2009年11月29日(日)

田舎の国道沿いでくねくねしていたスナックの看板。

先週、老人ホームから一時帰宅していた母の車椅子を押しながら、妹ヘボピーと交わした会話といえば「男に生まれ変わったら何になりたい?」

・・・・・・死ぬほどどうでもいい話題だが、「陸上自衛隊の特殊作戦群」とおごそかに、だがきっぱりと答えたヘボに対して、「私はデルタフォースかSEALSかなーいやSASでもいいよ。でもってイケメンで男にも女にもモテモテなんだ。ゲヘヘ」なんて答えた自分は妄想きつすぎなミーハーだ。

10年前と比べると11月も終わりとは思えないほど暖かくて、地球温暖化を身近に感じシロクマへの同情が深まる今日この頃だが、それでもストーブもエアコンも付けない部屋は、夜にもなるとだんだん冷えてぬくもりが恋しくなってくる。

クリスマスを間近に控え、暖めてくれる相手を求める人々のあせりも最高潮に達しつつあると思われるが、私の場合はもう人肌が恋しいとか、そんなセンチな気分は勝手に片想い→勝手に失恋事件をきっかけに、鳴門海峡にあっさり捨て去った。
いやもうなんつーか、何ヶ月か前にあれほど舞い上がっていたのが夢の中の出来事みたい。恋ってまるでペストだわ。(強がり)

今の私が恋しいのはヒトのようにお喋りはせず、フロアの上で高貴な沈黙を守っているペルシャ絨毯。
行きつけの絨毯屋が商売をたたんで半年ほど経ったが、閉店当時は「助かった・・・もうこれでお金を使わずに済む」と内心ほっとしていたというのに、だんだん寒くなって店主がイランに買い付けに行っていた時期が近づいてみると、ああ、もう新しいおともだちは迎えられないんだ・・・と寂しさ満点。
いや、他の店で買えばいいようなものだけど、よそはしょーもないのが100万とか200万とアホみたいに高くて、てんでお話にならないんだよね・・・・・・。

こうなったらいっそブルーモスクやペルセポリスを見物がてら、さしてクオリティーは高くないけど、政府指定の激安価格で絨毯を売っているらしいテヘラン空港の売店に行こうかな。
でもイラン航空の飛行機はオンボロすぎて(アメリカが「ならずもの国家」に飛行機売ってくれないから)いつ空中分解してもおかしくないそうだから怖いなぁ・・・・・・とぐるぐる考えていた目の前に、絨毯とは全くタイプの違う、だがかなり魅力的な存在が現れた。

それは真珠。年輩の上品そうなご婦人や、喪服に身を包み悲痛なおももちの人々の首を飾る、豚にやるともったいないアレである。

これまでは真珠といえば、取り扱いがめんどくさくて年寄りくさくておハイソ人が好むもの、というネガティブイメージしか抱いていなかったのに、友人が魔法にかけられたように真珠にはまりまくっている姿を目にして、そんなにいいものなのなの?と興味をそそられ、クジャクというよりベランダに飛来するブイブイ(コガネムシ)を思い起こさせる、ピーコックグリーンのネックレスを買ってみた。

正直なところ、届いてから2,3日は「あちゃー!やっぱ真珠ってババくさいなあ。でも返品できないし・・・葬式用にするしかないか」と激しく後悔していたのだが、何度か身につけているうちに、自然が生み出した美しさにクワッと開眼。またたく間に新しいやつがどんどこ増えた。

考えてみれば、イランの娘さんが織機に張られた縦糸の上に、横糸を結んでは切り、結んでは切り・・・を1平方センチメートルあたり140回ほど繰り返して生まれるのがペルシャ絨毯。
伊勢やタヒチの海の貝が体内に抱えた異物の上に、外套膜からじわじわ分泌した真珠質で数千もの層をつくって生まれるのが真珠。どちらもめったやたらと気の長い、地獄のような作業の果てに、ようやく生み出される美という意味で共通点があると言えるかも。

たった一枚買うために、定期預金を解約して作ったゼニといっしょに、清水の舞台から飛び降りなきゃならないペルシャ絨毯と比べれば、はるかにお手頃な価格で入手できるせいで、真珠の場合はモノは増やさないつもりだったのに・・・との良心があんましとがめないのもありがたい。とはいえ、デパートや路面店で買うとはるかに値が張る高クオリティーのブツらしいんだけどさ。

いやー、思ったよりいいもんですよ、真珠。真珠のネックレスひとつ身につけるだけでお上品ぶりっこできるのも、見合い相手やこうるさい上司の奥さんをだまくらかしたい時にとっても便利。

・・・・・・と賞賛しつつ、ネットショップの「買い物かご」に入れた写真左のネックレス。これで三姉妹それぞれの首を飾る真珠は揃った。いつ誰の葬式に呼ばれてもぬかりはない。

2009年11月25日(水)

光熱費をケチるためにエアコンもストーブも切った部屋の中、極寒に震えるドイツ軍捕虜に感情移入すべく、ペラい毛布で体をぐるぐる巻きにした上で、『ナチスの墓標ーレニングラード捕虜収容所』を鑑賞していた。ぶるっ・・・・・・題名を聞くだけで風邪ひきそうだよね。

