2017年4月27日(木)

「他人の夢の話ほどつまらんものはない」とはよく言うけれど、備忘録的な感じで書き留めておきたいので、悪いけどちょっとお付き合いいただきたい。

<4月21日の夢>
私は台所、流し台の前に立っている。台所の景色は自宅のそれではないけれど、自宅なのだと夢の中では分かっている。
流しの隅の三角コーナーには白やピンクのヒナギクとストックの花束が無造作に放り込まれていて、まだまだ飾れるじゃない、もったいないと思いながら、今切り取ったばかりのようにみずみずしい花を拾い上げてたばねていた。

ふと気付くと隣には15年ほど前に他界した祖母が立っている。浴衣の前ははだけ気味で、疲れたように流し台につかまっている。
ぜいぜいと肩で息をしながら祖母は言った。「ここまで一直線に来たからばあちゃん、もうくたくたや」

ふと視線をずらすと、シンクの中には水にひたした白インゲン。銀色のボウルの中で丸々と輝いている。
乾豆をもどすのには時間がかかるから、祖母は私の好物の白インゲンの料理を作ろうと、体がしんどいのを押してこうして準備してくれているのだ。(私は特に白インゲンが好きというわけではないが、夢の中では好物ということになっているらしい)

「ばあちゃん、いくつになった?」「八十八」 
こんなに老いてまで、もう中年になった孫のために豆を水でもどしてくれている。その思いやり、そして祖母が存在していること自体が嬉しくて幸せでたまらなくて、「ありがたいなあ、ありがたいなあ!」と言いながら、痩せて小さくなった体を抱きしめた。

ありがたいなあ、ありがたいなあ、という自分の声に驚いて目が覚めた。
今年に入ってから夢のリアリティーが増しており、自分が今夢を見ている、と分かりながらまるで今まさに異なる世界を歩いているような感覚を覚えることが増えているのだが、この日のものほどリアルな夢は初めて経験した。これが「明晰夢」と呼ばれるものなのだろう。話した言葉も一言一句まで覚えている。

「ここまで一直線に来た」と祖母は話したけれど、ひょっとすると私のためにわざわざ異界から飛んできてくれたのかな、と冗談まじりに友人に話した。
私は中学生くらいまで「おばあちゃんが死んだら私も死ぬ」と言っていたほどおばあちゃん子だったから、孫が精神的にかなり参っているのを案じて励ましに来てくれたんだったらいいな、と思ったりする。

<4月26日の夢>
私は風呂に入っている、いや、入れてもらっている。私が浸かっているのはプラスチック製の小さな浴槽。体を支えるのは父の大きな手。私は乳児となり、父にお風呂に入れてもらっている。

目を上げると父と母が満面の笑みをたたえて私をのぞき込むのが見えた。愛情と幸福感が雨のように降り注いでくる。完璧な平和。
ああ、「至福」というのはこういう状態のことを指すのだ!そう思いながら、暖かい湯の中にゆったりと浸かっていた。

2017年4月22日(土)

今日は休日。朝7時に起きて整骨院に出かけるまでに4時間もあるから楽勝だぜ!と思ってたのに……。
顔を洗って歯をみがいて人参ジュースを飲んでベランダの雑草に水をやって、メールを一通書いただけで出発まであと5分やんけ!!!(逆ギレ)またしてもおちゃ・濁しのマヤちゃんを残していきます。それではみなさん、よい週末を!

4時間もあったのになんにもできなくて今の気持ちはこんな感じ。もーどーにでもな〜れ∩(´・ω・`)つ―*'``*:.。. .。.:*・゜゚・*

干したての座布団を取り入れたら、スッときてサッと座ってしらんぷり。

ひょっとしたらおこられるかな……とは思っているようだ。

ちっちゃく足をそろえたグイーン。

おっきく足をひらいたグイーン。みんなも青空の下でおっきく両手を広げてがんばろうね!(出発時間が迫って慌てすぎ)

2017年4月19日(水)

桜も散り、山は緑に萌えて季節はまっしぐらに夏に向かってる雰囲気満点ですね!肉体的、精神的にちょっと具合が悪いので(人参ジュース効果どこいったんや?)元気なまやちゃんでお茶を濁していきます。

ぐいーん・スタンダードレベル。

ぐいーん・トップレベル。

マヤを放してベンチに座って眺めていると、すぐに遊ぶのをやめてそばに寄ってくるようになった。私も年をとったけど犬は私の4倍の速度で老いてゆくことを実感する。

何か食べられそうなものが落ちてないかくんくんしてる。年をとっても食欲は若犬といい勝負。そのお陰で14才3ヶ月でも元気なんだろうな。

のどがかわきました。みずをだしてください!の顔。

むーんとした顔で隣の部屋から様子をうかがってる。こんな時に手招きすると、ぜんまいじかけのオモチャみたいにトコトコ寄ってくるのが可愛いんだ。

風が葉っぱを揺らす中、クマさんがのしのし歩いてる。気持ちいい季節、みんなも楽しんで!

