2012年10月30日(火)

私と同じく幼少時に、父が買いそろえてくれた原作の洗礼を受けたヘボピーが、「私もキャラデザインがどんな風に変わったか見たいっ!」と言うもんで、土曜に観たばっかの『009 RE:CYBORG』、姉妹そろってワクワクしながら行ってきたよ。

そもそも今回のリメイク版の存在を知ったのはヘボピーからの「009映画版のキャラがえらいことになってる!雑誌penを見れ!」とのメールがきっかけである。
そこで「えー?今ごろリメイク版かよ」と思いつつも本屋でpenを立ち読んだところ、なめていたハチミツのど飴を秒速800メートルで発射しそうに……。

聞いてよ奥さんっ!これってやりすぎだと思わない?→→→に、→→→と、イケメン化しすぎてすでにハナテン中古車センターのCM(※)「あなた、いったい誰?」状態。
まあこの人に限って言えば、リアリティーを追求した結果、→→→と、ネルソン・マンデラみたくなってて評価が分かれるところだろうが。

※……40歳以上の関西人なら知らなきゃモグリのコテコテCM。
まどろむ半裸の金髪美女、そこでカーテンがふわっとなびくかドアが開くかどっちだったかは忘れたけど、枕元に男が姿を現す。(記憶ではファントムオブパラダイスみたいな変てこな仮面をつけてたような)

そこで目覚めたパツキン、むちゃくちゃクサい芝居でびっくりしてみせる。「あなた、いったい誰?」そこへかぶさる♪ハナテン中古車センッター♪
出勤する際には放出(はなてん)行きの電車に乗るのだが、「はなてんゆきがまいりまーす」というアナウンスがある度に、「あなた、いったい誰?」と呟いてしまう、そんな呪いのCMだ。

話をもどす……。

さて、待ち合わせ場所で私を見つけたヘボピー、一瞬ギョッとした顔をした。
なぜならこの一年ほどはおしゃれする気力がなくて、エジプトの街頭で暇をもてあましているオッサンみたいな格好しかしなかった姉が、老後に何の不安もない金持ちの奥様みたいにバリッとしていたからである。

そう、本日に限りあたくし「銀座にペルシャ絨毯を見に行く時モード」。
宝石箱の中でコールドスリープしていたフランクミューラーも真珠のネックレスも翡翠の指輪も、ぜんぶ開放して合体!パワーチャージ!マダムにフォーゼ!

いや、別にいつもの格好でも問題はないんだけどさ、それではありきたりのアニメオタク。こんな層も来るんだー、と映画館のねーちゃんにフェイントかまして、少しでも作品に対するイメージをかき乱したいという、涙ぐましいファン心理ゆえである。

同じオタクだけあって、そこらのファン心理はすぐに察してくれたヘボピー。さすが『あしたのジョー映画版』の最終上映日に、追悼の気持ちを込めてでかい百合の花束持って行くだけのことはある。(その際は父がついていってくれた……パパ優しい)
ただ、「グレートを見に行くからでしょ」と指摘するのは図星だが、恥ずかしいからやめてくれ。

そして観賞後。
私に比べると原作のインパクトをそこまでは受けなかったヘボピーは、あくまで「ありえないキャラ改変をネタにする」、というスタンスだったようだが、映画館を出た時には「私もハインリヒを携帯の待ち受けにしようかな……」とつぶやいていた……。

こんな感じで『009 RE:CYBORG』 には新たな楽しみを提供してもらっている。
明日は友人H(66才)が「ワシも009行きたい。ワシも原作知っとるもん!」と言うので同伴するよ。
前売り券もひとまず5枚キープした。タイムリミットは11月末。劇場で見ないと価値半減の作品ゆえ、足繁く映画館に通う気モリモリである。

2012年10月29日(月)

夏まっさかりには、つかまえてそっと手のひらで包んでも、ぜんぜん気持ち悪くなかった可愛い緑のバッタが、飛びつかれようものならギャ──っ!と叫んで振り払いたくなる、きちゃない茶色に変わった今日この頃。みなさま元気で天高く人肥ゆる秋を満喫しておられるだろうか。

一方管理人はといえば、相変わらず気分がすぐれなくて……と言いたいところだが、かまってちゃんは止して正直に言おう。
8月31日以前の状態にはほど遠いにせよ、夢で“雷光と化した龍”に食われそうになって以降、びっくりするほど心身が楽なのだ。

あの夢を見てからネットで「夢分析 龍 雷」で調べたところ、劇的な現状の変化を示しているそうで、まあそこまで言われるなら……とひとまず信じることにしたら気力が戻ってきたのは、自己暗示のなせるわざだろうか……。

とはいってもいまだに知らない人とは話したくないし、人混みに行くとキレそうになるし、突然後悔の波に襲われて挙動不審になったりはするものの、今すぐ精神内科に行け!と言われていた気力全面運休の頃から比べると、15分遅れでもなんとか電車が動いている、そういう現状である。

お陰で3ヶ月分5万円も出して買った(正確に言えばポーラに買わされた)漢方サプリも飲まないまま。もったいないからパニック障害で引きこもりの末の妹で人体実験しようと「飲め!」と押しつけといた。

もしも三ヶ月後に「お姉ちゃんありがとう!私起きられるようになったから仕事さがすわ!」という言葉が聞ければ、ポーラをほめたたえつつあと2,3箱買うところだが……。
それ以前に「やっぱり返して!私が飲むから」と取り返す羽目にならないことを切に祈る。

