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マンドラゴラ(その2)
さて、それから二年の年月がすぎた。
ここは古都メンフィスからナイルをずっとさかのぼった河岸に位置する、華やかなる王都・百門の都テーベ。
大神殿への参道ぞいにずらり並んだスフィンクスの回りでは、パピルスの茎を剣代わりにして、少年たちがフェンシング遊びに興じている。
「ええいっ!突き、突き、突きいっ!」「うわっ!ちょっとタンマあっ!」「甘いっ!敵にはタンマなんか効かないぞ!そらあっ!」
「カリム、いっぽぉーん!」太っちょのメンナが高らかに宣言した。
「ちぇっ!カリムは強いなぁ!」と息をはずませながら悔しそうなシャダ。
「とくに対シャダ戦では全勝だな!はははっ!」
「シャダ、お前はスキが多すぎるんだよ!」
口々にはやされた坊主頭の少年は、仲間たちに背中を向けたまま口をとがらせてパピルスの茎をしごいていたが、やおらくるりっ!と振り返るとカリムに突きかかった。
「カリム、スキありぃっ!」
だが、狙ったはずの色黒のおかっぱは身軽にさっ、と相手の突きをかわし……
剣をかかげたまま勢いづいてトトト……とよろめいたシャダは、運の悪いことにすぐ近くで「葡萄しぼり遊び」(※)をしていた女の子の一群に突っ込んだ。
「キャアアアアァアアァーーーーっ!」
爽やかな朝の空気を切り裂くかんだかい悲鳴。
そしてさらに運の悪いことには・・・
シャダが入念にとがらせたパピルス茎の先は、頭にピンクのロータスを飾った美少女のお尻に、ぶっすりと突き立っていたのである。
※・・・中心に立った子が手をつないだ友達をぶんぶん振り回すという、えらくワイルドな遊戯。貴族の墓壁画にこの遊びをする子供たちの姿が残されている。
何が起こったか分からぬ少女は、剣でお尻を突き刺されたまま引きつった顔で立ちすくむ。だが一瞬の後に……
「イヤアァァアアアァァーーーーーーーーッ!」
喉から鮮血が吹き出さんばかりの叫び声を上げた彼女は、悲鳴を上げながらも、力一杯シャダを突き飛ばした。
尻もちをついたままあっけにとられているシャダと、狂ったように悲鳴を上げる少女たちの回りに、少年たちもいっせいに駆け寄ってきた。
だが、愛らしい少女のお尻に猛々しく付き立っているパピルスの茎を目にしたとたん、彼らもただただ口をあんぐり開けて立ちすくむばかり。
又やっちまったか!と、カリムは頭を抱えて天を仰ぎ、マハードはさも興味深げにとび色の目をキラキラ輝かせ、でぶのメンナはもうすでに逃げる体勢。
狙っても当たりはしないのに、ちっとも願っていないときに限ってど真ん中に当たるのが人生というもの。
顔面蒼白のシャダは、期せずして見事な一本を食らわした少女に土下座せんばかりの平謝りぶりである。
「ゴメン!ゴメンよ!わざとじゃないんだよっ!」
彼は手をふり回しながら必死で叫んだ。
「ゴメン、ホントに悪かったっ!」
やっとのことで気を取り直した少女は、お尻からゆっくりとパピルス剣を押しのけると、人前でさらした恥を取りつくろおうとするかのように美しく整った顔をぐっと上げ、まっすぐに姿勢を正して尊大なおももちでシャダの前に立ちはだかった。
「……ひっ、ひいぃいっ!」
目の間にいるのはたかだか十才そこらの幼い少女であるはず。
だのに、まるで百年もの齢を重ねてなお全オリエントに君臨する偉大な女王のごとき、その言いしれぬ迫力ときたら!
