その体は冽(つめ)たかった。
 その体は動かなかった。
 その手も何も握らなかった。
 その瞳も開かなかった。
 その体はまだ柔らかかった。
 物言わずわたしを愛した男。
 物言わずわたしを見つめた男。
 何も求めず。
 何も与えず。
 ただ私(し)を捨てて王宮に仕えた男。
 何も求めず。
 何も与えず。
 何も残さずに……

 その体は冽たかった。
 その体は動かなかった。
 その体を抱き締めた。
 その体は動かなかった。
 お前の顔は気に入ってた。
 お前の瞳は気に入ってた。
 もの言わぬ首なら盆に飾って眺めてやったのに。
 開かぬ瞳なら盃に注いで飲み干してやったのに。

 冽たい首筋。
 くちびるがひんやりと凍る。
 今、ここが灼く脈打っていたなら……噛みちぎってやったのに。
 わずかに没香の匂いがした。
 神に香を捧げて行ったのだろう。
「セト……起きたのか?」
 灼い指が私の首に触れる。
 わたしを抱き締める灼い体。
 あの体に抱き締められればこの身は凍り付いただろう。
 この首は灼い。
 この体は灼い。
「痛いぞ……セト」
 熱い首に……血の匂いを嗅ぐ前に押しはなされる。
 肉を食んだくちびるが……甘い。
 薔薇の香油がくちびるにぬめる。
 お前の肌はどうだっただろうか。
 もっと硬いのだろう。
 もっと硬くて……
「なぜ泣く……セト……」
 私にくちづける灼いくちびる。
 あの体は冽たかった。
 あの体は動かなかった。
 あの手も何も握らなかった。

 わたしはあの体に触れたことは無かった。
 あの体もわたしに触れたことは無かった。

 薔薇の香油の香る部屋で……
 没香の匂いがただ、冽たく、静かに香っていた……
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 義恋-GIREN-
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 晶山嵐子

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