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11月の第3木曜
ロメオ・クーパーはいつにも増してほがらかだった。
からし色の毛糸でざっくり編んだセーターに、ちょっとくたびれて色が褪せかけたブルージーンズ、胸に抱えるのは全米小売業ナンバーワン・ウォルマートの紙袋。
そんなカジュアルないでたちで、ビートルズのハード・デイズ・ナイトをハミングしながら渡り廊下を行く姿は、どこから見ても休日になるとセントラルパークで愛犬とフリスビーを楽しんでいそうな若者である。
もしも訓練生が今の彼を目にしたならば、寒冷地訓練用のジャンプスーツに身を包み、セルバから尊大に自分たちを見下ろすクーパー教官ーひよっこどもにとっては格別に近寄り難い存在である、あの天才的タンク乗りと目の前の脳天気そうな男が同一人物だとは、にわかには信じられないに違いない。
そんなクーパー、やがて官舎のドアの一つの前で足を止め、なにやら紙袋をごそごそやっていたが、「よしっ、割れてない」と呟くとひとつ小さな咳払いをして、コンコンコン......とせわしないリズムでドアをノックした。
すると数分の沈黙の後、ドアから眠そうな目をこすりながら現れたのは......
色白という点においてはミロのビーナスをも嫉妬させそうな、だがそれ以外の点においては、マダム・タッソーの蝋人形館でモンスター像と並べて展示されたとしても、ちっとも違和感がなさそうな容貌の男ーミッヒ・ハーネマン。
寝起きのドイツ男は、自分より一回り背の高い若造を不機嫌極まりない顔で見上げると、爽やかな目覚めの挨拶を一言。
「このろくでなしの糞ライミー野郎、俺の睡眠の邪魔しやがって。ショットガンで便所に脳味噌ぶちまけたろか」
けれどクーパーはびくともしない。そんな台詞も気まぐれな恋人の愛情表現とでも言いたげに、満面に笑みをたたえたままスカイブルーの瞳を輝かせた。
「ヤッホー!今日は11月第3木曜だぜミッヒ!」
だが、11月の第3木曜日がなんであるかなんて、全くもって心当たりのないハーネマン、相変わらず苦虫を噛みつぶしたような表情で、頬をぼりぼり掻きながら毒づいた。
「......それがどうした、クズ」
「あらら、今日が何の日なのか知らないの?」
「ああ知ってるさ。お前の命日だ」
するとクーパー、さも嬉しそうに紙袋からルビー色の液体に満たされたセクシーなボトルを取り出すと、眉間に深いシワを寄せた男の前にかざして見せた。
「じゃーん!本日はボジョレ・ヌーヴォー解禁日!」
「......アホが......いっぺん死んどけや」
そう言うや否や勢いを付けて、ドアを思い切り閉めようとしたハーネマン。
しかし残念ながら、俊敏さにおいてはウォートランでは彼と1,2番を競う白い彗星・クーパーの方が、0.2秒ほど早かった。
つま先に非金属製セーフティカップを仕込んだタクティカルブーツを、素早くドアの間に差し入れたクーパーは、マフィアのガサ入れをする刑事さながらに体を器用にねじると、次の瞬間には殺風景極まりない部屋の中へと滑り込んでいた。
「チッ......ボジョレだとか解禁日だとか、お前って奴は......もう......ほんっとぉーに......ほんとにどうしようもないミーハーだなあっ!」
押しの一手のクーパーに根負けしたハーネマンは、紙袋からボトルとワインオープナー、そしてタオルで巻いた二客のワイングラスを取り出すと、鼻歌交じりでベッドサイドに並べている背中に向かって聞こえよがしに舌打ちした。
一方、ミーハー呼ばわりされた青年はといえば、馴れた手つきでコルクを抜いて、ゾッとするほど高そうなワイングラスを深紅の液体で満たすと、ムカッとするほど爽やかな笑顔で言い放った。
「別にいーじゃん、ミーハーでも。イベントは楽しまなきゃ損だと思わね?」
だが、寝入りばなを襲撃された男は、すっかりご機嫌を損ねてしまったようだ。ベッドに浅く腰かけて腕組みしたまま、相手の差し出すグラスをがんとして受け取ろうとはしない。
「では今年の新酒に乾杯!」
「..................」
「なぁミッヒ、そうヘソ曲げんなよ。俺が悪かったからさあ」
「..................」だが無言。
「ほら見ろよ、これ、ただのボジョレじゃないんだ。ボジョレ・ヴィラージュ・ヌーヴォー。普通のヤツの倍もしたんだけどさ、一緒に飲もうと思って奮発したんだぜ」
「..................」相変わらず無言。
「チクショ、めんどくせぇ奴!」
ついにしびれを切らしたクーパーは、自分のグラスからワインをグイッと一口含んだと思うや否や......