まあこんな感じで、抗うつ剤を服用するギリギリ手前で踏みとどまっている現状です。
このまま少しづつ元気になれるよう、しばらくは新たな萌え(※)で己を奮い立たせつつ、上手いこと心身のメンテできればと思ってるでごわす。

※……先週封切りの劇場用アニメ『009 RE:CYBORG』ウェーブがかなりきちょります。ストーリー的にはダメダメすぎるから、このままウォートランのように激ハマリできるかどうかは微妙だけど、やたらとイケメン化した007にハートわしづかみされてなぁ……。

原作ファンとしては、ここまでキャラ改変されたものになびいちゃ駄目だ!と思いつつ、女ってやっぱイケメンに弱いのねぇ……プライドも忘れて今や携帯の待ち受けはきっちり007(=´ω`=)


おねえちゃんはげんきがないけど、ぼくはすごくげんきだよ!あきだからおなかがすいてすいてしようがないです。きのうもおおきなスルメをかじってしかられたよ。

2012年10月25日(木)

さっき恐ろしい夢を見た。あまりに恐ろしすぎて、まだ体がわなわなと震えている……。

夢の中で高いビルの一室にいる。まわりには会社の人たちとなぜか妹ヘボピー。大きな窓から見えるのは、はるか遠くまで広がる市街地の光景。

あれっ?なにやら窓のあたりが騒々しい……と同時に「ドーン!」「ドーン!」
連続して響いてくるものすごい雷の音。

見ると、窓の外には真っ黒な雲に覆われた空と、視界を縦に切り裂く落雷。
「うわーっ!すごい!」「見て!あの雷!」はるか遠くの落雷とあって、眺めている方は花火大会でも見ているがごとき気楽さだ。

すると突然、ひときわ大きな雷鳴にビル全体が揺れ、遠くに見えていた落雷が八つの頭を持つ龍と化した。そして一匹が私たちの方へかま首をのばし、すべてを呑み込もうとするかのようにクワッと口を開いた。

それを見た瞬間、私は窓からもんどりうって隣室に走り込み(なぜか自分の家になっている)ぶるぶる震える手でリュックに懐中電灯をはじめとする避難用グッズを投げ込みはじめた。

「すごかったねー、さっきの雷!」「龍の形に見えるなんて、自然現象ってすごいねえ」
あんなに恐ろしいものを見ても、はしゃいでいるだけの他の人たちに対して、顔をひきつらせてパニックを起こしている私を見て、びっくりしたヘボピーが近寄ってきた。「なにかあったん?」

「せっ、世界が終わるーっ!」「えっ?」
「きのう夢の中で読んだ漫画に…さっきと全く同じ、りゅ、龍の形の雷が襲ってくる場面があって、そっ、それを皮切りに世界が崩壊するねん」
「それ、なんて漫画?」「だっ、題名は分からない。はじめて見る作家の本。でも、ゆっ、夢の中でどうしても読まなきゃならないって言われた気がして、読んだら実際にこうなって……」

ライターのオイルが切れていて使い物にならないからマッチを探しながら、引きつった口で必死に説明しているところで、心臓ばくばくで目が覚めた。そしてそこにはなにひとつ変わらない、いいお天気の世界があったのだ……。


いやはや、あんなに恐ろしい夢を見たのは久々だわ。自分、SFホラーやディザスタームービーが好きだから、その影響が出たのかな。

そもそも小学3、4年生の頃に『デビルマン』の四巻を読んだのをきっかけに、「まがりなりにも平和だった世界が、邪悪なものの襲来によってある日を境に激変する」という恐怖心が心のどこかに刻まれたままなんだよねー。(そんな子供の育成に悪い漫画を、平気で読ませたのは他ならぬ父です・笑)

……と軽くいなしつつも、これが何かの予知夢という可能性も心の片隅にとどめておく。
父が急死する前日にも、両親とマヤの誰かを失う予感がして、ものすごく怖かったことだしね。(すぐさまヘボピーにメールしたくらいさし迫った恐怖だった)

まあこれから失う可能性のあるかけがえのないものは、残すところ母とマヤである。
母はホームから出られないからいかんともしがたいとして、ひょっとするとマヤ?──いやいや、ちっちゃな犬っころに対する予知夢としては、雷光と化したヤマタノオロチだなんて、あまりに大げさすぎるしな(=´ω`=)

そう考えつつ、震えをおさえながらリスクヘッジのためにひとまず取った行動は、手持ちのオーストラリアドルをすべて売却、欧州通過も下げると踏んで、ユーロ空売りすることであった。怖くてもゼニのことは忘れないしっかり者のあたくし。(豪ドルはリスク資産の代表格なので、世界経済がグラッとくるととたんに劇下げする通貨なのだ)

そう、大きく口を開けたヤマタノオロチが呑み込もうとする先には、ギリシアかスペインがあるのかもしれない、って考えたのだよ。
まあ、深読みしすぎには決まっているが、今の世界経済、政治の状況が、前の大恐慌直前の状況にそっくりだという経済学者の記事を読んだばかりなのもあって、ネガティブ思考の持ち主としては不安を捨て切れないというのが本心である。

2012年10月24日(水)

まどマギで復活したと見せかけて一転、今日はうじうじ書かせて頂きたい。

いや、新たなハーネマン好きさんの出現と(※)為替相場の円安傾向のお陰で、こうして朝から日記を書く程度には気分がいいんだけれども、もともと邪悪な成分でてきているせいで、コンスタントに人に心配かけたくなるのだ。ぐふー。

