官舎の部屋のサイズは、伍長と軍曹ではほとんど変わらない。
でも、ここには何年も滞在して、好む好まざるに関わらず自宅より長い時間を過ごさなきゃならない。だからそれなりに快適に過ごせるよう、俺はちょこちょこアレンジを加えてる。

「へえ、俺んとことは大違いだな」
一歩足を踏み入れるなり、あいつはさも驚いたようにでっかい目で部屋のあちこちをキョトキョト見回した。
やがて薄灰緑の視線がたどり着いたのは、部屋の奥にどっかり鎮座ましましたイームスの特大ソファー。

「なんだ、この場所取りなヤツは」
それは真っ赤に染めた革張りで、これだけ見てるとここがムサい官舎じゃなくて、チェルシーの会員制バーじゃないかって錯覚に陥りそうな、モダンデザインのハイパー高級品。

俺は肩をすくめてため息を付いてみせた。
「ええ、ホント邪魔ですよ。前付き合ってた女が、別れる時にトラックで運んできたみたいなんスけどね、『二人の思い出に』なーんてカード付きで」
「......それは強烈だな」
「でしょー。どでかい荷物が届いてるぜって事務方に言われて倉庫に取りに行ったら、爆発物チェックを終えたこいつが病気のカバみたいにでーんと居座ってて......びびりましたよ」
「邪魔なら捨てるか人にやりゃいいじゃねえか」
「そりゃあ安物ならとっくにそうしてるけど......でもこいつ、見かけによらず五千ユーロもするらしいんで、さすがにもったいないかなと。だから仕方なしにベッドをどかして代わりにここで寝てるんス」
「......アホだな」
あ、またかすかに笑った。

ヒトに対してはめったに笑顔を見せない奴がたまたま笑ったからって、こっちが喜ぶのもどうかと思うんだけど。
いつもあさっての方を向いたままブツブツ独りごと言ってるようなアブナい奴が、たまたま見せた普通っぽい表情に、なんかすごい秘密でも打ち明けられたような浮かれ気分になっちまった俺。

何時間か前には、相手の弱点を握って二度と立ち上がれほどヘコませてやろうって手ぐすね引いてたのに、そんな気持ちはいつの間にやらどっかに消えてなくなってた。





コポコポコポ......耳を澄まさなきゃ聞こえないような微かな音を立てて、エメラルドグリーンのシャルトリューズ・ヴェールが切り子細工のグラスに注がれる。
そこに大きめに割ったアイスをひとつ放りこみ、真っ赤なソファーに遠慮がちに浅く腰掛けた男に手渡した。

ダンケ、と小さく呟いてグラスを受け取ると、クリスタルの中で揺れる海原を、夢でも見てるみたいにうっとり見つめる横顔。ボウモアのグラス片手に俺が隣に座っても、黙りこくって唇を薄く開いたままぼんやりしてる。

「サージャント、どうかしました?」
声を掛けても返事なし。無視、じゃなくて俺の声が届いてないみたい。
その時奴の顔に浮かんでいたのはまるで、人間の知覚の及ばないどこか遙か遠くの世界の音に耳を澄まし、じっと目を凝らしているような......
そう、銃をいじってる時とおんなじ表情で、俺は急に知らない街に置いてけぼりにされたガキみたいに寂しくなってきた。

チクショ、こいつ俺がここにいることなんぞ綺麗さっぱり忘れてんじゃないのか?
おい、ハーネマン、おい!こっち向けよ。

俺は動揺を悟られないよう、何気ない感じで聞いてみた。
「サージャント、大丈夫ですか?飲み過ぎ?」
けど、奴の返事は「......いや......ちょっと考えごとしてた」って、ウソこけ、頭ん中なんも書いてないホワイトボードだったに決まってる。
「でもなんか具合悪そうですよ。水、持ってきましょうか?」
「うるさいな、何ともないっつってんだよ」