フィクションにせよドキュメンタリーにせよ第三帝国絡みの作品は、暗く悲惨で残酷で、人間の愚かさ全開のシーンがジャンボパフェ並にてんこ盛りなせいで、見る側のライフポイントをやたらめったら消耗させるのはご存じのとおり。

ましてやこのところ貧血のせいで、サイトの更新すらできないほど気力が衰えた私は、来る日も来る日もナチ関連作品を見ているうちに、目を閉じるだけで戦地で斃れた兵士のこわばった肉体や、おびえたまなざしでカメラを見つめる子供の残像が浮かんできて、精神的にもやるせない。

こんなに体調のすぐれない時に、すべてを凍てつかせるロシアの収容所で、ボロボロの捕虜がバタバタ死んでゆくであろう映画を見るのもなぁ・・・・・・自分をもっと大事にしようよ!と思いつつ、「113分」と長めの上映時間が表示されたDVDを取り出した。

だが、私の予想はいい方向に裏切られた。
『ナチスの墓標ーレニングラード捕虜収容所』というおどろおどろしい題名からして、復讐心に燃えたロシアのサド看守に生殺与奪の権を握られたドイツ人捕虜たちが、サンドバックにされたり縛り首にされたり、逆さ吊りにされたまま朽ち果ててネズミにかじられたり・・・・・・と、暴力シーンの波状攻撃を覚悟していたのだが、ふたを開けてみると「えーっ?何このほのぼの展開?!」とびっくりするほどのんきな映画。おかげさまでライフポイントのロスは最小限にくい止められた。

ま、捕虜と恋に落ちて妊娠したロシア娘が首をくくって自殺、棺桶にしがみついた母親が身をよじって泣きじゃくる・・・・・・なんて悲しいシーンもあるにはあったけど、全体的にはドイツ男達とロシア女たちの、恋バナを含むちょっといい話、って印象。

そもそも看守はなぜか全員女性につき、ヒグマの親戚みたいな男性看守だらけの収容所に比べると、雰囲気は段違いにやわらかい。たとえ棒でバシバシ殴られようとも、女の力では全身の骨が粉砕されるまではいかないだろうから、安心して見ていられる。
このあたり事実はどうだったんだろう?男は戦争に取られて、あとには女しか残ってなかったせいで、戦後ロシアではそういうこともあり得たんだろうか・・・・・・?

中でも一番のほのぼのは、地元の人々のためにちょっとした音楽祭が行われるシーン。
楽器を与えられたドイツ兵のバンド演奏をバックに、はじめはおどおどしていた地元の奥様たち(たぶんダンナはほぼ戦死)が、だんだん気が大きくなってきて、次々に捕虜たちに手を差し出してダンスに誘い、あまつさえパーティー終了後は収容所のゲートの前に鈴なりになって、男達との別れを惜しむ場面はなんか可愛かった。

それだけじゃない。今夜だけは無礼講、特別に見逃してやるから好きな女の家に行っていい事してこいとばかりに、ゲートを開ける看守。
さっきダンスした相手のもとへ嬉しそうに駆け寄る捕虜たちと、久しぶりに男の腕に肩を抱かれていそいそ家路に向かう未亡人たちの後ろ姿を見送りながら、「朝までには帰って来るように!」って、おいおい、おかあちゃんじゃないんだから・・・・・・いいのかそれは?
看守として!と思いつつも、ドキュメンタリー系の陰惨な映像(アウシュビッツとかな)に痛めつけられた私も、悲惨な環境にあってつかの間の慰めと心の安らぎを求める人間の愛らしさに、ちょっと心癒された。

映画としては戦争モノなのか恋愛モノなのか、どっちつかずでキャラの背景も分かりにくいし、ドイツ制服萌えもないので特にお勧めするほどのものでもないが、ナチ将校役が誰よりも似合うトーマス・クレッチマン(『ワルキューレ』『戦場のピアニスト』『ヒトラー最後の12日間』とものすごい出演ぶり)がここにも出てるので、クレッチマン様に興味のある人は一度見てみても損はないかもしんない。

2009年11月20日(金)

上野・国立科学博物館に足を踏み入れたガキどもを優しく出迎えてくれる、まるで生きているが如きオリックスやサイガや皇帝ペンギン。
ちなみに左前方にでろっと配置されている、オッサンのサルマタにまばらに植毛したようなものはラクダのこぶ。ラクダには失礼ながら何となくきちゃない。

閲覧者に生物の多様性を知らしめるこの展示室で、まず驚かされるのは剥製のクオリティーの高さと管理の良さだ。たとえばこのシロイワヤギ。もののけ姫のシシガミを彷彿とさせる高貴さには「キモい、きちゃない、ほこりっぽい」という剥製のネガティブイメージが一気に覆される。

これなんか見てくださいよ!生前のオリックスから美しいところだけを取り出して、-196℃で氷結させたような彫刻的佇まいに萌え〜っv
写真では分かりにくいが、匠の技が冴えるガラスの瞳には、キャッチライトまで入ってアイドル仕様だ。
剥製と聞くと、南極物語のタロ&ジロや忠犬ハチ公の、不自然に突っ張った口元を連想する私だが、ここの剥製たちが美形ぞろいなのにはびっくりした。