※……ハネ好き、それもクパハネ者!ウォートラン筐体もなくなったってのに、いまだに来てくれるとは古参ファン自身びっくり!ありがたいことです。お陰さまで昨夜はクパハネ話のプロットとか考えているうちに、気持ちよく眠れた。萌えは偉大なり。


父の他界に付随するもろもろについては、これまで生きてきたうちの後悔を全てをあわせてもひけを取らないくらい後悔している。

零細企業で働くただの事務屋としては、私の後悔レベルはそこそこ高いのではと思っている。
ウシジマワールドの人々の平均値からすれば足元にも及ばないとはいえ、これまでに色々やらかしたことどものせいでかなり後悔貯金をためこんでおり、もうちょっとがんばれば立派な「後悔長者」になれそうな感じ。

そんな後悔多めのMy Life(@B’z)において、これまでの後悔すべて=父にできなかったことの後悔、ときっぱり言えるということは、自分に言わせればこれはもう、うつになって当然といえるアルティメット後悔レベルなのだ。

そんな中でも一番心を苦しめているのが、前にもちょっと書いたけど、「なにやらぞわぞわする感じ」に素直に従わなかったことである。

目に見えない世界をはなから信じない人たちにとっては、ここは後悔するポイントではなかろう。
だが常々「あ、なにかあるかも」と感じたら、ひとまず神社に行くなどの何らかのアクションを取るのに、一番大事な時に限って「スピリチュアルとか幽霊とか憑き物とか、そんなのあるわけない。オカルトめいたものを信じて行動すると負けだ」と変にかたくなになってしまったのだ。

それらは文字にすると大したことではなさそうだけれど、気持ちを整理するために少し書き連ねさせていただきたい。
普通の後悔もオカルト方面の後悔も入り交じっているが、時系列に従って思い出すままに書いてゆく。


さかのぼること8月7日。私はコンビニの階段(たったの二段!年寄りか)で派手に転んでねんざをして、伝い歩きしかできない状態だった。

その際、本当は盆明けまで預かる予定だったマヤは、ヘボピーに迎えに来てもらった。この点は、結果的に父にマヤとの最後の数日間を送らせてやれたので、唯一よかった点なのだが……。この時に私はかなりうじうじ迷ったのだ。

11日から母を一時帰宅させなきゃならないのに、こんな時にねんざするなんて介護ができないはないか。これは帰宅を延期しろっていうサインなのかな、と。

それでも、当時は母の方が一ヶ月先のことすら分からない状態だと思っていたので、9月の連休だと手遅れかもしれないから、予定通りにやっておこう、とイヤな予感を振り払った。
それでも「どうしようどうしよう延期しようかどうしようか」とものすごく迷っていたのは、当時、妹や友人に送った携帯メールの履歴からも如実に見て取れる。まったく何をするにも迷う奴だ……。


8月11日、母をホームから一時帰宅させた。

本当はこの時に父も一緒に連れてくる予定だったのだが、かなり具合が悪かったようで、うずくまったままで「俺、家におるわ」と言った丸い背中が記憶から離れない。

あの時、「食べるもんは買ってきてくれたんか」と言われた私は、こんな忙しいときに限って……とムカッとしていたせいで、きつい口調で「なんか適当に食べてよっ!」と言ったこと、これまた後悔。

あの時無理にでも一緒に車に乗せて連れてきていれば、たとえ救急搬送されたとしても、市内中央部のもっとマシな病院に入院できたろうに……。
とはいえ、これは勘も心霊も関係ない普通の後悔。


8月12日。母の病状は思ったより悪化しており、食事させようとしても全く口を開けてくれない。

だから食事もジュース状にしなくてはならず、思った以上に手がかかり、帰宅二日目にしてすでにヘトヘト。
そんな中、気分転換にと行ったジムで携帯が鳴った。「お父様を救急搬送します」。

この時、「よりによってどうしてこんな忙しいときに!」とむちゃくちゃ腹が立ってすぐに病院には行かなかった。←後悔。

また、救急搬送された先は、ものすごくどんよりした雰囲気が漂っており、以前から「ここには入れたくないなあ」と思っていたT病院。
もし「お父様を救急搬送します」と電話があった時に、「T病院だけはやめてください」とはっきり言っていればまた局面は違ったかもしれないのに、その時はテンパリとむかつきで思いつかなかった←後悔。

<後悔つづく>

2012年10月23日(火)

現在公開中の『劇場版・魔法少女まどか☆マギカ』、前編を観に行った時に、後編も観たらもらえるフイルムコマの引換券をくれたよ。
こういう特典は前売り券を買った熱いまどマギファンだけが対象だと思ってたけど、鑑賞料金が1200円になる最終回にのこのこやって来た、私みたいなケチんぼでももらえるんだねえ。いよっ!太っ腹!

それから一週間。後編が公開されて5日目の水曜日、男も女も千円で鑑賞できるサービスデーを狙ってやってきた。
ほんとはもうちょっと先でもいいやとのんびり構えてたんだけど、特典フイルムは引換券の数だけ準備されていないという鬼対応によって、東京ではすでに品切れ、悲嘆にくれる人々の薄暗いつぶやきがツイッターにあふれていたからである。ま、まあ確かに「先着順。品切れの説はご容赦ください」とあるけど、公開からまだ一週間たってないんだぜ?

