|
奇人たちの晩餐会(その四)
次の朝。 王宮の片隅にある小会議室。
エジプトの未来を背負って立つ四人の若手官僚たちは、一人を除いてつやつやと血色のいい顔を高窓から漏れ来る陽の光に照り返らせていた。
「昨夜のカメ、お肌に良いって本当ね。ウガリトから輸入した高い化粧品よりずっといいの。ガンコな目の下のクマも消えちゃうなんで、あたくしまでスッポンファンになりそうよ!シャダ」
砕いた孔雀石でばっちり縁取られた涼やかな目をクルクルと動かしながら、アイシスが薔薇色の頬を輝かせた。
「はぁ、喜んで頂けて光栄だよ・・・でもわたしはアンチスッポン党に入るね。あまりにグロテスクすぎるし滋養がよすぎる」と青白い顔で頭をぐらぐらさせているのはシャダ。
「あなたのような胃弱の人はスッポン粥にして食べるといいかもしれませんね」とマハードはキラリと白い歯を見せて笑ってみせた。心の奥にたまっていたドス黒い霧がすっかり晴れたかのごとき爽やかな笑顔である。
「いーや!粥だろうとスープだろうと、原型が思い浮かぶからわたしは駄目だ」
「駄目といえば私もちょっと苦手だな」とカリム。
他の三人のさも意外そうな視線をいっせいに受けながら彼は続けた。
「いくら元気が出ても発散できなければ意味がない。なにが悲しくて夜中に独りバーベルを上げなきゃならないのか・・・」
「性欲を運動で消し去るのは、昇華という高貴な行為なのよ」とアイシスが澄まし顔で茶々を入れる。
一方、カリムの恨めしげな視線を投げられたシャダは大慌てで話を逸らした。
「それにしてもアクナディン様、遅いな」
「なにか悪い予感がします。とてつもなく悪い予感が・・・ひょっ、ひょっとして王子になにか・・・?」
「まさか・・・それなら他の高官も呼ばれているはずだ」
「スッポンの食べ過ぎで腹痛でもおこされてるんじゃないか?」
その時、ギギーッと重い音を立てて大きなレバノン杉の扉を開け放ち、ツヤツヤ光る顔で会議室に足を踏み入れたのは白装束の大神官。その背後には同じく顔をてからせたシモンの小柄な姿も見える。
「アクナディン様!」
一斉に敬礼する若手をぐるり見回した大神官は、いつもより張りのある声で第一声を発した。
「みなのもの、まずはシモン殿と相談があって少し遅れてしまったことを詫びておく」
アクナディンは席に着くとすぐに切り出した。
「この度のゲテモノ選考会への多大なる協力尽力には心より感謝する。どの料理も一長一短ながら、十分にヒッタイト人をギャフンと言わせるに足るものであった。
選考の結果、耐えがたく醜悪でありながら滋養によい食材として、本番の晩餐会にはスッポンを供しようということに決まりかけたのであるが・・・」
「・・・で、あるが?・・・」
「各自昨夜のスッポン効果を思い出して欲しい。ゴホンゴホン・・・」
アクナディンは咳払いを挟んで続けた。
「昨夜のみならず今もまだ体は軽く、足先の冷えは消え去っているはず。昨日の友は明日の敵。これほどの効用があるカメの存在を、ただでさえ闘争的なかつての宿敵に知らせるべきだと思うか?」
「・・・それに、ヒッタイト人がスッポン力でガンガン子づくりに励むと考えてみい」とシモン。
「未来の戦士がわんさか増えて、我が国の潜在的敵国に塩田ごと塩を送ることになりかねんじゃろ?」
「・・・なるほど、そう言われてみれば確かに・・・」と合点して深くうなずく若者たち。
「そのような次第で、スッポンの採用は中止っ!・・・かと言って他の食材がスッポンに勝るとも思えぬので、明日の晩餐会にはあたりさわらぬものを供することに決定したーっ!」
「でも、それでヒッタイト人が納得するのですか?」
