雨はなお激しく窓を叩いている。外はまだ暗い。
逞しい腕に抱き締められていた男は、黄金律に基づいて配置されたかのような端正な顔を自分の方に向けさせると、さっきは雨で、今は汗で濡れてまだ湿っている頭に手を伸ばした。
「......柔らかいな......」
短く刈り込んだ髪の毛を、つむじに逆らって撫でながらハーネマンは目を細める。 「なあ......こういう髪の色ってなんて言う?」
「色?......うーん、キャラメルマキアート色」 「......なんだそりゃ」 「じゃあSUN FLOWER色」 「ヒマワリ?......メルヘンだな......」
仔犬のように大人しく頭を撫で回されていたクーパーは、やがて繊細な白い手をそっと取ると自分の胸の上に置きながら言った。
「ほら、髪もいいけどこっちの毛もいいだろ?色もおんなじ」
「ふん、胸毛はそんなに嬉しくねえな......アレの最中にこっちの肌が傷だらけになりそうだ」
「......ゴメン、次会う時までに脱毛しとく......」
こんな場末のモーテルのベッドよりも、燦々と太陽が降り注ぐカリフォルニアビーチの方が似合いそうな完璧なボディー。
暗がりに浮かび上がる白い指は、黄金色のうぶ毛に覆われた裸体の上を深海の生き物のようにゆっくりと這い回っていたが、突然何かを思いだしたように動きを止めた。
「分かった。この毛色......そう、アレだ。覚えてるか?アニマルプラネット」
「んなもん覚えてないよ......」
「あの番組で若いライオンが群のボスにシメられてただろ?お前の毛はあの若い方のヤツのたてがみそのものだ」
「ライオンはライオンでもシメられる方かぁ......嬉しいような嬉しくないような。ビミョーだね」
そんな他愛もない会話をしながらクーパーは思う。刻一刻と迫る別離の痛みから目を逸らしたい気持ちは、彼もまた同じなのかもしれないと。
ピロートークなんぞ苦手なはずの男が今日はやたら饒舌なのは、きっと寂しさを誤魔化すための方策なのだろう。
ビスクドールのような肌に指をすべらせながら、青年はそんなことをぼんやり考えていた。
その時、胸の中の男が急に寝返りを打った。さっきまでの重労働で痛めつけられたベッドの足が、もう勘弁してくれと言いたげにギギーッと耳ざわりな悲鳴を上げる。
ハーネマンは真剣なおももちで青年の顔を覗き込みながら呟いた。
「お前、こうやって見ると誰かに似てるな」「誰に?もちろん超イケメンだろ?」「うーん、名前は忘れちまったが......」
火山灰の中から拾い上げられた翡翠を思わせる瞳は、記憶の糸をたぐり寄せるように一瞬中空を睨んだが、すぐに青年に視線を戻して言った。 「エヴァなんとかっていうハリウッドスターそっくりだ」
そして、「こっちの方が色男だけどな」とはにかみながら付け加えると、悪戯を見とがめられた少年のように照れくさそうに笑った。
そんな無防備な笑顔を目にしたとたん、こみ上げてくる愛しさに胸を締め付けられて、クーパーの呼吸は止まりそうになる。
クソッ!ズルいよアンタ。
なんで今んなってそんな意地悪するんだよ?これまで俺の顔がどうだとか、そんなこと何があったって言っちゃくれなかったくせして。
両眼から堰を切ったように溢れ出す涙と戦いながら、クーパーは心の中で叫んだ。
畜生、畜生!こんな湿っぽい見送り方する予定じゃなかったのに!
「ごめん、ちょっとトイレ......」
ようやくそれだけ言うなりバスルームに駆け込むと、クーパーは場末のモーテルの冷たい便座のふたの上に腰かけたまま、声を殺してむせび泣いた。
やがて目を真っ赤に泣きはらしてよろめき出てきた青年に、乾いた服に着替えてすっかり準備を整えた男は、ベッドのへりに腰掛けたまま穏やかに声を掛ける。 「さあ、ぼちぼち行くぜ、ロメオ君」
その途端、もう枯れ果てたと思った涙がまたしてもとめどなく流れ出して、クーパーは肩胛骨が薄く浮き出した背中にしがみついた。
「......ちぇっ、図体ばっかでかくてもまるっきりガキだなあ!最後の最後まで世話焼かせやがって......」
そう呟きながら、みるみるうちに深緑のシャツに広がる涙と鼻水の染みを意に介さず、ハーネマンは自分より一回り背の高い青年をしっかりと抱き締めた。
「ほれ、もう泣くな。タンク乗りのくせしてホンマに泣き虫な野郎だ」
「そんらこと言うけどさあ......オレ、スゲエさびしぐって......」とクーパーはしゃくりあげる。
むずがる子供をあやすようにライオン色の頭を撫でながら、年長の男は静かに話しかけた。
「......なあ、聞けよロメオ。別に俺は自殺したいってわけじゃない。誰が好きこのんで死にに行くもんか、な、そうだろ?あっちにはただ仕事しに行くだけなんだからさ......そんなにめそめそされると幸先悪いじゃねえか」
「れもオレ......もうどうずればいいろか......でんでんわがんらい......なあ、ミッヒ、ミッヒ、ミッヒっでばよお......」
愛しい名前を繰り返し呼びながら、クーパーは親に棄てられた幼子のように泣きじゃくった。
キキキキィーーーーーッ!