そう言われるとせっかくもらった引換券、フイルムコマとかさして欲しくはないけど、どうせならもらっておこうとセコビッチ発動。隣の席に座った男子に上げたら喜ぶかな……なーんて思いながら劇場に向かい、夜の回の席を確保してフイルム引き替え。

朝9時過ぎ、劇場窓口が開くと同時に行ったってのに、夜の回の席は前日までの予約ですでに三分の二が埋まっており、ろくな場所が残っていなかったよ……おおお……まどマギファンなめとった。

もらったフィルムはキーッとくるほど取り出しにくい銀の袋に入っている。それをビニール手袋で保護した手でそーっと取り出し、すかして見るとどうやらほむらと杏子のシーンみたいだが、この光量では分からない。

帰宅してからオタクの家には一家に一台!のトレース台に載せてすかして見ると、ダンエボ(違)をする杏子にほむほむが話しかけてるシーンだったよ。

うーむ、杏子ちゃんとほむほむの両方が映ってるのは嬉しいけど、顔のアップじゃないから、これは多分ハズレの部類なんだろうなあ……。

だが、若干がっかりしながら「まどマギ フィルム」でツイッターを検索すると……。

「まどかの弟(赤んぼ。どうでもいいキャラ)がウキャーっとはしゃいでいるコマ」はまだいい方で、「京介(どうでもいい男キャラ)のひざから下」「学校の廊下」「空」「牛」など、下には下がいるもんだと判明して、うつの悪化がくい止められた。

一昨日ヤフオクにて、アニメのフイルムコマとしては市場最高値──108万円というクレイジー落札の先例(←←これだ!!)も出ているまどマギフイルム。

まあ私も「クーパーとハーネマンのほっぺスリスリ」シーンなら30万までなら出すから落札者の気持ちは分かるものの、バンピーから見れば「狂っている」とおののく事態に発展しているようだ。

そこで、私ももらったフイルムをヤフオクに出してみた。ちょっとあくどいかなーと思いつつ千円スタートしたところ、さっき見たら3800円……。ありがとうそしてごめんなさいって感じ。

それにしても同じように出品しても、古代エジプト関連書は2万円の本が2千円でも売れないんだよね。そいつを目の当たりにすると、史学ってゼニにならないジャンルなのだなーとしみじみ思うのであった。

2012年10月18日(木)

人が亡くなると葬儀のほかにも、役所に届けを出したり証明書を返却したり、銀行の口座を閉じたりと色々やらなきゃならないことがある。
それでも四十九日を迎えた今、だいたいの事務処理は片づいた。こうやって父がこの世にいた痕跡がひとつひとつ消えてゆくのは、とても寂しい。

手元には母の遺族年金申請のために取り寄せた戸籍謄本がある。
筆頭者は死亡によって移動しないので、ここでは今なお私たち5人家族の長として父がおさまっている。それを見るとなんともいえず懐かしくて、「お父さん!」と呼びかけたくなる。

大正15年に山陰の村に生まれて、平成24年8月31日午前5時25分に死亡するまでの86年。父はどんなものを見て、なにを思っていたのかな、とぼんやり考えている。
そして、【出生日】と【死亡日】の欄が上下に並んでいて、死亡欄の【届出人】に自分の名前があるのを見るにつけ、生まれて死んでゆくことの不思議、そしてこの人とたまたま家族として生きることになった、縁の不思議さをしみじみ感じる。

父が大好きだった田舎の風景は、昭和初期にはどんな風だったんだろう。高度成長期の日本で父はどうしていたんだろう。
今ではもう何も分からないけれど、その内ほんの一瞬とはいえ、父と共有した時間と空間がとても愛しい。


四十九日あたりまで様子を見ようと思っていたが、己を冷静に観察すると、悲しみが癒えるどころか精神状態が少しづつ悪化しているみたいだ。

以前は「もっと話を聞いてやればよかった」とか「料理を作ってやればよかった」とピンポイントだった後悔が、このところ「総合的に自分を責める」という方向に変化してきて、どんなに楽しいことがあってもすぐに全てがむなしくなる。

これはもう西洋医学の薬がイヤだとか言えるレベルじゃなさそうだ、とついに精神科医を捜し始めたよ。
でも、妹や友人がかかっていた医者みたいに、薬をガンガン出して社会復帰が不可能な廃人レベルにしてしまう病院も多いと分かっているので、変なところに行きたくないという警戒心が強くて難儀している。

投薬はできるだけ押さえてカウンセリング重視、かつうつ病に加えてアスペルガー(AS)傾向も影響していそうなので、ASの診断もきちんとできる病院、となるとなかなか見つからないんだよね……。。
どなたか大阪から姫路あたりでいい病院の情報お持ちでしたら、ぜひともお知らせください。

2012年10月15日(月)

上映終了まで残すところあと5日になって、やっと『アベンジャーズ』観にいったよ。

クリス・エヴァンス大好きなら、キャプテンアメリカがカッコマンたちに奪い合いされる(違)こんなすてきな映画、公開日に飛んでいくところ。(公開はごたごたが起きるずっと前だったしね)

だというのに、なんとなく気が乗らなくてギリギリの駆け込み鑑賞となった理由は、キャプテンアメリカ以外にもマイティーソー、ハルク、ブラックウィドウ、ホークアイそしてアイアンマン、とヒーロー幕の内弁当なせいで、肝心のキャプテンアメリカ濃度が薄まるのでは……と不安視していたせいである。

で、結果どうだったかというと、不安的中。

クリスたん演じる雄っぱいヒーローよりむしろ、ファンなんですサインくださいーっ!新ユニフォームもデザインしてみましたぁっ!と、びっくりするほどキャップLOVE!な薄毛のオッサンの印象の方が勝ってて、家に戻るや否やピクシブを開いて「検索」に「コールソン」と入力する羽目に……。

とまあそんな感じで、とりあえずクリスファンとしての責任は果たした『アベンジャーズ』。この映画がきっかけで、ピクシブやムーパラ(洋画イベントね)でも、それなりの盛り上がりを見せているのは嬉しい限りである。

……とはいっても口ヒゲ男は管轄外なので、私的には現在のメインストリームのキャプトニではなく、さらにその先にある未来──『キャプテンアメリカ』の次回作、『ウィンターソルジャー』を見据えている!