「す、す、すみません……許してください……」
面食らったシャダは、尻もちをついたまま、思わずじりじりと後ずさりしてしまう。
「アイシス、大丈夫?」
仲間の少女たちは、何本にも結って亜麻のリボンをつけた三つ編みをふり立てながら、興奮して口々に金切り声を上げた。
「ひどいわねあの子!」「ぜったい狙ったのよっ!」
「そうよそうよ!ぜったいわざとよ!」
「わざとじゃなかったらあんなにうまく刺さるはずないわよね!」「男の子ってフケツ!」
「あなた、一体どういうつもりかしら?」
アイシスと呼ばれた少女は、友人の前で面目を丸つぶれにされた恥ずかしさを隠すかのように、低い落ち着いた声で言った。
だが、静かな口調とは裏腹に、怒りに燃え立つラピスラズリ色の瞳を見たシャダは、思わず声を失った。
「よりによって女の子の大事なところを狙うなんて!さあ、どういうことか説明してちょうだいな!」そう言う声はかすかに震えている。
「説明って……」シャダは口ごもった。
「だから……わざとじゃないんだってば……」
「わざとじゃなくってあんなにうまく刺さるはずないでしょ!このエロ少年っ!」アイシスは叫んだ。
「え……エロ少年……?!」
今度はシャダが顔を真っ赤にする番である。
「エ、エロ少年ってどういう事だ!失礼だぞっ!」
言葉の意味を正確に把握しているわけではない。だが、それが何かとてつもないインパクトのある悪口だということくらいは知っている彼は、はじかれたように立ち上がると大声で怒鳴った。
「エロ少年なんて言うなあっ!言い直せっ!」
だが、アイシスもさるもの、コールで綺麗に縁取られたぱっちりとした両眼をフクロウのようにくわっ!と見開いて負けじと叫ぶ。
「ふんっ!エロ少年がイヤならスケベっ子に訂正したげるわっ!」
「す、す……スケベっ子?!」
「そうよ、スケベっ子!あなたマンドラゴラの食べ過ぎでエッチなことしか考えられなくなったんじゃないの?」
「……え……?マンドラ……ゴラ?」
なにか遠い昔に聞いたことがあるようなその名前。
あれは何だったんだっけ?なんだか、懐かしいような酸っぱいような……すごく変な感じだ。
戸惑ったシャダはつい勢いを弱めて尋ねてしまった。
「……マ……マンドラゴラって……なに?」
そのとたん呆れたように声を落としたアイシスは「へぇー、マンドラゴラも知らないの?」と、さも見下したようにつんと高い鼻をふふんっ、と鳴らしてみせる。
「ふーん、そうか。アナタなーんにも知らないお子ちゃまね。ふーん、そうなんだあ」
そしてくるりと背を向けると吐き捨てた。
「ふんっ、馬鹿馬鹿しい。そんなお子ちゃま相手にしてられないわ!さっ、みんな行きましょ!」
気の強い美少女に引き連れられた少女の一群は、つんつんしながらスフィンクス参道の果てへと消えていった。
そんな彼女らの後ろ姿をぽかんと眺めていた少年たちは、やがて気を取り直すと、「女って怖いよな」「あのアイシスってのは気が強いので有名なんだ」などと口々にまくし立てていたものの、じきにまるで何事もなかったかのように楽しい遊びの続きを始めるのであった。
だが、どうにもおさまらないのは、友人たちの面前でお子さま呼ばわりされたシャダである。
マンドラゴラって何なの?それってジョーシキなの?
なんだか今日は友人たちが大人に見える。
実をいえば、生まれ故郷の方がテーベよりもずっと歴史と格式ある都会だと心ひそかに自慢に思っていたのに・・・根底からぐらつくメンフィスっ子の自信。
メンフィスって、本当はものすごーく遅れてるのかもしれない!
アカシアの木陰に腰をおろしたシャダは、元気よく遊ぶ同輩たちをなにやら深刻な顔で眺めていたが、やがてパピルス・フェンシングで六人抜きの勝利をおさめたカリムが、どすんと隣に座り、ハァハァとはずむ息を整えるのを見計らって小さな声で話しかけた。
「ねえ・・・カリム」
「……ハァ、ハァ……なんだよ?」
「……あの……お前は知ってるのかい?」
「ん?……なにを?」
「あの、その……あの……」
無言のまま先をうながすカリムのまなざしに押されて、勇気を振り絞るシャダ。
「マン……マンドラゴラのこと!」
しかしカリムの返答は「……あ、ああ。どんな花が咲くかってことくらいはね」とそっけない。
だが、前髪を汗ではりつけた頬骨の高いその面に一瞬、いまにもブーッと吹き出しそうな嬉しげな表情が浮かんだのを、目ざといシャダは見逃さなかった。
「ウソ!もっと色々知ってるんだろ?」彼は哀願した。
「ねえ、カリムぅ!頼むから教えてくれよぉ……ね?お願いっ!」
カリムはしばらく困った顔をして黙って汗をぬぐっていたが、ついにおねだり上手の友人の前に陥落し、渋々ながらうなずいてしまうといういつものパターンに陥っていたのであった。
(3)につづく
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