分かりたくなんか、なかったのに。




「話があるの」
 終業の鐘が鳴ると同時に、席を立って。
 ずっと上の空で外を眺めている、彼に声をかけた。
 ぼんやりと、怪訝そうに見上げてくる茶色の瞳に
笑いかけ。
「龍麻の事よ」
 その名を出した途端。表情が、僅かに強張るのを
見逃したりしない。
 そう。
 この名前に、彼はいつもとても敏感で。
 くるくると、よく変わる表情が、時に楽しくて。
 でも。
 今は、どこか困ったような。怒ったような。
 とても、複雑な顔。
「葵 ! 今日は生徒会の方に顔出さなくて良いんだよね」
 一緒に帰ろうと、誘い掛けてくる小蒔。
 でも、今日は。
「ごめんなさい・・・京一君と約束しているの」
「ええッ!?・・・・う、ん・・・分かったよ」
 私と京一君の様子に、何処か納得したように。
「醍醐クン!!今日は二人で帰ろッ」
 すぐに、傍らに居た醍醐君に声をかけて。
 何か言いたげに、こちらに視線を向ける彼の腕を取って
教室を出ていくのを見送り。
「じゃ、私達も行きましょうか」
 相変わらず、固い表情のまま。小さく溜息をつき、
ゆっくりと席を立って見下ろしてくるのに。
 いつものように、微笑みを返して。

 返事を聞くこともなく。
 背を、向けた。


 駅に向かう通りを、1本逸れたところにあるカフェ。
 意外と穴場なのだと、小蒔に教えてもらって、以来。
 気持ちを落ち着けたい、時。ここに、来るようになった。
「私は、エスプレッソ・・・・・京一君は?」
「・・・・・アイスコーヒー」
 店内の空調は、ほんわりと暖かく整えられているけれども。
 でも、外は木枯らしが吹く季節。
 だけど、彼らしいと。
「・・・・・話って、何だよ」
「・・・・・帰って来なかったわね・・・彼」
 すぐに本題には入らず。
 相変わらず笑みを浮かべたままの、私の表情からは。
 多分、何も読み取れないのだろう。
 ふて腐れたような顔を、つと逸らす。
 やがて、飲み物が運ばれて来て。
 店員が去ってしまえば、奥まったこの席は店内に人が
少ないせいもあってか、孤立した空間のようで。
「私が、龍麻を好きなのは・・・知ってるわよね」
 唐突に切り出せば。途端、驚いたように視線を戻す。
「でも、龍麻は京一君が好き。そして、京一君も龍麻が」
 好きなのよね。
 そう言って、微笑えば。
 やはり、困ったような顔。
 二人のことは、皆暗黙の了解ではあったけれど。
 こうして面と向かって、その関係を口にするのは、
少なくとも私には初めてのことで。
「それで、彼が・・・龍麻が幸せなのなら、私は構わない」
 彼が幸せであるなら。
 私は。
 それは、事実だから。
「でも・・・今、彼は・・・・・苦しんでいるわ」
「俺の、せいだってのかよ」
 怖い、顔。
 でもどこか、心細気な。
「・・・・いや、そう・・・なんだろうな」
 そう言って。再び逸らされた貌は。
 彼もまた、苦しんでいるのだと。
「好きだから・・・・・だから、受け入れられないことも
あるわ」
 そっとカップを持ち上げて。湯気に、目の前の彼が霞む。
「好きだから、見せられないものだって・・・あるわ」
 それは、きっと。
「受け入れて欲しいと思っても・・・・・隠してしまう
ことだって・・・・・」
 私の中にも。
 それは、確かに存在するから。
「好きだから・・・・・恐れてしまうのね。自分を曝け出して
しまうことに・・・怯えてしまう」
「・・・・・随分と、あいつのことに詳しいんだな」
 その声色は。何処か悔しさが入り交じっているようで。
「龍麻が、そうだとは言っていないわ」
 クスリと笑うと。途端に、苦い表情を敷いて、また目を逸らして
しまうのを、見遣って。
「でも・・・・・好きだから、全部・・・・・抱き締めたいと、
抱き合いたいと思うのは・・・きっと、とても自然なことね」
「・・・・・ッ」
 私の口から、まさかそういう台詞が出るとは、彼も思っても
みなかったのだろう。
 振り返った顔は、驚きをあらわにしていて。
 私も。
 私自身、自分の言葉に少なからず驚いていたのだから。
「・・・・・お前・・・・・」
「出来ることなら・・・・それは、私でありたかったわ」
 彼を。
 龍麻を抱き締めて。
 でも、それは。
「・・・・美里、俺は」
「私に何か言う前に・・・・・龍麻に、言うべき言葉を
考えたらどうかしら」
 叶わぬ願い。
 分かって、いるけれど。
「・・・・・手厳しいな」
「貴方が憎ければ、こんな話を持ち出したりしないわ」
 恨みなんて、ない。
 彼が、奪ったのではなく。
 龍麻が、彼を選んだのだから。
「・・・・・サンキュ」
 ガタリと、席を立って。
 さり気なく伝票を奪っていったのは、彼なりの。
「・・・・・私の願いは、ひとつだけよ」

 どうか。
 彼が、幸せでありますように。

 その笑顔が、絶えまなくありますように。
 例え、それが。
 私だけのものでなくても。

                              ◇Next◇