キャップの親友バッキーが、敵キャラとして復活するという、乙女まっしぐらな展開の『ウィンターソルジャー』。公開されようものならコミケ西館洋画スペースは、バキステサークルで埋め尽くされるにちがいない。


写真は『アベンジャーズ』最終回(9時半スタート)の映画館の階段。
300席近い巨大スペースなのに、なんとお客はオンリーミー!!マクドどころか551の豚まんをむさぼり食っても「くさいっ!」とクレームが出ない状況だったのに、残念ながら豚まんは持っていなかった……。

代わりにいつもはできないことをしなくては!とあせりまくったものの、横になって観るには椅子のひじかけがじゃま、走り回ると映画が見られない。
できたのはせいぜい、「ツイッターで実況」(それも暗すぎてほぼ不可能)と「階段を撮影」くらいだった。チェッ!

2012年10月11日(木)

8月31日5時4分。病院からの着信履歴がまだ残っている。「容態が急変しました。すぐ来てください」。
鮮明に記憶に焼き付けられたあの朝以降、この時間になると目が覚める。今日もガバッと起きて、お父さんごめんね、ごめんね、と謝りながら滂沱の涙を流して、それからまた眠りについていた。

そして7時半に起きるまで夢に見たものは、“ものすごく長いエレベーター”。ぜんぜん悲しくない夢でお父さんごめんなさい、って感じだよな。

死ぬほどどうでもいいことだが、私は“ものすごく長いエレベーター”の夢をよく見る。
それは雲を突き抜けるほどタテに長かったり、数キロに渡るほどヨコに長かったりするのだが、いずれにせよ乗っている時はひざをガクガク言わせているか(高所恐怖症です)、あせってイライラしている。深層心理を分析すると、一体なにが潜んでいるのやら。

今日のエレベーターは横に長いタイプ。
「会社に行かなきゃ!」と地下二階に行くエレベーターに飛び乗ったら、ぐい──んと力強く動き出し、あっという間にスピードを上げて会社とは反対方向に飛んでゆく。
止まった場所はふた駅も先のショッピングモールで、従業員に「地下二階に行くつもりで乗ったらこんなところに連れてこられた!」とぼやいたら、「けっこう良くあるんですよ」と流された。

遅刻だな……。重い足取りでショッピングモールを出ると、道路脇の砂場でマヤが砂まみれになって遊んでいた。
この砂団子を家に連れて帰って洗うために、もう、今日は半休を取るしかない……。

ヨコに動くエレベーターはスタートレックの影響かもしれない。トレッキーだった10代の頃、「エンタープライズ号の中ではエレベーターがタテのみならずヨコにも動くんだ!」という情報にいたく感心した記憶があるから。

でもタテは?成層圏を飛び出しそうな勢いでグングンと上昇するエレベーターは、フロイトに分析依頼すると、なにかエッチな衝動を指し示していると迷いなく言われそうだが、真相は分からない、っつーかどうでもいいけどね。

おっと、超シリアス&サッドな書き出しから「エレベーターかよ!」と言われそうですねすみません。
まあこういう感じで、夢を全く見なかった9月とは違って、このところぼつぼつ普通の夢も見るようになってきたので、精神的にやや持ち直しつつあるのかな、と自己分析。

それでは会社、行って来ます。年末進行で適度に忙しいからうじうじ考えずにすんで助かるわー。冬のボーナスはあるかなぁ、10万くらい。

2012年10月10日(水)

日付が9日から10日に変わった現在、キーボードを叩きながら遅い夕食を食べているのは、デブを恐れぬ勇気ある女性、すなわちあたくし。
“ケンミンの焼きビーフン”って予想外にいけるよね!冷凍食品なんて期待してなかったんだけど、コンビニの焼きビーフンより安くて美味しいから、冷凍食品半額セールの時にまとめ買いしよーっと。

さてさて、本日は計画通りに会社が終わってから整骨院に行って、それから劇場版『魔法少女まどか☆マギカ』を見てきたよ。
基本的に漫画は読むがアニメはほとんど見ない方だけど、まどマギに限っては、わざわざ映画館に足を運ぶくらいには好きなのだ。うへへ。

人目を気にしつつ、カーリングのストーンのごとくなめらかな動きでさりげなく映画館に吸い込まれてゆく面々は、みんな大好きAKIBAモード(チェックのシャツ&リュック)の殿方よりも、スーツ姿でビジネスバックを下げたリーマンズ、そして給湯室でよく見るタイプのOLが多かったのがちょっと意外。平日の最終回という時間帯も影響しているのだろうか、
いずれにしても、きっとみんな会社では「へ?まどかまぎ…か?なんですかそれは?(ドキドキ)」って偽りの仮面をかぶって暮らしているのだろう。

