『夢現(ゆめうつつ)』




 きっかけ、を。
 もしかしたら。
 待っていたのかもしれない。


「・・・・・これは、どういうことだ」
 心なしか、掠れる声。
 御前へと跪く、鳥面の男を一瞥し、問いただせば。
 その下の表情こそ目に見えるものではないけれども。
 だが、この忠臣との付き合いは、決して浅いものでは
無いが故に。
 無表情とも取れる仮面の下で、微かに笑みを浮かべて
いるのが。
 視えるのだ。
 その、心の内までは、読み取れなくとも。
「・・・嵐王」
 代々受け継ぐ、その名を。
 呼ばれれば、控えるように垂れていた頭を、ゆっくりと
上げて。
「見ての通りに御座いますれば」
 そうして、主人の背後を伺い見るように顔を巡らし。
 それを追うように、自らも振り顧みれば。
 そこには。
 この屋敷の主人の寝所。
 その、褥の上に横たわる、のは。
「・・・・・龍」
 主人----九角天戒を頭目とする鬼道衆の、その中に。
 ひと月前から、名を列ねる少年。
 緋勇龍斗、が。
 真っ白な夜着に、その身を包まれて。
 静かに、横たわっていた。
「龍、に・・・・・何をした」
 大声こそ出してはいないものの。
 すぐ傍らで、こうして話をしていても、全く反応を示さず。
 ただ。
 美しい人形のように、そこに。
 微かに、上下する胸が。それが、彼が眠っているだけなのだと。
 伺い知れて。
「酒を、少々」
 その言葉に。
 天戒は、足元に控える男を厳しい目つきで見下ろし。
「それだけ、ではあるまい」
 その声も。
 誤魔化すようなこと等、許さぬと。
 言外に、滲ませて。
「・・・・・薬、を」
「何の薬だ」
 猶予を与えず、更に問う。
 龍斗は。
 薬物の類いは、殆ど受け付けぬ体質であるらしく。
 風邪をひいた時も、自然治癒に任せるしかないと、桔梗が嘆いて
いた程で。
 その、彼が。
「眠り薬ではございますが・・・人体に害を与えるようなものなど
含んではおりませぬ故」
「・・・何故、龍にそのようなものを」
 ふ、と。
 その仮面の下の笑みが。
 濃く、なったような気配。
「全ては、若の御為」
「・・・・何・・・」
 不審げな表情を露に。
 見据える視線を意に留めた様子もなく、ゆらりと立ち上がり。
「御望みの、ままに」
 そう。
 告げて。
「待て、嵐王」
 巻く風と共に、その姿を晦まし。
 気配は既になく。
 天戒は、苦々し気に男が座していた場所を睨み付けた。
「・・・・・何を考えている」
 いら立ちをを滲ませながら、呟いて。
 ふ、と。
 自身を落ち着かせるように息を吐き、そして。
 ゆるりと視線を巡らせば。
 穏やかな表情のまま。
 無心に眠る、彼が。
「・・・・・本当に、害を及ぼすものではないのであろうな」
 偽りを告げたとは思えなかったが。
 それでも。
 このように。
 あまりにも、無防備な様で。
「龍・・・・・」
 その傍らに。
 そろりと、腰を下ろして。
 寝顔を、覗き込むようにすれば。
 それだけで。
 胸の奥深く、じわりと沸き上がってくる。
 熱を帯びた、これは。
「・・・・・さて、どうするか・・・」
 それを。
 その熱を散らすように、呟いて。
 本来、天戒が休むべき布団で眠る、彼を。
 どうすべきかと、そちらに思考を傾けながら。
 その。
 どこか、あどけなさを残した、眠る貌に。
 その、滑らかな頬に。
 手を伸ばして。
 触れれば。
「・・・・・ッ」
 一気に。
 熱、が。
 激しく、突き上げる何かが。
 全身を、支配しようとして。
