コンコンコン......
カレー粉と胃腸薬をドルチェ&ガッバーナのスーツに潜ませた青年は、期待と不安に胸踊らせながらお目当てのドアをノックした。

蝶ネクタイと燕尾服までは要求されてはいないものの、これから向かうのはジーンズやランニングシャツお断りの小うるさい店。軍用装備にはやたらとこだわるくせして日常着にはてんで無頓着なハーネマンは、果たしてまともな格好で出てくるのだろうか?

だが、そんな不安には何の意味もなかった。
ギギーッ、と音を立てて開いた扉から最高潮に不機嫌な顔で現れた男の格好は、見る者に不安や迷いを覚える余地を全く与えないほど、保守性と安定感に満ちた不変のスタイル。

いや、正確に言うならば、いつも通りの官給の黒Tシャツとオリーブグリーンのカーゴパンツの上には、彼なりの精一杯の言い訳なのだろうか、破産宣告を受けたばかりのガソリンスタンドの親父が教会のバザーで貰ってきたような、くたびれたタータンチェックのパーカーをはおっている。
そしてそれらすべてが個性的な外貌と相まって、何とも言いしれぬ味を......
そう、ホラー映画でチェーンソーを振り回す、頭のイカレたアンチヒーローのような不気味さを醸し出しているのだ。

「ミッヒそれって......」
絶句したクーパーは、綺麗に散髪したばかりの頭を無茶苦茶にかきむしりたくなった。 あああ!事前のファッションチェックをおこたった俺がうかつだった!
一方、さしものハーネマンも自分のセンスには全く自信がないと見える。「やっぱこれじゃダメか?」と言ったきり、車のヘッドライトに照らされた野良猫のように固まってしまった。

「いや、それはそれでいいんだけどね......」相手を傷つけまいとひとまず持ち上げてはみたものの、それでいいわけなんぞあるはずない。
とにかく連れがこんなスタイルでは、精一杯お洒落しているはずのターナーとオデッサに合わせる顔がない。
「ただ......あまりにもコンサバティブすぎるようにも思えるなあ。ノードシーノみたいな雰囲気の店ではもうちょっと冒険した方がいいかもな!」
早口で畳みかけるようにそう言うと、戸惑う男を部屋に押し戻し、「ちょっと待っててくれ!すぐ戻る!」と叫ぶや否やクーパーは、マシンガンから発射された銃弾そこのけのスピードで廊下をダッシュした。

間もなく自室から戻ってきて、肩で息をする青年の両手に抱えられていたのは、ロッカーを引っかき回して選ばれた、カットやステッチに凝りに凝ったブランド物。

「ハァ......ハァ......俺ので悪いけど......」とクーパーはブラックレザーのグッチを差し出した。
「もう時間もないから、ひとまず何も言わずにこれ着てくれよ。ハァ......ハァ......一番タイトなデザインのやつ選んだからさ......サイズ的にはイケると思うんだ」


そしてその20分後......
ポーに借りたアストンマーチンに人目を避けるように飛び乗るや否や、二人は基地を後にした。
爽快なエンジン音を残して猛スピードで走り去る20万ドルの英国車を見送りながら、詰め所で雑談中だった警備兵は思わず顔を見合わせる。

「なぁミタル、あれ、一体誰だった?」
トマトのように赤い頬をした太っちょは、ガムをくちゃくちゃ噛みがらいぶかしげ。
「スーツの方は色男のロメオだったけどさ、グラサンの方は.....あの頭と白さからしてひょっとしてハーネマンか?」
「アホ言え」とボールペンをくるくる回しながら、馬鹿にしたように笑うのは相棒のインド人。
「ハーネマンがあんなスカした格好するわきゃねえだろ?どうせ取材に来てたライターかなんかだよ」
「ふーん、ならライターってのは気楽な稼業ときたもんだ。あんなふざけた服でお仕事できるだなんて、さぞかし実入りもいいんだろうなあ!」
そんな他愛もない話をしながら、NDFのゲートを守る若い兵士達は、まだまだ薄給な我が身を嘆くのであった。





さて、こちらは州内随一の高級ホテル・シャングリラの34階、ノードシーノ。

シーフードを供する店だけあって海をイメージしているのだろうか。深いブルーで統一した店内には、一張羅を身にまとった紳士淑女がささやくように会話する声や、カチン......と控えめにグラスを合わせる音が凪いだ海の波音のようにさざめいて、ハーネマンの言葉を借りるならば、全てにおいて「クソスカした」雰囲気が漂っている。

そんな店の一番奥にどっしりと鎮座した大理石のテーブルに、かっちりした黒いシルクのパンツスーツに身を包んだオデッサと、象牙色の柔らかなワンピースに、手の込んだ刺繍入りのスカーフをふわりと巻いたターナーは、シェフからプレゼントされたマティーニを並べてふくれっ面で座っていた。

「遅いわね」と、カクテルグラスの底でたゆたうオリーブを、銀のピックで暇そうにつつくオデッサに、「きっとミッヒの服装でモメてるんだわ」とうんざり顔で答えるターナー。さすが慧眼の持ち主だけあって図星である。

だがほどなく、ちょびヒゲの澄ましたフロアマスターに案内され、約束の時間よりも15分遅れてやってきた男どもを目にした二人は、思わず手にしたグラスを取り落としそうになった。

