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アペラシオン
こんなところでミッヒ・ハーネマンに会うとは思ってもみなかった。
「どぉしたのよぉ、ロメオ。アタシもういい加減、足、痛くてもぉ一歩も歩けないんだけど......あらっ?......ひょっとしてお知り合いかしら?」
いやはや、女の変わり身は早いもんで。
メシのタネになりそうなお偉いさんだとでも思ったんだろうか、俺の視線の先にある影を認めるや否や、舞台で早変わりのお召し替えをする女優さながら、アバズレから淑女への華麗なる変身を遂げた女。
大英帝国のレディーかくあるべしと想像しうる限りの仕草で、生え際が黒くなりかけたプラチナブロンドの髪を撫でつける。
けれど俺は女の演技にはお構いなし。ややムッチリと脂肪が乗りすぎた尻を掴み上げたまま、多少の悪戯には店主も目をつぶってくれそうな、薄暗い店のなお暗い場所へと彼女を誘った。
「......ねぇロメオ。アタシの弟、リバプールでピアノの調律師やってたんだけどさぁ」
「......そうなの。そんなだからスーツケースに全部突っ込んでこっちに来ちゃったんだ。でもママが独りぼっちなのが心配で心配で」
「あぁんロメオ......ここでは嫌。アタシの家でならもっとゆっくり飲めるわよ」
クソッ!
なんでこんなとこにあいつがいるんだよ?!事ある度に俺をチクチク責め立てるあの嫌味な男。
ドリルインストラクターの飲み会でも、なんやかや理由を付けて、参加したことなんかただの一回だってないってのに、こんな煤けたバーでバッタリって一体どういうこと?
常連なのか?と耳を澄ましてみると、会話の中身までは分からないものの、グラスを拭き拭き話を合わせてはいるけど、内心疎ましがってそうなマスターの様子。どうやら諸手を挙げて歓迎される客ってわけじゃないみたいだね。
「ねぇ、ロメオ。アタシの話、聞いてくれてる?」
「......えっ?あ、ああ・・・・・・もちろん聞いてるさ。実家のワンちゃんが腰椎椎間板ヘルニアになっちゃったんだよね?可哀想に」
「......あのさぁ......クーパーさん」
ニッコリ壮絶な笑みを浮かべる女。
「あのお偉いさんが一体誰だか知んないんだけどさぁ、こう見えてもアタシ、ナメられるのって一番ムカつくんだよね」
そう吐き捨てると、さっきまで痛んでいたはずの足のマメはどこへやら、すっくと立ちあがった女はテーブルに紙幣を叩きつけた。「これ、今までのお勘定にイロ付けといたから!」
4インチのハイヒールの音も高らかに、憤懣やるかたない様子で店を出る彼女の後ろ姿を、俺はただぼんやりと眺めていた。
ゴメンね、お嬢さん。でもまぁ別にいいんだけどね。
それにしても、もし一晩貸し切りにしようとしてたんなら、俺も随分とナメられたもんで。
ところどころ焼けこげのある薄汚れたテーブルでは、“ONE HUNDRED”と印刷された米ドル紙幣の中で、フランクリンが白けたように微笑んでいた。
「サージャント......サージャント・ハーネマン?」
チッ、呼び掛けてもグラスを片手に固まったまま、振り返りもしやがらね。
俺が近づく10メーター手前からピリピリしてたから、とっくに察知してるはずなのにさ、取りあえずは挨拶代わりにシカトってわけかよ。
「サージャント」「............」「サージャントのお陰で、俺、女に逃げられちまいましたよぉ」
そう芝居っけたっぷりの情けない声を出すと、極大のトパーズを通して見た曇り空みたいな瞳が、やっとこさこっちを向いてくれた。
銃器フェチのハーネマン。ウォートラン随一の変わり者。
KSKを辞めて民間軍事会社にいた時に、テリー曹長にスカウトされたらしいと人づてに聞いたことはあるけど、それ以外のことはほとんどなにも知らないし知りたくもない。
ただ、こんなとこでバッタリ出会ったのは何かのチャンスかも、とふと思ったんだ。 こんな奴と仲良くする気なんかさらさらないが、弱点の一つでも見付けて、今までに食らったイヤミのお返しくらいはしてやりたいじゃん。
「サージャント、女逃がした責任取って一杯おごって下さいよ」