なんだよこいつ、とムカついたとたん、さっきまでうっかりほのぼのしてた自分が、まるっきりマヌケに思えてきた。
馬鹿だなあ、俺も。こんな変人とちょっとでも分かり合えた気分になって......とんだ勘違いだ。
ちぇっ、こうなったらどう転ぶか分からないけど、トラップに掛けて力づくでもこっちを向かせた上で、グウの音も出ないほどこてんぱんにしてやる。


「サージャント、ひとつ質問していいっスか?」
「......ああ」
「いきなり突っ込んだ話ですけど......怒らないでくださいよ?」
「......ああ」
「付き合ってる女とかいるんスか?」
「......いや............別に......」
「じゃ、気に入ってるのは?」
「......別に」
「でも、超タイプの女が現れたら惚れたりするっしょ?」
「............」

しつこい奴だなと言いたげにジロリとこっちを睨み付けると、押し黙ったままクリスタルの中でゆらめく液体を凝視してた。どう答えればこの場をうまく切り抜けられるのか、一番無難そうな答えを必死で探してたのかもしれない。

やがてグラスに視線を落としたまま重々しく答える。
「愛だの恋だの、そういうのには......ぜんぜん興味ない」とまで言うと、一気にグラスを干して付け加えた。
「......なんていうか、面倒は嫌なんだ」
「じゃ、プロの女と面倒抜きでキモチいいことだけってのは?」
「なんだ、えらく絡むんだな。......いや、とにかく俺はホントに女は......」と困惑気味のあいつに、酔っぱらったフリしてさらに畳みかけた。

「へええ、じゃあ女じゃなかったらいいっての?銃とかタンクとか......男とか」
「......アホか」
けどその瞬間、青白い頬がさっと紅潮すると同時に、グッと息を呑み込んだのを俺は見逃さなかった。

ビンゴ!
こいつ間違いなくセルロイド・クローゼットだ。(※)まあ、俺たちの稼業じゃ隠すのが当たり前だけどな。

なら話は早い。俺はお天気の話でもするような軽い調子で続ける。
「......そっかー、それは残念。ここだけの話、俺は両方イケるクチなんだけどなあ」
「......それがどうした」
「でもどう?土下座したら」
「............?」
「もし俺が『一発やらせて下さい』って今ここで土下座したら?」
「はぁあ?」すっとんきょうな声が上がる。

奴はあたふたしながらまくしたてた。
「やらせてくれって.....なに言ってんだ、アホくせえ。冗談はいい加減にしろクーパー。男同士で何が『一発』だ。頭、おかしいんじゃねえか?お前、飲み過ぎだいやそれともラリってんのか?おいおい頼むぜ、ヤクの所持が厳罰なことくらい分かってるだろ?」

そんなうろたえぶりを目の当たりにして確信したんだ。
え?何をって?
今までの経験からして、こいつは今夜中には確実にオトせるってこと。そしたらこっちとお偉い軍曹サマとの心理的上下関係は完璧に逆転ってわけで。ふふん、ざまあみろってやつ。

「別にいーじゃん、一発くらい。面倒が嫌なんだったら、俺なんか後腐れなくて適任だぜ?」となおも押しまくる。
「どうせヒマなんだろ?ならちっとも悩む必要ないじゃん。ここは軽いカンジでさ、べつに減るもんじゃなし」

奴はグラスに結露した水滴が太股にしたたって、オリーブ色のカーゴパンツに黒い染みを作っているのにも気付かない様子で、石みたいに固まったまま考え込んでる。
俺はその前に立ちはだかると、女殺しで名を馳せるスカイブルーの瞳でじーっと見つめながら、色っぽく微笑んでみせた。
「自分で言うのもなんだけど、俺、相当上手いぜ」

そしたらあいつ、爪を噛みながらちょっとばかし困った顔をしていたが、急にふいっと視線をそらすと自分に言い聞かせるみたいに呟いた。
「ふん......まぁ......そう言われれば確かに減るもんじゃあないな」
ちぇっ、強がりめ。何気ない風を装ってはいるけど、アンタが内心パニくってることなんぞとっくにお見通しなんだよ。