光の速さでふくれっ面の男に口づけた。
それは相手に反撃の隙すら与えない、もしこの世に「ワイン口移し世界大会」などというものがあるならば、優勝は確実の鮮やかな技だった。
「......クソッ......ぶっ殺してやる......」
不意を突かれてつい飲み下してしまった自分に、一瞬呆然として目を潤ませていたハーネマンだったが、すぐに気を取り直すと、薄い唇の端から流れ落ちたワインを腹立たしげにぐいっと腕でぬぐいながら、ものすごい目でクーパーを睨みつける。
だが、そんな形ばかりの威嚇は、気分が最高潮に盛り上がった若人にとっては、かえって火に油を注ぐようなものだったとみえる。
「うひゃっ!すげぇ色っぺー!」
血の色の酒で紅く染められた白磁の肌に欲情を押さえきれなくなったクーパーは、ぴんと糊をきかせた真っ白いシーツの上、準備万端整えられたご馳走に、ひとかけらの躊躇もなしに襲いかかった。
「あっ!やめろこの野郎!殺されたいのか?......あっ......やめろ......あ............クソッ............」
THE REST IS SILENCE、いや、正確に言うならばあとはただ喘ぎのみ。
20分後......憑依していた犬神が落ちたようなスッキリした表情をして、余裕綽々で煙草をくゆらせるクーパーの横で、またしても押しの強い若造に完全敗北を喫したハーネマンは、池に落ちて命からがら岸辺まで泳ぎ着いた猫よりも打ちひしがれた表情で横たわっていた。
だがやがて、ジタン・カポラルを一本吸い終えたクーパーは、さすがに悪いと思ったのだろう。
ようやく当初の目的を思い出したようにすっぽんぽんで立ち上がると、先ほど勧め損なったワインのグラスを手に取って、白い歯を見せながら優しく微笑んだ。
「ほれ、そう怒らずいい加減飲めってば。今年のボジョレは出来がいいらしいぜ」
だが、相手はぴくりともせずに口を閉ざしたまま。
しばらくの間、この気むずかし屋をどうしてくれようと薄く肩胛骨が浮き出た筋ばった背中を眺めていたクーパーだったが、突然素敵なアイデアが浮かんだようだ。
口元に嬉しそうな笑みを浮かべるや、横たわる男の上に掲げたグラスを急な角度で傾けた。
「......ひゃっ!?冷てえっ!」 ワインを注がれた男は小さな悲鳴を上げて身をよじった。
「なんだ?あっ......クソ!あっ、やめろ、やめてくれ!シーツが汚れる!」
「やめろって言ったって......アンタが飲まないんなら俺が飲むしかないじゃん」
「ああっ!この変態っ!.......食べ物を粗末にするとバチが......あっ.....」
「飲むんだからバチは当たらないさ」
「いや飲みたいんならグラスでって意味で......それにワインの染みは落ちな......うっ......はああっ......」
よりによってクーパーは、みるみるうちに赤く染まるシーツにはお構いなしに、白い肌の上にたらり......とワインを垂らしては、それを好色な舌使いで舐め始めたのだ。「はあぁっ......やめろこの......変態......」
「男の胸は凹凸がないからイマイチやりにくいな」
「......なら......女の胸でやりゃ......いいじゃねえか......」
「やだね。こっちの方が好きだもん」
「......チクショ......ガキの頃の......変態ジジイ......とおんなじこと......しやがっ......て」
その瞬間、ボジョレプレイに熱中していた青年がフリーズした。
「......えっ?ミッヒなんだよそれ?そんな話、聞いたことないぜ?俺」
快感に流されてうっかり漏洩してしまった昔話に顔色を変え、思わず勢いよく立ち上がったクーパー。
それと同時に......
「......パリ......ン......」
高級品にふさわしい上品な音を立て、ワイングラスが床の上で砕け散った。
そのとたん、クーパーのライオンのような咆哮があがる。
「うぉおおぉおっ!450ドルの借り物がぁーっ!」
「はぁあ?......借り物?なんだそりゃ?」と不審げなハーネマンに、彼は顔面蒼白で唸った。
「あああ......ヤバいよ......ワイングラスを買い忘れたもんでターナーに借りたんだ......チクショ、バカラのこのタイプは生産中止とか言ってたから、割っただなんて言おうものならモーレツに怒るだろうなぁ......ぶるっ......」
ゆっくりと半身を起こしたハーネマンは、がっくりと肩を落とすクーパーのライオン色の頭をぽんぽん、と慰めるように叩きながら、至極もっともなことを口にした。
「まぁ......何はともあれひとまず着よーぜ......服」
そして彼にしては考えられないほど年上らしい言葉をかけたのだった。
「でもって一緒に残りの酒を飲んじまおう。そのあと、俺が行くからさ、ターナーんとこ」
さて、その翌日のこと。
「遅いぞお前ら!ここまで来るのにいくらかかってる!テリー教官がお待ちかねだぞ!」
「気をつけっ!今日はあるノルマをクリアしてもらう!誤射に注意して慎重に進み、捕らわれた味方部隊を救出せよっ!」
「なんであんなとこでハーネマンが怒鳴ってんだよ」
「捕虜救出演習はターナー様の担当じゃなかったのか?」
男たちのあこがれの的、ナオミ・ターナーのシンボルであったはずの拡声器を手にした、スキンヘッド男とラウンドヒゲ男から容赦なく浴びせかけられる口汚い罵声。
「はぁあぁあ......おんなじ台詞でもターナー教官だと嬉しいけどなぁ、あんなオッサンに言われちゃやる気も失せるよな」
「はぁあぁあ......なんでここでも機甲科のクーパー教官なんだ?あいつにゃ三日前にギッタギタにやられたばっかなのに......こんな生活もうイヤっ!」
だが、美人教官の尊顔を拝むというささやかな楽しみを奪われた訓練生どもの、深いため息が二人に届くことはなく、ひよっこ落胆の日々は、11月の第3木曜から数えること約一ヶ月。
大事なバカラを割られたターナーとの、演習交代の約束の期限が切れるまで...... あと少しで壁のカレンダーが掛け替えられるその直前まで続くのだった。
<THE END>
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