大人は分かってくれない (後編)

「マハード?!」

その名を耳にしたシャダは、子ネズミがくるくると顔を洗うようなあわただしい動作で涙をぬぐうと、泣きすぎで赤くなった鼻のままキッとマハードへ向き直りかん高い声で叫んだ。
「なんだよ?のぞき見とは無礼じゃないか!」

「い、いや・・・お、オレ・・・いやわたしは・・・」
マハードはもじもじしながら言いよどんだ。

生まれ持っての濃いアイラインに縁取られたとび色の瞳が、視点を定めかねてしっくいの床の上をうろうろする。
「・・・・た、立ち聞きするつもりはなかったんですけんども、ごつい泣き声が廊下にまで聞こえたもんでいったい何事かと思ってえ・・・」
強い訛りを隠しきれないマハードの言葉にハッとした表情になり、思わず耳まで真っ赤になるシャダ。

王都へやってきてまだ日の浅い新米に子供じみた自分の姿を見られた恥ずかしさを隠そうと、シャダは濃いアメジスト色をしたアーモンド型の両の目をつり上げて噛みついた。

「なんだよ山出しめ!お前みたいな朝堀りのイモなんかにボクの事情が分かるもんか!
だいいちテーベの生命の家に入学するんならせめて共通語をしゃべれよ、そんな田舎丸出しの方言じゃなくってさあ!」
廊下にまで聞こえるような声で泣いていたのは自分の方だというのに、まったくいいがかりもいいところだ。

だが、この相手にはシャダの嫌味があまり通じていないように見える。
マハードは鳥の巣のような黒い頭をぽりぽりと掻きながら、困惑したような・・・でもほんとうは何も考えていないような、しごくあいまいな笑顔のまま黙って先輩達の方を見つめるばかり。

一方、さっきからじっと二人を眺めているおかっぱの少年はといえば、友人が照れ隠しに怒っているのが手に取るように分かるものだから、横でくすくす笑いを抑えきれない。

精一杯肩をいからせマハードを威嚇するつるつる頭と、そんなシャダの怒りも柳に風・・・といった風情で困ったような微笑みを浮かべ突っ立ているぼさぼさ頭。

シャダはもともと色白でやせっぽちなところへもってきて、いまやすっかり毛がなくなった姿は羽をむしられた鳥を思わせて哀れをもよおす。
かたやマハードはといえば、真っ黒に日焼けした長い手足が筋張って、まるで栄養失調のアシュートのインプ(アヌビス)・・・といった風情がこれまた別の意味で貧相だ。

・・・この二人、なんだか正反対のような似てるような・・・
そう思って観察すると、ますます可笑しくって仕方がない。
だがそんなカリム当人も、さっきから頭に乗せた小鳥がちっちちっちと鳴きながら一心不乱に長い黒髪を引っ張っているありさまは、はたから見ると笑いを誘うものだったに違いないけれども。

思わずくすくすと忍び笑いを漏らした友人を振り返ってシャダはますます赤くなる。
「なっ、なんだよっ?笑うなよカリム?!」
「いや、愉快だなって思って」
「何が愉快なんだよっ?!」
「いや、お前とマハードを見てるとさ」
「あーっ!君は時々わけの分からないことを言うねえ!ボクは頭がすーすーしてちっとも愉快じゃないよっ!」

「・・・・・・あんのお・・・」
その時、さっきまで黙って突っ立っていたマハードが突然口を開いた。
「ところで・・・シャダ様に一つ聞いてええですか?」
「なんだよっ?」
「シャダ様はなんで泣いてらっしゃったんですか?」
「・・・・・・うっく!」

いきなり核心にせまる質問をしれっとした顔で発されたものだから、思わずグッ!と言葉に詰まるシャダ。
一瞬固まってしまった彼だったが、すぐに気を取り直しやけっぱちで自分の頭を指さしながら吐き捨てた。

「・・・これだよっ!」
「・・・・・・これ・・・って?」
ますます不思議そうに首をひねるマハード。
「この頭だよっ!」
「アタマ?」
「見て分からないのっ?・・・剃られちゃったんだよおっ!」
シモン様に・・・とまでは言ってはならぬ気がして、その寸前で口を閉ざす。

「・・・ええっ?!・・・たったそれだけのことで?」
シャダの期待せぬ点で驚き顔のマハードを見て、舐められてはたまらんとシャダは慌てて付け加える。
「それが・・・・・頭だけじゃなくぜんぶ!もうぜーんぶなんだよおっ!」