しかしまぁ、やっとその気になったんなら今さら慌てることはないよな。夜はまだ長い、ここは時間をかけてじっくりコマしてやることにしようか。

「よし、話は決まった。じゃどうする?もうちょっと飲んでから?それとも......」
けど、背中を向けてシャルトリューズを注いでた俺は、グラス片手に振り返ったとたんのけぞった。

さっきまで、男と手をつないだことすらない小娘みたいにモジモジしてたくせして、そうと決まった途端にもう脱ごうとしてやがる。
はぁあ......なんとまあせわしないお方で!頭ん中、一体どうなってんだかさっぱりワケわかんねーわ。
とは言えスピードと機動力はセルバ乗りである俺の専売特許。そっちが乗り気ならややっこしいことはすっ飛ばして、ガンガン行かせて頂きましょうかね。



「おいおい、気が早いなぁ、そうあせるなよ」
シャルトリューズをグイッとあおってそう言うと、奴はベルトに手を掛けて凍り付いたまま、「......チッ......誰が!」と思いっきり睨み付けてきた。
「まぁそうカリカリせずに黙って俺に任せとけよ。脱がせるのも楽しみの一つだしね」

コトン、と音を立ててサイドテーブルにカットグラスを置くと、ゆっくり立ちあがって奴の背後に回る。
骨ばった背中を抱き締めて、ペラい官給のシャツの上からもう固くなってる乳首をまさぐってやると、痩せぎすの体をびくんっと震わせた。
きっとそんな自分が悔しかったんだろうな、「......チッ......」と腹立たしそうに舌打ちするのが、空威張りだと丸分かりで笑わせてくれる。

「あ、ブーツとソックスだけはそのままでね、趣味なんだ」
ズボンの中に右手を滑り込ませながらそう付け加えると、「......この変態が!」と荒い息の間から噛みついてきた。
ふん、この期に及んでもまだ強気でいられるんだね。そもそも、銃器フェチのヘンタイに変態呼ばわりされるいわれはないと思うんだけど。



そして......間もなく深紅のイームズの上に出現した体。
男よりは断然ボンキュッボン、の方が趣味なはずなのに......俺の喉はゴクッと鳴った。

なんだよこれは。

いつもはタクティカルギアで、上から下までがっちりガードしてるから分からなかったんだろうか。
顔や動作が妙ちくりんだからてっきりキモメンだと思い込んでたけど、思ってたより多少は見られるじゃん。
確かに兵隊としては華奢ではあるけれど、けっしてガリガリってわけじゃない。実戦で鍛えられて筋肉が引き締まってる上に、元々全身のバランスが取れてるんだな。

そしてなによりもびびったのは、いつもは服で隠されてる部分。
皮膚の薄そうな肌は、お袋がパートの給料が入るたびに細々と買い集めてたマイセン磁器そっくりの色となめらかさで、おまけにそこにはたった一本の毛すら無い。

それを見てようやく分かったんだ。
どうやったらあんな完璧さで頭剃れるのかな、っていつも不思議に思ってたけど、こいつは生まれつきのもんだって。
もちろん、「アンタ、無毛症ってやつ?」と聞くのだけはかろうじて押さえたけどね。だって思いっきり傷つけそうじゃん。

それにしても、人間って数が少ないもの、自分たちと違ったものを仲間はずれにすると同時に惹かれるものなんだろうか。
男とやるのは初めてじゃないはずなのに、今まで見たことないような......赤い血の代わりに青い血が流れてるんじゃないかと思うようなハダカに、すっかり気が動転してたのかもしれない。

百戦錬磨の俺としたことが、ズボンのジッパーを下ろすのにもモタつくくらい舞い上がって、やっとこさ服を脱ぎ捨てると、気付いた時にはまるで聖体拝受するみたいにソファーの前で膝を折っていた。


※・・・カミングアウトしていない同性愛者を指す。



<TO BE CONTINUED>