俺はカウンターに移動すると、空になったグラスの氷をカラカラ音を立ててを揺すってみせる。
返ってきたのは予想通りのつれない返事で。「なんで俺が責任取らなきゃなんないんだ」とそっけないことこの上ない。
でも、一体どういう風の吹き回しだったんだろうな。
マスターの背後で行儀良く並んでるボトルをちょっと眺めてたと思ったら、「......何がいいんだ?」と付け加えてきたもんで驚いた。あっさり断られてジ・エンドだと思ってたんだけどね。
そこで、何を飲んでるのかとあいつの手元を盗み見る。
"FOUR ROSES"ってロゴと四輪のバラのマークが入った販促品のグラスには、琥珀色の液体。なるほど、ウイスキー党ですか。
「じゃ、サージャントと同じのにします」と言うと露骨に嫌な顔されたけど、そんなの無視して続けてやった。 「......で、そいつはどこの銘柄ですか?グラスはフォアロゼだけど......サージャントはそんなありふれたバーボン飲むタイプじゃなさそうなんスけどね」
銀色の皿に盛られたナッツをつまみながらそう言うと、ぶすっとした顔で「アードベックのロック」って答えが返ってきた。
「じゃ、俺もそれを」
元同業者だろうか、顔面に大きな傷跡が走ったマスターが無愛想に差し出したグラスを受け取って一口含むと......うへっ!飲んでる人間と同じでえらくクセ強いわ、これ。俺はちょっと苦手だな。
でもそんな感想はおくびにも出さず、きつい酒をちびちびやりながら軽い調子で話を振ってみた。
「シングルモルト派なんですか?」
「......ああ」
「俺もシングルモルトは好きなんスけど、アイラ島のヤツでは、ボウモアとかラフロイグの方が好みだな」
「ふん、詳しいんだな」
「ええ、スコットランド出なもんで。で、さっき連れてた女も同郷ってことで途中まではいいカンジだったんですけどね、下手こいて怒らせちまって」
「............」
「女が一生懸命お袋さんのこと話してんのに、俺、ぜんぜん聞いてなくって。ヘルニアのダックスフンドのこと?だなんて、そりゃ怒って当然ですよね」
そしたら奴は、「ダックスは脇の下もってぶら下げるとヘルニアになっちまうぞ。腰が弱いからな、あいつらは」と言ってちょっとだけ笑った。
へえ、MP5に話しかけながらヘラヘラしてるのはしょっちゅう見かけるけど、銃相手じゃなくてもこんな風に笑えるんだ......って、今まで見たこともなかった一面になんだか興味をそそられた。
それから小一時間ほどの間、客もまばらな寂れたバーで、俺たちは取るに足らないことをあれこれ話しながら......とはいえ、あいつは九割方聞き役だったんだけど......次から次へとグラスを干していった。
やがて夜が更けて店も看板になる頃。
マスターに追い出された俺たちは、ゴミが散らばる薄汚い路上で、冷たくなってきた夜風に身を晒していた。
「で、これからどうします?」
俺はポケットに手を突っ込んで歩き出していたあいつに声を掛けた。
「どうするって......帰るだけだろ」
「俺の部屋で飲み直すってのはどうっスか?......もし嫌でなかったら、だけど」
「............」 立ち止まって地面を見つめながらちょっと考えてる。
「色々ありますよ。ボウモアやラフロイグ、もちろんビールやワインやリキュールも」
「まるきり飲み屋だな」
「女酔わせなきゃなんないもんで」
「リキュールは何がある?」
「カシス、カルーア、アマレット、シャルトリューズも」
「シャルトリューズは黄か緑、どっちだ?」
「ジョーヌもヴェールも両方」
「......よし、乗った」
「へえ、女のコみたいに甘い酒も飲むんですね」
「うるさい」
苦手なはずの上官を、バーで飲むだけじゃ飽きたらず部屋にまで呼ぶだなんて、あの日の俺はどうかしてた。きっと、肌寒くなってきたせいで人恋しくなってたに違いない。
ただ、今でも不思議に思うんだ。
信じられないほど人付き合いが悪いあいつが、よく思ってなかったはずの俺の誘いをあっさり受けるだなんて、一体どういう気まぐれだったんだろうって。
<TO BE CONTINUED>
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