だが、今宵この場所では隠れみのを脱ぎ捨てたって、誰も魔法少女好きのオタクだなんて後ろ指を差しはしない。回りは萌えを同じうする同士ばかりとあって、みんなコミケ会場にいるような浮き浮きした表情ではしゃいでいる。
その様子を眺めていると、道に迷って隠れキリシタンの里にたどり着いたような、いやむしろ『平成狸合戦ぽんぽこ』の狸の集会に紛れ込んだような錯覚に……と、かく言う私も狸の一匹。

映画の方はどうだったかといえば、ストーリー的にはまるきりテレビ版の総集編って感じで、テレビ版そのものの画像もかなり流用されていたように思う(それほどテレビ版を見込んだわけじゃないので、詳細は指摘不可能だけど)

それでも2時間強ぶっとおしで見せられても、中だるみを感じなかったどころか映画に没入できたので、まどマギという作品自体、物語としての完成度はかなり高いのかなーと思ったよ。

また、ほぼテレビ版と同じとはいえ、テレビ版では描き方が中途半端だったキャラにも、若干の脚色が加えられて厚みを増していたのは良かったな。

「いつも何か食ってる悪い子ちゃん」という薄い印象しかなかった杏子のことも、オバちゃん好きになっちゃった。ま、私のイチ押しは、なんといってもまどかちゃんなんだけどね……。(「ミキさんほむほむファンだと思いました」と言われるけど、ゆるぎなきまどか派です)

本日見たのは前編で、後編は今週金曜日に公開されるまどか☆マギカ。
ぐぬぬぅ!前後編に分けるとはあこぎな商売!そこになおれ!なんて怒っちゃいけない。だって一本にまとめようと思ったら、『地獄の黙示録・特別完全版』の上映時間をはるかにしのぎ、『ベン・ハー』とタメ張る超大作になっちゃうんですもの。そんなに長い上映時間、みんなおトイレがまんできないっ!

で、その後編は来週のレディースデー(千円)に見に行くつもりだったけど、前編に予想をはるかに超える元気をもらえたもんで、チケットが1500円でもいいか……と初日の鑑賞を計画中。

そいでもって、マミさんやキュウべえを携帯からぶらぶらさせてる同士と一体となって、「うぉーっ!ま・ど・かちゅわーん!」とか叫び(心の中で)、いつもはスカしたミニシアター系ヨーロッパ映画を上映しているシネ・リーブルを、ヲタパワーでドス黒く塗りつぶしてやるのだ。

まあこんな感じでまどか☆マギカ。アニメに耐性ある人はテレビ版の方でいいから一度見てみては。たかが魔法少女モノと馬鹿にしていると足をすくわれる、なかなかに味わい深い作品です。

2012年10月9日(火)

やっと三連休が終わってくれた……。
8月31日以前にはあっという間に休みは過ぎて、「おしごとイヤだー」とうめいていた連休明けを、今では刑務所の休憩時間にグラウンドへ飛び出す受刑者みたいに、じりじりと待ちわびている。鬱々と考えてばかりの休日から解放されて、さあ!ゼニかせぐぜ!って感じのさわやかな気分である。

それにしても食べさせる相手のいない料理の、なんとむなしいこと!
父がいる頃だと休みになると実家に帰って、私なりにけっこうマメに料理を作ってやっていた。でも、今では父がいつも座っていたテーブルの席に誰もいないのを目にするたびに、どんなウキウキ気分も急降下なので、もう、あんまし台所に立ちたくないんだ。

シジミの味噌汁みたいなどうでもいい料理でさえ、「ああ!美味かった!」と言ってくれる父に、もっと色々なものを食べさせてやればよかった。おにぎりをにぎっただけで「俺、にぎりめし好きやねん」と大喜びするならもっとにぎってやればよかった。

天ぷらも酢豚もハンバーグも簡単なことなのに、めんどくさがって作ってやらなかった私には、もう料理を作って食べさせる相手がいない。せいぜいマヤにやる鶏のむね肉を、カリッと美味しく焼くくらいしかすることはない。

……おっと、せっかくの休み明けだというのに、済んだことをひねり回してまたうつ発動するとこだった。あぶないあぶない。

私の仕事はゼニ絡み。うつらうつらしてるとダイレクトに会社に損害を与えるセクションゆえ、気を引き締めてお仕事します。そいでもって会社が終わったら、整骨院と映画に行ってきます。
病院帰りだとまどか☆マギカの最終回、間に合うかなあ。ああ、まどかちゃんに癒されたい……。

2012年10月8日(月)

9月25日の日記を見たヘボピーからメールがあった。「私もお母さんが出てくる夢を見た」

私があの夢を見る3日前、9月22日に妹が見た夢の中で、母は「お姉ちゃんは弱いところがあるからしっかり支えてくれ」と言ったそうだ。また、「死ぬ時には先におまえに知らせるわ。お姉ちゃんは気が弱いから(笑)」とも。

そう聞いて「お母さん、幽体離脱して会いに来たんかなあ」と妹と言い合ったのだが、父も入院中に「幽体離脱って本当にあるんだろうか?」と思わせられるようなことをしきりに言っていた。

今から思えば父が亡くなる直前にはそういう、ちょっと引っかかるできごとがいくつかあった。
そしてそれらを軽んじたことが今、私をどうしようもなく苦しめている。


私は何かひとつの宗教を強く信じているというわけではない。それでも、加護を願う時に足が向かうのは神社で、朝起きると壁に貼っている三社のお札に手を合わせ、さっきも正式参拝に伺って、神主さんに祝詞をあげてもらってきた。
そのあたりからすると強いて言えば神道、八百万の神々を一番身近に感じているだろうか。でも、仏教のしきたりには従うし、イスラームにシンパシーを覚えることもある。