「アクナディン様のお顔に泥が塗られるようなことになれば、我々もだまっているわけにはいきませぬ」
「なぁに、アナトリアの田舎者など、わたしの巧みな語り口にあっという間に丸め込まれるわ。カッカッカッ!」と高笑いするアクナディン。
「なんといっても、我らがエジプトには伝家の宝刀「あの世概念」と「盲目の竪琴弾き」があるでなぁ。あれを話に絡めれば、異国人は自分から進んで煙に巻かれてくれるわ」
さて、次の満月の夜、いよいよの本番。アクナディン主催の晩餐会。
色あざやかなマットの上に広げられた豪華な料理を目の前にして、誇り高きアナトリアの民・ヒッタイトの大使は、毛織物のようなヒゲをしきりになでつけながら大げさに片眉を上げてみせた。
「まったくいつ見ても貴国の料理の華麗さには驚かされます。ただ味がいいというだけではない。皿に酒杯、料理の色や盛りつけの素晴らしさ、おまけに料理を供する女たちのなんと愛らしいこと・・・まったくエジプトの食卓には溢れんばかりの美がございますなぁ!」
「お褒めいただいて心より嬉しく思いますぞ」とアクナディン。その顔にはなぜか、前回の晩餐会で見せた強いアクと競争心がすっかり抜けたかのような晴れやかな表情が浮かんでいる。
おだやかに微笑むカルナックの大神官と料理の盛られた大皿を見比べながら、ヒッタイト人は不思議そうに首をかしげた。
「だが・・・これらのどこがマッサージ師の世話になるほどガツーンと来るのか、どうも私には分かりかねるのですが」
アクナディンは言った。
「確かに。お約束を違えまいと、ただ大使殿を驚かせるためだけのゲテモノ料理はあれこれ準備いたしたのですが・・・」 一瞬口を閉ざして大使を意味ありげに見つめる大神官。
「そのどれもをお出ししないことに決めたのです」
「なにっ?それは何故なのでしょう?」
「餓えて他に食べるものがないというならいざ知らず、神々からの贈り物に満ちたこの地で、どうしてその恩恵に素直に感謝しないことがありましょうか?!こうして目の前に美味いものが溢れているというのに・・・」
手近な皿から取り上げたブドウの実を、一粒口に運んだアクナディンは続けた。
「・・・無闇に珍奇なものを追い求め、遠方からお越し下さった客人にもそれをお勧めするのは、ナイルの恵みによって生きる民としては不遜にすぎるという結論に達したのです」
おりしも、広間の中央では盲目の竪琴弾きによって、哀切極まりない曲が奏でられている。
・・・汝のうしろにすべて哀しみを投げ捨てよ
沈黙を愛する国の港に着くその日の来るまで
歓びを思い出せよ
汝が愛しているあいだは汝ののぞみに従え
ヒッタイト人はしばらく目を白黒させていたが、やがて納得したように濃いヒゲをいじりながら言った。
「ふぅーむ、そう言われてみれば確かに。美味いものに飽きたらずより珍しい食材で無闇に舌を驚かせようとするのは、貴国のみならず我が国でも不遜なことと言えましょうな。そもそも・・・」
はちきれそうな裸体を腰ひも一本で飾り、果物皿を差し出す娘に目を細めながら、彼もブドウをつまんで口の中に放り込む。
「・・・大使の任期が終われば、望む望まざるに関わらずあの寒々しいハットゥシャシュに呼び戻されるのですからな。今はせいぜいナイルの恵みに浴するのが賢明だと言えるかもしれませんなぁ!」
哀しみのその日がくるまでは、汝の心を乱すな
しあわせの日を送ってこれに倦むことなかれ
見よ、自分の財産をもってゆけるものとてなし
去りゆくものにてふたたび帰りくるものとてなし(※)