けれど製作会社を知りたくなってググってみたら、「国立博物館の剥製、キモくね?」みたいなブログばかりヒットしてちょっとガッカリ。やっぱ普通の感覚ではそうなのだろうか・・・・・・。

ゾウの骨格標本の隣には、こんな生き物たちも並んでいた。体重10グラムのカヤネズミと体重1〜2グラムのチビトガリネズミ。極大のゾウと極小のネズミの対比の妙に感動。
遠足でここに来たのが生物学者を目指すきっかけでしたって人、きっとそこそこいると思う。

匠の技が冴え渡る一体。上野動物園のやさしいお母さんパンダ、ホアンホアン。(隣は無関係なツチブタさん)
右のホラーな剥製と比べれば、制作者の技量の差は一目瞭然・・・っていうか、ホンマにパンダなんか?右のやつ!秋田犬かなんかを白黒に塗り分けただけにも見えるのだが。

「写真撮影禁止!」とでかでか書かれた張り紙で観光客を威嚇していた東京・築地の乾物屋にて盗撮。4千8百万円出せばあなたも自宅の床の間にパンダちゃんを飾れます。

2009年11月14日(土)

WW記録系の映像を片っぱしから見ているうちに、同じフイルムがいろんなDVDで使われているのにちょくちょく気づくようになったよ。ミリタリ音痴の自分もちょっぴり進歩した?
あちこちで使われているそんなショットの中で、脳裏にこびりついて離れないシーンが二つ。

一つはスターリングラード戦で雪と氷の中に閉じこめられ、毛布というよりボロきれのようなものを頭からかぶり、絶望のおももちでよろめき歩くドイツ兵の足元。

きっと凍傷から足を守るためだろう、ギャルの厚底ブーツか舞子さんのこっぽりそっくりになるまで、これでもかとばかりにぐるぐる巻きにした足元を見るたびに、笑うところじゃねえだろと自分に突っ込みつつも、工夫の結果がものすごい事になってるなぁ!とつい吹いちゃうんだよねー。
そんな靴でよちよち歩いていた彼は、降伏後にロシアの捕虜になった9万6千人のうち、生きて帰った6千人の中には入ってなさそうな、そんな気がする(涙)

そしてもう一つ忘れがたいのは、ラカイ(従僕)と本名をかけて「ラカイテル」(おべっか使いカイテル)、とあだ名されたと聞くカイテル元帥ー外観だけは立派なプロイセン軍人らしいヒゲのオッサンーが、戸外でヒトラーと談笑中の映像。

おべっか笑いを浮かべたカイテル親父、総統の目前でほんの0.5秒間ほど微妙な具合に足を上げて股間に手をやるのだが、あれはぜったい無意識のうちにキン○マの位置を直していたに違いない。そして他のあらゆる名シーンをさしおいて、頭にこびりついて離れないのはこのキン○マ疑惑ショットなのだ・・・・・・。


このようにヒゲ親父の下半身に注目しつつ、時間を見つけてはその手のDVDや本を手に取る毎日だが、ミリタリーの廣野の中でも第三帝国ってこれまた大変っぽいジャンルだよね、と戦史の泥沼につま先だけ浸したまま、進むべきか退くべきか決めかねて体がすくんでいる。

現代人が手に入れられる情報が少なすぎて、ファラオの血縁関係ですら曖昧なところが多かった古代エジプト史とはうって変わって、関係者がまだまだ存命中なくらいの昔、それも記録大好きで下っ端がもらったしょぼい領収書でも残されている国のお話とを比べると、ジャンル的には同じ「コミケ三日目・西館・西洋史」でも、大変さは5桁ほど違うだろう。

そもそもミリタリーとは、脳細胞が活発に生成されている若人の頃からはまってなんぼの趣味だとつくづく思う。右耳に入った情報がそのまま左耳から抜けるこの年になると、データ重視のミリタリーはキツい・・・・・・。
それにしてもミリ系書物の漢字と数字の多いこと!でもって「わたしは間違いは許さない!」とばかりに頑とした緻密さを目の当たりにすると、門外漢は門の前でおびえるばかり。

「試験に良く出るミリ単語」でも「輜重」(しちょう)あたりなら、『皇国の守護者』のおかげでまだ読めるしパソも変換してくれるものの、「鹵獲」(ろかく=敵の軍用品などを奪い取ること)って何?この細かすぎて印刷が潰れそうな文字!
ATOKでも変換されなくて、手書き入力で文字情報をゲットしたんだけどさ、「鹵」なんて文字、これまで生きてきて初めて見た。
こんな単語が知ってて当然、知らないなら読むなと言いたげに、何の説明もなしにずらずら並んでいるミリタリー書籍、ある意味ヒエログリフ読本よりとっつきにくいわ。

そうぼやきつつも、今は何を見てもフレッシュで、ちっちゃいゲッペルスのちょっとした仕草や、さわると怪我しそうなカナリスの眉毛ですら愉快なので、一種の気晴らしとして(気張らしと呼ぶには最悪に陰鬱な時代なんだけど)ぼちぼちつき合って行こうと思う次第。そう、先日片想いから降りたせいでちょっとした気晴らしが欲しいんだよね・・・・・・。