タイヤも焼け落ちよとばかりの勢いで空港ターミナルに乗り入れたのは、スーパーホワイトのコルベット。
乱暴に開いたドアから血相を変えて飛び出してきた男たちは、つむじ風よりも速く国際線ロビーを駆け抜けた。
ハーネマンは息をはずませながら、トナカイのように真っ赤な鼻とカエルのように腫らしたまぶたのせいで、せっかくの美形が台無しになっている連れを睨みつける。
「畜生、朝の5時に出発した意味がねえ......モーテル出ようって言ってから......改めてお前がのしかかってきたせいで......ハァ、ハァ.....こんな......ギリギリになっちまったじゃねえかっ!」
「.....ゴメン......」
「泣きながら......あんなにガンガン腰振りやがって.......ハァ、ハァ.....信じらんねえ......」
「......ゴメン......でもミッヒだってしつこくくわえて......」「うっせえこのトンマっ!万が一乗り損ねたら弁償しろよっ!チケット代!」
乗り損ねる?そうか、その手があったか!
ほんの一瞬胸をよぎったふとどきな考えを払いのけると、まだまだエネルギーを持て余しているクーパーは、エスカレーターを二段とばしで駆け上がり、今まさに閉まろうとしているエミレーツ航空のカウンターに華麗なるタッチダウンを決めたのだった。
人もまばらとなった出発ゲートの前、ハーネマンとクーパーはじっと見つめ合いながら短い言葉を交わしていた。
「じゃ、元気でやれよ」「ああ、ミッヒもね」
「俺なら大丈夫。お前、ヤリ過ぎて病気なんか貰うなよ?」
「その台詞そのままお返しするぜ......いや、冗談は抜きにしてホントに気を付けて」
「へっ、俺もスペシャリストだぜ?そこらはちゃんと分かってるさ」
「落ち着いたらすぐ手紙くれよな、な?」「ああ、郵便局がまだあればな」
男たちの間に流れるただならぬ空気に、一刻も早く仕事を終えて帰りたかったはずの空港職員らも、「ねえ、カップルかしら?」「だとしたらとんでもなくユニークだわね」などとひそひそ声で囁き合いながら、二人を辛抱強く見守っている。
やがて腕のデジタル時計にちらりと目をやった一人の職員が、トランシーバーで何やら話していたが、とうとう済まなさそうな微笑みを浮かべながら、視線を絡めて離そうとしない男たちを促した。
「あの......誠に申し訳ありませんが......間もなく離陸準備に入りますのでゲートをお通り下さい」
分かった、お心遣いどうもありがとう、といつになく丁寧な礼を言うと、クーパーを見上げたハーネマンは、涙を浮かべながらも懸命に微笑もうとしている若造を、今一度、万感の想いを込めて抱き締める。
そして、広い背中をぽんぽん......と励ますように叩くと、「じゃな!」と軽く右手を上げて、旅立つ者とあとに残る者、その両者を決然と隔てている一本の線を越えて行ったのだった。
だんだん小さくなってゆく、軍人にしては心なしか猫背の後ろ姿。
だがその時、ふと何か大切なことを思いだしたかのように足を止めたハーネマンは、くるりと踵を返して全身でこちらに向き直った。
そして、かつてクーパーを死ぬほど苛立たせて、いつかこいつを叩きのめしてやると固く心に誓わせた、あの尊大極まりない敬礼をしながら、ニヤリと皮肉っぽい笑みを浮かべてみせる。
それは一見、初めて出会った時と何一つ変わらない姿だったが、今ではもう分かっている。
冷たく硬質な白磁を思わせる孤高の人の微笑の底には、どこか暖かみのある不思議な色が沈殿していることを。
クーパーは顔をくしゃくしゃにして泣き笑いを浮かべながら、頭の上に高く掲げた両手をもう一度大きく振った。
あんなに激しかった雨もいつの間にか止んだようだ。
嘘のように晴れ渡った夜空では、飛び立ってゆく飛行機の赤いライトがまるでアンタレスのように瞬いていた。
<THE END>
"I WILL"というのもビートルズの曲名から。アコースティクギター一本で奏でられる、穏やかでとても美しい曲です。
Who knows how long I've loved you
You know I love you still
Will I wait a lonely lifetime
If you want me to, I will
という感じの歌詞で、共にある時も遠くにある時も、ありったけの愛を君に注ごう、というくだりがクパハネの別れにぴったりだったもので、恐れながら題名として拝借した次第です。
英語の歌詞と一緒に翻訳文も載せてくださっているサイトさんがありましたので、是非ご覧下さい。でもってYouTubeなどで曲も聴いてみてくれると嬉しいです。 tp://www11.ocn.ne.jp/~b-flat/book/the_beatles/beatles-006.htm#0115
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