「ぜんぶ」と聞いて「ええっ?」と驚くカリム。
「ふーん」と顔色一つ変えないマハード。

「なんらばシャダ様・・・」
「・・・学生同士なんだからもう『様』は要らないよっ!邪魔くさい!」
・・・シャダはなんだかもうどうでもよくなってきたようである。
「じゃあしゃだ。頭だけじゃなくて足とか手もつるつるですか?」
「そうだ!」
「脇の下も?」
「そうだ!」
「・・・あすこもつるつるで?」
「・・・うっ・・・・・・・・・あ、ああそうだよっ!」
「ぜんぶ自分で剃ったんですか?」
「・・・・・・・・・ボクにはそんな趣味はないっ!・・・そ、剃られたんだよっ!」

それを聞いてなーんだ、という表情のマハードは相変わらず口端に不思議な笑みを浮かべたまま言った。
「だどもそんなの、テーベじゃあ当たり前と違うんですか?」

「えっ?!」
驚きで思わず顔を見合わせる都会っ子たち。
その勢いでカリムの頭からずり落ちそうになった小鳥が、バタバタ羽ばたいて体勢を整えた。

「あ、当たり前って・・・・・
た・・・たぶんこっちじゃあ当たり前じゃないとおもうけど・・・
・・・ね?そうだよねカリム?」

マハードが余りにも自信たっぷりなもので、メンフィス育ちのシャダは不安いっぱいのおももちで友人に救いを求める。
メンフィスじゃフツーじゃなくってもテーベではボクの知らない内にフツーのことになってたのかも・・・と急に心配になってきたようだ。
それに答えてカリムも
「・・・あ、ああ。職業によっては確かにそうだけど、みんながみんな全身つるつるはない・・・と思うな・・・多分」
と語尾をごまかし気味だ。

「ええっ?!!」
今度はマハードがとびいろの瞳をまん丸にして驚く番である。
「・・・オレ・・・いやわたしはテーベじゃあ人に剃ってもらうのが決まりだって聞いたんですけんども」
貧血になりそうな勢いでぶんぶんと頭を振るシャダとカリム。
「だけんども・・・・・・ホラ!」
そう言いながらマハードは先輩の目の前でやおら腰布の結び目に手をかける。
い、いきなりっ脱ぐつもりかよっ?!と驚いた二人が止める間もなく、マハードの白い亜麻布の腰布はするりと床に落とされた。

なにも突然実物を見せなくっても・・・と口に出す前に二人は誇らしげに目の前にさらけ出されたマハードの股間を息をのんで凝視した。
「・・・イ、イブ刈りぃ?!」(※1)

そう、かつては黒々と生えそろっていたはずのマハードの大切な部分の毛は、一部を残してあとは綺麗に剃られてまっさおな剃り跡を見せている。
そして年の割にご立派な一物の回りには、ファラオお抱えの床屋が裸足で逃げ出すほどの腕前で刈り込まれた心臓を意味するヒエログリフのかたち。そのテクニックはまさに神のレベルだ。

「・・・う、上手く剃ったもんだなぁ!」と妙な感心をするシャダ
「・・・・・・た、確かにすごいけれど・・・・・・やっぱり変だよ、これは。やった奴は言っちゃなんだが変態だな」と神妙な顔でカリム。
「そうだな、フツーじゃないな」
「ぜったいフツーじゃないよ」
「変態だな」
「王宮や神殿でこんなことする変態って誰なんだ?」

自分は綺麗に剃られたくらいでワンワン泣いてたというのに、こんな羽目になった股間を抱えてなお悠々としている持ち主をシャダは少しだけ尊敬する気持ちになって、じっと突っ立っている少年に聞いた。
「おい、マハード」
「・・・ハイ?」
「・・・お前偉いなぁ!間抜けだけど偉いなぁ!こんなことされて平気だなんてさ」
「お褒めに預かり光栄でございます」
「・・・・・・」
「それにしてもお前一体誰に剃られたんだ?」とカリム。
「・・・誰にって・・・オレ・・・」

「ちょっと待ったああーっ!」

その時バターン!と建物全体が揺れるほど荒々しく扉を開ける音と、ファラオの動物園で見た獅子の咆哮のごとき大声に驚いて飛び上がる少年たち。

「シモン様っ?!」
予期せぬ高官の突然の出現に、三人は慌てて膝を折り最敬礼する。
跪く時、思わずちらりとシャダの顔を盗み見て、シモンの出現に友人がなぜか顔を真っ赤にしているのをカリムは見逃さなかった。

「ええいっ!敬礼なぞよいよい!よいっ!!」
そう叫ぶとシモンはハァハァと荒い息でマハードへ向き直った。
「マハードよっ!」
「えっ?はっ、ハイッ!」
「お前のあすこの大事な毛、一体誰に剃られたのだっ!」
怒りか、はたまた動揺か、声が微かに震えている。

