Happiness Happy life





ちゅっと濡れた音が響く。
エジプト特有の青く高い空に、とんびが鳴いている声さえ二人にとってはまるで自分たちを守ってくれているかのような、そんな気持ちにさえなった。
しかし、ふいにシャダの瞳は曇る。
ここは、守るべき場所であり、守られる場所には決してならないのだ。
「カリム…こんな場所で…」
シャダは抱き寄せてくる太く屈強な腕に指を這わせた。
「シャダ、静かに」
耳元で低く囁かれる落ち着いた声。
いつの間に彼はこんな風に大人になってしまったのだろう。
戸惑ったように見上げれば、カリムは澄んだ眼差しで頷いてみせた。
骨ばった指に厚く肉がつき、その指が何とも繊細にシャダの産毛ひとつ生 えてはいない滑らかな肌を這う感触は、心がじわりと喜ぶようなそんな愛撫だった。
筋肉質な肩に額を擦りつけると、彼は軽く笑ったようだった。
「カリムは太陽の匂いがする」
くんと鼻を近づける。
「そうか?」
「ああ、そうさ」
「シャダの方が、いい匂いだ」
また、くすりと笑い合う。
神官になるために学校へ通い、漸く王宮へ仕官し始めたというのに中々学生の頃のように落ち着いて二人になる場所がここにはなかった。
お互いに忙しく、儀式の準備、供物の運搬、そして書記作業。年若い自分 たちにはやるべき事は山積みであった。
何よりも、高位の神官になるための勉強も怠らない二人に暇などそうそうある筈もなく、廊下ですれ違うたびに目配せをして確かめる日々。
それでも、慣れぬ王宮で互いが存在していることが、どれ程の励みに、支えになるだろう。
「カリム…」
呟いた声は微かに首を傾けたカリムの唇に吸い取られようとした、その時 だった。

「何をしているんだ」

「!!」
二人きりだと思っていたのに、直ぐ傍らから聞こえてきた声にカリムもシ ャダもびくりと肩を震わせた。
本気でキスする5センチ手前で。
ぎしぎしと軋んだ音をさせながらも二人は抱き合った体勢そのままに声がした方へと首を巡らせる。
額からじわりと脂汗が滲んだ。
するとそこには、石壁を背に三つ並んだ大きな壺の真ん中。頭だけ、ひょっこりと出してこちらを見つめている子どもがいた。
「お、え…あ…」
思い切りうろたえている二人を尻目に子どもは尚も言い募る。
「こんな場所で何をしているんだ?」
きょとんと無邪気な瞳で見上げてくる顔は、どこか見覚えがあった。しかし、それを思い出そうとする前に、子どもは突かれたように顎を上げて、 二人よりずっと遠くを見つめた。
「お願いがあるぜ」
よく澄んだ声に、カリムもシャダもじっとその子どもを見返した。
「お願いとは?」
カリムが問うと、彼はぱっと顔を輝かせた。
「今から3人が、ここにオレを探しにやって来る。一人は背の小さなじいちゃんだぜ。二人目はお前たち二人と同じ年くらいの、やさしい魔術師。もう一人はオレより少し年上くらいの怒ってばかりの青い目の奴だぜ」
その形容に、また何か思い当たる節がある。
二人はそっと顔を見合わせた。
「その3人が来たら、オレはここにはいないと言ってくれ」
頼んだぜ。
そう念押しすると子どもは二人の返事を聞くこともなく、また壺の中へと隠れてしまった。
「あ、こら」
カリムが手を伸ばしたがすでに体はすっぽりと壺の中に入って出てきやしない。
その腕にそっとシャダが触れた。
「いいじゃないか、カリム。恐らくどこぞで悪さをして逃げてきたのだろ う。あんな小さな子が罰に合うのは忍びない」
「シャダ…けれど大罪を犯していたら見逃した我らも…」
「あんな真っ直ぐな目をした子が、何か罪を犯したように見えたかい?」
「いいや、それは…」
子どもの、珍しい朱色の大きく真っ直ぐな目を思い出す。
穏やかに笑うシャダを見つめてカリムは、お前は優しすぎるのだと嗜めると、お互い様だと返されてしまった。