・・・・・・と無理矢理話題をねじまげて軽く内心を吐露、っていうか単なる愚痴だけど、相談に乗ってくれた何人かのお友達には報告したいものの、メールだと遅くなりそうだからこの場を借りてざざっと。

例の片想いプレイ、マイバースデーという願ってもないチャンスに賭けてみた。もし私のことをそれなりに気にしてくれてるなら、誕生日がいつだかは知ってるんだから、何らかの反応ーせめてメールか電話があるはず。そうでない場合は興味ナッシングというかまあ、少なくとも単なる友人の一人ってことよね。

そんなわけで実を言うと心ひそかに、何らかのアクションがあるものと図々しくも期待していたのだが、結果はあっさりノーコメント。
これはもうこっちが気にするだけ相手に迷惑だろうと確信したので、男らしく(女だけど)撤退することにした。マイナーな私人墓に入った時に目にして感動した、古代エジプト・アマルナ様式のレリーフとどこか似た印象があった、ある意味ものすごく浮世離れした彼女の佇まいを、私はかなり愛してたんだけどね・・・・・・。やはり野に置け野の花はと思いつつ、寒風吹きすさぶアナトリア高原に独りぼっちで立っているような今はそういう気持ちです。

あ、こう書いてるうちにだんだん寂しくなってきた。ただでさえ寂しさが増す秋だというのに、これはいけない。けれどリアル界で久々にノックアウトされたタイプがそうそう他にいるとは思えん。新たな対象を求めようとも徒労に終わるのみ。
こんな時こそ、総統の目前でキン○マの位置を直すおべっかカイテルを思い出して心癒されよう・・・・・・。

2009年11月14日(土)

誕生日というものは運気が上昇する日だと聞く。ひょっとするとこういう日にくじを買うと当たるかも・・・と甘い期待を抱いて、先日6日にピンときた数字でロトシックスにはじめて挑戦。
初挑戦とは言っても、宝くじ売り場でマークシートにチェック入れるのがめんどいので、ロト大好きな友人に好きな数字を伝えて、それらの組み合わせで適当に10パターン買ってもらったのだ。

その数日後、『ワルキューレの騎行』が高らかに鳴り響き、携帯を開けばそこにはタイトル「ロト6」のメール。
一億とは言わずともひょっとして10万円くらいは当たってる?だって誕生日だったんだしね、うへへ・・・・・・と科学的根拠ゼロの確信をもってメールを開き、その数秒後にはずっこけていた。

私が選んだのは11種類の数字。まずは順当な路線で自分の誕生日とイリの誕生日。
そのあたりはバースデー買いとしてはごく普通だが(死んだ犬の誕生日ってのはあんま普通じゃないか?)、突撃隊の長・ホモのレームと、シュタウフェンベルグ大佐だいすきヘフテン中尉と、眉毛のヘスの誕生日、加えてビアホール一揆とバルバロッサ作戦開始の日・・・と怪しげな数字をセレクトしたことで、何かの怒りを買ってしまったのだろうか・・・・・・。

ロトシックスとは、43の数字から好きな数字を6つ選び出して当選を狙うくじ。
私は43種類の数字から11種類も選んだんだから、一つ二つは当選番号に入っているのが確率からして普通はなず。
それなのにたった一つの数字すらかすりもしないって、何だこの狙ったような外し方。これは別の意味で一種の才能なのかもしれない。

このあんまし誉められたものではない才能はしばしば花開く。特に投資の分野において。
思い起こせば20年に及ぶこれまでの財テク生活において、私の勘ピューター(死語)は面白いほど逆に働くのだ。

風呂につかっている最中、夜寝ている時やメシ食ってる最中に、突然天から啓示が降りてきて、ユリイカーっ!と叫んで風呂から飛び出したアルキメデスばりに泡くって買った株やFXの通貨に対しては、遅くとも3日以内、極端なケースではその10分後に何かネガティブサプライズなニュースが出て、私は大損こいてしまう。

それでも自分が損するだけならいいが、悪いことしたのはITバブルが沸騰する直前に私の勧めに従って米国株を買った、前述のロトシックス好き友人。
米国株を買うところまでは良かったものの、誰でも知ってるシスコ・システムズと、聞いたことすらないトライクイント・セミコンダクター、どっちにするか迷った時に、私の勘ピューターを信じて後者の株をせいいっぱい購入。

だが、その直後に飛び出したネガティブニュースに株価はたった一日で半値まで暴落、反対にシスコは力強くぐいぐい暴騰。
あの時お前の反対行ってシスコを買ってれば、今頃はプール付きのお屋敷に住んでたのに・・・・・・と今でもぽろっと愚痴られるのはちょっぴり辛いかも。

そんな喜ばしくない経歴が、初ロトシックスでさらに華やかに彩られた今、投資する時には私の真逆に動けばもうかるかもよ(笑)、と冗談まじりで言ってはみるが、そう口に出した時点でまたしても裏目に出るんだろうな、という予感もなきにしもあらず。

それではこれからちょっとめんどいけど、やや遠方にある親戚の家にいってくる。
いとこの葬式以来会ってないんだけど、会おう会おうと思っていた矢先に車が横転して死んでしまったいとこみたいに、叔父と叔母との別れもいつ突然やってくるか分からないので、生きてる人とは会えるうちに会っておくように心がけている今日この頃。

帰宅したら片想いプレイ、やめましたの報告なんかもさせてもらいたい。勝ち目の無い闘いを空しく続けるのは無駄というものですよね。ブロンディ・・・・・・ぼくもう疲れたよ・・・・・・(ガクッ)

2009年11月8日(日)

オシロイバナの種を無心に集めていたら、通りかかった小学生女子たちに「キャハハ!大人なのにあんなことしてるぅー!」と笑われたよ。るせぇガキ!バーチャル世界のカリスマ店員なんぞかになっとるヒマがあったら(※)、お前らも健康的に身近な自然とふれ合っとけ!!