幽霊のようなものを見たことは幾度となくあるものの、それは本当に超自然的存在だったの?単に脳が描いたイメージじゃないのか?と問われると自信がない。
何か嫌な予感がする時には時間をずらしたりその道を行くのを避けたりはするが、急いでいると「ざわざわする感じ」を無視して行動することもある。

心霊や神仏があることを9割は信じている。だが100%、10割ではない。
残り1割は、人間は死ねば無になるのみで、心霊も神仏も人間の作り出したイメージにすぎない、という考えが心の片隅を占めている。また、迷信深い人、オカルトに傾倒する人、と思われたくないという気持ちも捨てられない。

とはいっても、何につけても後悔する性格なので、「何かあった時に後悔したくないから」という理由から、あ、これは天の声なのかな?と感じるサインを受け取ったときには、可能な限りそれに従うようにしている。

つまるところ、目に見えない何かを全面的に信じているわけじゃないくせして、都合のいい時だけ頼りにする、なににつけても中途半端でいい加減なスタンスなのだ。

だから後悔している。たった一割の「目には見えないもの」を拒否する気持ちに負けた結果、父の死の数日前からの、「あれっ?何かおかしい?」という感覚に素直に従わなかったことを。
もしもいつものように自分の直感に従って素直に行動していれば、少なくとも後悔を一つ減らせたかもしれないのに、「オカルティックに深読みしすぎだろう」と自分に言い聞かせて耳をふさいでしまった。

あの時、どうして天の邪鬼になったのかは分からない。なぜかは分からないが、ことごとく自分の勘?何かのサイン?が指し示すところとは反対の行動を取ってしまった。

運命をどうこうしようとはずいぶんおこがましい話だとは分かっているが、もしも気づいた通りの対策を素直に講じていれば、ひょっとすると父は当面は死を逃れられたのでは?
いや、無理だったとしても、あと少しくらいは……そう、お別れを言うくらいの猶予はもらえたのではなかろうか?という思いがどうしても振り払えない。

まあ無神論者や心霊を信じない人から見るとあくまでも後付の話にすぎないけれども、私の心を悩ませている、それらの「ちょっとしたできごと」については、日を改めて書かせていただきたい。

じゃ、ちょっくら映画見てきます。アンゲロプロスの『こうのとり、たちずさんで』を最前列ど真ん中かぶりつきでがんばってきます。

2012年10月6日(土)

昨日と一昨日はびっくりするほど気持ちが楽だったので、一袋二万円の漢方サプリが効いたのかな?でもこんなに早く立ち直ったら、なんかお父さんのことを軽んじてるみたいで悪いなぁ……なんて思っていた。(こういうところが駄目なんですよね)

だが心配ご無用!今日はきっちり元の木阿弥。“後悔”と“思い出”という名のちっちゃなムシが、脳味噌から脊髄にかけてはい回っているみたいで、ちょっと気を緩めるとストレス暴発して大声で叫びそうになる。

まあ、エステの人から「親や旦那を亡くして一年ほど寝込む人はけっこういるよ」と聞いたもので、寝込んで職を失うよりは、シャウトしたくなる方がまだマシか、と自分を慰めてはいるのだが……。

ヒマラヤ山脈のど真ん中ならまだしも、観光客があふれかえる日中の繁華街で「キェ────ッッツ!!!」なんて叫ぼうものなら、山岸涼子の『天人唐草』の主人公のように、親が「見ちゃいけませんっ!」と子供の目をふさぐ狂女的存在になってしまうので、今のレベルでなんとか踏みとどまらねば。

せっかく上昇気流に乗っていた気分が急下降したきっかけは、ホームからの電話にきまってる。というのは昨夜、母が39度OVERの熱を出していたそうなのだ。

ただでさえ口からものをほとんど食べなくなっていて、生命力が失われているところへ高熱を出したら……。
その先にある不吉な事態は想像したくないけど、どうしても想像してしまう。まだぜんぜん立ち直れていないところへそのようなセカンドインパクトが加えられたら、もちこたえる自信はない。

とにかく父の時みたいな後悔はしたくない。さっきお世話になっている神社に行って、家内安全と厄除をお願いすべく正式参拝を予約した。
明日はホームに見舞いにも行く。いや、往復4時間半の道のりは、想像するだけで遠くてしんどくて辛くてめんどいけどな……がんばれ自分。

……とこんな感じで、ゼイゼイ言いつつも生きてます。
心がつらくてすぐに息切れはするけれど、会社は休まずに行ってるし、マヤっこの散歩もしてるし、これから映画(アンゲロプロス追悼祭)を見に行く元気はあるし、きっちり投資もしてるから安心してね!(最後のアイテムで「心配して損した!」と言われそうだ)

2012年10月2日(火)

先の週末は台風もあって実家から一歩も出ずに、父に線香とローソクを上げながら鬱々としていた。
とはいってもここを放置するのも几帳面な性格が許さないので(この性格は父譲り)、 日記とか友人へのメール下書きとか 、何かちょっとでも建設的なことをしなくては心が腐ってしまう!とノートパソコンを立ち上げたところ、7月の末、母の見舞いから帰ったときに書いた日記が出てきた。
書いたはいいけど、読み直したら空元気なポジティブぶりがクサかったので、こいつぁはずかしー!とお蔵入りにしたテキストだ。