「カリム、シャダ」
背後から声をかけられ、また二人は驚いた。
そして彼の言葉を思い出す。
一人は背の小さなじいちゃ…。

「シ、シモン様!」
そこに立っていたのは、今現在ファラオの第一の側近であり、宰相としてもこの国で王の次に権力を持つシモンであった。
慌てて、片膝を落とそうとする二人を押しとどめてシモンは、落ち着かない様子でキョロキョロと辺りを伺った。
「この近くに王子がおいでにならなかったか?」
「王子!」
「うむ…まったく、お勉強の途中で抜け出されるとは…」
困ったもんじゃわい。
手を腰について、やれやれと肩を竦めているが二人は背中に冷たい汗をかいていた。
もしや、壺に入っているこの子どもは…。
「いえ、あの…」
「ん、見たのかシャダ?」
シモンはシャダにとってはまるで師のような存在なのだ。その彼に自分は嘘をつけるのだろうか。その前にあの子どもが本当に王子ならば彼の言葉を優先させるべきなのか、ぐるぐると迷った。
カリムはそんなシャダをちらりと横目でみると、そっと背中で隠しシモンに頭を垂れた。
「ここには、どなたもおいでになりませんでしたが…」
「うむ…そうか。では王子を見かけたら、わしの所まで知らせてくれ」
「かしこまりました」
シモンは頷くと、踵を返して元来た道を辿り始めた。
小さな背中が遠ざかるまで、見送って二人は慌てて壺に張り付いた。
「お、王子…っ、ア、アテム王子だったのですか!」
壺を覗き込むと、中でしゃがみ込んでいるアテムは立てた人差し指を唇に あてて、「しぃぃぃ!」とシャダを黙らせると、知らん顔でまた顔を俯けてしまった。
「お、王子…」
どおりで、どこか見覚えがある顔だと。
神官になりたての頃、一度だけ謁見の間でお顔を拝した事があったのだ。 頭を上げることが許されず、一瞬だけ垣間見た小さな王子。
恐らく、自分たちは将来、彼に忠節を尽くし使えていくのだろうと予想しながら。

困ったように顔を見合わせたと同時に今度は、見知った気配を感じて同時に振り返った。
「何をしているんだ、カリム、シャダ…壺なんて覗き込んで」
びくっと肩を震わせる。
背後には良く知った同僚でもあり、近しい友人でもあるマハードがきょと んとした顔でこちらを見つめていた。
そこでまた、ふいに王子の言葉を思い出す。

お前たち二人と同い年くらいの、やさしい魔術師…。

(マ、マハードの事か…)