「さすが大使殿、我々エジプト人の想いをご理解頂けて嬉しい限りですぞ。命短し恋せや乙女。奢れる者は久しからずただ春の夢の如し・・・」
アクナディンは遠くを見るような瞳で微笑んだ。
「この世の命はいつ尽きるとも分からぬものです。ほら、あの竪琴弾きが詠っておるとおり、来世はもっといいものだという噂はあるものの、誰一人あの世を見て帰ったものはおりませぬ。ならばせいぜい朗らかに楽しくこの世を味わった方が賢明と言えましょう。
さ、さ、テリピヌ殿。エジプトとヒッタイトの友好を祝して、そしてそれぞれの王の長寿を祈ってもう一度乾杯しようではありませんか!」
「まったく!アクナディン殿、正直言って私はあなたのことを競争心ばかりの頭でっかちで嫌味なお方だと思っておりましたが、こうして胸襟を開いてみると、なかなかに人生の陰影というものを分かってらっしゃるようですな」
「確かに、テリピヌ殿。わたしもあなたのことを田舎者で無粋な思いこみの激しい直情派だと見ておりましたが、意外に情緒的な話も分かるインテリのようですな」
「わはははは!いや、我々アナトリアの民は生まれながらの戦士ですからな。女々しいよりは無粋で直情的な田舎者と呼ばれるくらいが丁度良い」 「わはははは!相変わらず口の減らぬお方ですのぉ!我々は長い歴史を大切に守る平和的な民ですからな、すぐに棍棒を振り上げる野蛮人と思われるくらいなら、女々しいと言われた方がまだマシですなぁ!」
一瞬睨み合う二人の男。
だが、すぐにアクナディンが陽気な調子で酒杯を高く掲げた。
「さぁさぁ、もう無駄なお喋りはよしましょう。ここはググッと一杯!われわれのカーのために!」
「うん、美味いワインだ!アクナディン殿も一気にどうぞ!われわれのシェードゥのために!」
「美しきエジプトに栄光あれ!わはははははは!」
「誇り高きヒッタイトに栄光あれ!わはははは!」
※・・・筑摩書房「古代オリエント集」(杉勇・屋形禎亮訳)より
「そっと、そーっとだよ。ぜったい大きな声を出しちゃダメだからね」
「うん。わかってるぜ。そーっとだね」
幼い王子は息を止めてコクコクとうなずいた。
ここはアイシス邸の裏庭に続く小道。
少年たちは指先から小さな肉片をぶらさげて、茂みの奥を一心に見つめている。
「これをたべさせたら、なんでも元気になるんだぜ!」
どうやって晩餐会の残り物を手に入れたのだろう。
何よりも、どうやってこの肉の効用を知り得たのだろう。
キョロキョロとあたりを伺いながら王子が開いて見せた豪華な螺鈿細工の小箱の底には、表面が乾きかけたスッポンの小片がいくつかへばりつていた。
なんでも元気になるなんてそんなのありっこない!とセトははじめ馬鹿にしてみせた。
だが、幼い乳兄弟の話と昨夜の自分の父の奇妙な様子を考え合わせると、この小さな肉切れにはなにかとてつもない秘密が隠されていそうだ、と聡いセトは感づいたのだ。
「じゃあなにかで実験してみようよ。どこかにいない?病気の生き物」
「マナのトリがげんきないっていってたぜ」
「・・・小鳥は肉を食べないだろ?」
「じゃあソベクは?」(※)と王子。
「どこが弱ってるんだ!年中イヤになるほど元気じゃないか、あのワニ。もっとよぼよぼの生き物をかんがえろよ!」
「よぼよぼ、よぼよぼ・・・」
王子はしばらく小さな頭をひねっていたが、すぐにぱあっと顔を輝かせた。
「アイシスんちのネコがよぼよぼだ!」
(※)鋭意執筆中・アテムとセトの「子鰐物語」の主役です。(笑)
「チチチチチチチ・・・ミーちゃん、おいでおいで」
「ほらミーちゃん、おいしいお肉だよぉ。チチチチチ・・・」
せっかく気持ちよく寝ていたのに、なんだこの子供らは・・・?
