『口唇』



 闘いの場なら、いざ知らず。
 どうにも不馴れな場面というのは、やはり存在するもので。
 どう、すれば。
 考えれば考える程、分からなくなる。

 殊、彼に関しては。
 どうしようもなく、それは。


「・・・龍」
「ん?」
 闘い終わって日が暮れて。
 作戦のひとつが成功したことに、屋敷の広間でささやかながら
酒宴のようなものが開かれて。
 翌日に備えて、程々に切り上げて村の一角に与えられた自分の
住処に戻ろうと広間を出た霜葉は。
 ちょうど、空いた徳利を片付けに出ていた龍斗の姿を捕らえて。
 声を。
 掛けたは良いものの。
「霜葉?」
 その。
 二の句が接げず。
 何か、気の利いた言葉はないものかと、無表情の下で考えを
巡らせているうちに。
「・・・・・あの、さ」
 龍斗が。
 まるで、それを見透かしたように。
「これから、霜葉の処に行っても・・・良い?」
 聞いて来るから。
 胸の内では、あからさまに動揺してしまったものの、それは
面には出さずにいることに、どうにか成功し。
 背の村正が、何かからかうように囁いていたけれども、全て
無視して。
「・・・別に、構わんが」
「本当に?」
 そっけない応えではあったのに。
 嬉しそうに笑う龍斗を見ていると、どうにも。
 やはり、落ち着かなくなる自分がいて。
 でも、それを。
 悟られない、ように。
 くるりと背を向け歩き出せば、ちゃんと半歩後をついてくる
のに、安堵しながら。
 ふたり、そっと屋敷を抜け出した。


 九角屋敷から程遠くない処に、霜葉は居を与えられていて。
 そこそこの居住空間があるにも関わらず、殆ど寝る為だけに
しか、使われることはなかった。
 そこに。
 初めて、招き入れる。
 彼を。
「えへへ、何となく緊張するなー・・・」
「そうか」
 それは、こちらもだと。
 さすがに、口に出しては言えるはずもなく。
 きょろきょろと興味深気に中を見回す龍斗を、取りあえず一番
広い部屋へと招き入れ。
「何もないが・・・まぁ、座れ」
 本当に、座布団すらないのが情けなくもあるのだが。
 別に、そんなことは龍斗にはどうでも良いらしく、霜葉と向かい
合う形で、すとんと腰を下ろす。
「・・・・・」
「・・・・・」
 そのまま。
 奇妙な沈黙が続く。
「・・・・・ねぇ」
 やがて、それをやんわりと破ったのは龍斗で。
「霜葉の話って、何?」
「・・・・・話?」
 話がある、とは。
 言ったような覚えもなく。
 暫し考え込む様子に。
「俺に声かけた時、何か言いたそうな顔、してたから・・・・・
気のせい、だったのか・・・・な」
「いや、・・・・ッ」
 そんなことは。
 龍斗に。
 告げたいことは、確かに。
 ずっと、胸の奥に。
 だけど。
「・・・・・す、まん・・・」
 どう、それを。
 どんな風に、彼に伝えれば良いのか。
 未だに、霜葉は思い倦ねていて。
「・・・・・お風呂」
「・・・・・は?」
 唐突に。
「お風呂、沸いてる?」
「あ、ああ」
 龍斗が尋ねた言葉に。
 その脈絡の無さに呆気に取られつつも、頷いてみせれば。
「行こ」
「・・・え」
 手を。
 差し出されて。
「一緒に、入ろ」
 予想もし得なかった。
 その、誘いに。
「俺、は・・・酒宴の前に、もう・・・・・」
 さすがに、戸惑いを隠せないままに。
 その事実でもって。
 告げてしまえば。
「・・・・・そ」
 微かに。淋しげな色を浮かべた瞳に。
「・・・・た、つ・・・」
「じゃ、俺ひとりで入ってきて良いかな」
 ハッとして、見上げれば。
 霜葉の答えを聞くまでもなく、既に風呂場に向かう龍斗の背が
あって。
 襖の向こうに、それが消えるのを。
 呆然と、見送ることしか出来ずに。
「・・・・・今の、は・・・・・」
 もしかすると。
 もし、そうだとして。
「・・・・・嘲笑うか、村正・・・・」
 苦い思いで呟けば、しかし背の刀の応えはなく。
 それでも。
 まだ。
「これからが、正念場だ」
 そう、まだ。
 伝えるべき、言葉を。
 秘めた、それを。
 彼に、示すまでは。


「有難う、良いお湯だった」
 す、と静かに襖が開けられて。
 顔を上げれば、そこには。
「ごめん、浴衣勝手に借りちゃった」
 見慣れた、浴衣に。
 しかし、それに袖を通した龍斗の、姿は。
 見慣れぬ、それは。
 湯に暖められて、微かに上気した肌と相まって。
「・・・それは、構わんが・・・言えば、新しいものを用意・・・」
「これが、良いな」
 寛げた襟の胸元を、キュッと掴んで。
 そこに、顔を寄せるようにして。
「霜葉の、匂いがする・・・」
 ドクリと。
 脈打つ、その音が。
 龍斗にも、聞こえてしまうのではないかと思う程に。
「安心、する・・・・」
 うっとりと、閉じていた瞳が。
 やがて、ゆっくりと開かれるのを。
 瞬きすら出来ずに、見つめて。
「霜葉」
 視線が、交わり。
 名を、呼ばれるままに。
 手を、伸ばして。
「龍・・・」
 そっと、触れて。掴んだ手を。
 決意のままに、強く引けば。
「・・・霜、葉」
 そのまま、倒れ込んでくる身体を、受け止め。
 しっかりと。
 抱き締めて。
「・・・・・嫌ならば、逃げてくれ」
 そんな言葉とは裏腹に、抱く腕の力は。
 強くて。
「龍、俺は・・・・・」
 どうか。
 逃げないで。
「お前を、とても・・・・・愛おしく思っている・・・」
 離すことなど、出来ないのだと。
 身体ごと、訴えて。
「・・・・・お前が、欲しい・・・・・」
 初めて。
 心から、望んだもの。
 縛られる魂すら、ない自分が。
 その空虚を疑う程に強く。
「・・・・・霜葉」
 もぞりと。
 腕の中、軽く身じろぎして。
 だけどそれは、束縛から逃れるためではなく。
 より一層、身体を。
 預ける、ように。
「そう言ってくれるのを・・・・・待ってた」
 心も。
 委ねる、ように。
 震えが走る程に、それは無防備で。
「龍・・・ッ」
 壊したくないと、思いながらも。
 顎を捕らえ、驚いたように見上げてくる貌が視線を掠めるのも
構わずに、性急に唇を重ねて。
 歯列を割り、怯えたように竦む舌を探り、捕まえて。
 口付けの角度を変えつつ、絡め取れば。
 おずおずと。それでも、しっかりと愛撫に応えて。
 その従順さに。
 これは初心ではないのかもしれないと、微かにそんな思いが頭を
過ったけれども。
「・・・・ッん・・・」
「・・・龍・・・」
 もう。
 そんなことは、どうだっていい。
 今、腕の中にいる龍斗が、その全てで。
 その彼を。
 これから、自分が。
 手に、入れる。