「い、いや。何でもないんだ。それよりマハードこそどうしてここに?」
シャダが内心の動揺を根性で押さえ込んで、笑顔で尋ねるとマハードは、 我に返ったように二人に近づいた。
「私はアテム王子をお探ししているんだ」
「お、王子…」
ああ、と頷くとマハードはどこか哀愁を帯びた目で見返してきた。
「今日は外部より師をお招きしてのお勉強の日だったのだが、途中で逃げ出されて…」
シャダとカリムは頷いた。
なるほど。
それで皆が探しているのか。
「幼い頃より勉学ばかりを習わされて中々、遊ぶことができずお可哀想なのだが…」
カリムとシャダに近づくということは必然的に壺にも近づくということ。 二人は顔を引きつらせながら、じりじりと背中で王子が隠れている壺を隠 した。
「お、王子が…さあ、ここにはおられぬようだぞ、なあ、シャダ」
振り返ったカリムの笑顔は眩しかった。
「え、ああ。そう!私たち二人しかいないんだ」
「そうか…ありがとう。中庭の方を探してみるよ」
穏やかな物腰のまま去って行ってしまったマハードを見送ったカリムとシ ャダに更に声をかける者がいた。
「どうやらここにもいないようだな」
3人目は、王子よりも少し年上くらいの怒ってばかりの青い目の奴。
すなわち。
「セト!」
名前を呼ばれた彼は白い神官服を身に纏い、憮然と腕組をして立ってい た。
彼もまた年若い神官の一人だが、彼とマハードは幼い頃から王家に仕えて いるせいか、王子とは幼馴染のような関係らしい。余りお顔も拝見した事 がない二人にとっては、まるで世界が違う人物のようだが、マハードもセ トも余り頓着していないようだ。
「全く、あのちび王子は、王子たる自分の立場を何と心得ているのか」
「………」
なるほど。
怒ってばかりの、か。
シャダは王子の言葉が微笑ましくなり、つい笑みを零してしまった。それをセトが目ざとく見つめる。
「シャダ、王子の居所に心当たりがあるのか」
自分たちよりも若干年下のセトはそれでも幼少の頃より王家に仕えているだけあって物腰が座っている。それを何となく眩しく見つめながらシャダは首を振った。
「いいや。すまない。どうも役に立てそうにないよ」
「そうか」
ならば長居は無用とばかりに踵を返して去って行ってしまった。
その気配が完全に立ち消えてから。カリムとシャダは壺に…いや、壺の中 にいる王子に声をかけた。
「王子、アテム王子。シモン様もセトもマハードも遠くに行ってしまいましたよ」
すると壺がカタコトと左右に小刻みに揺れて、ひょこりと朱色の逆立った髪が覗いた。
「ああ、助かったぜ」
顔を覗かせた王子は、壺の中が暑かったのか汗だくだ。
「王子とは存ぜず、さきほどは大変なご無礼を…」
二人が身を屈めようとすると、アテムはストップをかけた。
「すまないが、引っ張りだしてくれるか。出られないぜ…」
見つめた小さな顔は、困ったように眉を寄せて壺から脱出しようと悪戦苦 闘していた。
シャダとカリムは顔を見合わせ微笑むと、そっと同時に手を差し延べた。
「どうぞ、お掴りください」
アテムはにこりと笑うと、左右両方の手をカリムとシャダに預けて引っ張 り出して貰った。
ふわりと持ち上げた体は羽でも生えているかのように随分と軽い。
二人はまだ王子がほんの子どもであることを改めて思い出した。
とん、と石畳に彼の足がつく。
王子は二人を見上げると、瞳を細めて笑顔を見せた。
「助かったぜ。まったく、シモンもマハードもセトもしつこいったら」
つんと小さな唇を尖らせて、アテムはため息をつく。随分と追われていたらしい。
「えっと、名前はどっちがシャダで、どっちがカリム?」
「わたくしめが、シャダにございます。王子」
「そしてわたしがカリムでございます」
二人はそっと片膝をついて屈むと、臣下の礼をとった。
「そうか、ありがとう。礼を言うぜ」
「礼など、とんでもございません」
固い声に、王子は目を丸くした。
「ふふ、そんなに畏まらないでくれ。そうだなセトにもシャダやカリムのような態度を分けて欲しいくらいだぜ」
ぞんざいな物言いは、不思議と不快ではなかった。
王族の人間が使う言葉遣いではないが、彼にはこの奔放な言葉の方があっている気がしたのだ。
そういえば。
と彼は付け足した。
「さっき、カリムとシャダは何をしていたんだ?」
「さっき、でございますか」
首を傾げた二人にアテムは腰を少しだけ屈めると、自分の小さな唇を指差した。
「口と、口をくっつけていただろう」
長い睫毛が瞬いて、きょろりと瞳が輝く。
「く、く、くっついてはおりません!寸止めでございましたっ」
「シャダ…」
耳まで真っ赤に染まったシャダをカリムが、困ったように見つめた。
「では、なぜ口をくっつけるんだ?」
「そ、それは…」
口ごもってしまったシャダに変わってカリムが口を開いた。
「王子。口と口をつける行為はそれを行う人間同士の愛情であり信頼の証 なのです」
「では、オレもできるか?」
「はいいっ!?」
「オレもシャダやカリムと仲良くしたいぜ。愛情というのは、好きということだよな」
「は、はあ…」
開いた口が塞がらない。
しかし、目の前の王子は邪気のない瞳で、見つめてくるのだ。
「カ、カリム…」
傍らにいるカリムの服の裾をくいっとひっぱり、困った目で見詰め合う。
カリムはごくんと、息を呑んだ。
男らしく出ている喉仏が上下に動いた。
「王子。口と、口をくっつけるというのは、その…特別と申しますか。愛情を感じる者の中でも、特別に愛している者同士が、その…」
いったい、子ども相手に何のレクチャーをしているのだろうか。と、ほとほと微妙な気持ちになるカリムだった。
「では、シャダとカリムは特別好き同士なんだな」
「は…」
いいなあーと唇を尖らせるアテムを驚愕の目で見上げた。
「オレはお付の神官や女官や奴隷はいても、シャダやカリムみたいに仲良くする相手がいないんだぜ」
「王子…」
僅かに寂しい瞳をする王子は一際、小さく見えた。
シャダは横に力なく投げ出されているアテムの手をとると、そっと柔らかな手の甲に口付けた。
「………」
「口と口というわけには参りませぬが、私もカリムも王子のことを大切に思っております」
「その通りですよ、王子」
カリムも、そっと手をとると軽く触れるだけの口付けをした。
それを見て、照れくさそうに破顔した王子をとても可愛らしく思っ た。