シモンの食いつかんばかりの勢いに面食らったマハードは可哀想なほどしどろもどろだ。
「あ・・・いや・・・その・・・オレ、いやわたしは・・・」
「アクナディン様かっ?」
「・・・い、いいえ・・・アクナディン様のお顔は存じ上げておりますっすゆえ・・・」
「お前の知らない人間か?」
「・・・はい・・・初めてお会いするお方でございました」
「どんな人間だ?若いのか?それとも年寄りか?どんな服を着ていた?背の高さは?」
矢継ぎ早に発される質問に驚いた様子で、少年は目をくりくりさせながら一生懸命思い出そうとしているようだ。
「はい・・・えーと、背がお高くてぇ、年の頃は40過ぎくらいで・・・えーと、灰色の髪の毛で灰色のヒゲを生やされておりました」
「うーむ・・・なら、どんな剃刀で剃られたのだ?」
「えーと・・・斧みてぇなかたちのぉ、でっけえ青銅の剃刀でごぜえました」
緊張のあまり訛が丸出しになるマハード。

「・・・儀式用の剃刀を持ち出せる人間・・・・・やはりあなた様でしたか・・・」
シモンの握りしめた右手の拳はぶるぶると震えている。
「せっかく取っておいた私の楽しみを奪っておしまいになるとは酷いお方だ・・・
いくらファラオでもやっていい事といけない事がありますぞっ!」
彼はそう呟くと長衣の裾をひるがえし、振り返りもせずに入ってきたときと同じ勢いでバタバタと部屋から出ていった。

あわただしく走り去る小男の後ろ姿を唖然として見送っていた少年たちだったが、やがてカリムがゆっくりと口を開いた。
「・・・・・・ファラオ・・・って・・・おっしゃったよな?」
「うん、確かにそう聞こえた」とシャダ。
「・・・・・・あの方がファラオ?あの方がファラオ?・・・オレ・・・オレ・・・どうしよう・・・」と呆然とするマハード。
つい先日自分の股間の毛をぞりぞりと音を立てて剃り上げた人間が、幼い頃から崇め奉っていた現人神?
今明らかになった驚愕の事実にマハードの顔色は「真っ青」を通り越し、すでに冥界のオシリスの顔色ー緑に近いものがある。
重苦しい沈黙が三人の少年の間にたれ込める。

「・・・でもまだファラオと決まったわけじゃないよな?」
「そう、そうだよねっ!カリム!ボクたち三人とも揃って聞き違いしたのかもしれないよねっ?!」
「・・・・・・そうでしょうか?オレには確かに『ファラオ』と・・・」
ここは『聞き違い』にして話を終わらせたかったシャダとカリムは思わずマハードを睨み付けたが、マハードは何かぶつぶつと呟きながら壁に描かれたロゼッタ模様を見つめるばかりであった・・・

次の日。
「・・・『前略おねえさま』・・・と・・・」
シャダは自室でメンフィスの姉たちに手紙をしたためている。
『・・・テーベでは不思議なことが色々起こります。たとえば・・・』
書き上がった手紙を几帳面に短冊折りにしてナイルの泥で封印の上、シャダはそれを郵便配達夫に言付ける。

・・・そのしばらく後、シャダの手元に届けられた真っ白で上質なパピルスには、シャダ以上の達筆かつ力強いヒエラティクでこうしたためられていたのだった。

『私たちの可愛い弟へ。

テーベだけではなく世の中にはいろいろな事があるものです。
この世のできごとはジャジャムアンクの魔法やシヌヘの冒険を遙かに凌駕するものなのですよ。
事実は物語より奇なもの。
お前ももう少し大人になればこの言葉の意味が分かるようになることでしょう。
だから今はお前の回りで起こること何でもすすんで経験し、そして結果を真摯に受け止めなさい。
今は学ぶべき時です。頑張って。
私たちもお母様もあなたがひとかどの人物になるように、プタハ神(※2)にご加護をお祈りしております。

      いつもあなたの事を想っているイシス、ネフティス、セルケトそしてネイトより(※3)

追伸・シモン様の言いつけをきちんと守って仰る通りになさい。
それはこれから先必ずお前のためになることでしょうから。』

読み終わった手紙を元通りにたたんで黒い木製の箱にしまいながら、シャダはおおきなため息を付いた。
・・・・・大人になんかなりたくないな・・・・・

彼の頭の上では、今ではつるつるした場所ででもうまくバランスを取れるようになったタゲリが、一心不乱に羽のお化粧中だ。

憂鬱な顔つきのまま、庭園のイチジクが地面に落とす影にふと目をやったシャダであったが、その影の長さに気付いた瞬間、顔色を変えて大きな声で叫んでいた。
「しまった!魔術の授業だった!」