2017年4月14日(金)

出勤前だというのに微妙に腹がしくしくしている。原因は明らか。人参ジュースの飲み過ぎだ。
人参のサイズが小なら4本、中なら3本、大なら2本でコップ一杯のジュースが取れるのだが、今朝使った北海道産人参(キズものなので大3本100円)は水分量が格別多かったみたい。
はじめにぜんぶ切った材料をジューサーに投入はじめたところ、三分の二くらいですでにコップの中には並々としたジュース。おっと、これで十分やん!とあわてたけれどあとのまつり。切ってしまったからには使い切らざるを得ず、人参ジュースを飲み過ぎたわけ。

10日ほど前から飲み始めた人参ジュース。きっかけは難病克服のために友人が始めた「ゲルソン療法」。これは人参ジュースを一日に何リットルだったか忘れたけれど、とにかく喉の乾いた馬のように飲み続け、その上塩分、糖分、炭水化物を避けまくるという、ものすごくハードな食事療法で、もちろん私にそんなストイックな生活ができるはずない。
だから、「スロージューサーで作った人参ジュースを飲んどけば酒も塩分もオッケー」という、ゲルソンさんが顔を曇らせそうなイージーヴァージョンの健康法を採択している。

それでも朝起きて人参ジュースを飲んだ日には自己暗示の影響だかなんだか知らないが、気分は何となく晴れ晴れとして調子がいい。年中しびれている右足もそこまで痛くない……ような気がする。まあ少なくとも飲んで体に毒になるものではないよな。

ただ人参ジュース健康法には問題点がいくつかあるのだ。
その1・スロージューサーが高価である。2・スロージューサーの使用方法がスーパーめんどくさい。3・たかがジュース一杯作るのに30分程度の時間を要する。4・大量の人参を必要とする 5・大量のしぼりかすが生み出される……って問題点5つもあるやんけ!(怒)

問題1はリーマンの財力をバックに、マヤハウスと自宅用に2つ購入。解決済みの問題だが、人様に勧めるには「一番お安い機種で三万越え」というプライスはハードルが高いよな。

問題2については、すでに10回ほど使用したけれどいまだに慣れない。使用前にパーツを組み立て、一度使用するたびにそれをバラして洗って乾かす、という行程は急いでいる時には発狂しそうにめんどくさい。「健康」というキラキラ輝く目標がぶら下がっていなければ、スロージューサーは箱に入ってほこりが積もることだろう。

問題3は説明不要として、問題4。ミキサーならそう量は要らないだろうが、水分だけを搾り取ろうとするとコップ一杯あたり2〜4本の人参が必要で、それを毎日飲むとなると……。
これを始める前には通販の「無農薬人参10キロ 2980円」とかいう広告を眺めながら、「人参箱買いって、うちは家族が少ないから使うの無理やろ!」と思っていたけど、次のヤフーショッピングポイント5倍付けデーには箱買いしようと思っている。人参ひとつでエンゲル係数がダダ上がりだぜ。

そいでもって一番の問題点は5!びっくりするほど大量のしぼりかすが出るのだが、これについてはあと二千文字ほど要しそうなので、出社時刻に間に合わない(またかよ)ですので「しぼりかす問題」については日を改めて記載させて頂きたい。

ほな、会社行ってきま。(=´ω`=)

2017年4月13日(木)

下の日記で触れようとして、いつものことながら違う話にすり変わっていた「クラーナハ展」、口で説明するよりどういう絵が来日しているのか見て頂いた方がてっとり早いだろうからアドレスを貼っておく。

開催期間は明々後日16日まで。大阪・中之島まで足を伸ばす価値はあると思う。ラストスパートで込んでるであろうとはいえ、東京のミュシャ展ほどじゃないだろうからがんばれ!私はもう一回行こうか迷ってる。 
「クラーナハ展 500年後の誘惑」HP http://www.tbs.co.jp/vienna2016/