ここは二人が寄り添っていても、何ら奇異の目で見られることはない。神官になるために、学んでいた学びやでは気弱なシャダがよくからかわれた 。それを庇うカリムもまた、どこか異質な目で見られていたのかもしれな い。
神官になりたがるような人間は、己の出世と権力だけを欲している者が多い。他人を蹴落としてでも上に立とうとする者ばかり見てきた二人にとっては、マハードや、セト、そして師であるシモンもまた、どこか透明な存在だったのだ。

「なぜ、泣くんだ」
唐突に、近くから王子の声が聞こえて、シャダは我に返った。
「は…いえ、申し訳ございません」

昔の事を思い出して、その境遇と今とを比べて思わず滲んでしまった涙を手の甲で乱暴に拭うのをアテムの小さな手が止めた。

「瞳が泣くのは心が綺麗な証拠だ」
「いいえ、わたくしが弱いだけなのです」
力なく笑ったシャダを王子もカリムも目を丸くして見つめた。
「シャダ…」
カリムが心配そうに声をかけると、シャダは大丈夫だと頷いた。
すると、何を思ったのか王子は右腕を上げ、シャダの額に掌を翳す。
「涙が出るのは心が痛みを知っているからだ。決してシャダが弱いわけで はないさ」
「王子…」
「アテムの名において、シャダに太陽神のご加護がありますように」
小さな両手が、シャダのよく引き締まった頬を包み込み、アテムの影が落 ちたかと思うと額に何かとても柔らかく温かい感触がした。
それが、王子の唇だと言うことに気がつくまで、シャダは随分と時間がかかってしまったほど、惚けていた。
すると、アテムはカリムの前にも立ち、同じように額に手を翳した。
「アテムの名において、カリムに太陽神のご加護がありますように」
そう言って額に口付けたのを、シャダは言葉もなく見つめた。
呆然としている二人を尻目に、王子は意地悪く笑って、そろそろ行かなくちゃとウサギのように駆けていってしまった。
その背中を、言葉もなく見送ってシャダは膝をついたまま傍らのカリムに 寄り添うようにもたれ掛かった。

「カリム…幸せかもしれない」
肩を抱き寄せながら、カリムも俯きがちに微笑んだ。
「かも、じゃなくて幸せ、なんだろう」
そう言った、カリムの方が太い眉毛が下がって、幸せそうだぞ、とは言わないでやるシャダだった。







HAPPINESS HAPPY LIFE by Osana


MAGICAL MAGICの大砂さまが埃及葉書のお返しに・・・とSSをプレゼントしてくださいました。正に「エビでタイを釣る」・・・どころか食パンの耳でホンマグロを一本釣りした気分。素敵なもの本当にありがとうございます大砂さま!

いやぁ〜Sweetっていいもんですなぁ!ハゲとオカッパがきっとまだ清い関係でありながら、まるで山あり谷ありな人生の苦難を共に乗り越えてきた熟年カップルのようで、あたくしも〜悶死寸前。

そんな二人に容赦のない「なぜなぜ攻撃」を加える王たまは正に小悪魔ですな!憎い、憎いわっ!(笑)
でも子供はみんな知りたがり屋さん。もうちょっと大人になったらイヤでも分かるから今は知らなくてよろしいっ!・・・とはいえ人に光を分け与えるところは、まさに生まれながらの王ですね。

王様溺愛者モノ・大砂様のサイトでは、可愛い王さまや凛々しい王さま・・・いろんな王さまを拝めますので古代ファンの方も必見。ご訪問はこちらからどうぞv→MAGICAL MAGICさま