「・・・・・く・・・」
 手を。
 離そうと、思うのに。
 意に反して、それは肌を滑り。
 微かな吐息を漏らす、薄く開いた唇へと。
 指が、触れて。
「・・・・・龍」
 望むままに、と。
 今、自分が何を望んでいるのか。
 判っている、けれども。
 それでも。
「・・・・違う」
 呻くように。
 胸の内で蠢く、それを。
 否定して。
「・・・・・こんな形を、望んだのではない・・・・」
 この想いは。
 否定出来るものではないけれども。
「龍・・・・・俺は」
「・・・・・ん」
「・・・ッ」
 身じろぎひとつしなかった、龍斗が。
 ふと。
 漏らした声に、肩を揺らせば。
 まだ頬に触れたままの手の、震えが伝わったのか。
 ゆっくりと。
 眠りの淵から、覚醒する。
 開く花のごとく。
 長い睫毛に縁取られた瞼の下から。
 現れた深い色の宝玉に、思わず息を飲めば。
「・・・・・天、戒・・・?」
 怪訝そうに、名を呼んで。
 呆然と見下ろせば、フワリと。
 柔らかい笑みを浮かべて。
「・・・・・天戒」
 そろりと手を、伸ばして。
「・・・た、つ」
 肩を。
 引き寄せられて。
 そのまま、身体の上に覆い被さるような形で、彼に。
 抱き締められて、いるから。
「龍・・・・」
 その行動に、戸惑いながらも。
 だが、もしかしたら。
 まだ、覚醒し切っていないが故の、ことで。
 そう。
 これは、彼にとっては未だ夢の続きに過ぎないのだと。
 そう、言い聞かせて。
 なのに。
「・・・・・これは・・・夢、じゃない・・・ね」
 その心を。
 見透かすように。
 そう、告げるから。
「・・・・・ッ」
 常の天戒らしくなく、狼狽えてしまって。
 身体を、起こそうとするけれども。
 それは。
「・・・・・いや」
 縋り付くように、強い力で抱き締められているから。
 むしろ、更に体重を預ける形となって。
 重なりあう、その。
 熱に。
 目眩さえも起こしそうで。
「龍、そうだ・・・夢ではない、だから・・・」
 離してくれ、と。
 どうか。
 でなければ。
「いや、だ・・・・夢じゃないのなら、尚更・・・・」
「・・・・龍・・・・」
 自分からは、この腕を。
 振払うことなど、出来はしない。
 叶うなら、このまま。
 彼と。
 身体を、重ねて。
「頼むから・・・・惑わせてくれるな・・・・」
 そう望んでしまう自分が。
 確かに、存在して。
「・・・・・惑うの、は・・・」
 耳元で。
 囁くのは。
「心、が・・・・揺れてるから・・・・・」
 その声は。
「だったら、ね・・・・」
 甘い。
 毒のように。
「こうすれば・・・・・分かるよ」
 ゆっくりと。
 頬を辿って、触れて来た。
 唇、から。
 唇、へと。
 口移しに、それは。
「・・・・・ッ」
 その、内に。
 燻る、ものを。
 煽るから。
「・・・龍、龍・・・・ッ」
 もし。
 彼が。
 彼も、それを。
 望んでいると、いうのなら。
「・・・・夢、なんかじゃないよ・・・・」
 例えそれが、仕組まれたものでも。
 ここ、に。
 龍斗の。その存在だけは、真実で。
「それを、確かめて・・・・確かめ、させて・・・・」
 夢、ではなく。
 現、の中で。
「お前を、抱くぞ・・・・」
 掠れた声で、告げて。
 顔を、覗き込めば。
 そこにあるのは。
 ただ、まっすぐに。
 求めてくる、瞳と。
「天戒が・・・・・欲しいよ」
 言葉で。
 身体で。
 だから。

 きっかけが何であれ。
 今は、ただ。
 求められる、ままに。
 求める、ままに。