※・・・Nindendo DSの『わがままファッション ガールズモード』。
プレイヤーはブティックの店員となってお客様の喜ぶ服を選んであげるという、ある意味インタラクティブな今どきのガキ向けゲーム。
うまいセレクションには客が「人生で一番ステキな瞬間味わってるーっ!」などと派手に喜んでくれるらしくて、実のところ私もちょっぴりやってみたいのだが・・・・・・自分が選ぶとコテコテのクラブのママ風味もしくはミリタリ風味になって、あっという間に店をつぶすのが関の山につき、ソフトの購入をためらっている。


ファッションといえば(力づくで話を持っていった)バブル世代の同僚とよく話題に上るのが、「最近リクルート系以外ではほんっとスーツを見かけないよね。あと原色も」ってこと。
バブル華やかなりし頃は、目を閉じれば残像が浮かび上がりそうな原色を用い、カントリーマァムサイズの金ボタンをつけた、アメフトプレイヤーと見まごうほどに肩が張りだした上下そろいのガンダムスーツを、老いも若きも、もちろん私も着用していたものだが・・・・・・。

そんなバブル期に比べると、今のファッションってナチュラルというかユルいというか。加えて森ガールの横をラメで固めた肉食お姉系が歩いてるのなんかを目にすると、流行の自由さというか無政府状態にオバちゃんびっくりよ。
たとえセシルマクビーのミニスカの下に、レギンスではなくてモンペを着て、頭には防空頭巾をかぶっていようとも、「そ、そういうファッションなのかな」と納得させられそうなバラエティーの豊かさだ。

ま、奇抜なカッコをしても後ろ指さされない時代っていいもんだよね。ティーンの頃、アンデスでリャマひいてる農夫みたいなカッコや宮沢賢治ばりのマントファッションで、同級生から「変人」の烙印を押された人間としては、今のフリーダムがすごく羨ましい。
特にスカート男子や女装っ子の出現はハラショーな現象だ。彼らの出現によって、ジェンダーの垣根がちょっぴり低くなったようで喜ばしい限り。

今ではWWIIドイツ軍モードを平気でタウンユースしちゃうようなオサレ音痴な私も、10代後半〜20代前半には、コム・デ・ギャルソンやイッセイ・ミヤケ、モンタナやミュグレーやゴルチェの、クリーニング屋のおじさんに「この服、どっちが上なんですかね?」と困った顔して聞かれるような舞台衣装もどき最先端のファッションに、ありったけの給料を突っ込んでいたものだ。

だが、バブル崩壊と共に「高い服買っても無駄だよね。流行は久しくとどまることなし・・・・・・」と鴨長明的に開眼して、ファッションへの興味がさっぱりなくなって以来、とっくの昔に流行にはついて行けなくなっている。

ゆえに今の私は、一体どういうものをもってして「おしゃれ」と呼ぶのやらきれいさっぱり見失っているが、古代アッシリアの時代からおしゃれさんはおしゃれさん。21世紀に突入してすでに10年が経過した現代でも、「おしゃれ」の定義はうつろえども、おしゃれな子はきっとものすごく「おしゃれ」なのだろうな、くらいの予想はつく。

ただ、何を偉そうにこのバブル世代が!(怒)とのブーイングを恐れず言わせて頂くと、今の街をゆく人々の衣装って、なんか全体的に色が薄暗くてぼやけてるような。そしてさらにぶっちゃけると、そこはかとなくだらしないような・・・とまで言うと、そりゃ低成長経済下だから仕方ないでしょと叱られるかな。

でも街にビビッドな色とゴージャスな柄とSF的にかっちりしたデザインとゴールドのアクセサリーが溢れていた、一億二千万総イケイケのバブル期の悪趣味な光景が、今となってはちょっと懐かしく思えたりもする。

・・・・・・と、この20年のファッションの移ろいを振り返りつつ、ワードローブから布地が良すぎて捨てるには忍びなかったバブル時代のスーツを、せっせと取り出しているところ。
選び出したスーツたちは、先日、親衛隊の黒服を特急でサイズ直ししてくれた親切なリフォームショップに持っていき、肩幅をせばめてもらってもう一度着るのだ。

新しいのを買おうかとも思ったものの、今は上下4万のスーツですらゼニを払うのはもったいない。
来年末には世界経済が立ち直るだなんてお上の宣伝文句がどうしても信じられない悲観論者は、今のうちに「消費しない生活」に耐えられる体をつくるべく、あるものを大事に使うよう心がけて、いつか襲い来るかもしれない恐慌の嵐に身構えている。

2009年11月7日(土)

