マハードは跪いていた。
 全裸で……跪いていた。
 冷たい石の床。
 日の光など届きもしない深い……地下室。
 今は使われなくなった牢の跡だ。
 ここに連れてこられてどれぐらいになるだろうか。
 昼間の職務が終って、神官の晩餐が終った後だった。
 女官がマハードに手紙を渡して来た。
 中には一言。
『北東の地下牢に行け』
 と書いてあった。
 マハードは咄嗟に顔を上げた。
 今、まさにセトが部屋から出て行こうとしているところだ。
 アクナディン、アイシス、セト、シャーディ、カリム、そして、マハード。
 六神官の中の位階は上からそう。退出も入室も、その順にしか行われない。
 一番下 位のマハードは最初に来て、全員が揃うまで、全員が退出するまで待たなければならない。
 セトは……マハードに一瞥もくれずに退出した。
 けれど……こんな手紙を渡すのが彼以外に居るはずが無い……と、マハードは確信していた。
 マハードはカリムにゲームをしないか、と誘われたけれど。それを断って外に出た。
 手紙の通り、北東の牢跡に向かう。
 先代から使われていない地下牢。
 誰かが使っているのか……鍵はかかっていたけれど。
 かけてあるだけで、錠前は降りてはいなかった。
 ギキィ……ギィキィ……
 掠れた音を建てて鉄牢の扉が開く。
 下は真っ暗だ。
 階段があるのだろうか?
 こんなところに入ってしまって、万が一外から鍵を絞められれば……
 マハードはぞくっと、したけれど…………ゆっくりと、闇の中に足を踏み入れた。
 汚れた壁を伝って足を進める。
 階段のようだ。下に続いている。
 かすかにマハードは感じた。
 蝋を燃やす臭いがする……と。
 誰かが蝋燭を焚いている。
 人が……いるのか?
 ところどころ根のはり出した石積みの壁。
 ざらりとしたそれですでにマハードの手は真っ黒になっていることだろう。
 たまに……そこに生息しているのだろう、生物を触ってビクッとする。
 どこまで行けばいいのだろう……
 そう、思ったマハードの視線の先、灯が……見えた。
 人の気配は無い。
 牢の奥に蝋燭が一本、火をつけていた。
 牢の境が分かるぐらいの光量しかない。
 蝋燭の傍に粘土版があった。
『服だけを脱げ。跪いて待て』
 とあった。
 その文字に……
 マハードはゾクッと、目をしかめる。
 カチカチカチ……と、マハードの歯が、鳴った。
 こんなところを指定されただけでも意味はわかったけれど……
 めまいを起こすような酩酊に、マハードは自分の胸を押さえた。
 誰も何も言わない。
 マハードがここで帰っても何も無いだろう。
 けれど……
 次はもう……無い。
 マハードは泣き出しそうになりながら、ベルトをはずし、服を落とした。
 服だけ、ということは装飾品は外すなということで。
 それは……
 魔封の化粧さえもしたままのマハード。
 こんなところに誰が来るはずも無いけれど。
 彫金の施されたペリセリド(足環)とアルミール(腕環)を見れば幾ばくかの身分であることは分かる。
 全部服を落として……マハードは震える足を折った。
 蝋燭を見つめるように右膝をつく。
 ジジジジジ……
 蝋が燃える音と臭いが牢屋に充満する。
 ジジジジジ……
 しんしんと、闇がのしかかってくるようだった。
 ジジジジジ……
 動かないマハードに警戒をといたのか、そこらへんにいたのだろう虫達が跋扈し始 めた。
 ジジジジジ……
 ぬるん……と、蛇がマハードの足許を過ぎる。
 ジジジジジ……
 マハードは……ただ。
 揺れる蝋燭の火を見つめていた。
 どうして俺はこんなところにいるのだろう。
 本当なら、カリムとゲームに興じていただろうに。
 マハードは明るく笑って抱き締めてくれるカリムの笑顔を思い出した。
 どうして俺はこんなところにいるのだろう。
 膝をついている右膝が痛くなって来た。
 体勢を変えていないために全身がびきびきと響き出す。
 どうして俺はこんなところにいるのだろう。
 涙が溢れそうになる。
 何も動いていないのに、鼓動だけが高くなって。
 どんどん……高くなって。
 自分の鼓動の音しか聞こえなくなった……時。
 マハードは……感じた。
 誰かが……降りてくる。
 しかも……複数……否、大勢の………………男。
 がたがたがた……と、マハードの体が震え出した。
 わずかに蝋燭に浮かび上がるこの牢の入り口を見る。
 喋っている言葉はエジプトの言葉では無かった。
 マハードも外国語に秀でているわけでは無いけれど。
 これは……
 男達は最下層のこの牢まで降りて来て……マハードを、見つけた。
 闇にも黒い膚。蝋燭に浮かび上がる白い歯、目玉。
 外国人犯罪者の……奴隷だ。
 顔の入れ墨の数は犯罪を犯した数。
 あの入れ墨の形は……
 強姦魔……
「ひッ……」
 マハードは男達の姿に顔を引きつらせた。
 今までひとり二人はあったけれど……
 ぞろぞろと……牢が埋まるほどの人数……
 げひげひげひ……と、乱食い歯を見せて男が笑う。
 マハードは自分の入っている牢の入り口を見た。
 錠前が……
 かかってはいないけれど、牢の鉄枠にぶらさがっている。
 あれをかければ、男達は入っては来れないのだ。
 入ってはこれないのだけれど……
 マハードは……足がすくんで動けなかった。 
 むぁ……と男達の、腐臭にも似た体臭が舞い込んでくる。
 カチカチカチカチカチ……とマハードは自分の歯が鳴るのを止められなかった。
 男達はマハードを見つけた瞬間、牢に群がって来た。
 ぎゃーぎゃーと、ジャングルにいる鳥や猿のように口々にわめく。
 牢の隙間から手を伸ばす。
 男でも女でも関係ない……獣達。
 男の一人が、開いているドアに気付いて手をかけた。
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義恋-GIREN-
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晶山嵐子
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