そしてこちらは私の心を捉えて放さない「シュテーデルのヴィーナス」のアドレス。http://www.tbs.co.jp/vienna2016/work/work4.html

東京開催の時に見に行った美術好きの友人が「久々に『持って帰りたい』と思うほどでした」と言っており、あの趣味人にそこまで言わせる魅力とはいかなるものか?とこれだけはオリジナルを見ておきたかったんだ。(有名な作品だから写真では見たことあったんだけど)

どんなに優れた印刷技術を駆使しようとも、美術書の写真は美とパワーにおいてオリジナル作品の足元にも及ばないとはよく聞く話。
まあ確かにそれは分かる。でも作品によっては、わざわざ美術館に来たからには感動しなきゃ損!と貧乏根性が発動して、「オリジナル、ありがたや〜」という思いこみの影響もあるかなあ、と思うこともしばしばである。

しかしこの「ヴィーナス」は格が違った。目の前にした時、500年前にこの世に生まれ出たオリジナルの放つ力に、文字通り「息を呑んだ」。「持って帰りたい」と言った友人の言葉の頭の中でリフレインする。

サイズは小さいのに、鑑賞者を圧倒する力は壁面いっぱいに描かれた大作に勝るほどで、見つめていると黒く塗りつぶされた女神の背後の闇に向かってふらふら進み出てしまいそうに蠱惑的だ。
見る者を誘いつつ柔肌に触れることを許さない権高な微笑みと対峙していると、「うぉぉおぉおおお……ワシ、すごいもん描いちゃったんじゃね?」と身もだえしながら憑かれたように筆を動かすクラーナハの姿が霊視できそうだ。

なんでもクラーナハ(父)の作品は、クラーナハ(息子)やクラーナハ(工房)の手によるものとごっちゃになって、どれが(父)本人の筆なのか、ぶっちゃけすでに500年前の時点で分かりにくかったみたいで、パトロンの領主が「これ、お前か息子、どっちが描いたやつ?」と尋ねたというこぼれ話もあるらしい。
だがシュテーデルのヴィーナス、こいつはルカス・クラーナハ本人が一人で描いたやつじゃなかろうか、と直感的に思った。それくらい画家の妄想もとい熱量の伝わってくる作品だったわ。

もう一度言う。「クラーナハ展 500年後の誘惑」は16日まで!ヒマな人は見にいっとけ!美に浸った帰りには、会場の美術館の隣りにそそり立つマンションN4──私が「ライオンズマンションすったもんだ事件」で買って即売り飛ばしたいわくつきの物件も拝めます。(=´ω`=)

2017年4月11日(火)

今日の風はものすごい。まるで嵐だ。窓の外でごうごうと吹きすさび家を揺らすほど。ベランダをのぞいてみたら鉢植えの草はなぎ倒され、ゴミ袋はみんな隅っこに吹き寄せられている。これほどの風だと桜はほとんど散ってしまっているだろう。

実家のすぐそばには小さいけれども桜の密集度ではどこの名園にも負けないくらいの、周辺住民の間では有名な公園があって、花見の人のいない日曜日の夜にちょっと見に行くつもりだった。でも夜になったらめんどくさくて寝てしまったんだ。
だから今夜は実家に戻ったらぜったいに行くつもりだったのに……。満開の桜を見そびれたことが悔しくて、朝っぱらから気分は憂鬱。

ああ惜しい、ああ惜しい。やっぱり「しなきゃ」と思ったことは無理してでもやっとかなきゃダメなんだなあ。私は何度後悔しても同じ過ちを繰り返す!と残念がっていたら、パチンと音を立てて心のネガティブスイッチが入ったらしく、今日という一日を難なくこなすこと、そして生きること自体がものすごくしんどくなってきた。

あーあ、お母さんに「毎日しんどいのによく頑張ってるねえ」と優しく頭をなでてもらいたい、お母さんとお父さんに会いたいなあ!カナにもう一度会いたいなあ!