だが……。パソコンを立ち上げて何か書こうとしばしウンウン言ってみたものの、やっぱり今は長い文章を書く気力がとても出ない。(メールの返信もできてなくてすびばせん……)
だから今よりははるかに、千倍ほどまだマシな環境にいた頃の自分の心境を振り返るべく、前のテキストをアップしてお茶を濁させてください。


2012年7月21日(土)

友人の車に乗せてもらって、隣島の特別養護老人ホームに母のお見舞い。車じゃなければ高速バスで一時間半、さらにバスを降りて農道をテクテク一時間……と大変だから助かる。

すぐに会いに行ける市内のホームなら良かったけれど、待機老人が百人を超えていたから遠くても仕方がなかった。当時は徘徊がひどくて自宅介護の限界を超えていたから、背に腹は替えられなかったのだ。

でも、田舎だからってわけでもなかろうが、ホームの人たちは素朴で親切で、いい人ばかりなんだ。だから母が一人も寂しいんじゃないかな、と考えることがわりと少なくて助かる。
施設も新しくはないけれど清潔で明るくて、丁寧に管理しているのが見て取れるし。

さて、今日会いに行くと、母はほぼ無反応。
たまに私を認めて嬉しそうな顔をすることもあるから、今日はハズレかなと拍子抜け。

デパ地下であれもこれもと選んできた、美味しそうなものを食べさせようと唇にスプーンを押し当てても、ぼんやりしたまま口を開けてくれなくて苦労した。
話しかけても死んだ魚みたいな目をしたまま、宙を見つめるばかり。日によってはもうちょっと反応があるのに……せっかく来たのにと悲しくなった。

それでもあれこれ話しかけながら、爪を切ったり顔の手入れをしていると、だんだん目が覚めたみたいに、意味の分からないことをつぶやきはじめた。

だから「見てお母さん、私こんなに白髪が伸びちゃったんだよ」と情けない顔をして生え際をかき上げてみせた。
すると元気だった頃と同じ笑顔を浮かべて、何かもぐもぐ言ったんだ。

はっきり聞き取れなかったけれど、きっと「きれいね」だったんだと思う。娘のことが自慢だった母は、お前の生え際はすごく綺麗だといつも私の額を撫でながら言っていたから。

その言葉を聞いて、涙が止まらなくて困った。

もう8年も病魔と闘っている母は、今では口をぽっかり開き、ねじくれた流木みたいな体をベッドに横たえて天井を見つめるばかりだ。
意思疎通ができないのはおろか、自分の意思で指先ひとつ動かせない。家族を見ても反応すらないことが多くなった。
こんな状態、死んでいるのも同然だと絶望していた。

けれども今日迫ってきたのは、以前と変わらず確かにそこにある母の愛情。
自分たちがびっくりするほど大きな愛に包まれて育ったこと、その母がまだこの世にいてくれることに心から感謝した。

元気な頃の母はよく言っていたものだ。私たち娘がなによりも大切で、三人が楽しそうなのを見るのが一番嬉しいんだと。
今日はその気持ちがすとん、と胸に落ちてきた気がする。

お母さんはどうしてアルツハイマーなんかになっちゃったんだろう?
まだ70歳にもなってなかったのに。周りにはアルツハイマーになった人なんか誰もいないのに!
そう思ってくよくよしっっぱなし8年間だが、母の愛に応える一番の方法は、後悔はもう止めて自分の人生をよく生きることだとしみじみした。

また、溢れんばかりの愛を母に注がれた私には、愛を注ぐべき子供がいない代わりに、社会のために何かお返しすることが、母がこの世にあったことの、ささやかな証になるかもしれない、とも思った。

今はこうして前向きだけど、更年期の影響もあってすぐまた落ち込んでしまうかもしれない。それでも、出来なかったことを数え上げながら、うつらうつら過ごすのはもう止さなくては。
40代前半までの気力と体力はもう無いけれど、年相応に走り回って、母が見られなかったいろんなものを見てやろうと心に誓った。


……とまあ、7月末にはこんな風に無理して自分に言い聞かせていたんだなあ!と遠い過去を振り返る気分。(父が亡くなった8月31日以前に経験したことはあらゆることが別世界の話で、今の自分とは分断されているように感じるのだ)

この時点では「自分ガンバ!」と殊勝なことを言っているものの、内心、ぼちぼち口から摂食できなくなりつつある母との別れはそう遠くない、と覚悟せざるを得なかったから、7月から8月にかけて更年期うつが加速度を増してひどくなったんだとも思い至った。

だというのに父がフェイントかけてくるとは……。人を驚かせるのが好きで、よくとんでもないことをしでかす人だったけど、お父さん、最後の最後にそれはないわー。

ああ、今、思った。自分、元の明るさとか前向きさを取り戻さなくても別にいいじゃん。
「父が悲しむからがんばろう」とか「母の代わりにしっかり生きよう」とか思うのはもうヤメだ。自分、これまでもけっこうストレスフルな環境にあったんだわ。そこへ父の突然死が重なったんだから、後悔まみれで鬱々と暮らしても許されるよね。
精神の弱さは恥ずべきこと、と自分を律するのには本当に疲れた。もっと自分に甘くなろう。

ということで、これからは「うつ病になる手前で踏みとどまらなきゃ」とがんばらずに、うつ病上等!飲まなきゃならない局面になったら向精神薬だって飲んでやる!と開き直ることにします。

あー、しんど。体ガタガタだ。でもこれから会社に行くよ。今や会社が唯一気晴らしできる場なんだ。給料は安いけど、つぶれずにいてくれてありがとう、会社。