彼は大慌てで机の上のパピルスと筆箱をひっつかむと、野ウサギのように部屋から走り出す。

後に残されたタゲリは、そんな主人の後ろ姿をブドウの如きつぶらな瞳で不思議そうに見送っていた。



※1・・・心臓の形のヒエログリフは『心』を表す「イブ」という単語を構成する。心臓というか、取っ手の付いた壺のような形だ。
※2・・・メンフィスが信仰の中心であったミイラの形で表される人型の神。プタハと妻である獅子頭のサクメト、息子である薫りの神ネフェルテムをもって「メンフィスの三柱神」と呼ばれる。また、メンフィス神学ではプタハが世界を創造したことになっている。
だが、ヘリオポリス、ヘラクレオポリスなど他の土地では、それはそれでまたその土地の主神が世界を造ったことになっており、そこらに今も昔も変わらぬ宗教関係者の苦労そしてご都合主義を垣間見て微笑みを禁じ得ない。
※3・・・捏造設定「シャダの四人の姉」の名をどうしようかな、と考えたところ、「セト」の名を貰った神官もいることだし女性四人ということで、東西南北の四方位を護る女神の名を頂いた。まさに女傑。

カイロ博物館の剃刀各種。この度のエジプト旅行の目的の三分の一は「剃毛のための剃刀見学」であった・・・
これらの素材はほとんど青銅である。
ここに儀式用のものは写っていないが、斧の形そのものを想像していただければよいかと。

カルナック神殿の柱に刻まれたレキト(タゲリ)。

前編で書いたように、タゲリのヒエログリフは「一般の人々」であり、ここでは下の半円が「すべて」タゲリが「人々」、星が「崇拝する」なので、この三つの組文字で「すべての人々は崇拝する」という意味を成す。

このタゲリはにょっきり出た手がキモいが(笑)、役人ウセルハトの墓の壁画にはもっとリアルで可愛いタゲリが飛翔する姿が今も残っている。


アホ話ですいません(土下座)

当サイトでSSに取りあげられると少年の頃ははマトモでも、成長するにつれみ〜んなヘンタイにへんしーん!
・・・というわけでアク王もシモンも単なる変態ジジィにしてしまってホンマ申し訳ないゆるしてください。おまけにマハまで不思議ちゃんにしちゃったんで、真面目なマハファンに毒団子食べさせられないか不安でたまりません・・・

いえね・・・遊闘314で「アク王に千年宝物作製の経緯をついばらしちゃったマハード」というマハード’の過去語りから、もう私には彼が「相当な破壊力のうっかりさん」にしか見えなくて・・・
その上、当家では「マハはアクナディンにスカウトされてワディ・ハンママートから上京したカッペ」という設定なもんですから、ぼんやりな上に訛りまで・・・すまん!
でもこれから都会でもまれていいこと悪いこと色々経験して(させられて)、ちゃんといい男に成長しますから!!(言い訳)
正直なとこ一人称「オラ」にしたかったんですが、さすがにそれは思いとどまりました。

シャダ坊も今は純情小僧ですが、これが年月を経て酸いも甘いも噛み分けた、オールラウンドプレイヤー(笑)な立派な官僚に成長するのでした。なんたってシモンが手取り足取りだもんな・・・
でも長じてシモンから千年錠を受け継いでからも、どうしても師を越えることができないシャダ。がんばれシャダ!がんばって剃毛の道を究めるんだ!
ただ一人変わらないのはカリムのみ。彼はこれからも遊ばず羽目を外さず黙々と勉学を続け、やがて立派な建築家になるのです。(脳内設定・・・)

正直申しますと「剃毛されて大ショック」というあたり、リアルエジプト史をベースにするとかなり無理のある設定なのです。
・・・というのは、当時神官は剃毛が「義務づけられて」いましたが、ヘロドトスもびっくしなほど清潔好きなエジプト国民のこと、神官でないフツーの人々も義務づけられなくてもすすんで腕や足、頭髪まで剃り上げていたという環境を鑑みると、少年達が剃毛にここまで抵抗を持つことはまずなかったのではと思うのですよ。

ですからシャダ坊がここまでショックを受けたのは「剃られて興奮しちゃった自分への漠然とした嫌悪感ゆえ」とお考え下さい。

さて、次はシャダが不良まがいの刺青をするに至った話でも考えたいです。
誰があのデザインしたかは決めてるんですよ・・・それは天才絵師トトメスー超有名なあのネフェルティティ像(片目のないほう)を作った工房の主ね。で、彫ったのは医師シヌヘ。ーって古代エジプトオールスターズ!(笑)
廃都テル・アマルナから流れてきてテーベ西岸でひっそりと隠遁生活を送っていたトトメスの元を訪ねるシャダ・・・なんてもうすげぇオリジナルテイスト!!ダメだこりゃ!!