今、映画に描かれたヒトラーと第三帝国に興味があって、飯田道子さんの著書『ナチスと映画』の作品リストを参考にしつつ、関連作品を片っ端から借りて見ているんだが、レンタルビデオ屋では最大手と思われるTSUTAYAですら欲しいものがほとんど見つからず、クリックするたびに「該当作は見つかりません」とクールにあしらわれて、人気作品は何千枚も入荷してるのに!と歯がすり減るほどギリギリ歯ぎしりしている。

スキンヘッド同志Sちゃん推薦の、ユル・ブリンナーが将校役を演じた作品『トリプルクロス』や、蒲田の中古ビデオ屋で高値がついていたトンデモ映画『ベルリン忠臣蔵』あたりは、そもそもDVD化されてなさそうだから仕方ないとしても、ロン・クレインがシェイクスピアを第三帝国風味に仕立てた「リチャード三世」や、『太陽』で昭和天皇を描いて話題になったソクーロフがヒトラーを描いた『モレク神』なんかは、芸術映画界では評価の高い名監督作。ちゃんとDVD化もされてるんだから、一枚くらい置いてくれてもバチは当たらないと思うんだけどなあ。

また、当時プロパガンダ用に作られたから当然とはいえ、ナチスを賛美している作品は、借り手の多寡にかかわらずTSUTAYAラインナップから意図的に排除されている雰囲気もある。

特に戦後、ナチスの御用監督と罵倒されたレニ・リーフェンシュタールの作品群は気の毒な扱い。
彼女が出演したマイナー極まりない山岳映画(そんなジャンルがあるんだと初めて知ったよ)や、死にかけのバアちゃんになってから撮った海洋映画はあるというのに、最高傑作と言われるベルリンオリンピックの記録映画二種類は影も形もなし。聖火台に灯をともす、その筋では有名な腰布一枚の美青年を見たかったのに残念だ。
腰布→ttp://www.yodobashi.com/ec/product/100000009000563954/index.html

この調子では来年DVDが発売される『意志の勝利』ー「史上最大の問題作」と呼ばれて、長年封印されてきたニュールンベルグ党大会の記録映画も入荷しなさそう。

DVDというものは買ってもそうそう見直すものじゃないので、基本的には見たくなったらレンタルを繰り返す主義だが、第三帝国好きキャラベスト2・ヘスがこれでもかとばかりに無駄に濃い顔をさらして、渋谷のミニシアターで私を吹きまくらせてくれた『意志の勝利』。
ヘスの眉毛をもう一度じっくり鑑賞すべく、腰布青年DVDといっしょに、おまけ付き初回限定版をネットショップの買い物かごに放りこんだ。

TSUTAYA、もうあんたなんかアテにしねえよ・・・・・・。


それにしてもTSUTAYAで作品を検索しているといろんなDVDがあるもんだねー、と感心すると同時に、顧客の心をわしづかみににしつつ既存作とかぶらない題名を付けるのって、かなり大変なんだろうなーとしみじみ感じる。

その結果、タイトルはより刺激的な方向に向かうか、中身で勝負!とばかりに投げやりになるか、既存作と間違って借りてくれればいいな、ウシシ・・・・・・と確信犯的に二番煎じになるか、三方向くらいに分かれるかんじ。

たとえばこれから先一ヶ月以内にリリース予定の作品群から拾ってみると・・・・・・。
『AIジョー』『GIウォー』ー本家『GIジョー』はまだリリースされていないのにこのそっくり感!このバッタもん感!パッケージも確実にそっくりなのだろう。うっかり間違って借りてきて家族に叱られる会社帰りのお父さんの姿が目に浮かぶ。

『はじめて馬に乗った日』ー投げやり系ネーミングのオランダ映画。きっと田舎の少女か少年がはじめて馬に乗る日までの愛馬とのふれあいを描いた心あたたまる佳作なんだろうな、と思ったらまんまだった。

まんまといえば『20代、お金と仕事について今こそ真剣に考えないとヤバイですよ! 』なんてものあったが、分かってもらってなんぼの実用系にこの手のネーミングが付くのはいたしかたなし。長すぎてDVDの背から印刷がはみ出しそうだが。
そうですよ!お金と仕事について今こそ真剣に考えないとヤバイですよ! 20代のみなさん!!(おおきなお世話)

『子供、ほしいね』というのも同タイプ?受胎のためのハウツーDVD?かと思いきや、おいおい・・・連続ドラマじぇねえか!
「子供」と「ほしいね」の間の「、」によって、てへっ!感を加味しようとしたのかもしれないが、微妙な生々しさは薄れず背筋がぞくっ。

『変態島』はのぞき見願望あおり系ネーミング分類。フランス/イギリス/ベルギーの三カ国共同製作というのにのも、なにやらものすごい変態感が高まる。
予想ではフランス=さわやか露出狂系変態、イギリス=覗き見大好きむっつりスケベ紳士系変態、ベルギー=お姉さんのムチでビシビシ&聖水プレイ系変態、ってところだろうか。(すまん!ベルギーの人)

けど、一体どんな変態が登場するのかと思いきや、「エマニュエル・ベアールを主演に迎えて贈るエロティックサイコスリラー」とあってびっくり。ベアールって天使的に愛らしい女優さんで、確か私の若い頃に封切られた映画では、エンジェル役ズバリそのものもやってなかったか?時は移りゆく・・・おおおベアール・・・・・・。

