューポイントから眺めるヒマラヤ。この中のどれかがクライマーのあこがれ、世界第三位の高峰・カンチェンジェンガである!

……とは言ってもここ以外でもカンチを見るチャンスは3,4回与えられたのに、山にうとい管理人、どれがそうなのかぜんぜん把握できないままに旅は終わった……。

頼まれてもないのに自発的にお手っ!おおかたの犬は人なつこくおとなしい。

パキスタンの犬は平均的に腹をすかせていたが、インドの野良犬はどこで見ても肉付きがひじょうによろしい。それはイスラームとヒンドゥーの犬に対する態度の違いもあるかもしれないが、主な理由は「ゴミがふんだんにあるから」かと。つまり「人間が多くの生ゴミを捨てられる」経済的ゆとりの差でもある。