「いやー、悪ぃ悪ぃ、出る前にちょっとゴチャゴチャしちゃってさあ」
爽やかな笑顔を浮かべて、キャットウォークをゆくパリコレモデルのように華々しく登場したのは、仕立てのいいスーツにシルバーグレーのカシミアセーターといういでたちの英国男。
こちらが憎たらしいほどイケているのは分かり切ったことで、ターナーもオデッサも今さらちっとも驚きはしない。

だが、スポットライトを独り占めしそうなハンサムの後ろから、仏頂面を引っさげて影のように現れたドイツ男には、ちょっとやそっとのことでは動じない女性軍人たちも息を呑んだ。

「まぁあぁあ......ミッヒ......驚いた!」
ターナーは前髪を掻き上げて絶句した。「なんて言えばいいのかしら、まるきり......特撮映画に出てくるワルのボスみたい!」
「あらぁあ......ヒトっていうより......サイバーSFのアンドロイド?」
オデッサも目を丸くしたまま、少女のように両手で口を押さえている。

ドレープをたっぷり取った深いブルーのビロードカーテンを背景にして、どこかはにかんだ風に立ちすくんでいる、抜けるように白い肌のスキンヘッド男の奇妙な色気たるや、正にフィクション世界の住人のそれである。

前立てだけではなく、袖や裾にもジッパーがあしらわれたブラックレザーのジャンパーは、細身な体にぴったりと寄り添って一分の隙もなく、顎が隠れるほどの高さを取ったスタンドカラーは、完璧な頭の形を際だたせるフレームの役目を果たしている。

さすがにパンツは体格のいい連れの物だけあって、ややゆったりめではあるものの、裾をロングブーツにたくし込んでいるから、そのゆとりがかえってスタイリッシュな雰囲気をかもし出している。

加えて、顔全体をおおうラップアラウンド型のサングラスときたら!
こういったハードな型を好む同業者は多いものの、ハーネマンのサングラス姿を目にしたことはなぜか無かったターナーもオデッサも、それが思いのほかしっくり来ていることに内心舌を巻いた。

「ねえ、そのジャケット、グッチでしょ?」「んなもん知るか」
照れ隠しのようにふてくされてそっぽを向いた男に代わって、惚れた男を賞賛されてさも嬉しそうなクーパーが、軽くうなずいてみせる。
「やっぱりね!ファッション雑誌で見たことあるけど、デザイナーのトム・フォードに見せてあげたいくらい似合ってる。ほーんとお世辞抜きでハマりすぎで怖いほどだわ......」

そんなターナーの誉め言葉にも相も変わらず不機嫌なハーネマンは、ワイリーエックスの軍用グラスをはずしながらブツブツと毒づいた。
「ちぇっ!フォードかトヨタだか知らねえが、ナマモンをご所望のお嬢様がたのご指名を賜って、俺はこんなクソこっぱずかしい格好でここまで来たんだぜ?とっととメシにしねえんなら、すぐに帰らせて頂くからなっ!」
誉めても怒る、 けなしても怒る。まったく扱いにくい男である。

プンプンするハーネマンを前にして、クーパーと顔を見合わせ苦笑したオデッサが、腕時計に目をやって、「あら、もう6時半!」とわざとらしく驚いてみせた。「ミッヒの言うとおりね。そろそろオーダーしなきゃ飢え死にしそう」

一方、ターナーはといえば、事前にクーパーから聞いていた通り、ありふれた男女カップルに見えるようにと、自分の隣の席をハーネマンに指し示す。
「あ、アナタは私の隣、オデッサの向かいね!野郎のそばより美人にサンドイッチにされた方が嬉しいでしょ?」

だが、ウォートランの誇る生え抜きの女性教官は、灰緑色の視線がほんの一瞬、まるで救いでも求めるかのようにクーパーへと投げかけられたのを認めるや否や、あっさり前言撤回したのだった。
それは普通の人間なら見逃してしまうような些細な出来事だったが、観察力に富むターナーは、彼の目の動きを困惑のサインと判断したのである。

彼女はさっきのは若い女性にありがちな気まぐれだとでも言いたげに、陽気な調子で言い添えた。
「あっ、うーん......ごめーん!悪いけどやっぱりロメオの隣に座ってくれる?だってこんな豪華な店、滅多に来られないんですもの。どうせなら私、オデッサの隣がいいわあ!」

女性のペアと男性のペアが二人並んで向かい合って座っているのは、ほんの少しばかり奇妙な光景だったかもしれない。だが、店側としてはドル札さえ気前よく落としてくれれば、そんなことはきっとどうだっていいのだろう。

客の人間関係なんぞには全くもって関心がなさそうなウエイターが、ほどなくテーブルに運んできたのは、金で縁取られた革張りのメニュー二冊。

手渡されたメニューを気乗りがしない様子で開いたハーネマンは、紙面に印刷されたもったいぶった筆記体を、こぼれ落ちそうに大きな瞳で見つめている。

だが、上から下、ページからページへと視線が移動するにつれて、その表情が夕立ち前の空のようににわかにかき曇るのを認めたクーパーは、喉から心臓が飛び出しそうな思いでスーツをまさぐると、ポケットに忍ばせたカレー粉の小瓶をしっかりと握りしめたのだった。

<TO BE CONTINUED>