韓国/フランス作品の『私は私を破壊する権利がある』なんかも刺激系ネーミングのエロサスペンスだが、『変態島』みたいにすぱっと潔くエログロ下衆にはなりきれず、ついミニシアター系作品のテイストをふりかけてしまったところは思い切りが悪くて、あんまし好感が持てないなぁ。

配給会社の人々の苦労も考えずにそんな勝手な評価を下しつつ、私は『ミリタリー大作戦 (※)と『ヒトラー第三帝国最後の審判 ニュールンベルグ軍事裁判』、そしてガキんちょ向きDVD『富士の裾野の大演習 駆ける 撃つ!がんばる自衛隊 〜ヘリコプター、戦車、自走りゅう弾 』をレンタル候補リストのかごに入れるのだった。

・・・・・・説明には「ドイツ コメディ。平和条約の調印式のため、中東の小国・カルチスタンの王子夫妻がハイデ基地に降り立つ。そんな中、テロリストが王子を誘拐してしまい…。」とあって面白そう。ドイツ映画につき油断は禁物だが(笑)。
当たりだったらここで報告しますので、同好の方は借りてみてくだちゃい。

2009年11月6日(金)

本日はマイ誕生日。
幼い頃には誕生日というと、コンプリート目指していたブルマアク製ウルトラ怪獣ソフビ人形や、同じく目の色変えてコレクションしていたプラスチック製のリアル動物フィギュアや、手塚治虫グッズを親や親戚がプレゼントしてくれて、美味しいケーキをたらふく食べて、母お手製のドレスを着てテーブルの上でクルクル踊っても叱られない、自分が主役になれるという意味においてはクリスマスやお正月よりもはるかに楽しい、一年で一番素敵な日だったんだけど。

しかしそれから数十年が経過した今、これまで生きてきた時間よりも、これから先の時間の方がたぶん短いであろう年齢に到達すると、親や自分よりもはるかに年上の愛する人たちや、ヒトよりも短命な犬との別れといった、未来にどっしり腰を据えている悲しい出来ごとの動かしがたさを思って、誕生日を迎えても楽しいどころかたまらなく寂しい気分になってしまう。

そんなブルーな気分で迎えた誕生日の朝。けたたましく鳴り響いたウォートランのメインテーマに飛び起きて、さっきまで夢に出てきた母のことをぼんやり考えながら、貧血で重たい体を引きずって台所に行くと、目に飛び込んできた愛らしいものに驚かされた。

それがこれ。左に写っている双葉。実家の近くで採取したオシロイバナの種がようやく芽吹いたのだ。

この芽は、実家向かいの駐車場のわきにたった一本だけ生えている株の分身。駐車場を見栄え良く保つため、何ヶ月かに一度の雑草刈りでざっくり根元まで刈り取られて痛々しい姿と化す親株は、刈られても刈られてもいつの間にか新しい茎を伸ばして、次に見ると平気な顔で濃いピンクの花を咲かせていたりする。

そのしぶとさゆえに私はこの株が無性に気に入っていて、たとえお前が次の雑草狩りで根っこまで掘り起こされて再起不能になったとしても、どこか他の場所で花を咲かせられるように手伝ってやるよ、と約束しつつ黒くて丸い種を集めていた。

だが、ちょっとした手間を惜しんだのがいけなかったのだろう・・・・・・。普通の草木用の土ではなくて、手元にあった粒の粗い観葉植物用の土を使ったせいか、植木鉢に入れて優しい気持ちで土をかぶせた種は、一ヶ月経ってもウンともスンとも言ってくれやしなくて、なんだかすっごく裏切られた気分。

うーむ、リスがうっかり落とした一粒のかしの実が、樹齢千年の樹へと生長する超・気の長い絵本「おおきなかしの木」じゃあるまいし、いくらしぶといオシロイバナとはいえ、やっぱただ種を埋めるだけじゃダメなのかな、園芸サイトでも調べようかな、と思っていた矢先の遅い芽吹き。これを見たとたん、何かに祝福されているような気持ちになってバースデー・ブルーも吹き飛んだ。

加えて右に写っている正体不明の植物も、台風で鉢がひっくり返り根っこが乾いて一時は死にかけだったのだが、ここ数日間でやおら復活、グングン葉を伸ばしていて嬉しい。
この草は、先月一時帰宅させた母をヘボピーと一緒に公園へ連れて行った時、ガキんちょに引っこ抜かれて道ばたに捨てられていた球根を拾って、生き返ったら記念になるかなと土に突っ込んでみたやつだ。

その他にも、実家のまわりの空き地では、昨年のちょうど今頃、母がまだかろうじて自分の足で歩けた頃、散歩の折りに二人で節分の豆のように種を蒔いて回ったオシロイバナが大きく育ち、たくさんの花を付けている。

そういう植物たちを目のあたりにすると、力強い生命の連続性のようなものが感じられて、どうせあっという間に終わる人生なら、くよくよして貴重な時間を無為に費やすなんて勿体ないよね、とも思えてくる。
考えてみればこれまで山も谷も無事に乗り越えて、子宮筋腫はすくすく育っているものの基本的には健康で、入院するような怪我もせず、極貧を味わうこともなく、この年まで生きられたのはラッキーなこと。