齢一四才になるアイシスの愛猫は、咲き誇るアイリスの間からおっくうそうに姿を現すと、ピンク色の鼻先を突きだして少年たちの指先からぶら下がった肉片の匂いを嗅いだ。
「ほらミーちゃん、おいしいよぉ。食べてごらん」
「よぼよぼがなおるおクスリだよぉ!」
・・・確かによぼよぼの年寄りかもしれない。けど、足がふらつくのは年のせいじゃなく若い頃の猫ジステンパーの後遺症で・・・と言ってやりたかったが、人間にはニャーニャーとしか聞こえないから言っても仕方がない。
寡黙なトラ猫は魚とも獣肉ともつかぬ不思議な匂いにうさん臭げに鼻をひくつかせていたが、顔見知りのこの小さな人間たちが差し出すもの、少なくとも毒ではなかろう。
勇気を出して一切れくわえてそっと噛んでみた。
「あっ!たべたよ!・・・かんでるかんでる!あ、のみこんだ!」
「ほら、ミーちゃん、もっとあるよ。もっと食べたら元気になれるよ」
意外に美味いな。
親切な少年たちに勧められるまま、老いた雄猫は次々と肉片を呑み込んだ。
「ただいまミーちゃん、いい子してましたかぁー?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
キャーーッ!な、なんなのーっ!この匂いーっ?!」
ハトホル神殿の税務調査立ち会いから帰宅したアイシスは、一歩自室に足を踏み入れたとたん悲痛な叫びを上げた。
上等な衣装がたっぷり詰まったパピルスの衣装箱、ピンクのシーツに覆われた猫足の寝台。
咲き乱れるロータスが描かれた白い壁、空に遊ぶ小鳥が刺繍された愛らしいファブリック・・・
アイシスの大切にしているものすべてに愛猫の印が刻印され、ふんぷんたる悪臭をまき散らしている。
そしてその刻印の主はといえば、窓の横にしつらえられた壁龕(壁のくぼみ)からハトホルの神像を蹴落として代わりにそこに潜り込み、金色のまなこを野獣のようにギラギラと燃え立たせている。
「・・・ひどい・・・今までこんなことしなかったのにどうして・・・」
常に沈着冷静にして、駄目な男どもを畏怖さしめるさしもの女神官も、大切なものたちが猫アンモニアの洗礼を受けて笑っていられるものではない。
アイシスは怒気もあらわに愛猫にずかずか近ると、声高に叫びながらその首っ玉をひっつかもうとした。
「ミーちゃん!お前なんてことしてくれたのーーっ!」
「ミギャギャーーーッ!フンギャーーーッ!」
「キャアァァアアァアーーーーーーーーッ!」
夜のテーベに響き渡る布を裂くような女の悲鳴。
老いたトラ猫は軽やかに身を翻すと、雌猫を求めて窓から飛び出していき、あとには猫臭い部屋にただ独り、呆然とへたり込む女神官が遺されたのみであった。
さて、その数日後。
王子とセトの生物の教科書にはそれぞれ、次のような新たな一文が書き加えられたのであった。
カメ
エジプトにはリクガメ科とスッポン科のカメが生息する。
スッポン・・・河にすむカメ。甲らは丸くやわらかで、鼻先がとがっている。かみついたら雷が鳴るまで離れない。肉はナベで煮て食べると力が出る。
※ あぶないので河で見つけても指を出してはいけない。子供が肉を食べてはいけない。肉を動物にやってもいけない。
ネコ
我々の祖先がリビアヤマネコを飼いならして家畜にした小型の動物。ライオンやヒョウ、チーターの仲間。
家のネズミを捕ってくれる有益な生き物で、訓練すると川辺の鳥猟で鳥を捕らせることもできる。
ペットとして可愛がっている人も多い。色は黒と茶のシマがほとんどだが、たまに黒、白、茶など一色のものも生まれる。
※ 注意!ネコに食べさせてはいけないもの
※ エビ、カニなどの甲殻類
※ タコ、イカなどの軟体動物、
※ スッポン
「もう一回言ってみろよ。ちゃんと言えるかたしかめてやるから」
「うんわかった。えーっと、『これはオレたちからのおわびのしるしです。つまらんものだがうけとりください』・・・これでいいか?」
「『つまらないものですがどうぞお受け取り下さい』だろ?それに人にあやまる時は『オレ』じゃなくて『ぼく』って言わなきゃ」
「これはぼくたちからのおわびのしるしです。つまらないものですがどうぞおうけとりください」
「そうそう」
色とりどりの季節の花々を両手一杯に抱えた少年たちは、小さな頭を河から運ばれてくる爽やかな風に撫でられながら、先日酷い目に遭わせてしまったアイシスに謝ろうと王宮への小道を急いでいた。
一方、アテムとセトが向かう先・・・レバノン杉の大扉を固く閉じた会議室では、憤怒の表情のアクナディンを囲んで若手官僚が喧々囂々の討論中。 むかっ腹の立つアッシリア大使を次の晩餐会でいかにギャフンと言わせるか?それが目下最大の問題なのであった。
かつてネフェルトイリ大王妃の神殿の書記・アニはこう書いた。
上司が怒りに燃えているときは答えるな。かれに譲れ。
上司が苦い言葉を吐くならば甘い言葉で答えよ。
彼の心を鎮める良薬となろう。
王子とセトにはぜひとも覚えておいて欲しい。
古今東西いつの世にあっても、大人にはかくも気苦労が多いものであることを。
ーおしまいー
|