私のネガティブスイッチ、簡単に入りすぎる。アメリカの核ボタンみたいにパスワード制にしとかなきゃいかんな。(でもアメリカの某核ミサイル発射ボタンスイッチも20年間にわたって『00000000』のままだったらしいから、私の鬱ボタンとどっこいどっこいだが。)

そんな風に考えているとどんどんネガティブ思考がふくらんで、体が茨に巻き付かれたみたいに動かなくなってくる。そこで、これはいけない、と茨に巻かれつつ自己分析してみた。

見そびれた桜の花が散ることをこんなにも惜しむこの気持ち。風は吹き、花は散るのが世の定めだというのに、それを留めておきたがるのが私の悪い癖。心に苦しみをもたらす一番の原因はこの「愛着」にあるんだろう。

そんな風に頭を整理するとちょっと気持ちが浮上したから、出勤前にちょっとだけサイトをさわっておこうか、とパソコンを立ち上げた。
さて何を書こう、土曜日に行ったクラーナハ展のことでも書こうかな、と考えながら、作品画像を貼るためグーグルに「クラーナハ」と入力しようとしたら、指がすべって「苦ラー名は」と変換されたまま入力してしまった。

すると真っ先に出てきた言葉は「四諦」。げげっ……こ、これは何やら宗教ワードっぽいんですが?!とリンク先をクリックすると、やっぱりか……。

「四諦とはお釈迦さまが説かれた大切な教えの一つです。四諦の『諦』とは、「あきらめ」のことではなく、「ものごとの本質を明らかにすること」とか、「真理」という意味です。四諦とは「四つの真理」ということになります。

その四つの真理とは、
一。苦諦:人生は「苦」であるという真理 二、集諦:苦の原因は「割愛」にあるという真理 三、滅諦:その苦を滅した境地が「悟り」であるという真理 四、道諦:その悟りに到達する方法は「ハ生道」の実践であるという真理 
お釈迦様は、まず人生は苦であり、その苦の原因は「割愛」であるとし、この割愛を滅し、あるいはコントロールすれば、苦に悩まされない境地(涅槃)、さらにこの苦を滅する修行方法は、八生道の実践である、と説かれたのです。

なるほど、私は今まさに2の段階を認知、3へ移行したくてあたふたしてるんだな。
よっしゃ。ここまで気付いてるなら3の「滅諦」を目指してさらなる境地──ニルヴァーナ(涅槃)に至って、カード・コバーンに会っちゃるわ!(むちゃくちゃ分かりにくいギャグ)
……なんて言いつつも、一歩外に出て散ってしまった桜を目にすれば、またふりだしに戻りそう。ニルヴァーナはまだまだ遠そうだ。

<カート・コバーン>伝説的ロックバンド「ニルヴァーナ」のリードボーカル。すでにあの世のお方。

2017年4月7日(金)

外はしとしと雨が降っている。雨が降るとこの歌をいつも思い出す。♪雨のしょぼしょぼ ふる晩に まめだ(豆狸)がとっくり持って 酒買いに こんばんは〜♪

今日は有給取って友人に会いに三重に行ってきます。特急料金をケチりたいせいで、往復7時間の長い、長い、電車の旅のはじまりだぜ!
じゃあ、雨がしょぼしょぼ降る朝に、行ってきまーす。

もの思いにふけるふりしておねえちゃんが次に何をするのか監視中。本棚の上のおやつ、くれないかな。

まやちゃんがあったかい舌でぺろ……ぺろ……と舐めてくれると、この世の憂さがゆっくり溶けて消えてゆく……。

2017年4月4日(火)

子供の頃なら一大イベントだったエイプリルフールがとりたてて言うほどのこともないありきたりな一日として、知らない間に過ぎて行ったことに気付いた時、年を取ったなあと一抹の寂しさを感じるのは私だけだろうか……。
なーんて言いつつも、個人的には驚かされることがなくて助かった。SNSではそこそこの盛り上がりを見せていたようだけれど、私はエイプリルフール、あんまし好きじゃない。たとえいい事であっても感情のアップダウンにとても疲れるようになったせいで、ライトなドッキリですらちょっぴり寿命が縮む感じがするから。

それでもエイプリルフールになる度に思い出すお気に入りのウソがある。ヘボピーがマヤファンの友達についた「マヤがタヌキと喧嘩してケガしたぁ!」ってやつ。
友達はむちゃくちゃびっくりしてたらしいけど、なさそうでありそうなマヤvsタヌキの図を想像するたびにクスッと笑ってしまう。まあ私に対してつかれたウソなら、ショックのあまり幽体離脱してるだろうけどね!

誰もいない住宅街に転がるおイモがひとつ。