中学生の頃に猛烈に結婚したかった、当時はすっごい年の差カップル(妄想)だったあのSFキャラと似た年になっちまったー!というあせりのような感慨深いような、なんともいえない気分になるものの、思い起こせばあのオッサンもあっちの惑星こっちの惑星、と不必要なまでにパワフル&落ち着きなく走り回ってたよね・・・・・・。

そう考えると私もまだしばらくはいけるかも。そうね・・・・・・メランコリックになる暇があったら、「年の甲ゆえの経験値」という熟女のアドバンテージを生かして、あさって地球に巨大隕石がぶつかろうとも後悔すくなめの、ハンターXハンター的生き方を心がけることにするわ。

2009年11月2日(月)

ペットショップで見つけてたまらん飼いたくなった烏骨鶏のひな。ものすごく可愛い!特に黒がキュート!

メスだから鬨の声はつくらないよねー、と真剣に飼育を検討したのだが、「ペルシャ絨毯に羽がつくよ」と周囲に諭されて断念。朝ごはんに烏骨鶏尾の卵を食べるところまで妄想は進行していたのだが。

夢に意中の人が登場したので、窓の外を流れる小川を眺めながら「ねえ・・・・・・(唾をゴクッと飲み込みつつ)メダカ取りに行かない?」と勇気を奮い立たせて誘ってみた。

ええっ?あの川、メダカがいるんですか、と意外な顔をしたものの、いいですねえ、行きましょう、と素直に喜んだ相手を伴って、体がすっかり冷えるまでメダカ採りをしたのでした。
・・・・・・ってなんなんだこのメルヘン。自分が一体何を求めてるのか、ますます分からんようになってきた。まぁすっごく楽しかったんだけどね・・・冷たい水に足をひたし童心にかえってザルでメダカをすくうのは。

しかしこのメダカ採りの次に見た生臭い夢で、リリカル気分も台無しに。
今度は私がコクられる立場。それはそれで楽しそうじゃんと思われるかもしれないが、残念ながら相手はカタギじゃなくて、全身に龍を絡みつかせたそのスジの人、それもサルにそっくりなスキンヘッドのちんまいオッサン。身長イコール池乃めだか。

「ごめんなさい。私、スキンヘッドは大・好きなんですけど、紋々はどうも苦手で・・・」とスキンヘッド愛を強調してご機嫌を取りつつ、勇気を出してお断りすると、オッサン男らしくあっさり引き下がり、ならせめて一度だけでいいから飲みにつき合って欲しい、と言う。

まぁそのくらいなら・・・と了承した私は、フンドシ一丁のオッサン(ちょうど時は博多の山笠直前で、夜の街をふんどしで歩いても許される時期だったのだ)に導かれるまま、博多は中州の小料理屋に入り、「あらぁ!タケちゃん!いらっしゃーい!」というママのはつらつとした声に迎えられて、これは夢なんだと知りつつも「タケちゃんっていうんだ・・・リアルで会ったらどうしよう!」とおびえるのだった。

さて、どうでもいい話はおいといて、アナザーどうでもいい話、ハロウィン。

経済誌によれば、最初は日本になじまないと見られていたハロウィンも、ここ数年ですっかり庶民の生活に定着した観があり、カボチャケーキを作ったり、お部屋をハロウィン風に飾り付けして楽しむ家庭も増加。それに伴って経済効果は敬老の日と(それも微妙だが)肩を並べるまでに成長したらしい。

こう聞いていたから、10月31日の繁華街や電車は仮装であふれかえって・・・とまではいかなくとも、せめて何組かは道ではしゃぎすぎなグループとすれ違うことを期待していたんだけどさ。

けれどフタを開けるとそんなの嘘っぱちだとよーーーく分かりました。
コートの下に禁断のフル装備を隠し、思いっきり不審なかんじでブクブクに着ぶくれした女は、街でも車内でもたった一人の仮装者にすら出会わないまま、一体どこが「日本にも定着した」だよっ!と経済誌記者を呪いながら、阪急電車の車内で汗をダラダラ流していた。(ハロウィン当日の大阪は晩夏かと思うほど暑かったのですよ)

・・・・・・とぼやきつつも、アルゲマイネSS少佐はパーティーではなかなかの人気。
あれは誰が着ても8割増しでカッコよく見えるってのは本当らしい。場所がビアンバーで参加者はオール染色体XXの人だったから余計にだったのかもしれないけど、久々の疑似MOTEモードに何年かぶりの外コスを楽しませて頂いた。

モラル的に躊躇しまくっていた一線も、飛び越えてしまうとはずみがつくもの。近々再びコスプレする日のために、今度は制服をビシーッと体に合わせるべく、武装SS(グレーのやつね)モード一式を、テイラーのフルオーダーに出す気満々だ。

まずは家で試着してみまちた。せ、先輩っ!ヤバいっス!!このドキドキ感・・・(以下略)あとから気づいたんだけど、腕章が左右逆になってますね、ごめんなさい。

今さら何を言うかって感じだが、自分、かなりの変人だよね・・・とこれを書きながらちょっと思った。